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2012年08月10日

富岡先生・春口先生赴任

快晴

昨日、「京滋YOUの会」スタディーツアーが何事もなく終わり
ほっとしているところである。

暑さで体力消耗。

午前7時朝食。「ブンボーフエ」


午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

今日は新しい日本語教師である「春口先生」と2回目の
日本語教師としてJASSの要請で再赴任してくれた
富岡先生の「顔合わせ会」がある。


午前8時半、春口先生・富岡先生がベトナム事務所で
勤務開始。

先輩の日本語教師:後藤先生と一緒に



ベトナム事務所員が自己紹介。

バオミンさん・JASSベトナム運営委員長の「歓迎の挨拶」



ハン「財政部長」の自己紹介。


すっかり「貫禄がついた」観光担当「ソン君」。
貫禄がついた場所が『腹部』なのか「心」なのかは不明


日本語教師の先輩の古賀先生(春口先生と年齢も同じか)


「ミス・フェリシモ」ことアンさん


朝、会っても「今晩は先生」こと「フオン先生」



日本語教師の先輩 後藤先生



春口先生の直接の上司になるフーン先生(JASS日本語部長)



富岡先生からお土産



その後、1時間ほど、ベトナム事務所での仕事の仕方、
NPO法人「JASS]の歴史と仕事内容。
新人日本語教師の任務。
フエでの生活上での諸注意(食べ物・暑さ・・・・・)
フエでの政治的な特別な困難な問題・・・・

私が20年フエに住んで経験したことで、気をつけた方が
よいと思われることを話す。



富岡先生(臨時に税田さんの机を使かわせてもらう)

春口先生の席




春口さんが一番相談するだろう古賀先生とバオミンさん委員長

午前11時半、昼食。野菜サラダ・魚・・・・


半分残す。(食べられない)


午後1時過ぎから2時間ほど昼寝。

午後、たくさんの受信メールを読み、返信をする。

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今年の「子どもの家」の子どもたちの大学受験者は3人だった。

今日、3人の大学の合否結果が発表された。

「子どもの家」の3人の大学受験者は3人とも志望校全てに
合格した。

3人の合格大学一覧

①TRAN  HONG  NHI (チャン・ホン・ニー) 女子

  ・フエ医科大学
  ・フエ師範大学生物学科(日本で言えば京都大学理学部に
   あたる)

  (ホン・ニーさんは、ベトナム中部(20数県)の理系では一
   番難しい 医科大学と フエ師範大生物学科の二つに
   合格した。
   彼女は、ベトナム中部の最難関高校を理系トップの成績で
   入学している。
    ホンニーさんは、日本の地方の某国立大学を受験したが
    不合格となった。日本の大学はもったいないことをしたものだ。
    ホンニーさんの理系の優秀な本当の能力・力を計り知る
    ことができなかったのだと私は思っている。能力ある人間を
    評価する能力がないということに尽きる。
     合格させるか不合格にするかは、大学の専権なので
    私たちは何ともいえない。逸材を逃がしたということだけは
    事実である。

    ベトナムの優秀な理系の若者を日本に呼ぶこと
    ができなかったことは残念ではあるが、医師になるか、
    理系の大学教授になるかして、ベトナム国家の発展と
    ベトナムの若者のために生きていく道を「不合格」という形
    でプレゼントしてくれた日本の某地方大学に心から感謝
    したい。ホン・ニーさんの姉は今年の9月にフエ医科大学を
    卒業し医師になる。姉妹でフエ医科大に入り、ベトナム
    の医療に貢献する人材養成にJASSが貢献できたこと
    を誇りに思っている。

     ベトナムは発展途上国との意見もあるが『高校生数学
     オリンピック』でベトナムは世界3位~5位。日本は
     10位程度。どちらの理系の水準が高いかは、
     誰でもわかるというもの。ベトナムを「後進国」などと
     侮っている大学人があるとしたら、無知そのものである。
     ホン・ニー姉妹は、母が失踪。父親はシクロ:
     ベトナムの人力車の運転手だったが死亡。養育する
    両親がいなくなり、「子どもの家」に入所。それから10年
    ほどたっている。里親の大里チエ子さんに感謝)


②  TRAN  THI  THUY  NHU
    (チャン・ティー・トゥーイ・ニュー) 女子
   
  ・フエ経済大学
  ・ダナン経済大学(法律学科ー将来の弁護士)

  (ニューさんは、1999年のフエ大洪水;200年に一度
   という大洪水だった。フエ市だけでも数百人の方々が
   なくなった。
   ニューさんのお父さんも洪水で水死。母親は合作社
   (農協のようなもの)に勤務していたが、給料が安く、
    二人の子どもを
   育てることができないと、「子どもの家」にやってきた。
   私とセンさんで面接。
    姉とニューさんを入所させる。それから13年。
   姉は、今年フエ師範大学を卒業し、9月から小学校の先生に
   なる。
   妹のニューさんは、フエとダナンの文系の大学では最難関の
   2つの大学に合格した。その努力に敬意を表したい。
   里親の中本さんに感謝)


③  NGUYEN  THI  NGA (グエン・ティー・ガー) 女子
  
 ・フエ外国語大学観光学科


 「NGA」は、ベトナム語では、「ロシア」という意味。
 ベトナム、特にハノイは1945年から社会主義国。
  ロシアは、憧れであり、理想の国。
  NGA(ガー)さんのご両親は、憧れのロシア(ソ連)の
  名前を娘につけた。
   その後、複雑な家庭の事情があり、家庭がなくなり
   フエの「子どもの家」に入所。今は、帰る家がない。
  「子どもの家」で努力し勉強をした結果は、ガーさんの
  人生にもプラスになるものと信じている。
   たった一人で生活して行かなければならないガーさん。
  観光を学び、自立していきたい。今後、4年間、「子どもの家」
  で頑張って生活して欲しい。里親の川向先生に感謝)


  私たちは、大きな活動はできないが、一人ひとりの子どもたち
  の人生(たった一度のこれ以上ない大切な人生)が、幸せな
  ものになるよう微力ではあるが、フエに20年間住んで応援し
  ている。

   人に対する口だけの批判は容易である。
  現地に20年住んで、実際にこうして一人の人間の人生を
  有意義なものにするという活動は、批判されるべきものでも
  ないようにはおもうのだが・・・・。
   私の信条は「口より行動」である。
   口では何でも言える。行動は難しいものである。
   昔から「言うは易し、行うは難し」という諺がある。かみ締めたい
   ものである。

   多くのJASS・「子どもの家」の子どもたちへの支援者に
   心から感謝したい。こうして数は少ないが、一人ひとりの
   子どもたちの一度しかない貴重な人生を有意義に過ごせる
   ように支援するのが私の使命。口で大言壮語をしても
   何も意味はない。行動をするかどうかが人間には問われて
   いる。何も言わず、10年・20年と「子どもの家」の
   子どもたちを支援してくれている日本人がいることに感動する。
   日本では大津の自殺事件、静岡県磐田市の小学校教師を
   自殺へ追い込んだ校長・副校長・研修主任事件など
   「慄然とした事件」が起こっている。
     しかし、長年、何も言わずに「子どもの家」の子どもたちを
    黙々と支援してくれている日本人の人間・生命・人生という
 ものへの畏敬の気持ちの強さに感謝もしている
    日本人の道義も捨てたものではない。
    
    これからも勉強の好きな子どもたちは、その能力を使い、
    絵の好きな子はその道に、手の器用な子どもは・・・と
    子どもたちを一律にみずに「子どもたちの個性・人間性
    嗜好」を十分尊重し、子どもたちの頭で自分自身の
    人生を考えられるようサポートして生きたい。
     私たちの願いは、世界中の子どもたちが幸せな
    人生を歩んで欲しいということに尽きる。
     
    

投稿者 koyama : 2012年08月10日 18:49

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