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2012年09月13日
ブライセンTHI君の父親の通夜(クアンチ省)へ:日本料理店会議:ブライセン社長来訪
快晴
午前7時朝食。ブンボー・フエ(フエ名物 牛肉入りブン麺)
午前8時半、昨日、交通事故で亡くなったブライセン社員THI君
のご尊父の通夜に行く。フエ省の北。クアンチ省。ベトナム戦争中
は南ベトナムの最北端。クアンチ省と更にその北のクアンビン省
の境・北緯17度線、「ベンハイ川」がベトナム民主共和国
(北ベトナム)とベトナム共和国(南ベトナム)の国境だった。
1973年、北側の攻撃を受け、クアンチ省は陥落し、北側が
支配。ベトナム戦争末期は、フエとクアンチ省が北と南の
事実上の「国境」だった。
クアンチ省は、北と南の草刈り場、大激戦地帯だった。
通夜には、ブライセンベトナム支社員・JASSベトナム事務所員
(THI君に日本語教えている)などが参加。
フエから国道1号線を北上すること1時間。クアンチ省に
入る。
秋の空になりつつあるがまだ夏の暑い空。
車から降り、THI君の実家へ
ブライセン本社社長 藤木氏の花輪
JASSの花輪
車からブライセンスタッフ・JASSスタッフが
それぞれの花輪を持ってTHI君の家へ。
THI君の実家は、亡くなった父親(66歳)と
小学校の教員で既に退職している母親の
二人で生活していた。
子どもたちは、 ホーチミン市やフエに住んでいる。
THI君の実家の庭には即席の通夜会場が設営されて
いた。
たくさんのお坊さんが読経している。
日本の読経に比べ、はるかに「朗らかで明るい」
雰囲気の読経である。
白鉢巻は親族。
テーブルに座り、故人の思い出などを話す。
理由は不明だが、通夜のテーブルには、かならず
「檳榔(びんろう)」が置かれている。
お線香を手向ける。
バオミンさん
喪主のTHI君と母親(突然交通事故死に動転し、
二人ともやつれていた)
カイン君(ブライセンベトナム支社員)
焼香を終えて、THI君とお母さんに「弔意」を伝える。
ホア君(ブライセンスタッフ・「子どもの家」卒業生)
後藤杖君(JASS日本語教師)
フーン先生(JASS日本語部長)
悲しみをこらえて弔問者に応対するTHI君
THI君のお母さんと親戚の叔父さんが挨拶に
1時間ほどの弔問を終え帰路へ。
THI君の家の庭にきゅうりがなっていた。黄色の花と
鮮やかな緑の小さなきゅうり。THI君の父親の
急死を悼むかのようにひっそりと咲いたいた。
午後11時半、フエに帰る。
昼食。
午後1時間ほど昼寝。
午後2時40分。徒歩でベトナム事務所へ。
午後3時過ぎ、日本料理店会議。
「子どもの家」のHIEP君(15歳)が研修生として
日本料理店で研修を行うことになった。
今日は、日本料理店会議を開き、TUOI店長、
NGUYET接客主任、HIEU在庫管理・統計主任と
話し合う。
明日からHIEP君は日本料理店で研修を始める。
HIEP君は、日本流に言えば、中学3年生。
ベトナムでは進級する際「進級試験」がある。
HIEP君は、勉強が肌に合わず、進級試験に
なかなか合格しない。やっと苦労して1年の
進級試験はすすれで合格。しかし、2年の
進級試験に挑戦する気持ちと力がないと
自分で思い、学校へ行かなくなってしまった。
「子どもの家」のセン委員長や寮母さんが何度も
説得したのだが、勉強ができない、という。
セン委員長も寮母さんも「この子は本当に
真面目で心優しい子。サボって学校へいかない
のではなく、勉強自体が苦痛。これ以上、無理に
進級試験を受けさせても無理との結論。
私とバオミンさんでHIEP君に会って「進級試験」の
ことを確認。本人はどうしても勉強ができない。
進級試験を受けたくないと繰り返す。
セン「子どもの家」委員長、バオミンさんとも相談し、
中学進級をこれ以上、無理強いしても問題の解決に
つながらないと判断。
本人に「何をしたいのか?」を聞く。
「日本料理店で日本料理の技術を勉強したい」との
こと。
午後4時半、徒歩で宿舎へ帰る。しばらくベッドで横になる。
午後7時45分、バオミンさん・ブライセンスタッフ2人が
宿舎付近に車で迎えに来てくれる。
午後8時半、フエ空港へ。
午後8時半、ブライセン本社藤木社長と2人の社員。
FDS社長のWさんと社員2人がフエ来訪。
午後9時半、車でホテル着。チェックイン。
その後、ホテルのレストランで簡単な顔合わせ会。
3日間のフエ滞在が始まる。
宿舎着、午後11時半、バオミンさんのオートバイで
宿舎まで。
長い1日だった。
投稿者 koyama : 2012年09月13日 10:14