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2012年01月31日
札幌へー札幌・ベトナムの会主催のテト正月新年会
午前7時半、上野のホテルでパンとコーヒーの
朝食。
午前9時、ホテルを出て山手線で浜松町へ。
更にモノレールで羽田第2ターミナル。
午前11時25分、羽田発札幌便に搭乗。
午後12時50分、新千歳着。
空港には、鹿又さんと社員の方が出迎えに来てくれていた。
昼食を摂っていなかったので、新札幌空港でラーメンを
食す。
新札幌空港からバスで80分。札幌の中島公園付近の
ホテル着。
大量の荷物は、鹿又さんが車でホテルまで運んでくれる。
感謝。
空港からホテルまでは、「雪・雪・雪」
ホテル着。零下の寒さの中でもやる気満々の
フエの人たち。
午後4時、ベトナム・札幌の会主催の新年会場である
札幌ビール園へ。今日は特別ビール園の博物館所長さんが
博物館を案内してくれる。
サッポロビールと朝日ビール、エビスビールは
もともとは札幌の同じ会社のビールだった。
大日本麦酒の製品だった。
サッポロビール博物館で記念写真
サッポロビール博物館での昔のビールの試飲
雪の中で多少興奮気味のベトナム人
午後6時、菊先生の名司会で「札幌・ベトナムの会」
新年会が始まる。
鹿又代表の挨拶
訪日代表団を代表してユン・フエ市共産党委員長の
挨拶
ベトナム側から記念品贈呈
札幌大や北大で勉強しているベトナム人留学生も参加
ジンギスカンで部屋は煙状態
日本側参加者
午後9時、閉会
雪の中、ホテルへ帰る
今日で5日間。私的には相当疲労がたまる。
頭が回らない。20数通のメール受信。
返信する「頭が回らない」。
ベトナム代表団の皆さんの「自由闊達な」活動に
翻弄される。集合時間に来ないのは、序の口。
どこか手勝手に行ってしまなど、自由な行動に
「感服」する。
箱根→湯トピア→大湧谷→上野ホテル
快晴
午前8時、箱根の会員制ホテルをチェックアウト
朝食はイタリアンバイキング
しっかりと「防寒着」に、身を固めた訪日団
ユン・フエ市共産党委員長とバオミンさん
JASSベトナム運営委員長
温泉を使った遊園地的施設の参観。
バオミンさんなどベトナム人参加者も温泉に入る。
水着を着て。バラ風呂、コーヒー風呂、日本酒風呂などなど
大変工夫されていた。
中でも「ドクター・フィッシュ」は初体験のものだった。
小さな温水に入っている「小魚」が人間の足の垢を食べてくれる
という趣向。大人も子供も少しくすぐったい魚の「試食攻撃」
を楽しんでいた。
その後、大湧谷の硫黄の噴出している様子、
そこからの富士山の参観を堪能。
富士山は残念ながら雲がかかっていた。
今回の箱根行きの全てをコーディネトーして
頂いた星野夫妻とバオミンさん。
星野御夫妻に心から感謝したい。
少し寒さにも慣れてきたバオミンさん
(前夜の体内への多量のアルコールの
暖かさのためなのかどうかは不明だが・・・・)
大湧谷でのベトナム訪問団一行
右から元ハノイ政府建設・運輸副大臣・ユン共産党委員長
ニエンフエ市人民委員会外務部長・バオミンJASSベトナム
運営委員長
温泉たまご(ひとつ食べると7年長生するという)
を試食する。
硫黄の臭いが漂う「大湧谷」
小学校6年生の修学旅行で来たことがある。42年前。
星野さんの車の運転で東名高速・首都高速を
安全・順調に走行し、午後3時過ぎには、
上野広小路にあるミニホテルへ到着。
皆さんは、「直ぐに秋葉原へ行きたい」との
希望があり、秋葉原へ。上野から2駅。
秋葉原の「ラオックス」は、基本表示は中国語と
なっていた。中国資本が買収したとのこと。
店員も中国人とインド人。日本人は見当たらない。
大きな様変わりに「世界の経済状況」の一端を
見た思いがした。
夕食は上野広小路の路地裏にある焼肉屋。
別枠で「超辛い唐辛子」をもらうも、直ぐになくなり
2回もらう。
バオミンさんとピースインツアーのスタッフ
ハノイから来た訪日団員
昔、ハノイの「共産党大学」で同級生だった二人
すごい食欲だった。さすがは、元解放戦線の兵士。
18年来のお付き合いであるフエ市人民委員会
外務部長のニエン氏
2012年01月29日
箱根温泉施設視察
快晴
午前9時、星野さんの運転で上尾市を出発。
箱根へ。
首都高速・東名高速を順調に走行。
途中SAで昼食。 ベトナム人はラーメン。
午後2時、箱根神社を参拝。
箱根宮の下にある星野さん加入の会員制ホテルに宿泊
露天風呂に入る。ベトナム人は温泉に入らず。
もったいない。
午後5時から夕食会をかねて案件について更なる協議
おいしい中華料理を食べる。
日越の友好と親交を深める
2012年01月28日
花咲の湯スパ、シルバー施設参観
快晴 しかし 寒い
午前6時起床。
午前7時半、朝食。
午前8時半、星野さん経営の「花咲の湯」視察。
1日の入場者1000人。1ヵ月3万人の入場者。
花咲の湯のレストランサンプル
花咲の湯オーナー星野さんとフエ市共産党委員長ユン氏
その後、星野さん経営の「養護老人施設」を参観
午後12時過ぎ、星野さんの知り合いの和風レストランで
昼食
午後3時から星野さんとベトナム側との協議
午後6時から星野さんの「花咲の湯」レストランで
夕食会
ニエン・フエ氏人民委員会外務部長とバオミンさん
午後8時、懇親会を終えて星野さん経営のホテルに
帰る
2012年01月27日
フエ投資セミナー団成田到着
寒い
成田前泊。
午前10時、成田空港第1ターミナルへ。
フエ投資セミナー団は、11時20分に成田へ着く
予定だったが、30分遅れる。
午後12時半に到着ロビーに到着。
フエ市共産党委員長、フエ市外務部長、バオミンさん
元ベトナム政府建設・運輸副大臣など6人。
星野さんの運転で成田から埼玉県上尾市へ車で
移動。3時間。
上尾市商工会議所へ到着。
その後、上尾市副市長と懇談
上尾市副市長にフエからのお土産を
手渡す
上尾市副市長と懇談
上尾市議会議長・副議長と懇談
午後4時過ぎ、上尾市商工会議所にて「フエ投資セミナー」
を開催。司会の上尾市商工会議所副会頭の星野氏
フエ市共産党委員長のユン氏がフエへの投資について
説明
15人程の企業の責任者が参加
私もフエの実情を説明
午後7時。星野さん主催の歓迎晩さん会
星野さんの挨拶
2時間ほど、晩さん会を楽しむ
その後、ベトナム人は、某人の部屋で反省会。
私は星野さんの「花咲の湯」のレストランで日本人と
飲み会を行う。
午後11時過ぎ終了。
2012年01月26日
明日から8日間のベトナム要人案内準備・心臓病院通院
寒い
午前8時起床。
地下鉄で都庁前。NSビル内にある心臓クリニックへ。
レントゲン、心電図、採血、診療。クズリをもらう。
10550円かかる。高いか安いか?
社会保障と税の一体化という名の「超増税」路線をひた走る
どじょう内閣。増税だけが実施され、社会保障は一層低下、
自己負担が増加することは明らか。
大企業や軍事費の削減など「聖域」には一切、手をつけず、
庶民から血税をむしり取る悪代官内閣でもある。
消費税ほど「不平等」な税制はない。お金のない庶民も
年収1億円、2億円の大金持ちも「同一税率」の税金
である。これほど「弱いものいじめ」の税金はない。
どじょう内閣の消費税増税路線が進めば、今日の心臓
治療・投薬も2万円、3万円と値上げされることは明らか。
アメリカのように「お金のあるなし」で医療の質が大幅に
変わる時代が来る。
などとお金を払いながら考えていたのである・・・・・。
午後1時全て終了。
自宅へ。
明日の朝、成田へ着くバオミンさん一行6人を
出迎えるため、今夜から成田空港付近のホテルへ
前泊。
夕方まで荷物の整理。
今回の訪日一行の訪日目的は「フエへの投資依頼セミナー」。
上尾市副市長懇談、上尾市商工会議会議所での
「投資セミナー「。
札幌・ベトナムの会(代表 鹿又達男氏)主催の
「ベトナム投資セミナー」(札幌商工会議所)
などを行う。JASSとフエ市人民委員会共催の取り組みである。
2012年01月25日
ラオス・ラム酒販売促進会議
寒い・寒い・寒い
午前9時起床。夜中に湯たんぽがぬるくなったので
再度沸騰させた。節電・エコの家の住人は「寒い」。
夕方まで荷物の整理。
1月27日の朝、成田へ来日するバオミンさんなど
ベトナム人一行6人の8日間の日本滞在日程の
最終調整。ホテル、移動手段、飛行機チケットの確認・・・。
午後6時、池袋で「ラオス・ラム酒販売促進会議」。
ピースインツアーのスタッフも参加。
午後9時過ぎまで「打ち合わせ会」を続行。
その後「河岸」を変えて、大塚で一層深く打ち合わせを進める。
大塚は私と與芝君の生まれた町。
ラオス・ラム酒の與芝君は、私の大塚の生家のすぐ近くに
住んでいる。ラオディー日本の清水君は、同じく私の生家から
2キロほどの東大正門前で生まれ居住している。
今後、ラオディー(ラオス・ラム酒の会社)は、JASSと「子どもの家」
への支援を行うとの意向を示してくれる。
2月18日(土)午後1時半から行われる「2011年度現地報告会」
(中央区総合スポーツセンター 第1・2会議室)に参加。
ラム酒販売を行い、売り上げの一部を
JASSに寄贈するとのこと。ただし、会場でのラム酒飲酒は厳禁。
一部参加者が「飲酒三昧」に走る傾向を危ぶんでの措置。
自宅着、午後11時半。
2012年01月24日
日本へ帰国
東京は雪が残残る
東京自宅へ戻る。
寒い。
1月27日バオミンさん・フエ市人民委員会・フエシ共産党
役員などの訪日がある。その出迎えのため帰国。
帰国機中等で読書
「官邸崩壊ー日本政治混迷の謎」(上杉隆著:幻冬舎文庫)
安部内閣崩壊の内実を詳述している。
今回の帰国は忙しい。
空港で国会中をみる。
玄場外相の「外交演説」を聞く。
内容なし。
NGOと協力して外交を進める、と言っていたが、
馬鹿馬鹿しい。少なくとも最近の在越大使館に
関して言えば、フエで18年活動しているJASSを
知っているスタッフすらいない。
「子どもの家」のこどもたちの訪日ビザ申請の際には、
ハノイまで来い、訪日に「疑義あり」として面接すると言ってている。
協力以前の問題。ベトナムで活動するNGOを知って
もらいたいといった次元である。
自分でもコントロールできない「原発」を2基もベトナムに
売るという「無責任」「金儲け」外交に全く触れずに。
アジアとの協力などとういう演説に虚しささえ感ずる。
諸事情があり、2週間「火炎樹日記」を閉鎖した。
また、今日から再開。
2002年8月2日から10年間近く毎日書いてきた
火炎樹日記であったが、2週間の中断は不本意ではあるが
いたし方ない。
東京は異常に寒い。湯たんぽを入れる。
何しろ我が家は徹底した「節電家庭」である。
『無駄な電気』は一切使わないという『上意』である。
絶対服従の命令には従わざるを得ないが、寒い。
仕方がないので、体内から「温めねければ」ならない。
笠井先生から頂いた「国香」(私の一番好きな日本酒)
を「暖房」のために「いたし方なく」飲酒する。
おいしい。香りと適度の甘さ。
年賀状がたくさんきていた。
一人ひとりのみなさんの年賀状を時間をかけて読む。
10年、20年、30年前の様子が頭に浮かぶ。
2012年01月23日
ベトナムの正月を寿ぐ
ベトナムの新年おめでとうございます
2012年01月04日
ニエン外務部長たちと夕食会
終日雨 気温が急激に下がる
午前7時朝食 カニ団子入りキャッサバ麺
午前10時。アメリカ出張を終えて昨晩帰国したニエン
外務部長と懇談。
いくつかの重要な問題について基本合意。
午前11時半、昼食。「うこん」のブン麺。
飲みすぎで「肝臓」に問題が起こらないように
ベトナム風「ウコンの力」を活用。
ウコンの現物
ウコン・ブン麺を食べるが、何となく臭いが合わない。
午後2時間ほど昼寝。
洗濯。
当面の様々な問題を処理する。
突然ひどい下痢に襲われる。原因は「ウコン」のあくが強いようだ。
下痢と吐き気、腹痛。
静岡市役所からメール。
いくつかの件についてメール送信。
午後5時半過ぎ、バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。
バオミンさんの弟の経営するレストランで「ニエン外務部長」
「ホアン外務副部長」「バオミンさん」と新年会を行う。
このレストランでは炭火焼の豚肉、鶏肉がでる。
午後8時半、お開き
2012年01月03日
久しぶりに太陽を見る
午前7時朝食。蟹ブン麺
太陽が出る。気温を測る。気温32度 湿度50%。
真夏だ。
昨日まで厚い防寒着を着用していたのだが・・・。
洗濯。
毛布・フトン等を日干しする。
バオミンさんと電話でいくつかの問題を打ち合わせ
4組の訪日団の諸日程・予約などの最終整理をする。
光ファイバーが使えなくなった。
ソン君に来てもらう。ソン君はフエ高等師範大学の
コンピュータ科を卒業している。
色々見てくれたが、結局、光ファイバーの力が強かったり
弱かったりしていることが分かる。
日本のように常に一定の強さで送信されている訳ではない。
ベトナムでは、ADSLも光ファイバーも電波の強弱がひどい。
まだ、ベトナムではインターネット関連の技術がきちんと確立
していないのが現状である。
こうした国に自分でも管理出来ない原子力発電所を売った国
がある。ベトナムのADSL・光ファイバーなどを使って見ると
きちんとして技術管理が出来ていないことがわかる。
原発の自国管理も出来ない某国の亡国野田首相が、ベトナムに
1兆円で売った2基の原発。将来に禍根を残したといえる。
せめて、光ファイバー位は一定の量を送信する程度の
技術は持って欲しいものである、などと妄想してる。
午前11時半 昼食。豚肉のおかゆ
室内は真夏のように暑くなった。
昼寝。1時間。
読書。
引き続き洗濯。
国立体育館近くのスーパーへ買い物。
ビザ関連の資料を日本へ送る。バオミンさんにも送る。
今日撮ったデジカメの写真を間違って消してしまった。
2012年01月02日
フエ市共産党・人民委員会役員とJASSの新年会
終日小雨。既に1ヶ月半ほど、雨が続く。気が滅入る。
正月気分は全くない。
午前7時朝食。フォー
午前中、荷物の整理。部屋の整理
部屋に「光ファイバー」を導入する。既に前段工事が終わり
今日は最終の部屋の取り付け工事。
ソン君が付き切りでお世話をしてくれた。
壁にドリルで穴を開けて配線。1時間位で工事終了。
ADSLよりも多少、早くなった「ような気がする」程度。
今後、光ファイバーの「利点があるのか?」状況を観察
の予定。
体がだるい。少し横になり読書。
「ホーチミン・ルート従軍記ーある医師のベトナム戦争
1965-19753」(レ・カア・ダイ:岩波書店)
386ページ上製版の大著である。
1965年から1973年まで、ハノイの胸部外科専門の医師
のベトナム中部高原の野戦病院での体験記である。
丁度私が高校から大学、教員になった頃の出来事。
同時体験している。高校から『ベトナムの声放送」
を短放送で聞いていた。1日数回の放送。1回、20分か
30分程度であったが、米軍の攻撃の実態、「解放戦線」側の
反撃・攻撃の様子などが、放送されていた。
午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
1時間ほど昼寝。
洗濯。
3時半45分、バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。
ひとしきり、雨がやんだ。寒い。
ベトナム事務所前にフエ市共産党委員長専用の車が出迎えに
来てくれた。
バオミンさん・フエ市人民委員会外務部副部長のホアンさん
〔二人とも18年前・1993年9月フエ師範大学日本語クラスで
教えた教え子)と一緒に山の方のレストランへ。
今日はフエ市人民委員会・フエ市共産党とJASSの新年会。
出席者
・フエ市共産党委員長(ユン氏)
・フエ市共産党前人事部長(トアン氏)
・フエ市副市長(トアン氏)
・フエ市人民委員会建建設部長
・フエ市人民委員会外務部副部長(ホアン氏)
・JASSベトナム運営委員長(バオミンさん)
・小山
特性の豚肉
レストランの庭で取れた草や野菜
バオミンさんとフエ市人民委員会建設部長
途中でレストランの社長も参加。フエの伝統的な「歌謡」を
歌ってくれる
副市長と小山
建設部長と
今後、引き続き、JASSとフエ市共産党・フエ市人民委員会
との協力・共同で「日越交流」「日越友好」を進めて行こうと
意思統一を主なう。
痛飲。
午後8時過ぎ閉会。
フエ市共産党委員長の車で途中まで送ってもらう。
部屋に帰り、火炎樹日記を書こうと思ったら、デジカメがない。
レストランに忘れたか? 帰りの車の中に落としたか?
記憶がない。
直ぐにバオミンさんの電話。デジカメは見つからない。
(追記)1月3日になって、帰りの車にあった。
車がフエ空港へ来客を迎えに行ったとのことで、
デジカメが届くのが、昼前。
2012年01月01日
謹賀新年
2012年の新春をお祝い致します。
賀正 新年 2012
ベトナム事務所は竜のように「上昇」します」(昇竜の年)
・東日本大震災被災者に連帯し、その悲しみと苦しみと無念さを
共有します。
・福島原発被災者の忍耐力に学び、粘り強く福島の土に生きて
行く姿に共感を持ち、福島の教訓を世界に広めます。
・日本中の多くの路上生活の皆さん、年収200万以下で苦闘
している家族の皆さんへ、共感と連帯の気持ちを表します。
・年間32000人の「無縁仏」(引き取り手のいない仏様)の
皆さん。皆さんの人生がしっかりとあったことを私たちは、
忘れません。合掌。
・学校や職場で「いじめ」にあったいる皆さん。命があぶなく
なったら、職場を離れ、自分を守りましょう。人生、いつか
明かりが見えます。
・JASS会員の静岡県磐田市中部小学校の教員だった
木村百合子さんの裁判闘争の更なる支援をし。無念を
晴らします。
(静岡県公務災害基金側は、控訴しました)
ベトナム事務所員は一丸となって、貧困・孤独・無知の世界と
闘い、こどもたちに最後まで寄り添って行くことを決意しています。
世界中のこどもたちに食と住と学び、自立を。
世界中から貧困と圧制をなくし、平和な世界であることを祈ります。
世界中のこどもたちが家庭で親と一緒にくらせるように祈ります
JASS支援者と世界中の人々の健康と幸せを祈ります。
2012年1月元旦
JASSベトナム事務所員一同
バオミン(jASSベトナム運営委員長)
ゴックハン(JASSベトナム会計部長)
フーン(同日本語部長)
ソン(同事務所員・観光・その他)
フオン(同事務所員・日本語担当)
アン(同事務所員・フェリシモ・観光担当)
原田(同ベトナム事務所員・静大・日本語担当)
富岡(同ベトナム事務所員・日本語担当)
古賀(同ベトナム事務所員・日本語担当)
小山(無所属・住所不定・無職・信条:人間への信頼)
午後9時58分(日本時間午後11時58分)
リー君からメールあり。「HAPPY NEW YEAR]
昨夜もリー君からメールあり。「先生、元気ですか?」と。