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2012年02月29日
ブライセン本社・ベトナム支社の皆さんと終日行動
午前中小雨 寒い
午前7時朝食。カニ入りブン麺
小雨の中徒歩でベトナム事務所へ。
午前9時、ブライセン本社スタッフによる研修会
ブライセン支社員(7名 VU THI PHAPは日本で研修中)
が3階の支社に集結し、本社各部長の講義を受ける。
プロジェクターを使っての要領良くまとまった講義だっだ。
午前中の研修を終えて昼食。チャオ・バイン・カイン
午後2時から王宮と「子どもの家」を案内。
バオミンさんは他の用事があり、私が案内する。
「子どもの家」出身のチュン君・ホアン君も同行
王宮・大和殿前にて
王宮・午門前にて
「子どもの家」へ行き、施設を見学、セン運営委員長と
話す
午後5時。日本料理店にて、地球の歩き方ガイドブック
編集・取材のHさんのインタヴューを受ける。
日本料理店の性格、料理の内容など。
その後、ブライセン本社6人、ベトナム支社7人、
などが入り、JASS日本料理店の写真撮影
2012年6月からの地球の歩き方(ベトナム編)
新版に掲載。
午後5時半からJASS日本料理店にて夕食交流会
豚の角煮
20歳代のブライセン若者用に「トリ唐揚げ」
年配者用に「お刺身」 まぐろ、イカ、サーモン
1年間のベトナム事務所・日本語学校の任期を終えて明日
帰国する富岡先生とブライセン藤木社長
富岡先生の送別も同時に行う
1年間の富岡先生の活動に感謝
心やさしい、有能な若者である。今後の成長を
大いに期待したい。
三大「巨頭」会談(別名、虚頭会談)
ブライセン藤木社長、バオミンさんJASSベトナム運営委員長、
長谷川社長
午後5時半から午後9時半まで交流懇親会は続く。
純米大吟醸など5~6本、ワイン数本、生ビール多量
ブライセン本社支社員が帰った後、日本語教師
バオミンさんたちと一緒に後片付け。
自宅着、午後10時過ぎ。
今日も日本料理店の前には、リー君がシクロ仲間と
飲んでいた。これで4日間連続である。
何かのアピールか?
今日は終日の案内など。本当に疲れた。
明朝9時。ブライセンの皆さんとダナン・ホイアンへ。
2012年02月28日
T君の母親 姉と懇談 ブライセン一行来訪
小雨
午前7時朝食 フォー
午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさんのオートバイに乗り、「子どもの家」へ
怠学のT君の母親・姉を呼んで話し合う。
母親と話すが多少ピントがずれる。
母親の精神状況が不安定で十分な話し合いとはならず。
姉がしっかりと対応。
セン運営委員長が中学校側とかけあい、2ヵ月程の
不登校があっても『卒業試験』の受験を認める
とのことだった。
一応、姉中心の話し合いで、6月の中学校卒業試験を
受けて、何とか中学を卒業する。その後、県立高校を
受験。現状の学力では「ヤーホイ高校」が最適との
結論に達する。
T君は怠学を反省し、中学校へ通い出した。
今日も学校へ行っているので話し合いには参加できなかった。
何とかT君怠学問題は、一応の解決に向かっている。
しかし、この数か月の不登校は、学力なとに大きな影響を
与えている。姉(フエ師範大学生物学科3年生)がしっかり者
で母親と弟の面倒をみている。母親は、現在の状況がきちんと
把握できていない状況だった。
T君も複雑な家庭状況にある。こうした状況にいる子ども
だからこそ、JASSは親身になり、「お役人根性」を捨てて、
T君に寄り添い、T君の将来のために『一肌』でも「二肌」
でも脱がなければならない。JASSがフエにいる本当の
意味は、ここにある。
T君が何とか真面目に通学してほしい。T君の幸せな
将来を祈る。
午前11時半、昼食 チャオ・バイン・カイン(小麦粉の麺)
読書「不破哲三 時代の証言」(中央公論新社)
なかなか興味のある内容だ。理論書ではなく元日本共産党
委員長である上田健二郎(ペンネーム 不破哲三)のおい立ちと
人生を綴っている。戦前と戦後初期、60年安保闘争までの
時代の空気が読み取れる。19歳で共産党に入党している。
午後、多数のメール受信。返信。
部屋のデスクトップのパソコンのインターネットが
通じない。
仕方がないので、ノートパソコンのUSB形式の
インターネットを使う。
午後4時、宿舎の近くにバオミンさんが車で迎えに
来てくれる。
二人でフエ空港へ。
今日は、ブライセン本社の藤木社長をはじめ、5人の本社
社長、部長と他のIT会社社長の6人が来訪する。
午後4時50分、フエ空港から出てくる。寒い。
ブライセンの皆さんは、半そでの人もいる。
車で市内フォンザンホテルへ。
1時間ほど、ホテルで休息。
午後6時過ぎ、市内のベトナム料理レストランでブライセン
ベトナム支社(7人)と交流夕食会。
本社関係者6人、ベトナム支社7人)、私、ソン君の
15人の大交流会となる。
(バオミンさんは、地球の歩き方ツアー2班の夕食会へ)
はじめは、ベトナム支社員も初対面の社長・部長に
「緊張」を隠せなかったが、飲んで行くうちに意気投合。
乾杯を何度もくりかえしていた。
結局、フダビールを20本ほど、ワイン4本、ベトナム風
もち米焼酎を数本あける。
本社・支社員の団結が強まった。
明日からは、ベトナム支社で研修。
帰宅は午後9時半過ぎ。
今日は、ソン君が食事、飲み物の注文から
通訳までしっかりとこなしてくれた。
この数年で実践力としての力をつけてきた。
うれしい。
非常に疲れた。
2012年02月27日
多数の文書作成:夕方、富岡先生の送別会
終日小雨 午前8時 気温20度 湿度90% 寒い
午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン
午前中、日本への再度の帰国のための荷物の整理と部屋の
整理。
受信メールへの返信。
読書「不破哲三 時代の証言」(不破哲三著:中央公論新社)
午前11時半、昼食。春雨麺。
函館の会からの「フェアートレード」に関する私見を求められ
書き、送る。
受信メールを読み返信。
午後5時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
ベトナム事務所前の路上で元日本料理店長の
リー君がシクロの運転手たちと飲んでいたい。
どんな気持ちで日本料理店前で飲んでいるのか?
何を期待してわざわざ日本料理店前にいるのか?
午後5時半、タクシーで「富岡先生の送別会場」へ。
天安山の中腹にあるベトナムレストラン
初めにバオミンさんの音頭で乾杯
今日の主役「富岡先生」と新任の「古賀先生」
今日のレストランは、特殊な豚肉の料理とスッポンが
メイン
美味しい豚肉
ソン君と後藤君。後藤君もすっかりベトナム事務所に慣れている
ホテルの庭で摂れた新鮮な野菜
このレストランは「スッポン料理」で有名
生きたスッポンを調理してもらう
スッポンの生き血を
日本語部長であり富岡先生の指導者のフーン先生
(日本語能力試験:特級)と富岡先生
今晩は先生(フオン先生)とハン会計部長
怪しい雰囲気の2名の男女
全員で「スッポンの生き血」を飲み、富岡先生の
幸せと、明日からのベトナム事務所の仕事の
更なる発展と「子どもの家」のこどもたちの幸せを
誓う。
富岡先生と古賀先生もスッポンの生き血を飲む。
その後、どうなるのか? 日本語の指導法を
論議すると言う。学問を通して共通の義務感を
感じている二人の若者である。
スッポンの「姿焼き」
富岡先生送別会の最後。
JASSを代表して私の送別の言葉
1年半、ベトナム事務所・日本語学校・日本料理店
などの仕事を本当に真面目に頑張ってくれた。
感謝している。富岡先生の仕事の仕方は、一言で言えば
「誠実」に尽きる。まだ20歳。これからの長い人生と
自分の生きる道を見つけ、困難に立ち向かい、幸せな
人生を歩んで欲しい。
続いてバオミンさんのお別れの言葉
「1年半、ベトナム事務所で仕事をしてくれた感謝している。
日本へ帰っても自分の良いところを伸ばしていって欲しい。
長い間、ありがとうございます。」
ベトナム事務所の金正日である指導者同志の
フーン日本語部長(日本語能力試験特級)
の送別の言葉
「富岡先生の性格は本当に真面目。仕事の仕方も
丁寧で真面目なものだった。日本語部長としても
本当に助かった。日本へ帰っても体に気をつけて」
フオン先生(別名 今晩は先生)のお別れの言葉
「富岡先生と一緒に仕事を出来て楽しかった」との言葉あり
原田先生からお別れのことば
ソン君からお別れの言葉
古賀先生から心のこもったお別れの言葉
新任の後藤君のお別れの言葉
最後の古賀先生から記念の写真集と送別の言葉の
ストックブック贈呈
ブライセンの「チュン君」(「子どもの家」出身)
新任の後藤君から記念品の贈呈
富岡先生からのお礼と感謝の言葉
「1年半、お世話になりました。楽しい時間を過ごすことが
出来ました。皆さんの親切に感謝しています。
これからは、日本で頑張ります。日本へ帰国しても
フエで学んだことを生かして行きたい。皆さんも健康で
幸せな日々を送ってください。また、フエに遊びに来ます。」
午後9時過ぎ、富岡先生の送別会終了
20歳の若者の新しい門出である。
富岡先生の新しい人生と幸せを祈る。
2012年02月26日
久しぶりの休息日
終日小雨
午前9時まで寝ている。
料理のセンさんが作っておいてくれた「マカロニスープ」
の半分を温めて朝食とする。
午前10時、徒歩30分にある18年間通っている「散髪屋」へ。
今日は日曜日なので来客多数。1時間待たされる。
午後12時頃、散髪終了。30000ドン(150円)
徒歩で宿舎へ。小雨。
2時間ほど昼寝。とにかく寝たい。
読了『観月観世ー或る世紀末の物語」(曽野綾子著:集英社)
曽野綾子の書く政治関連の本には同意出来ない項目が多い。
本書は、架空の老人を中心に「月見会」と称して参加者が
順番に色々な話をするという設定。
ギラギラした棘を全て排し、水墨画のような筆致に共感する。
様々な人間の様々な体験や話を通して、「人生」「生きる」と
いうことを、あっさり・さっぱりと書いている。
私はこうした書きかたが大好きだ。例えで言っては失礼だが、
テレビなどに出る「大阪のギンギラギンの豹がらおばさん」
とは対極の「さらっと」した表現法に共感。
今日は久しぶりに一人で1日をゆっくり過ごせた。
頭の中には、たくさんの問題が巡っているが、
今日はゆっくりと過ごす。
午後5時。フダビール3本を飲む。
夕食は朝の「マカロニスープ」の残り。
2012年02月25日
地球の歩き方2班講演会:突然退所を言い出したT君と対話
快晴 午前8時 気温30度 湿度80%
昨夜は、午前2時に目が覚めてしまい、その後眠れず。
午前7時朝食。ブンボー(牛肉米麺)
午前8時45府、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所の皆さんは真面目に仕事をしていた。
有難いことである。
日本語部を統括するフーン先生
何となく「怪しい」男2人
電動バイクに久しぶりに乗る。
この電動バイクはフエでも最初期に買ったもの。
既に5年ほど経っている。ブレーキも利かなくなった。
タイヤも磨り減った。
ベトナム事務所のソン君に頼み、タイヤに空気を入れ、
ブレーキを直してもらうが、片方しか直らない。
電動バイクで「子どもの家」へ。
「子どもの家」には、地球の歩き方スタディーツアー(11人)が
訪問。ハンさんとアンさんが施設案内をしていた。
今日は土曜日で学校は休み。
自習室で女子が勉強をしていたい。男子は誰もいない。
午前9時半から午前10時45分まで私の講演会
海外ボランティアと人生について話す。
午前11時、こどもたちとの交流。
初めにセン運営委員長の歓迎の挨拶(通訳はハンさん)
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんの出し物
交流会後、ハンさん・アンさんの引率で昼食レストランへ
「子どもの家」では昼食
フエ高等師範大学で勉強しているターオさん
今日の昼食
電動バイクで宿舎へ帰る
昼食。
デザートはみかん。全然甘くなかったが、ミカンの原点かと
思った。
午後12時半から1時間昼寝。
午後3時、バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。
日本料理店へ。
「京滋YOUの会」の豊田さんから頂いた「火の用心」のお守り札を
日本料理店の厨房に貼る。
火の用心の札は、京都の「愛宕山」山頂の愛宕山神社で
もらえる。
山頂は京都市に所在するが、約1.5km西に市境があり、
山体は亀岡市にまたがる。標高924m。三等三角点「愛宕」(890.06m)
は山頂の北方約400mの地点に.。
京都盆地の西北にそびえ、京都盆地東北の比叡山と並び古
くより信仰対象の山とされた。神護寺などの寺社が愛宕山系の
高雄山にある。山頂には愛宕神社があり、古来より火伏せの神様として
京都の住民の信仰を集め、全国各地にも広がっている
亀岡市側の登山口にも「元愛宕」と呼ばれる愛宕神社がある。
「火廼要慎(ひのようじん)」の札をもらうには、往復5時間の
登山が必要。「京滋YOUの会」の豊田さん雪の山を標高1000メートル
近くの山頂まで徒歩で歩き、火の用心の札をもらってきてくれた。
フエは電流が安定していない。いつ「漏電」で火災に遭うか分からない。
愛宕山の「火伏せ」の札を貼って、「火廼要慎(ひのようじん)」
を祈る。
午後3時過ぎ、「子どもの家」へ。
私が在日していた2月。バオミンさんから連絡があり、
今まで勉強も頑張って常に優秀賞をもらっていたT君(中学4年:
日本では中3)が、突然、「子どもの家」のセン運営委員長に
『退所してホーチミン市に行く』と言って来たとの連絡があった。
バオミンさんに返事。私がフエに帰るまで、絶対に退所は認めない。
センさんと協力して「退所を阻止」しておいて欲しいとお願いをして
いた。
今日、T君(日本流に言えば中3)と姉のT・Oさん(フエ師範大学
生物学科3年生)を呼んで、私、セン委員長、バオミンさんと
で話し合いを行う。
T君は中3の卒業間近の2012年1月のテトの終わり頃、
学校から連絡があり、登校していないことが判明。
毎朝、「子どもの家」を出て学校へ行っていることにはなっていた。
しかし、2012年1月の中旬から学校へは全く行っていなかった。
T君の家庭は複雑な家庭である。父親は、金鉱に出稼ぎに行くと
行って家を出て、それ以来「行方不明」である。
母親は、道路工事の仕事をして、生計を立てている。
そうした事情があり、姉のT・0さんとT君が10年前に「子どもの家」
へ入所。二人とも生来優秀な頭を持っていて、小学校から今日まで
日本流に言えば、「オール5」。姉のT・0さんは、3年前に
日本で言えば京都大学理学部にあたるフエ師範大学に入学。
卒業後は、高校の理系の先生になるという。
今回問題を起こしている弟のT君も昨年までの中学3年生(日本流)
の前期の成績は、優秀であった。ところが、である。
2012年1月になり、急に生活態度が荒れだし、学校へも行かなくなり、
最終的には、「子どもの家」を退所し、ホーチミン市で仕事をすると
セン委員長に申し出ると言う状況になった。
今日の話し合いで、「子どもの家」を退所するのならしてもいい。
あと3ヶ月通学すれば中学卒業できる。それもしないでホーチミン市
に行くのなら、勝手に行け、と厳しく話す。
姉が弟を諌める。セン委員長がT君を厳しくしかる。
しばらくの時間が経過する。
(この間、セン運営委員長は、姉のT・Oさんを呼んで話し合い、
その後、母親も呼んで話し合っている。それでもT君はホーチミン市
に行くといっていた。ホーチミン市に行けば、すぐに大金持ちに
なれるという幻想をもっている)
1月のテト正月でT君と姉のT・Oさんは母親の家へ帰った。
フエ市の郊外の農村である。
テト正月が終わっててT君は「子どもの家」に帰ってこない。
母親に問い合わせると「既に3日前に帰ったはずだ」とのこと。
T君を問い詰めると「友だちとインターネットカフェで遊んでいた」
とのこと。
T君に問題を質す。
(小山)何を考えているのか?
(T君)学校へ行きたくなった。
(セン委員長)学校へ行きたくなった理由を言いなさい
(T君)中学卒業の資格が欲しい
(セン)今のままだと今年中学を卒業出来ない可能性があるが
頑張って勉強できるか?
(T君)頑張ります。
(小山)T君は以下の5点の客観的な状況を背負っているのだ。
そのことを理解しなさい
①家が貧しいこと
②JASSや「子どもの家」のスタッフはT君を家族と思っている。
③T君は優秀な能力を持っている
④このまま頑張っていけば、大学入学は可能だ
⑤今、T君は「人生の岐路」に立っている。人生の分かれ目だ。
このまま、中学も卒業しないでいたら、幸せな人生にならない。
せっかく優秀な能力を親からもらったのだ。頑張りなさい。
最終的にT君は「子どもの家」に残り、中学校へ通う。
万が一、今年留年になっても頑張って中学を卒業し、高校へ行く
以上の話し合いをし、終了する。
T君の幸せな人生を祈る。
午後5時前、「子どもの家」スタッフとこどもたちの生活上の
問題点を話し合う。
こどもたちの大きな問題は、インターネットカフェでの「ゲーム」だ。
共産党の幹部のこどもたちやお金持ちのこどもたちと一緒に
インターネットカフェーに行き、ゲームをする。
日本の「モバゲー」「グリー」のようなゲーム。お金を出して
「武器」買ったり売ったりし、うまくいけばお金儲けができる。
「子どもの家」の男子は頭がいいので、金持ちのこどもたちと
一緒にインターネットのゲームを行い、お金儲けをしている。
お金持ちの生徒と一緒に朝からインターネットカフェーに行き
モバゲーのようなゲームをし、金持ちのこどもたちの代わりに
ゲームをし、お金儲けをしている。
こうした現象が「子どもの家」の男子が勉強をしなくなり、高校や
大学へも行かなくなる理由だ。
女子はインターネットでゲームなどはしない。
そのほか、「子どもの家」スタッフの困っていることを聞く。
食事のスタッフから食料費が上がり、適正な食事を作るのが
難しくなった。値上げして欲しい。
米1キロ
18年前(2500ドン) 2~3年前(10000ドン)
今(25000ドン)
この18年で米価が10倍に上がっている。
(小山)「子どもの家」の一番大事なことは、
①こどもたちの健康 ②スタッフの生活確保
私は今日のT君との話し合いには、疲労が溜まり、
正直、多少の躊躇があったことは事実である。
しかし、T君の人生の重大な岐路である。
ここでT君が中学を中退したらどんな人生が待っているのか?
を考えると、自分の体が不調であっても、困難があっても
T君のために「一肌脱がなければ」ならないと思った。
海外支援は、自分の都合でするものではない。
こどもたちの事情に合わせてするものだ。
これは、ベトナムに来て、「子どもの家」を作り、こどもたちを
「子どもの家」に入所させた時からの私の義務となった。
入所させたからには、絶対的な責任が私にはある。
外部から評論家的に私を批判する人もいるが、それは
一応民主主義国家の我が日本である。(共産党一党独裁国家の
ベトナムとは違いという意味)
批判の自由はある。しかし、現場で「子どもの家」を運営するという
ことは、なかなか大変である。どんなに疲れていてもこどもたち
が問題を起こせば、やはり、こどもたちの人生の岐路に立会い、
こどもたちが幸せな人生を歩めるように意見を言う義務がある。
T君の幸せな人生を祈る。私はT君も含めて我が子と思っている。
自分が傷ついてもこどものためには、自分を捧げたいと思っている。
これは、口だけではない。私は名実ともに実践している。
NGO・NPOは行動が一番必要。
2012年02月24日
長船日本語学院理事長先生来訪:AALA団来訪
快晴 A8 20度 湿度86%
P12 30度 湿度60%
真夏だ。
午前4時に目が覚める。最近は5時間程寝ると目覚める
午前7時朝食。フォーガー(鶏肉フォー)
机の横においてある「ごみ箱」に「ヤモリ」が乾いて
死んでいた。どうしても「手で取れなくて」、貴重な
割り箸を使って取る。
午前9時、徒歩でベトナム事務所へ。
岡山県の長船日本語学院理事長先生・担当の先生の
来訪。午前11時まで、岡山の日本語学院の実情
等を伺う。
徒歩で宿舎へ帰る。
午前11時50分宿舎着。昼食「チャオ・バイン・カイン」
昼食後、30分ほど横になり、徒歩ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所前で「アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会」
千葉の皆さん26人と合流し、「子どもの家」へ。
午後2時、「子どもの家」で1時間強、私の講演。
「子どもの家」の活動、ベトナム社会主義の実情などを話す。
詳細省略。
団長さんからこどもたちへポールペンその他の寄贈。
講演会後、セン「子どもの家」運営委員長の歓迎の挨拶
(通訳はソン君。バオミンさんは京都坪内氏一行をフエ空港へ送る)
こどもたちの歓迎の踊り
AALAからは、オカリナでフエの有名な作曲家・チン・コン・ソン
の曲を演奏
「子どもの家」のこどもたちと訪問者と一緒に「ドラエモン」を歌う
続いて、AALA側全員で「ふるさと」の合唱
AALA千葉の皆さんから記念品を頂く
AALA千葉の皆さんとこどもたちと一緒に記念撮影
その後、「子どもの家」施設案内
AALA36人の皆さんの中に86歳など80歳代のお元気な
皆さんも参加。元気付けられる。
ベトナム事務所へ帰ろうと思ったら「子どもの家」卒業生の
フン君が「子どもの家」の門の前に立っている。
以前は、靴修理屋をしていたが、その後ホテルの警備員を
していると言っていた。
今日は「明日から、ラオスに行く」と言っている。
訳の分からないことを言っているが、何とか食いつないで
おるようだ。
午後5時過ぎ、宿舎へ帰る。
2月20日の夜フエへ帰った。それから5日間、本当に
忙しく仕事をした。疲労困憊。頭の中は何も考えられない。
とにかく、休みたい。
2012年02月23日
京都坪内さん一行案内
終日快晴 真夏 午後12時過ぎ 気温30度 湿度80%
午前7時朝食。チャオ・バイン・カインと茹で隠元
午前8時過ぎ、徒歩でフォンザンホテルへ。
京都の坪内さんツアーの皆さんの案内
(坪内さんは前京都府議会議長)
(ツアーの中には、「子どもの家」C棟を建設してくれた
国際ソロプチミスト京都ー西山の皆さんも参加)
午前9時前、「子どもの家」へ。セン運営委員長と挨拶
その後、バオミンさんの案内で「子どもの家」施設を視察
コンピューター教室には2008年に「国際ソロプチミスト京都ー西山」
の皆さんからのご支援のコンピュータがおかれている。
皆さんに感謝。今回は余語さん、藤井さん、辻さんなど
ソロプチミストの現職、元の方々も参加。
午前9時半から10時45分まで私の講演会
午前11時。「子どもの家」のこどもたちの歓迎の踊り
最初にセン運営委員長の歓迎の挨拶
こどもたちの歓迎の踊り
坪内氏より訪問団を代表してこどもたちに
ポールペン、お菓子などの寄贈
午前11時半。こどもたちと一緒に昼食
中学4年生の卒業を数ヵ月後に控えたTRUNG君。
午後12時過ぎ、「子どもの家」を後にする
午後3時。フエ市人民委員会訪問。VINH(ヴィン)市長と
懇談
坪内氏より訪問の挨拶
フエ市人民委員会への表敬訪問を終え、市長と
記念撮影
その後、静岡フエ青年交流会館日本語学校を訪問
日本語学習の生徒と交流
日本語学校生徒と1時間ほど日本語交流
一時帰国していた静大留学生も参加
午後6時。フエ市人民委員会主催の歓迎晩餐会
タン副市長の歓迎の挨拶
坪内団長の訪問交流の挨拶
会食後、記念撮影
午後9時過ぎ、ホテル着。
バオミンさんの明日の日程を聞く。
2012年02月22日
静岡市スタッフ来訪;原田先生誕生会:京都坪内氏一行来訪
朝、小雨。気温28度、湿度75%。
昼過ぎから快晴。気温30度、湿度60%。
午前4時半に目が覚める。
昨夜、漏電で「電圧安定器」が燃え出す。
仕事の部屋で2月18日から書けなかった
火炎樹日記を書いていたが、焦げ臭い匂いがする。
近所で火を燃やしているのだろうと思って見過ごしていた。
段々と焦げ臭い臭いが続くので寝室に行ってみると
「電圧安定器」が燃えている。しかも2台も。
ベトナムの電圧は、220~230V。
電圧安定器は、常に220Vから230Vに電圧を維持する
ための機械。高電圧になっても常に220~230Vに
電圧を維持している。しかし、現在のフエの電気事情は
電圧が、非常に不安定。電圧安定器の能力を超えて
高電圧が流れたものと予想される。
先日、以前私が暮らしていたトンチンカンホテルの
1階が「漏電」で全焼してしまったが、昨夜、私が
宿舎にいなければ、間違いなく宿舎は全焼したことだろう。
これは、インターネット関連でも同様である。
私は部屋に「光フェイバー」を入れているが、『常時』途中で
接続がきれてしまう。管理がうまく出来ていない。
電圧もきちんと管理出来ない国に「原発2基を売った我が
日本」である。危険この上ない。もっともベトナムの能力を
ウンヌンする立場に日本人はないことも事実。私たちも原発を
管理する能力を持たずに「安全神話」の中に浸っていたのだから・・。
午前7時、朝食。蟹入りのブン。
午前9時前、徒歩でベトナム事務所へ。
約2ヶ月ぶりにベトナム事務所スタッフと会う
札幌から新ベトナム事務所スタッフ(兼日本語教師)になった
後藤君。以前、同様にベトナム事務所スタッフだった後藤ハンナさん
の弟さんだ。真面目に仕事をしている。
ベトナム事務所での仕事にすっかり慣れた古賀先生
今では、ベトナム事務所にいなくては、事務所がなりたたない
存在となる。
古賀先生から広島のお土産に「にほひめ神社」のお守りを頂く。
髪型を少し変えて更に頑張っている富岡先生
フーン日本語部長から厳しいお叱りを受けているのか?
密談をしているのか? フーン先生と原田先生
今晩は・お早う「フオン先生」
ミス・「フェリシモ」・マルタカのアンさん
訪日してまだ疲れが残っているの? ハンさん
午前9時過ぎ、静岡市役所のお二人のスタッフが来訪。
ベトナム事務所員と挨拶
ベトナム事務所員一人一人が自己紹介
その後、3階のブライセンベトナム支社へも案内。ブライセンの
活動を見ていただく。
===============
午前10時半。原田先生の00回目の誕生祝い
その後、ベトナム事務所員全員、ブライセンスタッフ全員が
結集し、会議室でお祝い会。
ブライセンスタッフ「TRUNG(チュン)君。「子どもの家」の
元生徒会長
誕生会の主役原田先生
日本語j教師の先輩女性教師に「締め上げられている」かどうか
は分からない富岡先生。
右側・ホア君。ブライセンスタッフ。元JASSの在宅支援の
子どもだった。
真ん中のヴー君。元JASSの在宅支援の子どもだった
現在、JASSベトナム事務所員とブライセンベトナム支社員
をあわせると20人になる。
原田先生の誕生会を終える。昨夜燃えてしまった「電圧安定器」
を買いに行く。バオミンさんのオートバイの後ろにのり。
午前11時50分、宿舎へ。
昼食。おじや。
午後2時間ほど昼寝。
午後3時半、徒歩でベトナム事務所へ。
在日中に入金されたベトナム事務所への里親会費などを
まとめてバオミンさん・ハンさんに渡す。
午後4時、ベトナム事務所からフエ空港へ。
バオミンさん・ソン君と。
午後4時半、京都の坪内さんなど16人のツアーを出迎える。
フエ空港からフォンザンホテルへ。
その後、ベトナム事務所で1時間ほどバオミンさんと打ち合わせ。
午後6時、京都坪内さんツアーが日本料理店へ。
グエットさんのメニューの説明。
団長の坪内さんの開会の挨拶
国際ソロプチミスト京都ー西山の皆さんも参加。
京都ー西山の皆さんは、「子どもの家」のC棟を寄贈してくれた。
家庭料理「日本料理店」の食事を楽しむ。
午後9時前。日本料理店のこどもたちの自己紹介。
最後に参加者全員での記念写真。
午後9時過ぎ閉会となる。
閉会後、日本料理店スタッフ・ベトナム事務所スタッフ
で後片付け。新任の後藤君も真面目に片づけをしてくれている。
感謝。
京都の坪内さんツアーが日本料理店で会食中、日本料理店
の元店長だった「LY(リー)君」が、日本料理店の前の
路上でシクロ仲間だろうか、友だちと「チラ・チラ」と
日本料理店を見ながら、ビールを飲んでいた。
何を考えているのだろうか?
2012年02月21日
フエ帰国初日
朝、小雨。
気温18度。湿度96%。
昨夜宿舎へ帰り、部屋中が「生乾きのカビ臭」で
覆われているのに唖然とする。
今日、1日で5回の洗濯をする。
午前7時、朝食。フォー・ボー。
午前中は、不在中に故障したパソコンを
業者を呼んで直してもらう。ソン君が立ち会ってくれる。
バオミンさんと何度か電話で打ち合わせ。
午前11時半、昼食。
「うこん」を炒め、焼きそばと和えて食べる。
二口食べて「吐き気」を模様す。
「生のうこん」をスライスしたものが
「アクが強く」私には全く合わない。
二口食べて『残す』。
午後2時間ほど昼寝。
昨夜は午後11時過ぎに寝て、午前3時に目が覚めて
しまった。
今回は2回、合計2週間強、ベトナム人の訪日の案内をした。
毎日の睡眠時間は5時間ほど、さすがに疲労の極に達している。
午後は、2月18日の現地報告会から昨日まで3日間の
火炎樹日記を書く。
途中、パソコンの調子が悪く、何度もやり直す。
2012年02月20日
上野 →成田 →ホーチミン市 →フエ
午前6時半、上野のホテルを出て成田へ。
午前9時半、成田初のベトナム航空機でホーチミン市へ。
ホーチミン市は、気温33度。
ホーチミン市で5時間待機し、午後9時頃、フエに着く。
午後9時半、宿舎へ。
宿舎の気温18度、湿度95%。
宿舎の部屋の衣類、毛布など全てが「カビ」で
生乾きの臭い臭いになっている。困ったものだ。
どうしようもないので、臭いベッドと毛布で一晩寝る。
夕食も摂らず、宿舎に帰ったらそのまま寝てしまう。
午前3時に目が覚め、寝られない。
日本滞在中も毎日睡眠時間は、4時間から5時間程度。
2012年02月19日
東京見物・静岡市役所東京事務所にて研修
東京 晴れ
昨夜は「JASS現地報告会』その後交流晩餐会。更に
その後、上野でバオミンさんと一杯飲む。帰宅は午前様
ーー
私は午前8時、上野のビジネスホテルを出て、永田町へ。
ソン君・グエットさんの最後の「静岡市語学研修」。
バオミンさん・ハンさん・ニエムさんは、石岡さん、石上さんの
案内で東京見物へ。
午前9時、私、ソン君・グエットさんで国会付近・砂防会館
近くの全国市町村会館内の静岡市役所東京事務所へ。
副事務所長と国際課の近藤さんと面会。
内田さん御夫妻・高橋さんも同席
上野から有楽町までの山手線の車中にて
静岡市役所東京事務所長と国際課の近藤さん
ソン君が静岡市役所東京事務所副所長に「研修招待」」の
お礼を述べる。なかなか立派な挨拶。感心する。
その後、内田さんの旦那さん、高橋さんも合流。
国会議事堂参観。
午後5時。池袋のベトナムレストランで最後の交流会
2012年02月18日
2月18日「JASS現地報告会」・交流晩さん会
(18日から今日・21日まで火炎樹日記を書く時間が
なかったことをお詫びいたします)
ーーー
京都泊 昨夜から雪。
8時、ホテルで朝食。納豆を薦めたが拒否される。
臭いとのこと。
京都は昨夜から雪だった。
午前9時半過ぎ、JASS訪日団と「京滋YOUの会」の藤井さん
JASSベトナム事務所の税田さんと一緒に新幹線で東京へ。
途中、きれいな雪をかぶった富士山を見ながら東京駅着。
東京駅には、中村友香さんが出迎えに来てくれていた。
中村さんの案内でタクシーで「現地報告会」会場である
中央区総合スポーツセンターへ。
会場が開くのは午後1時。稲垣もえ子JASS日本委員長を中心に
現地報告会の運営打ち合わせ会は行われていた。
私たちは昼食を摂っていないのでスポーツセンター内にある
小食堂で昼食。ベトナム人は「ラーメン」。
ハンさんはカレーが好き。ハヤシライスを食す。
会場案内をするJASS東京の会の秋山さん
大東文化大学の学生さん。報告会を聞きに来たのが、突然、
司会を任される。非常に立派に司会をこなす。
『今時の若者は、力がある』と痛感した。未来を託くせる若者である。
稲垣もえ子、JASS日本運営委員会委員長の開会挨拶
全教千葉の皆さん
ベトナム事務所訪日団紹介
初めに私から昨年1年間のJASSとしての全体的な総括を
述べる。現地の自立は着々と進んでいるとの趣旨。
バオミンさんから「21011年活動の総括案」「2012年活動の方針案」
の提案。
財政部長のハンさんから「2011年決算報告」「2012年予算案」の
提案。
「子どもの家」で18年間こどもたちのお世話をしてきた寮母の
ニエムさんの挨拶
「子どもの家」卒業生のソン君・グエットさんのお礼の挨拶
JASS東京の会の松下さん・原さん
高校同級生。ラオスで」「ラム酒」工場を経営している與芝君・清水君。
清水君はグエットさん(23歳)を6歳の時から里親として支援してくれて
いた。
ベトナム事務所員の税田さん
JASS東京の活動報告をする中村友香さん、中島さん、松下(妹)さん
JASSS東京よりベトナム事務所へ寄金贈呈
JASS静岡の会の笠井英彦さんの活動報告
「京滋YOUの会」の藤井さんより健康診断費用などの寄金贈呈
JASS栃木の会の佐藤さんの活動報告
JASS茨城の会(火炎樹の会)の福田さんの報告
青少年教育の会の活動報告
森田代表とスタディーツアー参加の生徒さんの報告
現地活動報告会の最後に「JASS日本」の代表、
副代表等役員の選出をして終了
「今時の若者なっている」を証明した大東文化大学の
学生さんたち(将来を託せる若者である)
報告会終了後、中華料理屋で「反省交流会」
JASS東京代表の松下さんの司会で開会
上尾市国際交流センターとして若者を引率し
何度も「子どもの家」を訪問して頂いた星野さん、
加藤さん。
高校の同級生
48年前からの付き合いである高校同級生
3年間スラス替えがなかった。
グエットさんの里親の清水君の奥さんと娘さん
JASS東京の皆さん
グエットさんと6歳から支援してくれた清水さん
青少年教育の会の森田さん・加藤さん
数年前、ベトナム事務所でボランティアをしてくれた
益子君親子
2012年02月17日
名古屋大・南山大学生フリーペーパー取材
朝、雪。のち晴れ。午後時々雪。
午前8時朝食。ホテル1階の「ガスト」でバイキング朝食。
午前8時に行くと、ハンさんとニエム(念)さんは来ていたが
バオミンさんは来ていなかった。
しばらくしてバオミンさんが来る。昨夜は、三津川君と
バオミンさんの部屋でフエに三津川君が滞在した
当時の思い出話を午前2時まで語り合ったとのこと。
午前9時、「京滋YOUの会」の皆さんがホテルへ。
バオミンさん・ハンさん・ニエムさんは、「京滋YOUの会」の
皆さんと一緒に「清水寺」参観へ。
私は名古屋大・南山大の学生さんが作っているフリーペーパー
の取材で、京都駅の喫茶店へ。
フエでの活動、ボランティア論などを3時間ほど
話す。
ーーーーーーーーーーーーーーー
バオミンさん一行は、清水寺へ。
午後12時過ぎ。藤井さんから電話あり。
4条御幸にあるベトナム料理店「XUAN」(春)に
いるのでタクシーで来るようにとの連絡。
急いで4条御幸(ごこう)へ。場所が定まらず、
藤井さんたちの手を借りる。
美味しいベトナム料理を頂く。
ベトナム料理を上品にアレンジしたもの。美味しい。
「XUAN」の桑島さんが料理を説明。
今まで北海道から全国をかけて講演会をしてきた。その際、
各地でベトナム料理(風)を食べてきたが、この「「XUAN」
のベトナム料理が一番美味しかった。
特に「PHO(フォー)」は日本で作れるフォーとしては
最良のものと言える。
昼食を会えたベトナム人と「京滋YOUの会」
「XUAN」(スアン)のオーナー 桑島さんと
午後3時前、昼食会終了。
皆さんは、金閣寺参観。私はタクシーでホテルへ帰り、
JASS観光の緊急の仕事、明日の「現地報告会」に
提案する「議案」の最終チェック。バオミンさん・ハンさん
の提案議案を20分、10分以内に収めるよう『工夫』を
下文章を作る。
里親からの問い合わせメール返信
ブライセンと連絡
ピースインツアーと連絡・・・・。
ーー
バオミンさん一行は「金閣寺」参観ー雪がちらついていた
午後6時半、ホテルから「京滋YOUの会」の皆さんとの
懇親会場へ。
「京滋YOUの会」事務局長の藤井志保子さんの司会と挨拶で
開会
乾杯
日本料理に「舌つづみ」をうつニエムさん
中村元代表と「密議」をするSさん
午後10時近く閉会。
2012年02月16日
大阪から京都へ
晴れ 寒い
午前9時過ぎ、天王寺のスーパーホテルからタクシーで
天王寺駅へ。天王寺駅から大阪駅へ。
天王寺駅にて
大阪駅で乗り換え
京都へ。午前11時、京都駅着
「京滋YOUの会」の藤井さん、税田さんが出迎えに。
少し早めの昼食。京都駅前ビル。徳島ラーメンを食す。
私は午後1時から午後4時までホテルで休息。ベトナム人女性は
藤井さん、税田さんたちと買い物・市内見学。
夕方、ホテル内で「京滋YOUの会」から記念の衣類贈呈があった。
藤井さん母娘と
午後5時過ぎ、「京滋YOUの会」の藤井さんと娘さん、
税田さんとベトナム訪問団の夕食会。
中華料理。
バオミンさんと藤井さんの娘さん。
中華料理を堪能するバオミンさん・税田さん
その後、ホテル内のレストランで飲み直し。
大津から三津川君が駆けつけてきてくれた。
バオミンさんと小山
今日は、故 金正日の誕生日
同時にJASS日本代表委員会委員長の稲垣もえ子さんの誕生日
でもある。
ホテル内で飲みなおしている皆さんが、今日「御生誕」の
皆さんへの祝福を言い、乾杯を繰り返す。
「子どもの家」の日本料理店勤務のグエットさんも
今日誕生日。
同時に三津川君も誕生日
午後11時半までホテル内のレストランで飲む。
藤井さん、税田さんは早めに帰宅。
私も午後11時半に部屋へ戻る。パソコンの調子が悪い。
どうしても「ひらがな」にならない。
長い1日が終わる。
2012年02月15日
バオミンさん ハンさん ニエムさん 関空着
関空付近のホテル泊。
午前6時40分、ホテルロビーへ。
午前7時、ホテルのバスで関空へ。
バオミンさん・ハンさん・ニエムさんの3人は
午前7時半に到着ロビーから出てきた。
税関で全ての荷物を開けられたそうだ。
多少、疲れ気味だら、3人とも元気に
関空に到着した。一安心。
関空からJRで「天王寺駅」まで
天王寺には、JASS大阪の会の中谷先生が迎えに
来てくれる。感謝。
中谷先生の案内で大阪堺市の「四天王寺」を参観。
お世話になった中谷先生。元大阪の校長先生。
昼食は天王寺駅内のモールで「かつ丼」を食べる。
天王寺駅にて
午後1時半過ぎ、堺市立美原西中学校で講演会
美原西中学校は、JASS大阪の会会長の矢野先生が
以前校長先生だった中学校である。
私がJASS活動の概要を話す。
バオミンさん・ハンさん・ニエムさんがそれぞれ自分の
体験などを話す。
美原西中での講演会を終え、一度、天王寺のホテルへ戻る。
30分ほど休息。
午後5時半。中谷先生の車で矢野先生の自宅へ。
矢野先生の自宅には、先生の勤務している大阪芸術大学の
学生さん、近所の皆さん、阪南病院の関係者などの皆さんと
交流会。
大阪の会の責任者の矢野先生
午後9時半、ホテルへ。
2012年02月14日
京都へ その後、関空付近のホテルへ
明日、2月15日(水)午後7時半
NHK「クローズアップ現代」に
愚息「小山良太」が出演。放射能と農業。
興味のある方は。ご覧ください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
午前6時起床。
静岡駅近くの新設ホテルに宿泊。朝食を取る。
美味しい。静岡の黒はんぺんなど地元の食事が
たくさんでた。和食、洋食など豊富な朝食。
このホテルは本当に気に入った。
午前9時12分静岡発の新幹線で京都へ。
途中、新幹線内でインターネットでバオミンさんと連絡。
バオミンさん・ハンさん、ニエムさん(「子どもの家」寮母さん)が
今夜ホーチミン市を出て明日7時半に関空へ。
午前10時50分京都着。京都の支援者と懇談。
午後2時過ぎ、京都から関空付近の「りんくう」まで1時間半。
午後4時半頃、りんくう付近のホテルへ。
明朝、午前7時06分、ホテル発のバスで関空へ。
バオミンさん一行3人の出迎え。
ベトナムの新聞WEBを読む。
フエの「トンチンカン」ホテルの1階が全焼したとの記事。
2月14日の今日、午前1時に「トンチンカンホテル」の
1階が全焼した。その時、公安警察が巡回し
火災を発見。消防車が消火したが、1階の日本料理店は
全焼したとの記事。
原因は「漏電」と書いてあった。
私やJASS日本の運営委員長福田もえ子、
中村友香、松下、ベンベンさんなど多くの人が
「トンチンカンホテル」に泊まっていた。
そのホテルの1階の日本料理店は、私たちJASSが
作ったもの。
私も2000年から2006年まで全焼した「トンチンカンホテル」
に泊まり、ストリートチルドレンなどの支援活動を行っていた。
また、5年ほど前には、トンチンカンホテルの1階に
JASSとして日本料理店を創設。今回全焼した日本料理店
はJASSが作った日本料理店である。
事情があって現在の「CHU VAN AN」に事務所を移転した。
私たちJASS日本人が宿泊していた「トンチンカンホテル」の
の日本料理店が全焼したという記事を読んで、平家物語を
思い出した。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし」
要するに「奢れる者は久しからず」である。
トンチンカンホテル1階の日本料理店の全焼に
心から「お悔やみ」を言いたい。残念なことである。
午前11時から午後2時まで京都でJASS支援者と懇談。
その後、京都から関空付近の「りんかい」まで1時間半。
午後4時過ぎに関空付近のホテルへ。
2012年02月13日
静岡新市長と懇談:静岡の会員と懇談
午前4時起床。寒い。
これから1週間の旅行の荷物の整理。
午前8時、自宅を出て巣鴨経由東京駅へ。
午前9時の新幹線で静岡駅へ.ご10時過ぎ静岡駅着。
午前11時、静岡の会事務局長の笠井先生と駅まで
落ち合う。
笠井先生と一緒に「ソン君・グエットさん」が日本語研修
している静岡市役所へ。
昨日静岡市の招請で日本語研修のために訪日
国際課にて
JASS静岡の会代表牧田先生、笠井事務局長と
静岡市名産の「お雛様」。市長秘書室にて
牧田静岡の会代表、笠井事務局なg
午前11時半。市長室にて田辺市長と懇談
田辺市長よりお土産を頂く
午後2時過ぎ、市内のホテルへ。
午後6時、静岡の会の会員の皆さんと懇談
2012年02月12日
親戚と懇親会
午前7時起床 晴天
午前10時まで受信メールへの返信。
2月18日の「現地報告会」の会計報告、2011年活動総括、
2012年活動方針を完成。日本事務所の山西さんに送信。
午前11時半、大手町で親戚のNさん一家と懇親。
午後2時、親戚との懇親会終了。
亡母の昔の写真を頂く。手作りおでんも。
午後4時前帰宅。
明日から一週間、静岡、関空、大阪、京都と
ベトナム事務所員のバオミンさん、ハンさん、
途中ソン君、日本料理店のグエットさんを
案内する。
帰宅後、一週間のスケジュールのシュミレーションを
する。必要な持ち物の準備などをする。
2012年02月11日
北垣さんと懇談:2月18日現地報告会議案作成
晴れ
杉花粉症発症。2月の晴れた日は杉花粉が大量に飛散する。
目と鼻がやられた。
午前7時起床
21通のメール受信。2時間かけて返信。
バオミンさんと電話で何度か打ち合わせをする。
午前10時、池袋へ。
太平観光会長の北垣さんと3時間ほど懇談。
北垣さんとの出会いは、私が1993年9月にベトナムへ
行き、翌1994年2月に初めての「一時帰国」した。
最初に会ったの北垣さんだった。
18年前の出来事である。私がベトナムに行き、
帰国して初めて会った方と18年間お付き合いが
できることに人生の不思議さを感じる。82歳に
なるいという。私が18年前に北垣さんとお会いした
時、北垣さんは今の私の年齢だったのだ。
私が82歳になって、北垣さんのように活動できるか?
疑問に思う。
午後3時、帰宅。自宅で2月18日「現地報告会」に提案する
議案(2012年度の活動方針)を書く。
午前中、バオミンさん・ハンさんと打ち合わせした「会計報告」
を再度、精読する。金額の正鵠を期す。
方針案の骨子に従って、書きあげる。
今夜一晩書いた文章を「寝かせて」、明日、山西さんに
総括案・方針案・会計報告の3点セットを送信する予定。
朝から1日中、疲労感が残る。
先日、風邪の初期症状が現れた。明後日から静岡市長
懇談、関空へ行き、バオミンさん・ハンさん・ニエムさん一行
を出迎え、2月20日まで8日間活動が続き、2月20日に
バオミンさんたちと一緒に帰国する予定である。
読書「生首」(辺見庸著)を読む。
単純に文章を読むと「グロテスク」な内容であり、
表現法である。辺見氏の表現したいことは、
辺見氏の心にある心情そのもを言葉にして
表現すると「グロテスク」なものになるのだろう。
辺見氏の表現は、日本という社会のグロテスクさを
表現したものなのだろう。
2012年02月10日
自宅で2月18日「現地報告会」議案準備
晴れ 寒い
午前中、20数通のメールへの返信。
午後、バオミンさんと電話で連絡をしながら
2月18日「現地報告会」の議案を打ち合わせする。
2011年活動の総括、2011年会計報告、2012年予算案。
2012年活動方針の原案を作り、明日、仕上げをする。
午後5時過ぎ、自宅を出て、上野へ。
親戚と懇談。
午後11時、帰宅。
2012年02月09日
心臓病通院:フエ投資希望者と懇談
寒いが少し寒さがやわらいだような気はする。
目がチカチカ痛い。鼻水も出始める。「杉花粉症」の
症状が発症した。
午前9時に自宅絵を出て、地下鉄春日から大江戸線で都庁前。
午前10時半から診療。心電図、心臓エコー、診察。
前回血液採取したがその結果を知らされる。
「中性脂肪」が基準値の3倍以上(410 mg/l)。
基準値は45ー150。
医師から「飲酒が原因」との強い指摘を受ける。
「禁酒しなさい」との助言。「禁酒はできない」と私の返事。
医師「それでは1週間に2日は、禁酒するように」との
『労使交渉』で妥協。私的には、「飲まないのなら、生きている
意味がない」と認識している今日この頃である。
これからは、週2日間は、飲まないようにするつもりではいる・・・。
在日中は、どうしても人と会う機会が多いので「つい」飲んでしまう。
この調子でいくと、脳梗塞・脳溢血・心筋梗塞・心不全などの疾病に
罹る可能性大。
ベトナム滞在中も使えるように多めに薬をもらう。
10000円。
新宿でうどんを食し、JR新宿駅から「湘南新宿ライン」で蓮田駅へ。
駅には、先日上尾で行った「ベトナム投資セミナー」に参加した
食品関係の社長さんと落ち合い、社長さんのレストランで
3時間半、話し合う。話し合いの内容は「割愛」。
午後5時半、蓮田駅から「湘南新宿ライン」で上野駅へ。
ベトナムにいる時から老眼鏡が弱くなり、文字が読めなくなった。
そのためこの間、読書ができなかった。
先日、上野駅構内にある「メガネ」屋に行き、老眼鏡を作った。
今日、撮りに行く。フレームとレンズで8000円かからなかった。
メガネ屋の隣に本屋があり、一番読みたかった
「詩集文 生首」(辺見庸著:毎日新聞社)2010年発刊
冒頭の詩「剝がれて」は強烈な言葉が並ぶ。精神的に強い
衝撃を受けた。辺見庸が、今日の社会や世界、世の中に
異常に強い危機感をもった上での詩というのか、文章と
いうのか?
2012年02月08日
終日、自宅で仕事:風邪をひく
昨夜は午前2時に帰宅。
朝、起きられなかった。朝食、昼食も摂る気力ない。
午後2時まで寝ていた。多少風邪気味か?
午後2時朝食兼昼食。
その後、15通のメールへの返信。
ベトナム事務所へいくつかの連絡。
明日からまた忙しい。風邪気味な体が
少し気になる。これからの長期ロードレース
に耐えられるか不安ではある。
今日は、早めに寝て、体力を温存。
夜、バオミンさんと電話。
風邪薬を買い飲む。
体を温めて(湯たんぽ)、早めに寝る。
2012年02月07日
現地報告会議案作り:ビザ申請書作成:ブライセン社長懇談
雨・曇り
午前中、何度かベトナムのバオミンさんに電話。
訪日ビザの件で聞き取り、打ち合わせ。
午後、2月18日の現地報告会の議案作り
20数通のメールへの返信。
午後4時半、自宅を出て山手線で五反田へ。
ブライセン本社へ。
午後6時、ブライセン本社で藤木社長、森田総務部長と
ブライセン・ベトナム支社の今後の運営などについて
長時間協議。
その後、五反田の和食屋で軽くビール等で交流。
更に交流を深めるために西麻布へ。
自宅着午前2時。交流を深め過ぎた。
2012年02月06日
札幌から東京自宅へ帰宅
札幌は雪
今日から札幌雪まつりが始まる。
午前6時、ビジネスホテルの「大浴場」へ。ゆっくりと
疲れを取る。
午前10時、チェックアウト。
その足で新千歳空港へ。
新千歳空港はかなり変化があった。国内線2階にたくさんの
「居酒屋風」のお店ができていたい。
午前11時半、朝食と昼食を兼ねて「居酒屋」へ。
新千歳飛行場は雪一面。
午後2時発の飛行機が1時間ほど遅れる。
午後4時過ぎに羽田へ。
午後6時ころ、自宅へ。11日ぶりの自宅である。
10通のメール受信。
バオミンさんからいくつかのメールあり。返信する。
2012年02月05日
2月18日「現地報告会」総括・方針作成
札幌は雪
午前6時にホテル地下の大浴場へ。ゆっくりと朝風呂に入り
休養。
この2週間、やすみなく活動する。
午前中は、ホテルで20数通の受信メールへの返信。
2012年2月18日(土)に「JASS現地報告会」がある。
(午後1時半 中央区総合スポーツセンター第1・第2会議室)
(地下鉄新宿線「浜町」 徒歩2分、半蔵門線「水天宮」徒歩10分
日比谷線「人形町」徒歩8分、浅草線「人形町」徒歩10分)
ベトナム事務所からは、バオミンさん、ハンさんが、
「子どもの家」のスタッフであるニエムさん、
「子どもの家」卒業生のソン君・グエットさんが参加。
午後は、札幌市内ビジネスホテルで「現地報告会」の議案
の草案作り。
2011年活動の総括案を作成。2012年活動方針案の骨子を
作成。
午後6時、札幌駅地下「パセオ」内の「銀座ライオン」で
サッポロ・クラシックを飲む
2012年02月04日
終日ホテルで寝ている:小樽雪あかりの路参観
昨夜、北海道の親戚と夕食を共にしホテルへ帰った。
少し疲れたのでベッドにそのまま横になった。
気づいたら午前3時になっていた。
午前7時、ホテルの「大浴場」へ。ゆっくりとお湯に浸かり
疲れとストレスを取る。
1月27日から2月3日までの8日間のベトナム人の案内は
さすがに疲れた。
大浴場の朝ぶろでリフレッシュ。
昨夜買ったおにぎりを1つ食す。
昼まで横になって休む。
その後、20数通のメールへの返信。
午後3時、札幌から南小樽へ。
小樽の寿司屋「大和屋」の「〆サバ」を食べに行く。
南小樽駅前のタクシーに「大和屋本店へ」と言って
連れて行かれたのが、花園支店。
本店でも支店で「味は同じだ」と観念して入店。
〆さば、中トロ、カズノコ・・・・・・、小樽の美味しい海産物で生ビールを
4杯。
午後5時頃から「小樽雪あかりの路」を見に行く。
土曜日ということもあって人出は多い。
小樽運河にガラスの玉(漁民が網の浮代わりに使ったガラス球)
の中にロウソクを灯す。なんとなく「幻想的」な雰囲気がある。
たくさんの見物客あり
雪とろうそくの灯
今日の小樽行き 大和屋100点、小樽雪あかりの路(50点)
2012年02月03日
ベトナム訪日団帰国
晴天 雪がちらつく
午前10時半、ホテルをチェックアウト。
バスで新千歳空港国際線へ。
ホテル前のバス停で待つ訪日団。
鹿又さんがホテルから訪日団の大量のスーツケースを
車で新千歳空港へ運んでくれた。感謝。
午後12時過ぎ、新千歳空港国際線に到着。
離日の最後の写真
今回の札幌行きをコーデイネートして頂いた中心人物の
鹿又さんとフエ市共産党委員長のユンさん。
いよいよベトナム訪日団とお別れ。
鹿又さんとバオミンさん
帰国最後の写真
新千歳空港から札幌へ。
札幌のホテルにチェックイン。
午後6時、北海道の親戚と夕食会。
2012年02月02日
雪まつり準備作業視察:北海道アイス普及の相談を受ける
雪
午前9時、ホテルを出て中島講演会から歩いて「大通公園」まで
雪まつり準備作業の視察に行く。
テト耳が特に冷たい。零下の中で生活する大変さを実感した。
20度で寒くて「湯たんぽ」を入れるフエ人に取っては
マイナス気温は「過酷」そのもの
2月6日からの「雪まつり」に向けて「自衛隊」や市民の皆さんが
準備作業をしていた。
元ハノイ政府「建設・運輸副大臣」とバオミンさん
フエ市ニエン外務部長・バオミンさん・ユンフエ市共産党委員長・
中央政府の元高官のクオン氏
既に2月6日の開会を前にして、作品が完成しているものもある
あまりにさむいので途中、コンビニに入り、頭にかぶる「帽子風」
のものを買う。
なんとなく、コンビニ強盗風の様相を呈する風貌となるが、寒いよりは
良い
午後、狸小路のラーメン屋へ入る。「大激辛ラーメン」という
看板につられてはいる。
札幌に来て既に3日目。2日間の昼食はラーメン。
激辛ラーメンを食べているが、ベトナム人(とくにフエ人)
には、「甘すぎる」ラーメン。激辛ラーメンに更に唐辛子を
大量にぶち込み食べていた。
日本の「激辛ラーメン」という看板がなく。
「大激辛ラーメン」も看板倒れだとは思いつつ、つい「大」が
ついていたので、少しでも辛いのではと入る。
「看板に偽りなし」だった。
さすがにバオミンさん・ニエンさんも「これは辛い」という。
食べ始めて2分後。バオミンさんの顔と頭から「汗」が
吹き出てくる。
ニエンさんは、あまりの汗に店外に出てしまう。
みていると頭から「湯気」がたちの持っていた。
フエ人の言う「日本の辛いは、甘いということ」という
『暴言』にやっと反論できてほっとする。
私は辛いものに弱いので、醤油ラーメンにする。
午後2時、北海道庁・政府が設立している「北海道科学技術総合
振興センター」の一部門である「北海道アイスクリーム輸出促進
協議会」の副会長さんと社員の方と鹿又さんがホテル来訪。
ホテルの会議室で、同会副会長の会社で作った「野菜アイス」
の試食とアジアでの販売促進についてのアドバイスを行う。
トマト、カボチャ、ジャガイモなど野菜を基礎とした「高級アイス」
(一個300円程度)をベトナム人訪日団が試食。ベトナムでの
販売促進についてのう意見を言う。
低カロリーの高級「野菜アイス」はおいしかった。
ベトナムの企業と提携を模索する話を行う。
2時間ほどの話し合いを終わる。今後も両者で引き続き
話し合いと連絡を取り合うことを確認。
ベトナム人訪日団は、今日が最終日。皆さんは、レストランなどに
行かず、ホテルの部屋で「さよならパーティー」をしようと言いだす。
私とバオミンさん、ニエンさんで近くのコンビニに買い出しに行く。
大量のビール、夕食は「カップ麺」、いくつかのおつまみを買う。
バオミンさんとニエンさんの部屋で買って来たビールを飲みながら
皆さんはベトナムの歌を歌う。
フエの「チン・コン・ソン」の歌が、フエ人、ハノイ人共通で
歌われていた。
午後8時位までお付き合いをしたが、タバコが蔓延した
部屋にいつもも限界。部屋に戻ったら一気に疲れが出いて
寝てしまう。午前0時に目覚める。
明日は、午前10時半頃、ホテルを出て「新千歳空港」へ。
2012年02月01日
札幌市「飛んでけ車いす」本部訪問:札幌投資セミナー:高校同級生五井君飲み会
朝、マイナス6度
午前8時朝食。
午前9時45分、菊先生、バオミンさんと「飛んでけ 車いす」
の札幌本部事務所を訪問。今までたくさん頂いた車いすの
お礼を言う。
私とバオミンさん以外のベトナム人は「自由時間」
正午、飛んでけ 車いすのスタッフの方の案内で
おいしい「みそラーメン」店へ。
ホテルで1時間ほど休む。疲労の頂点に達する。
午後1時、ホテルのロビーに集合になっていたが、二人の
ベトナム人(ハノイ)が、外から戻ってこない。
仕方がないので菊先生とバオミンさんでベトナム人4人を
投資セミナー会場へ。
私は「自由時間の外出」から戻ってこない2人の
ベトナム人をホテルロビーで待つことにする。
投資セミナーは午後2時開会。
既に午後2時を過ぎているが、戻ってこない。
やっと午後2時10分に1人が戻ってくる。
時間がないので、戻ってきた一人と一緒に
タクシーで「ベトナム投資セミナー」会場へ。
既にニエンフエ市人民委員会外務部長、ユンフエ市共産党
委員長が報告をしていた。
途中で私もいくつかの経験を話す。
53名の参加者がある。札幌でもベトナムへの投資に
関心を持っている企業が多いことが分かる。
参加者とベトナム側の「一問一答」が続く。
30人の会場に53人が来訪。会場は熱気。
午後4時閉会。その後、会場に残り、個別の参加者の
ベトナム投資について相談に乗る。かなり多くの
企業家が残り、様々な案件の話を相談する。
鹿又さん、菊先生に感謝。
鹿又さんの案内で会場から地下鉄でホテルへ。
午後5時。
1時間、ホテルで休憩。
午後6時、鹿又さん、ベトナム人6人、私を入れて8人で
ホテル前の「キリンビール園」へ。
今日は「ベトナム投資セミナー」を成功させた。
ベトナム訪問団の皆さんは、それなりに疲労。
疲労回復のため、キリンビール園へ。
昨夜、札幌ビール園に行き「サッポロビールが最高」
と言っていた連中が、今日はキリンビール園へ。
ジンギスカンとお寿司、お刺身を食す。
意外にもベトナム人訪日団は、刺身が大好き。
キリンビール園から鹿又さんの知り合いのスナックへ。
ベトナムの歌のカラオケを堪能
バオミンさんが疲労でダウン。ホテルへ帰る。
(後で話を聞くと、ビール園からホテルまで徒歩5分
の途中で3回ほどおう吐したとのこと。疲労の限界)
午後10時にホテルへ帰る。
その後、高校同級生の五井君から電話。
偶然、出張で札幌にいる。飲もうとのこと。
午後11時過ぎに札幌南口であう。
居酒屋へ。東大先端技術研究所の
先生も同行。3人で札幌駅南口で飲む。
午前1時まで交流する。
ホテルへ戻り、火炎樹日記を書く。
就寝、午前2時。