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2012年02月25日
地球の歩き方2班講演会:突然退所を言い出したT君と対話
快晴 午前8時 気温30度 湿度80%
昨夜は、午前2時に目が覚めてしまい、その後眠れず。
午前7時朝食。ブンボー(牛肉米麺)
午前8時45府、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所の皆さんは真面目に仕事をしていた。
有難いことである。
日本語部を統括するフーン先生
何となく「怪しい」男2人
電動バイクに久しぶりに乗る。
この電動バイクはフエでも最初期に買ったもの。
既に5年ほど経っている。ブレーキも利かなくなった。
タイヤも磨り減った。
ベトナム事務所のソン君に頼み、タイヤに空気を入れ、
ブレーキを直してもらうが、片方しか直らない。
電動バイクで「子どもの家」へ。
「子どもの家」には、地球の歩き方スタディーツアー(11人)が
訪問。ハンさんとアンさんが施設案内をしていた。
今日は土曜日で学校は休み。
自習室で女子が勉強をしていたい。男子は誰もいない。
午前9時半から午前10時45分まで私の講演会
海外ボランティアと人生について話す。
午前11時、こどもたちとの交流。
初めにセン運営委員長の歓迎の挨拶(通訳はハンさん)
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんの出し物
交流会後、ハンさん・アンさんの引率で昼食レストランへ
「子どもの家」では昼食
フエ高等師範大学で勉強しているターオさん
今日の昼食
電動バイクで宿舎へ帰る
昼食。
デザートはみかん。全然甘くなかったが、ミカンの原点かと
思った。
午後12時半から1時間昼寝。
午後3時、バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。
日本料理店へ。
「京滋YOUの会」の豊田さんから頂いた「火の用心」のお守り札を
日本料理店の厨房に貼る。
火の用心の札は、京都の「愛宕山」山頂の愛宕山神社で
もらえる。
山頂は京都市に所在するが、約1.5km西に市境があり、
山体は亀岡市にまたがる。標高924m。三等三角点「愛宕」(890.06m)
は山頂の北方約400mの地点に.。
京都盆地の西北にそびえ、京都盆地東北の比叡山と並び古
くより信仰対象の山とされた。神護寺などの寺社が愛宕山系の
高雄山にある。山頂には愛宕神社があり、古来より火伏せの神様として
京都の住民の信仰を集め、全国各地にも広がっている
亀岡市側の登山口にも「元愛宕」と呼ばれる愛宕神社がある。
「火廼要慎(ひのようじん)」の札をもらうには、往復5時間の
登山が必要。「京滋YOUの会」の豊田さん雪の山を標高1000メートル
近くの山頂まで徒歩で歩き、火の用心の札をもらってきてくれた。
フエは電流が安定していない。いつ「漏電」で火災に遭うか分からない。
愛宕山の「火伏せ」の札を貼って、「火廼要慎(ひのようじん)」
を祈る。
午後3時過ぎ、「子どもの家」へ。
私が在日していた2月。バオミンさんから連絡があり、
今まで勉強も頑張って常に優秀賞をもらっていたT君(中学4年:
日本では中3)が、突然、「子どもの家」のセン運営委員長に
『退所してホーチミン市に行く』と言って来たとの連絡があった。
バオミンさんに返事。私がフエに帰るまで、絶対に退所は認めない。
センさんと協力して「退所を阻止」しておいて欲しいとお願いをして
いた。
今日、T君(日本流に言えば中3)と姉のT・Oさん(フエ師範大学
生物学科3年生)を呼んで、私、セン委員長、バオミンさんと
で話し合いを行う。
T君は中3の卒業間近の2012年1月のテトの終わり頃、
学校から連絡があり、登校していないことが判明。
毎朝、「子どもの家」を出て学校へ行っていることにはなっていた。
しかし、2012年1月の中旬から学校へは全く行っていなかった。
T君の家庭は複雑な家庭である。父親は、金鉱に出稼ぎに行くと
行って家を出て、それ以来「行方不明」である。
母親は、道路工事の仕事をして、生計を立てている。
そうした事情があり、姉のT・0さんとT君が10年前に「子どもの家」
へ入所。二人とも生来優秀な頭を持っていて、小学校から今日まで
日本流に言えば、「オール5」。姉のT・0さんは、3年前に
日本で言えば京都大学理学部にあたるフエ師範大学に入学。
卒業後は、高校の理系の先生になるという。
今回問題を起こしている弟のT君も昨年までの中学3年生(日本流)
の前期の成績は、優秀であった。ところが、である。
2012年1月になり、急に生活態度が荒れだし、学校へも行かなくなり、
最終的には、「子どもの家」を退所し、ホーチミン市で仕事をすると
セン委員長に申し出ると言う状況になった。
今日の話し合いで、「子どもの家」を退所するのならしてもいい。
あと3ヶ月通学すれば中学卒業できる。それもしないでホーチミン市
に行くのなら、勝手に行け、と厳しく話す。
姉が弟を諌める。セン委員長がT君を厳しくしかる。
しばらくの時間が経過する。
(この間、セン運営委員長は、姉のT・Oさんを呼んで話し合い、
その後、母親も呼んで話し合っている。それでもT君はホーチミン市
に行くといっていた。ホーチミン市に行けば、すぐに大金持ちに
なれるという幻想をもっている)
1月のテト正月でT君と姉のT・Oさんは母親の家へ帰った。
フエ市の郊外の農村である。
テト正月が終わっててT君は「子どもの家」に帰ってこない。
母親に問い合わせると「既に3日前に帰ったはずだ」とのこと。
T君を問い詰めると「友だちとインターネットカフェで遊んでいた」
とのこと。
T君に問題を質す。
(小山)何を考えているのか?
(T君)学校へ行きたくなった。
(セン委員長)学校へ行きたくなった理由を言いなさい
(T君)中学卒業の資格が欲しい
(セン)今のままだと今年中学を卒業出来ない可能性があるが
頑張って勉強できるか?
(T君)頑張ります。
(小山)T君は以下の5点の客観的な状況を背負っているのだ。
そのことを理解しなさい
①家が貧しいこと
②JASSや「子どもの家」のスタッフはT君を家族と思っている。
③T君は優秀な能力を持っている
④このまま頑張っていけば、大学入学は可能だ
⑤今、T君は「人生の岐路」に立っている。人生の分かれ目だ。
このまま、中学も卒業しないでいたら、幸せな人生にならない。
せっかく優秀な能力を親からもらったのだ。頑張りなさい。
最終的にT君は「子どもの家」に残り、中学校へ通う。
万が一、今年留年になっても頑張って中学を卒業し、高校へ行く
以上の話し合いをし、終了する。
T君の幸せな人生を祈る。
午後5時前、「子どもの家」スタッフとこどもたちの生活上の
問題点を話し合う。
こどもたちの大きな問題は、インターネットカフェでの「ゲーム」だ。
共産党の幹部のこどもたちやお金持ちのこどもたちと一緒に
インターネットカフェーに行き、ゲームをする。
日本の「モバゲー」「グリー」のようなゲーム。お金を出して
「武器」買ったり売ったりし、うまくいけばお金儲けができる。
「子どもの家」の男子は頭がいいので、金持ちのこどもたちと
一緒にインターネットのゲームを行い、お金儲けをしている。
お金持ちの生徒と一緒に朝からインターネットカフェーに行き
モバゲーのようなゲームをし、金持ちのこどもたちの代わりに
ゲームをし、お金儲けをしている。
こうした現象が「子どもの家」の男子が勉強をしなくなり、高校や
大学へも行かなくなる理由だ。
女子はインターネットでゲームなどはしない。
そのほか、「子どもの家」スタッフの困っていることを聞く。
食事のスタッフから食料費が上がり、適正な食事を作るのが
難しくなった。値上げして欲しい。
米1キロ
18年前(2500ドン) 2~3年前(10000ドン)
今(25000ドン)
この18年で米価が10倍に上がっている。
(小山)「子どもの家」の一番大事なことは、
①こどもたちの健康 ②スタッフの生活確保
私は今日のT君との話し合いには、疲労が溜まり、
正直、多少の躊躇があったことは事実である。
しかし、T君の人生の重大な岐路である。
ここでT君が中学を中退したらどんな人生が待っているのか?
を考えると、自分の体が不調であっても、困難があっても
T君のために「一肌脱がなければ」ならないと思った。
海外支援は、自分の都合でするものではない。
こどもたちの事情に合わせてするものだ。
これは、ベトナムに来て、「子どもの家」を作り、こどもたちを
「子どもの家」に入所させた時からの私の義務となった。
入所させたからには、絶対的な責任が私にはある。
外部から評論家的に私を批判する人もいるが、それは
一応民主主義国家の我が日本である。(共産党一党独裁国家の
ベトナムとは違いという意味)
批判の自由はある。しかし、現場で「子どもの家」を運営するという
ことは、なかなか大変である。どんなに疲れていてもこどもたち
が問題を起こせば、やはり、こどもたちの人生の岐路に立会い、
こどもたちが幸せな人生を歩めるように意見を言う義務がある。
T君の幸せな人生を祈る。私はT君も含めて我が子と思っている。
自分が傷ついてもこどものためには、自分を捧げたいと思っている。
これは、口だけではない。私は名実ともに実践している。
NGO・NPOは行動が一番必要。
投稿者 koyama : 2012年02月25日 19:39