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2012年02月28日

T君の母親 姉と懇談  ブライセン一行来訪

小雨 

午前7時朝食  フォー

午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさんのオートバイに乗り、「子どもの家」へ

怠学のT君の母親・姉を呼んで話し合う。

母親と話すが多少ピントがずれる。
母親の精神状況が不安定で十分な話し合いとはならず。
姉がしっかりと対応。

セン運営委員長が中学校側とかけあい、2ヵ月程の
不登校があっても『卒業試験』の受験を認める
とのことだった。

一応、姉中心の話し合いで、6月の中学校卒業試験を
受けて、何とか中学を卒業する。その後、県立高校を
受験。現状の学力では「ヤーホイ高校」が最適との
結論に達する。

T君は怠学を反省し、中学校へ通い出した。
今日も学校へ行っているので話し合いには参加できなかった。

何とかT君怠学問題は、一応の解決に向かっている。
しかし、この数か月の不登校は、学力なとに大きな影響を
与えている。姉(フエ師範大学生物学科3年生)がしっかり者
で母親と弟の面倒をみている。母親は、現在の状況がきちんと
把握できていない状況だった。
T君も複雑な家庭状況にある。こうした状況にいる子ども
だからこそ、JASSは親身になり、「お役人根性」を捨てて、
T君に寄り添い、T君の将来のために『一肌』でも「二肌」
でも脱がなければならない。JASSがフエにいる本当の
意味は、ここにある。
T君が何とか真面目に通学してほしい。T君の幸せな
将来を祈る。

午前11時半、昼食 チャオ・バイン・カイン(小麦粉の麺)

読書「不破哲三 時代の証言」(中央公論新社)
なかなか興味のある内容だ。理論書ではなく元日本共産党
委員長である上田健二郎(ペンネーム 不破哲三)のおい立ちと
人生を綴っている。戦前と戦後初期、60年安保闘争までの
時代の空気が読み取れる。19歳で共産党に入党している。

午後、多数のメール受信。返信。
部屋のデスクトップのパソコンのインターネットが
通じない。
仕方がないので、ノートパソコンのUSB形式の
インターネットを使う。

午後4時、宿舎の近くにバオミンさんが車で迎えに
来てくれる。

二人でフエ空港へ。
今日は、ブライセン本社の藤木社長をはじめ、5人の本社
社長、部長と他のIT会社社長の6人が来訪する。

午後4時50分、フエ空港から出てくる。寒い。
ブライセンの皆さんは、半そでの人もいる。


車で市内フォンザンホテルへ。

1時間ほど、ホテルで休息。

午後6時過ぎ、市内のベトナム料理レストランでブライセン
ベトナム支社(7人)と交流夕食会。

本社関係者6人、ベトナム支社7人)、私、ソン君の
15人の大交流会となる。
(バオミンさんは、地球の歩き方ツアー2班の夕食会へ)

はじめは、ベトナム支社員も初対面の社長・部長に
「緊張」を隠せなかったが、飲んで行くうちに意気投合。
乾杯を何度もくりかえしていた。

結局、フダビールを20本ほど、ワイン4本、ベトナム風
もち米焼酎を数本あける。

本社・支社員の団結が強まった。

明日からは、ベトナム支社で研修。

帰宅は午後9時半過ぎ。

今日は、ソン君が食事、飲み物の注文から
通訳までしっかりとこなしてくれた。
この数年で実践力としての力をつけてきた。
うれしい。

非常に疲れた。

投稿者 koyama : 2012年02月28日 07:41

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