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2012年03月31日
地球の歩き方ツアー5班の講演会:「子どもの家」ミー・タンさん誕生会
午前6時半 気温24度 湿度90% 雨
午後5時半 気温24度 湿度80%
今日は終日、雨が降ったりやんだりの寒い一日だった。
午前7時朝食。ブンボーフエ(牛肉の米麺)
午前8時過ぎ、雨の中、カッパを着て「子どもの家」へ。
今日は、地球の歩き方スタディーツアー5班の皆さんへの講演会
「子どもの家」のミー・タンさん(14歳)の誕生会
午前9時、「子どもの家」到着。体中、びしょびしょ。
「子どもの家」のこどもたちも私と同様。気温変化の大きさに
体がついていけないようだ。午前9時視点で、部屋で寝ている
こどもたちが多い。(小学校は土曜日は休み)
アジアで生活してみると「アジアはアジアの事情」があるのだ。
昼間から寝ているなんて「怠慢なこども」とのレッテルを貼られそうだが、
昼間から寝ていないと「体がもたない」ほと、気温の変化が大きいのだ。
日本がいかに過ごしやすい国かが分かる。
今日、14歳の誕生日を迎える「ミー・タンさん」は、7年ほど前の
TBSテレビの「学校へ行こう」という番組の取材の際に「子どもの家」
に入所した。家族は船上生活者だった。家庭の状況で、どうしても
家族と一緒にすめない事情があり、「子どもの家」へ入所。
それから7年間ほど、「子どもの家」で生活。14歳になった。
身長もだぶ伸びた。
同じ部屋の仲間のこどもたち全員に里親の「海老原さん」から
送られ日本の風景写真を渡していた。
午前9時半から10時40分まで、地球の歩き方5班の皆さんに講演会
真面目な皆さんだった。
今、私たちのいる社会は、「文明の大きな転換点にある」という
学生さんの日常性生活では、話されない「変な話」をした。
私の話の結論は「アジア・アフリカから学ぼう」というもの。
午前10時45分、「子どもの家」のこどもたちの歓迎会
始めに「子どもの家」運営委員長のセンさんの歓迎の挨拶。
こどもたちの歓迎の踊り。少数民族パコー族の踊り。
男子の歌。「消しゴム」(消しゴムの粉を思い出し、先生の
恩に感謝する)
平和の鳩の踊り
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんの出し物
何の歌だか私には分からなかった。
日本の最近の流行り歌どのこと。
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんと交流するこどもたち
「子どもの家」では珍しい「臭み」を持っている数少ない男子。
最近の男子は、サラサラ感の強い子どもが多い。
リー君のような子どもは激減した。
午後11時半、ミータンさん(14歳)の誕生祝い。食堂で行う。
里親の海老原さんから贈られた誕生ケーキ
ケーキには、「ミー・タン」「3月31日」と書かれている。
14本のケーキに点火
食堂に集合したこどもたちは、全員「HAPPY BIRTHDAY TO TAN」の
歌を歌う。
タンさんが14本のろうそくの灯を消す
3つの大きな誕生ケーキを小さく切って、「子どもの家」の
こどもたち全員に配る
こどもたちは昼食を食べた後、誕生ケーキを食べる。
素晴らしい胃である。
今日の昼食。アヒルの玉子焼き、ジャックフルーツ(ミット)の炒め物、
野菜スープ、ご飯。
里親の海老原さんからの「誕生祝いの手紙」と衣類のプレゼントを渡す
海老原さんに心から感謝。
電動バイクで宿舎へ帰る。午後12時半。
途中、応急前まで来た時、大量の「セミ」の鳴き声を聞く。
そんな時期になったのだ。
今日は料理のセンさんに昼食を頼のまなかった。
昼食は以前の食事の残りものを冷凍しておいたものを
解凍して食べる。
午後1時半から2時間昼寝。体が相当疲れる。
午後、2階にわたり「冬物」の洗濯。
2012年03月30日
ブライセン・ベトナム支社員会議:ウイリアム氏一家懇談
午前7時半 気温 22度 湿度
午後12時 気温 32度 湿度 60%
午前7時、朝食。チャッサバと米の「チャオ・バイン・カイン」
ゆで隠元
午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
午前9時。ベトナム事務所3階のブライセン・ベトナム支社で
7人の支社員との話し合いt。本社からの任務分担等の新しい
指示の伝達。支社員からの意見などを丁寧に聞き、今後の業務が
うまくいくよう丁寧な説明と話し合いを進める。
その後、「子どもの針」の会の大極さんたちと懇談。
午前10時頃、横浜の私立中高の先生をしている
ウイリアムさん(英国)一家が、ベトナム事務所を訪問。
2時間ほど、JASSの活動などを話し合う。
午後12時過ぎ。徒歩で宿舎へ。既に昼食時間の午前11時半~午後12時を
過ぎていた。食事を作ってくれるセンさんに帰宅して頂き
作ってあった昼食を摂る。 「ベトナム風春雨麺」
午後2時間ほど昼寝。
今年は例年以上に1日の寒暖の差が大きい。気温の変化に
体がついていかない。だるい。
午後2時過ぎから「一つの問題」について、今後の展開、見通し
などを考え、対策を立てる。
午後5時。バオミンさんと「世界歴史都市連盟」関連の打ち合わせ。
同時に4月8日(日)「子どもの家」で行われる「そばうち大会」
(富岡さん実演)の相談などを行う。
==================
今日、野田内閣が「消費税増税法案」の閣議決定を
行った。
野田首相一派の「詐欺」増税に反対する。
マスコミも総動員した「消費税増税」キャンペーンの中で
国民の中には消費税を増税しないと「社会保障」も存続出来ない
との「刷り込み」情報が入っている。
しかし、今日野田詐欺内閣が閣議決定した「消費税増税」は、
明らかに国民の思っている増税ではないことが明らかである。
第1に消費税と言う税金は、金持ちも貧乏人も同一の金額の
税金が取られるという、至って、差別的、不平等、非民主的な
税制だと言うことである。
100円の品物を買うと、最終的には10円の消費税を取られる。
年収1億円の人も10円なら年収100万円に人も同額の10円で
ある。
戦後の税制の基本である「累進課税」(金持ちはそれなりに、
生活困窮者の税金は安くする)という基本的な精神を捨てた
野田詐欺内閣の消費税増税案は、貧しい人たちの重い税金で
あることがわかる。
今の日本は年収200万円以下の国民が1200万人もいるのである。
これらの人々から重税を取り、大金持ちからは痛くもない税金を
取るという思想自体が野田内閣の財界ベッテリ、金持ちの提灯持ち
内閣であることを表明している。
第2に1997年に橋本内閣が消費税を3%から5%に上げた際、
日本の景気が一気に冷えこんでしまったことを想起すべきである。
消費税が上がれば、庶民は「買えびかえ」に走り、経済が
停滞する。一層日本の経済は停滞するのは明らか。
第3に消費税増税は「社会保障を守り存続させるため」との
理屈は詐欺的ウソである。
試算では5%の消費税増税で社会保障に充当される税率は「1%」
である。消費税増税と社会保障の一体化はウソである。出来ない
ウソの消費税増税を強行しようとしている野田内閣。
選挙のマニフェスト(宣言)では、「消費税増税はしない」と
明記している。命を賭けて「消費税増税をする」と胸を張っている
野田首相は、誰のために命を賭けて増税しようとしているか。
原発事故の犯人である東電には、3兆円以上の税金を
つぎ込んでいる野田首相だ。未だに東電の社長や大卒の賃金は異常な
高水準である。財界・大企業には甘く、中小企業や庶民には厳しい
野田内閣の本質が露呈している。
原発事故を起こした東電、経産省の安全保安院など
原発行政を推進した人たちを誰一人「起訴」していない
日本の国家権力の不平等な姿勢が明らかになった。
こそどろは、起訴するのにあれだけ無責任な原発の
とりあつかいをした東電とそれを指導した経産省の
責任者を誰一人、起訴もせず、責任も追及しない
日本の国家権力の腐敗の進行した状況に「異常な腐臭」
を感ずる。
2012年03月29日
大極さん「こどもの針」一行夕食会
午前6時半 気温 23度 湿度 90%
午前7時朝食。フォーガー(鶏肉米麺)
午前中、長文の手紙を書く。何度か推敲する。
バオミンさんと電話いくつかの問題を打ち合わせ
多数のメール受信。返信。
午前11時半昼食。ご飯、魚のフライ、野菜サラダ
食後、2時間ほど昼寝。
長文の手紙の再推敲。
午後3時半、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさん・ソン君と今後のJASS観光、スタディーツアー
などの一層の推進のための打ち合わせをする。
今後、ソン君もJASS観光の中軸として活動して欲しいとの
気持ちでの打ち合わせとなった。
午後5時。静岡大学工学部の松本先生と懇談
今回の静大NIFEEプログラムの入試の状況、今後の展望など
午後6時から大極さん一行4人と診療所長、「子どもの家」の
セン委員長などとの日本料理店での懇談夕食会に参加
大極さんの乾杯の挨拶
バオミンさんやセン委員長、いくつかの地域診療所長などが
参加。
午後8時半過ぎ、セン「子どもの家」委員長のお礼の挨拶
午後9時、大極さん一行との夕食会終了。
後片付けをし、バオミンさんのオートバイに乗せてもらい帰宅。
日本料理店の隣りの精進料理店前で「リー君」ミエミエの状況で
飲んでいた。
2012年03月28日
静岡大学NIFEE留学生の保護者面談:松本先生と懇談
午前6時30分 気温19度 湿度 96%(寒い)
午後12時半 気温30度 湿度 60%(真夏・暑い)
気温の変化が大きい。今年は、例年に比べると「異常気象」。
例年だと終日30度以上の真夏日なのだが・・・・・。
午前7時朝食。カニ団子入りのブン麺
食後、足にお灸を据える。9個。足の皮膚炎は90%程度改善。
腰痛は、20%程度の改善。まだ、腰痛の痛みは引かない。
午前9時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
午前10時から始まる静大NIFEE留学生保護者懇談の前に
静大NIFEE担当の松本先生と懇談。
保護者面接の態勢を取って、帰宅。
宿舎でいくつかの長文の文章を書く。
たくさんのメールを受信。必要な返信。返信しきれない。
午前11時半、昼食。気温は30度。真夏のようだ。太陽がでると
精神的に安定する。
昼食はチャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
2時間ほど昼寝。
午後、関係者向けの文章を書く。
読書「世界史 上」(ウイリアム・H・マクニール)
ヘレニズム文化からローマへ。
たくさんのメールあり。返信に長時間かかる。
4月に行われる世界歴史都市連盟関係の諸準備。
バオミンさんを通してフエ市人民委員会と連絡。
今日は、午前中、静岡フエ青年交流会館日本語学校では、
静岡大学工学部NIFEE入学試験。午前中は日本語の試験。
その後、生物・化学の試験。午後も試験。
2012年03月27日
静岡大学入試団フエ到着:伊勢市の前島さんたちと懇談
午前7時 気温19度 湿度 90%
午後2時 気温20度 湿度 90% 寒い
午前7時、朝食。チャオ・バイン・カイン(手打ちうどん)
午前8時半、雨の中徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさんと当面のいくつかの問題を協議。
その後、ブライセン・ベトナム支社員(7名)から
仕事の状況を聞き取る。皆さん、頑張って仕事をしている。
2名は1階で日本語の授業。
VU君など3名は、日本本社で研修中。
午前11時半昼食。茹でたキャベツ、「豚肉のおじや」
2時間ほど昼寝をする予定だったが、昼寝中にハンさんから
電話。ベトナム事務所前に静岡大学入試団が来ているとのこと。
私に電話をして午後の静大の打ち合わせをする予定だったが、
静大の先生の方で私の電話番号を間違えていたので、
私に電話が通じなかった。そのため、ベトナム事務所へ
来たとのこと。丁度、ハンさんが、大極さん一行の治療の
案内をして帰るところだった。
午後2時、静岡フエ青年交流会館に集合。しばらくして
静大の先生方も到着。
明日から行われる静大工学部入試の準備を行う。
ベトナム事務所員(バオミン・原田・フオン)、静岡大学4人。
ほぼ準備が終わった頃を見て、私とバオミンさんは、
ベトナム事務所へ。
午後5時、伊勢市の前島さん、弁護士の角銅さんが来訪。
お二人を案内して、静岡フエ青年交流会館日本語学校、
縫製研修センターへ。研修センター主任のトウエットさんと
「子どもの家」を案内。「子どもの家」の刺繍土産物店では、
50個の製品を買って頂いた。
たくさんの刺繍作品を買って頂く。
「子どもの家」の視察参観。こどもたちと交流。
数年前に退所したラム君。30歳になると言う。荷物運びをして
生計を立てているとのこと。「子どもの家」に遊びに来ていた。
その後、日本料理店に戻り、前島さん、角銅さん、バオミンさん
と食事懇談。
豚の角煮(色が真っ黒で味がきつすぎる。私は一口も
食べられなかった)
金平(味が強すぎて食べられない)
午後9時半まで会食懇談。前島さん、角銅さんたちと
様々な問題を話す。楽しいひと時を過ごす。
午後9時半過ぎ、閉会。
伊勢市の前島さん、角銅さんの来訪に感謝。
心のある方々である。
2012年03月26日
三重県前島師と懇談
午前6時半 気温 18度 湿度 95%
午前11時半 気温 18度 湿度 80%
朝から小雨。非常に寒い
午前7時、朝食。「フォー・ボー」(牛肉米麺)
朝食後、左足の皮膚炎と腰痛に「お灸」を据える。
昨日から3回目のお灸。
腰痛がかなり楽になる。皮膚炎は80%程度の完治度。
意外とお灸は効くものだ。但し、「ツボ」が分からないと自分では
出来ない。大極さんに教えてもらった「ツボ」を黒マジックで足に
書き、お灸を据える。
午前中をかけて静岡大に提出する文章を起草する。
気分転換に読書。
読書「世界史 上」(ウイリアム・H・マクニール)
ギリシャ神話。ギリシャの哲学が何故発達したか?
著者の見解を述べている。一利有。
午前11時半、昼食。マカロニスープ
食後、2時間ほど昼寝。
午後2時半、徒歩でベトナム事務所へ。
三重県伊勢市の浄土宗の住職 神宝山 慶蔵院の
前島さんと懇談。2時間ほど。
様々な話をする。ほぼ同年代。同じ様な人生体験を
している。前島師は、元学校の先生。
色々な問題についての価値観、人生観がかなり
近似している。前島師の活動の成功を祈る。
午後5時半、宿舎へ帰る。
再度、静岡大学へ送る文章の最終校正を行う。
2012年03月25日
大極さん医療ツアー講演会
A7 気温 19度 湿度75度
午前7時半、朝食。昨日、料理のセンさんが作っておいてくれた
チャオバインカイン(手打ちうどん)を食べる。
受信メールで急いで返信しなければならないメールに返信。
午前9時、電動バイクで宿舎をでる。気温20度程度。
寒い。一昨日は気温38度だった。一気に18度の気温差。
非常に寒く感ずる。
午前9時半、「子どもの家」着。
今日は日曜日。男子は、部屋でボーッとしながら話し合い。
女子は食堂前で昼食の準備。
日曜日なのに訪日した「ニエム先生」は出勤。
男子の部屋の壁には、きれいな風景画が描かれていた。
多分、フエ芸術大学5年生のフックの描いたものと推測する。
かなり乱雑な男子の部屋が少し「きれい」に見える。
午前10時過ぎ、「子どもの家」2階音楽室で小児針の大極さんたちに
講演をする予定だったが、始めに私の足の皮膚炎の状況を見てくれる。
講演会。90分
今日の私たちの置かれている状況についての私見を話す。
100年スパンの「時代の大転換点に立っている」「価値観の
転換点でもある」・・・・
西欧科学文明第一主義からアジア・アフリカの文明の
再評価が必要。私のフエでの視点は「アジアから学ぶ」
である・・・・・。
1993年10月から一緒に「チーラン子どもの家」そして現在の
「グエンチャイ子どもの家」の料理責任者をしてくれていた
フオンさん(私は肝っ玉母さんと呼んでいた)がハノイから
「子どもの家」に遊びに来ていた。現在は定年退職し、
ハノイの親戚の家で悠々自適の生活をしているとのこと。
フオンさんに取っても「子どもの家」は人生を賭けて仕事をした
思い出の場所である。
18年の付き合いである。
午前11時半、講演会終了後、「子どもの家」労働組合室で
大極さんたちに足の皮膚炎の治療をしてもらう。
お灸を据えられる。熱くはない。色鉛筆で「つぼ」に色を
つけてくれる。家に帰って部屋でも出来るように。
大量の「お灸」をくれる。感謝。
腰痛で困っているのだは、腰痛の「つぼ」ものお灸を据える。
大極さん一行はバオミンさんの案内で昼食を摂りに。
「子どもの家」に残る。「子どもの家」には、常時、卒業生が
遊びに来ている。
今日は偶然、少数民族出身のとロン君が、遊びにきていた。
タン君は24歳になるが、未だに仕事が見つからず「子どもの家」に残留。
ハイ君は木造彫刻の研修。、ロン君は、仕事をして自立して生活をしている。
午後1時、宿舎へ帰る。
疲れたので、そのまま横になる。
午後4時目覚める。
お腹がすいたので1合のご飯を炊き、小さな「おにぎり」を4つ作り、
2つ食す。2つは、冷凍して、空腹時に食す予定。
三重県在住の方からのメールに返信。
ボランティアについての私論をまとめる。
2012年03月24日
ベトナム事務所員会議
午前6時20分 気温 22度 湿度 80%
午前11時 気温 21度 湿度 78%
今日は1日、非常に寒い。ダウンの上着を着た。
午前7時朝食。フエ名物「ブンボー・フエ」(牛肉米麺)
午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
久しぶりのベトナム事務所員会議。毎週、土曜日に来客・訪問者
などがあり、ベトナム事務所員会議が出来なかった。
毎日、元気にこどもたちの支援、jASSベトナム事務所の仕事、
日本語教育などに取り組んでいるベトナム事務所スタッフ。
皆さんの奮闘に感謝。
この間の各スタッフの活動報告
(ソン)地球の歩き方スタディーツアーの案内
今日から大極安子さんグループの出迎え
(後藤)ソン君と一緒に「子どもの家」案内。
赴任1ヶ月の感想:
・日本語教育には慣れた
・ベトナム事務所スタッフに温かく迎えてもらい
感謝している。
(原田) 静大工学部入試の準備
JASS函館の会の写真パネル作り
4月8日、「子どもの家」での「ソバうち大会」準備
日本語教師新採用の取り組み
(古賀) JASS日本語学校ー中級教育
ブライセン社員ー中級教育
フエ高等師範大学の教育
地球の歩き方スタディーツアーの手伝い
(フーン)ブライセン社員日本語教育ー中級
JASS日本語学校ー中級
フエ高等師範大学日本語学科ー2年生
ブライセン社員は、本社からの仕事が結構多く、
午後8時半過ぎまで残業をしたりしている。
そのため、疲労が溜まり、日本語授業に集中出来ない
傾向あり。
(フオン)JASS日本語学校『特進クラス』
静大入試のための復習
(アン) 地球の歩き方スタディーツアー4班案内
「フェリシモ」へ「シュシュ」170個納入
(ハン) 里親関連の資料作り等
大極安子さんツアーの訪問先の予約
(ミン) ピースインツアーとのいくつかの件で打ち合わせ
1月に札幌で行った「フエ投資説明会」に参加した
Iさんが4月6日から4月8日までフエに視察に来る
また、先日は上尾市での「投資説明会」に参加した
Sさんもフエの視察にこられた。
全員で3月27日から30日までの静岡大学工学部入試の
細かい意思統一を行う。
その後、私、バオミンさん、フーン先生、原田先生で
いくつかの問題について打ち合わせ
新日本語教師の採用を決める。
ボランティアについての私見をまとめる
読書「世界史 上」(ウイリアム・H・マクニール)
中国文明。
メソポタミア、インド、中国、ギリシャ文明は
お互いに影響をし合っていたことが分かる。
同時に草原の「騎馬民族」の絶対的な力の存在は
世界史に欠かせない部分である。
午前11時過ぎ、徒歩で宿舎へ。
午前11時半、昼食。ヤサイサラダ・魚・スープ
午後12時半から2時間ほど昼寝。
今日は朝から「腰痛」がひどい。椅子に座り、立ったら歩けないほど
腰がいたい。
昼寝後も横になっている。
石上先生が帰国。
2012年03月23日
石上先生送別会
午前6時半 気温25度 湿度 90%
午後12時 気温38度 湿度 50%
終日、真夏
午前7時朝食。「フォーガー」(鶏肉米麺)
午前中、たくさんのメール受信。返信。
バオミンさんといくつかの問題で打ち合わせ
午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
その後、2時間昼寝。
読書「世界史 上」(ウイリアム・H・マクニール)
午後5時45分、バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれた。
明日帰国する石上先生の送別会。
午後6時過ぎ、「家庭料理」のお店へ。
ベトナム事務所員全員が石上先生の送別会に参加。
始めにバオミンさんの開会の挨拶。
続いて私の乾杯の挨拶。石上先生の健康とベトナム事務所員の
健康を祈る。
石上先生を中心に乾杯
(後藤杖君は、ベトナム茶)
揚げ春巻き
豚肉のゆでたもの。発酵海老と唐辛子・ニンニクと一緒に食べる。
美味。
ベトナム事務所の3大美人。
左から「ミス・フェリシモ」OR 「ミスベトナム事務所」
中 「今晩は先生」
右「日本語能力試験超特級先生」
ソン君は既に2人目のお子さんの計画を立てているとの発言あり。
流石、ベトナム社会主義である。
資本主義国の無計画な行動を戒め、計画的にロスのない
人生設計を考えている。ソン君の意思か、それとも「女帝様」
の意見か?
ベトナム事務所の主になりつつある古賀先生。
すっかりとベトナム化してしまった。
ベトナム事務所に来て頂き、本当に助かっている。
右、ハン財政部長。ベトナム事務所の財政を握っている。
午後9時、石上先生の送別会を終了する。
「飲酒運転は絶対に許さない」とベトナム事務所スタッフに
厳命する。
バオミンさんのオートバイの後ろに乗せてもらい宿舎へ。
バオミンさんに感謝。
石上先生の人生の幸せを心より祈る。
原田先生と後藤杖先生
(後藤先生は、ベトナム茶)
2012年03月22日
「子どもの家」警備員VUIさん義母のお葬式
午後3時 気温34度 湿度 60% (真夏:暑い)
午前7時朝食。精進麺。今日は旧暦の3月1日。
フエでは、精進料理を食べる。
メール受信。送信。
午前9時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
ベトナム事務所でバオミンさんと合流し、タクシーで
「子どもの家」警備員VUIさんの義母(奥さんの母)
の葬式に参列。91歳。死因は老衰。
警備員のVUIさんは、海軍の軍人だったが、怪我をして
退職。「子どもの家」の警備員になった。
警備員さんとしては、最適な人。
「子どもの家」からは、セン委員長・ロック寮長・キムアンさんたちが
弔問に列席
ベトナム事務所を代表して私とバオミンさん
死者の親族は、「乞食」の格好をする。これは、ブッダが
乞食(こつじき)をしたことを模して、死者の死後、親族は
贅沢をしないで、質素に暮らすという態度を示している。
遺体は玄関の横にある部屋に安置。
花輪贈呈
「JASS と 子どもの家」の名前入り
亡くなった義母の方にお線香を上げる
バオミンさんもお線香を上げ、成仏を願う
遺体に念仏を唱える(ベトナム語だが、ナムアミダーと言っていた)
友人・知人がしばらくの間、死者を偲んで思い出話をする。
しばらくVUIさんと奥さん・娘さん・息子さんと懇談する。
午前11時過ぎ、宿舎に帰る。
気候は「真夏」である。
昼食を摂る。マカロニスープと生野菜
体がだるい。食後、2時間程昼寝。
洗濯。
数時間かけてボランティアについての私見を書く。
まだ3分の1程度。
午後3時から海外ボランティアについての私見を書く。
2012年03月21日
ベトナム事務所員アンさんの00回目の誕生日
午前6時半 気温 23度 湿度 90%
午後12時半 気温 37度 湿度 50%
本当に気温の変化が大きく、体がついていかない。
困ったものだ。朝から立っていられず、横になりたくなる。
午前7時朝食。肉団子入り「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉麺)
午前8時半過ぎ、宿舎を出て徒歩、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所前には、立派なオートバイが並んでいる。
ベトナム事務所スタッフ、ブライセンスタッフのオートバイ。
約20人の関係者の生活が「安定」していることを物語っている
ように思えた。私の5年ほど前に買ったぶっ壊れ「電動バイク」
よりも立派なオートバイに乗れるようになった関係者の皆さん
の仕事に感謝している。
午前9時、ベトナム事務所スタッフのANH(アン)さんの
誕生会。00歳になった。
古賀先生手作りの誕生ケーキをプレゼント。
古賀先生と後藤杖先生。
原田先生の司会で誕生会のセレモニーは進行する
00歳の誕生日を迎えたANHさん。「フェリシモ」など刺繍や
縫製関係の担当。
古賀先生「手作りケーキ」
ベトナム事務所スタッフからの寄せ書きを渡す
ケーキを作った古賀先生自らが皆さんの分のケーキを切る
ブライセン・ベトナム支社スタッフもアンさんの誕生会に招待
ブライセン・スタッフのチュン君(「子どもの家」の生徒会長だった)
ブライセンスタッフのホア君はJASSベトナム事務所員の席に
いたので、ブライセン全員写真には入らなかった。
JASSベトナム事務所スタッフの中にいるホア君(左から2人目)
JASSの在宅支援で育った。
昨日から元JASSベトナム事務所の日本語教師だった石上先生
がフエへ。今日の誕生会にも参加してくれた。感謝。(真ん中)
左からバオミンさん(JASSベトナム運営委員長)、後藤杖君(日本語教師)
ホアさん(ブライセンスタッフ・JASS在宅支援)
その後、石上先生と話しをする。
午前11時50分、昼食。春雨麺
2時間ほど昼寝。
その後、多数のメール受信。一つ一つに返信。
2012年03月20日
地球の歩き方4班夕食会
午前6時半 気温25度 湿度90%
午前11時 気温35度 湿度55%
1日の気温の変化が大きい。
午前中には真夏になる。
午前7時朝食。蟹団子のブン麺。大量の生野菜。
1時間仕事をすると疲れてしまい、横になる、という
状態。バオミンさんに聞いたらバオミンさんの
お母さんも同様の症状だと言う。
1月からの疲労と気候の変動期。
体調が気候についていけない。直ぐに疲れ、気分が
悪くなる。困ったものだ。ベトナム人でも同様の
症状になるようだ。何とか「気力を振り絞り」と思うが、
なかなか「体が」付いていかない。
午前中、長文の文章を書く。私の考えている
ボランティア論。カナダに留学しているJASS関係の
若者の修士論文の参考資料として。明日1日かけて
完成したい。
しばらく横になる。とにかく「体がだるい」。
今日は春のお彼岸の中日。昨年8月2日、99歳で
亡くなった亡母のお墓に卒塔婆を立てる。
お墓参りに行けずに申し訳なく思う。
フエに仕事もあり、致し方ない。
午前11時半、既に気候は真夏だ。
昼食、肉団子の「おじや」。ねぎ、玉ねぎ入り
午後2時間ほど昼寝。
その後、カビの生えたトイレの掃除。トイレのカビを徹底的に
排除する。ベトナムのカビは、金属に付く「黒かび」。
鉄のたわしで「ゴシゴシ」落とす。体中汗まみれになる。
「私のボランティア論」を書く。かなり長文になる可能性あり。
2時間ほど書き、1時間横になる。
午後6時過ぎ、徒歩で日本料理店へ。地球の歩き方4班の
夕食会。
午後6時半過ぎ、アンさんの案内で来店。
グエットさんの今日の料理の説明
東北大4年生の「団長さん」の発声で乾杯
なかなかの好青年と見た。
夕食会には、私、バオミンさん、アンさんも参加。
エントリーは「金平」。かなり味がきつい。
魚のフライ。2匹は私には多すぎる。
約2時間の交流夕食会後、日本料理店スタッフの自己紹介。
午後8時半過ぎ、閉会。全員で記念写真
2012年03月19日
ベトナム事務所打ち合わせ
午前7時半 気温28度 湿度80%
午後3時 気温35度 湿度50% (真夏)
午前7時朝食。フォー・ボー(牛肉米麺)
午前7時40分、徒歩でベトナム事務所へ。
午前8時、バオミンさん・原田先生・フーン先生の4人で
いくつかの問題を話し合う。
午前11時半、昼食。チャオバインカイン
午後2時間ほど昼寝。
読書「世界史 上」(ウイリアム・H・マクニール)
世界の文明史の出発は今で言えばイスラエル・パレスチナの
あたり。カナンの地。 →ユダヤ教の出発
その後、紀元前3000年頃にメソポタミア文明が栄え、
エジプト文明、インド文明にも影響を与えたと言う。
メソポタミアとイスラエル・パレスチナな目と鼻の先。
1月27日に上尾市で行った「フエ投資セミナー」に参加された
蓮田市のSさんが、先日フエを視察された。
今日は、2月1日に札幌で行った「投資セミナー」に参加された
札幌の方が、フエを視察されるとのメールが来る。
メールで打ち合わせ。4月6日~8日まで。
午後5時から1時間、散策。国立運動場付近の小型スーパーへ。
2012年03月18日
休日:必要な仕事
午前8時半 気温 28度 湿度 80%
午後3時半 気温 35度 湿度 50%
朝、起きられなかった。
午前8時半起床。
受信メールへの返信。
午前11時半、ブランチ。
昼寝。
午後3時半、徒歩で大型スーパーへ散歩。
往復1時間。ごみ袋を買う。
必要なメールを送信。
2012年03月17日
地球の歩き方4班講演会:北海道芸術高校夕食会
午前6時半 気温 22度 湿度 90%(曇り)
午前11時半 気温 30度 湿度 75%(真夏)
午前4時半目覚める。読書。
「世界史(上)」(ウイリアム・H・マクニール著:中公新社)
ある必要で改めて世界史の概観を勉強しなおす。
特にアングロ・サクソン系の人たちが、世界史をどのように
把握しているのか?
中東で起こった「唯一絶対の神」思想の源泉を知りたい。
午前5時、停電。
午前6時半、インターネットを繋ぐが、停電の影響で
インターネットが繋がらない。
午前7時朝食。フォー・ボー(牛肉の米麺)
ソン君に電話をし、インターネット会社に連絡してもらう。
午前8時半、インターネット会社のスタッフが来る。
接続をいじっていたが、「今度、切れたらこのソケットと
このソケットを入れ替えて接続し、しばらくしてまた
もとに戻して接続し直せば、接続できる」とのこと。
故障なのか? 何なのか分からない。
とりあえず、「光ファイバー」の接続はできた。
ADSLから最新の光ファイバーに替えたのが良くなかった
ようだ。まだ、光ファイバーを完全に管理する技術が
確立していない。
午前9時前、電動バイクで「子どもの家」へ。
土曜日が休みになった小学生。部屋で遊び、寛いでいる。
午前9時半~午前10時40分まで地球の歩き方4班の
皆さんに講演。
1時間10分のこ講演会後、こどもたちの歓迎会。
始めに「子どもの家」委員長のセンさんの歓迎の挨拶
地球の歩き方スタディーツアー4班の皆さん
こどもたちの歓迎の踊り(少数民族の踊り)
男子の歓迎の歌 「チョーク:白墨」
先生への感謝の歌。
女子の歓迎の踊り(平和の鳥・白鳥)
続いて地球の歩き方スタディーツアー4班の皆さんの出し物
午前11時過ぎ、交流会を終了。
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんは、バオミンさんと一緒に
昼食レストランへ。
私は電動バイクで宿舎へ。
午前11時半過ぎ、昼食。「春雨麺」
午後2時間ほど昼寝。
読書「世界史(上)」(ウイリアム・H・マクニール著:中公新社)
多数の受信メールあり。返信。
午後6時過ぎ、徒歩で日本料理店へ。
北海道芸術高校の皆さんと夕食会。ソン君も一緒。
午後9時、北海道芸術高校の皆さんとの夕食会終了。
今日は、他のお客さんと一緒のため、厨房のこどもたちなどの
紹介が出来なかった。
2012年03月16日
体調不良
午前6時半 気温 20度 湿度95%
午後1時 気温 33度 湿度50%
少しずつ「冬」が終わろうとしている。
長い長い「雨季」(昨年の10月から)が終わろうとしている。
雨季が終わると直ぐに毎日30度以上の「真夏」になる。
極端な気候である。
午前7時朝食。「チャオ・バイン・カイン」(チャッサバと小麦粉)
今日は体調が不良。とにかく体がだるく、仕事が出来ない。
バオミンさんと電話で打ち合わせ。
終日、横になっていた。
午前11時半昼食。マカロニ・スープ
気候の変動が大きい。疲労で抵抗力が落ちているようだ。
こうした時は、しっかりと食事をし、横になることだ。
今日は、珍しくスタディーツアーなどの仕事もない。
人と会う仕事もない。
熱を計ったが熱はない。
読書「資本主義以後の世界」(中谷巌著:徳間書店)読了
意見が違う部分が多いが、参考になる点も多々ある。
また、勉強になった部分の多い。
資本主義の発展の歴史。
アングロ・サクソンの宗教「唯一絶対の神 エホバ」
発生の歴史と今日の諸事情への影響・・・・。
次男から電話。スタディーツアーの件。
2012年03月15日
北海道芸術高校講演会
午前6時半 気温20度 湿度 85%
午後5時 気温29度 湿度 60%
午前6時起床。
このところ、常に体がだるい。横になってもだるく、
仕事や物を考えるのが時々嫌になる時がある。
時間があったら横になっている。
午前7時朝食。フォー・ガー(鶏肉の米麺)
今日午前9時半から午前10時半までの1時間、
北海道芸術高校の生徒さん・先生に講演をする。
北海道芸術高校の生徒さんに合わせた内容を
昨日から準備。再度、頭の中に入れる。
午前8時半、宿舎を電動バイクで出て、「子どもの家」へ。
午前9時、「子どもの家」着。
午前9時半からの講演会の前に「子どもの家」の
修理すべき場所を調査する。
この10年間、調律をしていなかったピアノ。いくつかの鍵が
うごかなくなっていた。ピアノの修理と調律が必要。
裏庭の遊具も10数年経っているので、鉄の部分がすり減り
壊れそうになっていた。修理の必要有。
厨房外の手洗場の下水の修理が必要。手や食器を洗った水は
そのまま下のバケツに落ち、床を通って、下水に入る。
手洗い場の全面的な改修が必要と見た。
土日休みの小学生が「子どもの家」の部屋で遊んでいた。
午前9時半になる。講演会が始まる時刻になったが、
北海道芸術高校の皆さんは2階の講演会場である音楽室に来ない。
午前10時になっても来ない。やっと来たが、こどもたちとの
交流会の出し物の練習をしたいとのこと。結局、私の講演会は
出来なかった。
残念な出来事であったが、致し方ないことと諦める。
午前11時、「子どもの家」を出る。
午前11時半、宿舎へ戻る。昼食。ご飯、サラダ、フライ魚、
スープ。
午後2時まで昼寝。
午後になって2週間ぶりに太陽が出る。
急いでフトンを干す。
青空を見ると気分が上昇する。太陽と精神活動とは関係がある
ように思われる。
20数通のメール受信。1通ずつ丁寧に読み、必要な返信。
2012年03月14日
バオミンさんと打ち合わせ:元「子どもの家」委員長アンさんのご母堂葬儀
午前6時 気温18度 湿度90%
午前7時朝食。蟹団子入りブン麺
午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。
ベトナム事務所では、事務所員が真面目に仕事をしている。
後藤先生
すっかりベトナム事務所になれた古賀先生 有力な戦力
日本語部のドンーフーン先生(日本語能力試験特級)
今晩は先生 フオン先生 いつも真面目に仕事をしている。
原田先生・ハン会計部長・ミンJASSベトナム委員長
いくつかの重要問題について意見交換
日本料理店の会議室では、ブライセンのスタッフが日本語の
勉強をしていた。
「子どもの家」の初代委員長のアンさんのご母堂がなくなる。
82歳。
「子どもの家」のスタッフと一緒に葬儀会場へ。
ベトナム事務所に「子どもの家」のセン委員長、ロック寮長、
キムアインスタッフ、タム医師などが結集。
JASSと「子どもの家」名入りの花輪を用意
花輪は日本円でも結構よい値段。
ロック寮長が花輪を持って葬儀会場へ
葬儀の喪主など親族は「白い鉢巻」をする。
白鉢巻が元「子どもの家」の委員長のアンさん。
一人ずつ弔問
セン「子どもの家」の委員長
ハンさん・バオミンさん・タム医師
1993年から1999年位まで一緒に「子どもの家」の運営を
行った。アン元「子どもの家」委員長。諸般の事情で、
「子どもの家」の委員長を解任される。
アンさんの母親は82歳。ベトナム戦争中はフエにいて
共産党員として、地下活動をしていたとのこと。
旦那さんは、ベトナム中部の徴兵担当の最高責任者。軍人。
共産党エリート家族。
午前11時半、葬儀場から宿舎へ帰り昼食。チャオ・バイン・カイン
食後、何故か疲労困憊。昼寝。
午後3時起床。必要なメール受信送信。
昨年10月のフエ洪水で宿舎1階が浸水した。
18年前からの「子どもの家」関連の資料などが浸水し
水浸しとなる。その後、忙しく、浸水した物品の整理が出来なかった。
今日の午後、思い切って全ての浸水物品の整理を行う。
使えるものと使えないものを分別する。
2012年03月13日
蓮田市斉藤さん終日フエ視察:地球の歩き方3班夕食会
小雨 寒い 午前6時半 気温17度 湿度95%
午前6時起床
熱めのシャワーを浴びる。足の薬の交換。
既に1ヶ月たっても治らない。困ったものだ。
午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン。茹で隠元豆
午前8時45分、バオミンさんとフエ視察の斉藤さんが
宿舎の近くに来てくれる。
一緒にフエ市人民委員会外務部長のニエンさんと会見。
2月にハノイ中央高官・フエ市共産党委員長・ニエン外務部長
が上尾市で「投資セミナー」を行った。斉藤さんはその「フエ投資
セミナー」で話を聞いて、昨日から今日の2日間でフエでの投資
状況などの視察に来た。
フエ投資セミナーの講師になったニエン外務部長と懇談。
フエ市の海外投資家受け入れ態勢の現状、フエ市人民委員会
としての海外投資家への基本姿勢など。
斉藤さんの方からは、具体的な2つの業種について、つっこんだ
質問があり、1時間ほど、ニエン外務部長の経験なども交えて
の懇談となる。
その後、フエ市にある大きな「投資会社」本社を訪問。
副社長がバオミンさんと同級生ということで、具体的な
税制問題、会社設立問題、土地・家屋賃借問題などを
話し合う。
午後12時過ぎ昼食。フエ市内にある「家庭料理」店。
午後1時過ぎ、昼食を終了し、私は宿舎へ帰る。
その後、昼寝。
午後3時過ぎ、受信メールを読み、返信。
1週間ほど前に受信したメールへの返信。
バオミンさんは、夕方フエ発のホーチミン市行きの
飛行機に乗る斉藤さんを見送りに。
午後6時過ぎ、宿舎を出て日本料理店へ。
午後6時半、地球の歩き方3班の皆さんと最後の夕食会。
私、ハンさん、アンさん、ソン君の4人が参加。
古賀先生の司会で晩餐会は始まる。
グエットさんのメニュー紹介
団長さんの音頭で「乾杯」
18歳未満の飲酒は厳しく規制した。
地球の歩き方3班の参加者全員と乾杯・挨拶
ソン君・ハンさん・アンさんと一緒に地球の歩き方の皆さんも
日本料理に「舌つづみ」を打つ。
午後8時半、日本料理店スタッフの自己紹介
最後に日本料理店前で全員で記念撮影
ソン君・アンさん・ハンさん・原田先生・古賀先生・後藤先生の
サポートで無事地球の歩き方の夕食会は終了。関係者に感謝。
2012年03月12日
上尾市「投資セミナー」参加者のS氏来訪
朝、小雨。終日寒い
午前7時朝食。フォー。
午前9時過ぎ、埼玉県蓮田市のS氏来訪。
バオミンさんがフエ空港まで出迎え。S氏は、
2月にバオミンさんやハノイ中央、フエ市などの幹部が
上尾市商工会議所主催で行った「フエ市投資セミナー」に参加。
フエ市への投資を考えフエへ来訪。
35歳。現在、蓮田市で日本料理店を経営している若手経営者。
JASSベトナム事務所へ。
レストランや美容室などを訪問
フエ市人民委員会所有のフォン河レストランを視察。
1ヶ月前に出来た新しい船上レストラン。
その他、いくつかのレストラン、美容院などを視察。
午後12時過ぎ、チャオバインカインの店へ。
午後2時半、天安山の中腹にあるレストランを視察
午後4時、JASS付属日本語学校視察。
ブライセン社員の授業。
先生は「フオン先生」(通称:今晩は先生)
新日本語教師の後藤先生の案内で大東文化大学の
2人の学生さんが日本語学校を参観に来ていた。
その後、「縫製研修センター」を視察
更に「子どもの家」を訪問。
セン委員長に挨拶。「子どもの家」施設、刺繍土産門店などを
視察。
午後6時、日本料理店で夕食。ラオスの「ラム酒」を飲んで
もらう。蓮田のお店で出したいとのこと。
午後9時半閉会。今日は、欧米系のお客さんが多数あり。
2012年03月11日
6月までのJASS基本計画案を考える
午前5時起床 気温17度。湿度95%。
ほぼ終日小雨。
午前7時、昨日料理のセンさんが作ってくれて冷蔵庫に
あった「チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)」を
熱湯で湯がき「そばつゆ」でうどんの「あつもり」にして
食べる。(半分)
メール受信。返信。
6月までのいくつかの問題について、大筋の方新案を
考える。
午前9時、徒歩で往復1時間の「トゥアン・タイン」スーパー
へ買い物。
昼食の食料品、体を洗う石鹸を買う。
午後1時、昼食時。フダビール2本。スーパーで買った
ベトナム風漬物、豚肉の塩コショウ造り。
午後3時まで昼寝。
読書「資本主義以後の世界ー日本は文明の転換を
主導できるのか」(徳間書店)
受信メールへの返信。札幌での投資セミナーに参加した方の
フエ訪問の打ち合わせ。
明日は、上尾で行った投資セミナーの参加者がフエを視察に
来る。
関係者と電話で話をする。
午後6時、朝食べた「小麦粉の手打ちうどん」(半分)を食す。
YOU TUBE で 古今亭志ん朝の「居残り佐平次」と
先代桂文楽の「明烏(あけがらす)」を聴く。
久しぶりで桂文楽の出囃子「野崎」を聞く。私の好きな廓話。
2012年03月10日
地球の歩き方3班講演会
終日雨 午前6時半 気温22度 湿度90%
昨夜、午前1時に目が覚めてしまう。数時間のみの睡眠。
最近、睡眠時間が短く、目が覚めることが多い。
年齢的なものか?
午前1時からNHKラジオを聴く。天地真理とアグネスチャンの
歌を1時間ほど放送。1970年代の歌だった。丁度、私が教員に
なったころであり、長男・次男が生まれた1974年・75年頃の
生活と家庭状況が頭に浮かんで来た。
天地真理の歌声を当時、「少し変だな?」と思いながら聞いて
いたが、最初から最後まで「裏声」で歌っていたことを知った。
「なるほど」と得心する。
午前6時起床。
シャワーを浴びる。足の「おでき」は、大分良くなって
きているが、既に1ヶ月も治らないままである。
バオミンさんたちと大阪に行った頃から始まった。
飲み薬と塗り薬を忍耐強くつけているが・・・・。
医師の話では、フエの風土病か体力が低下し、抵抗力が
なくなっているか? とのこと。何とか早く治って欲しい。
午前7時朝食。かに入りのブン麺と多量の生野菜
読書「資本主義以後の世界ー日本は文明の転換を
主導できるのか」(徳間書店)
本書は成田空港の本屋「改造社書店」で買う。
店員に「改造社って戦前、政府に弾圧された出版社ですか?」
と聞いてみた。店員の答えは「そうです。しかし、改造社は
出版は止めて、現在は本屋(販売)だけをしている」とのこと。
午前9時、雨の中、雨合羽を着て電動バイクで「子どもの家」へ。
今日は土曜日。小学校は土日は休み。小学生のこどもたちは
部屋で遊んでいた。
静岡大学工学部ニフィーの入試に落ち、
7月のフエ医科大学入試のために勉強している
ホン・ニンーさん。高校の先輩でフエ医科大生が
付きっ切りで理系入試の準備の指導してくれていた。
「楽しみながら」入試勉強ができるもの幸せなこと
「子どもの家」の2階音楽室には、地球の歩き方2班の
皆さんが残して行った「記念の張り紙」が貼ってあった。
「愛 PHONE」とは、よく考えたものだ。
午前9時半、地球の歩き方3班の皆さんに1時間15分ほど
話をする。
歓迎会場で。最近「覇気」がなくなった男子。「頑張れ男子」
最近は「小粒な男子」が多い中で、久々に「曲者(くせもの)」の
男子あり。既に「数々の問題を起こしている。武勇伝多数あり。
この種の男子がいなくなった。
人間は勝手なものだ。リー君のような「問題製造人間」に
悪戦苦闘したのに、そうした「悪臭プンプン」の男子がいなくなると
なんとなく寂しくなってしまう。
女子は勉強も良くするし、真面目。
「子どもの家」希望の星(?)のT君。
最近は多少、精彩を欠いている感は否めないが、
頑張って欲しい。
歓迎の「少数民族」の踊り
どの子も「真面目」な男子
男子の歓迎の歌(寒いので厚着をしている)
再度、女子の踊り「平和の鳩」
最後に地球の歩き方スタディーツアーの皆さんの出し物
(幸せなら手を叩こうー世界に一つだけの花)を歌う
4歳で「子どもの家」へ入所して来たTさん。その後、紆余曲折な
人生を「子どもの家」で過ごす。今はフエ高等師範大学
で幼稚園の先生になるために勉強をしている。
<
私が抱っこしている4歳のTさん
今日の「子どもの家」の昼食はインスタントラーメン
インスタントラーメンとチャーハンという「超高カロリー」の組み合わせ
1993年10月に作った「チーラン通り子どもの家」に
5歳で入所した少数民族のT君。現在24歳。
いくつも職業訓練に行ったがどれも数ヶ月でやめてしまう。
現在、3食昼寝付きという「優雅な生活」を堪能している。
午後11時20分、「子どもの家」を出て、電動バイクで宿舎へ。
昼食は「マカロニスープ」
午後12時半から昼寝。
午後4時まで熟睡してしまう。睡眠時間がかなり狂って来ている。
1月5日からゆっくりと受信メールを読んで返信できるようになった
のは、今日から。
多数のメールを読み、必要な返信を多数行う。
午後8時過ぎまで。
フダ缶ビール2缶。
静岡県袋井市の銘酒(私が決めた)『国香』(雁の粋)を
飲む。
私が今まで飲んで個人的に一番の好みはこの「国香」だ。
純米大吟醸。他の高価な純米大吟醸を飲むと、美味しいのだが
飲んだ後、「舌」に甘ったるい香りと味がしばらく残る。
「国香」は、飲んだ後、「さっらっと」して、舌に何も残らない。
『仮に』舌に香りと味が残る純米大吟醸を「田舎のゴテゴテ吟醸」と
すると「国香」はあっさりと、あるかないかも分からないような
さらっとした純米大吟醸。
こればかりは、いくら口で言っても分からない。
飲んで見るしかない。「国香(こっこう」は、静岡県袋井市山田
537番地外3筆「国香酒造株式会社」
今飲んでいる「国香」は、静岡市役所国際課の近藤さんから
頂いたものである。近藤さんに深謝。
本当は、国香を本塩で飲みたいのだが、高血圧なので・・・・・。
「キーホールTV」で日本のTVを見る。どのチャンネルも
「東日本大震災3・11特集」ばかり。私は寄席番組を見たくなった。
明日も同様の番組が席巻するのだろう。
日本のマスコミは、福島原発事故が起こった時、「直ちに影響ない」
式の研究者、学者のオンパレードだった。これは、当時の官房長官の
「直ちに影響ない」に符合した、政府・権力迎合マスコミの真骨頂を
見事に表現したものではある。
3・11の特集を組むのであれば、政府・東電・研究者の
責任を精査し、厳しく個人責任を追及することこそ、3・11の
1周年を迎えるに当ってのジャーナリズムの責任である。
同時に日本のマスコミが、原発事故当初から一貫して
「原子力村の研究者」や「原子力安全神話」に乗ったコメンテーター
しか出演させなかったことへの真摯な反省の上に3・11特集を
すべきなのだが、彼らの誰一人こうした真摯な反省がないまま
政府への追従番組を垂れ流している。(厳しい評価だではあるが・・)
あれだけの原発事故があっても誰一人「起訴」も「逮捕」もされて
いないわが国である。経産省の西山審議官だけが、カツラ問題
ではなく、経産省で性的な実行行為をしたとの理由で左遷された
だけ。それ以外の政府・行政・東電の誰も起訴も訴追もされていない
不思議な国でわが日本である。
小澤一郎を逮捕する日本の権力機関であるのだが・・・・
原発処理の議事録もない、誰が責任者か未だに何も
はっきりしないまま、原発問題は不問に付されている。
私の大好きだった関西の「人生幸朗・生恵幸子」の漫才では
ないが「責任者出て来い」。
責任者の追及もなく、お涙頂だい式の「可愛そうな・・・・」の
ワンパターンの報道に辟易している。
などと書いているうちに、段々メーターが上がってきた。
国香飲酒頻度が煩雑になる。
2012年03月09日
ベトナム中部小児ガン会議参加
急に気温が下がる。
昨日は、34度だったそうだ。今日は20度。急に14度下がる。
寒い。雨
久しぶりに宿舎に帰る。何となく精神的に落ち着く。
18年住んでいるフエである。雨でも寒くても「故郷」の一つと
なっている。
午前7時朝食。食事のセンさんが朝食を作ってくれる。
「フォー・ボー」(牛肉米麺)
午前8時半、傘を差して徒歩でベトナム事務所へ。
ベトナム事務所の皆さんに挨拶。「こんばんは・・・」
日本から持ってきたお金を財政担当のハンさん、
ベトナム運営委員長のバオミンさんに渡す。
私は日本で預かったお金は全額ハンさん、バオミンさんに
直接渡し、寄金を頂いた方へ直接ハンさんからお礼状と
領収書を送るようにしている。
静岡大学工学部留学の1期生と3期生の3人が
帰省中。ベトナム事務所へ挨拶に来た。
1期生のDさんは、工学部物質工学科。4月から4年生になる。
3期生の二人は、昨年10月初旬に「マブチ奨学金」試験を
受けるためにマブチモーター本社へ連れて行き、現在、
静岡大工学部で日本語の勉強中。4月から日本の学生と
一緒に1年生として授業を受ける。
こうした形で日越友好のために活動するのも
海外NGOとしての役割りだと思っている。
外交は外務省の専決・専門事項ではない。民間の
できる外交もある。それは、人間を育てることである。
静大留学生との懇談終了後、バオミンさんに連れて行って
もらい「眼鏡屋」へ。老眼鏡を作る。今の老眼鏡が弱くなり
本が読みにくくなった。新しい老眼鏡を作る。3000円程度。
午前11時半、昼食。魚いりのおじや。
午後1時45分、バオミンさんと待ち合わせをし、フエ中央病院へ。
今日は、ベトナム中部の小児ガンの会議。
ACCLの渡辺和代さんが、主催しているフエ中央病院での
白血病のこどもたちの支援活動の集大成。
初めに文芸。女性の歌。
フエ中央病院の白血病のこどもの歌。上手に歌っている。
ベトナム中部の小児白血病の専門医、日本からも日大板橋病院
の先生を始め何人かの医師が参加。
ベトナム側は、ベトナム小児白血病会の会長などが参加。
ACCL代表の渡辺和代さんが、流暢な英語で挨拶。
午後4時。バオミンさん・原田先生・フーン先生と懇談・打ち合わせ。
午後5時、大東文化大学の学生さん(2月18日現地報告会の
司会をしてくれた学生さん)が訪ねてくる。
1週間程のフエ滞在中の研修日程を一緒に考える。
「子どもの家」訪問など・・・・・・。
ベトナム帰国初日。朝から夕方まで日程が満杯に詰まっていた。
ベトナム事務所のスタッフの皆さんがしっかり仕事をしてくれている。
有難いことである。
2012年03月08日
ホーチミン →フエ
ホーチミン市内は気温32度
昨夜、携帯電話のアラームを午前6時に設定し、睡眠。
ところが、何を間違ったか午前3時にアラームが鳴って
しまい、目が覚める。それから眠れず、結局、4時間しか
寝ないままウトウトし、午前6時になる。
入浴し、気分を転換しようとバスタブにお湯を入れようと
したが、お湯が出ない。
フロントへ電話。係員が来る。何か操作し、「お湯が出ます」
という。しかし、お湯は出ない。何も直っていない。
係員に「お湯は出ない」というが、そのまま、帰ってしまう。
仕方がないので再度、フロントへ電話。お湯が出ないと。
違う係りの人が来る。お湯が出ないことを確認する。
係りの人は「どうしますか?」と私に聞く。
どうするかは、ホテル側が決めること。しかし、誰も
責任を持っていない社会である。
仕方がないので私が「どこか空いた部屋のバスタブを使う」
と言う。しばらく待たされ、1階下の空いている部屋の
バスタブで入浴。
午前10時50分ホーチミン →午後12時10分フエ着の
飛行機でフエへ帰る予定。
午前7時半にホテルで軽く朝食。
午前8時半、ホテルからタクシーでホーチミン空港へ。
ホーチミン空港着午前9時。
チェックインカウンターで「フエ行きは1時間半遅れます」
とのこと。仕方がないと諦める。
結局、午前10時50分発の飛行機は、午後1時半に
出発した。フエ着、午後3時。
フエ市人民委員会の車が迎えに来てくれていた。
午後3時半、宿舎着。
バオミンさんに電話。いくつかの打ち合わせ。
光ファイバーが繋がらない。
ソン君とコンピュータの修理人が宿舎へ来る。
「これは、パソコンの故障ではなく、光ファイバー
の会社に問題がある」とのこと。
ソン君が会社に電話をしてくれる。
30分ほど待つ。2人の技術者が来て、電柱にある光ファイバー
の接続をチェックし、故障を直す。
3月7日・8日の火炎樹日記を書く。
今回の帰国は、国際ソロプチミスト東京ー東創立40周年記念式典へ
の参加のため。
1月から2月にかけて2組のベトナム人の日本案内をした。
一組は6人のベトナム人。東京ー上尾 →箱根 →函館。
もう一組はバオミンさん、ハンさん、ニエムさん、ソン君、グエットさん。
大阪 →京都 →東京 →ホーチミン市 →フエ。
3組目はブライセン本社6人、ベトナム支社の職員交流。
フエ →ホイアン →ダナン。そして、一緒に東京へ帰る。
1月5日から今日まで本当に忙しかった。
フエの宿舎に帰り、ホットする。
早速明日からたくさんの仕事が待っている。
3がつから4月一杯は、スタディーツアーなどたくさんの
仕事がある。もう一息、頑張る。
2012年03月07日
ソウル→インチョン空港→ホーチミン空港→市内ホテルへ
ソウルは快晴
昨日よりかなり暖かくなる。
午前10時まで寝ている。睡眠薬のせいだと推測する。
午前10時から入浴。左足の薬を張り替える。3種類の
塗り薬を塗り、がーザで止める。
昨夜の残りの「手巻きすし」を3つほど食べ、心臓薬、皮膚病薬を
飲む。両方とも睡眠薬が入っている。
薬局に「薬手帳」を出し、問題がないかは確認している。
正午前、ホテルをチェックアウト。インターネット代、3000円。
ホテルに荷物を預け、明洞の喫茶店でインターネット。
バオミンさんなどにメールの返信。この数日書いた
不十分な火炎樹日記に追加をする。
途中でトイレに行く。「大きい方」の用を足したのだが、
張り紙に「大きい方で使ったは紙は、前の箱に入れるよう」
書かれてる。驚き。本当に韓国の人も入れているのか
前の箱を見たが、確かに入っている。水圧が低いとの
こと。
喫茶店で2時間程、インターネットを使い、火炎樹日記
やメールの返信などを行う。
2日間、ソウルの中心街で過ごした。東京とほとんど
変わらない風景と韓国人の服装・・・・。
同時に東京と変わらない「路上の人たち」もたくさんいた。
特に地下鉄の歩道には、段ボール箱の中に入ったり上で
寝ているホームレスの人たちがたくさんいた。
路上には、おばあさんが「分厚いコード」に身をくるんで
座っていた。気温3度から6度。私は寒くて仕方が
なかった。
こんな寒い中でも路上にねている人々に「無関心」
な表情で「着飾り」「おしゃれ」をしたソウルっ子たちが
歩いていた。この点も東京と同じ光景である。
経済発展は同時にこのような異常な格差を生むのだ。
私は路上の人たちに何もできないで2日間を過ごした。
貧富の格差は資本主義の本質なのか?
仕方のない現象なのか?
先日、日本共産党の元議長 不破哲三氏の本を読んだが、
中国社会主義は、社会主義の初歩の初歩が始まった
ばかり。本当の社会主義になるまでには、100年かかると
言っていた。
ベトナム社会主義も同様なのだろうが、100年かかる
社会主義だから、貧富の格差は是認されるものともとれる
不破哲三氏の論述に強い違和感を感じた。
自分は神奈川に別荘を持ち、何人かの秘書を使い使いながら
マルクスやレーニンの研究をしているとのことだが、研究の
前に貧富の格差の現実的な解決策を提案すべきだ。
100年後の社会主義の完成を待つなどという論述は、
路上生活者を直視すれば、吹っ飛んでじまう、世迷言。
午後2時半、ホテルを出てタクシーで「インチョン空港」へ。
約1時間。
インチョン飛行場でチェックイン。それから3時間程待つ。
読書「資本主義以後の世界:中谷巌著:徳間書店)
中谷は、小泉首相時代は、新自由主義の急先鋒だったが、
その後、新自由主義を推進したことを「自己批判」する。
2008年に著書『資本主義はなぜ自壊したのか』
で新自由主義や市場原理主義との決別を表明し、
その立場を一転させた。
中谷流の資本主義成立の歴史などを記述している。
特に欧米の植民地主義・侵略主義を厳しく批判している。
が、欧米を切ったその「刀」で日本人の「自虐史観」なるもの
も切っている。
午後7時インチョン発の大韓航空機でホーチミン市へ。
ホーチミン市着午後10時30分(韓国・日本時間午前0時30分)
ホーチミン飛行場で入国の手続き。タクシーで空港付近のいつも泊まる
ホテルへ。午後11時過ぎ。(韓国時間午前1時)
2012年03月06日
ソウル・明洞滞在2日目
雨。寒い。
午前8時起床。(12時間連続睡眠)
午前9時、再度昨夜の安定食屋へ。
朝から世間の皆さんには申し訳ないのだが、ビールを飲む。
なじみになった店主。
言葉は通じないが、色々とサービスしてくれる。おつまみ類を
サービスで出してくれる。
朝食と昼食の間の時間だったのでお客はいない。
1000円位だったが、1万ウオン2枚支払う(1400円)
雨の中、ホテルの部屋へ戻る。午前11時。
そのまま寝る。気づくと午後5時。
2時間程日記やメールを書く。
午後7時過ぎ、。明洞のセブンイレブンへ。
缶ビール2本とアーモンドを買い、ホテルので部屋で
簡単な夕食。
午後9時就寝。
足の「腫れもの」(ウイルス性)の薬を飲んでいるが
催眠性が強く、常時頭がボーッとして眠い。
明日は、夕方インチョンを発ってホーチミン市へ、1泊。
2012年03月05日
成田→インチョン(ソウル)
成田空港付近のビジネスホテルから送迎バスで
成田空港第1ターミナルへ。
昼過ぎのKE(大韓航空)機でインチョンへ。2時間半。
インチョンの気温6度。
インチョン空港からタクシーで1時間。ソウル市の中心街
明洞(ミョンドン)のホテルへ。
ホテルで1時間程休憩し、夕方、明洞の安定食屋へ。
韓国ビールの大瓶1本とキムチチゲ。
以前来た店なので顔を知っていてくれた。席についたら直ぐに
ビールをだしてくれた。韓国料理の好きなところは、食事をする
と言えば、何種類もの野菜などのキムチ、ノリ、小魚、卵焼き
などを小皿で出してくれる。これをおつまみにビールを飲む。
〆に「キムチチゲ」
全て込みで700円。安く、美味しい。
午後8時にホテルへ戻り、眠くなる。
午後8時から午前8時まで熟睡。12時間寝る。
2012年03月04日
国際ソロプチミアスト東京ー東設立40周年記念式典
小雨 寒い
午前8時過ぎ自宅を出て、神保町経由永田町下車。
赤坂見付け交差点から弁慶橋を渡り、ホテルニューオータニへ。
今日は、国際ソロプチミスト東京ー東(あずま)創立40周年
記念式典に招待されている。
日程的には参加は難しかったが、15年前から御支援を
頂いている。何とか無理をしても参加をと思い、2日間の
日本滞在という日程で参加。
午前10時半、40周年式典開会
式典のしおり
600人以上の参列者あり
壇上の執行部の皆さん
国際ソロプチミスト東京ー東会長の一色典子さん
一色典子会長挨拶
原稿を読まず、簡素だが的確な挨拶をしていた。
ゴテゴテしない「シンプル」な挨拶。好感が持てた。
こうした所に挨拶をする人間の「品性」がでるものだ。
今までたくさんのこの種の式典に出ているが、大概は
書いたものを飲むという「無味乾燥」なものだったが、
一色さんの挨拶は、言葉に心がこもっていた。
高円宮夫人久子さんのことば
駐米大使夫人 スーザン・ルースさんの祝辞
正午に記念式典終了
その後、祝宴
祝宴の乾杯はJICA理事長の緒方貞子さん
(今月で退任とのこと)
かなりのお年と見受けられるが、なかなか気丈な挨拶をされた。
JACAに行って理事長として活動したが、JICAは「お役人根性」
が抜けず、親方日の丸だと、自らの組織を厳しく自己反省する
姿勢の中に「反骨精神」を持った父親の緒方竹虎のDNAを
見た思いがする。緒方貞子でも打ち破れなかった「大官僚組織」
JICA。真面目に現場で活動している人たちもいるのだが、
組織となると、官僚主義が前面にでて、無駄な支援をしている。
緒方貞子の「事実は事実として直視する」科学的な視点・思考法を
学びたいものである。
祝舞 寿:玉手箱
演奏・囃子 吉住会 ソロプチミスト東京ー東の会員吉住さん
一門
立方 花柳 巌他
演奏はソロプチミスト東京ー東会員の吉住さん
(「子どもの家」でも素晴らしい三味線演奏をして頂いた。
吉住流家元夫人)
会食。丁度、私の会食席の前が緒方貞子さん、高円宮夫人。
高円宮夫人は、なかなか「ざっくばらん」な性格のようだ。
こうした会合に何回も出席し、笑顔を振りまくのも疲れることだ
ろうと思った。
午後3時過ぎ、閉会
閉宴の挨拶 植松慶子さん
今日の式典には、従兄弟の奥さんである長島和子さんも
参加していた。千葉ソロプチミスト代表として
今日の「国際ソロプチミスト創立40周年記念式典」を
総括すると一言でいえば「シンプル」。
式典がごたごたとごった煮の多い中で実に「シンプル」
で短いものだった。
その後の祝宴も 「長唄」と「木遣り」を入れる。
両方とも「真似ごと」でない本当の一流の演者のもの。
質が高いものを短時間「あっさり」と何気なく見せるところに
東京ー東の皆さんの心気が窺えた。
おおおにしてこの種の式典は、
①挨拶が多く、 ②内容がない形式主義に陥り、
③お客ではなく主催者が中心の式典
になるものが多い。ごたごたと「ごった煮」のような
「田舎くさい」「大型葬式饅頭」を食べさせされるような
式典の多い中で、東京ー東の式典は「垢ぬけた」
式典「粋な式典」と評価しても過言ではいと思った。
その後、ソロプチミストの方とホテルニューオータニ内の
喫茶室でお茶を飲み、支援の話などをする。
午後5時帰宅。急いで、フエ帰国の荷物整理。
午後7時過ぎ、前泊のため、成田付近のビズネスホテルへ。
2012年03月03日
早朝、成田空港着。心臓病院通院・・・
午前7時40分、成田着。
成田空港は6度。ダナン市は30度。
日本は寒い。
藤木社長と友人のIT社長長谷川氏を乗せて
藤木社長の奥さんの運転で新宿まで送って
頂く。
午前9時過ぎ、新宿、NSビル前で降ろしてもらう。
その後、新宿NSビル内の心臓病院へ。
更に心臓病院に聞き、近くの「皮膚科病院」を
紹介してもらう。2週間程前から左足くるぶし
付近の皮膚が自然に剝けてしまい、そのうち
化膿してくる。発疹が次から次へと出て、
膿んでくるという事態が続いた。
NSビルから徒歩で20分にある皮膚科専門病院へ。
スーツケースと背中にリュックを背負っていの
病院探しは相当体力を消耗した。
しばらく待ち、診察。先日もベトナムから帰って
来た人で同様の症状を呈した患者がいた。
もしかしたら「風土病」から知れない。
しばらくいくつかの薬を使い「原因」を特定し、
投薬をしたいとの医師の意見だった。
しかし、私は明後日の朝には、成田を発ち
帰国の途につくと医師に話す。
それでは、「一発勝負」で原因を推定し、
投薬、治療をしましょう、ということになった。
数種類の飲む薬、2種類の塗り薬を頂く。
この2週間、左足のくるぶし付近が何度も
膿んでいまい、なおらない。
医師は抵抗力の低下もあると言っていた。
新宿のビック・カメラへ。
パソコンの電源を確保するコードが壊れてしまった。
代替コードを買う。4000円。
これで火炎樹日記やメールを書くことができる。
午後3時過ぎ、自宅へ帰る。とにかく疲れた。
直ぐに風呂を沸かし、ゆっくりと入浴。
その後、パソコンの調子をみる。
火炎樹日記を書く。
寒い。明日は、午前10時からホテルニューオータニ
で国際ソロプチミスト東京ー東創立40周年記念式典に
参加する。そのための「たった1日」の帰国。
2012年03月02日
ブライセンベトナム支社社員研修旅行最終日
午前6時起床。
パソコン不調。
午前8時、バオミンさんと今後のベトナム事務所運営などの
相談も兼ねて朝食。
ホテルの部屋の前には、ラグーンがある。
ホテル玄関前
午前10時からホイアン市内の参観
現地のガイドさんの案内・バオミンさんの通訳
「日本橋」(本当に日本人が作ったのかは疑問)
昼食後、ダナンへ。市内の各所を参観。IT関係に
連なる施設等を参観
午後5時、ダナン空港へ。最近、ダナン空港が新築された。
以前の空港施設の数倍ある新しい施設である。
早速2階の出発ロビーに行こうとエレベーターに乗ったが、
エレベーターが途中で急停止。しばらく、エレベーター内に
閉じ込められる。
既に何度かエレベーターガが泊まっている「前科」があるようだ。
大金を使って立派そうな施設を作っても残念ながらまだ十分
使いこなせない現実がある。エレベーター内(18人定員)に
お客を閉じ込めてしまい、結局、当局の人が来て「鍵」
で何とかドアを開けるという醜態をさらしたダナン空港であった。
閉じ込められたエレベーター内で心配しているのか?
楽しんでいるのか?バオミンさんと藤木社長
午後5時半。ダナン空港出発ロビーでお別れの挨拶をする
ブライセンベトナム支社員(7人)とバオミンさん
午後7時半、ダナン空港を出発し、午後9時過ぎホーチミン空港着
ホーチミン空港で3時間程待機し、3月4日、午前0:05に
ホーチミン空港を出発。ブライセン本社6人、小山。