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2012年04月30日

メンさん祖母葬儀参列:37回目の「解放」記念日

午前7時半 気温32度 湿度70%


今日はベトナム南部「解放」37年記念日・祝日
明日の「メーデー」も国民の祝日

ーーー


午前7時朝食。フォー・ボー(牛肉米麺)


1月に足に出た赤い湿疹。1ヶ月間ほどかかって何とか完治
した。しかし、その後、体中に次から次へと赤い発疹が出る。
薬を塗るーしばらくして収まる の繰り返し。抵抗力が落ちてきて
いることは明らか。赤い発疹と塗り薬の「いたちごっこ・ねずみ
ごっこ」の世界だ。
目の充血とかゆみも取れない。目薬とのいたちごっこ・ねずみ
ごっこ。


午前10時、バオミンさんと一緒にタクシーで「子どもの家」の
THUYさんと卒業生の姉のMENさん(ベトナム事務所SON君の
奥さん)の姉妹の祖母(88歳)の葬儀に行く。

車で40分。フエの海の近くの典型的な農村へ。

私は「子どもの家」のこどもたちに関する冠婚葬祭には、
100%必ず参加している。これは、こどもたちと縁があって
何かのつながりもあると思い、参加させてもらっているので
ある。私が「子どもの家」のこどもたちの冠婚葬祭に参加しない
ということは、異例中の異例である。


JASS名の花輪とバオミンさん運営委員長

JASSからの弔意の花輪


葬儀には、メンさん・トゥオイさん姉妹の兄の「グエンさん」も
参加。グエンさんも「子どもの家」の卒業生だ。

グエンさんとメンさん、トゥオイさんは、1995年に「子どもの家」
に入所。両親が、漁船の転覆で亡くなり、育てる人がいなく
「子どもの家」へ入所。グエンさんはその後成人し、退所。現在は
5歳、3歳、1歳半のお子さんのお父さんであり、7ヶ月のお子さんを
奥さんが妊娠中である。近日中に4人のお子さんの父親になる。

私がフエに来て「子どもの家」を作った第一期生が、グエンさん・
メンさん・トゥオイさんの兄弟である。現在はトウオイさんだけが
「子どもの家」に残っている。現在フエ師範大学化学学科4年生。
この秋には、高校の先生になる予定。

JASSはこの19年、「子どもの家」のこどもたち一人一人の
事情に合わせて、こどもたちのために活動をしてきている。


私たちのフエでの活動の意味は、この3兄弟に典型的に
現れている。JASS「子どもの家」がなかったら、この3兄弟は
どうなっていちゃのか?を考えてします。

グエン君は、近々に4人のお子さんの父親となり、建築業で
生計を立てている。

メンさんは、「子どもの家」のソン君と結婚し、フエ市人民委員会
外務部員(公務員)となり、活躍している。
妹のトゥーイさんは、ベトナム中部の最難関大学フエ師範大学
の化学科を近日中に卒業し、高校の化学に先生になる。

こうして、JASSのフエでの活動の本当の目的である
「こどもたちの自立」が進んでいる。それには、時間と、頭が
必要である。こどもたちの先々のことをしっかりと考える能力が
求められる。目先のことで行動していては、こうした結果を生むこと
は出来ない。こどもたちを育てるということは、こどもたちへの「愛情」と
「厳しさ」が必要なのである。こどもたちへの「甘やかし」は、
表面的には簡単に出来るが、こどもたちに一番愛情を持っていない
ことである、こどもたちへの「厳しさ」も同時に愛情なのだ
ということをフエ滞在・「子どもの家」運営19年で体得した。


気温40度を越す猛暑の中である。親戚などがたくさん集って
いる。


赤い鉢巻は、亡くなった祖母(88歳)の「内戚」、黄色の鉢巻は
「外戚」の孫。

メンさんの里親だった東京の内田征子さんからも弔意の花輪が
送られてきいた。20年近く支援したメンさんの祖母がなくってっも
メンさんを自分の子どものように思い、花輪を送る内田さんの
気持ちこそ、支援の本道である。私も含めて、「子どもの家」
のこどもたちには、本当の意味での愛情と将来の幸せに
繋がる施策を行いたいと思っている。


88歳で亡くなった「子どもの家」兄弟の祖母に弔意を示す。


フエの純農村の葬儀には、胡弓とリードつきの管楽器、太鼓、
銅鑼(どら)で音楽を演奏し、死者の旅立ちを弔う。


バオミンさんも弔意を示す


ソン君・メンさん夫妻

88歳で亡くなったメンさんの祖母。
10人の子ども。
50人の孫。
20人のひ孫。
8人の玄孫(やしゃご)

素晴らしい人生であった。
この祖母一人で88人の子孫を残しているのだ。

黄色い帽子のようなものを被っている子どもたちは、
外戚の玄孫(やしゃご)

集ったたくさんの親戚のための食事(私たちは食事を摂らず帰る)


ソン・メンさんの長男(バオ君)。11ヶ月。10キロになっていた。
成長が早い。



メンさんと長男のバオ君。


亡くなった祖母の長男(70歳)。ということは、祖母は
18歳で長男を産んだことになる。


メン姉妹


メン一族長男の家は、純農村地帯の真ん中にあった。


午後12時過ぎ、バオミンさんと二人でタクシーで帰る。

今日は暑くて昼食を摂らず。

帰宅後、夕方まで休む。

その後、いくつかの問題の解決策を考える。


投稿者 koyama : 09:36 | コメント (0)

2012年04月29日

終日、宿舎で仕事

多数の受信メールへの返信。

SKYPEで支援者と話し合い。


投稿者 koyama : 23:48 | コメント (0)

2012年04月28日

終日、宿舎で仕事

午前6時  気温30度 湿度80%
1日中、真夏。猛暑。

午前7時、朝食。
チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)相当唐辛子が強い


午前中、メール受信・送信。

いくつかの問題について、考える。

ウエイト・トレーニング。

ブライセン関連の日本語教育等について考えをまとめる。

午前11時半昼食。豚肉団子入り「おじや」



2時間ほど昼寝。

読書「世界史(下)ウイリアムHマクニール(中公新社)

この1ヶ月、食事をしながら30分ほど、世界史の上・下を
読む。

人類の歴史を世界史的規模で見ると、日本人・日本というものを
客観的に見ることが出来る。
私たちが中学・高校等で学んだ日本史を再度見つめ直し機会とも
なった。
徳川時代の「鎖国令」「禁教令」の意味は、世界史的な視点で見て
初めて、分かるように思った。
徳川幕府の賢明な策だといえる。ユーラシア大陸は、人種同士の
侵略と被侵略、更にキリスト教、イスラム教の世界進出と地元の
宗教(ヒンズー教、仏教・・・・)の相克などを見ると、1639年の
鎖国令は正しかったように思える。キリスト教がそのまま入って
来たら、今日の日本と日本人の精神構造も大きく変わっていた
ように思う。
アジア(含む中国)諸国は、キリスト教とイスラム教の
進出によって、民族精神そのものも変わってきている。
良い変わるかは別として。


午後3時半。暑い中、1時間ほどウオーキング。

洗濯。

5月から8月までのベトナム事務所関係の日程、仕事を整理する。

投稿者 koyama : 19:27 | コメント (0)

2012年04月27日

終日ブライセン関連の書類作り

午前6時 気温28度  湿度80%

今日は、1日、大変忙しかった。

午前7時朝食。ブンボー(牛肉米麺)

午前中、ブライセン関係の書類作り


午前11時半、昼食。ご飯と魚・・・・



午後2時間ほど昼寝。


その後、ブライセン関連の書類作り。
ブライセン本社と電話で意思統一。


多数のメール受信。返信。

バオミンさんと何度か電話で意思統一。

午後4時半、1時間ほどのウオーキング。

投稿者 koyama : 20:08 | コメント (0)

2012年04月26日

フエ市外務部長と懇談

午前6時  気温30度 湿度80%

午前7時朝食。フォー・ガー(鶏肉の米麺)

午前9時、フエ市外務部でニエン外務部長と諸問題について
懇談。


午前11時半。チャオ・バイン・カイン(小麦粉麺)


2時間ほど昼寝。

その後、緊急の文章を書く。午後7時まで。


===============

民主党の小澤元代表の地裁判決は、無罪となった。

自民党・公明党は、小澤議員を国会で証人喚問するという。

自民党や公明党は、小澤元代表を責めることも良いが、
福島原発問題の責任者の徹底究明、責任者の徹底処罰こそ
法治国家の最低の義務である。小澤問題に情熱を注ぐ以前に
東電など福島原発の責任者(歴代首相、経済産業省・
安全保安院・安全委員会・
各大学の原発推進学者などの言動を徹底して調査し、厳罰に処す
べきである。原発問題に頬かむりし、小澤問題に執着する人たち
に疑義を感ずる。


投稿者 koyama : 21:05 | コメント (0)

2012年04月25日

「子どもの家」へ

午前6時  気温30度   湿度80%
午前11時 気温40度   湿度50%


午前7時、朝食。チャオ・バイン・カイン(唐辛子が強い)


午前9時、電動バイクで「子どもの家」へ。
富士宮中央ライオンズクラブから1995年に「子どもの家」の
2階の音楽室・図書室を寄贈して頂いた。

近況報告を求められ、写真を撮りに行く。



午前10時半、ベトナム事務所へ。
今日はブライセン支社員の給料日。一人一人の
スタッフに給料を渡し、何か問題があるか聞く。


午前11時半、宿舎へ戻る。昼食。春雨麺


昼食後、2時間ほど昼寝。外気の日陰で40度。猛暑。

午後3時から「子どもの家」B棟の2階の音楽室、図書室を
寄贈して頂いた静岡県「富士宮中央ライオンズクラブ」へ
寄贈15年後の現状をメールで報告。


その他多数のメール受信。返信。


いくつかの問題について、頭を整理する。


ーーー
明日(4月26日)午前10時、小澤一郎氏の地裁判決が出る。
常識的な見方からすれば、「無罪」だと思う。
マスコミなどで「極悪非道の小澤一郎」との報道が先行。
厚生省局長木村さんの無実の罪をでっち上げた検事が
小澤裁判の調書も作り、でっち上げとの裁判長の判断で
証拠として、全て不採用となっている。
検察も起訴できず、検察審議会(一般国民)が2回起訴すべき
判断したと言う事件。国民・市民の意見を尊重することこと
は大事だが市民・国民の意見はマスコミに強く影響される。
犯罪は、法に基づき処断されるべきもの。世論で処断しては
ならない。小澤事件は、かなりの程度、「国策捜査」と言える。
国家権力内部での抗争とも言える。

今起訴すべきは、東電社長・会長をはじめ、経済産業省
安全保安院・安全委員会など福島原発の責任者である。

私は個人的には、裁判員裁判には、賛成していない。
裁判の原則を知らない人間が、マスコミなどの報道に
強い影響を受ける可能性が強い。
先日の木嶋佳苗事件裁判員裁判でも「殺人の証拠」はないのに
状況証拠で死刑判決を出している。証拠がない場合には、
殺人の可能性はあったとしても無罪にするという戦後裁判の
原則が捨てられてしまった。
証拠がない場合は、無罪との原則は、戦前の特高警察などが
証拠もなくたくさんの共産主義者’小林多喜二や反戦運動家などを
裁判で断罪している。
その反省の上に出来た戦後の裁判の原則である。
客観証拠で裁判をするという原則をすてるような「裁判員裁判」
は一種のファシズム的な「なぶり殺し」の可能性が出てくる。
明日の小澤判決を注視している。

投稿者 koyama : 21:47 | コメント (0)

2012年04月24日

日本料理店Aさん結婚報告:ブライセン支社員懇談:地球の歩き方夕食会

午前6時半  気温30度  湿度80%
午後1時   気温38度   湿度50% (真夏の暑さ)

午前7時、朝食。カニ団子入り「ブンボー」(米麺)


午前10時、JASS日本料理店員Aさんと懇談。
数日前、バオミンさんを通してAさんから「話がしたい」との
申し入れを受けていた。
ベトナム事務所2階会議室で会う。

日本料理店のAさん。今年の7月に結婚するとのこと。
今日は、「子どもの家」時代、日本語学習、日本料理研修と
長い間お世話様になった。JASSと里親・小山先生や
日本人のお陰で成長することができ、今回、縁があって結婚する
機会を得た。JASSや里親(税田さん)・日本の皆さんに感謝
している。皆さんの代表として小山先生に長い間のお世話に
感謝し、結婚の報告をしたい、とのこと。

なかなか「律儀」な子である。人間としての最低の礼儀である
「お世話になったことへの感謝」の気持ちを直接、ベトナム事務所
まで来て伝えるということは、人間としての真っ当な気持ちを持って
いることが分かる。
「子どもの家」出身のこどもたちの大半は、支援してくれた
日本人などへの感謝の気持ちを持ち、こうした行動をとることが
多い。立派に成長したことを嬉しく思う。

Aさんは、2003年(14歳)から2009年までの6年間、弟と一緒に
「子どもの家」で生活していた。
家庭の問題があり、母親がAさんと弟(里親:大極さん)
の面倒をみられない状況だった。こどもたちに何も責任はない。
Aさんは、中学を卒業し、日本料理店で研修を始めた。
20歳になった時、母親・弟と同居する。日本料理店での
給料が母親・弟との生活の基礎的な資金となる。
現在は、弟も「子どもの家」を退所し、車の修理の仕事をして
自立している。幸せな結婚と母と弟も含めた家族の皆さん
の幸福を祈る。
こうして「子どもの家」にいたこどもたちが、どんな相手と
結婚し、どんな生活をするのかを直接伝えてもらうことが、
私たちの支援への最大の「お返し」だと思っている。
こどもたちの成長と幸せな将来の生活を伝えられて
里親や日本の多くの支援者の皆さんは、長い間の支援と苦労
が喜びに変わっていくものである。
Aさんの話を聞き、Aさんの結婚と将来に安堵の気持ちが持てた。
「子どもの家」の卒業生の結婚では、「人づて」に連絡をする
子どももいれば、会合中に招待状だけ持ってくる子どももいる。
個人的には、招待状を持ってくるだけの「形式的なやり方には」
嫌悪感を感ずる。心がこもっていない。
私たち里親の身になれば、一体どんな相手と結婚するのか?
その結婚が幸せなのか?という「内実」を知らせるべきなので
ある。結婚式があることを「人づて」に伝えてきたり、誰とどんな人
と結婚するのかという「内容」を一切知らせずに、形式的な
招待状だけ、黙って渡すというやり方には、強い違和感を
感ずる。
「子どもの家」のこどもたちもそれぞれである。
Aさんのように「その心」が直接私たちに伝わるような
こどももいるが、形式的な伝達だけの子どももいる。
これは致し方ないことではある。

ただ、私としては、日本の里親の皆さんに5年、10年という
長い期間の支援をお願いし、結婚する時になったら、人づてに
連絡をもらったり、形式的に結婚式の招待状だけを渡され、
何ら説明を受けないようなやり方は、やはり、日本の支援者に
申し訳ないような気持ちがするのは、事実である。

今日のAさんの来訪と結婚の報告は、私にとっては、
本当に「心のある」やり方であった。


その後、ベトナム事務所3階のブライセン支社へ。
日本語教育の新しいシステムについて説明する。

午前11時半、昼食。豚肉団子入り「おじや」

暑い、真夏である。

2時間ほど昼寝。

たくさんのメール受信。返信。

午後3時半、徒歩でベトナム事務所へ。

バオミンさん・フーン先生とブライセン・ベトナム支社の
新しい日本語教育システムの詳細・細部について意思統一
をする。

1時間ほど話をする。

徒歩、宿舎へ帰る。

午後6時過ぎ、再度、徒歩で日本料理店へ。

地球の歩き方6班の夕食会。

私、バオミンさん、アンさんの3人が参加。

午後8時半、終了。

投稿者 koyama : 17:12 | コメント (0)

2012年04月23日

宿舎で仕事

午前6時半  気温27度   湿度90%
午後3時   気温37度    湿度55%  (真夏)

午前7時朝食。フォー・ボー(牛肉米麺)

当面する書類作り。

バオミンさんといくつかの件で打ち合わせ


バオミンさんは午前10時からナムドン山岳地帯へ。

5月にする仕事の計画


午前11時半、昼食。チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)



食後、しばらく昼寝。

「フェリシモ」関連の書類作成

ブライセン関連の書類作成の打ち合わせをブライセン本社とする。

その他、メール受信・送信。

===============

2012年4月21日(土)
JASS東京の会総会開催(参加者:7名)

以下の役員を選出。

.2012年担当

代表:松下安希子
副代表:中村友香、石岡寛子
会計:寒河江幸子


投稿者 koyama : 18:56 | コメント (0)

2012年04月22日

いくつかの文章を書く

今日は日曜日

午前7時 気温25度  湿度 90%
午後3時 気温30度  湿度 80%

料理のセンさんが作っておいてくれた「マカロニ・スープ」を
3食に分けて食す。


午前9時半、ウオーキング。1時間半。

国立体育館近くのスーパーへ。豆腐、豚肉のベーコン、
スルメを買う。


いくつかのメールを送信。受信。


JASSベトナム事務所のいくつかの問題について、考える。


来月5月、1ヶ月の活動計画を立てる。

投稿者 koyama : 20:38 | コメント (0)

2012年04月21日

地球の歩き方6班講演会

午前6時半 気温30度 湿度70%
終日雨。

午前7時朝食 精進麺。
今日は「旧暦」の4月1日。精進料理を食べる日。


午前7時過ぎから豪雨。

午前9時前、電動バイクで「子どもの家」へ。
体中、びしょ濡れになる。


今日は土曜日。学校の授業のないこどもたちは
「子どもの家」で自習。

ターオさん(フエ師範大学生物学科4年生)
今年の秋から高校の生物の先生になる予定である。

「子どもの家」で10数年生活しているが、本当に真面目に
コツコツと勉強・努力していた。

最近のフエの風潮は、「努力しない」「楽をして」「いい思い」
をしたい、との空気が強い。残念な風潮である。

自分の利益のために「人を利用する」との気持ちが強い。
こうした風潮は、19年前、フエに来た時にはなかった。

19年前は人間として何が「大事」かは、社会がまだ知っていた
時代だった。「ドイモイ」(社会主義市場経済)の行き着く先は
「人を騙し、利用しても「良い生活」をしたいという社会になって
いくのだ、と改めて実感している次第である。
その実態は、一党独裁という権力を使った「国家独占資本主義化」
しつつある社会とも言える。


それから19年。人を「利用して」自分が、甘い汁を吸うという
風潮が強い。そんな中でターオさんは、コツコツと自分との
闘いを・努力をして来た。
努力をしないで、 楽をして、甘い汁だけを吸いたいという
人間が増えてきたフエの社会は、「真っ当な資本主義社会」
になってきたということか?

土曜日の雨の午前中。「子どもの家」できちんと自習している
こどもたちの努力に頭が下がる。
この種の努力をしている男子が一人もいないことに「大いなる
疑義」を感じている。


午前9時半、地球の歩き方6班の皆さん、4人の講演。


午前10時40分まで1時間10分。


午前10時45分から「子どもの家」のこどもたちの歓迎会

「子どもの家」セン委員長の「歓迎の挨拶」
バオミンさんの通訳。




歓迎の踊り



地球の歩き方6班の皆さんの「紙芝居」兼「クイズ」






今日は「御大」(おんたい)「フック君」(フエ芸術大学5年生)
も参加。



午前11時15分、バオミンさんと地球の歩き方6班の皆さんは
レストランでの昼食へ。

「子どもの家」は食堂で昼食。


「子どもの家」で子犬が飼われて始めていた。良いことだ。


豪雨の中、電動バイクで30分。宿舎へ帰る。

11時45分着。

食事を作ってくれるセンさんの旦那さんが、オートバイで
迎えに来ていた。偉い旦那さんである。私など到底
真似も出来ないことである。

食後、2時間ほど昼寝。

午後4時過ぎ、バオミンさんと電話でいくつかの問題の
打ち合わせ。

午後、多数のメール受信・送信。

=========================

今日は、JASS日本の各地の会の総会があった。
以下、連絡があった各地の会総会の報告を掲載。


==========

JASS静岡の会(笠井英彦事務局長報告)

参加者15名。

今日、1時間ほど木村百合子さんのお母さんに話してもらいました。
お母さんは8年前の2004年10月、小山さんと滝下さん、私が訪問し、そこで裁判の相談をしたのが今回の出発点だった。何もわからない私たちに的確な指示をしていただき、また弁護士事務所まで行ってもらった。それがなかったら裁判などありえなかった。小山さんはじめベトナムの会に本当に感謝していますと話しました。
私たちがやったことは大きかったのだと改めて痛感しました。
総会にはTUくん、チャンさんも参加しました。
2人とも元気でした。特にチャンさんは、4月に静大に入学しました。
「とてもうれしかった」と語っていました。
以上、簡単ですが、今日の報告です。

木村百合子さん裁判の現状を報告する木村百合子さんのお母さん

ーー
何としても木村百合子さん裁判(東京高裁)を勝訴したい
ものです。(小山)
東京に木村百合子さん裁判支援の東京の会ができました。
事務局長は、佐藤博さんです。私が東京の教員をしている頃の
友人です。佐藤さんの東京の会事務局長就任に感謝しています。

投稿者 koyama : 20:44 | コメント (0)

2012年04月20日

宿舎で仕事

午前6時半  気温31度  湿度70%(日陰)
午後2時半  気温40度  湿度55%(日陰)

午前7時朝食 ブンボー(牛肉米麺:フエ名物)

午前中、かけていくつかの問題の整理。
ブライセンベトナム支社スタッフの訪日ビザ申請書作成

バオミンさんといくつかの問題で打ち合わせ

体調不良。頭痛。

午前11時半。昼食。豚肉団子入りの「おじや」

この数ヶ月、仕事が続く。この2ヶ月ほど、日曜日も仕事を
していた。疲れが溜まった。
急激な暑さと疲労蓄積。じっとしていて体力を温存するしかない。


2時間ほど、横になる。気温が高く暑い。


いくつかの仕事をする。

バオミンさんと打ち合わせ。

投稿者 koyama : 16:43 | コメント (0)

2012年04月19日

ソン君30歳誕生会:京都市の皆さん「子どもの家」・日本料理店

午前6時半 29度 湿度90%
午後12時 38度  湿度37%

午前7時朝食。ブンボー(牛肉入りブン麺:フエ名物)


1階では、ブライセン中級コースの授業

午前9時。ベトナム事務所のソン君の30歳の誕生会


寄せ書きのプレゼント


後藤先生から食べ物の贈呈


ソン君と奥さんのメンさん、お子さんの幸せを祈る


ブライセンスタッフ


午前11時半、昼食  チャオ・バイン・カイン(小麦粉のうどん)


午後2時半、京都市長・市議会議長・市議・関係者の皆さんの
「子どもの家」視察


「子どもの家」を視察する京都市門川市長

「子どもの家」視察を終わり、私とバオミンさんで1時間ほど
「子どもの家」の取り組み、グエン王朝の歴史などを話す。



私とバオミンさんの講演会終了後、こどもたちの歓迎会。

最初にセン運営委員長の歓迎の挨拶

向かって右。門川京都市長



こどもたちの歓迎の踊り


男子の歌(先生の白墨を思い出す)



京都市長の挨拶


京都市議会議長の挨拶


参加者全員とこどもたちのとの記念写真

門川京都市長・議長・市議の皆さんにわざわざ「子どもの家」へ
お越し頂き感謝している。


午後6時半から日本料理店で交流夕食会。

京都市長と市議会議長


京都門川市長の挨拶


市議会議長の乾杯の挨拶


柴田歴史都市連盟事務局長も乾杯。



午後9時まで交流会は続く。

交流会の最後にこどもたちの挨拶



最後に全員写真



投稿者 koyama : 23:58 | コメント (0)

2012年04月18日

第13回世界歴史都市連盟世界大会(総会)閉会式

午前6時半  気温30度  湿度82%
午後12時  気温40度  湿度60%

午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン

午前中、各種資料を読む。必要なメール返信。

当面にいくつかの件でバオミンさんと打ち合わせ


疲れが出て時々、横になる。

午前11時半、昼食 魚入り春雨麺

午後1時間ほど昼寝。


午後3時過ぎ、バオミンさんのオートバイで「世界歴史都市連盟
総会」閉会式典に出席

フエ新市街にある「モーリンホテル」で行われた。

モーリンホテルのロビーには、100年ほど前のフエの若者
の結婚式の写真が貼ってあった。今日と比べると「アオザイ」
の丈が、短いのに驚いた。


モーリンホテル入り口に、世界歴史都市連盟総会お祝いの看板

閉会挨拶をする「ヴィン・フエ市長」。

京都市議会、各派代表団。きちんと総会をサポートしていた。


最後に「門川京都市長」の閉会宣言

5つの都市が次回14回大会への立候補があった。
総会で中国「揚州市」に決定。しかし、12回「金沢市」
13回「フエ市」そして14回「揚州市」とアジアの都市が
3回も続くことにかなりの批判的な意見がだされていた。
そのことについては、議事録にきちんと明記すするとの
説明をつけて、閉会宣言。

前回の12回総会の奈良市でお会いした奈良市長と。
まだ、30歳代の若さである。



第13回世界歴史都市連盟大会が無事終了し、ほっとしている。
京都市事務局の皆さんには、頭が下がる。ご苦労様でした。

その後、京都の日本旅行の担当者の方と明日の京都市長
など市議会のみなさんなどの「子どもの家」訪問、日本料理店
で会食会の打ち合わせを行う。

投稿者 koyama : 16:24 | コメント (0)

2012年04月17日

京都市市民ツアー「子どもの家」訪問:夕食会

午前7時  気温30度  湿度82%
午後1時  気温38度  湿度60%

午前7時朝食。カニ団子入りブン麺

午前中、メール受信・送信。いくつかの件について
バオミンさんと打ち合わせ。

バンベー41号の編集計画を立てる。今後、関係者と打ち合わせを
する。

午前11時半、昼食  豚肉入りのおじや

30分ほど昼寝。気温が高く、湿度も高いので頭が痛い。

午後1時過ぎバオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。

モーリン・サイゴンホテルへ。

世界歴史都市連盟総会に参加した京都市民・25年議員、
前議員さん、仏教大学生さん、ベトナムの大学生、
オーストラリア人28数名と合流。バスでこどもたちへ。

「子どもの家」に到着。
日本人は私が、ベトナム人学生はバオミンさんが施設案内。

バオミンさんはベトナム人、オーストラリア人。

撮影係りは、古賀先生。


ーー

通常1時間かけて案内する施設案内を30分で終わらせ
講演会に入る。今日は、余り時間がないようだ。

午後2時半から午後3時半の1時間でベトナム・ボランティア
「子どもの家」の話などをする。


午後3時半から「子どもの家」のこどもたちの歓迎の歌と踊り

初めにセン運営委員長の歓迎の挨拶

京都仏教大学の学生さんを中心とした訪問者

しっかりと写真・記録係りを果たしてくれた古賀先生

こどもたちの歓迎の「少数民族」の踊り


男子の歌


女子の「平和の鳩」の踊り


京都の大学生の歌

最後に25年議員の鈴木さんのお礼の挨拶

こどもたちに京都の絵葉書を渡す


オーストラリアからの学校の事務の方から歯磨き粉などの贈呈

京都市民訪問者と記念撮影


今日は気温が40度近くとなり、風がないので「頭痛」と体力の
強烈な消耗を感ずる。

京都の皆さんと一緒にモーリンホテルまで。
その後、バオミンさんのオートバイで宿舎へ。

とにかく疲れた。立っていらてない。

1時間ほベッドで横になる。熟睡する。

午後6時過ぎ、徒歩で日本料理店へ。
京都市民の皆さんと晩餐交流会。

初めにグエットさんと古賀先生による「メニュー」等紹介


乾杯


日本料理店スタッフの自己紹介

25年永年議員からベトナム語でお礼の挨拶


最後に全員で記念撮影

京都市民ツアーの皆さんは、明日午前6時半ホテル発で
ホーチミン市へ。


投稿者 koyama : 23:13 | コメント (0)

2012年04月16日

第13回世界歴史都市連盟世界大会(総会)

午前6時半  気温29度  湿度85%   (全て日陰の測定)
午後3時半  気温38度  湿度60%

午前7時朝食  フォー・ボー(牛肉米麺)

急いで朝食を摂り、正装してバオミンさんを待つ。午前8時20分
宿舎までオートバイで迎えに来てくれる。
バオミンさんは、現在、私の宿舎の後ろの方の地域に
家族と住んでいる。

今日は、世界歴史都市連盟第13回総会の開会式典

古賀先生・後藤先生・バオミンさんも参加。
原田先生は、遅れて参加。

世界歴史都市連盟は、1987年、日本の京都市が呼びかけて
第1回世界歴史都市会議が京都で開催され26カ国が参加。
第2回世界歴史都市会議が1988年イタリアのフイレンツェで33都市
参加で開催され、1991年第3回会議がスペインのバルセロナで
40都市が結集し開催。

1994年、第4回世界歴史都市会議が45都市の参加で開催。
この会議で、今まで協議会だった会議を「世界歴史都市連盟」として
発展的に進めて行くことになった。

第5回西安市(中国)  51都市テーマ「歴史都市の振興」
第6回クラクフ市(ポーランド) 30都市「歴史都市における遺産と開発)
第7回モンベリエ市(フランス)53都市「歴史とその価値」
第8回モントリオール(カナダ)19都市「保存と開発」
第9回 慶州市(韓国)25都市 「歴史都市の今日と明日」
第10回バララット市(オーストラリア)35都市「持続可能な歴史都市」
第11回コンヤ市(トルコ)156都市「歴史都市に生きる文化遺産」
第12回奈良市(日本)53都市「歴史都市の継承と創造的再生」
第13回フエ市(ベトナム) 「伝統の継承が直面する課題とその
                  継承への道」


上記の歴史的な経過があり、京都市が永久事務局。
事務局長の柴田さんや三田さん、納谷さんなど京都市役所の皆さん。
一所懸命「総会」成功のために仕事をしている。


開会式典会場にて


総会議長団

左からハノイ中央の「文化保存責任者」。
左2番目  カオ フエ省知事(元、フエ市長)
真ん中 議長の門川京都市長
右2番目  ヴィンフエ市長
右端 早稲田大学中川教授(王宮修復)

京都門川市長の開会挨拶


今回は東南アジアで初めての開催である。現在、90都市が
参加。

次回の開催を希望している都市は、5都市ある。

続いて、「ハノイ文化担当責任者」挨拶。
カオフエ省知事挨拶
ユネスコベトナム駐在代表挨拶
最後に応急修復を担当している中川早稲田大学教授の修復説明会

午前10時半、「休憩」

今回の政界歴史都市連盟をフエ市に誘致した最大の功績者
フエ市共産党委員長のユンさん。私とバオミンさん、ニエンフエ市
外務部長と一緒に何度も京都市、奈良市理事会・総会に出席した。

フエ省外務局長と

フエ省カオ知事(元フエ市長)


フエ中央病院院長(私との付き合いは長い)

今回の世界歴史都市連盟フエ誘致の立役者


ハノイ中央元運輸副大臣・ヴィンフエ市長と


開会式終了後、コーヒーブレイクが入り、「ユース・フォーラム」が
行われる。フエの大学生と日本を含む海外の若者が文化遺産の
保存と発展について話し合う。

最初にベトナム側の報告



京都の仏教大学の学生の「京都での遺跡保存・発展」の報告

原田先生も途中で参加


バオミンさんのオートバイで宿舎へ。

午前11時半、昼食。「マカロニスープ」


その後、1時間程、昼寝。


ブライセン本社へメール送信。いくつかのメールへの送信。

読書「世界史 下」


投稿者 koyama : 18:55 | コメント (0)

2012年04月15日

各種書類作成:京都市主催晩餐会

午前8時   気温30度   湿度80%
午後3時   気温38度   湿度50%

体がだるく朝起きられなかった。午前9時起床。

昨日、料理のセンさんが作ってくれた
「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)
を温めて食す。

その後、いくつかの長文の文章を書く。
関係者に文書を送り、意見を聞く。

バオミンさんと電話で打ち合わせ。


午後2時から1時間半、昼寝。


午後4時頃、長文のメールを送信する。

午後4時半、徒歩、ガーベラホテルへ。

午後5時、京都市主催の晩餐会。

出席者は京都市長、京都市スタッフ、京都市議会議長、
京都市議会議員。元京都市議会議員、仏教大学学生、
京都新聞記者。

フエ側、JASSベトナム事務所スタッフ、日本語教師、
JASS日本語学校学生、フエ高等師範大学日本語学科学生


晩餐会の初め門川京都市長の挨拶


続いて、フエ在住日本人を代表して私が挨拶

フエ高等師範大学日本語学科学生とJASS日本語学校学生

JASSベトナム事務所スタッフ(含む日本語学校教師)

JASSベトナム事務所スタッフ

門川京都市長と一緒に参加者への乾杯の挨拶


門川京都市長と小山

JASS日本語学校生徒とフエ高等師範大学日本語学科の生徒


「子どもの家」出身のソン君、チュン君、そした在宅支援のホア君も
参加。


京都の仏教大とフエ高等師範大学日本語学科の学生の交流


JASSベトナム事務所員と京都国際化推進室課長

JASS日本語部長のフーン先生と

フオン先生(通称、今晩は先生)と門川京都市長


京都市議会 玉本なるみ共産党市議(女性)、京都新聞記者と懇談。

京都仏教大学生

JASSスタッフと京都側参加者

京都市議 鈴木正穂さん(民主・都みらい)と
フエ高等師範大学日本語学科学生と鈴木議員懇談



京都仏教大学生と古賀先生

ブライセンスタッフ兼JASS日本語学校学生のチュン君と
ホアン君。(チュン君は10数年「子どもの家」に。「子どもの家」
生徒会長、現在IT会社ブライセンベトナム支社社員。


京都市議 鈴木正穂さん(民主・都みらい)と懇談



京都仏教大学生と門川京都市長


ベトナム事務所スタッフ、フエ高等師範大学学生、JASS日本語学校
学生と門川京都市長



京都市長よりお土産を代表して頂く。京都市の観光案内。

ブライセンベトナム支社員と京都市スタッフ

フォン側に浮かぶ船上レストラン
フエフェスティバルの閉会式なのに、チャントゥエン橋の
「ライト・アップ」をしていない。フエ省の担当者の頭の水準が分かる
というもの。


====================

夜、NHK教育TVを見る。

作家「辺見庸」と「東アジア反日武装戦線:狼」のメンバーだった
「大道寺将死刑囚」との交換交流を辺見庸が、「言葉」という
ことをテーマに話す。辺見庸は、脳梗塞とガンのために半身麻痺
の状況。話すのもかなりりきつい様子が窺える。
それでも、大道寺将司の「発句集」(俳句集)を全ての俳句を入れて
出版したいとの気持ちで活動している辺見の様子を1時間以上の
時間をかけて描いている。
辺見庸は、大道寺将司の「三菱重工ビル」爆破、大量の死者ー
について弁護したり、擁護する立場には立っていない。
しかし、大道寺の俳句を通して、自らの犯行と多数の死傷者、
そして、死刑囚として執行される可能性もある自分と言う立場
から発せられる「言葉」の意味と重みについて、辺見は語っている。
これは、逆説にはなるが、現代社会が失った言葉の重さ=言葉の
軽さへの厳しい批判と私などは受け取る。

民主党政権が、ある時は「脱原発」と菅首相はいい、また、ある時は
国会で枝野経済産業大臣が「大飯原発は、地元(福井県だけでなく、
滋賀県、京都府、されに言えば国民全体の合意がなけれは
稼動を認めない。自分は、脱原発だ」と国会で言明した1週間後には
原発の再稼動への「GOサイン」を出している、こうした社会への
辺見の憎悪とも思える感情だと理解した。先日読んだ辺見の
「生首」は、そうした社会への血まみれの言葉を介しての厳しい
批判と見た。自らの行動を振り返る大きな契機である。

投稿者 koyama : 20:54 | コメント (0)

2012年04月14日

各種書類・眼医者へ

午前7時       気温29度  湿度80%
午後12時半     気温38度  湿度 58%
午後6時       気温30度  湿度80%

午前7時 朝食  ブンボー(牛肉のブン麺)フエ名物


多数のメール受信。

ブライセンベトナム支社員の訪日研修の件でバオミンさんと
打ち合わせ

1ヶ月ほど前から両目が赤くなり、腫れて、目ヤニがでるように
なった。流行性の眼病と推測した。

ソン君に案内してもらい個人の眼医者へ。
この先生はフエ中央病院眼科の先生。中央病院の昼休みに
自宅で「営業」と言う訳。私が行った時は、まだ中央病院で
仕事中。

仕方がないのでベトナム事務所の隣の「少し怪しい医者」
へ。 抗生物質3種もらう。目薬を薬局で買うように言われる。

全てで1000円程度。

午前11時半、昼食。フォー・ヘオ(豚肉の米麺)

午後1時間ほど昼寝。

その後、当面の仕事。午後5時まで。
午後5時、ベトナム事務所でバオミンさんと当面の課題に
ついて、打ち合わせ。


読書「世界史 上」(ウイリアム・H・マクニール著:中公新社)読了
引き続き(下)を読みだす。

物事は、全体的な流れの中で見直すと、新しいことが見える。

世界史の中での日本の歴史を改めて考える。
日本という国が、世界史の中でどんな影響を受け、与えてきたのか?

日本と言う国も「グローバル」な影響を受けながら、同時に
世界史的には、相当早い時期から高度の文明を持っていたことが
分かる。ベトナムに住んで19年。日本人の特性を感じることも
多い。こうした日本人らしさがどこから来たのか?も世界史的な
文明と文化、貿易などの交流の中で培われながら、同時に
日本という国の特殊性(島国・侵略された歴史がない。少なくとも
1945年前までは)


投稿者 koyama : 20:09 | コメント (0)

2012年04月13日

宿舎で仕事

午前7時 気温28度  湿度90%
午後5時 気温32度  湿度80%

午前7時朝食。カニ団子入り「チャオ・バイン・カイン」

多数のメール受信。ブライセン、その他


午前11時半、昼食。ご飯、スープ、ヤサイサラダ

1時間ほど昼寝。

午後3時、徒歩20分、散髪へ行く。1時間。150円。

午後4時過ぎ、帰宅。電動バイクで買い物へ行こうとしたら
パンク。
ベトナム事務所までもって行き、ソン君に自転車修理店へ
もっていってもらい、パンクを直す。30円。

その他、諸々の仕事あり。


ーー
今日は、北朝鮮の「衛星ー大陸間弾道弾」の発射とその影響を
注視していた。

民主党政府は、北朝鮮のロケット発射問題を口実に
一気に国内の「緊急事態」を作り上げ、戦争態勢の第一歩を
踏み出した。

今日午前7時38分に北朝鮮は、ロケットを打ちあげ、数分後に
失敗し、公海に墜落した。

米軍・韓国は直ちに速報で報道した。しかし、
30分ほど後の政府からの連絡で
「日本は発射を確認していない」と言っていた。

J-アラートは、結局、発射を伝達することが
できなかった。

国民、特に沖縄の人々が心配していたのは、
北朝鮮がロケットを発射したのかしないのか?
という客観的事実。

北朝鮮がロケットを発射した4分後には、防衛省に
米軍から情報が伝達されている。

日本は、日本のレーダーが補足するまでは、(数分で
爆破したので、補足できなかった)
米軍や海外メディア、日本のメディアの報道があっても
発射や「失敗」の事実を一切、国民に知らせなかった。
国民の命に関わる重大な情報こそ、いち早く、国民に
知らせるのが、政府の最低の任務である。

結局、政府は、国民第一ではなく、自衛隊、戦争体制
を作ること(PAC3、イージス艦配備・・・・)が最大の
狙いだったことが、事実として窺える。

戦前の軍部と同じ精神構造だ。国民を守るための政府
自衛隊ではない、ということが客観的な事実で明らかとなった。

再び、戦前の軍部・政府と同じ様に「国民に真実」
を知らせず、政府と軍部だけが事実を知っていたということを
繰り返している。

自衛隊が国民を守る存在ではないことが分かる。
7時38分に北朝鮮がロケットを発射。その4分後の7時42分に
米軍の衛星が捉えた発射の事実を自衛隊は知らされている
のである。
詐欺師的なわが政府と自衛隊である。これらの人々に
国民の命と財産を任せることは出来ない、と今日改めて
確認した次第である。

さんざっぱラ国民の恐怖を煽っておいて、いざ、発射された、
その情報を自衛隊、政府が手に入れていながら、国民に
知らされなかった。私たちが知ったのは、海外メディアと
国内のメディアからだ。政府や自衛隊が、今回の
北朝鮮発射問題では、何の役にも立たなかったことは
事実である。詐欺師集団。


投稿者 koyama : 19:05 | コメント (0)

2012年04月12日

終日、宿舎で仕事

午前6時半 気温25度   湿度90%
午後4時  気温34度   湿度80%  終日真夏のような太陽


午前7時朝食。 フォー・ガー(鶏肉入り米麺)

午前中、多数のメール受信。返信。

文章作成


午前11時半、昼食。春雨麺


1時間、昼寝。

その後、バオミンさんと電話でスタディーツアー、ブライセン
日本語教育、世界歴史都市連盟、バンベー発行などについて、
意見交換。

投稿者 koyama : 19:13 | コメント (0)

2012年04月11日

世界歴史都市連盟事務局長一行と交流会

午前7時  気温25度   湿度85%
午後3時  気温33度   湿度70%

午前7時朝食。カニ団子入りのブン麺。



必要な文章を書く。

受信メール多数。

内容についてバオミンさんと電話で打ち合わせ。

午前10時、バオミンさんのオートバイでドンバ市場付近で
買い物。

ベトナム事務所1階ではブライセン中級の日本語教室開催。
フーン日本語部長が直接教育する。昨日から日本語の教育時間が
2時間から3時間半になる。

中級生徒は偶然だが、「子どもの家」の卒業生。
チュン君とホア君。しっかり日本語を勉強して、ブライセンの
仕事を覚えて欲しい。
二人はブライセンの勤務して、きちんとして給料をもらい、
自立することが出来た。

午前11時半。昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

午後1時間ほど昼寝。

その後、20数通のメールの詳細を熟読し、必要な返信をする。

地球の歩き方スタディーツアーについて、バオミンさんと打ち合わせ。

午後5時半、徒歩で日本料理店へ。

午後6時、バオミンさんが「世界歴史都市連盟」事務局長の柴田さん
たち3人を案内して日本料理店へ。

バオミンさん。私・連盟事務局長たち3人の合計5人で午後8時まで
交流する。


世界歴史都市連盟の成功のために微力ながら努力したい。


投稿者 koyama : 21:57 | コメント (0)

2012年04月10日

各種文書を書く

午前6時半 気温23度  湿度90%
午後1時半 気温30度  湿度70%(午後、雨)

午前7時朝食。カニ団子入りの「チャオ・バイン・カイン)と
茹で隠元豆


今日は1日30通のメール受信。大変のメールに返信。
故木村百合子さん関係の受信メールに返信をする。
20年近く前に一緒に王子で仕事をして仲間だ。
元気に仕事をしていることを知り、うれしく思う。

バオミンさんと電話で何回か打ち合わせ。

午前11時半、昼食。肉団子の「おじや」


1時間ほど昼寝。

文章を構成し、書く。


午後3時。徒歩でドンバ市場へ。途中、雨が降る。

1時間半のウオーキング。

途中、チャンティエン橋からフオン河を見る。

=======================

「ソフトファシズム」と「ハードファシズム」

野田首相は、「税と社会保障の一体化」と偽って、結局、
消費税の10%値上げ、更には、15%までの値上げを目指しての
法案を国会に提出することを決めた。散々国民に「社会保障」
のためと言っていた消費税増税は、社会保障と関係なく、税金だけ
上げるという詐欺師的な手法を使って、法案提出となった。

大飯原発の再稼動を事実上容認しようとしている。
福島原発の現状がどうなっているのかも分からず、総括も
何もしていな「今」、原発を再稼動するとしている。
国民をペテンにかける野田内閣。枝野経済産業大臣は、
参議院予算委員会で、福井県だけでなく、京都府も滋賀県も、
自分としては、「国民の了解」が必要と答弁していた。

北朝鮮の「ミサイル発射」問題を利用して、日本国全体を
事実上「戦時体制」に移行してしまった。沖縄の「自衛隊
アレルギー」も「PAC3」(田中防衛大臣は、P3Cと答弁していたが・・)
イージス艦配備で、事実上の「臨戦態勢」を作り上げてしまった。
PAC3もイージス艦も北朝鮮のミサイルを打ち落とす能力はないとの
意見がある。今回のPAC3とイージス艦は全てで「1兆円」もの
税金がかかっている。

国民があれよあれよという間に。何となく分からない間に
日本は一気に「ファシズム」「戦争態勢」の方向に進んでいる。
国民がその実感を持たない間に・・・・・。ソフトなファシズムだ。

民主党と野田首相が言ったことは、実行されず、言わないことが
いつの間にか実行されている。
ーー
大阪市長の橋下氏は、露骨なファシズムの傾向を色濃くしている。
教育条例等は、教職員を「有無を言わせず、命令に従わせる」と言う
憲法と教育基本法の精神に真っ向から反する行動を行っている。

ヒトラーと同じく、「敵を作る」。ヒトラーは、ユダヤ人。
橋下市長は、公務員。

戦前の侵略に血塗られたわが日本の蛮行の反省の上に
出来た日本国憲法と教育基本法(一部、安部首相時代に改悪)
の精神に著しく反する言動を「脅迫」と「懲罰」で市民と公務員を
服従させようとしている。

ーー
ヒトラーもクーデターで政権をとったわけではない。当時の
ドイツは、世界でもっとも民主的な「ワイマール憲法」を持っていた。
この憲法の下で「合法的」に選挙でヒトラーは勝利したのだ。

今の日本も危う状況になっている。戦前、軍部と軍国主義に
屈服し、提灯持ちをした日本のマスコミが、今また、戦前と
同様に橋下市長を持ち上げ、「消費税増税は仕方がない」
「北朝鮮のミサイル発射は危険なので、全土、臨戦態勢に
入っても仕方がない」との論調である。

私たち一市民が、自分の頭で考え、行動しないと気づいた時
には、再び、国民の自由と民主主義が奪われ、新たな現代の
ファシズムに日本が突入する可能性があると思っている。

何ら責任を持たない日本のマスコミに流されないようにしたい
ものだ。

私たちは、2011年3月11日の福島原発で、マスコミが「直ちに
影響はない」という政府の声明を垂れ流しし、「原発推進」の
学者ばかりをテレビ等に出演させていたことを想起する必要が
ある。

新しい現代のファシズム(ソフトとハード)の動向に十分気をつける
必要があると私は自覚している。


読売グループの渡辺恒雄会長と自民党の谷垣総裁が
「大阪市の橋下氏はヒトラーと同じだ」と批判している。

この二人の発言は重いものだ。

投稿者 koyama : 18:58 | コメント (0)

2012年04月09日

終日、各種文章を書く

午前6時15分   気温 22度   湿度 90%
午後12時10分  気温 28度   湿度 70%

午前7時朝食  フォーボー(牛肉米麺)

多数のメール受信。返信。

バオミンさんといくつかの問題を話し合う。

午前11時半、昼食。マカロニスープ


2時間ほど昼寝。

終日曇り。雨。


午後も文章を書く。(JASS静岡の会16回総会へのメッセージ)

その他の件についての文章の構成を考える。


日本語教師の件をバオミンさんと相談。

フエ投資セミナーに参加した方、更に高校同級生の知り合いの
方からメール。フエでの話し合いを希望。


読書「世界史(上)」(ウイリアム・H・マクニール著:中公新社)

10世紀から12世紀頃まで。
とにかく中東 →ギリシャ →ローマ →インド →中国と
他民族の侵入とその闘い。同時に他民族への侵略との入り乱れて
歴史。
この侵略・防衛・同化の歴史が延々と繰りかえされる。 
民族・国家というものにユーラシア大陸の人々が執着するのは
そんな歴史的背景があることが良く分かる。

人種そのものが、混血・混血の歴史でもある。
同時に言語も侵略・征服などの歴史を繰り返す中で
混同していく。
また、正当言語が式典・宗教・学問のための言語となり、その言語の
口語(俗語的なもの)が、庶民の言語となり、更に地方性と「訛り」化
し、共通の基盤を持った言語となる事象もある。「ロマンス語」
スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、フランス語、ルーマニア語。

宗教(イスラム教・キリスト教・仏教・ヒンズー教・・・・)
思想(孔子・・・)などの争い・抗争の歴史の中で人々は
生きていたことも分かる。

フエフェスティバル、全く関心なし。

投稿者 koyama : 19:28 | コメント (0)

2012年04月08日

「子どもの家」ソバ打ち大会

朝から小雨。

昨夜、眠れずウトウトしている間に午前7時。

今日は、「子どもの家」でソバ打ち大会。
午前8集合となっている。

朝食を摂る時間がない。急いでシャワーを浴び、
雨の中、電動バイクで「子どもの家」へ。

フエ中心部「レロイ通り」などを通る。

フエ「モーリンホテル前」

王宮前の「旗台(キーダイ)」


王宮前の道路は、封鎖されていた。迂回して「子どもの家」へ。


王宮のまわりには、テント村ができていて、各種イベントを行って
いた。


午前8時、「子どもの家」着。まだベトナム事務所員は来ていなかった。

「子どもの家」に着き、最初に男子の部屋に行く。これはいつものこと。

「子どもの家」卒業生の「フン君」が昨夜から泊まっていた。
以前は、「子どもの家」前で「靴修理屋」をややっていた。
その後は、ロマンスホテルの警備員をしていると言っていたが。
「子どもの家」にいるころから「落ち着かない」子ではあった。


「子どもの家」の裏にリュックなどが隠してあった。中を見ると
衣類。フン君のものとのこと。

多分、今晩も「子どもの家」に泊まるのだろう。

「子どもの家」は卒業したこどもたちの帰る場所でもある。

フン君には、この数年、様々なアドバイスをしてきたが、
彼は「マイペース」な人間である。兄のハイ君と同様、自分の
好きな事しかしない。


寝るところがなく、昨夜は「子どもの家」に泊まったようだ。
私が「生活は大丈夫か?」と聞くと、「大丈夫」と言う。
しかし、どうみても大丈夫な感じではない。

「フン君」と対照的なのは、「タン君」。
6歳で今の「子どもの家」の前の「チーラン通り「子どもの家」」に
入所。現在40人いるこどもたちの中ではかず少ない、
1993年から私と付き合っている子である。

いくつもの職業研修をセン委員長が紹介したが、直ぐに飽きて
止めてしまう。

現在は、「3食昼寝付き」の24歳という状態。


「子どもの家」の男子の希望の星(だった?)チュン君。
あと、数ヶ月で中学校を卒業する。

バオミンさんの長女(アルファー)、長男(ベーター)、従姉妹
の(フオン先生・通称今晩は先生)


長野県小諸市「そば普及会」の富岡さんたち。

そば粉に「つなぎ」を混ぜて、そば粉を作る。

古賀先生とこどもたち


ソバ打ち大会を楽しみにしているこどもたち



後藤先生とこどもたち



1993年10月から私と一緒にこどもたちの世話そしてくれている
キムアインさんとバオミンさんの長男ベーター君。


いよいよ富岡さんの「ソバ打ち」が始まる

多くの関係者・こどもたちが回りを摂り巻く


こどもたちも「そば打ち」を体験する。


こどもたちは初めて体験する「ソバ打ち」に興味津々。

そばを延ばす



そば切りの最後の工程(そば粉を円錐形にする)


蕎麦切り




こどもたち、寮母さんは、そば切りを楽しんでいた。

最後に蕎麦を茹でる


同時に「大切りのかつお節」を茹でて「そばつゆ」を作る。

そばつゆを作った「かつお節」を美味しいと言って食べるタン君。

出し殻の「かつお節」を食事の寮母さんが、油で揚げる。


こどもたちが寄って来て、瞬く間に食べてしまう。


グエン王朝の7代目「ベーター君」


「子どもの家」最大の曲者男(」くせものおとこ)この子が一番生きる
エネルギーを持っている。将来の成長が楽しみだ。

そばつゆを入れる

そばをスプーンで食べるのは、さすがベトナム風

小麦粉の麺(チャオ・バイン・カイン)などの麺類は、
ベトナムでは、スプーンでたべる。ついでに言えば

蕎麦のお茶碗を持って食べない。テーブルにおいて、
箸で救って食べる。フランスなど欧米系の麺の
食べ方。スパゲティーと同じ食べ方。


「子どもの家」のこどもたちは色々と悩みや心配もあるだろうが、
とりあえず、「幸せ」である。


こどもたちの悩みは、日本人の若者と同じ悩みともいえる。自分の
将来の夢が実現出来るのだろうか? 自分に取って将来の夢とは
何か?     万国共通の若者の悩みは「子どもの家」の
こどもたちにもある。これは同時に自分を見つめることであり。自分を
鍛えることでもある。こうした悩みや苦しみを「回避」しようとしたり
回りで「回避させよう」とすることは、困難と闘って成長するこどもたち
に取っては、邪魔な「足かせ」でもある。


こどもたちは好きなだけ「そば」を食べる。

8杯食べたこどもたちもいる。

私が今日の「蕎麦打ち大会」で一番気になったのは、
大量の最高に辛い「唐辛子」を用意したこと。こどもたちがその
唐辛子を大量に使用したこと。
私などの感覚では、蕎麦の淡い香りを味わってもらいたい、などと
淡い希望を抱いていたが、大量の唐辛子は、かつお節の出汁(だし)
も蕎麦の香りも捨て去ってしまった。これは良い悪いの問題ではなく
至って「文化問題」と理解した。

「子どもの家」のこどもたちに取っては、「ソバ」は食事に中に
どんな位置にあるのか?

ソバ打ちとあわせて、通常の昼食を用意。
こどもたちに取って、「そば」は、おやつのようなもの。

ソバをかなり食べたこどもたちは、その後、しっかりと
昼食を食べた。ご立派。




通常の昼食を食べながら「そば」も食べる。




バオミン・運営委員長は、意外と「ソバ好き」。


午後12時過ぎ、ソバ打ち大会終了。

私は今日は体調が悪く、食欲もない。そばは1杯だけ頂いた。

腰痛もあり立っているのが辛い。それでも4時間。頑張って
立っていた。

途中で「子どもの家」「絵画教室」を覗いてみた。

フエ芸術大学5年生のフック君の最近描いた油絵。


2011年10月に北海道石狩国際交流協会の伊藤さん
から送られた「石狩」紹介の文章といくつかの写真が
絵画教室に貼られていた。

午後12時過ぎ、電動バイクで宿舎へ

富岡さんあっち「小諸そば普及会」の皆さんに深謝。


その後、夕方まで寝てしまう。


寝る前に「お灸を据える」。


投稿者 koyama : 19:37 | コメント (0)

2012年04月07日

札幌Iさん・Sさんと「子どもの家」刺繍土産物店へ

午前6時半      気温25度   湿度 85%
午後12時40分    気温30度   湿度 62%


昨夜、お灸を据えるのを忘れる。午前3時に目が覚めて
しまう。その後、時々寝ると言う状況。熟睡できず。

午前7時朝食。ブンボーフエ(牛肉米麺:フエ名物)

午前8時、徒歩、ベトナム事務所へ。

長野県小諸市の富岡さんが「ソバ打ち披露」のためフエへ。
明日、「子どもの家」でソバ打ち大会。

富岡さんは昨年もフエで「ソバ打ち大会をしている。

その後、ベトナム事務所へ来たスタッフの自己紹介。

古賀先生


後藤先生


ベトナム事務所員


その後、明日の「子どもの家」での「ソバ打ち大会」の諸準備、
日程確認を行う。

バオミンさんと一緒にIさん・Sさんを案内して「子どもの家」へ。
セン委員長と挨拶。

Iさん・Sさんは、札幌でベトナムの雑貨などの専門店を経営。
「子どもの家」の刺繍研修センターの現場を視察

「子どもの家」では「フェリシモ」支援金で「子どもの家」全体の
電気配線の総合修理を行っていた。ベトナムでは電圧が安定
しないため「漏電」で火災になることが非常に多い。

今回、18年経っている「子どもの家」の配線全体を総合的に
新しいものに替える工事を行うことにした、

先日の誕生日に里親の海老原さんから頂いたシャツを着ている
タンさん。なかなか似合う。


「子どもの家」癖者NO1 

 


「子どもの家」では性格円満なナム君

今日は札幌からこられたIさん(元ピアノの先生)がこどもたちの
ために何曲かのピアノ演奏を披露してくれる。

これも「フェリシモ」の支援金でピアノの調律を行った。


演奏を待つこどもたち


ピアノ演奏をする札幌のIさん

トルコ行進曲・エリーゼのために、乙女の祈り・・・・

Iさんの演奏の後、こどもたちが片手でピアノ演奏


フエ高等師範大学幼稚園科で勉強しているターオさん。

ピアノ演奏の後。こどもたち一人一人のお菓子とシールなどの入った
お土産をIさんが直接こどもたちにプレゼント


午前11時、「子どもの家」での活動を終わる。

午前11時40分、宿舎着。昼食(ご飯、ヤサイサラダ、魚・・)


食後、1時間昼寝。相当、疲労が溜まっている。

午後2時半、徒歩でベトナム事務所へ。雨。

札幌のIさん・Sさんとバオミンさんとでフエ最大のスーパー
「BIG C」へ。その後、フエ第2の市場「アンクー市場」を視察。

午後5時、ベトナム事務所へ。

夜の10時頃まで「フエ・フェスティバル」の開会式が行われていた
ようだ。午後10時頃には、花火の連発の音が聞こえた。

今日は1日腰痛で苦しんだ。同じ姿勢をして立とうとすると腰が痛く
直ぐには、立てない。

投稿者 koyama : 19:42 | コメント (0)

2012年04月06日

札幌のIさんフエ訪問

午後12時半  34度  60% (真夏)

午前7時朝食。フォーボー(牛肉米麺)+野菜

午前8時半、徒歩ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所員、真面目に仕事中。

今晩は先生

午前9時過ぎ、札幌で行った「フエ投資セミナー」に参加されたIさんと
社員Sさんが来訪。


ベトナム事務所で3日間のフエ滞在、視察の日程を話し合う。
Iさん、Sさんの希望を伺い、日程を立てる。

「縫製研修センター」の視察

その後、刺繍工場視察


その後、「子どもの家」の刺繍土産物店を視察。

午前11時半、午前中の視察を終了。

一時、宿舎へ戻る。昼食は遅くなると思いストップした。
昼食抜きで1時間ほど昼寝。

午後2時半、ソン君が宿舎に来てくれる。壊れた扇風機を
修理に出してくれる。

徒歩、ベトナム事務所へ。

札幌のIさん、Sさん、バオミンさんと一緒に、元「子どもの家」
のこどもだったメンさんの経営している縫製店へ。

メンさんはJASSの会員。10数年、縫製店のメンさんの
支援を続けてくれた。メンさんは、現在28歳。「子どもの家」に
10数年在籍。縫製の研修を行い、その後、結婚。2歳男児の
母親となり、縫製店を経営。

メンさんのお店


以前、里親の鹿又さんが里子のメンさんに贈った日本製の「はさみ」
を今でも大事に使っている。


店の前では、安い「ガソリン」を売っていた。

「子どもの家」の卒業生が、真っ当な仕事をして、「自立」している
様子を見ると感慨深いものがある。フエに18年いたことの意味を
改めて感じた一幕である。


その後、ドンバー市場へ行き、Iさんがアオザイを作る。


ミンさんの妹さんが経営している。お店。


午後6時過ぎ、宿舎へ戻る。

明日から「フエ・フェスティバル」。今日は前夜祭でフエは

ベトナム中の人々が集合。「うるさい」「人が多い」
「オートバイ・車が多い」「渋滞がひどい」と言った状態。

これから1週間、屋外に出たくない心境である。


投稿者 koyama : 20:52 | コメント (0)

2012年04月05日

ベトナム事務所員会議  

午後12時  気温 34度    湿度60% (真夏)
午後5時過ぎ  雨

午前7時朝食。精進ブン麺(今日は、旧暦の3月15日。
                 仏教では精進料理を食べる日)

午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

ベトナム事務所では、事務所員が真面目に仕事をしていた。

ミス「フェリシモ」「ミスベトナム事務所」のアンさん


後藤先生(ベトナム事務所にもすっかり慣れて来た)
今晩は先生


フーン日本語部長の「監視」の前で少し緊張している古賀先生

原田先生と「金勘定部長」(ゴックハインさん)

毎日の生活が充実しているのか? ソン君。

JASSベトナム運営委員長(ベトナムの最高責任者)バオミンさんの
席。丁度、トイレか「喫煙」に行って席を開けている間に「運営委員長」
の気分を味わってみる。


午前9時前、ベトナム事務所員会議。


バオミン・JASS運営委員長の司会でベトナム事務所員会議は進行

(1)4月6日(金)から8日(日)まで、「札幌での投資セミナー」
   に参加されたIさんが、フエの視察に来る。
    ・3日間の案内等の担当者を決める


(2)4月6日)(金)~8日(日)まで前日本語教師の富岡先生の
   お父さんが、「子どもの家」で長野の「ソバ打ち」を披露する。
   ベトナム事務所員・「子どもの家」のこどもたち・スタッフ全員
   参加

(3)4月10日(火)から「フエ・フェスティバル」
(4)4月15日(日) 世界歴史都市連盟総会に参加する京都市長・市
            議団、
            京都市民の皆さんと、JASSベトナム事務所員な
            どとの夕食会
  4月17日(火)世界歴史都市連盟参加の「ユースフォーラム」の皆
           さんと
           事務局の京都市から参加する京都市民の皆さんが
           「子どもの家」を訪問。私・バオミンさんで案内。
           講演。「子どもの家」のこどもたちとの交流。
   
           P6:30 上記の皆さん 日本料理店で夕食会

  4月19日(木) 世界歴史都市連盟事務局の京都市長・京都市
            議会議長
            京都市議(全員で19人)のみなさんが、
            「子どもの家」を
           訪問。私とバオミンさんで「子どもの家」施設案内。
           JASSの取り組み・ベトナムの実情等の講演会
           をする。

           P6:30 上記京都市長・議長・市議の皆さん19人
                 JASS日本料理店で夕食交流会

    以上の当面の4月の日程の役割り・担当分担。それぞれの
    日程上の留意事項・問題点などを話し合う。

日程等を提案するバオミンさん。
バオミンさんの提案をほとんど聞かず、会計のことを考えているハンさん

バオミンさんの提案を真正面から受け止めて、思考する古賀先生と
バオミンさんと高校の同級生だったフーン日本語部長(適当に
聞いているかどうかは、不明)


原田先生の指導で「真面目」にベトナム事務所員会議に参加し、
バオミンさんから提案された「当面の日程」をどう実施していくかを
考える原田先生・後藤先生・ソンJASS観光部員。

    ベトナム事務所員会議終了後、私、バオミンさん、フーン
    日本語部長、原田先生で「当面の日本語教育問題など」
    について、突っ込んだ話し合いをする。皆さんの率直な意見を
    出してもらう。基本的な意思統一を行う。

1階の日本料理店の個室では、ブライセン中級の二人の日本語教育。
フーン日本語部長とフエ高等師範大学日本語学科学生が2人の
ブライセンスタッフ(「子どもの家」卒業生のチュン君・ホアン君)に
日本語を教えていた。

暑い。真夏日  徒歩で宿舎へ帰る


午前11時半昼食。マカロニスープ

食後、1時間ほど昼寝。

多数のメール受信。返信。

夕方から「大雨」となる。


投稿者 koyama : 19:05 | コメント (0)

2012年04月04日

当面の諸課題の整理と対応

午前7時半  気温24度   湿度90%

午前7時朝食。肉団子入り「チャオバインカイン」
唐辛子がかなり辛い

少し体調が回復してきた。

午前中、当面するいくつかの課題について整理。

電話でバオミンさんと対応策を協議。


4月8日(日)、「子どもの家」で行われる「そば打ち大会」
の打ち合わせ

明日のベトナム事務所員会議の議題の打ち合わせ


午前11時半昼食。春雨麺

午後2時間程昼寝。

午後3時半、徒歩ベトナム事務所へ。小雨

バオミンさんと当面の諸問題について協議。

午後6時、ベトナム事務所を退出。


投稿者 koyama : 20:19 | コメント (0)

2012年04月03日

各種文書作成:地球の歩き方5班夕食会

午前6時半  気温 22度    湿度 90%
午前11時  気温 32度     湿度58%  

曇り、蒸し暑い。 1日の気温の変化が10度もある。
体が変になる。

午前7時朝食 カニ団子入りのブン麺。大量の生野菜


いくつかの文章を書く。

メール受信。

バオミンさんと4月8日の「ソバうち大会」等の打ち合わせ

午前10時から50分ほど散歩。
この2週間ほど「腰痛」で歩くのが大変だった。
子どもの針の大極さんにお灸を頂き、「ツボ」を教えてもらった。
この10日間ほど、1日2回、教えてもらった「ツボ」にお灸を据えた。

段々と腰痛症状は緩和され、少しずつ「歩けるよう」になってきた。

1日最低30分、出来たら1時間程度のウオーキングをしたいのだが、
今まで仕事が忙しくて、なかなか時間が取れなかった。

今日は50分ほどの散歩。車の多い「大通り」を避けて、歩いたが、
4月から始まる「フエフェスティバル」の準備ため、国立体育館前の
静かな道が封鎖されていた。


午前11時半昼食。魚、野菜入りの「おじや」。ニンジンとキャベツ



午後2時間ほど昼寝。体がだるい。

カナダの大学院で勉強している元ベトナム事務所員だったMさんに
昨夜長文の文章を送った。届いているかどうか不安だった。
その理由は、送信した私のパソコンに私の書いた文章がなくなって
いるのだ。

カナダのMさんから文章が届いたとのメールあり。ほっとする。


その後、カナダのMさんから私の送った文章を逆に送り返して
もらおうとお願いする。何度も送ってくれるのだが、受信出来ない。
数時間のやりとりの後、何とか、私の書いた文章が届く。

午後6時過ぎ、徒歩でベトナム事務所・日本料理店へ。
途中、幼稚園の前の路上に「リー君」が座って飲んでいる。
町は暗い。「先生・・・」と言う声を聞いて、はっとして横を見る。
リー君が飲んでいる。「元気」と声をかけただけで、日本料理店へ。

午後6時半。地球の歩き方5班の晩餐会。JASS日本料理店にて。

団長の乾杯の挨拶。

ベトナム事務所側からは、バオミンさん・アンさん・私が出席。

参加した4人の学生さんと色々なことを話す。大阪の橋本市長について・・・

私には到底食べきれない大きな「魚のフライ」

午後9時、閉会


投稿者 koyama : 17:41 | コメント (0)

2012年04月02日

パソコン故障

午前6時半  気温 20度   湿度 90%  雨

午前7時朝食。フォーボー(牛肉米麺)

文章を書く


午前10時、1時間ほど散策。


午前11時半 昼食。チャオ・バイン・カイン

午後参議院予算委員会を聞く。

公明・共産・社民・みんな・・・・。

社民党の福島党首の質問と追求は鋭かった。
共産党の井上議員は、事前の準備はしっかりしていたが、
「紳士的」「優等生」の質問。大飯原発の追求は、
福島党首の方が鋭く、京都・滋賀も「地元」にはいるような
答弁を引き出している。


午後4時間かけて、長文を書き、仕上げる。

YAHOOで送信。

送信済み履歴を見ると、メールアドレスしか送信されていない。

「YAHOO]が満杯との表示が出ていた。

送信履歴には、送信したメール全文はで出ていない。
せっかく長時間もかけて書いた文章なのだが、
再度、4時間ほどかけてかかなければならない。
今日はその気力を失う。

一度書いた文章と同じものは二度と書けない。

昨日も何度も書いたものをメールに保存したのだが、
結果的に保存されていない。
昨日も「がっかり」した1日だった。


明日、再度、気力を出して書こう。

午後9時。お灸を足に据える。
お灸の最大の効果は、熟睡が出来るということだ。

睡眠薬を飲むよりもよほど簡単に熟睡が出来る。
西洋医学よりも東京医学の方が進んでいるところも
多いことを実感する。

読書「世界史 上」(ウイリアム・H・マクニール)を
9割ほど読み進む。

「イラン」という国が、人類の歴史の初めから歴史の中心的な
位置に存在していたことが分かる。

人類の発生から西暦5世紀位までの歴史。
4大文明の初めから「イラン」という国は、歴史の中心に存在していた。
今、北朝鮮と共に核問題の話題の中心になっているが、こうしたことは
2000年前からのことなのだ。

同時期の日本は、朝鮮半島を経由して、中国文化(インド・ギシシャ文化
の影響も受けた)が日本にも搬入されたと記されただけ。

欧米人から見た世界史は、日本は飽くまで「極東」なのだ。

===
大手資本家は勝手なものだ。今までは、新入社員は社会・会社に
順応しろと言って来た。新入社員は、スーツで身を固めた。
今度は、自由な発想で、勝手に行動しろというのだろうか?
「私服での入社式」をしている。この会社はまた、会社の都合で
「スーツ」を着ることを強要するようになることは、目に見えている。
新入社員は、「着せ替え人形」ではない。

====
猫ひろしのオリンピック出場に疑義を感ずる。


来年のロンドン五輪男子マラソンを目指し、カンボジア国籍を取得した
お笑いタレント猫ひろし(34)が出場する五輪選考レース
「東南アジア競技大会」(16日、インドネシア)に出走予定の同国代表
3選手が辞退。している。噂では、3選手に「猫」から何らかの
金銭が動いたとの報道もある。
同レースに出走する同国選手は猫のみになった。

カンボジアは、陸上関係では、オリンピック標準記録を
突破した選手がいないため、男女一人ずつ、記録は低いが
オリンピックに出場できるといいう特例制度がある。

2002年、社会貢献支援財団「(日本財団)から
「社会貢献賞」を受賞した。
授賞式後の昼食会で同会の役員をしている「有森裕子さん」と
懇談した。有森さんは、今から10年前のその時に、「私は
カンボジアのマラソン選手が国際的な力を持つようにボランティア
で指導している」と話していた。

有森さんは、10年前から地道にカンボジアに行き、カンボジア人の
マラソンの力を高めるために様々な取り組みをしてきた。

今回の「猫ひろし」の行動は、オリンピックに自分が出るために
カンボジア国籍を取り、オリンピックに出るというもの。
日本のマスコミは、「猫ひろし」の『快挙』を大々的に報道しているが、
10年前からカンボジア人のオリンピック・マラソン選手育成の
ために地道な努力をしている有森裕子さんなどの努力を
「無視するような」猫ひろしとそれを大々的に賛美する大手マスコミの
異常さを感ずる。

何故、10年間も地道にカンボシアのマラソン選手育成という努力を
ボランティアでしている有森裕子さんの報道を一切しないのか?

オリンピックにでたいだけなら、日本人がアジア・アフリカの
国の国籍を取り、「水泳」や「「スキー」などの選手になれば
オリンピックに出られる。
猫ひろしの記録は1時間20分台。オリンピックには程遠し
記録である。
こうした「小賢しい」やり方でオリンピックにでるのは、
やはり人間としては「卑怯なやり方」だと思う。
本当にカンボジアのマラソンを気にするのなら、有森さんの
ように10年以上もかけて、カンボジアのマラソン選手の
力量強化のために「猫ひろし」は奮闘すべきなのではないのか?
私は、自分の欲望を満たすためにカンボジアを利用しただけ
としか思えない。猫ひろしは、カンボシアに年間住んでいる訳でも
ない。私ですら1年間のうち、9ヶ月はフエに住み、3ヶ月ほど
訪日し講演会などを行い、18年間をフエで過ごしている。

猫ひろしは、カンボシアの地元の人にも知られている
存在でもないという。カンボジアを「利用して」の
生き方には、到底賛同出来ない。

投稿者 koyama : 20:57 | コメント (0)

2012年04月01日

休日

午前10時半  気温21度  湿度 80%  
終日雨。寒い。


午前9時半起床。

昨日、料理のセンさんが作ってくれた「マカロニスープ」を
半分温めて朝食とする。


その後、長文の文章を書く。


午後5時、マカロニスープの残り半分を温めて夕食とする。

洗濯


投稿者 koyama : 20:18 | コメント (0)