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2009年01月31日

板橋温泉で休養

朝から雨


昨夜は1時半ごろ目覚めて眠れなかった。
午前5時まで読書。「誰も書けなかった石原慎太郎」。

その後午前8時半まで眠る。

体中にジンマシンが発生し治らない。目のまわりに
ジンマシンができてしまい、人前に出られない。
ジンマシンの薬を飲む。

午前10時半、西台駅まえから無料の送迎バスに乗り
板橋温泉へ。39度の低温浴30分。
1時間ほど入浴。その後、休憩室で読書。
ジンマシンの原因は不明。疲労とストレスも原因と
思い、今日は半日ゆっくりと入浴し、好きな読書をして
ストレス解消。

午後2時半帰宅。2月8日現地報告会の報告文書を
作成する。今日が印刷の締め切り。

「誰も書かなかった石原慎太郎」読了。
著者は石原慎太郎に2回インタビューをしている。
インタビューをした際には、率直な対応に好感を
持っている。しかし、全編を通しての基調は
歪んだ幼児性をもったナルシストの石原慎太郎像を
描いている。一つのことに熱中できない性格。
一ツ橋の大学時代に「太陽の季節」で芥川賞を
受賞してたが、それ以降作家としての実績を残せず、
政治家に転身してからは総理を目指していたが
結局、都知事で終わろうとしている。
石原ファシストという声もあれば、「NOと言える日本人」
と絶賛され、対米、対中国・北朝鮮への強硬な発言を
繰り返す慎太郎。評価が今でも分かれるところである。
都知事選挙では300万票、得票率は50%近くに
及んでいる。共産党系の都知事候補者が30万票である。
こうした評価の分かれる石原慎太郎であるが、
私の興味のもった部分は、その出自である。
本書の3分の1ほどは、父親潔の生い立ちに充てられている。
沖中士ややくざなどと組み、伐採した森林の運搬を管理していた
父親潔からDNAを引きついていることである。母親は東京芸大
絵を勉強したいと願っていた芸術肌であった。そのDNAも
引き継いでいる。終生、弟の裕次郎への劣等感にさいなまれていた。
裕次郎は絵も上手、不良も本当の不良。慎太郎は全てが中途半端
なまま、マスコミや世論の動向を読む能力だけはさええていた。
本書を私が高く評価するのは、著書が最初から特定の色眼鏡で
慎太郎を見ていないこと、そして慎太郎という人間を浮き彫りに
するため明治大正昭和の父潔の生い立ちを探り、慎太郎という
特異なキャラクターをもった人間がどのように生まれ育ったを
佐野流に解明したことである。
著者の記述の中で「強そうで傲慢に見える慎太郎の本質は
『小心者』」と書いている。それは本当の慎太郎なのかも
知れない。新銀行東京の破たん、東京オリンピックは
出来るわけがない。こうして都知事の晩年は、汚泥に
嵌まったまま野垂れ死にしていくのではないだろうか?
それでも自分で責任をとったことはない。
副知事の浜渦に全てダーティーな部分をやらせ、
最後は「首を切って」いる。600ページの大著。
文庫本3冊分はある。

何人かの支援者から電話。

ベトナムのバオミンさんと電話で話す。テトもいよいよ終わる。
テト正月中は忙しかったそうだ(祝い酒で・・・)
2月7日からの訪日の最終打ち合わせをする。
訪日中のいくつかの問題点について話し合う。


投稿者 koyama : 19:35 | コメント (0)

2009年01月30日

マブチモーター本社訪問

終日雨


午前中、10数通のメールの送受信。

午前11時に自宅を出て、JR武蔵野線「東松戸」にある
マブチモーターの「アクア」と本社の「マブチ国際育英財団」へ。
自宅から2時間。

午後2時にマブチモーターの海外ボランティア支援の「アクア」
事務所で村上さんと懇談。

その後、近くにあるマブチモーター本社内にある「マブチ国際
育英財団」へ。


理事長の大西様をはじめ事務局次長のかたなど
と静岡大学留学生への奨学金給付の件をお願いする。

マブチ国際育英財団も「物の支援から人を育てる支援」という
基本的な考えをお持ちである。これは、長年海外支援の
経験がないとたどり着けない「境地」である。
国際支援について、私たちと同じ考えである。

マブチモーターは1946年、「関西理科研究所」を設立。
世界トップの小型モーターの会社である。
1996年、ベトナムにも「ベトナムマブチ」を設立。
2005年「ダナン馬淵」を設立。
国内1000人、世界中に4万5千人近い従業員を擁している。
(2007年12月末現在)

2時間半ほど、海外支援、国際留学生受け入れなどの
話をする。


皆さん、アジアの青年の育成に情熱を持っている。
こうした日本人が段々少なくなっていることを惜しむ。

理事長さんは、満州からの引揚者で奨学金を
もらって早稲田を出たとのこと。自らの体験から
海外の若者を支援したいとの強い気持を持っている。

静大へのフエからの留学生への奨学金支給を
お願いし、退所。

その後、アクア事務所で馬淵名誉会長の息子さんなど
と懇談。今後の協力を依頼する。

今日は昼過ぎから体中にジンマシンが出る。
特にマブチモーターで懇談中に「首から頭」
まで3センチほどのジンマシンが出てしまい、
顔が腫れるようにほてってしまう。


手のひらと指にもジンマシンが出る。
帰りの電車の中では頭の髪の毛のなかまで
ジンマシンが出てしまい、どうしようもなく
困ってしまう。



明らかに体のバランスが崩れていることがわかる。
体の抵抗力と免疫力も低下しているのだろう。

午後6時半から杉並公会堂で行われる
「土肥校長と共に、学校に言論の自由を求める」保護者・市民
の会の会合に行く予定だったが、顔も腫れ、体中がかゆくなって
しまったので、帰宅する。自宅着午後7時。
夕食を摂って、ジンマシンの薬を飲む。

12月の末位からこの「大粒のジンマシン」も悩まされる。
原因不明。突如、発生する。大学の同級生の
Dさんに送ってもらったお灸を教えられた「つぼ」に据える。

帰りの車中で「「誰も書けなかった石原慎太郎」を読む。
彼の屈折した人間性を詳細に追い続ける作者。
母親も慎太郎も「世界救世教」の熱心な会員である。
手の光で病気や悩みを直すという教義。
熱海の「MOA美術館」は、教祖の岡田茂吉(おかだ もきち)
の MOKICHI OKADA アソシエーション」の
頭文字をとったものであることを知る。

3分の2ほど読み進む。石原慎太郎の文学について。
「太陽の季節」には、賛否両論あった。三島由紀夫、
江藤淳などは慎太郎の支援者だったが、晩年
「袂を分かつ」。

太陽の季節が出た時には、井上ひさしなど徹底して
批判している。

結局、文壇では、これといった実績を残さないまま
政治家慎太郎になったようである。

投稿者 koyama : 21:17 | コメント (0)

2009年01月29日

手嶋屋訪問

晴天  多少寒さが和らぐ

ジンマシンがまだなくならない。薬を飲む。

午前9時、自宅を出て新宿御苑前に会社を持っている
小学校教員時代の教え子の手島君経営の「手嶋屋」
を訪問。

手嶋君はITの会社を創設し社長となる。
先日、私の個人用のHP作成を依頼した。
今日は、私でも操作ができそうな個人用HPのアウトラインに
ついて相談。私の方で個人用HPに載せたい内容を説明。
手嶋君の方からは、各種のHPを示してくれ、その中で
今、若い人が作っている「流行」のHPのサンプルをいくつか
教えてくれる。あるHPに決定。作成の簡単な手順を教えて
もらう。

今日の話し合いを基礎に手島君が「小山個人HP」の試作品を
作ってくれる。そのHPを見て次回2月15日再度、会って、
最終的なHPの作成の方法を教えてもらうことになった。
手嶋君を教えたのは18年ほど前である。今日、彼のHP
作成を教えてもらえるとは思っていなかったが、感謝している。

社員も10数人いる会社である。


午後から夕方にかけて体がだるい。
自宅で読書。

「誰も書けなかった石原慎太郎」(佐野眞一著:講談社)
非常に興味のある本である。慎太郎は「上流階級」の
子弟あるようにみえながら、どこかやくざっぽいところを
持っている。著者はその「上級階級」と「やくざ」の
二面性を持っている慎太郎の出自を追う。

慎太郎の父、潔は山下汽船に丁稚として入り、
樺太に行く。王子製紙とくっつき、樺太の森林を
ただ同然で国内に運搬する海運業を山下汽船の
社員として行う。
樺太の森林の木を伐採し、筏に組み、川をおり、
海に運ぶ。海岸で待っているフエにクレーンで
のせる。「沖中士」の仕事の監督である。
当時、小林多喜二が書いた「蟹工船」と同じ最下層の
労働者を「やくざまがい」の00組などという連中と
一緒になり、労働させた経歴が認められ、
慎太郎の父親は少しずつ出世していく。
父親の中にある沖中士ややくざもどき連中を
厳しく監視し、働かせた気質を慎太郎は
「上流階級」の恰好をしながら、その本質に
持っていると著者は言っている。
上流階級にみえながら、どこか怪しい、やくざや不良っぽい
所。これこそ慎太郎の真骨頂であり父親から受け継いだ
気質だと。

投稿者 koyama : 20:19 | コメント (0)

2009年01月28日

現地報告会準備:通院

晴天  寒い

午前中、2月8日午後1時半から東京・王子飛鳥山の
「北区教育会館」で行われる『「子どもの家」創立15周年記念
現地報告会』の準備。

ベトナムで撮影してきた多量のビデオを20分ほどに編集。
編集作業は結構大変である。全てのビデオを見なければ
ならない。その後、どの場面を採用するのかを決め、更に
その場面を何分使うかを決める。

全体のシナリオの中に必要なビデオの場面を取り入れて
行く。半日以上かかった。

午後、近くの総合病院へ。ジンマシンが治らない。
皮膚科の医師に相談。
ジンマシンは原因が分からないとのこと。精神的なストレス、
疲労、その他。当面、症状を抑える薬をもらう。

バオミンさんなどへいくつかの問題についてメールを送る。

1時間ほど散策。

読書「誰も書けなかった石原慎太郎」(佐野眞一著:講談社)
650ページの大著。佐野氏は1947年生まれ。私と同い年。
プロローグで「本人が一番知りたくなかった石原慎太郎になった
とひそかに自負する本書で、石原慎太郎という男の功罪を
検証するとともに、新銀行東京の破破綻問題でも相変わらず
責任転嫁に終始した慎太郎に GET OUT(退場)の引導を
渡すつもりである。」と書いている。父親の出自、自分より
優秀で」人間的に包容力のあった石原裕次郎への反撥
など、慎太郎を生み出した父親・母親の出自を明らかにし
、何故、今日の慎太郎が登場したのかを期している。
非常に興味のある内容である。
父親の石原潔氏は、愛媛の貧しい家庭に生まれ、
同郷の創業者であった山下汽船の「丁稚」((店童)から出発
している。慎太郎・裕次郎には、異母兄弟の兄がいる。
慎太郎の母親は絵の才能を持っていたようだ。
佐野氏によれば、慎太郎は父親似、裕次郎は母親似だそうだ。

投稿者 koyama : 07:45 | コメント (0)

2009年01月27日

静大人文学部長懇談:学務部長・学生課長懇談、ブライセン社長懇談

静岡市は晴天。  寒い。

昨夜半からジンマシンが発症。1ヵ月程前にベトナムの
「ハイリーホテル」で起こったジンマシンと同様のもの。
体中がかゆく寝ていられない。ウトウトと一晩を過ごす。
ホテルの布団にいるある種の「ダニ」のアレルギーと
思われる。

午前7時半、ホテルで軽く朝食を摂る。

午前8時半、JASS日本代表委員会副委員長(静岡の会)
の滝下さんが車でホテルまで迎えに来てくれる。

午前9時前、静岡大学へ。

人文学部長の浅利先生と
1時間半ほど懇談。フエの大学院を視察・交流したいとのこと。
JASSベトナム事務所が「静岡大学フエ連絡事務所」に
なっている関係でフエの大学院事情を話す。今年の春に
静大・県立大などの関係者でフエを視察するとのこと。
親交を深める。

午前10時半。静岡大学本部へ。学務部長の車谷氏と
課長、滝下さんとフエ高校生の静大工学部
への留学問題について、細かい詰めを行う。
午後12時まで。



午後12時過ぎ、学務部長・滝下さんと一緒に昼食。

午後2時頃の新幹線で帰京。

車中で読書「流れる星は生きている」(藤原てい著:中央公論新社)

午後5時、五反田にあるIT企業「ブライセン」へ。
ブライセンには、私の紹介で「子どもの家」にいたVU君と
JSSS関係者のTHI君が1年の契約で研修をしている。


ブライセンは携帯電話の中にあるプログムの「組み込み」という
特殊なIT分野の仕事をしている。
二人は、組み込みのテスト(うまくつながるかのテスト)を
パソコンを使って行っていた。かなり力がついてきたようだ。

藤木社長・役員Aさんの3人で今後のブライセンとJASSとの
共同について話し合い、合意する。


午後5時過ぎ、藤木社長、役員Aさん、Bさん、THI君、VU君
と五反田の和食料亭に行き、吟醸酒などを飲む。

VU君、THI君は日本へ来て10ヵ月程になる。五反田から
足立区までJRで通勤しているといのこと。

午後8時半頃解散。

午後10時帰宅。寒い。湯たんぽを入れる。
疲れた。直ぐに寝る。

午前2時頃、目覚める。読書。午前5時まで。
「流れる星は生きている」を読み切る。

是非、多くの人に読んで欲しい本である。
満州から朝鮮を通って福岡まで引きあがる1年数か月
の出来事、体験をかなり具体的に書いている。

毎日「死」と直面しての逃避行。5歳の長男、2歳の
次男、生後1ヵ月の長女の3人のこどもたちを連れての
逃避行がどれだけ大変かが良く分かる。
途中で何度私が涙が出てきたか分からない。
極限の人間の優しさと恐ろしさ、残酷さ、エゴ、
利己主義など人間丸出しの集団逃避行の実態。

藤原ていという人間の芯の強さと我が子への
無限の愛情が良くわかる。

「国家の品格」を書いた二男の正彦が、わがままな性格で
あり、5歳の長男は自分の食べ物を母親に上げるという
優しい気持を持っているなどということもわかる。

日本軍国主義のアジア侵略の結果が結局は多くの
こどもたちが栄養失調で各種の伝染病になり死んでいく
という結果をもたらしていることがわかる。

我が家が中国から引き上げくる状況と全く同じである。
我が家も5歳の長男、2歳の長女を母親が連れて
同じような逃避行を行っている。この本に書かれている
ような苦労をしたのだろうな、そして、5歳の長男一義
が栄養失調から肺炎を起こし、死んでいく経過を
辿った。たかだか64年前の出来事である。

題名の「流れる星は生きている」は当時
逃避行をしている人たちの間で流行った歌の
一節である。

私の胸に咲いている
あなたの植えたバラの花
ご覧なさいね 今晩も
ひとりで待ってるこの窓の
星にうつって咲いている


私の胸に泣いている
あなたの呼んだあのお声
ご覧なさいね 今晩も
二人で誓ったあの丘の
星はやさしく唄ってる


私の胸に生きている
あなたの行った北の空
ご覧なさいね 今晩も
泣いて送ったあの空に
流れる星は生きている

読んでいくうちに何度涙が出てきたことか。

二度とどんな理由があっても戦争をしてはならない。
憲法9条は死守すべきもの。

投稿者 koyama : 09:42 | コメント (0)

2009年01月26日

静岡大学工学部(浜松)訪問:浜松合同法律事務所

晴天  寒い


ベトナムのテト正月 おめでとう

午前7時半、自宅を出て東京駅へ。午前10時半浜松駅。
静岡大学工学部の松本先生の出迎えを受けて静大工学部へ。
フエの留学生受け入れの態勢作りの打ち合わせ。午後12時40分。
静大生協食堂でうどん。

松本先生の車で浜松合同法律事務所へ。
JASS会員だった故木村百合子の自死の公務災害不認定への
異議申し立て裁判の打ち合せ。なかなか複雑な問題もあるが
何とか木村百合子さの憤死の仇討をしたいとの強い気持を
持つ。

夜、静岡市内のホテルへ。宿泊。

「大杉榮語録」読了
大杉榮はアナーキズムの立場から1917年のレーニン・
ボリシェビキの労農革命に反対している。
趣旨は「官僚化する」ということ。1991年のソ連の
崩壊を見通しているかの様であり、現存の社会主義国と
称する国の基本的人権の喪失の現状も100年前に
既に喝破している節がある。

「流れる星は生きている」(藤原てい著:中央公論新社)を
読み始める。満州から朝鮮を経て日本へ帰った引揚者の
記録。昭和24年出版。100万部売れたそうだ。
著者は作家新田次郎の奥さん。次男は「国家の品格」の
藤原正彦。

投稿者 koyama : 22:09 | コメント (0)

2009年01月25日

友人と交流

晴天 寒い

午前中、2月8日現地報告会の会計検討。

午後、友人と交流。

夕方帰宅。

2月8日現地報告会の内容検討

投稿者 koyama : 07:50 | コメント (0)

2009年01月24日

2月8日、現地報告会の準備

曇り 非常に寒い。

こどもの頃から「雪腹」だった。雪の降りそうな時には、必ずお腹が
痛くなった。今日も気温がかなり下がっている。朝からお腹が痛い。

昨夜飲みすぎ。午前10時半まで寝ている。

簡単な朝食。

昨日の日記を書く。

その後、夕方まで2009年2月8日北区王子飛鳥山にある
北区教育会館で行われる『「子どもの家」創設15周年記念・現地
報告会』に提案する「2008年活動の総括」「2009年活動の方針」
の原案を作成する。

支援者のEさんから電話。

読書「大杉榮語録」(鎌田慧著:岩波書店)
本書は基本的に大杉栄が何を言ったかを
大杉の著作から引用して書いたものである。
しかし、途中で「大杉榮と鎌田慧の対談」という面白い
企画がある。今、大杉栄が生きていたら、という前提で
「今の日本、今の世界」を大杉はどうみているのか?
を鎌田氏が問いかけ、大杉が答えている。
特に今日の労働運動、革新運動には手厳しい批判を
加えている。煎じつめれば、「一人一人の労働者の心の中に
ある怒りや思いを組織できない」現在の労働運動や革新運動
に対して「上から組織する代行的な運動はすでに行き詰まって
いる。世界で広がっているNGOやボランティアのような個人を
基礎として新たな運動が必要」と言っている。


宇都宮縫製工業組合理事長の佐藤さんから電話。

午後6時半、ポッピーを飲む。
その後、昨夜キューバに住んでいるMさんからもらった
「ラム酒」を飲む。なんとも良い香りである。

夜7時45分、BS2で「昭和の歌人たちーいずみたく」
を見る。私の中学から高校・大学時代に流行った歌。
大月書店でいずみたくが書いた本を読んだ。
いずみたくは敗戦後、鎌倉アカデミアで学ぶ。
いずみたくは、正式な音楽教育を受けていない。
いずみたくの歌を当時の芸大や音楽学校を出た音楽家は
音楽ではないと批判した。いずみたくは、りんご箱に紙で
書いたピアノの絵を使って音楽の勉強をしたと書いている。

午後7時45分から午後9時まで。
以下、いずみたくが作曲した歌

これが青春だ
太陽がくれた季節
ふれあい
女ひとり
つくば山麓合唱団
いい湯だな
ベッドでタバコをすわないで
希望
世界は二人のために
いいじゃなの幸せならば
ゲゲゲの鬼太郎
恋の季節
涙の季節
見上げてごらん夜の星を
夜明けの歌
てのひらにを太陽に

こうしていずみたくの歌を聞くと、いずみたくを素人と批判した
アカデミックな専門家がいかに時代から遊離したいたかがわかる。

午後9時TBSで「世界不思議発見ー新ベトナム紀行」を見る。
何度この種のベトナム番組を見たことか・・・。
ベトナムの高級ホテル、高級レストラン、高級船。

本当のベトナムの現実には全く目を向けていない。
この番組のスポットに行ったフエ人が何人いるだろうか?

ベトナムにいる日本人の手引き、日本のテレビ局の
ディレクターの頭の中、能力、現状認識の程度が
分かるというものである。
見ていたあまり楽し番組ではなかった。

投稿者 koyama : 15:51 | コメント (0)

2009年01月23日

北垣さんと懇談  高校クラス会

曇り  寒い

午前11時。池袋で太平観光会長の北垣さんとお会いする。
東口の喫茶店で1時間半ほど話し合う。
その後、東口西武の8階へ行き、軽くビールを飲みながら
話す。北垣会長は、私がフエ行って「最初」の支援者である。
1993年9月にフエへ行き、10月11月と2ヵ月間毎日雨が降り
大変な所へ来たなと孤独な中で将来への大きな不安をもちながら
生活し、1994年1月末頃、5ヵ月ぶりで日本へ帰国した。
その時、北垣会長(当時社長)から「ベトナムのことを知りたい」
とのことで私の友人の紹介で池袋西口の東方会館でおあいしたの
が始まりだった。私がベトナムへ行って最初に帰国した時、最初に
お会いし、当時、日本にほとんど情報のなかったベトナム情報を
話したのが出会いだった。それから16年。フエでの活動には
紆余曲折があった。3回にわたる「国外追放」攻撃。
その他諸々の問題があったが、北垣さんは全ての事情を知り、
私が直面した様々な問題を知っている。そして、一貫して
「子どもの家」や私のベトナムでの活動を支援してしてくれている。
この10数年間、毎年200万円もの大金をフエの学生に
奨学金として支援してくれている。
船上生活者の子弟の多い「フールー小学校」「ハイバーチュン高校」
「コックホック高校」「フエ医科大学」(100人)などへの奨学金支給を
続けてくれている。既に多くの学生が医者になり山間僻地などで
医療活動を行っている。
結局、グラス3杯のビールを飲む。午後3時半まで話し合う。
北垣会長のフエの貧しいこどもたちへの支援の原点はその
生い立ちにあった。
大阪堺の「北垣製薬」という「田辺製薬」と同じ位大きな製薬会社
のお坊ちゃんだった北垣さんである。諸般の事情で会社が
傾き、倒産。中学からは、親戚の4畳半の家で母親・妹などと暮らして
いたとのこと。戦争が終わり、敗戦という困難がさらに北垣さんの
身の上を襲った。貧しさを乗り越えて京都大学に入り、アルバイトを
しながら勉学に励み、今日にいたっている。貧困に苦しんでいる
こどもたちへの共感はこうした北垣会長の生い立ちと人生そのもの
にあった。私の生い立ちと人生とも共通しているところがある。
午後3時半に解散。

午後6時30分、高校のクラス会。秋葉原の古い料理屋へ。

高校のクラス会は1年間に3回位は行っている。
幹事のような役をやってくれているG君がこまめに
準備・連絡・会場取りなどをしてくれるので、こうして
毎年3回~4回ほどの会合を開くことができる。
G君に感謝。
毎回参加しているY君やS君はラオスでラム酒の
工場を造り、現地の人々の支援を始めている。
今日は、ラオスにいるとのこと。
今夜はキューバに住んでいるMさんが和服で参加。
我がクラスは高校3年間クラス替えがなかった。
18歳からの付き合いである。43年間もの付き合いとなる。
ラオスに3人、ベトナムに私、キューバに1人と5人もの
クラスメートが海外で暮らしている。
昔話やらこれからの人生などを4時間ほど話し合う。
ビール、日本酒などを飲む。午後10時半解散。



自宅着、午後11時半。かなり飲みすぎ。しかし、43年間の
空白を感じさせない楽し4時間であった。それぞれの人たちが
これからの人生を有意義に行きようとしていることもうれしい
こである。とかく「団塊の世代」と十把ひとからげで呼ばれて
いるが、
私個人としては「団塊の世代」とひとまとめにされることには
違和感を感じている。
70年代安保闘争を経験した人たちである。今夜の参加者
の多くは何らかの形で学生運動も経験している。
当時、過激に石などを投げ棍棒を振り回した人たちほど、
卒業後の「方向転換」も早かった。今では自民党の町村派
会長など、多くの「過激に運動した人」たちは、その後の
人生も「立身出世」の道をひた走りに走っている。
今夜集まった8人のクラスメートは、それぞれ地道に
この48年を生きてきた。誰一人いわゆる世間でいう
立身出世をした人はいないが、みんな、貧しい人の
立場にたち、世の中を変えたい、みんなが幸せになる
世界を作りたいとの気持ちをもって生きてきている。
我が高校の校風、特に我がクラスの「風土」の影響
が強い。参加者8人全員の健康を祈りたい。
2月にラオスに行く仲間がいる。6月頃、みんなで
ベトナムへ行こうとの話も出ている。

投稿者 koyama : 11:05 | コメント (0)

2009年01月22日

自宅で仕事

寒い  雨

22通のメール受信。24通のメール送信。

1日中、ベトナム関連の各種の問題への対応。

静岡大学関連の連絡、電話での打ち合わせ。

フエ要人訪日のシュミレーション。新幹線の切符、

静岡、京都への移動、ホテル、各地での活動の計画。

JASSへの問い合わせへの返答。

教え子の手島君と連絡。

さすが、24通のメールを書くと疲れる。

夜、4件の電話あり。

読書「大杉榮語録」。

投稿者 koyama : 08:27 | コメント (0)

2009年01月21日

自宅

寒い

午前中1時間散策。

読書「大杉榮語録」(鎌田慧著)

木村百合子さん裁判の検討。
被告側の論点を整理する。
当方(原告)の主張の主要点は?
私ができる意見交換の範囲は?
私は小学校現場の教員の労働実態、
クラス運営の苦労、学校という組織の
協力・共同、校長や管理職の職責と任務などに
ついて意見をまとめる。

オバマ大統領の就任演説全文を新聞で読む。
「我々は危機のさなかにいる。・・・我々が直面する
深刻な困難は実在しており、短期間では解決できない
だろう。・・・・・・経済を活性化させるために、道路を造り
配電網(小山注:多分、電気自動車のための充電スタンド)を
整備しよう。科学技術を健康増進に利用しよう。
そして、太陽や風を、車や工場の燃料に転換しよう。
学校や大学を新しい世の中のふさわしいものにつくり替えて
いこう。・・・・ファシズムと共産主義に対抗するために
我々の先輩たちは武器を手にしただけでなく、頼もしい
同盟者と固い信念で支えられた。・・・・・・いま、イラクから
撤退し、アフガニスタンの平和のために働こうとしている。
キリスト、イスラム、ユダヤ、ヒンドゥーなど様々な宗教、言語、
文化を持つ米国の伝統は、弱さではなく、強さの証だ。
米国は多様性の中で共通する人道主義を重んじ、新たな
平和の時代を作りあげなければならない。・・・・・」。

朝日の夕刊に更に詳細な就任演説が載る。
ベトナム戦争について「彼ら(アメリカの先人たち)は、
私たちがより良い生活を送れるよう・・・・・。」
「私たちのために(ベトナム戦争)のケサンで闘い
命を落とした」と演説している。
ベトナム戦争への反省が全くない。オバマ大統領に
とっては、ベトナム戦争は「正義の戦い」だったのだ。
戦争についての彼の限界が見え隠れする。

就任演説を読むとアメリカは確かに新しい時代に入ったことが
分かる。ブッシュの新自由主義・新保守主義・アメリカ一国武力
主義から脱却する決意が述べられている。
ではあるが、日本のマスコミのように何もかもオバマ万歳とは
思えない。明らかにブッシュ路線の舵を大きく切ったのは
事実だ。そのあと、何が起こるのか?注視していく必要がある。
地球環境を守る取り組みを重視していることが、就任演説でも
窺える。期待したい。
オバマの演説を絶賛している日本のマスコミ。それは
ブッシュの終焉を意味する。どのマスコミもブッシュに
追随した小泉・武部をはじめとする自民党・公明党の
イラク侵略の責任には言及していない。
日本のマスコミは海外の政治には大胆な言及をしても
国内政治には、全くジャーナリズムの精神を失い、
批判すらできない。今日の朝日新聞の社説もブッシュ政権
の誤りを縷々述べいるが、それに追随し、イラクへ派兵し、
新自由主義路線に追随し、派遣村まで出来てしまった
日本の経済・社会を作り出した、自公政治については
一切触れていない。

我が国の首相は、昨日の参議院で民主党の石井議員に
「漢字のテスト」を受けるという無様な実態である。

1985年、オバマはシカゴの貧民街で支援の地域活動を
行っている。選挙運動も草の根。
グラス一杯1000円もするビールを飲み、
カップラーメンが400円などと言っている
「良家のおボちゃん」とは、一味違うことだけは明らかだ。

ベトナム事務所のバオミンさんと電話ではいくつかの問題を
話し、打ち合わせ。

静岡の会の滝下さんと電話で打ち合わせ。
太平観光北垣会長と電話で打ち合わせ。
教え子の手島君と電話で話す。
ACCL代表と電話で打ち合わせ。

メールの送受信。

午前中1回、午後1回、それぞれ1時間ほど散策。
寒い。寒さには滅法弱くなってしまった。

投稿者 koyama : 15:33 | コメント (0)

2009年01月20日

自宅休養

曇り 寒い


朝から腹痛。

Dさんからお灸が届く。早速、腹痛・下痢に効く部分にお灸を
貼る。半日ほどして痛みが取れる。

読書「大杉栄語録」。
ボランティアを行う場合の「個人」の意志と活動の原動力を
どう保持するかを既に100年前に書いている。
1914年。ロシア革命前である。
自立した個人の確立が彼のテーマである。

亡くなった木村百合子さんの公務災害却下に対する裁判闘争に
ついて弁護士さんと打ち合わせをする。そのために今までの裁判
の全容を示した全ての書類を送ってもらう。全てに目を通す。
15センチほどある書類である。裁判は書類作成にどれだけ
エネルギーを費やすかを知った。26日、浜松の弁護士事務所へ
行き打ち合わせをする予定。この裁判は何としても勝利させなければ
無念のうちに亡くなったJASS会員の木村百合子さんの憤死の
「仇討」ができない。

投稿者 koyama : 21:21 | コメント (0)

2009年01月19日

魯迅読了

晴天  今日の東京は暖かい。

終日、自宅で休養。

読書 魯迅「端午の節季」、「白光」「兎と猫」「あひるの喜劇」
「村芝居」。魯迅読了。

1900年代の中国。清国が倒れる辛亥革命。中華民国臨時政府
が樹立される。封建性の批判。
阿Q正伝など中国の地方の農村の生活と物の考え方、封建制の
の実態などが良くわかる。魯迅の作品は中国近代史を理解して
いないと分からないぶぶんが多々ある。
大きな時代の変わり目。人間は何を考えどう行動するのか。
示唆に富む。

読書「大杉栄語録」(鎌田慧著:岩波新書)
を読み始める。

大杉栄は「アナーキスト」という烙印を押されrていた。
数年前、大杉の娘伊東ルイの本を読んで、大杉栄
についての認識を改めた。1991年ソ連邦が崩壊した。
大杉栄が「アナボル論争」でアナキストとの烙印を
押されたが、彼は個人の確立と個人の自由を
主張していた。

昨年からのジンマシン、今年1月7日帰国し、9日の
「かめのり賞」授賞式を通して、体調を崩した。
授賞式以後は、体調回復を主眼に生活している。
1月23日から日程が入っている。2月17日の
帰国まで続く。何とか体調を回復しつつある。

夜7時、テレビ朝日
「ドキュメンタリー宣言 山谷の天使」を見る。
東京浅草の山谷。ホームレスを支援する看護師
のドキュメンタリー。様々な角度からの意見は
あるのだろうが、私は彼女の活動を評価する。
支援する看護師と支援されるホームレスの
人々との間には、言葉に出せない「違和感」
があるはずだが、テレビでは何も出ていなかった。
それでもホームレスの人びと(ほとんど私と同年輩)
の末期を守る心のある人である。批判は楽であるが
行動をすることは大変である。私は行動する人を
評価したい。

私たちがリー君(仮名)、イン君(仮名)の支援をしている
ことと同じ。成果がでるかどうかではない。
人間として彼らに私たちができることをするだけである。

山谷の路上の人々ヤホスピスの男性を見た。年齢も私
と同じくらいである。
「マツゴロウ」と名乗る男性が一人で死んでいくようすを
見て「涙が」出てきた。
1960年から2000年代まで頑張って仕事をしてきた
世代である。様々な家庭の事情があるのだろう。
最後は人間としての「お互いの助け合い」の気持である。
損得ではない。この気持ちを理解出来ず、「理屈」で
人間を見ようとする人にはこうしたボランティアは
理解できないだろう、などと思った。
[都市型限界集落」という言葉を聞いた。


投稿者 koyama : 14:14 | コメント (0)

2009年01月18日

休養

終日、自宅で休養。

読書「魯迅」。

上田さんなどから電話。

メール送受信。


投稿者 koyama : 21:06 | コメント (0)

2009年01月17日

休養

メールの受信送信多数。


読書「魯迅 阿Q正伝」。
魯迅のいくつかの短編と阿Q正伝を読んだ。
ベトナムの社会、伝統の発祥が中国にあったことが良くわかる。
ベトナム語の語源も。大学生を「シンビエン」(生員)という。
中国では、生員は、科挙試験の受験資格のある人のことを
いう。
阿Q正伝にでてくる「一族神、地域神」などは今でも
フエに存在している。
1900年代に書かれた魯迅の中国批判を読んで
今のベトナム社会を見た。特に農村。

投稿者 koyama : 19:26 | コメント (0)

2009年01月16日

終日読書

寒い


多数のメールの受信・送信。

ベトナム事務所の日本人は明日、帰国する。

読書「魯迅作品集」
薬・明日・小さな出来事・髪の話を読む。

これら魯迅の作品を理解するためには、中国の近代史の
概略を知らなければならない。

明の滅亡、満州族による清王朝の建国、西欧列強の
中国侵略。英国のアヘン戦争、アロー戦争、太平天国の乱、
清仏戦争、義和団の蜂起、日清・日露戦争、辛亥革命、
1912年の中華民国の建国・・・・。

投稿者 koyama : 16:24 | コメント (0)

2009年01月15日

休養


(ベトナム事務所テト正月閉鎖)

ベトナム事務所は以下の日程でテト正月休暇に入ります。
この期間、ベトナム事務所は閉鎖されます。
ベトナムのテト正月は2009年1月26日です。

(ベトナム事務所閉鎖期間)

2009年1月18日から2月1日まで


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寒い


17通のメール受信。15通のメール送信。
1日の大半をメールの送受信で過ごす。


布団で横になっていた。あまり物を考えるのはまだ違和感がある。


読書「阿Q正伝・狂人日記・他12篇」(魯迅著:岩波書店)
自序・狂人日記を読む。

投稿者 koyama : 18:33 | コメント (0)

2009年01月14日

ベトナム事務所「テト正月」閉鎖:4日間、ひどい「風邪」で寝込む

(ベトナム事務所テト正月閉鎖)

ベトナム事務所は以下の日程でテト正月休暇に入ります。
この期間、ベトナム事務所は閉鎖されます。
ベトナムのテト正月は2009年1月26日です。

(ベトナム事務所閉鎖期間)

2009年1月18日から2月1日まで

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


1月9日の「かめのり賞」授賞式の後、風邪をひき、
発熱、下痢、吐き気、倦怠感などがあり、寝込んでしまった。
病院で薬をもらい、寝ていた。

今日、何とかパソコンを開くことができるようになかった。

この間、60通ほどのメールが入っていたがが、返事が出せず
お詫びする次第である。

まだ、本調子ではない。しばらく体調を整えるよう頑張るつもり。


今日、ほぼ1日をかけて60通のメールへの返事、必要な
メールを出す。

投稿者 koyama : 10:11 | コメント (0)

2009年01月10日

終日寒い ベトナム事務所フーン先生誕生日

終日、読書。

今日は、日本語学校主任のフーン先生の00回目の
誕生日。誕生ケーキとベトナム事務所員全員の
寄せ書きを贈る。



読書「上海にて」(堀田善衛著:集英社文庫)読了。

1945年の敗戦から1946年末まで上海で暮らした
堀田善衛(当時20歳代の後半)が、1959年に
再度上海を訪れて考えたこと。
これほど理性的であり率直に感情も表わす作家は
珍しい。
1959年はまだ日中国交回復がされていない時期である。
中国社会主義を盲信する文化人の一群もあったが、
堀田は新生中国を評価しつつも社会主義中国を
盲信してはいないかった。
1945年8月11日に上海では日本の敗戦を知り、
中国共産党が新生中国の成立を呼びかけるビラを
配っている。しかし、上海には蒋介石の国民党が
入り、複雑な経過を辿る。不正と虐殺が横行する
上海時代を思い出しながら1959年の上海旅行を
記録する。魯迅が出てくる。魯迅も読んでみたくなった。


今日の朝日新聞3面にベトナムの経済状況が書かれていた。
ホーチミン市から車で1時間。カンボジアのカジノ。
昨年末、カンボジアのカジノで遊ぶベトナムの一時成金が
激減したそうだ。
2007年WTO(世界貿易機関)加盟後、ベトナムへは
大量の金が海外から流れ込んだ。株と不動産ブームが起き、
インフレ率は前年比25%にもなった。消費や輸入の拡大で
貿易赤字も急増。
2008年春からベトナム通貨(ドン)が急落。政府は金融引き締め
を行うところに追い打ちをかかて世界金融危機が加わる。
2008年末、国内上場株式時価相場は年初の3分の1に暴落。
ホーチミン市中心部の地価も1年で半値になった。
ベトナム銀行副総裁のグエン・ドン・ティン副総裁は
「市場に任さる自由主義経済では、自分たちだけでは解決
出来ない問題が起こることを学んだと言っている。
資本主義の本質を知らないまま「マネーゲム」に狂奔している
ベトナム社会の中心的な人間の粗雑な発言である。
ホーチミン市だけえでなく。ハノイもフエも一部の特権階級と
一時成金が「おかねの亡者」になったベトナムである。
2009年は、彼らが甘い汁を吸ったつけを支払わなければ
ならない時期に来た。しかし、彼らはまた特権を使い
違う方法で甘い汁を吸う道を探し出すのであろう。
しかし力もない一時成金は、明らかに没落していく。
土地と家屋の値上がりを期待したり、大もうけを
しようと「大きなプロジェクト」を企てたりした
資本の本質、資本主義の本質を知らない無知なベトナム人が
銀行から借金をし、投機のために土地や家屋を買いまくった。
予定では何倍にも値上がりしている予定だったが、
ベトナムの経済の失敗と世界の金融危機が加わり、
土地と家屋が大暴落している。銀行から借金した
一時成金などは、返済できない泥沼に陥っている。
209年はこれらの無知な「金の亡者」である一部の
一時成金などの没落と庶民生活への経済破綻のツケ
が直撃する。2009年はJASSにとって一層、心を
引き締めて貧しいこどもたちへの支援を行わなくてはならない。
ベトナム・フエにJASSが存在する意義が一層必要に
なって来ている。

今日は1日中、寝ていた。

投稿者 koyama : 20:31 | コメント (0)

2009年01月09日

「かめのり賞」授賞式

朝、小雪。終日雨。気温4度。

午前中、ベトナム事務所、バンベー編集者などとのメール
連絡。

午前11時半、自宅を出て、市ヶ谷へ。
午後1時半、市ヶ谷「アルカティア市ヶ谷」(旧私学会館)
で新日本語教師の原田さんと会い、1時間ちょっと話し合う。
2月4日からフエの日本語学校などで日本語を教えること
になっている。

午後3時、「第2回 かめのり賞」授賞式に参加。

「かめのり賞」は2006年4月11日文部科学省の認可でアジア・
オセアニア諸国との相互友好交流・理解を促進するために
設立された。
財団名の「かめのり」は、共立ビル株式会社の創業者である
故康本亀範の意志に基づき、次男の康本健守氏が財団を
設立し、高校生・大学生などのアジアの若者と日本の
若者との交流などをめざして設立された。

初めに財団理事長の竹内三郎氏の主催者挨拶。
今年、文科省の監査を受けた。Cランクという
不名誉な認定を受けた。文科省は済州島の大学生を
明治大学の大学院へ留学させたことは、間違っていると
指摘した、公認会計士の監査がなかった、との指摘で
Cランクの財団との認定をしたのは、間違っている。
済州島は創業者の「亀範氏」が済州島出身であり
済州島大学に数億円の寄贈をしている。そうした経過が
あるので済州島の大学生を日本の大学院に留学させた
のだ。また、公認会計士の監査は文科省の財団監査の
規定にはない。文科省は規定にない条件を勝手に出して
「かめのり財団」を落第財団と認定した。しかるべき抗議と
申し入れを行うつもりだ。

続いて、「Cランク」という認定を与えた文科省初等中等教育局
国際教育課長 大森摂生氏の来賓挨拶。
「Cランク」という認定した私が、来賓として「おめでとう」という
挨拶をするのはどうなのか・・・・・。

続いて、「第2回 かめのり賞」授賞式。


創業者の二男である財団創設者の康本健守氏より贈呈。


受賞者挨拶


8団体、2名の」受賞者



財団創設者 康本健守氏と


授賞式後、レセプション。

相沢英之名誉会長の挨拶。

偶然会場で東京学芸大学時代の友人、真壁氏も参加していた。
38年ぶりに再開。真壁氏は、第1回目の受賞者。
モンゴルのこどもたちの支援。三宅島や三多摩の小学校長を
して退職したとのこと。


授賞式には、推薦者のACCL代表渡辺和代さん、
新日本語教師の原田さんも参加。

忙しい中、参加してくれたお二人に感謝。


午後8時半過ぎ、帰宅。雨。寒い。

投稿者 koyama : 21:10 | コメント (0)

2009年01月08日

リー君が帰ってくる

午前中、晴天。午後曇り

気温が低く寒い。

昨日と今日の2日間ゆっくりとした。体調が大分回復。
フエは気候のストレス、ボランティア上のストレスなど
ストレスの塊社会である。

ソマリヤで拉致されていた「赤羽桂子医師」が解放された。
良かった。

終日、衆議院予算員会をテレビで見る。

麻生首相がどんな「言語環境」で育ったのかは分からない
のだが、他人に自分の気持ちを伝えることが本当に下手である。
彼の人生で「自分の気持ちを相手に分かりやすく説明し
自分を理解してもらうという言語能力を育てる機会がなかった、
その必要がなかった」のでは、という
ことが終日の衆議院予算委員会での答弁を聞いて思った。

国会である。当然意見や立場の違う人との論議の場である。
麻生首相は「論議」が本当に下手である。言葉は人間性が
でてしまう。意見が違っても「人間性」は言葉で伝わるもの
である。終日、麻生氏の国会答弁を聞いていて、政治的な
意見は別にして、答弁するたびに「品性のなさ」「知性のなさ」
「人間的な粗野」を感じてしまう。

ベトナム事務所の税田さんから連絡。
昨日、リー君がベトナム事務所に帰ってきた。
昨夜から「ハイリーホテル」に泊まっている。

今日、改めてバオミンさん・税田さん・大塚さんと
リー君が会って今後の身の振り方を話し合った。

以下、リー君と税田さん・バオミンさん・大塚さんとの
話し合いの概要。

●印は「リー君」の話

 ●昨年10月はじめにフエを出てドンハでインと一緒に
  工事現場の手伝いなどをしていた。
  その後、自分(リー)はホーチミン市へ。
  インはそのままドンハにいた。
   (ドンハは、フエの北にあ省の省都)

 ●HCMでは、結婚式の手伝いをしたり 
  ゴムの木の世話をする仕事をしていた。
  ゴムの木の世話は朝7時から17時までで
  1日70,000ドンになり、母親ではなく
  自分がもらっていた。  

 ●HCMの母親には、フエに戻ると言って
   出てきた。

 ●フエにいた頃の借金は昨日、全て返した。
 

 ●ハイリーホテルでは、
   インと一緒の部屋は好きじゃないので
   ハイと同じ部屋で寝た。
   これからもそうする。
 
 ●もう一度、チャンスをください。
   頑張ります。

以上のような状況で数ヵ月間、フエを離れていた。
ミンさんが「料理店では一からのスタート。
店長でも主任でもない。」と話しリー君も了解し、今日の14時半から
料理店で働いている。

何故、昨年、リー君がフエを家出したのかは、いまだはっきりしない
が、やはりリー君が最終的に帰る場所は「子どもの家」やJASS
なのである。リー君が戻って来てまた「新たな問題」を抱え込んだ
ことになる。

 

投稿者 koyama : 19:11 | コメント (0)

2009年01月07日

無事成田着

午前7時20分、無事成田空港へ到着。気温3度。
日本は乾燥注意報が出ているとのこと。
湿度95%の国から「カラカラ天気」の日本へ。
環境が大きく変わった。

1時間で入国手続きとスーツケースの受取完了。
午前8時半成田第2空港発のスカイライナーで日暮里へ。

昨年末フエに来られた全教ツアーのAさんが、
藤沢周平と山本周五郎の文庫本30冊ほどをフエまで
手持ちで持ってきてくれた。」

空港の待ち時間(フエ2時間、ホーチミン3時間)や
飛行機の中、スカイライナー車中で
「霧の果て」(藤沢周平著(文春文庫)
神谷玄次郎捕物控え
同心の神谷玄次郎の捕りもの。
肩の凝らない本。
最後に藤沢周平は「人は権勢に奢り、富貴に
奢って人もなげに振る舞い、その地位や金を守る
ためには、人を殺しもする。--人間、おしなべて
あわれてということか」と書いている。
藤沢の基本的な思想だと思う。だからこそ
藤沢作品は読まれるのだ。

スカイラーナーで日暮里へ。JRに乗り換える。
JR日暮里駅内に本屋があった。
「上海にて 堀田善衛著:集英社文庫)を買う。
1959年に書かれたもの。昨年、堀田善衛が
亡くなった。一度堀田作品を読んでみようと思っていた。

午前10時、自宅着。
午前10時半、自宅近くの西台駅から出ている
「板橋温泉」無料バスに乗る。
フエでの約2ヵ月の生活。雨と湿気、カビ、
アレルギーとの闘いだった。
日本へ帰った温泉にゆっくりと入りたいと思っていた。
午前10時半、西台駅前。高齢者10人ほどと一緒に
無料バスに乗る。

午後1時半までゆっくりと5つの浴槽にはいり温泉を
楽しむ。

インターネットの接続ができなくなっていた。
何らかかの理由でコードの接続が切れていた。
12通のメール受信があり。

投稿者 koyama : 17:02 | コメント (0)

2009年01月06日

日本へ帰国  「かめのり賞」受賞

●1月5日日記の写真をアップした。ご覧頂ければ幸いである。
  写真ブログの機能が麻痺。教え子の手島守君が、懇切丁寧に
  回復の方法を教えてくれた。手島君にお礼。


・手島君のHP「手島屋」

http://www.tejimaya.com/

===================

終日雨。

今日、日本へ帰国する。
今回の帰国は、日本で「かめのり賞」という賞を受賞することに
なり、1月9日の授賞式出席のため。
以下「クリック」。

http://www.kamenori.jp/

午前7時朝食。



午前9時ベトナム事務所へ。
2月8日現地報告会用のベトナム事務所員のビデオ撮影。

午前11時半、昼食。

帰国のための荷物整理。

数ヶ月前「故あって」日本料理店を辞めて家出をしていた
リー君から電話連絡あり。今日、ホーチミン市をバスで
出たと言う。明日(1月7日)フエに着くとのこと。
バオミンさん・税田さんと受け入れ態勢について協議。
「ハイリーホテル」はテト中、電源を全て切ることになった。
私の部屋の冷蔵庫に入っている「腐りそうな食品」「かびそうな
食品」をベトナム事務所の冷蔵庫に移動する。

午後5時、「ハイリーホテル」を出てフエ空港へ。

午後8時半、ホーチミン空港へ。

1月7日 0時05分ホーチミン発VN機で成田へ。

1月7日朝、成田空港へ到着の予定。

投稿者 koyama : 16:03 | コメント (0)

2009年01月05日

13日ぶりの快晴:忙しい1日

快晴

本当に久しぶりに太陽を見た。

屋上に布団んどを干す。2週間ぶりの太陽。



午前7時朝食。ブンボーOR フォー。


午前8時半、床屋さんへ。3万ドン(140円)。
普通は15000ドン(70円)程度。安くて申し訳ない
のでいつも倍の支払いをしている。今まで一般的には
1万ドンだったが、物価があがり50%ほど高くなっている。

午前10時半、具嶋先生帰国。フエ空港へ。
バオミンさんと一緒に「ハイリーホテル」へ。
その後、3人でフエ空港へ。フエ空港は欧米系の
乗客で一杯だった。この時期は、欧米系の人々は
ONシーズン。具嶋先生のハノイ行きを見送る。
お忙しい中、わざわざフエまでお越し頂き感謝。

午後12時前「ハイリーホテル」。昼食は途中でかった
ほか弁(100円)。

午後2時半、ベトナム事務所へ。
1年半前に日本料理店を突然辞めてホーチミン市へ
行ってしまったイン君(仮名)の件で話し合い。
「子どもの家」からはセン委員長、ロック寮長。
ベトナム事務所側はバオミンさん、税田さん、
大塚さん、小山。
「子どもの家」のセン委員長から以下の報告あり。
「子どもの家」は卒業生などが遊びに来た時は
受け入れている。
イン君が「子どもの家」の年上のこどもたちを
つれて、レストランに行き、お酒を飲み、豪遊した。
「子どもの家」のこどもたちに3日間で400万ドン(2万円)
もの散財をしたという。「子どもの家」では贅沢を慎み
辛抱して将来へ備えるという教育をしている。
イン君がホーチミン市でお金を稼いだのかどうかは知らないが、
3日間で2万円(普通の公務員の1ヶ月分以上の金額)
ものお金を飲み食いに使うとうのは、「子どもの家」の
こどもたちへの教育上よくない。1年半前に「子どもの家」の
前にある自転車屋からイン君は自転車を1台盗み、
フエの警察に捕まり、現在「保護観察中」。また、「子どもの家」
にいる時、暴力事件を起こし警察に捕まっている。
既にフエにイン君が戻った事を知った警察が「子どもの家」に2回、
イン君の所在を尋ねに来ている、更にホーチミン市に住む人から
「子どもの家」に電話がありイン君がホーチミン市で
「借金を踏み倒している。返して欲しい」との電話があった。
今のようなイン君の生活態度では、よくない。生き方をかえるよう
忠告にきた。要旨、こんな話だった。
私のほうでイン君に「セン委員長の話は本当か?」と
訪ねる。「全てうそだ」とイン君は言う。セン委員長、ロック寮長は
警備員、こどもたち、寮母さんなどスタッフからの目撃・体験談を
きいての話なので嘘ではないと反論。インは、「子どもの家」の
責任者のセンさんやロックさんに対する礼儀を欠いた失礼な
態度で反論する。
その場での言い合いは水掛け論となるので、やめにする。
再度、「子どもの家」でもイン君の行動の実態を調査すること、
イン君は本当にセン委員長の言ったことは全て嘘なのか
どうかもう一度考えるように話し、一度、話し合いを終える。

その後の調査でセン委員長の言っていたことは事実と判明。
午後4時、バオミンさんと「子どもの家」へ行く。
セン委員長とイン君問題の今後の取り扱いについて
協議。

「子どもの家」に食堂には帯広のYさんの知り合いの
細川さんという方がこどもたちにテレビをプレゼント

昨年、「子どもの家」A棟の前面改修、ベッドなど家具類の
回収など総額100万円を寄付してくれた従兄弟の
長島弘道・和子夫妻の贈呈記念碑が出来上がり、
改修したA棟の壁に貼り付ける。


2009年2月8日午後1時半、東京都北区教育会館で
行われる『「子どもの家」創立15周年記念・現地報告会』用の
報告ビデオ作成。最近自立したこどもたちの職場へ行く。

メンさん。ミシンの研修をしていた。今年自立し、自分で
1軒小さなミシンのお店を出した。お店へ取材に行く。
小さいながらも「HONG MEN」という自分の名前を
店名にした洋服屋を出し、働いていた。

生活の実情をインタビュー。
お店と下宿の家賃、生活費を差し引いても
月平均100万ドン(6000円)位は残るとのこと。
結構繁盛しているようだ。従業員はメンさん一人だが、
様々な種類の衣類をオーダーメードで作っている。


その後、町の洋服屋でミシンの研修をしていたヒエウさんの
職場を訪問。ヒエンさんも今年「子どもの家」を自立。
自分で1台ミシンを購入(里親支援)し、洋服屋で仕事を
していた。しっかりとした収入があり、借家の家賃・生活費を
引いても十分生活できる様子が分かった。

午後5時半、一度「ハイリーホテル」へ戻り、洗濯・乾燥を
している衣類の状況を見る。まだ、乾燥されていない。
再度、ボタンを押し「乾燥継続」。

午後6時過ぎ、日本料理店へ。明日、私は日本へ帰国する。
今日が最後の晩。帯広から1ヶ月間フエに滞在している
Yさんとお別れの夕食を摂る。税田さん、大塚さんも
入り、午後9時までボランティアの話などをする。

午後8時頃、数ヶ月前に突然「家出」をしたリー君から
電話。「ホーチミン市にいる。フエに戻りたい。帰っていいか?」。
私は『直ぐに帰ってきなさい』と話す。
リー君は「明日、ホーチミン市を出てフエに行く」と電話では
言っていた。今日はイン君とリー君兄弟の件でエネルギーを
相当使った。しかし、この兄弟の問題は「子どもの家」は
何故フエに必要なのか?
何故、ベトナムに存在する必要があるのか?という
私たちのベトナム滞在の根本にも関わる問題である。
私たちがベトナム・フエにいるのは、成績優秀で大学進学可能
なこどもたちだけを相手にしているわけではない。
むしろイン君やリー君のような兄弟のためにいると言っても
過言ではない。今のベトナム社会で切り捨てられている兄弟である。
何度も警察に捕まり、うそを言い並べ、苦しくなったり不満が
あると直ぐに家出をしてしまう。学歴と言えば「小学校卒」。
それでも彼ら兄弟の生い立ちをみれば「さもありなん」と思える
生い立ちを背負っている。生い立ちは彼らの責任ではない。
偶然のめぐり合わせ。誰か大人たちが注視してやる必要はある。
しかし既に成人に達していることを考えると、自分の行いには
責任が伴うことも事実である。自分の行った過ちには、きちん
とした責任を取ることが求められている。その上で、誰か
この世の中の大人が、愛情と厳しさをもって見守ってやる人間が
必要である。

投稿者 koyama : 07:29 | コメント (0)

2009年01月04日

終日雨。寒い

2009年最初の日曜日。

午前8時半起床。
終日、雨。これで12日間連続の雨である。

抗アレルギー剤が強かったせいか、胃腸の調子が悪い。

午前9時、全かゆ1合を炊く。
午前10時半、全がゆ5勺を塩で食べる。食欲なし。
胃が少し痛い。

寒いので湯たんぽを使い、部屋で寝ている。
読書意欲なし。

午後1時、軽く塩のおかゆを食べる。大塚さんと
洗濯場で雑談。

午後3時、ベトナム事務所のメールを開けると
今日午後2時にベトナム事務所を訪問する予定だった
お客さんからメール。約束の午後2時にベトナム事務所に
行ったが閉まっていたとのこと。恐縮し、急いでお客さんの
ホテルへ電話。謝罪し、明朝8時にベトナム事務所へ
来て頂くことにした。

インターネットを見たら日比谷公園の「派遣村」に300人
以上の人が来ているとのこと。派遣が切られ1月元旦
に自殺を図ったが死に切れなかった派遣労働者がラジオで
日比谷公園の派遣村を聞き、歩いていったとのこと。
午後10時に日比谷に着き、暖かいお茶とおにぎりを
もらい「もう一度生きてみよう」という気持ちになったという
記事があった。
その関連で、「日比谷の派遣村は欺瞞的なパフォーマンスだ」
との批判を書いているHPもある。この種の人間は、高見の
見物を決め込み、自分は何もしないでいて、人のすることの
揚げ足だけを取る性格のゆがんだ人間。この人物の
見解は、日比谷の派遣村はマスコミを使い大騒ぎして、
政府を転覆しようとしていると書いている。漫画だ。
こんなことをHPで延々と書くエネルギーと金があるのなら、
日比谷公園に行って、ご飯の炊き出しでも手伝ったらどう
なのだろうか? 手伝ってみたら「欺瞞」「政府転覆の陰謀」
などという浅はかな考えが変わるかも知れない。

朝から洗濯をするが、乾燥機の調子が悪くなかなか乾燥しない。

夕方、簡単に部屋の掃除。

洗濯をして部屋に干してある衣類がかなり湿気を帯びている。
再度、乾燥機にかけないと日本へ持って帰れない。

帰国の荷物整理。


今回、静岡のS先生に頂いた「湯たんぽ」が大きな効果を発揮した。
1日2回、湯たんぽを使っている。昼寝と夜。
お湯を薬缶でわかせば5分ほどで熱湯になる。足を暖めて寝ると
熟睡できる。

世界金融危機は徐々にベトナムへも大きな影響を与えている。
昨日、具嶋先生の里子アン君の家を訪問した。父親は
北部ハノイ付近へ毎年出稼ぎへ行っていた。アン君の
村でもかなりの人が出稼ぎに行っている。
例年はテトの2日前に帰郷するそうだが、ことしは、まだテト
1ヶ月前だが「仕事がなく」帰郷していた。テト明けはハノイでの
しごとがないのでホーチミン市に行って見ると言っていたが
ハノイと同じように仕事は激減している。
ベトナムはこの10年、社会主義市場経済の下で年率10%
近い経済成長を遂げていた。多くの国民がこのまま「永久に」
経済成長が続くと妄信していた。これはベトナム政府も同様
の傾向があった。IFMや世銀、日本政府などの助言(インフレ
傾向があるので経済の引き締めが必要)を聞き入れないまま
今日に至り、世界金融危機以前に既にベトナムのバブルは
崩壊過程を辿っていた。地価が3分の1に下落し、株も
大暴落している。物価は1年間に2倍から3倍に急上昇。
今、町にお金が出回っていない。銀行預金を多くの預金者が
引き出し、金を買っている。町にお金が廻っていないという
現実が全てを物語っている。
その上に世界金融危機が襲っていている。2009年は
私たちが想像する以上にベトナムの経済・社会は大混乱を
する可能性が強い。特に銀行の異常な貸付の結果、
多くの銀行が「焦げ付き」を起こし、倒産する銀行が出てくる
可能性が強い。土地や家屋の異常な値上がりを予定して
銀行から多額の借金をして土地の買占めをしていた一部
特権階級や一時成金の没落も予想される。
特に弱者への強烈なしわ寄せが襲う可能性が
濃厚である。JASSと「子どもの家」の存在もしばらくは
必要かと思われる。

投稿者 koyama : 17:28 | コメント (0)

2009年01月03日

具嶋先生里子家庭訪問

終日雨。気温17度。静と95%。

これで11日間連続降雨。うんざり。

午前6時半起床。なかなか起きられない。

午前7時朝食。固いおこわご飯。喉に通らない。
3分の2ほど残す。


午前8時半、「ハイリーホテル」を出てフォンザンホテルへ。
具嶋先生が支援している在宅支援の里子アン君の家を訪問。

アン君は今年9歳。寝たきりの重度脳性麻痺。
16歳の姉も小学校3年で勉強についていけず退学。
12歳の姉は5年生だが未だに文字が読めない。
アン君の上にお兄さんがいたが、アン君と同様の
障害で死亡。

アン君の家庭は相当の貧困家庭。父親はハノイ付近の
建築現場に出稼ぎに行っていた。1日300円の労賃。
今年は、世界の金融危機の影響で仕事がなくなり
例年より1ヶ月も早く家へ帰ってきている。
屋根から雨がもり、家が傾いていた。昨年、具嶋先生
ご夫妻が家庭を訪問し、屋根の修理と壁・ドアの修理を
寄贈した。

父親は建築現場にいたので器用な人である。支援金を
使って料理台を作った。

壁を新しくする。

父親の出稼ぎ生活の詳細を聞く。


アン君と姉妹にお土産を贈呈。昨年来た時は笑い顔が
なかったアン君だったが、今年は手を握ると微笑があった。
成長していることが分かる。具嶋先生に支援は本当の
支援である。ただお金を寄付するだけでなく、支援の
対象のこどもに直接会い、必要な支援をしている。
同時にアン君一家の自立をめざしている。ただ訳もなく
支援をするのではなく、飽くまでアン君一家が自立する
ことを前提にした支援である。素晴らしい。

アン君の家庭訪問を終えて、「縫製研修センター」、「子どもの家」へ。

午後11時半、チャーハンの美味しい店へ行き、具嶋先生、
バオミンさんと一緒にチャーハンを食べる。

ごご1じから1時間昼寝。

午後3時から4時まで停電。

午後5時過ぎ日本料理店へ。
午後6時、フォンザンホテルに勤めている「子どもの家」の
卒業生、THUYさんの近況を見に行く。


フォンザンホテルの厨房で全ての料理を任され仕事を
していた。


午後7時半、具嶋先生が日本料理店へ。
税田さんと一緒に夕食懇談。午後9時前まで


今日は日本人の来客7人、欧米系2名。

投稿者 koyama : 23:08 | コメント (0)

2009年01月02日

具嶋先生と「子どもの家」・日本語学校・日本料理店

終日雨。

今日で連続10日間の雨。太陽を一度も見ない。
カビの発生。

午前6時半起床。

午前7時、朝食。「精進ブン麺」。

午前8時40分、雨の中フォンザンホテルへ。
具嶋先生、ソン君と一緒に「子どもの家」へ。
バオミンさんは尾骨付近・尾篭な通過口の激痛で動けない。
昨日、今日と休み。

午前9時、「子どもの家」へ到着。
具嶋先生から「子どもの家」セン運営委員長に
スタッフへのお土産手交。

こどもたちにスーツケースと手荷物1杯のお菓子やおもちゃ
のお土産。

一人一人のこどもたちに好きなお土産を上げる

こどもたちと記念写真

その後、ベトナム事務所員のソン君の案内で約1時間
施設を参観する。

今日は学校の試験。試験が終わって帰って来たこどもたちは
コンピューター教室でゲームをして遊んでいた。外は大雨。


女子は卓球を楽しんでいた。

午前11時過ぎ、「子どもの家」を後にし、チャオバインカイン
(キャッサバ芋と米の手打ちうどん)の昼食。

「ハイリーホテル」へ戻り、1時間ほど昼寝。まだ体調は完全
には戻っていない。だるい。

午後2時半、フォンザンホテルへ。今度は、ハンさんと一緒に
日本語学校へ。
日本語学校の観光基礎コースの生徒に具嶋先生の
「ベトナムの天然資源とその活用」と題した講演をして頂く。
日本人でも難しい内容と専門用語が入り混じった講演。
日本語学校の生徒は1年半以上日本語を勉強している。
どこまで理解できるか?

講演の主なテーマは
①微生物
②植物
③海洋生物

はじめに微生物が資源として活用された歴史から解き明かす。
フレミングがカビの一種のペニシリウムから抗生物質の
ペニシリンを発見。この発見を受けてその後、多くの抗生物質が
発見され、人類の平均寿命が10年から15年延びたといわれる。
ベトナムでも様々ば微生物から抗生物質や薬などの製造を
研究している。そのため微生物資源の保存と活用を進めている。

第2に植物資源。
世界には30万種の植物がありそのうち3万種が医療品、
食物、健康食品に利用されている。
特に東南アジアの国々は植物天然資源の宝庫である。
まだ人類にとっての医薬品等への応用は不十分な
段階だが今後大きな可能性を含んでいる。
ベトナム北部にある政府直属の薬草園には4000種の
植物資源を有し、そのうち300種は大規模に繁殖利用している。
ARTEMISIA ANNUA(ニンジンの一種)は
抗マラリア物質を作る。ベトナム北部のサパにある
植物園では年間300トンを生産し、主にアフリカ諸国へ
輸出し、世界の医療に貢献している。
また、ベトナムの朝鮮人参の一種は胃潰瘍やストレス除去、
ガンにも効果があるとして臨床実験に入ろうとしている。

第3に海洋生物を利用しての医薬品・機能食品作り。
ある種の蟹にくっついているカビから抗がん剤を作り出す
研究を日本ではしている。

以上、3つの分野における天然資源の活用について話した。
ベトナムでは「国立科学技術センター(NCST)」が
バイオ研究をし、熱帯遺伝資源(微生物・植物・動物)
を効果的に開発するためのバイオテクノロジー研究を
首相直属の機関として設置している。

最後に日本人でノーベル賞に一番近いと言われている
京都大学の「山中伸弥教授」の人口多能性幹細胞(IPS細胞)
について紹介。

その後、生徒からの質問等へ丁寧に答えてくれた。

静岡青年交流会館2階では「日本留学特別コース」の
授業が行われていた。

午後6時半。日本料理店で具嶋先生・私、税田さん、ソン君で夕食。
午後9時まで。

今日は合計11人の来客。日本人4人。欧米系7人。
何人かの欧米系のお客さんは、ロンリープラネット
を読んで来店してくれた。ありがたいことである。

午後9時半、「ハイリーホテル」へ。
具嶋先生の娘さんから頂いた石川県珠洲市の
「玄宗(そうげん)」無濾過生原酒を飲む。
山田錦100%使用。

かなり強い芳醇な香りあり。舌にからむ甘さと酸っぱさ。
香りも味もコクがあり強い。美味しい。今まで飲んで
いた久保田よりも香りとコクがある。多少、どぶろくの
酸っぱさと甘みを引きずっている。貴重品。
具嶋先生の娘さんに感謝。

投稿者 koyama : 18:29 | コメント (0)

2009年01月01日

プロフィール

プロフィール
小山道夫略歴

氏名 小山 道夫(こやま みちお)
生年月日 1947年11月23日(昭和22年) 
出身地 東京都文京区で生まれる(野菜・果物屋、納豆・せんべい工場の次男)
               その後、工場倒産 家屋など全ての資産を失う。大学
を出るまで数軒の親戚の一間を借りての「間借り生活」
を送る。
1967年 東京学芸大学入学
ベトナム戦争反対、ベトナム人民支援運動に参加
           
1971年 東京都北区立滝野川第七小学校教諭
1988年 東京都板橋区立船渡小学校教諭
1992年 8月 ベトナムホーチミン市へ旅行
たくさんの物乞いの子どもたちやストリートチルドレンを見て衝撃 
           を受ける
1993年 8月 東京都板橋区立船渡小学校退職
       9月 ベトナム社会主義共和国フエ市へ単身渡る
              フエ師範大学日本語クラス主任講師
      10月 フエ市のストリートチルドレン救援活動開始
              チーラン通り「子どもの家」設立
1994年 2月
      ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)設立(岩辺泰吏代表)
       11月 グエンチャイ「子どもの家」建設開始
1995年 3月 グエンチャイ「子どもの家」建設完了
       7月テレビ朝日「久米宏のニュースステーション」で活動が報道される
       8月 フエ師範大学を解雇される(日本の警察のスパイ容疑)
           「子どもの家」2階とB棟職業訓練センター建築(ODA支援)
       9月 ベトナム事務所を設立し事務所長となる
1996年 シチズン・オブ・ザ・イヤー受賞(シチズン時計)
1997年 下町平和賞受賞(YONAOSHI 赤い顔)
               テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」放映
1998年 3月 障害児医療センター設立(国際ソロプチミスト東京―東寄贈)
       8月 「善行賞」受賞(財団法人 善行表彰会)
       9月 「子どもの家」C棟1階(絵画教室等)建築(ソロプチミスト京都―西山支援)
      10月 「子どもの家」B棟2階(音楽・図書室)建築
           (富士宮中央ライオンズクラブ寄贈)
      12月 小山伝記『ベトナムの「子どもの家」』発刊(岡本文良著:
           金の星社)
1999年 3月 「子どもの家」C棟2階(日本語・英語教室)建築(JICA寄贈)
       5月 日本語教室、英語教室、絵画教室開始
       7月 著書「火焔樹の花―ベトナム・ストリートチルドレン物語」
           (小学館)
      11月 フエ大水害支援(総額600万円::ナムドン山岳地帯など)
2000年 4月 「子どもの家」総合改修(雨漏り修理、外壁ペンキ塗り直し等)
       ビデオ「地球家族 JICA REPORT」(JICA・国際協力事業団作成)
      12月「子どもの家」附属オートバイ修理研修センター建築(JICA支援)
2001年 2月 フエ市名誉市民賞受賞(フエ市人民委員会)
       5月 NHK教育テレビETV2001「ストリートチルドレン救済記」放映
       8月 「静岡フエ青年交流会館」建築(静岡ライオンズクラブ等寄贈)
      11月 「2001 プロジェクト オブ ザ イヤー」受賞
          (外務省、世界銀行、JICA)
      12月 JICA「開発福祉支援プロジェクト」の4年間の実績発表会を
           ハノイで行う
2002年 1月 東京弁護士会人権賞受賞(東京弁護士会)
       1月 JICA(国際協力事業団)障害児支援プロジェクト終了(4年間)
       3月 「子どもの家」食堂増改築
       4月 倫理研究所「第5回地球倫理推進賞」受賞(産経新聞後援)
       5月 ベトナム事務所移転
           (12 CHU VAN AN HUE VIETNAM)
      11月 社会貢献支援財団「社会貢献賞」受賞
              テレビ大阪系「ボランティア21」放映
2003年 2月 JASS総会で代表に就任
              高校公民科教科書「倫理」
           (一ツ橋出版)を執筆(2004年4月使用)
       3月 観光ガイド誌「地球の歩き方」と提携し
           「ボランティア体験ツアー」実施
       4月 日本語学校開設(2クラス)
           (フエ市「静岡フエ青年交流会館」内)
       7月 テレビ東京「宍戸開 地球サポート」(外務省提供)放映
       8月 「子どもの家」全面改修工事・ペンキ塗り完了
       9月 日越国交回復30周年事業主催
      10月 日本語学校第2期生入学式(4クラス)
             オートバイ修理研修センター併設「オートバイ修理工場」建築
2004年 2月   第10回JSS総会開催。代表に再選
             トゥアティエンフエ省知事特別表彰(10年間の活動に
             対して)
            「子どもの家」スタッフのフオンさん、アンさん訪日
            NHK教育テレビ「世の中何でも現代社会」で活動紹介
      3月   テレビ大阪「ボランティア5周年特別番組」放映
      6月   ベトナム政府より「友好勲章」授章(ハノイにて)
      7月  日本外務大臣表彰受賞
           日本語学校(観光コース)開講
      9月  「子どもの家」創立10周年記念式典(王宮にて)
2005年5月  フエ市・静岡市「友好都市提携」(提携の仲人役)
      8月  「ベトナム愛国人士表彰」受賞(8月15日)
      9月  日本料理店開店
     10月  テレビ東京「ザ・ドキュメンタリー」放映
2006年2月  JASS第12回総会
          外務省ODA支援(縫製工場建設)
     5月  日本料理店夜開店
           (国際ボランティア貯金普及協会)
     8月  「クローバー」で活動紹介
         日本料理店昼間も開店
    10月 TBS・BS「オーレ、俺っち」放映
2007年1月 「第35回読売新聞医療功労賞」受賞(読売新聞・厚生労働省・
         )日本テレビ・エーザイ

      2月 第13回JASS総会(「JASSベトナム」とJASS日本に)
      3月 「縫製研修センター」(ODA支援)落成記念式典
     4月  ホアフエ省副知事などを案内し訪日
     5月9日 JASS観光設立
     5月20日 日本料理店閉店
     5月21日 新日本料理店開店(ベトナム事務所1階)
 11月30日 「子どもの家」創立13周年記念式典 
 12月15日 トンチンカンホテルより「ハイリーホテル」へ引越し
2008年 2月  反政府運動・反社会主義者と「心ない人」からの
           密告を受けフエ警察に告訴されるが、
           嫌疑なし。無罪放免。
3月  JASSベトナム事務所が静岡大学フエ事務所となる
      4月  フエ高等師範大学日本語学校顧問に就任
           ベトナム中央テレビで15年の活動の特集番組放映
      6月  「縫製研修センター」増強工事完成
   8月  読売新聞朝刊に「障害児支援」の記事が掲載される
           (8月27日朝刊)
      9月 「子どもの家」A棟 全面改修(長島弘道・和子夫妻寄贈)
     11月  静岡大学学長一行フエ来訪。フエ高等師範大学・フエ省・
           フエ市と協定書締結
          「子どもの家」創立14周年記念式典をフエで開催。
     12月 第13回クリスマス会(内田さん寄贈)
          
2009年
     1月 第2回かめのり賞授賞式
     2月 「子どもの家」創立15周年記念・現地報告会開催
         マンフエ省共産党委員長・副知事・フエ市長など出席
     4月 ブライセンベトナム支社設立
    ベトナム人民軍中央機関紙「クアン・ドイ・ニャンザン」に活動紹介
     6月 静岡大学NIFEEプロジェクトの入試をフエで行う。
     8月 「東京新聞」に活動掲載
     9月 静岡大学留学生(3人)をフエから静岡大学工学部入学式へ
2010年
    1月  ベトナム文部大臣表彰受賞(チエット大統領・ニャン文部大臣より)
    3月  日本料理店TUOI帯広にて日本料理研修(5月20日まで2ヶ月)
    4月  「ハイリーホテル」より引越し
2012年  
    1月  上尾市商工会議所にて「フエ投資セミナー」実施
         札幌市商工会議所にて「フエ投資セミナー」実施
         (フエ市共産党委員長、フエ市外務部長・・・・)
    2月18日 「JASS現地報告会」開催
    9月  世界で活躍し「日本」を発信する日本人への感謝状
         (内閣府・国家戦略担当大臣 古川正久氏より贈呈
2013年2月  フエ市共産党委員長・フエ市長などと訪日
           東京での「JASS現地報告会参加」・
          静岡市長訪問懇談・小島前市長懇談。
          京都市とフエ市との間で「パートナー都市協定」
          締結。
     3月 IT企業「ブライセンベトナム支社新事務所開所式典」
         フエ市共産党委員長・元フエ県知事・元フエ市長
         など参加
8月19日  木村百合子記念寄宿舎開所式典
         (フエ市副市長・外務部長・木村夫妻
          JASS静岡の会等参加)
10月  ニエン外務部長・バオミンさんと一緒に「キューバ」
    「アメリカ」(難民でアメリカに移民したベトナム人視察懇談)
11月  テレビ東京「世界の秘境で大発見 日本食堂」取材
     12月29日 「同上テレビ番組」放映(視聴率10%)

2014年8月2日
     フエ市人民委員会議事堂にて「子どもの家」創立
     20周年式典開催。フエ市長・各機関・「子どもの家」
     スタッフ・子どもたち、JASSベトナム事務所員、
     「子どもの家」卒業生・在学生、日本から25人の
     訪問者も参加。

  2015年2月 バオミンさん一家訪日(バオミンさん・奥さん・長女・長男)
         「JASS現地報告会」
      2月16日   ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)解散

2015年1月 肺炎に手入院・自宅療養


2015年5月  ベトナム事務所引っ越し
          →静岡フエ青年交流会館へ。
          →日本料理店閉店
 

(賞罰)
1996年   シチズン・オブ・ザ・イヤー受賞(シチズン時計)
1997年 下町平和賞受賞(YONAOSHI 赤い顔)
1998年   「善行賞」受賞(財団法人 善行表彰会)
2001年 フエ市名誉市民賞受賞(フエ市人民委員会)
       「2001 プロジェクト オブ ザ イヤー」受賞(外務省、JICA)
2002年 東京弁護士会人権賞受賞(東京弁護士会)
       倫理研究所「第5回地球倫理推進賞」受賞(産経新聞後援)
       社会貢献支援財団「社会貢献賞」受賞(日本財団)
2004年   トゥアティエンフエ省知事特別表彰(10年間の活動に対して)
         ベトナム政府より「友好勲章」授章(ハノイにて)
         日本外務大臣表彰受賞(JASS代表として)
2005年  「ベトナム愛国人士」表彰(日本軍敗戦・ベトナム独立記念)
2007年  「第35回読売新聞医療功労賞」受賞
          (厚生労働大臣表彰)
2009年  「第2回かめのり賞」受賞 (かめのり財団)
2010年1月  ベトナム文部大臣表彰受賞(ハノイにて)
2012年9月  日本政府国家戦略担当大臣より「感謝状」 
2013年12月 「TV東京」日本料理店・JASS活動放映
2014年2月 「子どもの家・JASS」創立20周年記念式典(東京・神田) 
      8月 「子どもの家JASS創立20周年祝賀会」(フエ市役所にて)
         フエ市人民委員会より「20年間の活動」に対し感謝状授与

       静岡大学非常勤講師
      福島大学非常勤講師
 

(主な著作等)
・1998年 小山伝記「ベトナムの子どもの家」(岡本文良著:金の星社)
・1999年 「火焔樹の花―ベトナムストリートチルドレン物語」(小山道夫著:小学館)
・2001年 『学力を考える「学び」とはなにか』(月刊「悠」編集部編:ぎょうせい)
・2001年 「ノーマライゼーション・2001・4」(日本障害者リハビリテーション協会)
・2002年 「国際協力の地平」(NGO活動教育研究センター編:昭和堂)
・2002年 「更正保護・現代の10代 l2002・5」(法務省保護局編)
・2002年 「高等学校公民科 倫理:一ツ橋出版」(2004年発行) 教科書執筆
・2003年 「保健室」(全国養護教諭サークル協議会)1年間執筆
・2004年 「きょうこう通信」1年間執筆(日本教育公務員弘済会機関誌)
       「あとぴナビ」1年間執筆(全国アトピー友の会機関誌)
・2005年 日教組機関紙「教育評論」(1年間連載)
・2008年 月刊誌「子どもと教育」半年連載
★連絡先
ベトナム事務所
(宛先) JASS OFFICE 
(住所) 12 CHU VAN AN HUE VIETNAM
(Eメール) vanphongjassvn@gmail.com
(個人ブログ)火炎樹日記 http://koyamamichio.com/
日本より直通でお掛けになる場合は
(電話) 001(KDDIの場合)-010-84-54-3828177
(FAX) 001(KDDIの場合)-010-84-54-3828087
投稿者 koyama : 2009年01月01日 21:3

投稿者 koyama : 21:39

終日、横になっている。夕方、具嶋先生出迎え

終日雨。

午前8時起床。これで9日間連続の雨。24時間降り続く雨には
うんざりする。

ベトナムは1月26日のテト正月(旧正月)が国民的な正月祝日
なので、町中至って平静である。普段の木曜日。と言っても
1月1日は休日である。

昨夜は、ベトナム事務所の納め会を終えて急いで「ハイリーホテル」
へ戻り、大晦日・納め会の日記を書き、JASS関係者に
ベトナム事務所からの「新年のお祝い」メッセージを送る。

昨夜の「納め会」で余った食事をお願いしてあった。
大塚さんが私の部屋のドアノブに2パックの朝食用の食料を
かけておいてくれた。感謝。

午前9時。納め会の残りの太巻き、てんぷら・・
ベトナム茶を入れて朝食。

ジンマシンの薬を飲む。昨日は、首から上にジンマシンが
出た。特に目の周りにジンマシンが出来、両目があけにくかった。
今朝は、体全体に若干のジンマシンあり。

インターネットで麻生首相の「年頭所感」、朝日、読売、毎日、
赤旗の社説・主張を読む。

YAHOOニュースでは
「首相年頭所感 不況脱出へ決意」とある次の記事が
「派遣村開設 年越し求め130人」とあり、全労連やNPOなど
20団体の実行委員会が日比谷公園にテント村を作り、
年越しを路上でせざるを得ない若者などの相談に乗り、
銭湯へ行き、年越しのご馳走、大型テレビで「紅白歌合戦」
を見たという記事が出ている。麻生首相の「国民の景気や生活に
対する不安を取り除くため、政府は全力を尽くす。
世界で最も早くこの不況から脱出するのは日本だ」と年頭所感で
言っている言葉があまりに空しく聞こえる。
世界で最初に不況から脱出するかどうか以前に、
年末の年越しが出来ない多くの派遣・非正規労働者など
多くの国民を今、救わなければならない。実際に困っている
人を助けているのは労働組合・弁護士団体・NPOなど
民間のボランティアの人々である。こうした現実を見ている
と、21世紀の世界は国民一人一人の英知と行動力が結びつく
ような草の根の力を作っていかないと世の中は良くならない
、人任せの政治の時代から文字通り主権者意識をきちんと
持った人間が育だたなければならないと痛感した。現在の政府は
全くあてにならないことが分かる。麻生首相など口先だけで
何も出来ない悲しきピエロ首相である。
早々に退陣し、国語辞典でもう一度漢字の読み方などを勉強
したほうが良い。・・・などと新年早々「下品」な言葉遣いになって
しまい良くないと自戒。

読売新聞の社説がはっきりと「新自由主義の崩落」を認め、
ブッシュ・小泉首相の進めた規制緩和により、市場任せの
資本主義の末路を明確に断罪している。
同じように朝日新聞、赤旗も「新自由主義路線の破綻」
を明確に書いている。
毎日新聞は「日本版 緑のニューディールを 」として
代替エネルギー開発を国家の中心課題とするべきだとの
主張をしているが、これも裏返しの新自由主義批判である。
現在の経済の破滅的な状況を新自由主義・市場原理主義
の誤りとの認識の上にたっての主張と見た。

こうして朝日・読売・毎日・赤旗と日本の主要各紙は2009年の
1月1日の社説・主張で「新自由主義・市場原理主義」に基づく、
「官から民へ」「規制緩和」「株主にのみ責任をもつ資本主義
の無政府的な誤り」を厳しく指摘し、ルールに基づいた
世界経済の再確立を主張している。これは、資本主義と
いう制度をとっていることを前提としてもなお且つ、
無政府主義的な「やり放題」な資本主義を規制し、
ルールの中で活動すべきだとの主張に行き着く。
読売から赤旗までこの点では一致しているようだ。

今年は、「政治の年」である。主権者の一人として、日本や
世界の政治がどのように動いているのかを注視し、
主権者の一票を確実に行使したい。日ごろ、どんなに不満を
たらたら言っていても、選挙に行かず、主権者の貴重な権利を
行使しないで文句を言うのは、間違っている。選択は完璧な
ものにならない時もある。「よりましな選択」であっても
投票行動をとらずに文句を言うなと言いたい。今年の9月までには
必ず総選挙がある。私たち主権者がやっと出ることの出来る出番
がやってくる。

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2008年1月1日、新年の決意は「1年間で100冊の本を読む」」であった。
結果は78冊で終わった。年末の10日間ほどジンマシンで悩まされ
読書どころではなかった。以下、2008年1月から12月までの
「読書一覧」である。

2009年も同様の目標を立てた。結果はどうなるだろうか?

2008年1月から12月までの読書録

(1月・2月・3月)「与謝野晶子訳源氏物語」(上 角川文庫)
          「与謝野晶子訳源氏物語」(中 角川文庫)
          「与謝野晶子訳源氏物語」(下 角川文庫)
          「枕草子」(講談社)
          「なぜ日本人は劣化したか」(香山リカ著:講談社)
          「日本論」(佐高信著:角川書店)
          「噺家のカミサン繁盛記」(郡山和世著:講談社)

(4月)「旧約聖書を知っていますか」(阿刀田高著:新潮社)
    「新約聖書を知っていますか」(阿刀田高著:新潮文庫)
    「コーランを知っていますか」(阿刀田高著:新潮社)
    「あなたはイスラム教を知っていますか」(阿刀田高著:新潮社)
    「寂聴対談 十人十色 源氏は面白い」(講談社)
    「ルポ 貧困大国アメリカ」(堤未果著:岩波新書)

(5月)「国を思うて何が悪い」(阿川弘之著:光文社)
   「パンツの面目、ふんどしの沽券」(米原万里著:ちくま文庫)
   「青い月のバラード」(加藤登紀子著:小学館)
   「我、拗ね者として生涯を閉ず 上」(本田靖春著:講談社)
   「我、拗ね者として生涯を閉ず 下」(本田靖春著:講談社)
   「江戸っ子だってねえー浪曲師廣澤虎造一代記」
                         (吉川潮著:講談社)
   「浮かれ三亀松」(吉川潮著:講談社)

6月)「教師格差ーダメ教師は何故増えるのか」(尾木直樹著:角川)
   「曽根崎心中他」(近松門左衛門著:河出書房新書)
   「ロゼッタストーンの解読」(木原武一訳:新潮文庫)
   「人民中国の終焉」(清水和美著:講談社)
   「粗にして野だが 卑ではないー石田禮助の生涯」
                    (城山三郎著:文春文庫)
   「胸の中にて鳴る音あり」(上原隆著:文芸春秋)
   「哀歌(上)(曽野綾子著:新潮社)
   「哀歌(下)(曽野綾子著:新潮社)
   「超訳『資本論』」(的場明広著 祥文社)

(7月)「古典落語 正蔵・三木助集」(ちくま文庫)
「人生読本 落語版」(矢野誠一著:岩波新書)
「アジアの聖と賎」(野間宏・沖浦和光著:人文書院)
「本多秋五 物語 戦後文学史(上)」(岩波現代文庫)
     「本多秋五 物語 戦後文学史(中)」(岩波現代文庫)
     「本多秋五 物語 戦後文学史(下)」(岩波現代文庫)
    「トロッキー永続革命論」(文光社)
    「経済物理学の発見」(高安秀樹著:光文社新書)
    「少年A 矯正2500日全記録」(草薙厚子著:文藝春秋) 

(8月)
   「昭和特高弾圧史」(松浦総三等編:太平出版社)
「少年A この子を生んで」(少年Aの父母著:文芸春秋)
   「父への手紙」(窪島誠一郎著:筑摩書房)
「あ・うん」(向田邦子著:文春文庫)
   「阿修羅のごとく」〔向田邦子著:文春文庫〕
   「文芸春秋 2008年8月号」
  「男こそ顔だ」(大石静著:文春文庫)

(9月)
   「少女の器」(灰谷健次郎著:新潮文庫)
「人間の檻」(藤沢周平著:講談社文庫)
  「汚辱の近現代史」(藤岡信勝著:徳間文庫)
  「片思い」(中島みゆき著:新潮文庫)
  「階級社会 グローバリズムと不平等」        50冊
    (ジェレミー・シーブルック著・渡辺雅男訳:青 土社)
   「アマルティア・セン 経済学と倫理学」
        (鈴木興太郎・後藤玲子著 実教出版)途中
   「上意討ち」(池波正太郎著:新潮文庫)

(10月)
   「静かな大地」(池澤夏樹著:朝日文庫)
   「国家の罠」(佐藤優著:新潮文庫)
   「下流大学が日本を滅ぼすーひよわなお客様世代の増殖」
                     (三浦展著:KKベスト新書)
   「教育格差 どこへ行くニッポン社会」(尾木直樹・森永卓郎著
                                小学館新書)
   「ヴェトナム新時代 豊かさの模索」(坪井善明著:岩波新書)
   「100寺巡礼 奈良」(五木寛之著 講談社)
   「悩む力」(カン 尚中著:集英社新書)
   「私が生まれた日」(池波正太郎著:朝日文庫)     60冊
   「昔の恋人」(藤堂志津子著 集英社文庫)

(11月)
   「自壊する帝国」(佐藤優著;新潮社)
   「アイヌ、神々と生きる人々」(藤村久和著:小学館)   
「田中清玄自伝」(ちくま文庫)           
   「やんごとなき姫君たちの秘め事」(桐生操著:角川文庫)
   「永井荷風」(ちくま文庫)

(12月)
   「テロルの決算」(沢木耕太郎著:文芸春秋)
   「危機の宰相」(沢木耕太郎著:文芸春秋社)
   「ノルウエーの森(上)」(村上春樹著:講談社)
   「ノルウエーの森(下)」(村上春樹著:講談社)   70冊
   「漆黒の霧の中で」(藤沢周平著:新潮社)
   「戦争絶滅へ、人類復活へ93歳・ジャーナリストの発言」
                       (むのたけじ著;岩波新書)
   「憲法9条、いまこそ旬」(岩波ブックレットNO639)
   「貧困の現場」(東海林 智著:毎日新聞社)
   「団塊世代の戦後史」(三浦展著:文春文庫)
   「土佐日記・蜻蛉日記・とはずがたり(セレクション)」(小学館)
   「同日同刻」(山田風太郎著:ちくま文庫)
   「ひとりで暮らすということ」(寿岳章子著:海竜社) 合計78冊

小山個人のベスト3

①与謝野源氏
② 「我、拗ね者として生涯を閉ず 上下」(本田靖春著:講談社)
③「貧困の現場」(東海林 智著:毎日新聞社)



午後6時45分、ソン君が「ハイリーホテル」まで車でやってくる。
バオミンさんは、昨夜から体調を崩し、今日は寝ている,、仕事は
出来ないとの電話があり。
ソン君と一緒にフエ空港へ。具嶋先生の出迎え。
具嶋先生は、山之内製薬研究所長をされ、「カコナール」の
発明者でもある。現在、日本だけでなく世界で講演会をされている。
講演会の講師料をJASSに寄付してくれている。
同時に在宅支援で寝たきりのアン君という男児を支援してくれている。
本当に心のある先生である。

午後8時過ぎ、フエ空港で。



その後、市内のレストランで夕食を軽く摂ってフォンザンホテルへ。

フォンザンホテルでは新年の歓迎にバラの花の贈呈
これから数日、具嶋先生はフエに滞在し、「子どもの家」、
日本語学校、日本料理店、里子のアン君、王宮などの
参観を行う。

「ハイリーホテル」へ着く。午後9時半。

2009年の初日も仕事で始まった。

  
   

投稿者 koyama : 11:21 | コメント (0)

2009年 明けましておめでとうございます。

新年おめでとうございます。

2009年の幕開けに当たり、JASSベトナム事務所員一同
は世界から戦争と紛争をなくし、飢えた子どもたちやHIVで
苦しむ子どもたち、地雷の惨禍で苦しむ子どもたち、
家族や大人の暴力で苦しむ子どもたちがこの世の中から
なくなることを切に望むものです。緊急にイスラエルの
ガザ地区への空爆を直ちに停止すること、ハマスのロケット
砲撃も停止し、フランスの提案した48時間の停戦に合意する
ことを願います。

2009年が世界の平和と人権の夜明けになることを心より祈ります。

JASS会員の皆さん・ご家族の皆さん、支援者と世界中の
皆さんの幸福を祈ります。

                           2009年1月元旦

                        ベトナム事務所員一同

投稿者 koyama : 09:30 | コメント (0)