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2009年01月28日

現地報告会準備:通院

晴天  寒い

午前中、2月8日午後1時半から東京・王子飛鳥山の
「北区教育会館」で行われる『「子どもの家」創立15周年記念
現地報告会』の準備。

ベトナムで撮影してきた多量のビデオを20分ほどに編集。
編集作業は結構大変である。全てのビデオを見なければ
ならない。その後、どの場面を採用するのかを決め、更に
その場面を何分使うかを決める。

全体のシナリオの中に必要なビデオの場面を取り入れて
行く。半日以上かかった。

午後、近くの総合病院へ。ジンマシンが治らない。
皮膚科の医師に相談。
ジンマシンは原因が分からないとのこと。精神的なストレス、
疲労、その他。当面、症状を抑える薬をもらう。

バオミンさんなどへいくつかの問題についてメールを送る。

1時間ほど散策。

読書「誰も書けなかった石原慎太郎」(佐野眞一著:講談社)
650ページの大著。佐野氏は1947年生まれ。私と同い年。
プロローグで「本人が一番知りたくなかった石原慎太郎になった
とひそかに自負する本書で、石原慎太郎という男の功罪を
検証するとともに、新銀行東京の破破綻問題でも相変わらず
責任転嫁に終始した慎太郎に GET OUT(退場)の引導を
渡すつもりである。」と書いている。父親の出自、自分より
優秀で」人間的に包容力のあった石原裕次郎への反撥
など、慎太郎を生み出した父親・母親の出自を明らかにし
、何故、今日の慎太郎が登場したのかを期している。
非常に興味のある内容である。
父親の石原潔氏は、愛媛の貧しい家庭に生まれ、
同郷の創業者であった山下汽船の「丁稚」((店童)から出発
している。慎太郎・裕次郎には、異母兄弟の兄がいる。
慎太郎の母親は絵の才能を持っていたようだ。
佐野氏によれば、慎太郎は父親似、裕次郎は母親似だそうだ。

投稿者 koyama : 2009年01月28日 07:45

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