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2009年01月29日

手嶋屋訪問

晴天  多少寒さが和らぐ

ジンマシンがまだなくならない。薬を飲む。

午前9時、自宅を出て新宿御苑前に会社を持っている
小学校教員時代の教え子の手島君経営の「手嶋屋」
を訪問。

手嶋君はITの会社を創設し社長となる。
先日、私の個人用のHP作成を依頼した。
今日は、私でも操作ができそうな個人用HPのアウトラインに
ついて相談。私の方で個人用HPに載せたい内容を説明。
手嶋君の方からは、各種のHPを示してくれ、その中で
今、若い人が作っている「流行」のHPのサンプルをいくつか
教えてくれる。あるHPに決定。作成の簡単な手順を教えて
もらう。

今日の話し合いを基礎に手島君が「小山個人HP」の試作品を
作ってくれる。そのHPを見て次回2月15日再度、会って、
最終的なHPの作成の方法を教えてもらうことになった。
手嶋君を教えたのは18年ほど前である。今日、彼のHP
作成を教えてもらえるとは思っていなかったが、感謝している。

社員も10数人いる会社である。


午後から夕方にかけて体がだるい。
自宅で読書。

「誰も書けなかった石原慎太郎」(佐野眞一著:講談社)
非常に興味のある本である。慎太郎は「上流階級」の
子弟あるようにみえながら、どこかやくざっぽいところを
持っている。著者はその「上級階級」と「やくざ」の
二面性を持っている慎太郎の出自を追う。

慎太郎の父、潔は山下汽船に丁稚として入り、
樺太に行く。王子製紙とくっつき、樺太の森林を
ただ同然で国内に運搬する海運業を山下汽船の
社員として行う。
樺太の森林の木を伐採し、筏に組み、川をおり、
海に運ぶ。海岸で待っているフエにクレーンで
のせる。「沖中士」の仕事の監督である。
当時、小林多喜二が書いた「蟹工船」と同じ最下層の
労働者を「やくざまがい」の00組などという連中と
一緒になり、労働させた経歴が認められ、
慎太郎の父親は少しずつ出世していく。
父親の中にある沖中士ややくざもどき連中を
厳しく監視し、働かせた気質を慎太郎は
「上流階級」の恰好をしながら、その本質に
持っていると著者は言っている。
上流階級にみえながら、どこか怪しい、やくざや不良っぽい
所。これこそ慎太郎の真骨頂であり父親から受け継いだ
気質だと。

投稿者 koyama : 2009年01月29日 20:19

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