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2009年01月27日

静大人文学部長懇談:学務部長・学生課長懇談、ブライセン社長懇談

静岡市は晴天。  寒い。

昨夜半からジンマシンが発症。1ヵ月程前にベトナムの
「ハイリーホテル」で起こったジンマシンと同様のもの。
体中がかゆく寝ていられない。ウトウトと一晩を過ごす。
ホテルの布団にいるある種の「ダニ」のアレルギーと
思われる。

午前7時半、ホテルで軽く朝食を摂る。

午前8時半、JASS日本代表委員会副委員長(静岡の会)
の滝下さんが車でホテルまで迎えに来てくれる。

午前9時前、静岡大学へ。

人文学部長の浅利先生と
1時間半ほど懇談。フエの大学院を視察・交流したいとのこと。
JASSベトナム事務所が「静岡大学フエ連絡事務所」に
なっている関係でフエの大学院事情を話す。今年の春に
静大・県立大などの関係者でフエを視察するとのこと。
親交を深める。

午前10時半。静岡大学本部へ。学務部長の車谷氏と
課長、滝下さんとフエ高校生の静大工学部
への留学問題について、細かい詰めを行う。
午後12時まで。



午後12時過ぎ、学務部長・滝下さんと一緒に昼食。

午後2時頃の新幹線で帰京。

車中で読書「流れる星は生きている」(藤原てい著:中央公論新社)

午後5時、五反田にあるIT企業「ブライセン」へ。
ブライセンには、私の紹介で「子どもの家」にいたVU君と
JSSS関係者のTHI君が1年の契約で研修をしている。


ブライセンは携帯電話の中にあるプログムの「組み込み」という
特殊なIT分野の仕事をしている。
二人は、組み込みのテスト(うまくつながるかのテスト)を
パソコンを使って行っていた。かなり力がついてきたようだ。

藤木社長・役員Aさんの3人で今後のブライセンとJASSとの
共同について話し合い、合意する。


午後5時過ぎ、藤木社長、役員Aさん、Bさん、THI君、VU君
と五反田の和食料亭に行き、吟醸酒などを飲む。

VU君、THI君は日本へ来て10ヵ月程になる。五反田から
足立区までJRで通勤しているといのこと。

午後8時半頃解散。

午後10時帰宅。寒い。湯たんぽを入れる。
疲れた。直ぐに寝る。

午前2時頃、目覚める。読書。午前5時まで。
「流れる星は生きている」を読み切る。

是非、多くの人に読んで欲しい本である。
満州から朝鮮を通って福岡まで引きあがる1年数か月
の出来事、体験をかなり具体的に書いている。

毎日「死」と直面しての逃避行。5歳の長男、2歳の
次男、生後1ヵ月の長女の3人のこどもたちを連れての
逃避行がどれだけ大変かが良く分かる。
途中で何度私が涙が出てきたか分からない。
極限の人間の優しさと恐ろしさ、残酷さ、エゴ、
利己主義など人間丸出しの集団逃避行の実態。

藤原ていという人間の芯の強さと我が子への
無限の愛情が良くわかる。

「国家の品格」を書いた二男の正彦が、わがままな性格で
あり、5歳の長男は自分の食べ物を母親に上げるという
優しい気持を持っているなどということもわかる。

日本軍国主義のアジア侵略の結果が結局は多くの
こどもたちが栄養失調で各種の伝染病になり死んでいく
という結果をもたらしていることがわかる。

我が家が中国から引き上げくる状況と全く同じである。
我が家も5歳の長男、2歳の長女を母親が連れて
同じような逃避行を行っている。この本に書かれている
ような苦労をしたのだろうな、そして、5歳の長男一義
が栄養失調から肺炎を起こし、死んでいく経過を
辿った。たかだか64年前の出来事である。

題名の「流れる星は生きている」は当時
逃避行をしている人たちの間で流行った歌の
一節である。

私の胸に咲いている
あなたの植えたバラの花
ご覧なさいね 今晩も
ひとりで待ってるこの窓の
星にうつって咲いている


私の胸に泣いている
あなたの呼んだあのお声
ご覧なさいね 今晩も
二人で誓ったあの丘の
星はやさしく唄ってる


私の胸に生きている
あなたの行った北の空
ご覧なさいね 今晩も
泣いて送ったあの空に
流れる星は生きている

読んでいくうちに何度涙が出てきたことか。

二度とどんな理由があっても戦争をしてはならない。
憲法9条は死守すべきもの。

投稿者 koyama : 2009年01月27日 09:42

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