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2009年01月08日

リー君が帰ってくる

午前中、晴天。午後曇り

気温が低く寒い。

昨日と今日の2日間ゆっくりとした。体調が大分回復。
フエは気候のストレス、ボランティア上のストレスなど
ストレスの塊社会である。

ソマリヤで拉致されていた「赤羽桂子医師」が解放された。
良かった。

終日、衆議院予算員会をテレビで見る。

麻生首相がどんな「言語環境」で育ったのかは分からない
のだが、他人に自分の気持ちを伝えることが本当に下手である。
彼の人生で「自分の気持ちを相手に分かりやすく説明し
自分を理解してもらうという言語能力を育てる機会がなかった、
その必要がなかった」のでは、という
ことが終日の衆議院予算委員会での答弁を聞いて思った。

国会である。当然意見や立場の違う人との論議の場である。
麻生首相は「論議」が本当に下手である。言葉は人間性が
でてしまう。意見が違っても「人間性」は言葉で伝わるもの
である。終日、麻生氏の国会答弁を聞いていて、政治的な
意見は別にして、答弁するたびに「品性のなさ」「知性のなさ」
「人間的な粗野」を感じてしまう。

ベトナム事務所の税田さんから連絡。
昨日、リー君がベトナム事務所に帰ってきた。
昨夜から「ハイリーホテル」に泊まっている。

今日、改めてバオミンさん・税田さん・大塚さんと
リー君が会って今後の身の振り方を話し合った。

以下、リー君と税田さん・バオミンさん・大塚さんとの
話し合いの概要。

●印は「リー君」の話

 ●昨年10月はじめにフエを出てドンハでインと一緒に
  工事現場の手伝いなどをしていた。
  その後、自分(リー)はホーチミン市へ。
  インはそのままドンハにいた。
   (ドンハは、フエの北にあ省の省都)

 ●HCMでは、結婚式の手伝いをしたり 
  ゴムの木の世話をする仕事をしていた。
  ゴムの木の世話は朝7時から17時までで
  1日70,000ドンになり、母親ではなく
  自分がもらっていた。  

 ●HCMの母親には、フエに戻ると言って
   出てきた。

 ●フエにいた頃の借金は昨日、全て返した。
 

 ●ハイリーホテルでは、
   インと一緒の部屋は好きじゃないので
   ハイと同じ部屋で寝た。
   これからもそうする。
 
 ●もう一度、チャンスをください。
   頑張ります。

以上のような状況で数ヵ月間、フエを離れていた。
ミンさんが「料理店では一からのスタート。
店長でも主任でもない。」と話しリー君も了解し、今日の14時半から
料理店で働いている。

何故、昨年、リー君がフエを家出したのかは、いまだはっきりしない
が、やはりリー君が最終的に帰る場所は「子どもの家」やJASS
なのである。リー君が戻って来てまた「新たな問題」を抱え込んだ
ことになる。

 

投稿者 koyama : 2009年01月08日 19:11

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