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2009年01月05日

13日ぶりの快晴:忙しい1日

快晴

本当に久しぶりに太陽を見た。

屋上に布団んどを干す。2週間ぶりの太陽。



午前7時朝食。ブンボーOR フォー。


午前8時半、床屋さんへ。3万ドン(140円)。
普通は15000ドン(70円)程度。安くて申し訳ない
のでいつも倍の支払いをしている。今まで一般的には
1万ドンだったが、物価があがり50%ほど高くなっている。

午前10時半、具嶋先生帰国。フエ空港へ。
バオミンさんと一緒に「ハイリーホテル」へ。
その後、3人でフエ空港へ。フエ空港は欧米系の
乗客で一杯だった。この時期は、欧米系の人々は
ONシーズン。具嶋先生のハノイ行きを見送る。
お忙しい中、わざわざフエまでお越し頂き感謝。

午後12時前「ハイリーホテル」。昼食は途中でかった
ほか弁(100円)。

午後2時半、ベトナム事務所へ。
1年半前に日本料理店を突然辞めてホーチミン市へ
行ってしまったイン君(仮名)の件で話し合い。
「子どもの家」からはセン委員長、ロック寮長。
ベトナム事務所側はバオミンさん、税田さん、
大塚さん、小山。
「子どもの家」のセン委員長から以下の報告あり。
「子どもの家」は卒業生などが遊びに来た時は
受け入れている。
イン君が「子どもの家」の年上のこどもたちを
つれて、レストランに行き、お酒を飲み、豪遊した。
「子どもの家」のこどもたちに3日間で400万ドン(2万円)
もの散財をしたという。「子どもの家」では贅沢を慎み
辛抱して将来へ備えるという教育をしている。
イン君がホーチミン市でお金を稼いだのかどうかは知らないが、
3日間で2万円(普通の公務員の1ヶ月分以上の金額)
ものお金を飲み食いに使うとうのは、「子どもの家」の
こどもたちへの教育上よくない。1年半前に「子どもの家」の
前にある自転車屋からイン君は自転車を1台盗み、
フエの警察に捕まり、現在「保護観察中」。また、「子どもの家」
にいる時、暴力事件を起こし警察に捕まっている。
既にフエにイン君が戻った事を知った警察が「子どもの家」に2回、
イン君の所在を尋ねに来ている、更にホーチミン市に住む人から
「子どもの家」に電話がありイン君がホーチミン市で
「借金を踏み倒している。返して欲しい」との電話があった。
今のようなイン君の生活態度では、よくない。生き方をかえるよう
忠告にきた。要旨、こんな話だった。
私のほうでイン君に「セン委員長の話は本当か?」と
訪ねる。「全てうそだ」とイン君は言う。セン委員長、ロック寮長は
警備員、こどもたち、寮母さんなどスタッフからの目撃・体験談を
きいての話なので嘘ではないと反論。インは、「子どもの家」の
責任者のセンさんやロックさんに対する礼儀を欠いた失礼な
態度で反論する。
その場での言い合いは水掛け論となるので、やめにする。
再度、「子どもの家」でもイン君の行動の実態を調査すること、
イン君は本当にセン委員長の言ったことは全て嘘なのか
どうかもう一度考えるように話し、一度、話し合いを終える。

その後の調査でセン委員長の言っていたことは事実と判明。
午後4時、バオミンさんと「子どもの家」へ行く。
セン委員長とイン君問題の今後の取り扱いについて
協議。

「子どもの家」に食堂には帯広のYさんの知り合いの
細川さんという方がこどもたちにテレビをプレゼント

昨年、「子どもの家」A棟の前面改修、ベッドなど家具類の
回収など総額100万円を寄付してくれた従兄弟の
長島弘道・和子夫妻の贈呈記念碑が出来上がり、
改修したA棟の壁に貼り付ける。


2009年2月8日午後1時半、東京都北区教育会館で
行われる『「子どもの家」創立15周年記念・現地報告会』用の
報告ビデオ作成。最近自立したこどもたちの職場へ行く。

メンさん。ミシンの研修をしていた。今年自立し、自分で
1軒小さなミシンのお店を出した。お店へ取材に行く。
小さいながらも「HONG MEN」という自分の名前を
店名にした洋服屋を出し、働いていた。

生活の実情をインタビュー。
お店と下宿の家賃、生活費を差し引いても
月平均100万ドン(6000円)位は残るとのこと。
結構繁盛しているようだ。従業員はメンさん一人だが、
様々な種類の衣類をオーダーメードで作っている。


その後、町の洋服屋でミシンの研修をしていたヒエウさんの
職場を訪問。ヒエンさんも今年「子どもの家」を自立。
自分で1台ミシンを購入(里親支援)し、洋服屋で仕事を
していた。しっかりとした収入があり、借家の家賃・生活費を
引いても十分生活できる様子が分かった。

午後5時半、一度「ハイリーホテル」へ戻り、洗濯・乾燥を
している衣類の状況を見る。まだ、乾燥されていない。
再度、ボタンを押し「乾燥継続」。

午後6時過ぎ、日本料理店へ。明日、私は日本へ帰国する。
今日が最後の晩。帯広から1ヶ月間フエに滞在している
Yさんとお別れの夕食を摂る。税田さん、大塚さんも
入り、午後9時までボランティアの話などをする。

午後8時頃、数ヶ月前に突然「家出」をしたリー君から
電話。「ホーチミン市にいる。フエに戻りたい。帰っていいか?」。
私は『直ぐに帰ってきなさい』と話す。
リー君は「明日、ホーチミン市を出てフエに行く」と電話では
言っていた。今日はイン君とリー君兄弟の件でエネルギーを
相当使った。しかし、この兄弟の問題は「子どもの家」は
何故フエに必要なのか?
何故、ベトナムに存在する必要があるのか?という
私たちのベトナム滞在の根本にも関わる問題である。
私たちがベトナム・フエにいるのは、成績優秀で大学進学可能
なこどもたちだけを相手にしているわけではない。
むしろイン君やリー君のような兄弟のためにいると言っても
過言ではない。今のベトナム社会で切り捨てられている兄弟である。
何度も警察に捕まり、うそを言い並べ、苦しくなったり不満が
あると直ぐに家出をしてしまう。学歴と言えば「小学校卒」。
それでも彼ら兄弟の生い立ちをみれば「さもありなん」と思える
生い立ちを背負っている。生い立ちは彼らの責任ではない。
偶然のめぐり合わせ。誰か大人たちが注視してやる必要はある。
しかし既に成人に達していることを考えると、自分の行いには
責任が伴うことも事実である。自分の行った過ちには、きちん
とした責任を取ることが求められている。その上で、誰か
この世の中の大人が、愛情と厳しさをもって見守ってやる人間が
必要である。

投稿者 koyama : 2009年01月05日 07:29

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