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2009年01月31日

板橋温泉で休養

朝から雨


昨夜は1時半ごろ目覚めて眠れなかった。
午前5時まで読書。「誰も書けなかった石原慎太郎」。

その後午前8時半まで眠る。

体中にジンマシンが発生し治らない。目のまわりに
ジンマシンができてしまい、人前に出られない。
ジンマシンの薬を飲む。

午前10時半、西台駅まえから無料の送迎バスに乗り
板橋温泉へ。39度の低温浴30分。
1時間ほど入浴。その後、休憩室で読書。
ジンマシンの原因は不明。疲労とストレスも原因と
思い、今日は半日ゆっくりと入浴し、好きな読書をして
ストレス解消。

午後2時半帰宅。2月8日現地報告会の報告文書を
作成する。今日が印刷の締め切り。

「誰も書かなかった石原慎太郎」読了。
著者は石原慎太郎に2回インタビューをしている。
インタビューをした際には、率直な対応に好感を
持っている。しかし、全編を通しての基調は
歪んだ幼児性をもったナルシストの石原慎太郎像を
描いている。一つのことに熱中できない性格。
一ツ橋の大学時代に「太陽の季節」で芥川賞を
受賞してたが、それ以降作家としての実績を残せず、
政治家に転身してからは総理を目指していたが
結局、都知事で終わろうとしている。
石原ファシストという声もあれば、「NOと言える日本人」
と絶賛され、対米、対中国・北朝鮮への強硬な発言を
繰り返す慎太郎。評価が今でも分かれるところである。
都知事選挙では300万票、得票率は50%近くに
及んでいる。共産党系の都知事候補者が30万票である。
こうした評価の分かれる石原慎太郎であるが、
私の興味のもった部分は、その出自である。
本書の3分の1ほどは、父親潔の生い立ちに充てられている。
沖中士ややくざなどと組み、伐採した森林の運搬を管理していた
父親潔からDNAを引きついていることである。母親は東京芸大
絵を勉強したいと願っていた芸術肌であった。そのDNAも
引き継いでいる。終生、弟の裕次郎への劣等感にさいなまれていた。
裕次郎は絵も上手、不良も本当の不良。慎太郎は全てが中途半端
なまま、マスコミや世論の動向を読む能力だけはさええていた。
本書を私が高く評価するのは、著書が最初から特定の色眼鏡で
慎太郎を見ていないこと、そして慎太郎という人間を浮き彫りに
するため明治大正昭和の父潔の生い立ちを探り、慎太郎という
特異なキャラクターをもった人間がどのように生まれ育ったを
佐野流に解明したことである。
著者の記述の中で「強そうで傲慢に見える慎太郎の本質は
『小心者』」と書いている。それは本当の慎太郎なのかも
知れない。新銀行東京の破たん、東京オリンピックは
出来るわけがない。こうして都知事の晩年は、汚泥に
嵌まったまま野垂れ死にしていくのではないだろうか?
それでも自分で責任をとったことはない。
副知事の浜渦に全てダーティーな部分をやらせ、
最後は「首を切って」いる。600ページの大著。
文庫本3冊分はある。

何人かの支援者から電話。

ベトナムのバオミンさんと電話で話す。テトもいよいよ終わる。
テト正月中は忙しかったそうだ(祝い酒で・・・)
2月7日からの訪日の最終打ち合わせをする。
訪日中のいくつかの問題点について話し合う。


投稿者 koyama : 2009年01月31日 19:35

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