« 2011年02月 | メイン | 2011年04月 »

2011年03月31日

フエ高等師範大学長震災のお見舞い:「子どもの家」タンさん誕生会

気温14度 寒い。

午前7時朝食。赤米のおかゆ

まだ腹痛と吐き気あり。

午前8時半、フエ高等師範大学長がベトナム事務所を訪問。
東日本大震災のお見舞いの言葉を頂く。
娘さんが東大大学院に行き10年間東京に住んでいる。
今回の地震のことは、娘さんから逐一連絡を受け、日本の
様子を大変心配し、お見舞いを言いに来たとのこと。
「日本は、阪神の地震もあり、戦争もあった。力のある国だ。
必ず復興する。フエ高等師範大学でも先生に1日分の給料を
学生にも日本の被災者への寄金運動を行っている。JASSの
皆さん、日本の皆さんにベトナムのフエでも応援している
と伝えて欲しい』とのこと。有難いことである。
フエ高等師範大学には、長年にわたり長島弘道・和子奨学金、
久門奨学金(2010年8月で終了)を支給している、


バオミンさんと当面のいくつかの問題で話し合う。

午前10時半、ベトナム事務所から電動バイクで「子どもの家」へ。
今日は「子どもの家」のミー・タンさんの13回目の誕生日。
里親の海老原さんからの寄金で誕生会を開催。


ミー・タンさんは、現在13歳。6年生。「子どもの家」に入所し
5年たつ。

ミー・タンさんが入所する一部始終は、TBSテレビ「学校へ行こう」
で放映された。ミー・タンさんの家は船上生活者の家だったが、
陸にあがった。しかし、高齢の祖父がいて、家族の収入がなく
生活ができず、当時8歳のミー・タンさんと12歳の兄とで
「子どもの家」へ入所した。

兄はミシンの職業訓練を終えて就職し自立している。

ミー・タンさんの13回目の誕生を祝い、「子どもの家」の
こどもたちがお祝いを言う。


里親の海老原さんから贈られた誕生ケーキ。

「誕生 おめでとう MY TAN(ミー・タン) 3月31日」
と書かれている。

13本のろうそくに灯を点ける

ろうそくを吹き消す


40数人のこどもたち全員が誕生ケーキを楽しめるよう
3つのケーキを用意する。

誕生会を終わり、昼食を摂る。その後、お楽しみのケーキが
出る。私もこどもたちと一緒に昼食。ご飯を半分と野菜を少し。

「子どもの家」スタッフのニエムさんとフエ師範大化学科に通っている
トゥーイさんがケーキを等分する。
「子どもの家」では大学生はスタッフと同じ位置づけ役割りをもち
本人も自覚している。こどもたちが昼食を摂っている間、
自分は食事をしないでスタッフと一緒にこどもたちのケーキを切る。


食事中のフック君。最近『画家』としての風格のようなものが
出てきた。

昼食が終わり、いよいよ「ケーキ・タイム」。

タンさんもケーキを楽しむ

箸でケーキを食べるところが、「子どもの家」流。素晴らしい。

先日、静岡大学工学部の入試を受けたHNさんも。
今は試験も終わり、ケーキに『したつづみ』を打つ。

里親の海老原さんから3枚のTシャツが贈られる。
ピンクが一番好きな色だとのこと。

里親から『同部屋』の仲間にも葉書のプレゼント

午後12時半に全てが終わり、帰宅。

改めて里親の海老原さんにお礼を言いたい。
タンさんは8歳までは、誕生祝いなど出来ない境遇だった。
こうして誕生祝いを経験し、人生の1ページに楽しい
思い出を書き込める。
同時に「子どもの家」のこどもたちが全員が大好きな
ケーキを食べられ、「子どもの家」全体でタンさんの
誕生日をお祝いできた。


午後3時、バオミンさんとハンさんとブライセンの件やその他の
ことで打ち合わせ。

午後4時半、今日飛行機で届いたばかりの新鮮な「まぐろ」
と「鮭」をこどもたちが上手に捌いていた。

鮭の小骨を「毛抜き」で1本1本抜く

新鮮なまぐろ。

お腹を壊していなければ、マグロをつまみにビールか吟醸酒
を飲みたいのだが、お酒を飲む意欲がない。非常に悲しい。


++++++++++++++++++++++


日本から離れて今回の日本の地震・津波・原発などを含めた
大震災の様子を見ている。

先日、サッカーの日本代表とJリーグ代表との試合を見た。
私はサッカーが好きではない。ルールも良く分からない。
しかし、あの試合を見て感動した。
一昔前にはサッカーの選手が金髪だとか礼儀がない
などと批判をしていた「お偉い」さんもいた。
地震の3週間後には、ヨーロッパなど世界に散らばっている
日本代表の選手を呼び(現地のチームからの帰国許可もいるだろう)
あれだけの準備をし、選手の気持ちを高め、国民に感動を与えた
日本のサッカー界である。見えないところでサッカー界のトップに
いる人たちの「世間を見る洞察力」「判断力」「即断決定力」
そして果敢な「実行力」によるものだと思う。
こどもたちがサッカーに憧れ、少年サッカーチームに入るのも
判るような気がする。サッカー界には、頭の柔軟なリーダーが
きちんと存在していたことを推測させる。

日本のプロ野球はどうだろう。個々の選手、個々のチームは、
様々な支援・救援活動をしているが、プロ野球界全体としては
目に見えた行動を発信していない。
発信したのは、セパ両リーグ分離開幕、セリーグの二転・三転
後のゴタゴタ開幕日変更騒動。その裏には、プロ野球界の
リーダーの「世の中の動き」を読み取る洞察力のなさ、
旧態然とした「慣例主義」、巨人中心主義がある。
今回の大震災の中で一人一人の国民の行動が問われている。
プロ野球界の「ドン」である読売新聞社主の渡辺恒雄氏の
時代を読めない醜態が露呈し、その醜態を諌められない
プロ野球界の現実が、サッカーとプロ野球の「震災に対する
取り組み」の大きな差となって表れてきているのだと思う。
選手会の新井氏の行動にほのかな「光」を見た思いがする。
人間は引き際が肝心。「老害」といわれていつまでも
地位に執着する人生が一番惨めであり、社会的にも
迷惑千万である。

リーダーの能力一つでサッカー界のように震災で打ちひしがれた
日本人の心を感動させ、頑張って生きて行こうという希望に
灯を点けることも出きるし、輪番の停電で企業の操業も
停止されている中で、煌々と明かりをつけ、東京ドームで
野球をしようというセリーグや連盟の首脳部もいる。
社会に「鈍感」な感覚に驚いてしまう。
サッカー界とプロ野球首脳の行動を見ていると「よき社会勉強」
になる。

投稿者 koyama : 09:53 | コメント (0)

2011年03月30日

地球の歩き方5班緊急見送り

午前6時起床。 気温12度  湿度95%
終日雨。

午前7時朝食。フォー。

体調が悪い時には悪いことが重なるものだ。
フエの「風土病」(ジンマシンのようなもの)が発症した。
寒くなると活動し始める寄生虫が原因。
赤い発疹が出始めた。経験的には発疹が段々大きくなり
痒くなるのだが、途中で止まって欲しいと願うのみ。

バオミンさんから電話。下痢症状は薬のお陰でかなり
良くなったとのこと。私からは、体の抵抗力、免疫力が
低下しているので、仕事のない時は休養するよう話す。

リー君からバオミンさんにメールがあったそうだ。
「もうじきホーチミン市に着く。ナムドン山岳地帯に行った手当てを
もらいたい。『金』の板にして弟のインに渡して欲しい」とのこと。
ここでもお金だ。
リー君の今の精神構造がどうなっているのかは不明だが、
お金と物に傾斜していき、歯止めが利かないように
思われる。


日本の関係者から講演会などのメールが入り、何度かの
やり取りをする。

部屋で仕事をしていても、とにかく「寒い」。

午前11時半昼食。チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)
お腹の具合いが悪いので消化の良いものを作ってもらう

午後12時半から1時間ほど昼寝。

関係者からのメール送受信。

日本のブライセン本社経理部と電話で意見交換。

午後4時、バオミンさんから電話。地球の歩き方5班が
フエ空港からホーチミン空港へ行く予定だったが、
理由不明だが飛行機が午後5時発が午後9時発に
変更されたとのこと。

バオミンさんはベトナム航空へ連絡し、正確に何時に
フエをでるのかを問い合わせ。

私は東京のピースインツアーに電話。午後6時25分ホーチミン着
の飛行機が午後9時発で午後10時25分ホーチミン着に変った
こと。従って、ホーチミン市での夕食をキャンセルし、フエ市内で
夕食を摂ること、ホーチミン空港で待っているガイドさんに
遅延を連絡するよう依頼する。
更に今夜フエ発 →ホーチミン行きの飛行機が飛ばなくなった
ことを想定し、フエでのホテル等の腹案を考え、バオミンさんと
打ち合わせをする。

午後3時半過ぎには、ソン君が地球の歩き方5班の皆さんを
フエ空港まで案内し、フエ市内に帰ってきている。


バオミンさんとソン君で連絡を取り、ソン君は再度私と
フエ空港へ行くことになった。
バオミンさんはフエ市内で全体の状況を把握し、関係者に
即連絡が出きるよう態勢をとる。

午後5時、ソン君が車で迎えに来てくれる。
ソン君と一緒に地球の歩き方5班の皆さんが待っている
フエ空港へ。
地球の歩き方の皆さん・ソン君と一緒に再度、フエ市内へ
戻る。フエ市内のチャーハン専門店で夕食。
私はワンタン麺を食べる。

午後7時半、再度車に乗り地球の歩き方の皆さんと
一緒にフエ空港へ戻る。


午後8時。フエ空港着。しばらくして空港待合室へ。
6人のどの方も真面目な人たちであった。
日本の将来を託くせる知識・教養を持っていた。


ピースインツアーの担当者に電話。ピースインツアーでは既に
ホーチミン空港で待っているガイドさんに連絡。
ホーチミン市市内に予約していたレストランをキャンセルする
措置を取る。

JASS観光とピースインツアーの連携プレーで地球の歩き方
の皆さんに迷惑がかからないよう対処した。

午後9時過ぎ、宿舎へ帰る。

投稿者 koyama : 08:56 | コメント (0)

2011年03月29日

リー君、退職しホーチミン市へ:地球の歩き方5班夕食会

終日雨。寒い。  

午前10時半時点の室内 気温12度  湿度98%

午前6時起床。
昨晩は、夕食を摂らずに寝た。午後11時、11時20分、 
11時半と3回、リー君から電話があった。

午前7時朝食。 チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)

急いでバオミンさんに電話。昨夜のリー君からの電話内容、
午前8時にベトナム事務所で話し合うとの約束をした内容を
伝える。

7時40分、雨の中、徒歩でベトナム事務所へ。

午前8時10分頃、リー君から電話。今からベトナム事務所
へ行くとのこと。

午前8時10分過ぎ、リー君がベトナム事務所に来る。

バオミンさんと私で対応。
リー君に「昨晩、退職しホーチミン市に行く」
という電話があったが、改めてその理由を言って欲しいと。

(リー君)「自分は日本料理店で一番古い。しかし、給料は
      一番低い」「ホーチミン市に行く」

(小山)「リー君が一番日本料理店で古いということはその通りだ」
   「給料が一番低いということは事実ではあるが、 
    一番低くしたのは、リー君自身だ。日本料理店に勤めて
   3回突然家出し、日本料理店を辞めている。
   2回は母親の所へ突然行った。1回は金鉱へ行った。
   この3回は、事前に退職届けなども何も出さずに
   突然の退職である。3ヶ月から6ヶ月間帰ってこなかった。
    また、この間、3回警察に捕まっている。3回とも
   リー君の飲酒と暴力などが原因で警察に逮捕されて
   いる。本来その時点で一般社会ではリー君は解雇されている。
   そうしたリー君の犯罪行為・自分の勝手な退職で日本料理店を
  辞めたのだ。店長だったリー君は復帰した時には役職がなくなり
  給料が一番低くなってしまったのであり、責任はリー君自身に
  ある」。
  「2月中旬に私がフエに戻った時、バオミンさんと相談し、
   リー君を副店長にし、庶務主任(扇風機や電気などを修理・・・)
  につける、と話し合った。その内容は、2月の末にリー君にも
  伝えてある。3月のスタディーツアー繁忙期が終わったら、
  リー君を副店長・庶務主任にし、副店長・庶務主任手当てを
 出せば、日本料理店で2番目に多い給料となる、ということは
  リー君に話してあるね」。
 「ホーチミン市に行っても仕事はない。日本料理店で頑張って
  働くように・・・」


(リー君)「ホーチミン市に行く。切符も買ってある。
      今から自由に行動する。」


以上のような話し合いでリー君は席を立って出て行ってしまった。
リー君とは話し合いにならなかった。リー君は「ホーチミン市に行く」
ということで頭が一杯になっている。人の話を聞く心の余裕が
ないように思われた。

ーーーーーーー
数日前までは、ホーチミン市に行くなどと言う動きはなかった。
3月20日に給料を渡したが、「日本の地震に5万ドン寄付する」
と何度も言っていた位だ。
金土日とリー君の祖母(母親系)のお葬式がクアンチ省であり
リー君も参加。そこでホーチミン市の母親に会う。その頃から
リー君の考えが変わって来たように推測する。

ホーチミン市にいるリー君の母親は、5年ほど前、突然
ベトナム事務所に来て「リーとインをホーチミン市に連れて
行く」という。私は二人とも日本料理店で仕事をしている
のでホーチミン市に連れて行くことには賛成できないと話す。
しかし、リー君とイン君は母親と一緒にホーチミン市に
行ってしまう。リー君・イン君を4歳5歳で捨てて
男性とどこかへ行ってしまい、こどもたちが働けるように
なったら突然現れた母親の魂胆は、はっきりしている。
リー君・イン君を働かせて、現在一人身で収入の少ない
自分は楽隠居するというものだ。まだ50歳のはじめなのに。
結局、その時は半年で二人とも日本料理店へ帰って来た。
その後も繰り返し母親は、リー君とイン君をホーチミン市に
呼んで仕事をさせようと電話をしたりしていた。その後も
2回ほどホーチミン市に行ってしまっている。
リー君・イン君はやはり母親というものを求め、「幻想」を
持っている。何度もホーチミン市に呼ばれ母親のもとに行き、
裏切られ日本料理店に帰り、また呼ばれ、また裏切られを
繰り返し、今日に至っている。

今回、祖母の葬式で母親に会い、ホーチミン市で働けば
月給はフエの2倍・3倍もらえる。給料の安い日本料理店で
仕事をしていても損だ、などと吹き込まれたものと推測する。
ホーチミン市の月給はフエに比べれば高いが、物価はフエの
何倍も高い。家賃は更に高い。少しぐらい高い給料をもらっても
実質的な生活は、フエよりも苦しくなるのは、明白。
リー君は「目先の金額」だけに目が奪われ、ホーチミン市に
行けば何でも夢が実現するとの幻想からぬけられないでいる。
何度も失敗しているのに。残念である。
昨夜の3度の電話、今日の話し合いでリー君が言ったことは
「給料が安い」ということ1点である。

今日の話し合いで私は色々なことを言って説得をしたのだが、
リー君はJASSにはお世話になっているが、ホーチミン市に
行くの一点張りだった。

24歳である。色々と説得をし、副店長、庶務主任、給料の
値上げなどの話をしても、ホーチミン市にいくということに
異常に固執しているリー君は、ホーチミン市に行けば
「ばら色の人生」が待っているかの幻想を抱いている
ことが分かる。そしてお金だ。
私たちとしては、首に縄をつけて引き止めることは出来ない。
どうしようもない出来事だった。

3月20日、リー君に月給を渡した。5日後の3月25日にリー君は
バオミンさんの所へ行き、お金がないので「貸して欲しい」
と言っている。
月給日からたった5日目にして、1ヶ月分の月給を使って
しまったのだ。そういえば、最近、リー君はかなり高価に
思えるコートなどを着ていた。

直ぐに原田・土井・富岡先生を呼んでリー君ホーチミン市行きの
経過を話し、日本料理店の手が足りなくなるので、協力を
お願いしたいとの話をし、3人の先生は協力してくれるとのこと。
安心した。原田・土井・富岡先生に感謝。
日本料理店を指導してくれていた大塚さんが1月で船上生活者
支援の任期が終わり帰国。今度はリー君がいなくなり、
日本料理店は非常に手薄になる。日本人の先生たちに
日本料理店の繁忙期などは手伝ってもらうようにお願いし、
快諾を得た。


午前11時、宿舎へ帰る。リー君からメール。
「バイバイ」とある。

11時過ぎ、リー君から「さよなら」とだけの
電話あり。

午前11時半昼食。ベトナム風「おじや」


バオミンさんから電話。今日の朝から酷い「下痢」状態。
午後は休むとのこと。フーン先生 →私 →バオミンさんと
同様の風邪からくる症状。しばらく休養するように話す。

部屋にあるカレンダーを見た。私の3月の活動は、
1日の日曜日を除いて、毎日活動があった。
バオミンさんもほぼ同様。
私とバオミンさんの活動の主なものは、ベトナム事務所
全体の統括。日本人来訪者(企業家、学生・・・・)との
話し合い。フエ市人民委員会など地元行政との話し合い
など、人とのお付き合いでほぼ全ての時間を費やしている。
人とのお付き合いは、気疲れと話し合いのエネルギーで
本当に疲れる。

私もバオミンさんも疲れている。バオミンさんのしばらくの
休養は絶対に必要なことだ。

茨城県の「火炎樹の会」の大沢さんから日本料理店の
箸袋が贈られてきた。日本料理店のこどもたちへの
手紙つきである。
年間2500人程の来客全員分の箸袋を贈って頂いている。
欧米系の来客が80%の日本料理店である。
多くの欧米系のお客さんはこの箸袋を喜び、持って帰る
人もいる。何年もの間、途切れなく箸袋を贈ってくれる
大沢さんに感謝したい。

午後2時半、日本料理店でリー君以外のこどもたちと
日本料理店会議を開く。

昨夜から今朝8時過ぎまでのりー君との話し合いの
経過と内容、結果を報告する。リー君が退職したことや
退職理由などを話す。リー君が退職した後の対策を
考える。

・接客係がグエットさんだけになった。頑張って注文を
 取ったり、店内の机の準備をしたりして欲しい。
  厨房の3人も開店前の店の掃除、机の準備などを
 手伝って欲しい。
・調理係りは3人。協力して仕事をして欲しい。
・日本人スタッフ(原田・土井・富岡先生)が、輪番に
 日本料理店の手伝いをする態勢を作った。
 一度にたくさんの来客があった場合は、日本語教師も
 手伝う。

私から「リー君がいなくなり大変になると思うが、みんなで
協力して頑張って欲しい」と話すと、こどもたちからは
意外な返事があった。「リー君はいなくなってしまう
ことがよくあり、リー君がいなくても4人でやっていける。
困ることはない」との返事。女性はリアリストであり強い。

午後6時半。地球の歩き方5班の夕食会。

バオミンさんと私が参加する予定だったが、バオミンさんが
体調を崩してダウン。ピンチヒッターにアンさん・ソン君が
参加してくれた。感謝。

厨房では「トンカツ」を調理いていた。

グエットさんが「今日のj献立」を紹介
いつもの「相棒」であるリー君はいない。

原田先生の司会で夕食会は進行していく。

乾杯

東京から来た高校1年生もいる。



日本料理店スタッフ紹介
ここにもリー君はいない。寂しい。

全員で記念写真

「子どもの家」のこどもたちが書いた「震災支援」の寄せ書き
の前で


参加者の依頼でデジカメを撮る

午後8時半閉会。

今日はお茶を飲み少量の野菜を食べた。


帰りも雨の中。

バオミンさんの体調、リー君の行方が心配だ。


投稿者 koyama : 12:26 | コメント (0)

2011年03月28日

静大入試3日目(最終日):「京滋YOUの会」震災・子供の家支援バザー

終日雨。 A8 気温13度 湿度90%

昨夜、午前1時過ぎから吐き気と酷い下痢状態に陥る。
結局、午前4時位まで何度も調子を崩し、おきたり寝たり。
昨夜の静岡大学との反省夕食会で小さなグラスに4杯ほど
ビールを飲んだ。意外にそれほどまずくはなかったので。
下痢も収まり、何とか風邪も回復基調には乗っていたのだが。
今回の風邪は胃腸に来るそうだ、胃腸が弱っていたのだろう。
昨夜は、お腹が痛く苦しくて「うなり」ながら横になり、トイレに
行ったりと忙しかった。

午前6時過ぎ起床。微熱あり。

午前7時朝食。「おかゆ」にしてもらう。

食後、メール受信・送信。

しばらく横になる。

午前10時半過ぎ、静岡大学入試会場の「静岡フエ青年会館」
日本語学校へ。

今日はフエの高校生6人の面接日。

午前11時15分過ぎに全ての面接が終了し、静大工学部
ニフィーのフエでの入試の全てを終了する。
工学部の先生方、事務の方々、ご苦労様でした。

JASS日本語学校で特別日本語教育を受けていた生徒と
JASS日本語教師などと記念写真。

午後12時過ぎ、静岡大学の先生方(5人)とチャオバインカイン
(キャッサバ芋の粉と米の手打ちうどん)の美味しい店へ。
平均1人3杯。私は食欲なし。1杯弱。麺だけ食べた。


雨の中、電動バイクで宿舎へ。カッパを着ていてもかなり体が
濡れる。

バオミンさんが下痢の薬を買ってきてくれる。

午後2時、宿舎へ。そのまま眠る。昨夜はほとんどねていない。
夕方まで熟睡。

静大入試関係者(5人)は夕方の便でハノイ経由帰国。
お疲れ様。

食欲なし。夕食は摂らず横になっている。

夜11時、リー君から電話。
明日、母親と一緒にホーチミン市へ行く。日本料理店をやめる。
日本料理店は給料が安い・・・・・・・、などなど20分ほど
理由を言っているのだが、かなり酔っ払っている。
明日朝8時にベトナム事務所に来るよう話す。

その後、2回ほど電話。話す内容は同じことの繰り返し。

リーに何かがあったのか?

============================
以下、「京滋YOUの会」主催「震災そして子供の家支援バザー」詳報

JASSは「JASS日本」と「JASSベトナム」の二つの組織を統合し
ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)としている。(JASS会則)

JASS日本は各地の会が独自に地域の実情に合わせてそれぞれ
特色のある活動を進めてる。「京滋YOUの会」をはじめ、函館、
札幌、倶知安、茨城、栃木、東京、静岡とそれぞれ独自の活動を
進め、全体を統合してJASS日本となっている。
こうした活動方式は、JASS独自のものであるが、それは
JASS17年の発展段階を踏まえての活動の仕方である。

「京滋YOUの会」のバザー(今回は東日本大地震支援も加味して)
も今回で何回目であろうか、10年位かそれ以上になるのかも
しれない。一つの活動をコツコツと続けることが全ての活動の
基礎だと思っている。

 - 「子どもの家」支援洋服バザーの報告 -

 3月19日(土)長岡京市の地で、恒例となっている、第8回「子どもの家」支援の洋服バザーを開催しました。

東日本大地震がおきて、1週間後、被災地が大変な状況になっている中、“この時期にバザーをするかどうか”まよいましたが、みなで話し合い、2ヶ月前から準備を進めていること、多くの皆様にチラシ配布、市の広報などでお知らせしているということもあり、開催を決定しました。そして、併せて、今私たちに出来る被災地への支援活動もしようということにしました。(バザーの収益金の一部を被災地支援募金とすること、又、会場にて、被災地支援募金を訴えること、この2点を確認しました。)

 (株)アデッソ・スフィーダ様からご提供いただいた洋服、そしてベトナムの刺繍製品、雑貨、ベトナムコーヒーを販売しました。又いつもご協力いただいているデコアートフラワーの皆様の出展、そして、写真、パネルの展示も併せてしました。会場に、被災地救援募金コーナーも設置しました。会場の一角に、子ども達に遊んでもらおうと「竹とんぼ色づけ」のコーナーも設けました。展示では、昨年度の洋服バザーの収益金で、子どもの家の食堂が改修され綺麗になった様子も見ていただきました。



この時期ですから、例年に比べて、来場者の方は少なめでしたが、それでも多くの皆様がお越しくださり、無事に終えることが出来ました。(株)アデッソ・スフィーダ様、デコアートの皆様、事前準備に関わってくださった皆様、当日ボランティアでお手伝いくださった皆様、そして会場にお越しくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。心より感謝いたしております。

なお、収益金の中から、(株)アデッソ・スフィーダ様、デコアート様とご相談させていただき、ささやかですが、10万円を被災地支援金とさせていただきました。又会場での募金は、3万30円でした。合わせて13万30円を、京都府国際センターの募金窓口に届けさせていただきます。

 被災地の皆様への支援は、私たちに出来ることを(ささやかなことしかできませんが)これからも続けていきたいと思っております。
(文責 藤井)

 

投稿者 koyama : 10:33 | コメント (0)

2011年03月27日

静岡大学入試2日目

終日雨  最低気温14度。 最高気温17度。 湿度90%。

午前6時起床。

午前7時50分、雨の中電動バイクで静岡大学入試会場である
静岡フエ青年交流会館へ。


静大の先生方5人、原田先生、土井先生、フーン先生が既に
来ていた。


しばらくして静大工学部受験者19人来訪。

今日は8時半から9時半まで「英語」の筆記試験
その後、午後2時45分までホーチミン市・ダナン市の
受験者の面接。


午前8時半~午前9時半までの英語の試験を終えて
休憩に入った19人の受験者

ベトナム事務所員と「子どもの家」の受験生のHNさん


私は途中で宿舎に帰る。

午前11時。昨日買ってきてもらった小麦粉の手打ちうどんを
茹でて、日本の「めんつゆ」で釜揚げうどんにして食べる。

その後、夕方まで横になり休む。

午後5時40分、宿舎を出て静岡大学の先生方との
夕食会場の庶民の食堂へ。雨の中、電動バイクで。
からり濡れてしまう。
原田先生、フーン先生も参加。

静大工学部ニフィー入試の中間総括などしながら
庶民の夕食を食べる。

午後9時閉会。宿舎へ帰る。

今日の名言(民主党が特任大臣を増やすという)
民主党と連立を組んでいる国民新党・亀井代表の言葉

「大臣を増やしても仕方がない。バカ+バカ+バカはバカなんだ」。

投稿者 koyama : 22:56 | コメント (0)

2011年03月26日

ACCL渡辺さん来訪:静岡大学入試第1日目:講演会

終日雨 非常に寒い。

昨日からの下痢が治らない。
お腹の具合が悪いので朝食は食べず、午前7時40分
ベトナム事務所へ。

午前8時過ぎ、JASS里親担当・ACCL代表の渡辺和代さんが
ベトナム事務所へ。
渡辺さんは、フエ中央病院小児科と提携し、小児ガン、特に
小児白血病のこどもたちの支援を行っている。
私、里子担当のハンさん、バオミンさんとで「子どもの家」の
こどもたちの入退所の現状について説明。
フエ(ベトナム)全体の異常な物価高の現状を説明し、
何とか節約し、現状の里親会費でこどもたちの生活を
一層充実させていくことなどを話し合う。

今日は、2011年に入金された里親会費を持って来てくれた。
有難いことである。

午前9時、静岡青年会館へ。静岡大学入試の初日。筆記試験
である。
会場へ。静大の先生・関係者(5人)、原田先生・フーン日本語
部長、フオン日本語教師が既に来ている。私とバオミンさんも
合流。

フエの受験者は6名(内1名は「子どもの家」のHNさん)
ハノイ1名、ホーチミン市12名。合計19名の受験者。

既に指定されている受験番号の机・椅子に座り、携帯電話を
封筒に入れ保管する。

静大工学部M先生の受験上の諸注意を聞く。

午前9時半前に受験生は2階の受験教室に移動する。

私は、午前9時半から地球の歩き方5班の講演会が
「子どもの家」であるのでタクシーで急いで「子どもの家」へ
行く。外はかなりの雨。

午前9時半、2階音楽室(会議室)で地球の歩き方の
皆さんに講演をする。今回は、1997年放映の「ドキュメンタリー
人間劇場」の一部をテレビを使ってみてもらう。
テレビに出てくるこどもたちのことなどを説明しながら
講演会をする。今回は、初めて放映されたテレビ
番組の一部を紹介しながらの講演会をしてみた。
口で説明するよりも映像でみたもらった方が分かりやすい。


午前10時45分に講演会を終了。

その後、「子どもの家」のこどもたちの歓迎会。

セン運営委員長の歓迎の挨拶。ソン君の通訳。

こどもたちの歓迎の踊り(今日は寒いので冬着を着ての踊り)

地球の歩き方スタディーツアー5班の皆さんの出し物
鍵盤ハーモニカを使って「ドラエモン」を歌う

とても上手に鍵盤ハーモニカを使っていた。
教員志望者なのだろうか?

歓迎会が終わろうとした時、「子どもの家」のこどもたちから
サプライズの行動があった。

「東日本大震災支援行動第3弾」

こどもたちが、私にも内緒で「日本の地震・津波被害者」
への激励の言葉と「鶴」を折って地球の歩き方5班の
日本人の皆さんに贈ったのだ。
中心になったのは、「タン君」とフエ芸術大学へ行っている
「フック君」である。この二人が中心になり、英語はフエ医科大
フエ師範大に行っている女子学生が書き、小中学生は
鶴を折ったりして、「子どもの家」のこどもたち全員で
日本の被災者への激励の寄せ書きを作った。


「PRAY FOR JAPAN。 YOU ARE NOT ALONE」
との英語が書いてあったので、タン君に聞いたら、
大学生に行っているこどもたちが英語をかいたとのこと。

人の手は、タン君トフック君が描いた。「子どもの家」のこどもたち
がそれぞれの特色を生かして、日本人を励まそうとする
努力と気持ちが伝わってくる。

小さな折鶴は小さいこどもたちが時間をかけて作った。


16年間「子どもの家」でこどもたちを育ててきて
こどもたちは英語を知り、こうした常識的な人間の感覚・感情を
しっかりもつこどもに育った。寮母さん・学校の先生に心から
感謝したい。人間を育てると言うJASSの目指すものの
一部が多少は達成しつつあることなのかも知れない。


「子どもの家」のこどもたちはなかなかシャレた英語を知っている。


地球の歩き方スタディーツアーの皆さんにタン君が寄せ書きを
贈る。

寄せ書きの中心になったタン君から日本の被災者への
激励の言葉。「自分たちも日本の被災者と同じ気持ちで
悲しみと苦しみを共有している」という趣旨の挨拶をする。
成長したものだ。1993年10月、4歳位で最初に私が
作ったチーラン通りの「子どもの家」に入所してきた。
タン君とは18年近く付き合っているのである。


午前11時半。雨の中、宿舎へ帰る。

お腹の調子が悪いので「おかゆ」を作ってもらう。
ベトナムのお粥は日本と同じだが、塩と生姜(しょうが)
をつけて食べる。


今日は半日の仕事だったが、本当に疲れる。
下痢で食事をきちんとしていないことと風邪を
引いているので、直ぐに横になる。力が出ない。

震災支援第4弾のアイディアを考えた。
バオミンさんと相談。何とか実現したい。
ベトナムの政治など複雑な問題が横たわっている。
そうしたことを乗り越えて何とか、私の考えた
第4弾のアイディアを実現したい。
日本の同胞の皆さんが被災している。
ベトナムにいる私たちも出きることは小さいことでも
何か支援をしたいものである。

================
続きを読む。

「東電の想定外」は嘘。(毎日新聞より)

ーーーーー

東電の「想定外」は嘘<福島第1原発>東電「貞観地震」の解析生かさず
毎日新聞 3月26日(土)18時47分配信

 東京電力福島第1原発の深刻な事故の原因となった、大津波を伴う巨大地震について、09年の国の審議会で、約1100年前に起きた地震の解析から再来の可能性を指摘されていたにもかかわらず、東京電力が対策を怠っていたことが分かった。今回の事故について東電は「想定外の津波だった」との釈明を繰り返している。だが、東電側が審議会の指摘をないがしろにしたことが、前例のない事故の引き金になった可能性が出てきた。

 指摘があったのは09年6月、原発の耐震指針の改定を受け電力会社が実施した耐震性再評価の中間報告書について検討する審議会だった。産業技術総合研究所(茨城県つくば市)の岡村行信・活断層研究センター長が、869年に発生したマグニチュード(M)8以上とみられる「貞観(じょうがん)地震」を取り上げ、「非常にでかいもの(地震)が来ているのがもう分かっている」と、東電が考慮していない理由を問いただした。

 翌月の会合でも、この地震が、04年のスマトラ沖大地震のように幅広い震源域が破壊された可能性が高いことを指摘し、東電にスマトラ沖地震のような「連動型地震」を想定するよう求めた。東電側は「まだ十分な情報がない」「引き続き検討は進めてまいりたい」と答えるにとどまった。

 古文書によると、貞観地震は宮城県沖で発生、津波で約1000人が水死したとされる。産業技術総合研究所などが05~09年、宮城、福島両県で、海岸付近の土砂が津波で運ばれた「津波堆積(たいせき)物」の分布を調べたところ、当時の海岸線から数キロ内陸まで浸水したことが判明。福島県内でも、同原発の約7キロ北の現・浪江町請戸地区で現在の海岸線から約1.5キロの浸水の痕跡があった。同規模の津波は450~800年程度の間隔で、過去に繰り返し起きた可能性も浮かんだ。これらの成果は学会や論文で報告されている。

 ◇「『想定外』は言い訳」

 東電の武藤栄副社長は25日の会見で「連動した地震による津波は想定していなかった」「(貞観地震を参考にした)地震や津波の予想について共通見解を出すには至っていない状況にあった。学会として定まったものがなかった」と釈明した。東電のこれまでの対応に対し、岡村センター長は「原発であればどんなリスクも当然考慮すべきだ。あれだけ指摘したにもかかわらず、東電からは新たな調査結果は出てこなかった。『想定外』とするのは言い訳に過ぎない。もっと真剣に検討してほしかった」と話す。【須田桃子、藤野基文】

投稿者 koyama : 21:34 | コメント (0)

2011年03月25日

静岡大学入試関係者来訪

終日雨。非常に寒い。

3月22日フエ市人民委員会と共催で行った「東日本大地震
支援集会」の模様が、日本のNHK-BSでも放映された。
日本の皆さんに遠くベトナムからもベトナム人も現地にいる
日本人も心配し、心を一つに応援したいととの気持ちが少し
伝わったのでないかと思っている。
この支援集会の模様はベトナム全土で2回放映され、日本でも
放映されたので、私たちがフエ市人民委員会と共催で
行った集会が少しは成功したのではと思い、更に
第3弾の取り組みをしようと思っている。


風邪を引く。昨日からの酷い下痢も風邪が原因の
ようだ。発熱あり。倦怠感、食欲なし。最悪の状態。

午前5時半起床。
午前6時半過ぎバオミンさん・原田先生が近くに車で
来る。

3人でフエ空港へ。午前7時20分着の飛行機で
静岡大学入試関係者5人が到着。出迎え。

車で市内フォンザンホテルへ。

静大の皆さんが部屋で準備をしている間に
小さなフランスパンを食べる。

ブライセンベトナム支社員に月給を渡す。

静大の皆さんがベトナム事務所(静大フエ連絡事務所)へ。

ベトナム事務所と挨拶。自己紹介。

静大側の自己紹介

その後、静大M先生を中心に明日から行われる入試
の準備・入試当日等の打ち合わせ。

ベトナム事務所側(静大フエ連絡事務所)の打ち合わせ参加者

打ち合わせ終了後、雨の中、入試会場の静岡・フエ青年交流会館
へ。

明日からの入試関連の「案内掲示」貼り付け、受験生の机の
配置換え、面接記録用のビデオの試用点検・・・・・・。

午前11時、終了。

静大の皆さんと原田先生・フーン先生は、昼食・引き続き
スーパーなどに買い物。

私とバオミンさんは「子どもの家」へ。セン運営委員長と
いくつかの重要問題について協議。

午後12時。「子どもの家」から帰る。
バオミンさんと一緒に昔のベトナム事務所だったところが
「パン屋」になっているので、そのパン屋へ行き昼食用の
菓子パン2個買う。

宿舎に帰る。

検温。7度5分。

その後、下痢が数十分おきに続く。

夕食は食べずに午後から横になり寝る。

午後10時、ACCLの渡辺和代さんから電話。
里親会費等の件について。

ベトナム茶を飲む。

風邪のため「声がでなく」なる。
明日、地球の歩き方5班の講演会がある。
90分ほどの話をするが、声が出るか不安である。

ーーーーー

昨日、福島原発で作業員の方3人が被爆した。
どのマスコミも「作業員」といい、東京電力社員
とは言わない。「協力会社」などと訳の分からない
解説をしているマスコミもある。

以前原発関連の本を読んだが、東電など原発会社は
実際の作業は下請け・孫請け・ひ孫請けの会社に
やらせていると書いてあった。
今回、マスコミ報道の範囲だが、3人のうち2人は
短靴、1人は長靴をはいていたという。
これは、急遽、寄せ集められた「下請け・孫請け会社」
の社員などであると推測される。下請けの会社が
違うので服装も履物も違ったと思われる。
通常の1万倍の放射能に汚染された15センチの水の
中に40分も入っていた「下請け・孫請け」会社の社員は
きちんとした放射能マニアルなどの教育は受けていなかった
ものと思われる。
東電の無責任・親方日の丸体質の現れと私は思っている。
マスコミも関係者も「この事実は知っていながら」言わずに
ものごをを進めている。「日本は一つ」「全員一致で・・」などの
スローガンに惑わされ、一番大事なジャーナリズムの精神を
大震災という災難を目にして失ったかに見えるマスコミである。
「勇敢に原子炉を冷やす日本人の勇気に感動」という
海外マスコミの言っていることは事実であるが、一方で
原子炉の隣りにある地下に入るのに「短靴」で入り、
放射能検知機がなっているのに作業を続けた3人が
何故、そうした「行動」を取ったのかをこそマスコミは
調べるべきである。今までの東電など原発の事故が
起こるたびに、下請け会社の社員が、「素手で放射性物質」
を持って運ばされりという、常識で考えられないことを
親会社の東電などはしていた「前科」があるのだ。
東電の記者会見に出る白髪頭の役員と思われる方の
記者発表は今回の事件・事故が、他人事のような感じの
記者会見のように思える。
政府の保安院の方の記者発表、昨日の菅首相の記者会見
の際のマスコミの無力な質問を見ているとジャーナリズムの
精神(権力への批判)を喪失したかに見えた。

東電の社長は私の知っている限りではあるが、一度も
国民の前に出てきて記者会見をし、謝罪をしていない。

バブル崩壊の頃、倒産した山一證券の社長さんと比べてみて
しまう。人間性の欠如なのかどうかは分からないが・・・。


ここまで書いたら、また「下痢症状」発現。これ以上は書けない。

投稿者 koyama : 22:41 | コメント (0)

2011年03月24日

明日からの静大入試の最終準備

3月22日の「東日本大震災日越共同支援集会」
での寄金を集計。総額2億ドン(100万円)を超す。
フエ市人民委員会のHPに寄金額が掲載された。
寄金者に感謝したい。今後、集会に参加し各組織で寄金が
始まる。かなりの金額の救援寄金が集まるものと思われる。
総額数百万円の寄金になりそうだ。
私たちの取り組みは小さなものだが、それでも誰かが
立ち上がれば奔流にも繋がっていくように思える。

====================

終日雨 寒い。

午前6時起床。体がだるい。

午前7時朝食。赤米のおかゆ。魚の煮付け

午前9時半、徒歩ベトナム事務所へ。


気候の変動の大きい中、ベトナム事務所員は元気に
仕事をしている。

午前10時過ぎ、来客の応対。

この頃から「お腹の調子」が悪くなる。

バオミンさん・原田先生と明日からの静大入試の諸準備の
完了状況を最終チェック。

午前11時半過ぎ、ベトナム事務所を後にする。

急激な下痢。

何が原因か不明。

夕方まで酷い下痢状態。

夕食は食べられない。

終日下痢が治らず。横になっている。困ったものだ。

午後9時半、ACCLの渡辺和代さんから電話。
フエに到着したとのこと。小児ガンの取り組みで
フエへ来訪。

投稿者 koyama : 21:48 | コメント (0)

2011年03月23日

JASS・フエ市人民委員会主催「日本大震災支援」放映

終日雨  寒い

午前6時起床。

午前7時朝食。ブンボー

午前中、関係者のメール受信・送信。

午前11時半、ハノイの全国放送で昨日の「日本大震災支援
集会」の模様が放映された。



昼食の時間帯で全国放送されたのでかなりのベトナム人が
視たものと思われる。

午前11時45分、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ち)


午後1時から1時間ほど昼寝。

夕方までいくつかの問題について関係者と話し合ったり
考えたりする。

震災から13日。約2週間。
ベトナムでラジオと日本のテレビ(地上波)を視ている。
私は、原因がどうであれ、とにかく被災し、困難な中で
苦闘している人々の様子を注意してみていた。
大半の被災者は非常に「謙虚」である。福島原発で
被害を受けている農民の方、漁民の方などの言動も
理性的であり尊敬できる言動をしている。
日本人の底力を見る思いである。日本人も見捨てた
ものではない。海外にいて、これほど酷い被害を受けた
被災者が、なんと謙虚なのか・・・。テレビを見るたびに
日本人の謙虚な言動に心打たれ、涙する。
ベトナムでCNN(米)、BBC(英)のテレビを見ていると
日本でこれほどの災難があっても「暴動」や「略奪」などがなく
整然と日本人が困難と闘っていることに感嘆の声を出している。
ベトナムでも何人かの人に「あれだけの困難にであったのに
何故、我先に物を取ったり、しないのか? ベトナムだったら
我先に順番など無視してものをもらう」との声も聞く。

それに引き換え、私は2人の人間の言動を注視している。
第1に東電の態度である。東電は、
「想定外」の地震・津波などと言い訳をいい、
そ知らぬ顔をしている。社長の清水正考氏である。
想定外の地震・津波だったので、責任はないかの
ような態度で、謝罪なども副社長にさせている。
昨日、清水社長は福島県知事の佐藤氏に謝罪に
行こうとしたら「県民の気持ちを考えると謝罪・面会は
受け入れられない」として、佐藤福島県知事は
東電清水社長の謝罪会見を拒否している。
当然のこどである。いくら財産があり、いくら「偉い人」かは
知らないが、2006年、2007年に今回の地震・津波と
同様の災害があった場合の福島原発の対応と対策を
取るようにとの強い要請を受けていたことは、「想定外」
などと「うすらとぼけて」責任を回避することは出来ない。

福島原発の危険性については、日本共産党福島県
委員会の申し入れを再度指摘したい。

福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ
                          2007年7月24日

東京電力株式会社
取締役社長 勝俣 恒久 様


日本共産党福島県委員会
委員長 最上 清治
日本共産党福島県議会議員団
団 長 神山 悦子
副団長 宮川えみ子
幹事長 藤川 淑子
原発の安全性を求める福島県連絡会
代 表 早川 篤雄

福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ

 東電柏崎刈羽原発の中越沖地震への対応は、福島県民に大きな衝撃をもたらしたばかりか、多くの国民にも疑問と不安をもたらしている。東電がこれまでどんな地震にも大丈夫という趣旨の主張を繰り返してきたことと裏腹に、消火活動が出来なかったり、放射能を含む水が海に流出したり、放射性物質が3日間も主排気筒から放出されたり、原子炉建屋などの地震の波形データが大量に失われている。

 そもそも、1995年に阪神淡路大震災をもたらした兵庫県南部地震の岩盤上の地震動の記録は、日本の原発のなかでもっとも大きい地震に備えるとされる中部電力浜岡原発の設計値を越えていた。このことは1981年に原子力安全委員会が決定した原発の耐震指針の基礎が崩壊したことを示したものであった。


 以来、私たちは、国と電力会社に対して、耐震指針の抜本的見直しと原発の耐震新指針の確立を求めてきた。2006年、原子力安全委員会は「新耐震指針」を決定したが、原子炉を岩盤でなくとも建設できるとか、活断層がない場合の規定が曖昧など大きな後退や問題をもつものであった。


 今回発生の中越沖地震で柏崎刈羽原発を襲った揺れは、設計時の想定を最大3.6倍と大きく上回った。これまで兵庫県南部地震の事実を突きつけられても、原発の耐震性は大丈夫としてきた政府と電力会社の説明は完全に覆されていることを率直に認め、以下の対応を早急に取るよう求める。


中越沖地震から教訓として何を取り入れて対応したのか、また対応しようとしているのか。その上に立って、福島原発10基の耐震安全性を総点検すること。


東電は、柏崎刈羽原発の設置許可申請時におこなった海底調査で、今回発生した中越沖地震を引き起こした断層があることをつかんでいたことが判明している。
 これまで福島原発立地周辺の断層調査の全容と安全審査の対象にしたのはどの断層で、対象からはずしたのは何かを明らかにすること。


発電所内の自衛消防隊の消火体制の確立・強化をはかり万全をはかること。


福島原発はチリ級津波が発生した際には機器冷却海水の取水が出来なくなることが、すでに明らかになっている。これは原子炉が停止されても炉心に蓄積された核分裂生成物質による崩壊熱を除去する必要があり、この機器冷却系が働かなければ、最悪の場合、冷却材喪失による苛酷事故に至る危険がある。そのため私たちは、その対策を講じるように求めてきたが、東電はこれを拒否してきた。
 柏崎刈羽原発での深刻な事態から真摯に教訓を引き出し、津波による引き潮時の冷却水取水問題に抜本的対策をとるよう強く求める。

危機管理体制の再点検を行い、その結果を速やかに公表すること。

以 上

更に日本共産党の吉井議員の国会での質問を示したい。


「完璧に問題点予見」
原発の危険追及した吉井質問 ネットで反響

--------------------------------------------------------------------------------

 「完璧に問題点予見し指摘している」「非常に論理的でぐうの音もでない」「こうなると人的災害か」――。

 日本共産党の吉井英勝衆院議員がかつて行った、今回の福島第1原発事故と同様の事態を予測しつつ対策を迫った国会質問に、インターネット上でこんな反響が相次いでいます。

 ニュースサイト「Ceron」(セロン)が紹介した吉井氏の衆院予算委員会での質問(2006年3月)。地震による原発のバックアップ電源破壊や津波による機器冷却系喪失により、最悪の場合には炉心溶融、水蒸気爆発、水素爆発が起こりうることを具体的に追及していました。質問により、津波による5メートルの引き波が発生した場合、日本の原発の約8割にあたる43基で、冷却水が一時的に海から取水できなくなることが明らかになったことも紹介しています。

 同質問を読んだ多くの人がサイトへ「これ読むと、今の事態を完璧に予言していて震え上がった…。こうなったらイデオロギー論とか二の次!一貫してもの言う人のことにもっと耳を傾けなくては」「驚いたな。ほぼ完璧な予測だ。緊急停止後の冷却系が原発の泣き所だったんだ」などの書き込みをしています。

 さらに、「今回の事態は『想定外』ではない。今回の事態は、あらゆる人間が考えを尽くして予想した全てを上回る、とかではない」などと、吉井氏の指摘を顧みず「安全神話」を振りまいてきた政府や東京電力への非難が多数寄せられています。

 中には、「今は、現状打開が最優先」とした上で、「落ち着いたら、大反省会をしましょう」とのコメントも。そこからは、目の前の危機回避に全力をあげつつ、「安全神話」との決別と全国の原発の総点検、さらには原子力から自然エネルギー利用へと政策を抜本的に転換する必要性も浮かび上がってきます。


=================
日本共産党は、原発廃止の立場を取っていない。
原発は科学の進歩ではあるが、技術が未確定であり
研究中のものであるとの立場である。
原発を廃止するとの立場を取っている人たちもいるが、
日本共産党は原発反対ではないのである。
日本共産党福島県委員会、吉井議員の質問は
原発の存在を認めた上で「安全」を一層確保するための
質問なのである。それを頭から無視している東電清水社長の
態度は受け入れられないものである。

東電は「想定外」の被害だった、といい、自らの責任を
自覚していない。未だに東電社長の記者会見や
被害者・被災者・農民・市民など多くの被害者に
謝罪の記者会見すらしていない。東電の社長は
人間として最低の部類に入る。
立派なことを言っていても、自らの大責任になると
どこかに消えうせたのか、社会に出てこない。
本来なら、福島原発の付近、20キロ県内、
30キロ県内、茨城県から東京まで原発で被害とを
受けている農村と都市の皆さんに謝罪しなければならない。

マスコミに時々出てくるのは副社長。
後は保安院。これは公務員。

いずれにしても保安院などの記者会見を見ていると
危機感も持っていない人間性まるだしだ。

私も福島原発の電気を多少は使った人間である。
(18年ベトナムに住んでいるので多少ではあるが)
それでも東電の社長を糾弾する立場にあるのか
には、躊躇を感ずる。

何度も福島原発の危険性を指摘されていたのに、
何ら対策を立てなかった無責任な自分を反省し、迷惑を
かけた関係者にお詫びするとの公開記者会見を
すべきである。


第2に菅首相である。この人の行動を見ていると
「パフォーマンス」と直ぐに司令官が現場に行きたがる
悪癖がある。司令官は国全体の現状を把握し、
全体的な方針を出すべき立場なのだが、今回の
震災では、国の対応は全て「後手後手」である。
自らの政治的延命を念頭においてのパフォーマンス
はいただけない。
菅首相は、質疑応答の記者会見を震災後一度もしていない。
こんな情けない首相はいない。能力がない、その職に就くべき
人ではないという一言である。

福島原発問題が早期に解決することを祈るのみ。

投稿者 koyama : 20:48 | コメント (0)

2011年03月22日

東日本大震災支援日越共同集会

終日雨。寒い。

午前6時起床。体がだるい。

午前7時朝食。チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)

午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。

バオミンさん・原田先生と静岡大学入試の諸準備等の
最後の打ち合わせ。3時間。

午前11時半、昼食。春雨麺。

昼食後、1時間ほど昼寝。その後、ボーッとしている。

午後3時、バオミンさんがオートバイで宿舎へ迎えに
来てくれる。

バオミンさんと一緒にフエ市人民委員会へ。

フエ市人民委員会の役員の方たちと「東日本大災害支援
集会」の進め方について打ち合わせ。
主催はフエ市人民委員会とJASS。


1・司会者挨拶(フエ市人民委員会事務局長)
2.参加者紹介
3・ THANH(タイン)副市長挨拶
4・地球の歩き方スタディーツアー参加者日本報告
5・参加者全員の寄金
6・主催者のお礼の挨拶(閉会)小山

午後3時40分、「日本の大地震支援集会」開会。

司会者(フエ市人民委員会事務局長)より本日の
「日本大地震支援集会」参加者の紹介。


今日の集会参加者は120名。

ーフエ市 副市長
- フエ市議会 副議長
- フエ日本酒工場代表
- フエ水道局
- フエ環境管理局
- フエ医科大学
- フエ高等師範大学
- QUOC HOC高校
- HAI BA TRUNG高校
- PHAN DANG LUU 高校
- NGUYEN HUE 高校
- PHU LUU 小学校
- フエ財政部
- フエ市立病院
- フエ市国際交流センター
- フエ市内務部
- フエ市 司法部
- フエ市役所のスタッフ
ーJASSベトナム事務所スタッフ全員
ー地球の歩き方スタディーツアー参加者全員
- フエ市テレビ局
- フエ省 放送局
- フエ省 テレビ
- フエ新聞

始めにTHANH(タイン)副市長の挨拶。

「日本で起こった地震にフエの人々は大変驚いている。
 今日の集会は日本の大地震で亡くなった方々への
 お悔やみの集会でもある。同時に日本とベトナムの団結を
 強める集会だ。今日はJASSと共同で集会を開いた
 が、今後、参加の各機関で引き続き、日本を支援する取り組み
 を進めて欲しい。
  今日の集会が日越友好の表れである。小さな取り組みだが
 こうした取り組みを真面目にすることで、日本人の困難を
 乗り越える勇気を私たちも学んで行きたい。
  私は2日前まで日本へ行っていた。東京で大地震に
 遭遇した。すごく揺れて驚いた。毎日、日本のテレビで
 避難した人たちのこと、原発に水をかけている人たちの
 勇気と日本人の団結を知った。日本人の礼儀の正しさ、
  困難の中でも混乱せずに行動する日本人を知った。
 今日の集会で、参加者は月給の1日分を寄金して
 欲しい。また、皆さんは各機関、学校、病院などの
 代表者である。この集会後、各機関で必ず日本支援の
 取り組みを大きく進めて欲しい。
  フエで長年活動しているJASSとフエ市人民委員会
 は共同して、被災地復興に微力ではあるが、協力して
 行きたい。」

続いて、地球の歩き方スタディーツアーの参加者の代表の
女子大生の方が日本の現地報告。

3月11日に起こった地震と津波について上手にまとめて
発表していた。同時に停電や様々な困難な中でも日本人は
頑張って困難を乗り越えていく決意を述べる。

参加者全員が、「東日本大地震被災者支援金」
を寄金する。

副市長

フエの各機関の代表者が並んで寄金の順番を待つ。

ベトナム人の温かい心と寄金で被災者を支援しようとの
気持ちに心から感謝したい。

立派な言葉を100万回言うよりも、実際にこうした支援集会を
開き、寄金をしてくれるフエ市人民委員会とフエ市民に
感謝したい。

「子どもの家」のセン運営委員長も寄金。

次から次と参加者のベトナム人の寄金は続く。
参加者はけして「義務感」で参加しているわけではない。

地球の歩き方スタディーツアーの参加者も寄金

最後に主催者を代表して私がお礼の挨拶


日本支援の集会参加者へのお礼と日本の状況を述べる。

最後にJASSベトナムとして1000ドルの寄金をフエ市副市長に
渡す。

午後4時20分閉会。

今日の取り組みは「小さなもの」である。
私たちは、今フエで何が出きるかを考えた。
第1弾は、ベトナム事務所員・日本料理店スタッフ・
「子どもの家」スタッフ・こどもたちの「頑張れ日本」
への署名と寄金を行った。

今日は第2弾。フエ市人民委員会とJASS共催で
フエの公的機関関係者の大きな集会を開き、
今後の「日本の大地震被災者支援」活動を更に
進めて行きたいと決意している。
フエ市人民委員会と共同の集会を開くには、
様々な困難があった。詳細は省略。
この1週間ほどは、本日の集会のためにかなりの
労力を使った。小さな集会と言えばその通りなのだが、
それでも社会主義国の人民委員会・共産党と共同して
「日本の大地震被災者救援集会」を開くまでに
話を進め、実際に集会を開くと言うことは、
「言うは易し、行なうは難し」である。
今日の支援集会が成功したことを嬉しく思う。
日本の被災者の皆さんが寒い避難所で苦しい生活を
していることを考えると、更に日本の同胞の皆さんへの
応援をして行きたいと思っている。
避難所で寒さと飢えの中で頑張っている被災者を
見ると涙が出てくる。自分のいる場所で自分の
できる小さなことでもやって行きたい。
人生の途中で「津波」にさらわれ、人生を終えざるを得なかった
多くの人たちの「無念な」気持ちを考えると、今、自分が
生きていることの意味、自分が「東日本大地震」の残したものに
どう対処していくのか?を深く考えてしまう。


午後6時半から日本料理店で地球の歩き方スタディーツアー
の皆さんと夕食会を行う。

夕食会は原田先生の司会で始まる。

接客係りのグエットさんとリー君の「メニュー紹介」

まだ波のあるリー君ではあるが、波が大分小さくなってきた。

今晩のメニュー

団長さんの乾杯の音頭

カボチャのつるの炒め物

鶏のから揚げ


約2時間の夕食会の締め。日本料理店スタッフの
自己紹介


午後8時過ぎ、閉会。

参加者全員の記念写真



外はかなりの雨。

今日は密度の濃い1日であった。

投稿者 koyama : 18:36 | コメント (0)

2011年03月21日

ベトナム事務所ANH(アン)さんの誕生祝い

快晴

午前6時半起床。
午前7時朝食。フォー。

午前8時半、ベトナム事務所へ。

バオミンさん、原田先生と打ち合わせ。

午前9時、ベトナム事務所のアンさんの誕生会。

誕生祝いの歌を歌う。

富岡先生からアンさんへベトナム事務所員のお祝いの
寄せ書きを贈る。


土井先生から誕生ケーキ贈呈

原田先生がケーキを等分する。

ケーキと飲み物を飲みながら歓談。



フエ高等師範大学日本語学科の「教育実習生」も一緒に
アンさんの誕生日を祝う。何歳かは不明。

ベトナム事務所は和気藹々の雰囲気

最近多少疲労気味

バオミンさんとリー君、フエ高等師範大学実習生の
3人は、地球の歩き方4班の皆さんとナムドン山岳地帯へ。


しばらくベトナム事務所に


午前11時半昼食。ベトナム風おじや。


誕生会でケーキ1片を食す。昼食を食べる気力なし。
3分の1に減らしてもらい、残りは冷凍。


午後12時半から2時間ほど昼寝。多量の受信メールを
読む。必要なメールを送信。

午後4時半、徒歩、ベトナム事務所へ。
日本料理店のこどもたちに月給を渡す。

副店長・調理主任トゥオイさん

在庫管理主任のチャンさん

接客主任のグエットさん


注文記録主任のヒエウさん



その後、ナムドンへ行ったリー君の帰着を待つ。
午後6時前、日本料理店へ帰着。

リー君に月給を渡し領収書を書いてもらう。
リー君は「明日のJASSとフエ市人民委員会との地震被災者
支援集会では5万ドン必ず寄付をする」と何度も言う。

こどもたちの夕食


==================
フエ医科大学から「東日本大震災」へのお見舞い

尊敬する
北垣様
小山 道夫 様

日本と日本人は今回の大震災と津波から大被害を受けていると知りました。フエ医科大学のスタッフと学生を代表して、皆様へ今回の大震災に対するお見舞いを申し上げます。
現在、多くの日本人とご家族は命と財産の大損害を受けています。北垣様、小山様、皆様のご家族や支援者の皆様が各地にいらっしゃり、安否がたいへん気になり、心配がつきないことと思います。皆様がご無事で、早く回復されますように心からお祈りいたします。
皆様の努力と意思で「桜」の国、日本が早く回復し、大震災で亡くなった親戚を持ったご家族は困難な事を乗り越え、幸福が日本人に早く戻ると信じます。
皆様、頑張ってください。私たちはいつも皆様を応援しています。私たちはいつも北垣様、小山様、皆様のご家族や日本人の皆様の友達です。

フエ医科大学の労働組合主席
 フエ医科大学副学長

TRAN VAN HOA
(チャン・ヴァン・ホア

投稿者 koyama : 20:47 | コメント (0)

2011年03月20日

終日寝ている

快晴 

疲れて午後12時まで寝ている。昨日作ってもらった
チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)を半分食す。

その後も体がだるくて横になっている。

午後7時、残りのチャオバインカインを食べる。

引き続き寝ている。

投稿者 koyama : 20:43 | コメント (0)

2011年03月19日

地球の歩き方4班講演会

午前6時半 気温16度 湿度90%
終日、薄曇り。


午前7時朝食。赤米のおかゆ



午前8時半、宿舎を出て「子どもの家」へ。

こどもたちはパソコン室でパソコンの研修。

ハンさんが地球の歩き方スタディーツアー4班の皆さんを
案内し「子どもの家」の施設の紹介。


午前9時半から地球の歩き方スタディーツアー4班の皆さん
に講演会。午前11時15分まで。

講演会の冒頭、3月22日(火)に行われるフエ市人民委員会・
JASS共催の東日本地震被災支援集会への参加について
話し合う。
地球の歩き方スタディーツアーの参加者全員が集会参加を
決める。集会では、地球の歩き方スタディーツアー参加者代表の方
に現地日本の報告をしてもらうことも決める。


講演会終了後、「子どもの家」のこどもたちの歓迎会

セン「子どもの家」運営委員長の歓迎の挨拶
ハンさんの通訳。


歓迎の踊りをするこどもたちの自己紹介

地球の歩き方スタディーツアーの皆さんの出し物
(大きな木の下でを歌って踊る)

午前11時半、「子どもの家」を出て宿舎へ。

午後12時、昼食。精進ブン麺。


この1ヶ月間、本当に休みなく仕事をした。
さすがに疲れる。体調不良。

午後、ベッドで横になる。


以下、 
特定非営利活動法人 日本ユニバーサルデザイン研究機構
の地震被災地の現状、支援の仕方など大変参考になる
内容があります。何かの参考に。

今回の震災は非常に特殊です。

規模が大きさ、被災範囲の広さ、それに加えて、津波による水没。

阪神淡路等の地震と最も大きく異なるのは、

自治体が機能していないのではなく、津波に流され存在自体が

なくなっている地域が多数あることです。

それにより、必要な支援のあり方が大きく異なり、阪神淡路の経験では通用しま

ん。

これは、自治体経由の物資やもちろん、赤十字や国の対策本部や自衛隊からの

救助や支援や配給がまったく届かない「自治体の存在自体がなくなった地域」

が多数あるということです。

これは実は難しい問題です。なぜなら、阪神淡路の経験から混乱を避けるため、

すべての配給や救助が自治体経由になっているため、自治体が存在しない地域へ

支援の仕組みがありません。

やる気がないのではなく仕組みがない。自治体も県も、警察も自衛隊も、国交省

支援団体も生き残った避難民も何とかしたい。でも出来ない。

ここを変えるのが私たちの役割です。私たちは、各機関や個人が

本当に役に立つカタチで動けるように、コーディネートを行っています。

今回、コーディネートが成功し、市民団体や個人ボランティアを筆頭に、

自治体も県も、警察も自衛隊、国交省、みんなが頑張ってくれたお陰で、

少なくとも数千人の避難民の現時点の生命維持に繋がりました。

今、「阪神淡路に基づく間違った情報」(自治体に集中、自治体に問合せ、現地に

るな)が

せっかく助かった命を危機にさらしています。

今、最も重要なのは、この記事を読んでいる皆様を通じて、多くの人が

何が起きているかという全体を理解していくことだということを痛感しています

●重要●皆様に知っていただき、情報発信していただきたいこと

(特に企業や行政の担当者に、皆様からご連絡いただけると助かります。)

今、「阪神淡路に基づく間違った情報」が流れることで、被災地の命が危ない状
況で
す。

出来るだけすばやく、多くの人にこの情報を伝えてください。

・皆様が思う以上に、被災地の人を始め行政もNPOも企業も、頑張っています

・国の対策本部、赤十字など大手は、生き残りの人数が多い地域が担当で、

自治体経由の支援ルートになります。

・通常はそれで大丈夫なのですが、津波に流され「自治体不在の孤立被災地」が

本当に多いです。ここは、市民団体やNPOが担っています。

現在活動している市民団体やNPOやボランティアは、「非常に優秀」です。

阪神淡路と違い、高速に規制があったり、津波の水で陸路が絶たれたり、

ガソリンが無かったり、という状況で、自治体が入れないところまでいって、

活動しているのです。

現時点で、最も確実に、不足地域への支援を行い、命を繋げています。

しかし、阪神淡路でのボランティアのイメージから、

寄付や支援物資や設備の提供を断られていることろが多いのが現状です。

私が気仙沼の命をつなぐために利用させていただいたヘリコプター。

ヘリも個人持ち出し、パイロットもボランティア、燃料数百万も持ち出し。

集まった寄付はたった10万とのこと。それでもみんな自腹を切って、活動して

います。現時点で活動できているところは本当に優秀です。

国や赤十字への寄付や支援も重要です。私も電話してみましたが、支援をすると

発表を行っている大企業数社に問い合わせましたが、NPO等から

物資や資金の援助の依頼は沢山来るがすべて断っているところが多いのです。

しかし、復興段階まで行かず生命維持が本当に危ういのは、「自治体不在の

孤立被災地」であり、それを担っているのは、NPOやボランティアなのです。

是非この事実を、多くの個人、そして企業の地震対策本部に伝えてください。

私たちが実際に行って確認したところ、気仙沼の地域も、自衛隊も自治体の配給

赤十字も一切来れていませんでした。(連絡はしましたが、自治体が無いので、現

も同様)

一方、極少数の物資でしたが、ボランティアが届けた物資がありました。

3日間、200~300人の赤ちゃんがたった1缶のミルクを別けているという状況でし
た。


(もちろん赤ちゃんだけが逼迫していたわけではありません。

この問題も、前回のメールがキッカケで、「個人」の物資支援により、命を繋げ
まし
た)

今動いている市民チームやボランティアを探して、寄付や物資を届けると、

本当に変わってきます。企業についても社内の社員の方から、そしてお客様の声
とし
て、

届けてください。企業も動かせると、だいぶ変わります。

勘違いしないで頂きたいのは、生き残っている人が多い地域への支援を担当する

国や赤十字への支援や寄付も重要なのです。そこに出したから、

「市民チームやボランティアに出さないというアンバランス」が問題なのです。

私たちが到着する前日、気仙沼のある避難所で津波が来てしまい約50人が病院に
取り
残され、

周りの水で出られなくなった上、水をかぶってしまい、私たちからも要請を出し

自衛隊による救出がされましたが、30名は寒さで亡くなってしまいました。

雪が残る地域です。着換えが届いていれば、救えたかもしれない命です。

ただし、企業も本当に命に繋がる活動をしたいという思いがあって、だからこそ

阪神淡路の経験からボランティア団体には出さず、赤十字や国に集中するという
選択

しています。何が今起きているのかという情報が足りないだけなのです。

本当にみんな一生懸命です。その事は理解したうえで、アクションをお願いしま
す。


◎お願いしたいアクション

・メディア、企業へ、上記の事実を教えてください。

・自治体や企業で物資運搬ルートがないところへ、私たちを紹介して

ください。運びます。

・その他困っている被災地や自治体の相談に乗り様々な問題を解決して

います。どんな相談も行政や市民団体ともに一丸となって、対応します。

ご連絡いただけるようお伝えください。

・その他以下で可能なことを行ってください。

●救援物資提供ボランティア

私たちがまずやったのは、命の危ない「自治体不在の孤立被災地」の生命維持で
す。


詳細は後々アップしますが、気仙沼をはじめ、様々な配給の届かない避難所を回
り、


なんとか数千人の命を生命維持に繋げました。しかし★非常に過酷な状況です。

★特に重油、軽油、灯油、ガソリンの調達方法を探ってください。

タンクローリーなどで南から送りたいです。静岡・山梨より上はもう枯渇してき
てい
ます。

支援物資を届けるためのガソリン、雪の残る地域で凍死しないための灯油必要で
す。


継続的に必要です。

・今回の災害は範囲が非常に広く、足りているものは一つもありません。

・通常の食べ物と水ももちろん重要ですが、それ以上に、

生死を別けている物資が数多くあります。

・詳しくは、WEBページにアップいたします。

【受付窓口の設置】

・神戸で明日出発する3Tトラックを用意。

関西方面の方は物資を集結してください。

回収場所は明日の朝、指定させていただきます。

・亀戸、新潟、山形に受付窓口及び物資の保管をしています。

・自分のところでも受付窓口と物資の保管をしても良いという方、募集中です。

【被災地での受入体制の構築】

・気仙沼、福島など3箇所に加え、仙台にも受入拠点を構築しつつあります。

どこで何が足りないかタイムリーにわかるのは被災者です。

「受入拠点」では自身も被災者のボランティアが、そこで受けつけた物資を

逼迫した避難所に配ります。(仙台では石巻まで配りに行ってもらえるそうです。)

「最終運搬者を被災者に担ってもらう」ことで、物資が必要なところに届くよう
にし
ています。

【運搬について】

・全国展開している病院グループと老人ホームグループと連携し、

物資と人の運搬をお願いするともに、帰り道に体調不良者の受入れを

してもらうということを多い日で1日数便行ってきました。

ガソリンの枯渇により、送る頻度に影響が出そうです。

「自分で車もガソリンも出してくれる運搬ボランティア」が必要な状況です。

●人的支援ボランティア

・映像を編集してYOUTUBEに投稿出来る人。

(編集:テロップ等):被災者の声をアップしてらいたい。

・色んな言語に翻訳できる人。

(世界からの支援を募ります。)

・Person Finder (消息情報): 2011 日本地震 へ

孤立被災地の情報(当方で入手)を登録できる人。

http://japan.person-finder.appspot.com/

・現地支援ボランティアは、大量に必要。

阪神淡路と規模がまったく違うので、余る事はない。

ただし、コーディネートは必要。

私たちはボランティアの受入れ態勢を構築しています。

現地で必要な業務の役割分担もございます。

(物理的にも精神的にも準備が必要。要打ち合わせ)

・その他、どんなカタチでも構いません。

歩けるだけでも大変役に立ちます。(例:現在ガソリンが無く、

支援物資が届けられない地域の命をつなぐ。)

可能な勤務地、可能な時間数や日数、出来ることなど連絡ください。

●情報発信ボランティア

・企業や行政機関などに、正しい情報を伝えてもらうボランティア

・自分のネットワークを使って、情報を発信してくれるボランティア

・情報の届かない被災者へ情報発信をしてくれるボランティア

発信できる先と連絡先を教えてください。

●募金

個人、企業からの募金を募集しています。以下の口座にお振込お願いいたします

三菱東京UFJ銀行 四谷支店(ヨツヤシテン)

名義 特定非営利活動法人 日本ユニバーサルデザイン研究機構

口座 店番号 051 普通 0016109

また、お振込手数料は、支援者様のご判断にお任せいたします。

<対策本部からの約束>

1.全額を、生存者の命を最優先に、東北地方の地震の支援に関わることに使用さ
せて
頂きます。

2.資金使用時には、レシート又は、記録を必ず残し、後日、公表します。

3.プロジェクトが終了した時点の残高を、ご入金額割合に応じて、返金を致しま
す。


例)1万円の資金提供の場合で、総資金提供金額が100万円で残金10万円の場合、10

の1の1千円の返金と

なります。※注:資金を有効に活用するための方策として。

<ご入金頂く皆様へお願い>

1.ご入金の際は、入金前後にメール又はお電話にて、

「お名前」

「メールアドレス」

「返金時の銀行口座」

「金額」

(複数人数でまとめてお送り頂く場合は、代表者の方)

以上3点をご連絡下さい。

1万円でも数名の命を繋げます。どうぞよろしくお願いします。

●Q&A

Qボランティアをしたいんだけど、寄付がいいの?

今はボランティアのほうが良いです。お店も全部流れているところが多いですの

物理的に購入できません。ただし、沢山の心構えと物的準備が必要なので、

問い合 ●重要●皆様に知っていただきたい事実

今回の震災は非常に特殊です。

規模が大きさ、被災範囲の広さ、それに加えて、津波による水没。

阪神淡路等の地震と最も大きく異なるのは、

自治体が機能していないのではなく、津波に流され存在自体が

なくなっている地域が多数あることです。

それにより、必要な支援のあり方が大きく異なり、阪神淡路の経験では通用しま

ん。

これは、自治体経由の物資やもちろん、赤十字や国の対策本部や自衛隊からの

救助や支援や配給がまったく届かない「自治体の存在自体がなくなった地域」

が多数あるということです。

これは実は難しい問題です。なぜなら、阪神淡路の経験から混乱を避けるため、

すべての配給や救助が自治体経由になっているため、自治体が存在しない地域へ

支援の仕組みがありません。

やる気がないのではなく仕組みがない。自治体も県も、警察も自衛隊も、国交省

支援団体も生き残った避難民も何とかしたい。でも出来ない。

ここを変えるのが私たちの役割です。私たちは、各機関や個人が

本当に役に立つカタチで動けるように、コーディネートを行っています。

今回、コーディネートが成功し、市民団体や個人ボランティアを筆頭に、

自治体も県も、警察も自衛隊、国交省、みんなが頑張ってくれたお陰で、

少なくとも数千人の避難民の現時点の生命維持に繋がりました。

今、「阪神淡路に基づく間違った情報」(自治体に集中、自治体に問合せ、現地に

るな)が

せっかく助かった命を危機にさらしています。

今、最も重要なのは、この記事を読んでいる皆様を通じて、多くの人が

何が起きているかという全体を理解していくことだということを痛感しています

●重要●皆様に知っていただき、情報発信していただきたいこと

(特に企業や行政の担当者に、皆様からご連絡いただけると助かります。)

今、「阪神淡路に基づく間違った情報」が流れることで、被災地の命が危ない状
況で
す。

出来るだけすばやく、多くの人にこの情報を伝えてください。

・皆様が思う以上に、被災地の人を始め行政もNPOも企業も、頑張っています

・国の対策本部、赤十字など大手は、生き残りの人数が多い地域が担当で、

自治体経由の支援ルートになります。

・通常はそれで大丈夫なのですが、津波に流され「自治体不在の孤立被災地」が

本当に多いです。ここは、市民団体やNPOが担っています。

現在活動している市民団体やNPOやボランティアは、「非常に優秀」です。

阪神淡路と違い、高速に規制があったり、津波の水で陸路が絶たれたり、

ガソリンが無かったり、という状況で、自治体が入れないところまでいって、

活動しているのです。

現時点で、最も確実に、不足地域への支援を行い、命を繋げています。

しかし、阪神淡路でのボランティアのイメージから、

寄付や支援物資や設備の提供を断られていることろが多いのが現状です。

私が気仙沼の命をつなぐために利用させていただいたヘリコプター。

ヘリも個人持ち出し、パイロットもボランティア、燃料数百万も持ち出し。

集まった寄付はたった10万とのこと。それでもみんな自腹を切って、活動して

います。現時点で活動できているところは本当に優秀です。

国や赤十字への寄付や支援も重要です。私も電話してみましたが、支援をすると

発表を行っている大企業数社に問い合わせましたが、NPO等から

物資や資金の援助の依頼は沢山来るがすべて断っているところが多いのです。

しかし、復興段階まで行かず生命維持が本当に危ういのは、「自治体不在の

孤立被災地」であり、それを担っているのは、NPOやボランティアなのです。

是非この事実を、多くの個人、そして企業の地震対策本部に伝えてください。

私たちが実際に行って確認したところ、気仙沼の地域も、自衛隊も自治体の配給

赤十字も一切来れていませんでした。(連絡はしましたが、自治体が無いので、現

も同様)

一方、極少数の物資でしたが、ボランティアが届けた物資がありました。

3日間、200~300人の赤ちゃんがたった1缶のミルクを別けているという状況でし
た。


(もちろん赤ちゃんだけが逼迫していたわけではありません。

この問題も、前回のメールがキッカケで、「個人」の物資支援により、命を繋げ
まし
た)

今動いている市民チームやボランティアを探して、寄付や物資を届けると、

本当に変わってきます。企業についても社内の社員の方から、そしてお客様の声
とし
て、

届けてください。企業も動かせると、だいぶ変わります。

勘違いしないで頂きたいのは、生き残っている人が多い地域への支援を担当する

国や赤十字への支援や寄付も重要なのです。そこに出したから、

「市民チームやボランティアに出さないというアンバランス」が問題なのです。

私たちが到着する前日、気仙沼のある避難所で津波が来てしまい約50人が病院に
取り
残され、

周りの水で出られなくなった上、水をかぶってしまい、私たちからも要請を出し

自衛隊による救出がされましたが、30名は寒さで亡くなってしまいました。

雪が残る地域です。着換えが届いていれば、救えたかもしれない命です。

ただし、企業も本当に命に繋がる活動をしたいという思いがあって、だからこそ

阪神淡路の経験からボランティア団体には出さず、赤十字や国に集中するという
選択

しています。何が今起きているのかという情報が足りないだけなのです。

本当にみんな一生懸命です。その事は理解したうえで、アクションをお願いしま
す。


◎お願いしたいアクション

・メディア、企業へ、上記の事実を教えてください。

・自治体や企業で物資運搬ルートがないところへ、私たちを紹介して

ください。運びます。

・その他困っている被災地や自治体の相談に乗り様々な問題を解決して

います。どんな相談も行政や市民団体ともに一丸となって、対応します。

ご連絡いただけるようお伝えください。

・その他以下で可能なことを行ってください。

●救援物資提供ボランティア

私たちがまずやったのは、命の危ない「自治体不在の孤立被災地」の生命維持で
す。


詳細は後々アップしますが、気仙沼をはじめ、様々な配給の届かない避難所を回
り、


なんとか数千人の命を生命維持に繋げました。しかし★非常に過酷な状況です。

★特に重油、軽油、灯油、ガソリンの調達方法を探ってください。

タンクローリーなどで南から送りたいです。静岡・山梨より上はもう枯渇してき
てい
ます。

支援物資を届けるためのガソリン、雪の残る地域で凍死しないための灯油必要で
す。


継続的に必要です。

・今回の災害は範囲が非常に広く、足りているものは一つもありません。

・通常の食べ物と水ももちろん重要ですが、それ以上に、

生死を別けている物資が数多くあります。

・詳しくは、WEBページにアップいたします。

【受付窓口の設置】

・神戸で明日出発する3Tトラックを用意。

関西方面の方は物資を集結してください。

回収場所は明日の朝、指定させていただきます。

・亀戸、新潟、山形に受付窓口及び物資の保管をしています。

・自分のところでも受付窓口と物資の保管をしても良いという方、募集中です。

【被災地での受入体制の構築】

・気仙沼、福島など3箇所に加え、仙台にも受入拠点を構築しつつあります。

どこで何が足りないかタイムリーにわかるのは被災者です。

「受入拠点」では自身も被災者のボランティアが、そこで受けつけた物資を

逼迫した避難所に配ります。(仙台では石巻まで配りに行ってもらえるそうです。)

「最終運搬者を被災者に担ってもらう」ことで、物資が必要なところに届くよう
にし
ています。

【運搬について】

・全国展開している病院グループと老人ホームグループと連携し、

物資と人の運搬をお願いするともに、帰り道に体調不良者の受入れを

してもらうということを多い日で1日数便行ってきました。

ガソリンの枯渇により、送る頻度に影響が出そうです。

「自分で車もガソリンも出してくれる運搬ボランティア」が必要な状況です。

●人的支援ボランティア

・映像を編集してYOUTUBEに投稿出来る人。

(編集:テロップ等):被災者の声をアップしてらいたい。

・色んな言語に翻訳できる人。

(世界からの支援を募ります。)

・Person Finder (消息情報): 2011 日本地震 へ

孤立被災地の情報(当方で入手)を登録できる人。

http://japan.person-finder.appspot.com/

・現地支援ボランティアは、大量に必要。

阪神淡路と規模がまったく違うので、余る事はない。

ただし、コーディネートは必要。

私たちはボランティアの受入れ態勢を構築しています。

現地で必要な業務の役割分担もございます。

(物理的にも精神的にも準備が必要。要打ち合わせ)

・その他、どんなカタチでも構いません。

歩けるだけでも大変役に立ちます。(例:現在ガソリンが無く、

支援物資が届けられない地域の命をつなぐ。)

可能な勤務地、可能な時間数や日数、出来ることなど連絡ください。

●情報発信ボランティア

・企業や行政機関などに、正しい情報を伝えてもらうボランティア

・自分のネットワークを使って、情報を発信してくれるボランティア

・情報の届かない被災者へ情報発信をしてくれるボランティア

発信できる先と連絡先を教えてください。

●募金

個人、企業からの募金を募集しています。以下の口座にお振込お願いいたします

三菱東京UFJ銀行 四谷支店(ヨツヤシテン)

名義 特定非営利活動法人 日本ユニバーサルデザイン研究機構

口座 店番号 051 普通 0016109

また、お振込手数料は、支援者様のご判断にお任せいたします。

<対策本部からの約束>

1.全額を、生存者の命を最優先に、東北地方の地震の支援に関わることに使用さ
せて
頂きます。

2.資金使用時には、レシート又は、記録を必ず残し、後日、公表します。

3.プロジェクトが終了した時点の残高を、ご入金額割合に応じて、返金を致しま
す。


例)1万円の資金提供の場合で、総資金提供金額が100万円で残金10万円の場合、10

の1の1千円の返金と

なります。※注:資金を有効に活用するための方策として。

<ご入金頂く皆様へお願い>

1.ご入金の際は、入金前後にメール又はお電話にて、

「お名前」

「メールアドレス」

「返金時の銀行口座」

「金額」

(複数人数でまとめてお送り頂く場合は、代表者の方)

以上3点をご連絡下さい。

1万円でも数名の命を繋げます。どうぞよろしくお願いします。

●Q&A

Qボランティアをしたいんだけど、寄付がいいの?

今はボランティアのほうが良いです。お店も全部流れているところが多いですの

物理的に購入できません。ただし、沢山の心構えと物的準備が必要なので、

問●重要●皆様に知っていただきたい事実

今回の震災は非常に特殊です。

規模が大きさ、被災範囲の広さ、それに加えて、津波による水没。

阪神淡路等の地震と最も大きく異なるのは、

自治体が機能していないのではなく、津波に流され存在自体が

なくなっている地域が多数あることです。

それにより、必要な支援のあり方が大きく異なり、阪神淡路の経験では通用しま

ん。

これは、自治体経由の物資やもちろん、赤十字や国の対策本部や自衛隊からの

救助や支援や配給がまったく届かない「自治体の存在自体がなくなった地域」

が多数あるということです。

これは実は難しい問題です。なぜなら、阪神淡路の経験から混乱を避けるため、

すべての配給や救助が自治体経由になっているため、自治体が存在しない地域へ

支援の仕組みがありません。

やる気がないのではなく仕組みがない。自治体も県も、警察も自衛隊も、国交省

支援団体も生き残った避難民も何とかしたい。でも出来ない。

ここを変えるのが私たちの役割です。私たちは、各機関や個人が

本当に役に立つカタチで動けるように、コーディネートを行っています。

今回、コーディネートが成功し、市民団体や個人ボランティアを筆頭に、

自治体も県も、警察も自衛隊、国交省、みんなが頑張ってくれたお陰で、

少なくとも数千人の避難民の現時点の生命維持に繋がりました。

今、「阪神淡路に基づく間違った情報」(自治体に集中、自治体に問合せ、現地に

るな)が

せっかく助かった命を危機にさらしています。

今、最も重要なのは、この記事を読んでいる皆様を通じて、多くの人が

何が起きているかという全体を理解していくことだということを痛感しています

●重要●皆様に知っていただき、情報発信していただきたいこと

(特に企業や行政の担当者に、皆様からご連絡いただけると助かります。)

今、「阪神淡路に基づく間違った情報」が流れることで、被災地の命が危ない状
況で
す。

出来るだけすばやく、多くの人にこの情報を伝えてください。

・皆様が思う以上に、被災地の人を始め行政もNPOも企業も、頑張っています

・国の対策本部、赤十字など大手は、生き残りの人数が多い地域が担当で、

自治体経由の支援ルートになります。

・通常はそれで大丈夫なのですが、津波に流され「自治体不在の孤立被災地」が

本当に多いです。ここは、市民団体やNPOが担っています。

現在活動している市民団体やNPOやボランティアは、「非常に優秀」です。

阪神淡路と違い、高速に規制があったり、津波の水で陸路が絶たれたり、

ガソリンが無かったり、という状況で、自治体が入れないところまでいって、

活動しているのです。

現時点で、最も確実に、不足地域への支援を行い、命を繋げています。

しかし、阪神淡路でのボランティアのイメージから、

寄付や支援物資や設備の提供を断られていることろが多いのが現状です。

私が気仙沼の命をつなぐために利用させていただいたヘリコプター。

ヘリも個人持ち出し、パイロットもボランティア、燃料数百万も持ち出し。

集まった寄付はたった10万とのこと。それでもみんな自腹を切って、活動して

います。現時点で活動できているところは本当に優秀です。

国や赤十字への寄付や支援も重要です。私も電話してみましたが、支援をすると

発表を行っている大企業数社に問い合わせましたが、NPO等から

物資や資金の援助の依頼は沢山来るがすべて断っているところが多いのです。

しかし、復興段階まで行かず生命維持が本当に危ういのは、「自治体不在の

孤立被災地」であり、それを担っているのは、NPOやボランティアなのです。

是非この事実を、多くの個人、そして企業の地震対策本部に伝えてください。

私たちが実際に行って確認したところ、気仙沼の地域も、自衛隊も自治体の配給

赤十字も一切来れていませんでした。(連絡はしましたが、自治体が無いので、現

も同様)

一方、極少数の物資でしたが、ボランティアが届けた物資がありました。

3日間、200~300人の赤ちゃんがたった1缶のミルクを別けているという状況でし
た。


(もちろん赤ちゃんだけが逼迫していたわけではありません。

この問題も、前回のメールがキッカケで、「個人」の物資支援により、命を繋げ
まし
た)

今動いている市民チームやボランティアを探して、寄付や物資を届けると、

本当に変わってきます。企業についても社内の社員の方から、そしてお客様の声
とし
て、

届けてください。企業も動かせると、だいぶ変わります。

勘違いしないで頂きたいのは、生き残っている人が多い地域への支援を担当する

国や赤十字への支援や寄付も重要なのです。そこに出したから、

「市民チームやボランティアに出さないというアンバランス」が問題なのです。

私たちが到着する前日、気仙沼のある避難所で津波が来てしまい約50人が病院に
取り
残され、

周りの水で出られなくなった上、水をかぶってしまい、私たちからも要請を出し

自衛隊による救出がされましたが、30名は寒さで亡くなってしまいました。

雪が残る地域です。着換えが届いていれば、救えたかもしれない命です。

ただし、企業も本当に命に繋がる活動をしたいという思いがあって、だからこそ

阪神淡路の経験からボランティア団体には出さず、赤十字や国に集中するという
選択

しています。何が今起きているのかという情報が足りないだけなのです。

本当にみんな一生懸命です。その事は理解したうえで、アクションをお願いしま
す。


◎お願いしたいアクション

・メディア、企業へ、上記の事実を教えてください。

・自治体や企業で物資運搬ルートがないところへ、私たちを紹介して

ください。運びます。

・その他困っている被災地や自治体の相談に乗り様々な問題を解決して

います。どんな相談も行政や市民団体ともに一丸となって、対応します。

ご連絡いただけるようお伝えください。

・その他以下で可能なことを行ってください。

●救援物資提供ボランティア

私たちがまずやったのは、命の危ない「自治体不在の孤立被災地」の生命維持で
す。


詳細は後々アップしますが、気仙沼をはじめ、様々な配給の届かない避難所を回
り、


なんとか数千人の命を生命維持に繋げました。しかし★非常に過酷な状況です。

★特に重油、軽油、灯油、ガソリンの調達方法を探ってください。

タンクローリーなどで南から送りたいです。静岡・山梨より上はもう枯渇してき
てい
ます。

支援物資を届けるためのガソリン、雪の残る地域で凍死しないための灯油必要で
す。


継続的に必要です。

・今回の災害は範囲が非常に広く、足りているものは一つもありません。

・通常の食べ物と水ももちろん重要ですが、それ以上に、

生死を別けている物資が数多くあります。

・詳しくは、WEBページにアップいたします。

【受付窓口の設置】

・神戸で明日出発する3Tトラックを用意。

関西方面の方は物資を集結してください。

回収場所は明日の朝、指定させていただきます。

・亀戸、新潟、山形に受付窓口及び物資の保管をしています。

・自分のところでも受付窓口と物資の保管をしても良いという方、募集中です。

【被災地での受入体制の構築】

・気仙沼、福島など3箇所に加え、仙台にも受入拠点を構築しつつあります。

どこで何が足りないかタイムリーにわかるのは被災者です。

「受入拠点」では自身も被災者のボランティアが、そこで受けつけた物資を

逼迫した避難所に配ります。(仙台では石巻まで配りに行ってもらえるそうです。)

「最終運搬者を被災者に担ってもらう」ことで、物資が必要なところに届くよう
にし
ています。

【運搬について】

・全国展開している病院グループと老人ホームグループと連携し、

物資と人の運搬をお願いするともに、帰り道に体調不良者の受入れを

してもらうということを多い日で1日数便行ってきました。

ガソリンの枯渇により、送る頻度に影響が出そうです。

「自分で車もガソリンも出してくれる運搬ボランティア」が必要な状況です。

●人的支援ボランティア

・映像を編集してYOUTUBEに投稿出来る人。

(編集:テロップ等):被災者の声をアップしてらいたい。

・色んな言語に翻訳できる人。

(世界からの支援を募ります。)

・Person Finder (消息情報): 2011 日本地震 へ

孤立被災地の情報(当方で入手)を登録できる人。

http://japan.person-finder.appspot.com/

・現地支援ボランティアは、大量に必要。

阪神淡路と規模がまったく違うので、余る事はない。

ただし、コーディネートは必要。

私たちはボランティアの受入れ態勢を構築しています。

現地で必要な業務の役割分担もございます。

(物理的にも精神的にも準備が必要。要打ち合わせ)

・その他、どんなカタチでも構いません。

歩けるだけでも大変役に立ちます。(例:現在ガソリンが無く、

支援物資が届けられない地域の命をつなぐ。)

可能な勤務地、可能な時間数や日数、出来ることなど連絡ください。

●情報発信ボランティア

・企業や行政機関などに、正しい情報を伝えてもらうボランティア

・自分のネットワークを使って、情報を発信してくれるボランティア

・情報の届かない被災者へ情報発信をしてくれるボランティア

発信できる先と連絡先を教えてください。

●募金

個人、企業からの募金を募集しています。以下の口座にお振込お願いいたします

三菱東京UFJ銀行 四谷支店(ヨツヤシテン)

名義 特定非営利活動法人 日本ユニバーサルデザイン研究機構

口座 店番号 051 普通 0016109

また、お振込手数料は、支援者様のご判断にお任せいたします。

<対策本部からの約束>

1.全額を、生存者の命を最優先に、東北地方の地震の支援に関わることに使用さ
せて
頂きます。

2.資金使用時には、レシート又は、記録を必ず残し、後日、公表します。

3.プロジェクトが終了した時点の残高を、ご入金額割合に応じて、返金を致しま
す。


例)1万円の資金提供の場合で、総資金提供金額が100万円で残金10万円の場合、10

の1の1千円の返金と

なります。※注:資金を有効に活用するための方策として。

<ご入金頂く皆様へお願い>

1.ご入金の際は、入金前後にメール又はお電話にて、

「お名前」

「メールアドレス」

「返金時の銀行口座」

「金額」

(複数人数でまとめてお送り頂く場合は、代表者の方)

以上3点をご連絡下さい。

1万円でも数名の命を繋げます。どうぞよろしくお願いします。

●Q&A

Qボランティアをしたいんだけど、寄付がいいの?

今はボランティアのほうが良いです。お店も全部流れているところが多いですの

物理的に購入できません。ただし、沢山の心構えと物的準備が必要なので、

●重要●皆様に知っていただきたい事実

今回の震災は非常に特殊です。

規模が大きさ、被災範囲の広さ、それに加えて、津波による水没。

阪神淡路等の地震と最も大きく異なるのは、

自治体が機能していないのではなく、津波に流され存在自体が

なくなっている地域が多数あることです。

それにより、必要な支援のあり方が大きく異なり、阪神淡路の経験では通用しま

ん。

これは、自治体経由の物資やもちろん、赤十字や国の対策本部や自衛隊からの

救助や支援や配給がまったく届かない「自治体の存在自体がなくなった地域」

が多数あるということです。

これは実は難しい問題です。なぜなら、阪神淡路の経験から混乱を避けるため、

すべての配給や救助が自治体経由になっているため、自治体が存在しない地域へ

支援の仕組みがありません。

やる気がないのではなく仕組みがない。自治体も県も、警察も自衛隊も、国交省

支援団体も生き残った避難民も何とかしたい。でも出来ない。

ここを変えるのが私たちの役割です。私たちは、各機関や個人が

本当に役に立つカタチで動けるように、コーディネートを行っています。

今回、コーディネートが成功し、市民団体や個人ボランティアを筆頭に、

自治体も県も、警察も自衛隊、国交省、みんなが頑張ってくれたお陰で、

少なくとも数千人の避難民の現時点の生命維持に繋がりました。

今、「阪神淡路に基づく間違った情報」(自治体に集中、自治体に問合せ、現地に

るな)が

せっかく助かった命を危機にさらしています。

今、最も重要なのは、この記事を読んでいる皆様を通じて、多くの人が

何が起きているかという全体を理解していくことだということを痛感しています

●重要●皆様に知っていただき、情報発信していただきたいこと

(特に企業や行政の担当者に、皆様からご連絡いただけると助かります。)

今、「阪神淡路に基づく間違った情報」が流れることで、被災地の命が危ない状
況で
す。

出来るだけすばやく、多くの人にこの情報を伝えてください。

・皆様が思う以上に、被災地の人を始め行政もNPOも企業も、頑張っています

・国の対策本部、赤十字など大手は、生き残りの人数が多い地域が担当で、

自治体経由の支援ルートになります。

・通常はそれで大丈夫なのですが、津波に流され「自治体不在の孤立被災地」が

本当に多いです。ここは、市民団体やNPOが担っています。

現在活動している市民団体やNPOやボランティアは、「非常に優秀」です。

阪神淡路と違い、高速に規制があったり、津波の水で陸路が絶たれたり、

ガソリンが無かったり、という状況で、自治体が入れないところまでいって、

活動しているのです。

現時点で、最も確実に、不足地域への支援を行い、命を繋げています。

しかし、阪神淡路でのボランティアのイメージから、

寄付や支援物資や設備の提供を断られていることろが多いのが現状です。

私が気仙沼の命をつなぐために利用させていただいたヘリコプター。

ヘリも個人持ち出し、パイロットもボランティア、燃料数百万も持ち出し。

集まった寄付はたった10万とのこと。それでもみんな自腹を切って、活動して

います。現時点で活動できているところは本当に優秀です。

国や赤十字への寄付や支援も重要です。私も電話してみましたが、支援をすると

発表を行っている大企業数社に問い合わせましたが、NPO等から

物資や資金の援助の依頼は沢山来るがすべて断っているところが多いのです。

しかし、復興段階まで行かず生命維持が本当に危ういのは、「自治体不在の

孤立被災地」であり、それを担っているのは、NPOやボランティアなのです。

是非この事実を、多くの個人、そして企業の地震対策本部に伝えてください。

私たちが実際に行って確認したところ、気仙沼の地域も、自衛隊も自治体の配給

赤十字も一切来れていませんでした。(連絡はしましたが、自治体が無いので、現

も同様)

一方、極少数の物資でしたが、ボランティアが届けた物資がありました。

3日間、200~300人の赤ちゃんがたった1缶のミルクを別けているという状況でし
た。


(もちろん赤ちゃんだけが逼迫していたわけではありません。

この問題も、前回のメールがキッカケで、「個人」の物資支援により、命を繋げ
まし
た)

今動いている市民チームやボランティアを探して、寄付や物資を届けると、

本当に変わってきます。企業についても社内の社員の方から、そしてお客様の声
とし
て、

届けてください。企業も動かせると、だいぶ変わります。

勘違いしないで頂きたいのは、生き残っている人が多い地域への支援を担当する

国や赤十字への支援や寄付も重要なのです。そこに出したから、

「市民チームやボランティアに出さないというアンバランス」が問題なのです。

私たちが到着する前日、気仙沼のある避難所で津波が来てしまい約50人が病院に
取り
残され、

周りの水で出られなくなった上、水をかぶってしまい、私たちからも要請を出し

自衛隊による救出がされましたが、30名は寒さで亡くなってしまいました。

雪が残る地域です。着換えが届いていれば、救えたかもしれない命です。

ただし、企業も本当に命に繋がる活動をしたいという思いがあって、だからこそ

阪神淡路の経験からボランティア団体には出さず、赤十字や国に集中するという
選択

しています。何が今起きているのかという情報が足りないだけなのです。

本当にみんな一生懸命です。その事は理解したうえで、アクションをお願いしま
す。


◎お願いしたいアクション

・メディア、企業へ、上記の事実を教えてください。

・自治体や企業で物資運搬ルートがないところへ、私たちを紹介して

ください。運びます。

・その他困っている被災地や自治体の相談に乗り様々な問題を解決して

います。どんな相談も行政や市民団体ともに一丸となって、対応します。

ご連絡いただけるようお伝えください。

・その他以下で可能なことを行ってください。

●救援物資提供ボランティア

私たちがまずやったのは、命の危ない「自治体不在の孤立被災地」の生命維持で
す。


詳細は後々アップしますが、気仙沼をはじめ、様々な配給の届かない避難所を回
り、


なんとか数千人の命を生命維持に繋げました。しかし★非常に過酷な状況です。

★特に重油、軽油、灯油、ガソリンの調達方法を探ってください。

タンクローリーなどで南から送りたいです。静岡・山梨より上はもう枯渇してき
てい
ます。

支援物資を届けるためのガソリン、雪の残る地域で凍死しないための灯油必要で
す。


継続的に必要です。

・今回の災害は範囲が非常に広く、足りているものは一つもありません。

・通常の食べ物と水ももちろん重要ですが、それ以上に、

生死を別けている物資が数多くあります。

・詳しくは、WEBページにアップいたします。

【受付窓口の設置】

・神戸で明日出発する3Tトラックを用意。

関西方面の方は物資を集結してください。

回収場所は明日の朝、指定させていただきます。

・亀戸、新潟、山形に受付窓口及び物資の保管をしています。

・自分のところでも受付窓口と物資の保管をしても良いという方、募集中です。

【被災地での受入体制の構築】

・気仙沼、福島など3箇所に加え、仙台にも受入拠点を構築しつつあります。

どこで何が足りないかタイムリーにわかるのは被災者です。

「受入拠点」では自身も被災者のボランティアが、そこで受けつけた物資を

逼迫した避難所に配ります。(仙台では石巻まで配りに行ってもらえるそうです。)

「最終運搬者を被災者に担ってもらう」ことで、物資が必要なところに届くよう
にし
ています。

【運搬について】

・全国展開している病院グループと老人ホームグループと連携し、

物資と人の運搬をお願いするともに、帰り道に体調不良者の受入れを

してもらうということを多い日で1日数便行ってきました。

ガソリンの枯渇により、送る頻度に影響が出そうです。

「自分で車もガソリンも出してくれる運搬ボランティア」が必要な状況です。

●人的支援ボランティア

・映像を編集してYOUTUBEに投稿出来る人。

(編集:テロップ等):被災者の声をアップしてらいたい。

・色んな言語に翻訳できる人。

(世界からの支援を募ります。)

・Person Finder (消息情報): 2011 日本地震 へ

孤立被災地の情報(当方で入手)を登録できる人。

http://japan.person-finder.appspot.com/

・現地支援ボランティアは、大量に必要。

阪神淡路と規模がまったく違うので、余る事はない。

ただし、コーディネートは必要。

私たちはボランティアの受入れ態勢を構築しています。

現地で必要な業務の役割分担もございます。

(物理的にも精神的にも準備が必要。要打ち合わせ)

・その他、どんなカタチでも構いません。

歩けるだけでも大変役に立ちます。(例:現在ガソリンが無く、

支援物資が届けられない地域の命をつなぐ。)

可能な勤務地、可能な時間数や日数、出来ることなど連絡ください。

●情報発信ボランティア

・企業や行政機関などに、正しい情報を伝えてもらうボランティア

・自分のネットワークを使って、情報を発信してくれるボランティア

・情報の届かない被災者へ情報発信をしてくれるボランティア

発信できる先と連絡先を教えてください。

●募金

個人、企業からの募金を募集しています。以下の口座にお振込お願いいたします

三菱東京UFJ銀行 四谷支店(ヨツヤシテン)

名義 特定非営利活動法人 日本ユニバーサルデザイン研究機構

口座 店番号 051 普通 0016109

また、お振込手数料は、支援者様のご判断にお任せいたします。

<対策本部からの約束>

1.全額を、生存者の命を最優先に、東北地方の地震の支援に関わることに使用さ
せて
頂きます。

2.資金使用時には、レシート又は、記録を必ず残し、後日、公表します。

3.プロジェクトが終了した時点の残高を、ご入金額割合に応じて、返金を致しま
す。


例)1万円の資金提供の場合で、総資金提供金額が100万円で残金10万円の場合、10

の1の1千円の返金と

なります。※注:資金を有効に活用するための方策として。

<ご入金頂く皆様へお願い>

1.ご入金の際は、入金前後にメール又はお電話にて、

「お名前」

「メールアドレス」

「返金時の銀行口座」

「金額」

(複数人数でまとめてお送り頂く場合は、代表者の方)

以上3点をご連絡下さい。

1万円でも数名の命を繋げます。どうぞよろしくお願いします。

●Q&A

Qボランティアをしたいんだけど、寄付がいいの?

今はボランティアのほうが良いです。お店も全部流れているところが多いですの

物理的に購入できません。ただし、沢山の心構えと物的準備が必要なので、

以上3点以上3点をご連絡下さい。をご連絡下さい。問い合問い合い合

投稿者 koyama : 08:56 | コメント (0)

2011年03月18日

小児針の会の皆さんと夕食懇親会

朝7時の気温12度  湿度85%。
非常に寒い。

午前6時半起床。

午前7時朝食。ブンボー。

パソコンが故障。午前8時、業者を呼び、修理してもらう。

午前中、バオミンさん、ハンさんと連絡しながら
こどもの退所を里親に知らせる手紙を書き、写真を揃える。

バオミンさんといくつかの問題で話し合う。

多数のメール受信。送信。

午前11時半、昼食。マカロニスープ

寒い。体が固まってしまう。

1時間ほど昼寝。

午後2時過ぎ、バオミンさんと一緒にフエ市人民委員会
外務部へ。


東日本震災についてニエン外務部長と協議。
3月22日にフエ市人民委員会とJASS共催の
「東日本大地震支援集会」を開催することで意見が一致した。
具体的には、フエ市人民委員会の各部局のスタッフ、
フエ市内25地区の市民、各分野のスタッフ、ベトナム事務所員
全員、日本料理店スタッフ全員、「子どもの家」スタッフ・こどもたち
全員の参加で地震の被災者のお見舞い、復興への激励を
行う。参加者からの寄金贈呈式も行う予定。
挨拶は市長、小山、その他・・・。
急いで準備をし、3月22日の大集会を成功させたいものである。

日本の同胞が、今でも食糧や薬がないまま、山間地や避難所で
苦しんでいる様子を見ると心が痛む。私がフエで出きることは
何んでもしたい。人間はお互い支えあって生きていくものだ。

フエ市人民委員会と共催で被災者支援の大集会を開くことは
私の出きる活動の一つである。様々な意思統一、準備が必要だが
頑張って3月22日の集会を成功させたい。

その足でベトナム事務所へ。
ベトナム事務所では、静大工学部入試を控えて日本語の勉強を
してる「子どもの家」のホンニーさんがいた。原田先生が懇切丁寧
に教えていた。


午後5時半。日本料理店へ。

午後6時、小児針の会の皆さんと日本料理店で夕食会。
「子どもの家」のセン運営委員長、タム医師、各地の
地域診療所の所長、フールー小学校の校長先生などが
参加。ハンさんの通訳で交流会は続く。


セン「子どもの家」委員長と通訳のハンさん


小児針の会会長:大極さんの挨拶

乾杯


14人の参加者が各自注文をする。

欧米人に人気がある寿司A

日本料理店のスタッフの自己紹介

セン「子どもの家」委員長のお礼の言葉


午後8時40分閉会。

時間の空いている時、日本のテレビを見た。

プロ野球の開幕がセリーグとパリーグと異なっている。
セリーグは3月25日、パリーグは4月12日。
どう考えても3月25日のセリーグ開幕は良くない。
巨人と横浜が東京ドームで行うという。東京ドームで使う
電気は5500軒分の電力に相当するそうだ。
巨人の渡辺恒雄のインタビューを見た。「野球をすれば、
国民は喜ぶんだよ」と居丈高な態度で話していた。
確かに野球を見て喜ぶ人もいるだろうが、政府や東電
などの「節電」キャンペーンに庶民は『協力』している
時である。セリーグだけ、巨人だけが東京ドームで
電気を使いまくることが許されることなのだろうか?
渡辺恒雄も世間の意識と常識が分からなくなっている。
「老害」のナベツネを止めることが出来ないセリーグの
オーナー・球団代表もだらしがない。
プロ野球選手会の主張(開幕は延期するべきだ)
は真っ当なものだと思う。

この数日、いくつかの番組を見ているが、キャスターや
コメンテーター、アナウンサーなどが、かなり「高い位置」
から国民に「お説教」をしているように感じる時があった。
「食べ物の買占めは恥ずかしい」とか「ガソリンの買占めは
うんぬん」と。誰も反対出来ない意見ではあるのだが・・・。
政府がしっかりした対策・対応をしていないので、国民に今後
の不安があることの裏返しだと思う。

今朝、読売テレビで羽鳥アナが「セリーグ3月25日開催」
を報道していた。他のアナウンサーが、「国民が節電で
苦しんでいる時にと批判の意見もある」と発言したのに
対し、鳥羽アナは「ラジオで聞いて楽しむ被災地の人がいる」と
3月25日開幕を肯定していた。

鳥羽アナは、国民には「節電をしない人間は問題だ的なコメント」
をしながら、自らのテレビ局の読売会長の
電気の大量消費については渡辺恒雄の発言を肯定
するのでは、ジャーナリストではない。と思ったが、
テレビのアナウンサーの多くは既にジャーナリストでは
なく「芸能人」なのだ。批判精神を欠いていることにも
恥を感じない人間となっている。期待する方がおかしい
世の中になってしまった。
国民には偉そうに「節電お説教」をし、自分の会社の
老害会長には、ゴマすりをするようでは、鳥羽アナという人間の
人間性がみえるというものだ。

大地震など緊急時に本当に人間性が見えてくる。
普通の「庶民」がいかにしっかりしているかが分かる。
マスコミなどで偉そうに言っている人間の底の浅さが
目に付く。

投稿者 koyama : 13:01 | コメント (0)

2011年03月17日

東日本大地震救援活動開始

東日本大震災で亡くなられた方に心から哀悼の意を表します。
また、被災された方々にお見舞いを申し上げます。


ベトナムからも日本で被災された方々に心を寄せ、連帯の気持ち
で見守っています。

また、ベトナムの「子どもの家」を支える会ベトナム事務所・
「子どもの家」・日本料理店のこどもたち・関係者は
日本の皆様のご支援で17年間フエで活動することができました。
強い感謝の気持ちをもっています。

以下の寄せ書きは、「子どもの家」のこどもたち・スタッフ、
ベトナム事務所スタッフ、日本料理店スタッフ78名全員の
「がんばれ 日本」の激励署名です。
行方不明者が早期に生還することを祈っています。
また、被災地の再建が早期に行われることを願っています。

私たちはベトナムにいて日本の地震への支援・救援は何も
出来ません。歯がゆい気持ちでいます。
何も出来ませんが、出きることをするしかないので、激励署名と
基金を作り、小額ですが被災者への支援をしたいと願っています。
微々たる活動ですが、何かのお役に立てばと思っています。


「子どもの家」・ベトナム事務所・日本料理店全スタッフが
寄金をしました。ベトナム事務所に救援基金本部を立ち上げました。
今回は、第1回目寄金。
ベトナム事務所スタッフ・日本料理店スタッフ・「子どもの家」
スタッフが3077500ドン(約15000円:ベトナム人労働者の2ヶ月
分の給料相当:日本では20万円~30万円相当)の寄金を行いました。
JASS日本へ送り、赤十字などへの緊急救援資金として
使ってもらえれば幸いです。


=======================

気温15度   湿度90%

とても寒い。例年、気温20度を割ると「湯たんぽ」を入れている。
今年の3月は異常・異常気象だ。

午前7時半朝食。ブンボーフエ
東日本大地震の被災者のことを考えると「温かい」
食事を摂れることに感謝している。

午前10時、ベトナム事務所へ。日本への激励の寄せ書きを書く。
同時に日本の大地震への寄金を募る。

日本の復興への期待を込めて激励署名をする。

日本での直接的な支援が出来ないもどかしさを
激励署名に込めて。

行方不明者の早期の生還を願って

人間の命の大切さをかみ締めて激励署名



おいておいた署名用紙に勝手に署名してしまったリー君の
隣りに署名。


バオミン・JASSベトナム運営委員長の音頭で寄金をする

寄金の金額は自由

「子どもの家」での激励署名。「子どもの家」運営委員長センさん

「子どもの家」のこどもたちも被災者のことなどを考えながら
署名する

「子どもの家」ベトナム人スタッフの寄金

先日、高校の帰りに「倒れ」緊急入院した高校2年生。
心臓の病気だった。2週間ほど入院。退院した。
「子どもの家」で生活している。母親がお礼に来た。


「子どもの家」の東日本大地震への激励署名・寄金の
様子を見ていて、「私も是非、寄金を出したい。ベトナムの
テレビを見て、被災者を助けたいという気持ちを持っていたい」
とのこと。
母親が寄金をする。


午前11時半。昼食。


1時間ほど昼寝。

午後ベトナム事務所へ行く。
日本料理店のこどもたちも給料の中から寄金をする。

寄金の集計をする。

3077500ドン(約15000円)の寄金が集まる。

緊急に日本に送り、適当な団体を通して、被災者への緊急
援助金使ってもらいたい。

ーーーーー
今回の東日本大地震へのベトナム人からの励まし・激励
お悔やみの言葉などがベトナム事務所に届いている。
日本の外務省も大使館も知らないであろうが、
JASSベトナム事務所は日本の大使館代わりになっているの
である。

フエ省知事のカオ氏がお見舞いの言葉を言う。
ユン・フエ市共産党委員長も同様。
フエ市長ヴィン氏よりお見舞いの言葉。
ニエンフエ市外務部長からもお見舞いの言葉があった。

グエン・フエ高校校長から電話で地震へのお見舞いがあった。
フエ医科大学長からお見舞いの手紙があった。

フエ高等師範大学学長より文書でお見舞いがあった。

フエ高等師範学長の手紙

「JASS代表 小山道夫様
 日本で大きな地震があり、その後津波、福島原子力発電所
の問題などが起こり、たくさんの日本人の命が奪われ、
大きな損害を受けたことを聞き、心が痛みます。
JASSのベトナム事務所と小山先生を通して、フエ高等師範大
の教師一同が亡くなった日本人の皆様にお悔やみを申し上げます。

日本人は忍耐強いという評判です。今回の困難を乗り越え
、早く復興し、一層の発展をされることを願っています。

ベトナムと日本、JASSとフエ高等師範大学との友好関係が
一層前進することを祈っています。

フエ高等師範大学学長
HOANG NGOC QUY
(ホアン・ゴック・クイー)

投稿者 koyama : 08:53 | コメント (0)

2011年03月16日

各種業務:富岡ご夫妻と夕食会

終日雨。気温は20度以下。寒い。

午前6時半起床。

午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン(キャッサバ芋の麺)と
温野菜。

午前中、メールの受信。返信。多数。

午前11時半昼食。精進春雨麺


2時間ほど横になる。

バオミンさんと当面のスタディーツアーの件で打ち合わせ

メールの送受信。

バオミンさんと東日本大地震について話し合う。


午後5時ベトナム事務所へ。

日本料理店の夕食。

午後6時、富岡先生のご両親と夕食懇談。

午後9時、懇談会閉会。

雨の中19人の来客あり。

テレビで枝野官房長官記者会見を見る。
「嘘に騙されないで、落ち着いて行動して欲しい」
と繰り返し国民に訴えていた。

しかし、今回の大地震で一番嘘を言っているのは
菅首相である。

大地震の翌日菅首相は福島原発を30分間視察した。
その際、「今回の大津波・大地震は想定外のものだった
ので致し方ない」という趣旨の発言をし、東電の対応を
擁護していた。

菅首相の「想定外」という発言は嘘八百である。
地元の人たちは、既にこうした事態を想定し、東電に
対策と改善を求めていたのだが、東電側が無視をし
対策を取らなかったために、今日の原発事故を招いた
のである。今回の福島原発は、あえて言えば、
東電の無策による「人災」とも言える。

以下、2007年7月24日に東電社長宛てに日本共産党
福島県委員会などが行った申し入れである。
東電がこの申し入れに耳を傾ければ、今日の原発事故
問題は起こらなかったことが分かる。

(以下、資料は京都のT氏より送信)

福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ
                          2007年7月24日

東京電力株式会社
取締役社長 勝俣 恒久 様

日本共産党福島県委員会
委員長 最上 清治
日本共産党福島県議会議員団
団 長 神山 悦子
副団長 宮川えみ子
幹事長 藤川 淑子
原発の安全性を求める福島県連絡会
代 表 早川 篤雄



福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ

 東電柏崎刈羽原発の中越沖地震への対応は、福島県民に大きな衝撃をもたらしたばかりか、多くの国民にも疑問と不安をもたらしている。東電がこれまでどんな地震にも大丈夫という趣旨の主張を繰り返してきたことと裏腹に、消火活動が出来なかったり、放射能を含む水が海に流出したり、放射性物質が3日間も主排気筒から放出されたり、原子炉建屋などの地震の波形データが大量に失われている。

 そもそも、1995年に阪神淡路大震災をもたらした兵庫県南部地震の岩盤上の地震動の記録は、日本の原発のなかでもっとも大きい地震に備えるとされる中部電力浜岡原発の設計値を越えていた。このことは1981年に原子力安全委員会が決定した原発の耐震指針の基礎が崩壊したことを示したものであった。


 以来、私たちは、国と電力会社に対して、耐震指針の抜本的見直しと原発の耐震新指針の確立を求めてきた。2006年、原子力安全委員会は「新耐震指針」を決定したが、原子炉を岩盤でなくとも建設できるとか、活断層がない場合の規定が曖昧など大きな後退や問題をもつものであった。


 今回発生の中越沖地震で柏崎刈羽原発を襲った揺れは、設計時の想定を最大3.6倍と大きく上回った。これまで兵庫県南部地震の事実を突きつけられても、原発の耐震性は大丈夫としてきた政府と電力会社の説明は完全に覆されていることを率直に認め、以下の対応を早急に取るよう求める。


中越沖地震から教訓として何を取り入れて対応したのか、また対応しようとしているのか。その上に立って、福島原発10基の耐震安全性を総点検すること。


東電は、柏崎刈羽原発の設置許可申請時におこなった海底調査で、今回発生した中越沖地震を引き起こした断層があることをつかんでいたことが判明している。
 これまで福島原発立地周辺の断層調査の全容と安全審査の対象にしたのはどの断層で、対象からはずしたのは何かを明らかにすること。


発電所内の自衛消防隊の消火体制の確立・強化をはかり万全をはかること。


福島原発はチリ級津波が発生した際には機器冷却海水の取水が出来なくなることが、すでに明らかになっている。これは原子炉が停止されても炉心に蓄積された核分裂生成物質による崩壊熱を除去する必要があり、この機器冷却系が働かなければ、最悪の場合、冷却材喪失による苛酷事故に至る危険がある。そのため私たちは、その対策を講じるように求めてきたが、東電はこれを拒否してきた。
 柏崎刈羽原発での深刻な事態から真摯に教訓を引き出し、津波による引き潮時の冷却水取水問題に抜本的対策をとるよう強く求める。

危機管理体制の再点検を行い、その結果を速やかに公表すること。

以 上

====================

◆破局は避けられるか――福島原発事故の真相          広瀬隆

2011年3月11日、東北地方三陸沖地震が起こって、福島第一原発1号機で格納容器
内の圧力が異常に上昇し、そのあと建屋が爆発。続いて3号機も同じく爆発。さら
に2号機は、格納容器内にあるサプレッションプール(圧力抑制室)が破損した。
破損が進めば絶望的な破局に向かう。これと並行して、日本人の頭の上に大量の
放射能放出を始めた。一体、何が起こったのか。

○「想定外」の言葉を濫用する電力会社とマスメディアの異常津波そのものによ
る天災は、避けることができない。これは日本人の宿命である。
しかし福島原発で起こったこの悲惨な事故は人災である。それを起こした責任者
は、電力会社だけではなく、これまで何もこの事態を警告をしなかったテレビと
、テレビ
に出てデタラメを解説している専門家と呼ばれる大学教授たちである。

2011年3月11日14時46分頃、北緯38.0度、東経142.9度の三陸沖、牡鹿半島東南東130km
付近、震源深さ24kmで、マグニチュード9.0の巨大地震が発生した。マグニチュー
ドが当初8.4→次に8.8→最後に9.0に修正されてきたことが、疑わしい。原発事故
が進んだために、「史上最大の地震」にしなければならない人間たちが数値を引
き上げたのだと思う。これは四川大地震の時に中国政府がとった態度と同じであ
る。

地震による揺れは、宮城県栗原市築館(つきだて)で2933ガルを観測し、重力加
速度の3倍である。しかし2008年の岩手・宮城内陸地震では、マグニチュード7.2
で、岩手県一関市内の観測地点で上下動3866ガルを記録している。今回より大き
い。

NHKなどは「1000年に1度の巨大地震」と強調するが、この東北地方三陸沖地震の
実害と、原発震災を起こした原因は、津波であった。では、津波の脅威は、誰に
も予測できなかったものなのか。日本の沿岸地震では、ほんの100年前ほどの1896
年(明治29年)の明治三陸地震津波で、岩手県沿岸の綾里(りょうり)では8.2m
、吉浜(よしはま)24.4m、田老(たろう)14.6mの津波高さが記録されている。
「想定外」の言葉を安っぽく濫用するなとマスメディアに言いたい。被害が出た
あとに、被害を解析してくれても困る。事故後に、「想定できなかった」という
ことは、
専門家ではない、ということだ。すべて私のごとき人間に想定でき、昨年8月に発
刊した『原子炉時限爆弾~大地震におびえる日本列島』(ダイヤモンド社)に書
いたことばかりが起こったのである。電力会社が「故意に想定しなかった」だけ
であり、想定しなかったその責任は、被曝者に対してきわめて重大である。

○冷温停止に至っているのは原子炉11基のうち3基だけ

昨年のことから理解しておくべきである。昨年3月25日に、1971年3月26日に運転
を開始した福島第一原発1号機について、東京電力は、この原発が40年を迎えると
いうに、超老朽化原発の運転続行という暴挙を発表し、60年運転も可能だと暴言
を吐いて、原子力安全・保安院がそれを認めた。これは福井県の敦賀原発・美浜
原発に続く、きわめて危険な判断であった。さらに昨年10月26日、営業運転開始
から34年が経過した老朽化原発・福島第一原発3号機でプルトニウム燃料を使った
危険なプルサーマル営業運転に入った。

地震発生時の運転状況は、○福島第一1・2・3号機は運転中→スクラム(緊急自動
停止)4・5・6号機は定検停止中○福島第二1・2・3・4号機はすべて運転中→スク
ラム。制御棒が挿入され、核分裂反応は、全機が停止した。しかし……

地震発生後、原発は「止める」「冷やす」「閉じ込める」機能があるので大丈夫

と宣伝してきたが、ほかの原発も含めて、自動停止した11基の原子炉のうち、原
子炉内の温度が100℃以下で、圧力も大気圧に近い状態で安定した「冷温停止」に
至っているのは、地震4日目の14日現在、福島第二原発3号機と女川原発1・3号機
の3基だけであり、残り8基が迷走運転中である。

○炉心溶融(メルトダウン)は2800℃どころか、わずか600℃で起こる
電気出力100万kW原子炉では、熱出力がその3倍の330万kWある。この原子炉では、
原子炉自動停止しても、その後に核分裂生成物が出し続ける崩壊熱は、1日後にも
、1万5560kWもある。またその発熱量がどれほど小さくなっても、永遠に熱を出し
続けるので、燃料棒が原子炉にある限り、それを除去し続けなければならない。
なぜなら、原子炉という閉じ込められた容器内では、熱がどんどんたまってゆく
からである。

それを除去できなければ、水は100℃で沸騰するから、水がなくなり、燃料棒がむ
き出しになる。そうなれば、超危険な放射性物質が溶け出し、燃料棒の集合体が
溶け落ちる。それが炉心熔融であり、メルトダウンと呼ばれる。燃料棒の集合体
が次々に溶け落ちると、炉の底にたまって、ますます高温になり、灼熱状態にな
る。やがて原子炉圧力容器の鋼鉄を溶かし、お釜の底が抜けると、すべての放射
性物質が、外に出て行く。これが「チャイナ・シンドローム」と呼ばれる現象で
ある。

一方、燃料棒被覆管のジルコニウムが水と反応して酸化されるので、水素ガスを
発生する。水素ガスの爆発限界は、最小値が4.2%であるから、この濃度になれば
爆発する。原子炉の正常な運転条件は、福島原発のような沸騰水型では、280~290
℃、70気圧である。従来は燃料棒の過熱温度が2800℃で炉心溶融が起こるとされ
ていたが、スリーマイル島原発事故などの解析によって、実際には600℃で起こる
ことが明らかになった(2009年7月6日~7日にNHK・BS1で放映されたフランス製ド
キュメント「核の警鐘~問われる原発の安全性」)。NHKなどは、御用学者を動員

て「史上空前のマグニチュード9.0」を強調しているが、建物の崩壊状況を見て分
る通り、実際の揺れは、兵庫県南部地震(阪神大震災)のほうがはるかに強烈だ
った。この地震被害の原因は、揺れではなく、ほとんどが津波であった。

○地球の動きがもらたす未曾有の「原発震災」が現実化した
福島第一原発では、地震から1時間後、15時42分に全交流電源が喪失して、外部か
らの電気がまったく来なくなった。あとは、所内の電源が動かなければ、何もで
きない状態である。ところがそこに津波が襲って、15時45分にオイルタンクが流
失して、さらに配電盤などの配線系統が水びたしになって、内部はどうにもなら
なくなった。初めは炉心に水を注入するためのECCS(緊急炉心冷却装置)を作動
したが、すぐに注水不能となった。非常用ディーゼル発電機はまったく作動しな
い。電気回路が大量の水を浴びて、配線系統がどうにもならない。コンピュータ
ーも何も
かも、電気がなければ何もできない。

このような所内電源と非常用ディーゼル発電機による電力のすべてが失われた事

に備えて、原子炉隔離時冷却系と呼ばれるECCSの一種がある。これは、炉心の崩
壊熱による蒸気を利用してタービンを起動させ、ポンプを駆動して注水する装置
である。しかし、これも制御機能が失われれば、駄目になる。

そもそも、地震発生当初から、非常用ディーゼル発電機がまったく働かないとい

のだから、電源車が到着したかどうかに鍵があるのに、その最も重要なことにつ
いて
さえ、報道されなかった。テレビの報道陣が、いかに原発事故について無知であ
るか
をさらけ出した。

そして1号機の原子炉内の水位がぐんぐん下がり始めた。非常用復水器と原子炉隔
離時冷却系によって、何とか水位の復帰につとめたが、格納容器(ドライウェル
)内の圧力が、設計上の使用最高圧力4気圧をはるかに上回る8気圧に達している
可能性が高く、加えて、除熱ができていないので、水位が下がってゆき、4メート
ルの燃料棒の頭は、1メートル以上が水の上に顔を出した。

事故の経過を見ると、悲観的にならざるを得ない。もうすでに、事故解析の段階

過ぎたようだ。15日昼頃には、敷地内での放射能が通常の360万倍に達した。
テレビでは、コメンテーターも政府もみな、微量、微量と言い続けた。ここまで
くれば、みな、おそるべき犯罪者たちである。さらに2号機では、格納容器の破
損が起こり、4号機では建屋内の使用済み核燃料のプールが沸騰を始めたという
。ここには、原子炉より多くの放射性物質が入っている。作業者が近づけない場
所である。福島第一原発の6基のうち、1基がメルトダウンすれば、そこには職
員がいられなくなる。すべてを放棄して逃げ出すだろう。あとは連鎖的に事故が
起こる。

この発電所には、全部合わせて、事故を起こしたチェルノブイリ原発の10倍を超
える
放射能があると思われる。あとは、この放射能が無害であると、政府と原子力安
全保安院と電力会社とテレビの御用学者たちは言い続けるはずだ。もし日本の国
民が愚かであればそれを信じて、汚染野菜を食べることだろう。明日、すぐには
死なないからだ。しかし間違いなく発癌することが分っている。津波の被害でみ
な、泣きそうな状態になっているというのに、その上に放射能を浴びせるとは、
ひどすぎると思わな
いだろうか。子供たちを守れるのは、事実を知っているあなただけである。


『原子炉時限爆弾』で、私はこう書いた。

──「10年後に、日本という国があるのだろうか」と尋ねられれば、「かなり確
率の
高い話として、日本はないかも知れない」と、悪い予感を覚える。……この先に
は、まったく報じられない、とてつもなく巨大な暗黒時代が待ち受けているのだ
。その正体は、想像したくもないが、人知のおよばない地球の動きがもたらす「
原発震災」の恐怖である。──と。

 その通りになってしまったのだとすれば、悔やんでも悔やみきれない。

投稿者 koyama : 08:30 | コメント (0)

富岡夫妻空港へ出迎え:小児針の会:古竹先生送別

快晴

午前5時起床。

午前6時半過ぎ、バオミンさんと一緒にフエ空港へ。

午前7時20分、富岡先生のご両親がフエ空港へ到着
する予定だったが、いつものように遅延。午前7時過ぎの
段階でまだホーチミン空港。私は8時過ぎに「小児針の会」
の大極さん一行をベトナム事務所で出迎える役目になって
いた。富岡先生のご両親は1時間以上遅れる模様。
いい加減な「ベトナム航空」ではある。いつものことだが・・・・・。

フエ空港バオミンさんと富岡先生に任せ、宿舎へ戻る。


途中、パン屋でパンと牛乳を買い、軽い朝食とする。

午前8時過ぎ、フォンザンホテルへ「小児針の会」の
皆さん8人を出迎えにいく。ソン君も一緒。

皆さんとベトナム事務所へ。ベトナム事務所スタッフと
小児針の会の皆さんの挨拶。
ベトナム事務所員の自己紹介





小児針の会の皆さんの自己紹介

小児針の会からベトナム事務所へお土産

ベトナム事務所スタッフとの交流を終え、小児針の会の皆さんは
車で「子どもの家」へ。「子どもの家」のセン運営委員長と挨拶

ソン君が施設を案内する

「子どもの家」のタン君が何故か「国旗」を振っていた。

1時間ほどソン君の施設案内が終わり、私の講演会となる。

90分ほどの講演を終わり、「子どもの家」のこどもたちと
昼食を共にする。


午後3時過ぎ、ベトナム事務所へ。

古竹先生がいよいよ離任・帰国。最後のベトナム事務所での仕事。

日本料理店のこどもたちなどが古竹先生を見送る


こどもたちとのお別れ



夕方、フエ空港へ到着。


日本へ帰国し、大学へ復帰してからの健康と勉学の向上を
心から祈る。1年間のベトナム事務所での活動に深謝。


午後6時、日本料理店。

佐藤さんと友人の方と交流。
午後9時まで交流が続く。

帰宅午後9時15分。

静岡・富士宮市などで震度6の大地震があった。
帰宅後、急いで静岡の会事務局長の笠井さんに
お見舞いの連絡。

返信があり、静岡市は大事には至らなかったとのこと。
富士宮市は被害がでているとのこと。

大きな被害がないことを祈る。

福島原発は、枝野官房長官の数日前の「安全・安全」の
言葉がどこにいってしまったのか? と思われるほど
危険な状態に陥っている。

フランスは、在日フランス人のフランスへの帰国便を用意した。
アメリカの原子力専門研究所は、現在の福島原発の状態を
チェルノブイリの水準と認定している。

東電の対応には、あきれてしまう。
どんな大地震があっても「安全」と豪語していた東電の
安全は、冷却水を注入する電気装置の電池がなくなったとか
もう口にも出したくない「でたらめさ」である。

菅首相は地震の翌日に福島原発を視察しているのである。
あの視察は何だったのか? 肝心な問題を何も点検せず
帰ってきている。単なるパフォーマンスと言われても仕方がない。

日本のテレビを見ていると福島原発についての評価が「甘・甘」状態。
海外のメイディア・政府・機関の評価は非常に厳しい。

緊急事態が起こった時の鉄則は厳しい評価・最悪の状態を
想定しての対策をたてることだ。東電・菅内閣の福島原発への
評価は、常に「希望的願望」を前提とした「一番よい方になったら」
としての甘い評価である。
国民に「慌てずに」と言っているが、国民の方が冷静であり、
菅内閣の福島原発への対応こそ、「慌てふためいている」
態度である。

「政治的休戦」を止めて政党は国民の立場から批判すべきことは
きちんと批判する政治的な責務を負っている。

被災者や関係者・国民の不満は誰が政府に届けるのか?
主権者である国民の付託に答え、代議する人間としての
国会議員・政党である。政治的休戦こそ国民を裏切る行為で
ある。
東電は情報を隠し、隠し、小出しにしている。
政府は無批判に追随してる。やっと一昨日、東電本社内に
対策本部を作り、海江田氏が本部長、東電社長は副部長に
なているが、遅きに失した無策政権の典型である。


投稿者 koyama : 00:08 | コメント (0)

2011年03月14日

フエ市長懇談:フーバイ工業団地視察;王宮見学

快晴  気温32度  湿度50%

疲れで朝起きられない。

午前6時起床。午前7時朝食。フォー。


午前8時宿舎を出てフォンザンホテルへ。
日本の社長さんたちとフエ市人民委員会へ。

ヴィン・フエ市長と懇談。



30分ほどフエ市長と懇談した後、フエ空港付近の
フーバイ工業団地へ。


工業団地内の浄水場を視察



午前11時半、フエ市内へ。昼食。ブンボーフエで有名なお店
「ブンボーフエ」へ。

その後、ハノイへ行くまでに若干時間があったので
天安山中腹の「中国茶専門店」へ行き、鉄観音茶を
堪能する。

午後1時半、王宮参観。
皇族の子孫であるバオミンさん自らの案内で王宮を
参観する。


午後3時半、フエ空港へ。午後4時過ぎの飛行機でハノイへ。
無事、ハノイへ到着することを祈る。


バオミンさんとフエ市内へ戻る。
私は3月1日からの連続活動で体力消耗。宿舎で休息。


福島原発は東電や政府の発表の域を超えて、
第2回目の水素爆発にいたる。
危機的な状況である。枝野官房長官や御用学者などが
「安全」などと言っている間に庶民は危機的な状況の
中に放置されている。テレビに出ている「原子力専門家」
なる人たちは、福島原発そのものの詳細は知らない。
常に一般論。同時にほとんどが政府の各種委員会の委員などを
歴任した人々。真っ当な解説はしていない。

宮城県の女川原発の放射能感知器の濃度があがっている。
福島原発の放射能漏れが宮城県の女川原発に届いたものと
思われる。福島から100キロにある女川原発である。
20キロ圏からの退避がいかにまやかしかがわかる。
政府とマスコミ、東電のグルになった国民騙しである。

テレビに出ている原発専門家が全て「過小評価」発言をしている
中で、客観的な事実は極深刻な事態になっている。

福島原発2号機の燃料棒が全て露出するに至った。
メルトダウン現象(溶解)に至る可能性が大である。
東電の発表は信用出来ない。何百万人もの命に関係
している東電の「無能な措置」はどれだけの人命に
影響を与えるかを考えると戦慄を感ずる。
東電に電気も原発も任せられない。

菅内閣は東電の言うがままに行動している。
「政治主導」はどこへいったのか?


自民党や野党が政府に対して「休戦」を宣言している。
現在の日本は、大地震という「緊急事態」を前にして
政府や東電などを批判する勢力がいない異常事態である。
アジア・太平洋戦争中に「挙国一致内閣」ができたが、
大政翼賛会と同じ事態が、「大地震」という名の下に
今、日本に出現している。

政府の対応の不備、東電の無責任体質などを政治として
きちんと批判すべき任務が政党にはある。

与野党一致して地震に対応しよう、とのスローガンの下に
批判が抑圧され、政府・政党・マスコミが合体しての
体制翼賛報道が蔓延している。
政府・政党・マスコミが一致して情報を流されたら国民は
追随するしかない。

今こそ、野党は東電や政府の無策・手当ての遅れなどに
対案を対置し、批判をすることが必要である。

大地震があったときには、全員一意で協力し
救済活動を・・・・との言葉は聴きやすく聞こえるが、
こうした時こそ、間違いや不備にたいしてきちんと批判する勢力が
必要である。日本は今、戦時中のような翼賛体制が
政府とマスコミ、政党によって作られている様に思える。


菅直人首相は原発の被災について、「想定外」の津波だったから
と発言した。今まで政府や原子力関係者は、地震国である
日本であっても「万全の体制」をとっているから安心と豪語していた
のだ。
菅首相の発言は、首相として何ら責任を感じていない無責任
極まりない態度である。
菅首相発言を批判しているのは、政党では共産党だけである。

午後9時5分(日本時間)に枝野官房長官が記者会見。
福島原発は「安定した方向へ行っている」との発表。
嘘八百。この男の言うことは信用出来ない。
客観的に見れば1号機・2号機・3号機とメルトダウン方向へ
行っていることを国民に知らせるべきである。
枝野・東電は大事な情報を国民に隠している可能性大。
相当量の放射性物質が放出されている可能性が大である。
燃料棒の露出は重大事態なのだ。

政府・「専門家」・マスコミは20キロ圏を危険地域としているが
既に宮城の女川原発まで放射性物質が到達している可能性大。
福島県や近隣諸県の市民への重大な人体実験を行うという
のだろうか?

投稿者 koyama : 18:22 | コメント (0)

2011年03月13日

VU君結婚式:日本の会社社長一行案内:夕食懇談会

快晴

この2週間、1日も休みなく仕事をしたので、朝起きられない。
午前9時半起床。

午前10時45分、朝食を採らず、VU君の結婚式へ。

午前11時半、VU君の結婚式。
VU君は1993年からJASSの支援(在宅支援)で
大学まで出て、その後、私の紹介で東京のブライセン本社で
1年間研修。現在はブライセンベトナム支社の主任として
自立している。


ブライセンベトナム支社の仲間の皆さん

現在、「子どもの家」卒業生3人が仕事をしている。




ベトナム事務所員全員参加

24歳になったリー君。結婚式に立派に参加していた。


恒例のカラオケ大会

ブライセンのファット君



リー君も積極的にカラオケを歌う


原田先生のカラオケ


ベトナム事務所のアンさんもカラオケ



結婚式中、アルコールは飲まなかった。


午後2時前、結婚式から帰る。

宿舎で30分ほど休息し、2時45分、バオミンさんと
一緒にフエ空港へ。

日本のUさんなど会社の社長さんたちの出迎え。

3時半、フエ空港へ到着。
その足で「子どもの家」へ。


「子どもの家」には古竹先生も来ていた。


午後5時過ぎ投宿するフォンザンホテルへ。


午後6時。日本料理店で夕食懇談会。

今夜は3人の社長さんたちとカオフエ省知事、ユンフエ市
共産党委員長、ニエン外務部長、私、バオミンさん。

カオフエ省知事。懇談の当初、カオ知事より「日本の地震と津波
で亡くなった方々に心から哀悼の気持ちを表明します」との
言葉があった。ベトナムでも日本の地震と津波のことは
テレビ等で繰り返し放映されている。
カオ知事は「日本が工業と国力のある国だ。国民が協力
すれば必ず復興できる。頑張って欲しい」との言葉があった。



ユン・フエ市共産党委員長(市議会議長)

左・ニエン外務部長

日本から来られた社長さんたち


日本料理店スタッフの自己紹介



午後9時、帰宅。

今日は朝から1日、本当に疲れた。


投稿者 koyama : 22:45 | コメント (0)

2011年03月12日

古竹先生離任・激励会

快晴

午前6時起床。体がだるい。

午前7時朝食。ブンボー。

パソコンで日本のテレビを見る。地震の状況・原子力発電所の
状況などの現況を知る。

午前8時、ベトナム事務所へ。

バオミンさん・フーン先生・原田先生と3月24日から28日まで
フエの静岡・フエ青年交流会館で行われる「静岡大学工学部」
入学試験の打ち合わせを行う。


午前9時、ベトナム事務所員会議

当面の訪問者応対の打ち合わせ




午前11時。フォン河にある船上レストランで古竹先生の
離任・激例会を行う。


1年間、日本語学校の先生、ベトナム事務所員、日本料理店
の手伝いなど、JASSベトナム事務所のために献身尽くして
くれた古竹先生に感謝。

始めにJASS代表の私の「感謝の言葉」。



続いてバオミンさんの「乾杯の音頭」。


古竹先生の離任の挨拶


土井先生より離任の記念品と寄せ書きの贈呈






参加者一人一人から古竹先生にお別れの挨拶。
リー君は事前に挨拶を紙に書いて準備をしていた。






富岡先生と日本料理店のトゥオイさん・ヒエウさんの
別れの歌。


リー君がお別れの歌を歌う


原田先生とベトナム事務所員のアンさんの歌


午後2時閉会。


午後6時30分から菅首相、枝野官房長官の記者会見
を見た。

特に気になったのは、枝野発言である。
福島原発1号機の事故について、種々説明を
して上で、「問題はないが、10キロ圏の退避から20キロ圏への
退避にしたのは万が一にもを考えてのことで、安全性については
全く問題はない」との説明をしていた。
問題がないのなら10キロ圏を20キロ圏に拡大する必要はない。
重要な情報を隠しての発表であることは明白。
何も知らされない市民は被爆し、被害が出てから問題を
感ずることになる。

大本営発表とそれを無批判に発表するマスコミの体質に
うんざりする。

福島原発一号機が本当に問題がないのかは、時間がたてば
明らかになることである。
市民を守るためにマスコミの厳しい追及が必要な時に
権力と一体となっての大本営発表をする日本のマスコミを
信用することは出来ない。最終的には自己防衛をするしかない。


マスコミも、「動揺しないように」と政府に追随している。
しかし、国民は今まで何度政府に騙されたことか?
東海村放射能流出問題、もんじゅの事故・・・・・・。
政府や電力会社の「安全宣言」の裏で、いかにも「杜撰(ずさん)
な取り扱いをしていた」電力会社の事実を指摘しておきたい。

福島原発1号機の事故についての政府や保安院の「安全」
宣言について、信用できない。

国民を壮大な人体実験に使っている東電・政府の姿勢を糾弾
したい。今後、白血病など様々な現象が出て来た時、政府も
東電も逃げの一手である。
水俣病、イタイタイ病、薬害エイズ・・・・、数え上げれば
きりがない。誰が責任を取ったのか?

20キロの退避圏設定自体が「安全に自信がない政府と
東電・マスコミ」無責任グループの姿勢を反映している。
安全なら首相と関係者、テレビで「安全です」などと
解説している東大の専門家、マスコミ関係者自身が
福島原発1号機の2キロ圏以内にいたらどうだろうか?
「安全圏」にいる長男家族を持つ人間として黙っては
いられない。こどもや孫を人体実験に使っている
政府・東電・マスコミを厳しく糾弾する。
日本国民は自らの安全を自らが確保する権利を持っている。


投稿者 koyama : 20:48 | コメント (0)

2011年03月11日

「東北地方太平洋沖地震」の犠牲者に哀悼。

小雨  寒い

午前7時朝食。フォー。

午前8時過ぎ、徒歩でフォンザンホテルへ。

ブライセン社長と仲間の皆さん一行と「子どもの家」へ。

セン運営委員長と挨拶。


「子どもの家」の施設を案内する。

1時間ほど「子どもの家」を視察。その後、ソン君と
二人で王宮を案内。バオミンさんは、法事で欠勤。



午後12時。フエ市内の「チャーハン専門店」へ。

昼食後、天安山中腹の「ウーロン茶」専門店に行く。

ベトナム時間の午後2時前(日本時間午後4時前)
ブライセン社長と仲間の社長さんの
会社から「宮城で大地震発生」との第1報の電話あり。
その後、それぞれの社長さんが会社の様子などを電話で
確認。東京五反田、横浜等。
更に社員に地震の詳細を聞くが日本の社員の方たちも
詳細は不明の様子。しかし、社員の方々からの電話
報告を総合すると相当大きな地震が岩手・宮城などで
発生したことがわかる。東京も震度5との
電話連絡あり。被害者がでなければよいのだが・・・と
皆で話し合う。

午後2時過ぎ、市内の「静岡フエ青年交流会館」付属
日本語学校を視察。

特進クラス3の授業。3月に静大工学部入試を受ける
生徒も4人ほどいた。日本語で話し合う。

日本語学校参観後、市内最大の市場「ドンバ市場」を
視察。


午後3時半過ぎ、ドンバ市場を出て、午後4時、フエ空港へ。

法事中のバオミンさんに電話。知り合いのベトナム航空に
連絡し、ホーチミン市 →成田の飛行機が今夜出るのかを確認
してもらう。0:05分ホーチミン市発が0:15分に変更されるが
今夜飛行機が出きるとのこと。


ブライセンの藤木社長以下の皆さんの無事帰国を願う。

ソン君と二人でフエ市内に帰る。

私は体が疲労困憊。そのまま宿舎に帰る。

東京の自宅・福島の長男、東京の次男の家に
電話をするが全く通じない。
日本の家族の状況が分からない。しかし、これ以上
電話をしても仕方がないので止める。

午後7時(日本時間午後9時)、東京の自宅にいる
妻から電話あり。

福島の長男・東京の次男・東京の自宅は無事とのこと。

一安心。しかし、多くの方々がなくなったり行方不明に
なっていることに心痛む。

午後9時、ブライセン本社総務部から電話。
ブライセン社長一行の飛行機の件。

再度バオミンさんを通してベトナム航空へ問い合わせ。
0時15分ホーチミン発の飛行機は飛ばないという。

急いでブライセン本社総務部へ電話をし、藤木社長に
私の携帯に電話を入れてもらうよう依頼する。

ベトナムから日本への電話は一切通じない。
日本からベトナムへの電話は通じる。

午後10時過ぎ、ホーチミン市の藤木社長より電話。
成田行きの飛行機は今夜でないことを話す。
ホーチミン空港へ行き、明日の新たな切符を取るよう、
そしてホーチミン市のホテルをベトナム航空が用意している
か確認し、用意していたらそこへ今夜は泊まる、用意して
いない場合は直ぐに私に連絡をしてもらうよう頼む。

ベトナムテレビでは日本の大地震。死者25名との報道。

日本のマスコミの報道では死者・行方不明者数百名との
こと。津波が多発。火災発生。「自衛隊」が出動した模様。

亡くなった方々へ哀悼の気持ちを表明。
行方不明の方々が無事生還することを祈る。

投稿者 koyama : 20:56 | コメント (0)

2011年03月10日

来訪社長一行「フーバイ工業団地」、フエ科学大視察

小雨  午前7時の気温17度、湿度90%。

午前7時朝食。チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)


非常に寒い。

孫2人が肺炎に罹り入院したとの連絡あり。心配だ。
99歳の母親が肺炎で救急車で緊急入院したとの報あり。

午前8時半過ぎ、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所員の皆さんは今年の異常な「寒い春」の中でも
真面目に仕事をしている。感謝。



もうすぐ子供が生まれる。パソコンのキーをたたく指も
心持ち「弾んで」いるように感ずる。


ベトナム事務所の影の実力者、ハン財政部長

3月15日に1年間の任期を終えて帰国する古竹先生。
仕事と人生模索に熱心な若者。帰国する最後まで日本語教師、
日本料理店などの仕事をしっかりと遂行してくれている。
「根性のある」若者と見た。


日本語教育を統括しているフーン先生。ますますその「美」に
磨きがかかっている。コックホック高校ではバオミンさんと
同級生というのは、事実である。(一部の人たちはバオミンさん
の容貌等を見て、「同級生説」を否定する傾向あり)

何となく写真を撮ると「偶然」フオン先生と富岡先生は
一緒に写っている。

ベトナム事務所の構造上、アンさんだけはいつも一人の写真に
なってしまう。


ブライセン藤木社長など他社の社長など5人の投宿している
フォンザンホテルへ。

ブライセンなど社長の皆さんとベトナム事務所・ブライセン支社を
訪問・交流。


ベトナム事務所3階のブライセンベトナム支社へ。
ヴー君やティー君、「子どもの家」ノチュン君など
6人のスタッフと交流・挨拶。

ブライセンベトナム支社員に「激を飛ばす」藤木社長


同行の社長・ブライセン総務部のIさん。



ブライセンベトナム支社訪問を終えて、JASSベトナム事務所へ。

JASSベトナム事務所員の自己紹介

ブライセンベトナム支社・JASSベトナム事務所訪問を終え、
ブライセンやその友人のIT関係などの社長さんと一緒に
フエ空港付近の「フーバイ工業団地」を視察。
市内から車で20分。フエ空港付近。

工業団地社長さんなどと懇談。

フーバイ工業団地の実情、土地賃貸料などの説明あり。

その後、アメリカやスエーデンなど実際の工場を作り操業している
工場を車外から視察し、2箇所の工場などを実際に見る。

その後市内へ。

午後12時過ぎ、フエ市内で「チャオバインカイン」を食べる。

続いて、フエ科学大学を訪問。
副学長、IT学科課長、担当の先生方とIT関係の実情を
話し合う。


懇談後、実際に研究室や授業の実際を視察。


一クラス60人から70人の「すし詰め教室」だった。
女子学生は1割程度。


午後6時、日本料理店で交流・夕食会。

ブライセン社長・総務、同行の社長さん方、私、バオミンさん、
ハンさん、ブライセン社員6名での交流会。

始めに先日結婚をしたファップ君と3月13日に結婚する
ヴー君にブライセン藤木社長より「結婚お祝い」の贈呈。



接客のグエット主任とリー君が「今日の献立」を発表



同行のA社長の乾杯の音頭



日本料理店の5人のこどもたち、原田先生・土井先生など
日本人スタッフも影で仕事を進めてくれていた。有難い。

リー君も非常に真面目によく仕事をしていた。
24歳。少しは、人生の「悟り」を開いたか?

午後9時過ぎ、前半の交流会を終了。日本料理店の
こどもたちを家へ帰す。(リー君だけは残る)

その後、午後10時半まで日本料理店でリー君も入れて
交流は続く。

私は残念ながらお酒も美味しくないのであまり飲めず、
食欲もなく、日本料理も少々。

午後10時半に二次会も終了。

原田先生・土井先生たちと後片付け。

バオミンさんのオートバイに乗せてもらい宿舎へ。

午後11時、宿舎着。

今日は本当に「長い・長い」1日だった。

投稿者 koyama : 09:28 | コメント (0)

2011年03月09日

アン君退所式:ブライセン社長等来訪

気温低い  小雨

午前7時朝食。赤米のおかゆ

午前8時45分、バオミンさんがオートバイで迎えに
来てくれる。「子どもの家」へ。

「子どもの家」のアン君の退所式

アン君は1999年に「子どもの家」へ入所。
兄のビン君と二人で昔の事務所にやってくる。
フエ駅付近で兄弟で寝ていた。近所の人に
「フォンザンホテルの前に日本人の事務所がある。
こんな道路で寝ててはいけない」と諭され、
我がベトナム事務所へやってくる。
12年前の出来事だが、私の瞼には鮮明に
その日のことが残っている。
朝食を摂ってなかったので、近所でブンボー(米麺)を
買って食べさせたことを覚えている。
あれから12年も経ってしまったのでだ。早いものである。

当時クアンチ省に住んでいた母親も列席。
今はホーチミン市で食堂の皿洗いをしているとのこと。


(セン)アン訓は1999年に入所した。現在16歳である。
    本人と母親の希望で退所することになった。
    小学校時代は成績は抜群に良かったが、中学校に
    入り、勉強を怠けてしまった。ホーチミン市に行き、
    兄のビン君の勤めている換気扇会社に勤めるとの
    ことなので、今度はしっかりと仕事をして欲しい。
   ホーチミン市に行っても「友達関係」特に悪い友達
   との付き合いをしないようにすること。
    ホーチミン市はフエと違い複雑な都市だ。
   アン君が考えているような甘い気持ちでいたら大変だ。
   心を引き締めて生活するように。支援者の茂木さんや
   JASSの皆さんのことを思い出して生きて行って欲しい。

(母親)長い間兄のビンと弟のアンを「子どもの家」で育てて
     もらい感謝している。
      当時はクアンビン省にいたが、私一人の働き手で
     子供を育てることができずにいた。JASSのお陰で
     兄のビンも弟も義務教育を勉強させてもらい、大きく
     育ててもらった。感謝している。
      本人の強い希望でホーチミン市にいる兄と同じ会社
     で仕事をするこよになった。長い間の支援に感謝
     している。里親の方にも宜しく伝えて欲しい。

(アン)長い間、「子どもの家」でお世話様になった。
    これからはホーチミン市で一生懸命仕事をして母親を
    助けたい。

母親が退所承諾書にサインをするのだが、字が読めない。
47歳の母親は学校に行ったことがないとのこと。
母親の住んでいた「クアンチ省」は、北緯17度線の南側
であり「ベトナム共和国(南ベトナム)」だったが、1973年には
「ベトナム民主共和国(北ベトナム)により占領・解放された地域。
ベトナム戦争中、最大の激戦地であった。
お母さんの小学校時代が最も戦争の激しい地域だった。
お母さんが学校へいかなかったのは、ベトナム戦争と家庭の
貧困という事情があったものと推測する。

退所承諾書をアン君が母親のために読んであげる。
合わせて承諾書にアン君がサインする。本来は母親だが。

アン君と兄のビン君、そして母親の3人の幸福を祈る。


続いて「子どもの家」のD君。15歳。5年前、船上生活の
両親の元から「子どもの家」へ入所。現在6年生。
小学校時代は常に成績「最優秀」であった。
しかし、最近、セン運営委員長に「ホーチミン市に行き
仕事をしたい。退所したい」との申し出をしている。

今日は母親、本人と私たちの話し合いをした。

母親は我が子に「子どもの家」へいるように言っている。
しかし、D君はホーチミン市の縫製工場で働きたいと
言っている。

私がどうしてホーチミン市に行くの?との質問に
「友だちからお金が儲かると言われた」との返答。

私はホーチミン市に行けば何度もお金儲けができ、
自分の夢は何でも実現すると思ったら大間違いだ。
ホーチミン市は物価も高い、悪い人間もたくさんいる。
まだ社会を知らないD君だ。せめて中学校の義務教育
を卒業するまで「子どもの家」にいなさいと。
D君は勉強も良く出きるのだ。頑張って大学まで行きなさいと
諭す。

セン運営委員長も私と同様の意見を言う。

しかし、D君は「どうしてもホーチミン市に行き、縫製工場で
働き、お金儲けをしたい」と言い張る。

私が「ホーチミン市のどこの縫製工場へいくの?」と聞く。
D君は、「どこだかは決まっていない」との返事。

結局、D君が友だちから「ホーチミン市に行けば、
大もうけできる」というような話を聞き、本気になって
ホーチミン市行きを考えるようになったという経過で
ある。

今日は話し合いをしたが、まだ結論を出さない。
これからも何回か話し合いをしようということで
話を終わる。

急いで話し合いを終わり、午前10時過ぎ、
フエ大学副学長とある問題で懇談。

午前11時半、宿舎へ帰り昼食。精進麺。


午前3時過ぎ、IT会社ブライセンのVU君・THI君と一緒に
フエ空港へ。

語午後4時半過ぎ、ブライセンの藤木社長以下計5人の
社長さんたちをフエ空港で出迎える。

車で30分。フォンザンホテルへ。


日本料理店でリー君と旧交をあたためるブライセン藤木社長


午後5時半過ぎ、日本料理店でこどもたちと日本語教師は
夕食。


午後6時過ぎ、ブライセンの藤木社長さんとその仲間の社長さん
たちと一緒に夕食。ブライセンベトナム支社のVU君・THI君も
参加。二人とも1年間ブライセン日本本社で研修をした仲。

午後9時前に閉会。ホテルへ戻る。

投稿者 koyama : 16:58 | コメント (0)

2011年03月08日

地球の歩き方3班と夕食会

雨・曇り 肌寒い

午前7時朝食。フエ名物「ブンボー」。

3月の諸活動の総点検。日程等の確認。訪問者の活動を
シュミレーションする。

バオミンさんといくつかの点を電話で打ち合わせ。

午前11時半昼食。「チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

午後昼寝。

17年半の諸活動についての総括。

原田先生から電話。打ち合わせ。

バオミンさんと電話で重要問題につて打ち合わせ。

午後6時、徒歩で日本料理店へ。

地球の歩き方3班の皆さんと夕食会。

ベトナム事務所側は、小山・ソン君・アンさん。

厨房ではこどもたちが準備中。


今日はアンさんが夕食会の初めての司会。
古竹先生から司会の仕方を教えてもらう

アンさんは上手に司会をこなす。

8人の参加者は「アオザイ」で参加。

りー君とグエットさんがメニューの紹介



参加者の乾杯の音頭で夕食会が始まる。


約2時間の夕食交流会を終わる。

日本料理店のスタッフの自己紹介。

午後8時過ぎ閉会。

投稿者 koyama : 19:51 | コメント (0)

2011年03月07日

岡山大学案内・夕食会

終日雨。寒い。

午前7時起床。フォー。


メールの受信・送信。

体がだるい。横になっている。


午前11時半、昼食。根菜類の「おじや」

午後2時、宿舎を出て、岡山大学スタディーツアーのホテルへ。

ハンさんと一緒に岡山大学の皆さんを案内し「縫製研修センター」
を参観。

午後4時、岡山大学の皆さんと「子どもの家」へ。
こどもたちと交流。

4歳で入所したターオさんも今は17歳。高校2年生。

紙のひげをつけて遊ぶナム君

こどもたちと「ふざけっこ」をする男子学生


真面目に勉強をしているチュン君

「子どもの家」開所の最初から「子どもの家」にいたタン君

午後5時。「子どもの家」のこどもたちとお別れ会

岡山大学学生の皆さんの「寄せ書き」


午後6時、「子どもの家」を後にしてホテルへ。

午後6時半、日本料理店で夕食会。

りー君とグエットさんにより献立の紹介



生ジュースなどで乾杯


夕食会の最後。調理人などの自己紹介。


午後8時閉会。


投稿者 koyama : 22:44 | コメント (0)

2011年03月06日

終日休養

体がだるく、1日寝ていた。

投稿者 koyama : 21:54 | コメント (0)

2011年03月05日

地球の歩き方3班講演会

気温20度 湿度 85%

朝から昼前まで雨。午後晴れ。

午前7時朝食。精進マカロニスープ

食後「洗濯」。

午前8時半。雨の中カッパを着て電動バイク(大塚さんの
乗っていた)で「子どもの家」へ。

「子どもの家」には、卒業生のフン君がベッドで寝ていた。
以前、お寺に入信したのだが辞めて、レストランのボーイと
なったが、解雇。現在は、レストランボーイコースの勉強に
行っているとのこと。

午前9時半から地球の歩き方3班の皆さんに講演。

「子どもの家」創立の経過。海外支援とは何か?
17年半のフエでの経験から学んだもの。
人生とは?  などを話す。

午前10時40分まで70分間。

その後、「子どもの家」のこどもたちと地球の歩き方3班の
皆さんの交流会


セン「子どもの家」運営委員長の歓迎の挨拶
通訳はハンさん


「子どもの家」の歓迎の踊り


こどもたちの自己紹介


地球の歩き方3班の皆さんの出し物「幸せなら手を叩こう」

午前11時過ぎ、こどもたちとの交流会終了。

案内のハンさんとアンさん。
これから市内のレストランへ。


私は電動バイクで宿舎へ。

昼食は「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)

午後12時半からしばらく昼寝。

読書「毒になる親・一生苦しむ子供」。

アメリカのカウンセラーの実体験をまとめている。
養育時の親の育て方・虐待が、大人になった
こどもたちにどのような影響を与えているのか、を
自らの具体的なカンセラー体験を通して描いている。
「子どもの家」のこどもたちのことを色々と考える。
「子どもの家」のこどもたちの「非行」「問題行動」
の裏にある乳幼児期のこどもたちの育てられ方に
ついて深く考えさせられるものあり。

夕方、原田先生と静大入試についての打ち合わせ。

ナムドン山岳地帯に岡山大学の皆さんと行っている
バオミンさんと電話でいくつかの問題を打ち合わせ。

菅内閣はボロボロ状態になっている。
前原外相が外国人から献金をもらったという。
年金の3号例外救済措置を厚生労働省の課長が
通達で実施してしまったとのこと。細川大臣は
何も知らなかったという。民主党の「政治主導」
とはどうなってしまったのか?

フエへ戻ってから一度も「アルコール」を飲んでいない。
というより「飲みたくない」という現状である。
困ったものだ。フエでの一番の楽しみであり、息抜きだった
フダ生ビールを飲みたくない原因は?

投稿者 koyama : 08:34 | コメント (0)

2011年03月04日

フエ医科大副学長と懇談

雨  気温21度 湿度92%

気温の変化大。今日は寒くなった。
寄生虫が原因の湿疹が体中に出てきた。痒い。
フエの風土病。

午前7時朝食。ブンボー。

午前8時45分、バオミンさんが宿舎へオートバイで
迎えに来てくれる。

ミンさんのオートバイでフエ医科大学へ。
副学長のDANG教授と懇談・話し合い。


午前10時、ベトナム事務所へ。
バオミンさんとベトナムの物価値上がりの実態に
ついて協議する。
この1ヶ月ほどで以下のように異常な物価の値上がり。
特に庶民の日常品の値上がりは常軌を逸している。
貧しい人ほど「異常物価」の影響が大きい。
町には「労働者・農民の国」とのスローガンや横断幕
が張り巡らされているが、その労働者と農民の生活が
一番苦しい社会主義国家ではある。

●ガソリン1リットル 16400ドン →19300ドン(約20%UP)
●電気料金 3月から 15、28%値上げされた
 (今後、水道代の値上げあり)
●交通費 10%程度
●米 40%値上がり
●野菜・肉 100%値上がり

米と野菜の値上がりは異常である。
「子どもの家」のこどもたちの食生活ができなくなる可能性あり。
「子どもの家」運営委員長のセンさんより、上記の実態が
報告され、「子どもの家」のこどもたちの生活費・スタッフの
生活費の値上げを要請されている。

ベトナム政府の発表でも昨年の消費者物価上昇率は11・75%、
今年1月の上昇率は年率で12・17%と、
インフレは悪化の兆しを見せているとしている。

こうした状況を踏まえ、「子どもの家」のこどもたちの
生活費や「子どもの家」スタッフの給料の値上げを
相談した。
こどもたちの生活費と「子どもの家」の
寮母さんたちスタッフの給料を10%緊急引きあがる
ことにする。


午前11時半、昼食。「野菜と魚のおじや」「ニンジンと
インゲン」に温野菜。

1時間ほど昼寝。

読書「戦争と日本人」(加藤陽子・佐高信著:角川文庫)読了。
本書で佐高は、繰り返し「菅首相」の親分である市川房枝の
日和見について言及している。
石原莞爾への評価問題である。
戦前、市川房枝は、石原莞爾の崇拝者であり、高く評価し
その運動「東亜連盟」にも参加していた。
戦後の1976年「石原莞爾全集」が出版された際、
以下のような推薦文を書いている。
『私は石原中将の著作の一部しか読んだことがありません。
しかし、氏の中将時代即ち京都の師団長であった時代に、京都
のお宅と軍人会館でお目にかかり、そのお人柄と、中国に
対してのお考えに敬服し、氏を中心とした東亜連盟にも
一時参加したことがあります。私は百姓の娘でしたので
偉い軍人には全く知人はなく、婦人に無理解で戦争の
好きな軍人ー軍部にずっと反感を持っていました。しかし、
石原中将は軍人でも違う、今までにない偉い軍人だと
思います」と。菅首相の師である市川房枝は石原莞爾を
クリーンな軍人としているが、クリーンを至上とする危険さを
佐高は指摘している。
市川房枝の対極に犬養道子がいる。5・15事件で殺された
犬養首相の孫である。「犬養木堂(犬養毅の雅号)暗殺の
重要要素をなした満州問題は、その発生から満州国建国
までの筋書き一切を端的にしいて言うのなら、たったひとりの
右翼的神がかりの天才とも称すべき人間に負うていた。
『満州問題解決のために犬養がよこす使者はぶった斬って
やる』と叫んだあの石原莞爾その人である」と石原莞爾を
喝破している。

アジア・太平洋戦争の一人の責任者・元凶である
石原莞爾を「偉い軍人」と1976年になっても認識していた
市川房枝と「石原莞爾こそ満州偽国家建設の主犯だ」
と指摘している犬養道子の両極の評価を見るべき
である。犬養道子の卓見を知るべきである。
市川房枝が「クリーン」を標榜していながら、その裏に
本質も見抜けない弱点、目立つものをアピールする
クリーンな市川房枝路線があり、それをそそのまま踏襲している
のが菅首相であると。今回の政治的ゴタゴタの出発は
菅首相の「消費税値上げ」発言であり、国民に「ダーティー」
な人物と見られる小沢一郎への攻撃・切捨ての姿勢である。
菅首相はこうした「クリーンさ」を浮き立たせることで
人気上昇と考えたのが、躓き(つまづき)だった。

菅首相は厚生大臣時代「薬害エイズ」問題でクリーンな
菅直人を演出したが、同時期、3種混合の予防注射の
強制で亡くなったこどもたちに「しかたがない」との趣旨の
発言をしている菅氏である。
一見「クリーンなタカ派」より「ダーティーなハト派」の方が
ましだとの著者の意見が開陳されている。一理ある。


読書「毒になる親・一生苦しむ子供」(スーザン・フォワード著
玉置悟訳;講談社)


地球の歩き方スタディーツアーの内容・運営の仕方の
改編を考える。

静岡大学入学問題についての意見をまとめる。

3月は1日も休みなく仕事が入っている。
3月日程の整理と仕事内容・段取りを確認する。


午後6時、宿舎で夕食。菓子パンと牛乳。

投稿者 koyama : 10:02 | コメント (0)

2011年03月03日

岡山大学講演会:「アクセサリー研修センター」打ち合わせ

小雨・曇り

気温が下がる。少し寒い。

午前7時朝食。フォー。

雨の中、カッパを着て、電動自転車で「子どもの家」へ。

バオミンさんが「子どもの家」の施設案内。

午前9時半、岡山大学の皆さんに講演。「子どもの家」創設の
きっかけ、人生・・・・・。


午前10時40分、「子どもの家」の歓迎会

セン「子どもの家」運営委員長が岡山大学の皆さんの
歓迎の言葉


歓迎の踊り



岡山大学の学生さんたちの岡山紹介と歌


岡山の桜の名所を紹介

岡山の「桃太郎伝説」を絵本で紹介してくれる。


電動自転車で宿舎へ。


午前11時45分、昼食
ご飯、カボチャのつるの茹でたもの、煮魚、スープ。


その後、昼寝。

午後2時半過ぎ宿舎を出てベトナム事務所へ。

「アクセサリー研修センター」の件について関係者で
協議。2時間ちょっと。意識を集中し、論議するには
今の私の体調ではかなり疲れる。

午後5時半、宿舎へ。昨日買ったパンと牛乳で夕食。

受信のメールを読む。必要なメールの送信。

今日はかなり疲れる。

早めに横になる。


投稿者 koyama : 19:55 | コメント (0)

2011年03月02日

自室で仕事・休養

快晴  暑い


午前7時朝食。キャッサバ芋の手打ちうどん



いくつかの文章を書く。

バオミンさんと電話で打ち合わせ。


朝から体がだるい。仕事をする気力がない。


受信メール・送信メール。

午前11時半昼食。春雨麺


午後12時過ぎから昼寝。

そのまま午後4時過ぎまでベッドで横になっている。

明日、午前9時半から「子どもの家」で岡山大学生に
講演をする。

電動バイクで行かなければ行けない。
ベトナム事務所に残っている1台の電動バイクが使えるか
バオミンさんに聞く。鍵があるそうだ。

午後4時半、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさん・りー君から電動バイクの乗り方などを
教えてもらう。

その足で電動バイクに乗り、最初のJASSベトナム事務所
だったところが現在、パン屋になっている。
そのパン屋へ行き、いくつかのパンを買う。
今までパンは嫌いな食べ物だったが、1月に東京の自宅に
帰ってから急にパンを食べたくなった。
今も同様。お酒・ビールなどが飲めなくなった代わりに
甘いものが好きになり、未だにその続き。

電動バイクで宿舎へ。宿舎に着くと1台のオートバイが
近づいてくる。何か「乱暴」でもされるのか?と一瞬ひるむ。
ヘルメットとマスクなので誰だかわからなかった。
「先生」という。マスクを取ると「子どもの家」にいたトゥオーイ
さんだった。
男女2名の母親となり、9月にもう一人生まれるとのこと。
1995年から「子どもの家」に入所していた。「子どもの家」に
最初からいた子である。当時「女番長」とあだ名をつけていた
女傑だった。
パン屋で私が買い物をしている時から見ていて、後を付いて
来たとのこと。
元気に生活をしている「子どもの家」の卒業生を見て
この17年半の活動の意義を改めてかみ締める。

午後6時。日本料理店へ行かずにパンと牛乳で軽い
夕食。

読書「戦争と日本人ーテロリズムとこどもたちへ」
   (加藤陽子・佐高信著:角川書店)

投稿者 koyama : 20:18 | コメント (0)

2011年03月01日

いくつかの問題の打ち合わせ:静大入試打ち合わせ

快晴  気温30度  湿度50%

昨夜、午前1時頃から急に腹痛・下痢。
朝5時まで断続的にトイレに行く。
昨夜の日本料理店の夕食の唐辛子満杯の
スープを少し飲んだのだが、あまりに辛い唐辛子で
「弱っている」胃腸が更に弱ってしまったのか?
酷い下痢・脱水状態。水を飲む。
一晩中眠れず。

朝なかなか起きられない。

午前7時朝食。
ブンボー。(牛肉と米のうどん)
あまり食欲なし。これも唐辛子で辛い。
野菜を良く噛んで食べる。

午前8時半、徒歩ベトナム事務所へ。2台の電動自転車を
盗まれたため、現在はどこへ行くのも歩き。体調が悪いので
かなりきつい・・・・・。

ベトナム事務所員の皆さんは真面目に仕事をしている。
(古竹先生は朝6時50分からのフエ高等師範大学日本語学科
 の中間テストへ)

昨年7月に結婚。近々、お子さん誕生の予定。
『幸せ』真っ只中のソン君。


「フェリシモ」の仕事などをコツコツと真面目にしてくれている
アンさん。JASS付属日本語学校の優秀な卒業生


土井先生とフーン日本語主任




「アクセサリー研修センター」の件について、担当者の
バオミンさん・ソン君と懇談。
原田先生も同席。1時間半ほど話し合う。

その後、3月24日から27日まで続く「静岡大学工学部
入学試験」の準備のための予備打ち合わせを行う。
当日は、ベトナム事務所員全員で仕事を分担する。
日本の立教大・早稲田大・同志社大・京都大で試験問題が
YAHOOの知恵袋に投稿され、数分後には回答が載せられた
という事件があった。
日本語主任のフーン先生も交えて今日の話し合いでは、
ベトナムでも同様の事件が起こる可能性を視野にいれ、
携帯電話対策・カンニング対策等を考え意見を出し合う。
妙案が見つかる。今後もう一度、準備のための下打ち合わせを
行い、近日中にベトナム事務所員全員での分担等を行う予定。

午前11時半、昼食。

魚入りの「ベトナム風おじや」。

温野菜を出来るだけ出してもらうよう依頼してある。
ベトナムでは温野菜という概念がないようでなかなか
理解してもらえない。
今日はインゲン豆だけの温野菜。
本当は、数種類の野菜をスチームしてもらうように
頼んであるのだが・・・・・。ベトナムではなかなか
思うように物事は進まない。少しずつ焦らず、時間を
かけて進める方法を習得することが、ベトナム滞在の
最大の武器となる。

今日の3時間半ほどのベトナム事務所での話し合いで
相当疲れる。体がおかしい。

午後はベッドで横になる。

夕食は日本料理店に行かずに部屋にいてベトナムの緑茶を
飲む。食欲なし。日本滞在中から続いた体の変調の真因は
何なのだろうか? 

投稿者 koyama : 20:26 | コメント (0)