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2011年02月28日

当面の課題打ち合わせ:日本料理店夕食

快晴 32度、湿度50%。

午前5時起床。

午前7時朝食。赤米のおかゆ、温野菜、小魚の煮物

午前9時、徒歩ベトナム事務所へ。

風邪で体調を崩していた富岡先生が出勤。
体調を回復したとのこと。



バオミンさんと3月から4月にかけての様々な来訪者への
対応について協議。静大入試について。

今後、それぞれの関係者を集めて、時間をかかて話し合いを
する課題を整理する。

まだ体が本調子ではない。だるい。頭が回らない。
寒気がする。私だけ冬服で過ごしている。


午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン。

午後12時過ぎから2時間ほど昼寝。

その後、「アクセサリー研修センター」の件、北垣さんから
電話で依頼された件、ブライセン来訪、その他の会社社長
さんたちフエ訪問の件などの細案の概要をまとめる。

午後5時、徒歩でベトナム事務所・日本料理店へ。
フエに戻って初めて夕食を日本料理店で摂る。
日本人の先生は、フエ高等師範大学の中間テストなどで
日本料理店へ戻るのが遅くなる。

今日もビールを飲む気力なし。
ご飯を一膳食べて夕食とする。

午後6時過ぎ、富岡先生・古竹先生が日本語教育から帰る。


午後8時過ぎ、フエ高等師範大学の試験を終えて原田先生が
帰る。

私は体調が悪く、午後8時半に日本料理店を後にする。

投稿者 koyama : 18:52 | コメント (0)

2011年02月27日

メール受信・送信、休日

快晴 昼 32度、湿度50%

気候的には「真夏」。

午前9時起床。なかなか起きられない。

洗濯

部屋の掃除。荷物の整理。

昨日作ってもらったマカロニスープを温めて朝食とする。

読書「戦争と日本人ーテロリズムとこどもたちへ」
   (加藤陽子・佐高信著:角川書店)

本書の「こどもたち」とは、青年層。未熟者、世間を知らない
アナーキーな行動をする若者という意味。

今の私の最大の関心事はリビア情勢だ。なかなか情報が
入らないので困っている。
中東での出来事は文字通り市民革命である。
革命とは「権力奪取」。
湾岸戦争の際、イラクのフセインがクエートを侵略したとして
イラクを攻撃した。
クエートも含め中東は王族や軍人の独裁国家である。
はたして独裁国家を支援する必要があるのかを
改めて精査する必要がある。

以下、インターネット。

『オバマ米大統領は26日、反体制派への攻撃を続けるリビアの
最高指導者カダフィ大佐について「今すぐ地位から退かないと
いけない」と即刻退陣を求めた。ドイツのメルケル首相との電話
会談の内容をホワイトハウスが発表した。』

『クリントン国務長官も声明で同様の見解を表明。両氏はともに
「自国民に武力行使することによってのみ権力を維持するリーダー
は、統治の正統性を失っている」とカダフィ氏を強く非難した。』

オバマ大統領とクリントン国務長官の非難の趣旨は正しい。
それならば1989年の中国の「天安門大虐殺」も引き続き
非難しなければならない。無抵抗の中国の市民を戦車で
ひき殺した中国共産党の暴政を免罪し、カダフィ大佐の
市民発砲だけを非難するのは、おかしい。
中国共産党も独裁・虐殺政党である。こうした政党と
友好関係を持っている日本の政党も同罪である。

午後1時、フエ師範大学近くの「ほか弁」 屋へ。100円。
近くの路上でりー君の弟が携帯電話の掃除のような仕事を
していた。

午後6時、「ほか弁」を食べる。

投稿者 koyama : 14:51 | コメント (0)

2011年02月26日

ベトナム事務所員会議

快晴  気温30度 湿度60%

午前7時朝食 キャッサバ芋の手打ちうどん

午前8時、徒歩でベトナム事務所へ。

午前8時半、久しぶりのベトナム事務所員会議
富岡先生は風邪を引き休む

(ソン)地球の歩き方1班の案内
    日本の官庁スタッフのHさんの案内
    次週の日程の整理・土井先生・富岡先生のビザ取得

(原田)ニフィー入試準備・面接の練習
    函館のSさんが帰国し、代わりに日本語学校月・金を
    教える
    テレビの取材

(フーン)3クラスの授業を受け持つ
     (フエ高等師範大学2年生・日本語学校初級・特進3。
      特進3は、数学・物理のセンター試験の過去問題)

(古竹)フエ高等師範大学3年生 先週最後の授業が終わり、
    日本語の実習に入っている。1年・2年生は5月まで
    授業を続ける。
    フエ高等師範大学75人が3級試験を受け10人合格

(土井)特進3 面接練習  
     特進2 聞き取りはOK。答え方に問題あり
    フエ高等師範大学3月5日に会話の中間テスト

(フオン)特進3  1週間休み。習った文法は良くできた。
     日本語学校中級 漢字テスト良くできた。
     漢字の総合テストは余りできなかった。再試験


(ハン)地球の歩き方1班の案内 フエ高等師範大学や「子どもの家」
    ハノイボランティアに刺繍を送る
    里親への手紙を翻訳  ミニツアーのホテル予約
(アン)土日ー地球の歩き方1班案内
    木金ー「子どもの家」案内
    「フェリシモ」の仕事
    日本の静岡市役所の招待で静岡市に研修に行った。
    良い勉強になった。
     日本人は親切だ。静岡市は暖かだった。
    ホテルのベッドメイキングの研修をした。結婚式の準備等
    静岡市立図書館で研修をした。日本の図書館では、
    来館する人に様々な情報・サゼッションをしていた。
    こどもたちの来館者には、本のアドバイスをしていた。
    非常に参考になった。
     静岡市国際課の平岩課長・山本さんには大変お世話に
     なった。感謝している。


(ミン)1週間日本へ行った。東京で現地報告会を行う。
    静岡市では小嶋市長に「フエ市名誉市民賞」贈呈式典の
    通訳をした。
     京都市では、世界歴史都市連盟の事務局との
    打ち合わせの通訳をした。京都市長とフエ市人民委員会
    代表団との会見の通訳。
    「京滋YOUの会」との交流会に参加した。有意義だった。

  


その後、フエ高等師範大学日本語学科の先生2名と
JASSの日本語教師との打ち合わせを行う。


午前11時半、昼食 精進麺


午後12時半から2時間ほど昼寝。
体調はまだ不良。体がだるい。立っているのが辛い。

ベッドで横になりながら読書。最近は体調不良のため
読書が進んでいない。致し方ない。

読書「生活保障」(宮本太郎著:岩波新書)読了

宮本太郎は「民主党マニフェスト」を作るブレインでもあった。
本書を読むと「民主党マニフェスト」の根幹となっている
「思想」が書かれている。北欧の社会民主主義の福祉を
参考にしながら、「生活保障」という概念を構築している。
生活保障という概念は「雇用保障と社会保障」を統一して
考える思想である。

菅首相を先頭に民主党内閣の大臣が、この「思想」自体に
ついての理解が弱いことが分かる。子ども手当てなど
個々の政策の裏を貫いている「思想」を理解していない
ために、個々の政策を「止める」とか「変更する」とか
言い出すのである。個々の政策はその裏を貫いている
「生活保障」という概念で成り立っている。
小沢一郎が「生活第一」という簡単なスローガンを
繰り返しているいるのは、「生活保障」という「民主党の
政策・マニフェスト」を貫く思想の根源を理解しているから
と思える。「生活第一」は「生活保障」思想を端的に
物語るスローガンである。

読書「戦争と日本人ーテロリズムとこどもたちへ」
   (加藤陽子・佐高信著:角川書店)


夕方、日本料理店へ行かず。
体の節々が痛い。食欲なし。原田先生と電話で話す。

投稿者 koyama : 18:08 | コメント (0)

2011年02月25日

快晴

昼の気温32度。湿度40%

終日真夏。

風邪がまだ治らない。富岡君も風邪を引いて寝込んでいる。
立っているとだるい。勤労意欲なり。

午前7時朝食。フォー。

午前中21通のメール受信。11通のメール送信。

バオミンさんと電話でフエ来訪者の日程等について打ち合わせ。

1時間ほど、横になる。

午前11時半、昼食。ご飯、揚げ魚、ミットの茹でたもの、
海老と野菜のスープ。

しばらく昼寝。


今日はIT会社ブライセンの給料日。

ベトナム事務所へ。
日本料理店では、りー君が来て日本料理店の掃除をしていた。
真面目に仕事をする様子をみると心が休まる。
この調子で頑張って欲しい。


ハンさんから電話。ブライセン本社から給料が送られてこない
とのこと。
急いで東京本社財務部長に電話。3日前に送信しているとの
こと。ベトナム側銀行の経理がきちんとしていなかった。
ベトナムの銀行に精査してもらうと日本からの入金あり。
急いで銀行へお金(給料)を取りに行く。

午後3時、ベトナム事務所へ。

ハンさんからブライセンベトナム支社員の給料を預かり
社員に渡す。給料を決まった日に出すのは、最低の
私たちの義務。
ブライセンベトナム支社員に仕事の様子、問題などを聞く。
VU君が3月13日に結婚するとのこと。式場は、VU君が
JASSの里子時代に住んでいた家(?)。午前11時から
開会とのこと。

その後、バオミンさんと2月・3月の訪問者、静大入試など
当面の諸活動について詳細に打ち合わせを行う。

明日2月26日午前8時半からの「ベトナム事務所員会議」に
提案する内容について、打ち合わせをする。
体調が悪いので午後4時前にベトナム事務所を後にする。
徒歩で帰宅。

宿舎でしばらく横になる。

NZの大地震に心痛む。
リビア情勢が入らない。現時点では私が一番興味が
あるのはリビアの情勢である。
この種の独裁体制はいつか終焉を迎える。
同時に世界中の一党独裁体制も必ず終焉を迎えることを
確信してる。
インターネット新聞で一番詳報しているのは読売新聞、
続いて赤旗である。その他の新聞は取り扱いが小さい。
詳報はない。

日本の政治は混迷している。しかしこの「混迷」は
更に前進するための「国民的学習」の過程である。
けして否定的に見る必要もないと思っている。
混迷の中で日本国民が自ら学習し新しい政治体制を
作っていくことこそ民主主義政治の基本であると思っている。

投稿者 koyama : 17:56 | コメント (0)

2011年02月24日

フエテレビ取材

晴天  29度 湿度70%

午前7時朝食。赤米のおかゆ

午前9時、理髪店へ。徒歩30分。電動バイクが盗まれた
のでどこへ行くのにも徒歩。
35000ドン。1月に行った時には25000ドンだった。
昨年は2000ドンだった。物価の急激な値上がりに
驚いている。

メールの受信・送信。


午前11時半昼食。春雨麺

いくつかの仕事

午後4時半、徒歩ベトナム事務所・日本料理店へ。

今日はフエテレビの取材の日。

3月4日午後9時、3月5日午前11時と2回放送される。

フエで活動している外国人を報道する。

日本料理店の手伝いをしている古竹先生を中心に
日本料理店のこどもたちなどとの共同の仕事の様子を
撮影・取材。

りー君の仕事振りも取材されていた。



午後6時、東京の某官庁に勤めているAさんの訪問を受ける。
日本料理店で一緒に夕食。

午後9時20分まで日本の状況などを話し合う。


午後9時半閉店。こどもたちと一緒に帰宅。

投稿者 koyama : 23:49 | コメント (0)

2011年02月23日

原田先生誕生会:ハンさん・バオミンさんと会計

曇りのち晴れ

朝、気温18度、湿度90%。
昼間太陽が出た。気温30度、湿度70%。
気温の変動が大きい。

午前7時朝食。ブンボー

昨夜、午前2時から4時の間に宿舎前の門の内側に
おいてあった2台の「電動自転車」が盗まれた。
電池が重いので1台の電動バイクを持ち上げるだけでも
1人では出来ない。門内に2人、門外に1人、合計3人の
泥棒の共同作業と推測。

昨年の10月にも3人組の電動バイク泥棒が入ったが、
巡回の警察官2名に逮捕されている。

朝、警察官を呼ぶ。現場検証。状況の説明をする。
盗難届けをバオミンさんが書き、私がサインする。
泥棒が捕まるかどうか? 

フエに住んで17年半。フエに来た頃は泥棒などいなかった。
時々、ジーンズが盗まれたくらい。
一人では持てない「重い電動バイク」を2台も盗むなど
本格的な泥棒である。
ドイモイ=資本主義化は、人間を「金・金・金」に導く。
4ヶ月前に私の宿舎の電動バイクを盗もうとした3人組の泥棒が
捕まった。今回は2台の電動バイクを盗んでいる。本格的な
泥棒集団が形成されてきている。社会の荒廃化現状が
起こっていることを示している。

バオミンさんのバイクに乗せてもらいベトナム事務所へ。

午前9時過ぎ、原田先生の00歳の誕生会を行う。



古竹先生から記念の全員で書いた色紙と「パイ」贈呈。


会議室で2時間ほど皆さんと世間話をする。
訪日しアンさんの報告。バオミンさんの報告・・・・・・・・。



午前11時半昼食。チャオ・バイン・カイン

午後3時、徒歩でベトナム事務所へ。

バオミンさん・ハンさんと打ち合わせ。
日本から持ち帰ったベトナム事務所のお金の整理。

会議室では、3月に静岡大学工学部ニーフィープログラムで
面接を受ける「子どもの家」のホンニーさんなどが土井先生の
指導で受験の準備をしていた。

特に「子どもの家」のホンニーさんは、静岡市からの招請で
1週間ほど静岡市で日本語の研修をしてきた。
フエに帰って来てから静岡市での研修を振り返り、
更に勉学に励む意欲を増進している。



投稿者 koyama : 19:12 | コメント (0)

2011年02月22日

バオミンさんと打ち合わせ:地球の歩き方晩餐会

フエ空港の閉鎖について

2011年5月5日から6月5日までの1ヶ月間
滑走路の補修のためフエ空港は閉鎖されます。
フエへの交通は、成田 →ダナンかハノイ・ホーチミン市 →
ダナンとなります。ダナンからフエは、車で2時間程度です。

======================

曇り  気温19度 湿度90%

午前7時朝食。キャッサバ芋の手打ちうどん

午前8時半ベトナム事務所へ。

バオミンさんと当面の打ち合わせ


フェリシモ・マルタカの件、ブライセン社長フエ訪問の件、
静大工学部のフエでの入試の件、投資者訪問受け入れ
当面の訪問者受け入れ計画・・・・・・。
今後の私のフエでの活動の仕方について話し合う。
この春のスタディーツアーは、既に始まっており、4月20日まで
続く。

午前10時半宿舎へ帰る。

風邪の影響で体がだるい。

ニュージランドのクライストチャーチで大地震があったとの
ニュースが入る。NZの友人REDDYさんに電話をするが
通じない。

午前11時半昼食。マカロニスープ。

昼寝。2時間。

春のスタディーツアーの準備・計画などを立てる。
当面すべき各種の仕事を洗い出す。

午後6時宿舎を出て日本料理店へ。
午後6時半から地球の歩き方1班の夕食晩餐会。

コロッケ、マカロニサラダなど

なすの「煮浸し」。

原田先生の挨拶


10人の参加者と交流しながら日本料理を食べる。

乾杯


私、バオミンさん、原田先生、フオン先生が参加。

私は風邪の症状が続き、体調不良。ビールが飲めなかった。
残念。

リー君は真面目に仕事をした。


午後8時、晩餐会終了。

厨房・接客のこどもたちの紹介。


地球の歩き方スタディーツアー参加者からベトナム事務所へ
寄せ書きのプレゼント。


午後9時前、宿舎へ帰る。富岡君も体調を崩し寝ている。
今日は医者を呼んで診察をしてもらう。
フエはインフルエンザが大流行。
私は声がでなくなっている。話が出来ない。困ったものだ。

日本は
ニュージーランドの大地震、小沢一郎問題で「パンダ」の
上野公園入園はすっかり霞んでしまったようだ。


リビア情勢は緊迫している。カダフィが市民を無差別空爆した
とのこと。
中国の天安門事件と同じである。独裁者は人間の命や
尊厳に興味がない。独裁体制・政治はいつかは滅びる
ものだ。全ての独裁国家が・・・・・・。

投稿者 koyama : 18:54 | コメント (0)

2011年02月21日

体調を崩し寝ている

小雨

気温18度 湿度92%
異常に湿度が高い。日本は湿度が低く問題になっているが
フエは高すぎる。冷蔵庫にチーズを入れておいたが、
かびていた。私の不在中停電があったのか?

昨夜から喉から気管支あたりから「咳」と「痰」がでる。
体がだるい。


午前7時朝食。

フォー。

料理を作ってくれているセンさんが、私の咳と風邪の
症状を心配してバオミンさんに電話。自分の知っている
良い薬局があるのでそこへいくようにと。

午前8時半、ベトナム事務所へ顔を出し、ベトナム事務所員へ
帰国の挨拶をする。
皆さん、元気に仕事をしていた。
静岡市で日本語研修をしたアンさんも頑張って仕事をしていた。

リー君がベトナム事務所の前で待っていた。
今日は地球の歩き方の皆さんと一緒にナムドン山岳地帯へ
いく。2月19日の夜9時過ぎに宿舎に着いたが、その時も
電話をしてきた。日本語で「先生、元気ですか?」と。


北海道函館からフエ大学へ6ヶ月間の留学。フエに
滞在しているSさんが明日帰国するとのこと。


Sさんは、JASSの日本語学校で日本語を教えるボランティア
もしてくれた。感謝。


午前10時、宿舎へ帰る。

そのまま横になる。


午前11時半、昼食。
ベトナム風「おじや」


食後、引き続き寝ている。

ベトナム事務所のハンさんも同様の症状になったとのこと。
フエでは同じ様な風邪かインフルエンザかは分からないが
「はやっている」とのこと。

午後5時半、バオミンさんが宿舎へ来てくれる。

薬5種類と夕食用の「ほか弁」を買ってきてくれる。
薬は「強い」とのこと。必ず食後にとの注意。

どうしても出さなければならないメールを送信。

明日、バオミンさん・ハンさんと打ち合わせをする
会計や当面の日程・課題などについて、文章で
整理する。

午後6時過ぎ、リー君から電話。「元気ですか?
体は大丈夫ですか?」と。私の健康を気にしている
ところはある。同時に真意は、私と飲みたいということ
かもしれないが、私は今、アルコールが喉を通らない
状況だ。この40年近く飲まない日がなかった人生
であるが、1月14日に日本へ帰ってからアルコールを
全く受け付けない体になった。何故だろうか?
リー君の期待に応えられない。

今の調子でいくと今週1週間は、無理が出来ないような
気がする。

午後8時過ぎ、就寝。

投稿者 koyama : 21:04 | コメント (0)

2011年02月20日

地球の歩き方第1班の講演会

小雨

午前5時起床。

温水シャワーを浴びる。途中でお湯がでなくなる。
部屋に住んでいないと、室内はかび、電気類は
高湿度のため電気系統が壊れてしまうのだ。

気温18度。湿度90%。日本から湿度計付き気温計を
100円ショップで買ってきた。湿度が異常に高い。

午前7時、昨夜の麺類の残りを温めて朝食の代用。

午前7時45分、宿舎を出て電動バイクで「子どもの家」へ。
電動バイクの充電状況を見たが、100%となっていたので
安心して乗ったが、途中でバッテリーがなくなってきた。

半分ほど行ったところでバッテリー「ゼロ」表示。
仕方がないので漕いで行くが、電動バイクは重たい
バッテリーがあるので漕ぐのが大変。

途中で地球の歩き方1班のみなさんが、ソン君・富岡君の
案内でシクロで「子どもの家」へ行くところに遭遇。

午前8時半、「子どもの家」到着

「ハイリーホテル」の名前のハイ君の弟のフン君が「子どもの家」の
門の前にいた。しばらく立ち話。元気に仕事をしているとのこと。
暇な日曜日は、「古巣」の「子どもの家」に来たいのだ。
実家に帰るような気持ち。一度は仏門に入ったのだが・・・。
やはり世俗が好きなようだ。

そのまま2回の音楽室兼会議室で地球の歩き方1班の
皆さんに「子どもの家」の話などをする。





1時間15分。

その後、地球の歩き方の皆さんと「子どもの家」の
こどもたちのフエの伝統遊び交流が行われる。
「子どもの家」のこどもたちはこの種の遊びになると
本気になり熱中する。



午前11時、「子どもの家」の食堂で食事。
地球の歩き方の皆さんと一緒に。



たったの1ヵ月の日本滞在だったが、「子どもの家」のこどもたちの
成長の早さに驚く。


昨日から風邪気味。今日は喉が痛く体がだるい。
のど風邪のせいなのか、声が出なくなってしまう。
講演会が終わっているので今日は声が出なくても
問題ないが・・・・・。


午前11時過ぎ、こどもたち・地球の歩き方の
皆さんと一緒に昼食を摂る。


12時前「子どもの家」での活動を終了し帰宅。


気温18度は寒い。


風邪を引いたこともあり2時間程昼寝。

読書「生活保障」(宮本太郎著:岩波書店)

著者の宮本太郎氏は中央法科大学院を出て、現在北大教授。
日本共産党の議長だった宮本顕治氏の子ども。
本書は2009年11月に初版本が出ている。民主党が政権を
取った後である。

宮本太郎氏の福祉論は民主党のマニフェストの基調と
なっている。
スエーデンの福祉論を基調にしつつ日本の特殊性を加味した
福祉論を展開している。

宮本氏の提言に沿ってできた民主党の政権公約が
次から次へと実現していない現状に著者の宮本太郎氏
はどんな気持ちでいるのだろうか?

私の仲人だったH先生の息子さんが、中央法科大学院で
宮本太郎氏とともに政治闘争をしていた。そのころ
仲人のH氏の息子さんから宮本太郎氏の話は聞いていたい。

投稿者 koyama : 15:29 | コメント (0)

2011年02月19日

成田→ホーチミン→フエ

午前5時、成田空港付近のホテルで起床。
テレビでニュースを見る。
荷物の最終チェック。年齢的なものもあり、大事なものを
忘れる傾向が顕著なので、自重し、チェック表を作り
その都度、チェックしている。
忘れっぽいという現実を受け入れ、その対策を立てながら
生きていくことが大事と自覚している。

昨夜、コンビニで買った「おむすび」を2つ朝食とし、
朝の薬を飲む。

午前7時、ホテルの送迎バスで成田第2ターミナルへ出発。
7月20分到着。
今回から成田発の便が10時半から9時半に1時間早くなった。
そのため、ホテル発も一番早い送迎バスとなった。
いつもは8時過ぎのばすだったのだが・・・・。
チェックインも直ぐに終わり、手荷物検査に行ったが、
7時半からということでやっていなかた。
改めて 成田は24時間空港ではなかったことに気づく。

しばらく待ち手荷物検査、入管の宗国手続きを終わり、
インターネットカフェへ。出発まで2時間ほどあるので
コーヒーを飲みながら受信メールのチェック。いくつかの
メールがあり返信する。
何人かの方々にメール送信。

午前9時過ぎ飛行機内に入る。
機乗率60%程度。退職したと思われる中高年の
男女のグループと思しき人たちが多かった。

午前9時半過ぎ離陸。
となりの日本人に写真を撮ってもらう。

機内では毎日新聞をすみから隅まで読む。

目についた記事は民主党会派を離脱した16人に対して
の菅首相の発言。また、関係者の発言。
菅首相は既に「死に体」となっている。
解散か辞任。毎日新聞を読むと、管首相自身は
まだ何とかなるとの思いがあるとのこと。
鈍感な首相である。

菅首相の動静を読んで。昨夜は、ホテルニューオータニで
輿石参議院会長と会食とある。
こうして「市民運動派」などと自称している菅首相の
本質がでてしまったようである。ホテルニューオータニなどで
夕食を摂っていたのは、麻生首相など自民党の歴代の
お偉いさんだったはず。首相になった途端に市民派の
裏にある本質をむき出しにしたようだ。

結局、午前9時半から午後4時15分まで飛行機に乗る。
成田からホーチミン市まで6時間45分。

ホーチミン空港で入国手続き。相変わらずベトナム人のずる込み
あり。ホーチミン市は32度。


国際線から国内線へ。国内線でフエ行きのチェックイン。
国内線で待機していると「小山さん、小山さん」と言う声が聞こえる。
はっとして見ると知らないベトナム人。「私はダナン市の外務部です」
とのこと。名刺交換をする。何故、私のこと、顔を知っているの
だろうか? 私はダナンの人民委員会などには行ったこともないし
そもそもダナンへはあまりいていない。

結局、ホーチミン市空港の構内線で午後5時から午後9時20分
まで待つ。5時間10分。

ホーチミン市からフエへ。午後10時40分フエ空港へ着く。
フエは雨。18度。寒い。


成田のホテルを出てフエへ着くまでに13時間15分もかかった
ことになる。長い旅であった。相当体力を消耗した。

午前11時に飛行機で昼食を摂って以来何も食べていない。

午後11時15分、宿舎にたどり着く。
宿舎で「チャオバインカイン」の冷たいものを温めて食べる。

疲労困憊。明日は、朝8時半から地球の歩き方スタディーツアー
の皆さんに講演会がある。

室内が相当「かび臭い」。衣類などもカビの異臭。

洗濯をしようとしたが、洗濯機が故障していた。
まだ買ったばかりなのだが・・・・。

パソコンもウイスルに侵入され、使用できなくなっていた。

携帯パソコンで何とか日記を書く。

異臭の漂う毛布で寝る。これがベトナムでのボランティアの
現実。

投稿者 koyama : 17:41 | コメント (0)

2011年02月18日

太平観光北垣会長と懇談:成田空港付近のホテル前泊

午前中、ベトナム帰国の最終荷物点検。
帰国持ち物一覧表をチェック。パスポート、航空券用紙
支援者からの依頼持ち帰り物資・・・・・・。

昨日からのメール受信。メール送信。

午前10時半、帰国用のスーツケース、リュックなどを
全て持って地下鉄巣鴨へ。巣鴨のコインロッカーに
荷物を入れ、池袋へ。

午後12時過ぎ、西武池袋改札口で太平観光の
北垣会長と落ち合い懇談。


北垣会長とは私が1993年9月1日にベトナム・フエ市に行き
初めて帰国した1994年3月にお会いした。
私のベトナムでの活動を開始して初めて会った方であり
最初の支援者でもある。
それから16年間のお付き合いである。
この16年間、JASSも様々な出来事があった。
その都度、北垣さんの応援を頂いた。

昼食(おそば)を堪能しながらJASSの活動のことをはじめ
様々なことを話し合う。

午後2時半、話を終わり日暮里から成田まで特急に
のる。1時間で成田へ。
午後4時過ぎ、成田付近のホテルへ。


読書「非国民のすすめ」(斉藤貴夫著:筑摩書房)読了。
多くの人に読んで欲しい本だ。
今日、日本は国民一人一人が国家により監視されて
プライバシーがなくなっているとの主張。
住民基本台帳、全国に張り巡らされている監視カメラ。

1ヵ月の日本滞在だった。
前半の2週間は体調を崩し、1日中家で寝ていた。
後半の2週間は、フエ市人民員会代表団の案内など。

前半2週間家で寝ていた。時々テレビを見ていた。
うんざりした。

①午前中はどこの番組も同じ内容。スポーツ紙や
  八百長相撲など・・
②「おねえ系」というのだろうか?
  昔の言葉で言えば「おかま」が一日中テレビにでている。
  これらの人たちを異常とも思ってはいないが、1日中
  朝から晩までテレビに出ているのをみると何か大きな
  「違和感」を感じる。
    多少は知り合いである「尾木直樹」まで化粧品を
  をもって女性的な言動で売っているのを見るとうんざりだ。

日本のメディア・マスコミ(テレビ・新聞)を見ていては
真っ当な精神と頭にはならないことを痛感した。

③食べ物の番組を一日中放映している。1日中、食べ物・料理
  番組を放映する意味があるのか? ない。
④CMは外資系保険(団塊の世代向け)、健康食品ばかり。
⑤ニュース等のコメンテーターは、体制擁護派ばかり。
  お義理程度に体制批判をする人はいても・・・・・。
  ニュースやメディアは中立などという言葉は、既に過去のもの。

  

投稿者 koyama : 17:16 | コメント (0)

2011年02月17日

通院・フェリシモ関連で本所マルタカ本社へ

晴れ

午前8時半自宅を出て、新宿都庁前にある心臓病院へ。

心臓エコーをしたあと、前回の採血結果と心臓エコー結果
を総合して診断。痛風の傾向・高脂血症。肉類を減らし
温野菜を食べるよう助言される。

午後12時過ぎ終了。

その足で大江戸線を使い、蔵前へ。
フェリシモの仕事の仲介をしてくれている「マルタカ」本社へ。



社長さんとフェリシモ担当の方と打ち合わせ。
かなり複雑なこともあり、フエへもどったらバオミンさん・
アンさんに詳しく報告しなければならない。


夕方、自宅へ。

フエ市人民員会代表団の案内で1週間のお付き合いをした。
朝から夜遅くまでのお付き合いはさすがに疲れる。

25通のメールが来ていた。

自宅へ戻り、急いでメールを読み、返事を出す。

午後7時までかかる。

明日、午後12時に太平観光の北垣会長と
池袋で懇談。その足で成田付近のホテルへ前泊。

夜、フエへ帰る最終荷物の整理と点検。

投稿者 koyama : 18:34 | コメント (0)

2011年02月16日

バオミンさん・フエ市人民員会代表団帰国

大阪 快晴

午前5時起床。

午前8時、ホテルの送迎バスで関空へ。


ホテル前で(バオミンさんと建設部長)

送迎バスで関空へ到着


関空は寒かった。

ベトナム航空チェックインカウンターでチェックインを済ませ、
出国へ。


午前9時、関空出国カウンターへ。


私は関空から特急「はるか」で新大阪へ。
朝食を摂る時間がなかったので、「はるか」車中で
おにぎりを2つ食べる。

午前10時過ぎに新大阪へ。

喫茶店で暫時休憩。

午前11時、大阪の出版社のA社長さん・「京滋YOUの会」のBさん
と新大阪付近のティールームで懇談。


午後2時すぎまで話し合う。

その後、新幹線で東京まで帰る。

自宅着午後8時。

1週間にわたるフエ市人民員会代表団の案内を終わる。
ほっとする。

投稿者 koyama : 21:07 | コメント (0)

2011年02月15日

小嶋善吉静岡市長への「フエ名誉市民賞」贈呈

投稿者 koyama : 22:36 | コメント (0)

京都市役所訪問

寒い

午前8時ホテルで朝食。

午前9時半、ホテルへ税田さんと会い、離日の挨拶をする。

午前9時半、車で京都市役所へ。


京都市役所で「世界歴史都市連盟」高木事務局長を始め
関係者の皆さんと懇談・協議。


2011年にフエで「世界歴史都市連盟理事国会議』開催。
2012年には、「世界歴史都市連盟総会」をウへ出開催する。
今回は、フエ市共産党委員長のユン氏、外務部長のニエン氏、
など要人が京都市で関係者と理事国会議・総会の
持ち方、準備のプロセスなどを協議した。




京都市側は、懇切丁寧にフエ市人民員会代表団に対し、
理事国会議・総会の持ち方、準備要綱、書会議の要点などを
掻い摘んで説明してくれる。



昼まで緒打ち合わせが続く



「京滋YOUの会」の豊田さんの紹介で山本恵京都市議会議員と
お会いする。



昼食は京都の料理


フエ市人民員会代表団の皆さんの口に合う


昼食後、京都市長と面会・懇談。

和服の似合う市長さんだった。




中学・高校時代には、「ベ平連」のデモなどにも参加し
ベトナム反戦運動をしたとのこと。
ベトナム側では、当時、地下にもぐったり、山に入ってアメリカ軍
と闘っていた。


その後、京都市の案内で「二条城」を参観視察。





京都伝統産業の「ふれあい館」を視察



ふれあい館の写真撮影は禁止


夕方の京都発の「はるか」で関空へ。


京都市役所の担当者が最後まで面倒を見てくれる。


京都市役所の皆さんに心から感謝したい。


関空付近のビジネスホテルに投宿。

夕食は焼肉食べ放題。



私は生ビールを1杯、焼酎のお湯割り小をのむが、体中に
赤い発疹が出る。アルコールになじまない体に
なっているようだ。

午後10時前にビジネスホテルへ戻る。

明朝は早い。

投稿者 koyama : 21:44 | コメント (0)

2011年02月14日

静岡市長懇談:京都「京滋YOUの会」との懇親会

静岡市は快晴

午前10時過ぎ、笠井先生がホテルへ迎えに来てくれる。
笠井先生の案内で静岡市役所へ。

静岡市役所国際課では、「子どもの家」のホンニーさん・
ベトナム事務所のアンさんが研修を受けていた。



静岡市国際課長の平岩氏と懇談。平岩氏には色々と
お世話様になった。感謝。


午前11時半。小嶋善吉静岡市長と懇談。

JASS静岡の会牧田代表、笠井事務局長


小嶋市長とユン・フエ市共産党委員長、バオミンさん


小嶋善吉静岡市長の挨拶


ユン・フエ市共産党委員長の挨拶


ユン・共産党委員長より小嶋市長へ「フエ市名誉市民」賞を
贈呈。

静岡市国際課の招待で昼食会



午後静岡駅を出て新幹線で京都へ。静岡駅で静岡市国際課
の山本さん、JASS静岡の会・牧田代表、笠井事務局長の見送りを
受けて京都へ。


バオミンさんもさすがに疲労が出る。
新幹線では一休み。


京都市内のホテルへチェックイン。


午後6時、税田さん、「京滋YOUの会」の藤井さんが
ホテルへ迎えに来てくれる。

二人の案内で「先斗町(ぽんとちょう」の町屋へ。


ユン委員長の挨拶


「京滋YOUの会」との交流会の乾杯


久しぶりに三津川君に会う


ベトナム事務所で仕事をしていた仁枝さん(「京滋YOUの会」代表)

午後9時半頃、閉会。


投稿者 koyama : 21:06 | コメント (0)

2011年02月13日

静岡の会「現地報告会」:交流会

午前7時自宅を出て上野のホテルへ。

バオミンさん・フエ市人民員会代表団一行と上野駅経由東京へ。
東京駅から新幹線こだま自由席で静岡へ。



富士市あたりで富士山が見える。



午前11時、静岡着。静岡の会の笠井事務局長が出迎えに。



静岡駅前のホテルへ行き荷物を預ける。

午前11時過ぎ、笠井さんの案内で静岡市内散策。
私は静岡に何度も来ているので静岡駅内にある
お茶の専門喫茶店でメールの受信・送信をする。



美味しい静岡茶を飲む


午後12時半。静岡駅にある「日本そば・うどん店」で昼食。



地元名物の桜エビうどんを食べる



静大工学部大学院生のTU君。静岡市から招請され
日本語研修をしているアンさんとホンニーさん。

午後1時半。市内の会館でベトナム現地報告会



静岡の会代表の牧田先生の開会挨拶



フエ出身の支持台大学院生TU君とベトナム事務所のアンさん
「子どもの家」のホンイーさんも参加


フエ市共産党委員長ユン氏の挨拶


バオミンさんの「子どもの家」の現状報告



続いて私が17年半のボランティア活動について話す


アオザイを来て会を盛り立ててくれる司会者



静岡の会笠井事務局長から静大留学生への
奨学金基金の呼びかけ



参加者全員での記念撮影



午後6時半よりJASS静岡の会主催の晩さん会

ユン委員長の挨拶



乾杯









牧田代表からお土産贈呈



午後8時過ぎ、閉会

投稿者 koyama : 21:06 | コメント (0)

2011年02月12日

JASS現地報告会

気温が低い。雪が少しぱらつく。


午前8時半自宅を出て上野のホテルへ。

バオミンさんやフエ市人民員会代表団(4人)一行と
上野広小路にあるラーメン屋で昼食。

その足で池袋へ。

今日は、池袋の「豊島区民センター」で『現地報告会』がある。

午後12時半に会場入り。

ユンフエ市共産党委員長とある企業の社長さんが懇談。
フエの投資事情などを話し合う。


現地報告会には、次男の子ども2人がやってきた。
久しぶりに孫に会う。随分大きくなっていた。


地球の歩き方スタディーツアーでフエに来た若者が
今日、報告会の司会をしてくれる。なかなか勇気のある
積極的な若者である。

毎回、受付をしてくれる原田虎太郎君。


北海道の倶知安からわざわざ来てくれた菊先生。
札幌や石狩で絵画展を行っている。今年も札幌や恵庭などでの
絵画展を計画している。


昨年、フエに来た「ケイ君」。
見事、志望していた東京の薬科大学に入学したとのこと。
おめでとう。



現地報告会に参加したフエ市人民員会代表団。
ユン・フエ市共産党委員長(フエ市議会議長)
ニエン外務部長
コン・建築部長
バオミン・JASSベトナム運営委員長



現地報告会参加者の皆さん(60人強の方々が参加)
寒い中のでの参加に心から感謝したい。



始めにJASS日本代表委員会委員長の稲垣もえ子さんの挨拶



JASS代表委員会副委員長の山西司郎さんがフエ市人民員会
代表団の一人ひとりを紹介する。



ユンフエ市共産党委員長の挨拶


続いて私がJASSを代表してフエでの17年半の活動を
大きな意味を話す。


報告を聞く参加者


税田さんから一言挨拶


今日のメイン報告をバオミン・ベトナム運営委員長が行う。


・2010年活動の総括
・2011年活動の方針
・2010年会計報告
・2011年予算

昨年までフエのベトナム事務所で活動をしていた石上先生の
フエでの体験談。



各地の会の報告。


●東京の会



●東京の会と栃木の会で活動をしている坂本さんの報告
 昨年の7月に結婚したソン君・メンさんの結婚式の
 報告もあり。


●北海道の倶知安で活動している菊先生の活動報告



●火炎樹の会(茨城の会)



火炎樹の会を通して、茨城のNGOである「WING」を代表して
野上明子さんよりバザーなどでの収益をバオミンさんが寄金として頂く。
WINGの野上さんを始め皆様に感謝。
アフリカのケニヤの大変な状況も教えて頂く。
世界中のこどもたちが幸せになることを祈ってる。


WINGの寄金を再度私がJASSを代表として頂く。

●栃木の会代表の佐藤先生
ベトナムからの難民の青年の苦労と疲労してくれた。

●「京滋YOUの会」
 藤井さんの報告

●青少年教育の会


現地報告会も終了に近づく。

2011年度のJASS日本代表委員会新メンバーの紹介・確認

午後4時半過ぎ、現地報告会は終了する。

その後、池袋東口で「反省会」行う。


ベトナム側を代表してユン共産党委員長が挨拶。



参加者全員で日本の「鍋物」を体験・堪能する。




午後7時過ぎに閉会。


今日は報告会の途中でデジカメの電池がなくなってしまい
参加者や報告者全員の写真が取れなかったことを
お詫びしたい。


投稿者 koyama : 20:52 | コメント (0)

「子どもの家」ホンニーさん・ベトナム事務所アンさん新聞に掲載

2月10日に静岡市の招請で訪日した
「子どもの家」のホンニーさんとベトナム事務所のアンさんが
小嶋静岡市長と懇談。その様子が静岡新聞に掲載。



投稿者 koyama : 08:41 | コメント (0)

2011年02月11日

東京視察(浅草・秋葉原・アメ横)

午前5時起床。昨日の火炎樹日記を書く。

午前8時に自宅を出て上野のホテルへ。

東京は雪。とにかく寒い。

バオミンさんやフエ市人民員会代表団の皆さん4人と一緒に
金龍山浅草寺を視察。

地下鉄銀座線で上野から浅草まで。

地下鉄駅構内で。


浅草寺山門前で。雪





一番大事な所へ線香の煙で祈祷



お賽銭とおみくじで開運を祈る。

凶が出た人が2人。

その後浅草6区を視察。


地下鉄で秋葉原へ。

あまりにも中国人のお客さんが多いのに驚く。
どの店でも中国語が飛び交う。


上野駅前のうどん屋で昼食。


夕方も雪。

フエ市人民員会代表団の皆さんが庶民の行く大衆食堂に行きたいとの
希望あり。
アメ横の大衆食堂へ。前のテーブルで飲んでいた日本人と意気投合。

午後9時過ぎ、自宅へ帰る。あまりにも寒い。

10数通のメールあり。

投稿者 koyama : 06:26 | コメント (0)

2011年02月10日

バオミンさん:フエ市人民員会代表団:アンさん・ニーさん訪日

終日寒い。

午前6時45分、バオミンさん・フエ市人民員会代表団・「子どもの家」
のホンニーさん・ベトナム事務所アンさんが成田空港へ到着。

スカイライナイーの始発が6時35分なので前泊。

7時20分、みなさんが成田空港到着口から出てくる。

ベトナム事務所のアンさん・「子どもの家」のホンニーさんは、
静岡市の招請で1週間ほどの日本語研修を行う。

バオミンさん以外のフエ市人民員会代表団は
団長のユンフエ市共産党委員長・ニエン外務部長・コン建築
部長。

アンサン・ホンニーさんは、静岡市約国際課の山本さんの
案内で静岡へ。静岡市長や国際課・山本さんに感謝。


バオミンさん・フエ市人民員会代表団は、スカイライナーで
宿舎の上野のホテルへ。

静岡市・京都などへのお土産などもありかなりの大荷物。
上野駅からホテルへ。


ホテルのチェックインが午後3時なのでそれまで秋葉原の
電気街を視察。


昼食は万世橋のある「肉の万世」の「パーコーラーメン」。



秋葉原電気街から徒歩で上野駅付近のホテルまで。

チェクインをし、午後5時までホテルで休む。

私は根津の姉の家へ行き挨拶。、数時間、姉の家族と
久しぶりの懇談。


午後5時半。上野の焼肉屋で内田さんと交流。
今回、フエ市長より内田さんへ「フエ市名誉市民」賞を贈呈。
ユン共産党委員長より贈呈式。



その後、2時間程内田さん、私、フエ市人民員会の皆さんと交流・
懇談。

午後9時過ぎ、自宅へ帰る。

投稿者 koyama : 07:37 | コメント (0)

2011年02月08日

自宅

雪が降るような寒さ。

バオミンさんとメール連絡。岡山大スタディーツアーの件。

明日お会いするある起業家の方に渡すJASS関連の資料を準備。

新しく買ったデジカメの使用書を詳しく読む。
2月10日からバオミンさんやフエ市人民員会一行が来日する。
それまでに新デジカメの使い方を覚えておく必要あり。

バオミンさんやフエ市人民員会一行の宿泊するホテルの
リコンファーム。

衆議院予算委員会の質疑応答を見る。

財政と福祉がテーマ。

読書「戦後落語史」(吉川潮著:新潮社)


どうしてもの外出の際は駅近くの本屋に必ず寄る。
現在、ベトナムで読む本18冊を何度かに分けて買う。


2月10日現地報告会参加希望の方より参加したいとの電話。

江平さんの奥さんから電話。旦那さんが90歳でお亡くなりに
なったとのこと。お悔やみを申し上げる。
江平さんは、昭和20年(1935年)クアンビン省に陸軍兵士と
していた。当時、ベトナムは日本の占領下にあった。
江平さんはクアンビン省にある『駅』の警備を命じられ
駅の守備をしていた。突然、アメリカの飛行機が飛来し、
機銃掃射。江平さんの腿(もも)を貫通。
地元ベトナムの赤十字病院に運ばれ、片足を切断。
そのお陰で一命を取り留めた。
その後、日本へ帰国。杉並区の傷痍軍人会の会長・
杉並区の障害者の会の会長を務め、障害者の
生活と権利を守る運動を進めていた。

10年数年前、何としても1945年米軍の機銃掃射で片足を
切断してくれたベトナム赤十字の医師にお礼を言いたいとの
強い思いを持っていたが、ベトナムへ行く方途がなかった。

丁度その時、内田さんがテレビで私の活動を知り、
ベトナム行きを決意。内田さんのベトナム行きは、
内田さんの生まれたサイゴンの生まれた場所を知りたい
との思いで、鷺の宮駅前の本屋へベトナムのガイドブックを
買いに行った。

江平さんは、その本屋のご主人であった。
ベトナムのガイドブックを買いに来た内田さんに
「どうしてベトナムのガイドブックをかうのですか?」との
質問から、ベトナムに私が住み、ストリートチルドレン支援
活動を知り、私を通して、1945年当時の」クアンビン省の
赤十字の医師を探して欲しいとの依頼を受けた。
私がフエ師範大学で日本語を教えた生徒の父親が
クアンビン省の共産党の幹部だった。急いでその卒業生に
連絡し、1945年当時、赤十字病院で江平さんの片足を
切断し、命を守った医師を探してもらう。
医師は亡くなっていたが、奥さんとその時の看護師が生存
していることが分かり、江平さんは、戦友会の方と
松葉つえをつきながらベトナムのクアンビン省へ行き
手術をした医師の奥さんと看護師さんに数十年前の
お礼を述べた。江平さんは、私を通して、足の手術を
すれば歩けるようになる障害児の手術費用として
数十万円の寄付を預けて帰国。
フエ中央病院・フエ医科大学と相談し、足の悪い
障害児を紹介してもらい手術を行う。手術は成功し
3人は歩けるようになる。
その後もクアンビン省を訪問し、お礼を言う旅を
行っている。
先日、90歳でお亡くなりになられた江平慶司さんの
ご冥福をお祈りする。

読書「戦後落語史」(吉川潮著:新潮社)読了。

戦後東京の落語史。落語協会と落語芸術協会の対立。
三遊亭円生一門の分裂脱脱退。談志一門の脱退。
何人かの人とは付き合っていた。
著者は私と同い年。かなりはっきりと物事を書いている。

三平の長男こぶ平が正蔵を、次男が三平を継いだが、
噺が「下手」とはっきりと書いている。私が子どもの頃から
現在までの落語家・色ものの芸人さんがでている。
全ての人をリアルタイムで知っている芸人さんなので
懐かしい。ラジオやテレビでバカバカしいことを言っている
裏で、芸人さんも人間。ドロドロとた人間の欲望と確執
があったのだ。

投稿者 koyama : 15:45 | コメント (0)

2011年02月07日

自宅

終日自宅。

少し寒さが和らぐ。

食欲なし。杉花粉症の症状が出て、目が痛い。鼻水が出る。

体がだるく外出を控える。

午前中、支援者より電話。

バオミンさん・ハンさんとメールでいくつかの打ち合わせ。

フエ市人民員会代表団訪日(2月10日午前6時40分成田着)
の日本滞在日程を改めて検討する。


読書「セカンドバージン」(大石静)読了。
期待外れ。リアリティーにかける。

午後、近くの駅付近のいくつかの施設に行き、ベトナム事務所
へ持ち帰るものを準備する。

数時間おきていると体がだるい。

テレビは、大相撲の八百長問題と名古屋・愛知県の選挙結果
ばかりを報道している。

大相撲の八百長は昔からやっていると誰でも思っていた。
石原都知事が「大相撲なんてそんなものだよ。それを知った上で
楽しんでいたんじゃないの・・・・」と言っているが、私の嫌いな
石原都知事ではあるが、私も石原都知事と同意見である。

どのテレビ局も「大相撲の八百長は重大問題」と
急に正義の味方のような論調になっているが、全てのマスコミの
スポーツ記者・相撲担当記者は、大相撲が八百長で成り立って
いたことを知っていた上で、今までの相撲放送をしてきたはず。
知っていながら「知らないそぶり」をし、今になって急に正義の
味方のようなマスコミやコメンテーターの偽善性を糾弾したい。

相撲が国技などと言われるようになったのは、明治以後。
相撲は興行であり、プロレスと同じもの。
地元のやくざともつながっていた。

国技などと言っても幕内力士の3分の1が外国人。
最近の横綱はほとんど外国人。国技などと言わず、
興行・娯楽に徹しなければ成り立たない時代になってきた。
純然たる相撲スポーツ。

故意の無気力相撲などという変な日本語を使わざるを得ない
相撲協会自体が既に病んいる。

この際、プロレスと同じ興行と位置付けたほうが長持ちする
のではないだろうか?

ーー
愛知知事・名古屋市長選挙。
河村当選市長は「日本の民主主義の勝利」と言っているが
私にはそう思えない。

国政は司法・立法・行政と「三権分立」でチェックする機能を
持っている。

地方自治が市長が気に行った議員だけの市議会を構成してしまうのは
議会進行・決定の速さなどでは「効率的」であるが、結局は
市長の独裁をチェックできない「反民主主義」である。
「二元代表制」は市長と議会の意見が違えば決定も時間が
かかる。そもそも民主主義は「意見の違う所」から出発するものだ。
意見が違うもの同士が時間をかけ、論議をし、結論を出す。
その過程を省略し、即決を求めるのは、戦前の「政友会」「民政党」
の政党政治の腐敗堕落の虚を突いて、軍部の即断即決・強い
リーダシップ論で5・15、2・26事件を引き起こした戦前と似ている。
テレビなどマスコミで顔を売った人間が、「市民税削減・議員歳費半減」
という「耳に甘い」言葉を使う手法も戦前の軍部クーデターと同じ
理論である。

私は愛知知事選・名古屋市長選挙の結果に「ファシズム」の萌芽を
感じている。危ない政治。政治は時間がかかり、もたもたしながら
進んでいくものだ。即断即決、問答無用の多数派形成路線は
危険な路線でもある。


今日で18日間、飲酒が出来ない、というのか飲みたくない。
何が原因で嗜好が変わってしまったのか?
自分でも分からない。
この40年近く、ほとんど毎日飲んでいた。
18日間も飲酒をしないなど初体験。

日本へ帰国し、5回ほ度支援者打ち合わせや懇談会などで
軽くビールを飲んだが、「美味しく」なかった。

いつ、ビールがおいしくなるのか? 不安でならない。

ジンマシンがでて体が痒い。

投稿者 koyama : 16:00 | コメント (0)

2011年02月06日

現地報告会・静岡の会報告の準備

終日自宅

午前中、メール受信。
いくつかの考え事。

午後、静岡の会で上映するビデオの編集。

今まで撮影しておいた「子どもの家」やこどもたち、
職業訓練センターなどのビデオを全て見て、必要な部分を
取り出し編集。


読書『セカンドバージン』(大石静)

フエ帰国のための荷物整理。

昨日購入した新しいデジカメの使用法のパンフレットを
熟読する。

少しずつ体調回復の兆しあり。


投稿者 koyama : 15:47 | コメント (0)

2011年02月05日

池袋へ

多少、寒さが緩む。

午前11時、池袋へ。ブログ用のデジカメが壊れてしまう。
新しいデジカメを買いに行く。

操作がシンプルなこと、壊れにくいこと(常にズボンのポケット
に入れられる)、廉価なことなどを条件にフジフィルムの
一番壊れにくいデジカメ(14000円)を買う。

日本へ帰国し久しぶりに外出。たくさんの人出に「酔う」。

午後家へ帰り、一休み。

2月18日までの全ての日程を見て毎日の行動のシュミレーション
を行う。駅のどの改札を使うか? 朝から夜までフエ市人民員会
代表団の皆さんの日程・行動の確認。

2月10日の朝、6時40分、成田空港への出迎えの手順。
10日の1日の行動日程野計画。
11日の日程。(私とミンさんが途中支援者との懇談あり。
その場合の対応)

読書「読むだけですっきりわかる世界史 近代編」読了。

ヨーロッパ諸国が近代主権国家になるまでに何度もの戦争
侵略を繰り返している。宗教問題・資本主義の萌芽がはじまり
戦争と侵略の歴史。

現在の宗教・民族問題の根は既に近代ヨーロッパ社会に
あったことが分かる。

読書『セカンドバージン』(大石静著:幻冬舎)
NHK朝のドラマ「ふたっり子」のシナリライター。
「男は顔」も読んだが面白かった。
この3週間、ほとんど外に出ず家で寝ていた。
体調が変わってしまった。
少し体調が戻ってきたようだ。

投稿者 koyama : 18:37 | コメント (0)

2011年02月04日

年賀状の返事

多少、寒さが緩んだが寒い。

フエでは20度を割ると寒い。湯たんぽをいれる。
昼間は13度。体が20度以下では寒くて固まってしまう。

10通のメール。午前中返事。
 

私がフエにいる間に年賀状が来ていた。
10数通の年賀状を書く。

大阪の出版社に資料を送る。
 

  

原田虎太郎君から電話。
青少年教育の会・加藤さんから電話。

今日で15日間、飲酒できず。残念。

投稿者 koyama : 14:38 | コメント (0)

2011年02月03日

ベトナムの新年おめでとうございます

寒い

今日はベトナムのテト正月。


午前中は10数通の受信メールを読む。
必要なメールへ返信。


体中が痒く睡眠不足。

読書「読むだけですっきり分かる世界史 近代編」(宝島社)


今日も飲酒できず。

投稿者 koyama : 15:15 | コメント (0)

2011年02月02日

ある起業家と懇談

快晴

午前中、衆議院予算委員会をテレビで見る。

今日から野党の質疑。

公明党の高木氏。自民党よりまし。かなり具体的な
質疑あり。質疑の前に「自公政権」で『100年安心」
の年金を作ったその末路について、自己批判してから
質問をすべき。

今日午前中の質疑では、共産党の志位氏の質疑が
光った。

初めにJAL問題。50歳以上のパイロットを全員解雇した
点を具体的に追及。全日空やアメリカの例を引いて
JALの再建の「弱いものいじめ」と危険な体質に
ついて厳しく追及していた。


午前11時自宅を出て、都営三田線・東西線で
西葛西へ。某会計」事務所へ。97人の社員がいる大きな
会計事務所である。JASSを10年以上前からも支援して
くれている。


会計事務所長と。http://www.kodato.com/


会計事務所長の紹介である企業の会長・社長・専務と
お会いする。4時間近くベトナム社会について説明する。



会長・社長さんの会社はゴムの会社。
会社で作った「肩たたき」を戴く。家で使う。なかなか調子が良い。

午後6時帰宅。

支援者から電話。

体中がかゆく夜眠れない。

投稿者 koyama : 09:57 | コメント (0)

2011年02月01日

自宅で休養

寒い、寒い。体が動かない。

午前17通のメール受信。午前中はメールの返信。

2月10日からフエ市人民員会代表団一行が来訪する。
その準備をする。

午前9時から午後5時まで「衆議院予算委員会」を見る。

自民党の質問。与野党逆転し、与党の回答は常に
原稿を読むかピントはずれ。

野党の自民党も根はほとんど民主と変わらないので
質問に鋭さがない。昔だったら「審議停止」になるような
「馬鹿にした回答」でも次に進んでしまっている。

一番おかしいのが議長の中井氏。愛人を議員宿舎に
泊まらせた疑惑の持ち主。議長が時々議事を混乱させて
いた。

今の混迷の日本社会を作った主犯である
自民党と最近とみにその「路線」を踏襲している民主与党
の「目くそ鼻くそを笑う」質疑応答劇。

菅首相の「第3の開国」という言葉が躍っているが、
一体何を開国するのか? 
TPP加入を第3の開国というのなら、既に日本農業は
エネルギー換算で食糧自給率は50%を割っている。
食糧輸入開国である。

体中が痒い。頭痛。

投稿者 koyama : 19:42 | コメント (0)