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2011年01月31日

家で休む

寒い。午前中気温3度。午後7度。

体にジンマシンが出る。痒い。

メール10数通受信。返信に半日かかる。

ピースインツアーと打ち合わせ。

午後2時、衆議院予算委員会をテレビで見る。

今日は民主党の質問なので「仲間内のなあなあ」質問。
大臣に宣伝発言をさせるための「呼び水」のような質問に
辟易する。

日本新党の下地氏が多少ましな質問をした位だ。
同じ民主党であっても国民の代弁者である。
地元の主権者の思っている疑問や質問をこそ
代議士として質問すべきである。
与党と内閣の慣れあい質問の予算委員会だった。

明日から野党の質問。自民党は野党慣れしていないの
で質問が下手だ。共産党にでも質問の仕方・与党攻撃法を
学び、与党を具体的な事実と説得力をもって与党への質問を
してもらいたいものだ。

日本へ帰って18日間。その間5日間アルコールを若干飲んだが
13日間、飲酒が出来ないである。残念。飲む気力なし。
美味しくない。体の変調。

投稿者 koyama : 19:05 | コメント (0)

2011年01月30日

青少年教育の会の皆さんと打ち合わせ

連日晴れ


寒い。部屋にいても寒くて仕方がない。

メール10数通受信。返信。

読書

午後6時~午後8時過ぎまで青少年教育の会の
森田さんたちと今年のスタディーツアーについて
詳しく打ち合わせ。

今年で10回目という記念になるスタディーツアー。

生ビール1杯半ほど飲んだがおいしくなかった。まだ体が
アルコールを求めていない。

帰国してかなり体調が変化している。時間をかけて元に
戻すしかない。

投稿者 koyama : 10:55 | コメント (0)

2011年01月29日

関係者とメールで連絡

東京に戻り15日目。とにかく寒い。今日の東京の気温は3度。

フエでは20度で寒いのだ。3度などと言う気温に体がついて
いけない。

今日はジンマシンは再発した。体中が1日痒く、何もできない。


15通のメール受信。バオミンさんなどとメールで打ち合わせ。
ブライセンの件、フエ高等師範大の件・・・・・・。


投稿者 koyama : 19:04 | コメント (0)

2011年01月28日

歯科検診:支援者との懇談

気温3度。とにかく寒い。

午前10時、ベトナム事務所のバオミンさん・原田先生と
連絡。原田先生が今日日本へ一時帰国するので「気をつけて
帰国する様に」との挨拶。
バオミンさんとは3月、静大ニフィー入試日時の確定の連絡。

午前11時半、近所の歯科へ。
午後12時から午後1時までの1時間治療。

全ての歯を1本1本チェックし、「虫歯の走り」を削る。
麻酔をかけないので多少痛かった。
その後、全ての歯の表裏の汚れを研磨する。
最後に全ての歯の総合研磨。これで1時間かかる。

今後、6ヵ月に1回程度の検診を行えば、70歳に
なってもせんべい、するめが食べられるようになるとのこと。


午後4時時点で20通のメール受信。必要なメール返信。

午後4時半、自宅を出て池袋へ。支援者と交流。
スタディーツアーなどの打ち合わせ。
午後10時半閉会。自宅着午後11時半。

投稿者 koyama : 14:14 | コメント (0)

2011年01月27日

きょうからベトナム事務所は「テト正月休暇」開始

ベトナム事務所は1月27日から2月9日までの2週間
テト休暇・事務所閉鎖に入った。2月3日がテト正月。

10数通のメール受信。必要な返信。

静岡市役所などと連絡。

終日、横にななってる。

静岡大学ニフィー入学希望者の願書(6人分)を全てチェック。

テレビで菅首相の施政方針演説への質疑を見る。

菅首相は精彩を欠いている。官僚が書いた文書を読むだけ。

みんなの党の渡辺氏の質問に対しては、質問項目が自分の

手に届いたのが30分ほど前だったので「十分答えれれない」


と答弁。裏を返せば、事前の質問に官僚が模範答弁を準備し

菅首相がそれを読むという図式を明らかにしてしまった。

仮にも首相である。質問されたらその場で回答しなければ

政治家・首相としての能力がないことを自己告白してしまう

ことになる。政策論争以前の問題をもった与党である。

杉花粉症で目が痛く痒い。鼻水と体もだるくなる。

投稿者 koyama : 10:07 | コメント (0)

2011年01月26日

新宿心臓病院ーフェリシモ・マルタカ打ち合わせ

午前中、10数通のメール受信・送信。

午後2時、自宅を出て新宿心臓病院へ。
先日通院し投薬を受けた。薬をもらう時に中身をチェックしなかった。
いつもの薬だと思っていたから。

所が家へ帰って薬を見たら、半分の薬が入っていない。
電話で病院へ問い合わせる。病院薬局で調べる。
医師の処方箋の薬の半分を見落としたとのこと。
直ぐに病院へ来てほしい。見落とした薬を渡したいとのこと。
寒い中、新宿まで。

見落とした薬をもらう。人間のすることである。こうした
間違いはあってはならないことではあるが、致し方がない。

地下鉄大江戸線で都庁前を出て、蔵前まで。

フェリシモ・マルタカの製品について、マルタカの会長・社長と
懇談。

大江戸線蔵前で降りる。厩橋を渡るとマルタカ本社のある本所
にでる。厩橋から「スカイツリー」が目の前に見える。徒歩15分
ほどの所にスカイツリーがある。

厩橋から見た隅田川。


厩橋越しに見えるスカイツリー。


今後のフェリシモの刺繍などの製品、マルタカの仕事などについて
打ち合わせ。

午後10時半過ぎ終了。

自宅着 午前0時を過ぎていたい。

投稿者 koyama : 11:47 | コメント (0)

2011年01月25日

高校クラス会

晴れ

午前中、横になっている。腹痛・吐き気。

午後4時、自宅を出て池袋へ。

ビックカメラへ。

ベトナムにあるビデオカメラがあまり湿度が高いので
かびてしまい壊れる。修理を依頼。取りに行く。
14000円もかかる。この4年ほど使っていなかった。

午後5時半、池袋東口の「いつもの会場」で高校クラス会。
10数人参加。3分の1位の同級生が結集。
高校を卒業し45年後に3分の1位の同級生がこのように
集えることに感謝している。皆さん健康にそれぞれの人生を
歩んでいる。



私の両側のY君とS君はラオスで「ラム酒」工場を経営。
美味しいラム酒を作っている。






横浜・筑波から来た同級生のG君とY君



昔はかなり「軟派」だったとのもっぱらの噂のあるラオス・Y君


このクラスは3年間クラス替えがなかった。高校1年から3年まで
同じくクラス。仲の良いクラスだった。


私はこの4日間お酒を飲んでいない。飲みたくない。今日も
ビールをグラス一杯飲んだがおいしくない。
ラオス・ラム酒を多少飲んみ、閉会。

私は二次会に出ずに帰宅。午後10時過ぎ。

投稿者 koyama : 10:57 | コメント (0)

2011年01月24日

終日休息

体が動かない。

終日、横になっている。


午後2時から第177回通常国会を寝がらラジオで聞く。

菅首相の施政方針演説。

①平成の開国をする
 (これは、結局、TPPに加入するという宣言と見た)

②最小不幸社会の実現
  この言葉自体がいやらしい。不幸な社会を認めたうえで
  最小の不幸社会にすると言っている。
    政治の場合、不幸の第1は、現実の生活の不安。
   将来への不安である。幸福な社会を作るというべき。

③不条理をただす政治
  菅政権自体が不条理な政治を行っている。
   消費税は貧しい人には重く、お金持ちには甘い税制。
  累進課税の強化。鳩山兄弟のように毎月母親から
  1500万円もの大金のお小遣いをもらえるような社会
   こそ、変えるべきである。
    お金もちは更に金持ちになり、貧しい人は這い上がれない
  不条理な社会を一層推し進めようとする菅政治と見た。
   
   菅首相の施政方針演説を聞くと、年金・医療など
   社会保障の将来の危機感あおり、落ち着く先は、
    貧しい人いじめ、金持ち優遇の「消費税」の利率を
    あげるところに在ることが見えた。
   自民党政治と変わるところなし。
    施政方針演説に「精気」なし。

   前原外相の外交演説、野田財務省の財政は論外。

   与謝野経済財務大臣の経済演説。
     内容はともかく、病気のせいなのだろう、声が出にくい。
    野党自民党などのヤジの方が大きな声で聞こえる。
    マイクを通しても与謝野大臣の声が良く聞こえなかった。
    内容はともかく、こうしたヤジは卑怯である。
     病気で声が出にくい人が一生懸命話をしているのに
    マイクよりも大きな声のヤジで演説が聞こえない所が
    多々あった。この種の人間が、「道徳教育」などと声高に
    叫ぶのだ。

京都市役所とメールで連絡。

その他、メール受信・送信

4日間、お酒を飲んでいない。飲む気力と意欲なし。

投稿者 koyama : 18:32 | コメント (0)

2011年01月23日

終日休息

1日寝ていた。寒い。

読書

投稿者 koyama : 10:52 | コメント (0)

2011年01月22日

終日寝ている

1日寝ていた。寒い。

バオミンさんからメール。返信。
フエ市人民員会などの新年会の招待状が来ているとのこと。

昨夜から下痢と吐き気。

今日は寒さもあり、1日寝ていた。体がだるい。

大学同級生のDさんが、お灸を送って来てくれた。
感謝。体を温かくするようにとのこと。

通販フェリシモの「500色」色鉛筆募集に応募した。
昨日、返事が来て「当選」したとのこと。

「子どもの家」、「トゥオンロー小学校」(ナムドン山岳少数民族)
「フールー小学校」(船上生活者の子弟の多い小学校)
の3つを申請したが、3か所に500色の色鉛筆がもらえるとのこと。
ありがたいことである。
私も神戸にあるフェリシモ本社にあった「500色」の色鉛筆を
みたが、500色という微妙な色の違いに驚いた。
ベトナムのこどもたちに「500色」という色の微妙な違いを
見てもらいたいと思い、申請書を書き応募した。
2月、フエに帰った頃には、ベトナム事務所に500色の
色鉛筆が届いたいるものと思う。500色を使ってこどもたち
はどんな絵を描くのか? 楽しみである。

テレビ東京で鹿児島県阿久根前市長が出た番組を見た。
前市長は、市民のためになるのなら、民主主義の手続き
は問題ではないという趣旨の発言をしていた。

大阪の橋下知事、名古屋市長などが、議会と市長との
意見対立を「時間をかけて折り合いをつけて」解決する
という手法を取らず、自分に同調する議会を作る方向に
行っている。

今の日本は「新しいファシズム」の入口に入っているような
気がしてならない。

阿久根前市長や橋下知事・名古屋市長などの主張は
議会が邪魔をして「市民のための政策が実現できない」
ので、議会も自分と同じ意見の人間で占めるようにし、
政策を実現する、あくまで「市民のため」との主張を
している。

日独伊防共協定を結んだイタリア「ムッソリーニ」は
社会主義者だった。国民のための政策実現のためには
独裁的な強権も必要として、ファシズムへ傾斜し、
国民も歓迎した。

ドイツ・ヒトラーの「ナチ党」も前身の党は「ドイツ労働者党」である。
正式党名の和訳は「National」の解釈の違いにより
「国家社会主義ドイツ労働党[2]」、「国民社会主義ドイツ労働者党[3]」、
「民族社会主義ドイツ労働者党」と言われている。

いずれにしろ、「社会主義」「労働者党」などと言っていたことは
頭に入れておく必要があるように思う。
ドイツもイタリアも「労働者のため」と称してファシズムに
突入している。


阿久根前市長も大阪府知事・名古屋市長も「市民の要求実現」
などという「甘いスローガン」を掲げてはいるが、結局、
知事・市長・議会を「翼賛体制」にし、知事・市長が「市民のため」と
やりたい放題の議会運営・政治が出来るという意味で、
ヒトラー・ムッソリーニと共通する手法と言える。

ドイツの経済を握っていた「ユダヤ人」排斥という
ドイツ人の心の奥底に眠っている不満・うっ屈をうまく
利用し、結局、ファシズム・独裁的手法にたどり着いて
しまった。国民も積極的に参加・容認していった。

これは、2・26事件以後の日本も同じである。
政党政治の腐敗・汚職・堕落、経済の停滞という
現実をうまく取り上げ、結局、政党政治を否定し
軍事クーデターで軍部独裁体制を確立していく。

今の政治も「民主党」の無能ぶりに国民は裏切られ
たと言う気持ちと経済の長期間停滞がかさなり、
将来展望が見えない中で「プチ・ファシズム」への
国民の傾斜傾向が気になる。

民主主義は、「時間がかかる」ということを肝に
銘ずる必要あり。すぐに何か実行する、、手続き
よりも結果だという主張は、かなり危険を含んで
いるように思える。

日本全体が政治と経済・生活に「イライラ」している。
そんな時こそ、新し現代のファシズムへマスコミの
誘導で突き進んでいく可能性がる。
時間がかかり、手続きを踏んで、対話と討論をしながら
「折り合い」をつけながら、物事を進めていくような
風潮がしっかりと根をはることが必要かと思っている。

読書「読むだけですっきり分かる世界史 近代編」
(後藤武士長:宝島社)


9通のメール受信。6通送信。

2月12日(土)午後1時半から行われる「現地報告会」
(池袋東口「豊島区民センター」で報告する
「2010年活動報告・2010年会計報告・2011年活動計画・
2011年予算」の4つの文章を精査し、JASS日本代表委員会
委員長・副委員長、各地の関係者に送信。
委員長・副委員長に当日の印刷配布を依頼する。

投稿者 koyama : 12:53 | コメント (0)

2011年01月21日

歯科通院

晴れ・時々曇り

帰国してから丁度1週間。
体がだるくてほとんど毎日寝ている。

午後12時過ぎ。かかりつけの歯科医院へ。
毎年1回か2回は歯科医院に行っている。
歯垢除去。総合的な歯の検診のため。

昨年は日本帰国期間を最低限の日数に
したので、1回も歯科医院へいけなかった。
歯の健康が体と精神の健康の基礎だと思っている。

歯のレントゲン撮影。治療椅子の前にパソコンがあり、
レントゲン写真を見せながら丁寧に私の歯の現状を
説明してくれる。

私の年齢では、最高の状態と言ってもよい位、歯をしっかり
と手入れしているといわれる。大きな問題なし。
小さな虫歯の初期が2本あるので、今後2回、各1時間
の時間を取って治療することになった。
今日は、歯石除去クリーニング。

その後、上野へ。

2月10日にバオミンさんをはじめフエ市人民員会関係者
4人が訪日し、2月12日(土)午後1時半からの
「現地報告会」(池袋東口「豊島区民センター」に参加する。

インターネットで東京でのホテルを取った。

なかなか良いホテルがなく苦労したが
上野に適正な料金のホテルを見つけ、インターネットで
予約した。
インターネットで場所を見ても分かりにくい。
4人のベトナム人を連れて成田から京成上野駅へ。
更にスーツケースを持っている皆さんを案内して
ホテルまで行くのだが、場所が分からず、右往左往
しては申し訳ないので、実地踏査をする。

インターネットにある地図では分からない。

上野駅中央口を背に左側の東上野方面。
何人かの人たちに聞きながらやっと見つける。
上野駅から東上野方面へ行くには、どうしても
歩道橋を上らなければならない。

色々と調べ、京成上野から地下道を通り、エレベーターで
東上野方面にでる通路を探し、実際に歩いてみる。

上野駅中央口構内の本屋へ。
「読むだけですっきり分かる世界史 近代編」を買う。

欧米関係の本を読むとどうしても近代世界史の概略が
必要。

午後4時過ぎ帰宅。これだけで疲労困憊。

直ぐに横になる。

2010年の1年間は本当に無理をして毎日を
生きてきた。今回の訪日前半は、できるだけ
家でゆっくりと休む予定。

投稿者 koyama : 11:45 | コメント (0)

2011年01月20日

通院

午前8時半自宅を出て新宿都庁前NSビルへ。

心臓病院へ。

時間の予約をしていたのだが、結局、4時間病院にいることに
なってしまった。

心電図、レントゲン、血液採取を行い、診療。
次回の通院予約。

午後1時過ぎに全てが終わる。8000円支払い。


疲れる。自宅着。午後2時すぎ。
しばらく横になる。


杉花粉症発症。目が痛い。

地下鉄車内や病院で待っている間に「茨木のり子集」を読了。

半分詩集、半分エッセイ。

ーーー
「なかった」

武士道は なかった
敗軍の将は城を枕に討ち死とばかりと思っていたのに

武士道は なかった
上層部の逃げ足のはやさ 残留孤児は老い去りて

武士道は なかった
神州清潔の民は もっとも不潔なことをした近隣諸国に

武士道は なかった 
鷗外が外国でがんばったにもかかわらず

武士道は なかった
在ると信じて散った若者の哀しさ

武士道は なかった
かつて在りれんめんと続いたものならばなぜ急に消えうせた

武士道とは 古来
やくざの掟ごときものに他ならず

ところどころに消しがたく光る 金箔のかけらは
ふつうの人の ただふつうのやさしさや 行為の跡

騎士道も なかったわね
だからドン・キホーテが踊り出たのだ

ーーー
「鄙(ひな)ぶりの歌

それぞれの土から
陽炎(かげろう)のように
ふっと匂い立った旋律がある

愛されてひとびとに
永くうたいつがれてきた民謡がある

なぜ国歌など
ものものしく歌う必要がありましょう
おおかたは侵略の血でよごれ
腹黒の過去を隠しもちながら
口を拭って起立し
直立不動でうたわなければならないか
   私は立たない 座っています

演奏なくてはさみしい時は
民謡こそがふさわしい
さくらさくら
草競馬
アビニョンの橋で
ヴォルガの舟歌
アリラン峠
ブンガワンソロ
それぞれの山や河が薫りたち
野に風は渡ってゆくでしょう
それならいっしょにハモりましょう


ーーーー
よりかからず

もはや
できあいの思想によりかからりたくない

もはや
できあいの宗教によりかかりたくない

もはや
できあいの学問によりかかりたくない

もはや
いかなる権威にもよりかかりたくはない

ながく生きて
心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことあるや

よりかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

投稿者 koyama : 14:03 | コメント (0)

2011年01月19日

休息

終日横になっている。

ジンマシン。

体験的に「寒い」とジンマシンが出てくる。
ベトナムでもらったジンマシンの薬が終わる。
ジンマシンはまだ続いている。

終日、横なり温かくして寝ている。

読書「生きる勉強」(シマナサーラ・香山リカ著:サンガ新書)読了


上座部仏教は、「小乗仏教」と言われていた。

大乗仏教と言う言い方は、中国を経由して伝わった仏教であり
小乗仏教(お釈迦様そのものから学ぶ)に対する、「差別的」な
ニュアンスも含まれている。中華思想も背景にあるのだろう。

そうした背景があり、最近では小乗仏教とは言わず、
「上座部仏教」といっているようだ。

スリランカから訪日し数十年日本で生活し、スリランカの
初期仏教の伝道と瞑想を研究している学者であり実践家。

仏教は「科学であり」「宗教ではない」と言っている。
心のあり方を科学するものと言っている。

バオミンさんとSKYPEでいくつかの件を打ち合わせをする。

「茨木のり子集 言の葉 3」(筑摩書房)

大正15年生まれ。昭和の戦争と共に生きた世代。

率直で、簡素な詩。

投稿者 koyama : 21:07 | コメント (0)

1月19日午後10時からテレビ朝日「報道ステーション」を見てください。

今日(1月19日:水)テレビ朝日系列「報道ステーション」
をご覧ください。
1月19日(水)午後10時からの「報道ステーション」で
JASSの会員だった故「木村百合子先生」
の自死事件の実相・裁判などの経過と現状等が
報道されます。

テレビ朝日系列です。多くの方に見て頂きたいです。

木村百合子先生は、静岡大学の学生時代、授業で
私のベトナムでの活動のビデオや内容を勉強し、
学生時代にJASS活動に参加しました。
JASS静岡の会に所属し、ベトナムの「子どもの家」にも
何回か来て、ボランティア活動も行いました。

静岡大学を卒業し、静岡県磐田市の小学校に就職。

多動性のこどもたちや指導がなかなか難しいこどもたち
を担当し、指導が難しいこともあり、精神的に追い詰められて
行きました。何度も校長や教頭、研究主任などに相談し、
支援と救済を求めましたが、管理職たちは木村先生に
暴言を繰り返し、誠意をこめた新任教員への支援を
しないなかで、就職6ヵ月後に車の中で自死するという
痛ましい事件となりました。

ご両親は、教員と言う公務上で起こった事件であるとの
考えから「公務災害」を申請しましたが、県の基金は
公務災害を否決しました。
そこでご両親は現在、裁判所に「公務災害認定訴訟」を
起こしています。

以下、2008年6月21日火炎樹日記の掲載した
「故木村百合子さんの裁判を支援する会」結成総会の
様子。私も呼びかけ人になっている。

尚、前回の裁判公判で原告側「証人」として私も証人申請
されたが、被告側(l基金側)が異議をとなえ、現在私の証人は
保留されている。
ーーー


・木村百合子さんのご両親の挨拶
・塩沢・小笠原弁護士の報告
・故木村百合子さんの公務災害認定を求める裁判を支援する会会則承認
・次に私から木村百合子さんさんとの出会い、この裁判の大きな意義について
 個人的な意見を述べる

・続いて橋本正紘さん(静岡県働くものの安全と健康を守るセンター事務局長)の話


その他質疑応答。

最後に磐田市議の玉田氏の閉会の挨拶で午後4時過ぎ終了。


木村百合子さんは、静岡大学時代からJASS静岡の会員になり
2度も「子どもの家」に来ている。JASS静岡の会にも積極的に
参加。こどもたちに心を寄せる素晴らしい若者だった。
静大を卒業し静岡県磐田市の小学校の教員になった。
新任の教員にADHD(注意欠陥・多動性障害)の子どもも2人、
日系の子ども2人のいるクラスを担任。
常識的にはこうした場合は、指導の大変な
こどもたちは経験豊かなベテラン先生が担当するのが当たり前。
ところが木村百合子さんの勤めた学校では、ベテラン教師が
指導困難なこどもたちの担任をしないで「新任教師」に担当させる
という常軌を逸した学校運営であった。木村百合子さんは
週案(1週間の教育指導計画)を書き、毎週校長先生や
学年主任、指導の先生に提出していた。その中には
多動性のこどもたちが授業に集中できず、大変だとの
悲鳴にも似た訴えを書いている。しかし、管理職などは
「おまえは給料をもらっているのだから、指導するのは当たり前だ。
おまえは給料泥棒だ」などという心ない言葉を浴びせている。
真面目な木村百合子さんは多動性のこどもたちが、いうことを
聞かないのは自分の力量がないと自分を責めるようになる。
繰り返し、管理職からの無指導・心ない罵声はパワハラとも言える
常軌を逸したものだった。

こどもたちが大好きでフエの「子どもの家」まで来てこどもたちの
支援をしてくれた木村百合子さんである。
こうした真面目な若者を自殺に追い込んだ犯人は、
無責任な無指導の管理職であり、管理職をそうした
無責任体制に追い込んだ教育委員会の責任でもある。

彼らは、木村百合子さんの心が弱いなどとの理屈をこねて
自らの管理職との責任を認めていない。無責任社会を
象徴する出来事である。
24歳の若さ。教員になって半年の若者が駐車場で
自らにガソリンをかけて自殺するなどということがあるわけが
ない。無責任な大人に追い込まれた「憤死」である。
私は何としても木村百合子さんの無念な気持ちを晴らしたい
のである。今回の裁判は木村百合子さんの「仇討ち」という
気持である。24歳で自らの命を絶たざるを得なかった木村百合子さん
の無念な気持ちを誰かが代弁しなければならない。
「死人に口なし」を決め込んでいる無責任な連中がいる。
学校は最も人権を尊重し、自由と民主主義がなければならない。
その学校で人権侵害が半年も続けられ、24歳の若者を
死に追い詰めた関係者がのうのうとしている。
公務災害での死亡と請求を公務災害基金に出したが、
審査委員長が県知事ということで「仲間内」での処理となって
しまった。客観的第三者の調査審査はなかった。
校長や学校関係者の最高の任命権者(採用者)が
問題の調査委員会の委員長というおよそ普通の社会では
考えれないシステムである。亡くなった木村百合子さんは
今は何も言えない。生き残った関係者が木村百合子さん
の無念を晴らす、私はこの一点で「故木村百合子さんの
裁判を支援する会」の呼びかけ人に名を連ねてのである。
人間として黙っていられない心の中の何かが
ふつふつと燃え上ってきた。こんなことがこの世の中で
起こっていること自体が異常だと・・・・・・。


「木村百合子さんの裁判を支援する会」に協力をしてくれる方は
年会費1000円である。
連絡先は蓮井康人さん(TEL 0538-32-8063)
会員になることだけでも理不尽な今の教育の社会に
異議申し立てをすることができる。真っ当な教育を
取り戻したいものである。

投稿者 koyama : 10:36 | コメント (0)

2011年01月18日

ブライセン本社訪問懇談

寒い

午前中寝ている。

10月からの3ヵ月間のベトナムでの活動の疲れがでたか?
体が動かない。

ジンマシンが体中に出る。頭の中まででてしまい
なかなか大変な状況。




午後3時半、自宅を出てブライセン本社のある五反田へ。

午後5時過ぎ、1時間程ブライセン本社で業務打ち合わせ。

その後、近くの「ふぐ料理屋」で懇親会。(6人)




午後8時半閉会。

自宅着。午後10時。


投稿者 koyama : 12:14 | コメント (0)

2011年01月17日

終日寝ている

寒い。

午前中、1時間ほど外出したが、寒い。

ベトナムでの体験でも「寒い」とジンマシンの赤い大きな発疹が
でる。


1時間後には、体中に発疹がでてしまう。

痒いのと体がだるいので、その後、終日部屋で寝ている。

携帯の電池が切れていることに気づかなかったので
何本かの電話が入っていたようだ。


強い薬にやられる。

投稿者 koyama : 11:20 | コメント (0)

2011年01月16日

休息

寒い

午前中、池袋の本屋へ行き7冊本を買う。

終日、休息する。とにかく寒い。


読書「生きる勉強」(サンガ新書044)
精神科医の香山リカとスリランカ上座部仏教の
長老が人間について対談する。

西洋文明と東京文明の境界線と限界。
人間の捉え方、気力、心の問題など勉強になる。

メール15通。

寒い・寒い。


投稿者 koyama : 21:08 | コメント (0)

2011年01月15日

日本帰国

昨夜、ホーチミン空港。0時15分発が1時間15分遅れて
出発。午後1時半ホーチミン空港を出る。

結局7時間程ホーチミン空港に滞在した。

午前7時半成田着が午前8時半と1時間遅れる。
成田はマイナス3度。寒い。

京成特急で日暮里へ。

帰宅。

直ぐに宅急便で刺繍製品などを送る。

あまりに寒いので直ぐにお風呂に入り、体を温める。

朝食と昼食を兼ねてかるく飲む。昼寝。

日本に帰ったら帰りジンマシンが一層ひどくなった。
ジンマシンは寒さが増大すると更に発生するようだ。
昨夜はジンマシンを止める薬を飲めなかったので
発症がひどくなったのだ。

ブランチ後、強い薬を飲む。

「竜馬が行く(一)」読後感

時代の大転換点で人間はどう生きるのか?
生きてきたのか? どこを見て生きてきたのか?


とにかく寒い。


メール20通受信。


投稿者 koyama : 19:11 | コメント (0)

2011年01月14日

日本へ帰国

曇り

昨夜早く寝たので午前5時目覚める。
読書「竜馬が行く(一)」(司馬遼太郎:文春文庫)読了
第1巻は土佐から江戸に出てきた竜馬が北辰一刀流
千葉道場に入門し、塾頭(師範代)になるまで。
剣の道を極めようとしていた時代。

午前7時朝食。赤米のおかゆ。

日本帰国の荷物整理。
かなり荷物が多い。

ジンマシンの薬のせいで「眠い」。

メール送受信。


午前11時半、昼食。マカロニスープ


午後最終荷物の確認。持ち帰り必需品の一覧表を作り
チェック。忘れ物が多いので。

午後2時過ぎ、日本料理店へ。

日本料理店のこどもたちを集め、大塚さんが帰国し、私が
不在中の日本料理店の運営等について話す。




こどもたちからの意見も聞く。

日本料理店スタッフが終わり、リー君だけを呼んで
私のフエ不在中の注意をする。

①借金をしないように
②飲んで喧嘩をしないように
③テト明けに私はフエに戻る。その際、日本料理店の人事
  も改改変するので私の不在中、仕事をしっかりするように。
  もう24歳になるのだから、そろそろ生活も大人になるように


午後3時半、車でフエ空港へ。

午後5時、フエ空港発 →ホーチミン・タンソンニャットP6:25着

国内線から国際線へ。国際線で夕食。

午後9時半、国際線でチェックイン。

国際線待合室で読書。メール送受信。日記を書く。

1月15日0時15分ホーチミン発のVN機で成田へ。

成田着予定(1月15日午前7時半)


投稿者 koyama : 08:17 | コメント (0)

2011年01月13日

大塚さん日本へ帰国

終日小雨。曇り

ジンマシンが酷く痒い。夜中の2時頃目覚めて眠れなくなる。
読書「竜馬が行く(一)」を2時間ほど読む。

午前6時半起床。

午前7時朝食。ブンボー

たくさんのメール受信。返信。

2月12日「現地報告会」に提出する活動総括・方針の最終仕上げ。
昨日、バオミンさん・原田先生で討論し、追加した部分などを
訂正し、仕上がる。更に今後、ベトナム事務所関係者の意見を
聞いて最終仕上げを行う。

午前10時頃、バオミンさんが「ジンマシンの薬」の追加を
持って来てくれる。

午前11時半 昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

寒い。2時間ほど昼寝。

読書「竜馬が行く(一)」(司馬遼太郎著)

午後3時過ぎ日本料理店へ。

大塚さんの帰国を皆で見送る。


日本の里親担当の渡辺さんから里親の件で電話あり。

明日、帰国するので荷物の整理をする。
いくつか頼まれて日本へ持ち帰る品物あり。


ジンマシンの薬がなくなりバオミンさんがもらってきてくれる。
薬を飲むがなかなかジンマシンは消えない。
体中痒い。薬のせいなのか体がだるく、動かない。
眠い。

夕方、日本料理店へいくのをやめ、明日の日本帰国用の
の荷物を準備する。

投稿者 koyama : 13:11 | コメント (0)

2011年01月12日

2011年2月12日「現地報告会」報告書討議:「オアシスの会」活動終結慰労会

曇り・雨。

寒い。

午前6時起床。おきられない。

ジンマシンが顔やクビにも出て来る。
ほぼ体中に発生。痒い。


午前7時朝食。フォー。

午前中、現地報告会用の総括・方針の素案を作る。


午前11時半、昼食。魚のスープの雑炊。

午後2時間ほど横になる。ジンマシンと強い薬のせいで
体が異常にだるい。頭の回転もままならない。


気力と意欲が出ないが、14日にフエを出るので、それ以前に
現地報告会、フエ市人民委員会関係者とバオミンさんの訪日の
ホテルや日程等の最終調整と予約を完了しなくてはならない。

午後2時半、徒歩、ベトナム事務所へ。

バオミンさん・原田先生と私の作った総括・方針素案をもとに
話し合う。

午後4時半、ハンさん・バオミンさんと会計決算報告と予算案を
話し合う。

午後5時15分、バオミンさんのオートバイの後ろに乗り、
ドンダーレストランへ。

今日は大塚さんの「オアシスの会」の活動終結ご苦労さん会、
兼、大塚さんの一時帰国ご苦労さん会兼早めの「忘年会」。
2月3日がベトナムの旧正月。ベトナム事務所は1月27日から
2月10日まで「事務所閉鎖」の正月休みに入る。

ベトナム事務所員・日本料理店スタッフ全員が参加。

始めにバオミンさんの開会の言葉


続いて私からJASSを代表して大塚さんへのお礼の言葉

「オアシスの会」は、5年間の契約でフエ市人民委員会と
の間で協定書を交わし、主に船上生活者への医療支援を
活動を行ってきた。協定書にはJASSがその仲介をすると
記されている。2010年12月31日にもって「オアシスの会」
の船上生活者支援プロジェクトは終了し、「オアシスの会」も
解散した。この5年間、大塚さんは日本料理店の支援を
続けてきてくれた。日本料理店の開店からこどもたちへの
調理の仕方などを毎日教え続けてくれた。
今回、「オアシスの会」が解散したのをきっかけに大塚さんの
フエでの活動も「一段落」付け、また、新しい形態での
日本料理店支援活動に移ることになった。
長い間の大塚さんの「オアシスの会」と日本料理店支援に
心から感謝したい。
同時に2月3日はベトナムの正月。本来なら2月1日か
2日頃に「忘年会」「1年間ご苦労さん会」を行いたいのだが、
1月13日大塚さん帰国、1月14日には私が帰国するので
今日、忘年会も兼ねて大塚さんごご苦労さん会を行う。

ベトナム事務所からのシルクのスカーフのお礼品を
かけて大塚さんの言葉


バオミンさんのカンパの音頭




午後8時半閉会。


投稿者 koyama : 13:31 | コメント (0)

2011年01月11日

現地報告会打ち合わせ:北海道芸術高校夕食会

終日雨。とにかく寒い。

午前6時起床。

午前7時朝食。ブンボー
行儀は悪いが食事をしながら読書「竜馬が行く」。

午前8時半、ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所には、火炎樹の会(茨城)の大沢さんから
日本料理店の箸入れが贈られてきた。数ヶ月に1回、
箸入れを贈って頂いているが、欧米系の来客が90%
の我が日本料理店では、和風の箸入れは、大変喜ばれて
いる。


JASS栃木の会より、元里子のこどもに襟巻き、
現里子のフック君(フエ芸術大学油絵学科)に
クレヨンなどを贈ってきてくれた。深謝。

午前9時から1時間。2011年2月12日に東京で行われる
「現地報告会」の2010の活動総括について協議。
小山・バオミン・原田。

午前10時、フエ高等師範大学学長と懇談。
いくつかの問題について協議。合意。

午前11時半、フエ市人民委員会外務部副部長と
フエ市人民委員会都市計画部長(2010年JASSと東京・
奈良に行った)の息子・娘の結婚式に参加。300名。
300名は第1次の午前中の部。夕方ももう1回行う。
フエ市の最大のホテル。合計600人ほどの参加者。
数百万円の資金を投入して豪華絢爛たる結婚式に参加。
バオミンさん・原田先生・古竹先生・土井先生と参加。


新郎新婦とご両親

午後2時、結婚式終了

宿舎へ帰る。体中に「ジンマシン」が更にできている。痛痒。

あまりに寒いのでフトンに入って寝る。

午後4時起床。

メール20通受信。必要な編集。

午後5時半ベトナム事務所へ。

今夜は北海道芸術高校スタディーツアーの皆さんと
日本料理店で夕食会。

5人の参加者の中で一人の高校生が発熱。
39度。ホテルへ医者を呼び診察。39度の熱。
風邪の症状。必要な薬を投与。

午後6時45分、4人の北海道芸術高校の皆さんが
日本料理店で夕食。
風邪の高校生には、温かい「きつねうどん」を作ってもらい
ホテルへ戻る時に持って行ってもらう。

マカロニサラダ

鳥のから揚げ

日本料理店スタッフの自己紹介


午後8時半過ぎ、北海道芸術高校スタディーツアーの皆さんは
帰宅。

その後、リー君・大塚さん・富岡先生・私で軽く飲みながら
反省会。リー君・富岡先生は朝から北海道芸術高校の皆さんと
ナムドン山岳地帯へ。カトゥー族の皆さんとの交流会に参加。

帰宅午後10時半。

投稿者 koyama : 00:00 | コメント (0)

2011年01月10日

北海道芸術高校講演会

終日雨。気温がかなり下がる。非常に寒い

午前6時起床  

午前7時朝食。

午前8時半、ソン君が迎えに来てくれる。
ソン君のオートバイの後ろに乗り、北海道芸術高校スタディーツアー
の皆さんの泊まっているホテルへ。


北海道芸術高校の皆さん(5人)、ソン君と一緒に「子どもの家」へ。
セン委員長と挨拶

ソン君が「子どもの家」の各施設案内をする。


午前9時過ぎから午前10時半まで北海道芸術高校の皆さんに
話をする。


午前10時半。「子どもの家」の歓迎会

セン委員長の歓迎の挨拶

今日は本当に寒い。北海道芸術高校の生徒さんは、
寒いのでこどもたちのフトンを借りて膝に置く。


歓迎の踊り。こどもたちは寒いので上着を着る

北海道芸術高校側の出し物

ダンス


午前11時半、昼食。「春雨麺」

昨日の朝からジンマシンの薬を1日3回飲んでいる。
かなり強い薬だ。しかし、症状は改善される気配なし。
頭から足まで体中にジンマシンが出た。痒くて仕方がない。

薬が強いので体がだるく、眠たくて仕様がない。


午後5時まで横になっている。

午後5時過ぎ徒歩で日本料理店へ。
こどもたちと夕食と思ったが食事もビールも飲む気がない。


来客2人。

午後8時半過ぎ、閉店。

体調悪し。


これからジンマシンが更に大きくなる。(この2年間の経験だと)
困ったものだ。

投稿者 koyama : 19:09 | コメント (0)

2011年01月09日

休息

終日雨。

午前8時朝食。昨日の残りの「マカロニスープ」を
半分食べる。寄生虫駆除とジンマシンを抑制する薬を飲む。
終日、薬が効いて頭と体がボーッとし、起きている意欲減退。

午前11時半、残りの「マカロニスープ」を食べ、ジンマシンの
薬を飲む。

体をボーッとさせる薬。今日は1日仕事ができなかった。

ジンマシンも増えてきた。頭が痒い。

寝ながら読書「竜馬が行く」。

午後6時。冷凍したチャオバインカインを解凍。
ジンマシンの薬を飲む。

投稿者 koyama : 19:32 | コメント (0)

2011年01月08日

フエ市共産党三役と夕食懇談会

雨・曇り・寒い 気温15度

午前6時起床。

午前7時朝食。フォー。

寒い。

読書「竜馬が行く(一)」(司馬遼太郎著:文春文庫)

バオミンさんといくつかの件で連絡。

昼食 チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

2時間、横になる。寒い・寒い。

過去2年間、冬になると発現する「ジンマシン」が
頭・腕・足・体中にでてくる。痒くて仕方がない。
始めは小さな赤い発疹だが、段々と大きくなり
2センチ・3センチになると上に腫れあがる。
「フエの風土病」。寄生虫が体液をだし、その体液に
反応しジンマシンが出きる。

バオミンさんに電話をし、フエ市立病院副院長・現フエ平和村
所長に電話。処方箋を書いてもらい薬(虫下しとジンマシンを抑える)
を買ってもらう。

午後5時ベトナム事務所へ。

バオミンさん・大塚さん・日本人スタッフとキムロン地区のレストランへ。
フエ市共産党三役と懇談夕食会。

フエ市共産党委員長


フエ市共産党副委員長(フエ市議会副議長)(左)


フエ市外務部長(右)


フエ市外務部副部長(私の教え子)




フエ市共産党委員長と新年の乾杯。今後、フエ市共産党と
JASSとの協力・共同を更に深めることをお互いに誓う。


フエ市共産党NO3人事部長

懇談夕食会では、今後の共同の活動などいくつかの問題を
話し合い合意。

約2時間の懇談夕食会を終わる。

日本料理店午後8時、日本料理店へ。

たくさんの来客あり。厨房は大忙し。早速、大塚さん・日本語教師
の皆さんが手伝う。

私は来客接待をリー君と担当

何組かのお客さんに「JASSの活動」を聞かれ話す。

午後9時半閉店。合計21人の来客。

投稿者 koyama : 09:24 | コメント (0)

2011年01月07日

フエ市人民委員会外務部「設立」記念式典

終日雨。午前中豪雨

午前6時起床。

午前7時、朝食。ブンボー。

読書「竜馬が行く(一)」(司馬遼太郎著:文春文庫)

バオミンさんといくつかの件で打ち合わせ

ハンさんと打ち合わせ

原田先生と電話で打ち合わせ

午前11時半昼食。豚肉スープの雑炊。

昼寝。体がだるい。今日は1日中、雨。非常に寒い。

寒暖の差が大きい。

寒いので毛布と薄い掛け布団の中に入り、本を読む。

多数のメール受信。

午後5時、徒歩ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所員・大塚さんと一緒にタクシーで
「フエ市人民委員会外務部再建記念式典」会場のホテルへ。

午後6時分。フエ市人民委員会外務部「再発足」記念式典開会。

JASS贈呈の花籠

大塚さん贈呈の花籠

JASSスタッフのテーブル



数年前、ベトナム政府の決定でベトナム全国、全ての「市」の
外務部が全て廃止され、省の外務局が外交関係を管轄する
ことが決まった。
そうして、フエ市人民委員会外務部は廃止された。
フエ市人民委員会は、「フエ市国際交流センター」を作り、
外交の一部を行うという状態だった。

フエ省の外交の実情を見ると人口の30%を占めるフエ市には、
王宮から主な施設があり、事実上の外交の中心はフエ市なの
である。フエ省からフエ市を除くとナムドンなど山岳地帯と
農村ばかりである。

今回、ベトナム政府は全国の市でフエ市だけに特別に「外務部」を
作ることを認めた。

今日は、改めてフエ市人民委員会外務部が全国で唯一
市レベルで再発足する記念の日である。

ホアン外務部副部長(私の教え子)の司会で祝賀会が始まる。
司会者よりフエ市人民委員会に外務部を設立する旨の
ベトナム政府決定書が紹介される。

始めにフエ市人民委員会外務部長ニエン氏の挨拶。


続いてヴィン・フエ市長の挨拶


挨拶の最後は、私。バオミンさんの通訳でフエ市人民委員会
外務部設立の意義と海外NGOとしての必要性。
そして、JASSの17年の活動の経過を述べる。


約100名の参加者。フエ市スタッフ、フエ省スタッフ。
フエ市・フエ市警察関係者・軍隊関係者。
情報収集関係者などが参加。フエ市・フエ省の主な幹部が
全員参加する大きな祝賀会となった。

挨拶が、市長・外務部長・JASS代表の私ということを見ても
フエ市におけるJASSの位置が分かるのである。
この17年間のJASSの様々な努力が結晶したような祝賀会
となった。


挨拶が終わり、乾杯。
その後、フエ市・フエ省の幹部が参加者に挨拶。

フエ市共産党委員長ユン氏。

フエ省共産党副委員長・フエ省知事カオ氏(元フエ市長)

ニエン外務部長

フエ市副市長タン氏


盛り上がるJASSのテーブル

フエ省VCIA(情報)局長と

フエ市人民委員会外務部有志の皆さんの歌


フエ市外務部員のメンさんとJASSスタッフソン君夫妻

メン外務部員は、外務部員としてJASS参加者全員を接待。


カラオケ大会に突入。

ヴィン市長



ユン・フエ市共産党副委員長(元フエ市副市長)

外務部長ニエン氏

原田先生はベトナム語(多少、女性言葉あり。理由不明)で歌う


フエ市共産党人事部長トアンさんは、農村の歌を歌う


JASS以外の外国人招待者は2名のフランス人だけ。

今日のカラオケ大会で一番光り輝いていたのは、
ベトナム事務所スタッフアンさん。歌も衣装もピカ一だった。

踊り・ダンスコーナーへ



午後9時半、閉会。


挨拶に来たベトナム人全員と「一気飲み」をする。
10回以上。とにかく飲みすぎ。

家へ帰ったら意識不明状態。これも「仕事の一つ」である。

フエ市人民委員会外務部設立式典 挨拶文

2011年1月7日
JASS代表 小山道夫


フエ省共産党・フエ省人民委員会
フエ市共産党・フエ市人民委員会そして、ご列席の皆様

私はJASSを代表して「フエ市人民委員会外務部」設立に心からの
お祝いを申し上げます。

私はフエ市に住んで17年半になります。
現在、JASS代表そして「越日交流委員会副委員長」の仕事をしています。
ストリートチルドレン「子どもの家」、障害児医療センター、日本語学校、「縫製研修センター」、フエ高等師範大学日本語学科顧問などの活動を行っています。日本政府と協力して100万ドルのお金を使いナムドン郡などの障害児の手術やリハビリなどを行いました。また、貧しいこどもたちや障害児、日本語教育の普及にも努めています。
こうした活動を通して、ストリートチルドレンなど450人近くのこどもたち
を社会に送り出しました。また、合計6000人の小中高大学生に奨学金を贈呈しました。フエ市と日本の静岡市との友好都市提携、日本の静岡大学とフエ大学・フエ高等師範大学との姉妹校提携の仲介なども行ってきました。日本の企業がフエで仕事が出きるよう招請活動も行ってきました。

こうした活動ができたのは、フエ市人民委員会外務部のお陰です。
フエ市人民委員会外務部は、私たちが問題にぶつかった時、とても丁寧に話を聞いてくれ、具体的な解決への支援を行ってくれました。フエ市人民委員会外務部の支援がなければ、私たちJASSは17年もの間、フエで活動をすることは出来ませんでした。

今回、フエ市人民委員会外務部が設立されることは、私たちのような海外NGOに取っては大変有難く、嬉しいことです。

JASSは2020年までフエ市人民委員会と協力して活動を進めるという契約書にサインをしています。その中心になるのが、フエ市人民委員会外務部です。

フエ市人民委員会外務部設立を機会に、更に日本とベトナムとの友好交流を強め、世界の平和とこどもたちの幸せのために活動を進めて行きたいと決意しています。

改めて、フエ市人民委員会外務部の設立をお祝いいたします。


投稿者 koyama : 17:49 | コメント (0)

2011年01月06日

臨時ベトナム事務所員会議

終日雨

午前6時起床。

午前7時朝食。キャッサバ芋の手打ちうどん

午前8時半から臨時ベトナム事務所員会議


(古竹)フエ高等師範大学2・3年生授業
     2年生は成績に差が出てきた。
     JASS日本語学校特進3。漢字を70個ほど学んだ。
     テストをしたが、平均90点以上。皆、よく勉強している。

(アン)「フェリシモ」等のカゴ、ポーチ

(フーン)フエ高等師範大学3年生テスト採点
     3年生は10週間後に卒業となる。

(土井)フエ高等師範大学2年。クラス替えをした。
     JASS日本語学校特進2。日本の共通テストの
     物理・化学の問題集を教えた。


(富岡)JASS日本語学校中級の授業。
     フエ高等師範大学3年生の会話。良く勉強している。
     敬語は難しい。
(フオン)JAS日本語学校1課から11課までの復習。
     同上中級 19課。


(ソン)北海道芸術高校スタディーツアーの車・ナムドン訪問予約
    2011年春のスタディーツアーの準備

(原田)JASS函館の会川人先生関係の絵手紙ーこどもたちの
    写真を撮る。
    静大ニフィー入試要項

(バオミン)・ベトナム事務所の新体制の説明
      ・2月9日から17日まで「子どもの家」のホンニーさんと
       越日交流委員会・ベトナム事務所員アンさんが
       静岡市の招待で訪日し、静岡市で日本語の研修を
       行う。
 ・2月9日から19日まで私・共産党委員長・外務部長の
       3人で訪日する。2月12日豊島区民センターでの
       「現地報告会」参加、静岡市長懇談、JASS静岡の会
       総会参加。「京滋YOUの会」との懇談。
       世界歴史都市連盟事務局(京都市)との打ち合わせ会
       などに参加する。
      ・今後、私も日本語教師会議に参加する。
      ・大塚さんが1月13日から基本的に日本料理店の
       指導を終了し帰国する。
      ・1月9日から北海道芸術高校スタディーツアーが来訪。
      ・1月7日「フエ市外務部復活祝賀会」全員参加のこと



午前11時半昼食。多量の生野菜と「春雨麺」


しばらく昼寝。


読書「竜馬が行く(一)」(司馬遼太郎著:文春文庫)

関係者と連絡。

メール受信多数。送信多数。

午後3時、徒歩、ベトナム事務所へ。

ブライセンのP君の結婚式の件について協議。

午後5時過ぎ、日本料理店へ。

元「子どもの家」のフン君(ハイ君の弟)が日本料理店の前の
ベトナム料理店のボーイに採用されたとのことで
で日本料理店へやってきた。

午後5時過ぎ、日本料理店に来客あり。

個室で日本料理店のこどもたちと夕食。

午後9時半までに17人の来客。雨の中、多数の来客。
厨房は大忙しい。

自宅着午後10時。

投稿者 koyama : 09:46 | コメント (0)

2011年01月05日

当面の仕事

午前中雨・夕方晴れ

午前6時起床。

午前7時朝食。フォー。

バオミンさん訪日関連の資料作り。

静岡市招待で訪日する「子どもの家」のホンニーさん・アンさん
の在日活動内容について静岡市役所と連絡相談。

2月13日静岡の会総会について、笠井先生と連絡。


バオミンさんと1月7日のフエ市人民委員会記念式典の
内容とについて相談。

その他いくつかの件についてバオミンさんと打ち合わせ。

午前11時半、昼食。ご飯・煮魚・スープ・生野菜。

1時間ほど昼寝。

読書「竜馬が行く(一)」(司馬遼太郎著:文春文庫)

私は本を読まないと人間は「馬鹿」「無知」になると思っている。
時間がある限り、出きる限り、様々な分野の本を読みたい。
自分が生きる道を模索し、生きる意味を模索したいと思っている。

日本のAさんとSKYPEでいくつかの件について話し合う。

バオミンさんと打ち合わせ。


午後5時徒歩で日本料理店へ。

午後5時半夕食。


今日は7人の来客。

午後9時過ぎ閉店。

日記を書きながら「国香」を飲む。この純米大吟醸は本当に
美味しい。軽く炙った海苔をおつまみにして飲む「国香」
最高。美味しい吟醸酒は岩塩などミネラルの塩をおつまみに
して飲むのが一番美味しい。高血圧・高脂血症・心臓病には
塩を多量に体内に入れるのは禁じ手、だが、一番ミネラル塩
が美味しい日本酒にはあう。

また、今夜も快楽を通して「死へ一歩近づいて行く」。

フエ滞在17年半になる。こどもたちと日本の若者と一緒の
生活・活動に満足している。彼らの可能性と将来性に心から
期待している。また、期待に応えられる力量を持っていると
確信している。

日本は明日は「小寒」。

投稿者 koyama : 18:42 | コメント (0)

2011年01月04日

2011年のベトナム事務所体制の打ち合わせ

曇りのち豪雨。

午前5時起床。

読書「竜馬が行く」(司馬遼太郎著:文春文庫)


午前7時、朝食。「精進ブン麺」。今日は月2回の精進料理の日。

午前8時、ベトナム事務所へ。

ブライセンベトナム支社社員の「ファップ君」から結婚式の
招待状をもらう。



バオミンさん・原田先生とベトナム事務所活動の進め方に
付いて協議。


午前10時、フーン先生を交えて日本語学校・フエ高等師範大学
日本語学科の問題について話し合う。


午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)


昼過ぎから「豪雨」。近くの道が増水し、歩けなくなる。


午後5時半、日本料理店へ。




今日は午後9時半までに38人の来客有。

ドイツ人   2人
日本人   6人
ベトナム人 1人
ニュージーランド 2人
ブラジル  1人
カナダ   2人
オーストラリア 2人
フランス  5人
スペイン  1人

その他 



厨房は「戦争状態」。32人の食事を一度に作るのは大変だ。





午後9時半、全ての来客が帰る。

日本料理店スタッフは大活躍。

日本料理店終了後、簡単な反省会。



リー君は「ラオディー」のラム酒を一瓶飲んでしまった。



午後11時過ぎ閉会。

投稿者 koyama : 01:24 | コメント (0)

2011年01月03日

ベトナム事務所「仕事始め」

曇り・晴れ。


午前6時起床。

午前7時朝食。赤米のおかゆ


午前8時半、徒歩ベトナム事務所へ。

今日は年末31日から3日間の正月休みが終わり、「仕事始め」。
ベトナム事務所員、一人一人が2011年の抱負を持ち仕事を
始めていた。



日本語教師の土井先生のご両親がベトナム事務所を訪問。
お土産の「夜のお菓子 うなぎパイ」(春華堂)を頂く。




バオミンさんと2011年の課題について打ち合わせ。


その後、原田先生を交えていくつかの問題を論議。


午前11時40分、昼食。「マカロニスープ」


午後1時間ほど昼寝。

その後、読書。「竜馬が行く」(司馬遼太郎著:文春文庫)


日本のテレビを見る。

新宿「末広亭」の寄席を見る。

ケーシー高峰。年を取った。

トリの春風亭昇太。落語が下手。
爆笑問題の方がよほど頭がよい。

20通のメール受信。返信。

午後5時過ぎ、徒歩日本料理店へ。

こどもたち・大塚さん・日本語教師の皆さんと夕食。

午後9時までに11人の来客。

オーストラリアから来た5人家族の5年生。
自分の玩具を「子どもの家」のこどもたちにプレゼントしたいと
持って来てくれた。

午後9時過ぎ、閉店。帰宅。


投稿者 koyama : 23:32 | コメント (0)

2011年01月02日

終日休息

夜明け前雨。昼間晴れのち曇り。

午前10時まで寝ている。
考えてみると12月20日から1月1日まで連続して2週間の
仕事が続いた。さすがに疲労が溜まる。消化能力と抵抗力が
かなり落ちている。今日は終日ゆっくりと過ごす。

午前10時冷凍してあった「マカロニスープ」を解凍し、
温めて半分食べる。食欲なし。

今日は各新聞は休刊日。

メール受信。送信。

読書「シェエラザード(下)」(浅田次郎著:講談社文庫)読了。

戦争というものの不条理。戦争というものが、一人一人の人間の
人生を無慈悲にも奪い去っていく過程を詳細に描いている。
軍隊と言う組織(人殺し組織)の不条理をも告発する内容。
昭和20年4月1日「阿波丸」が連合軍の捕虜への食料を積んで
台湾海峡を航行中に連合軍の潜水艦の魚雷で撃沈され、
2200人の民間人も含めた日本人が死亡した実際の事件を
素材にしている。題名の「シェエラザード」はアラビアンナイトの
王様が妻の浮気にあい、女性を殺していく。新しい妻が
殺されないように毎晩1話ずつ夜話をする「千夜一夜物語り」
の新しい妻の名前。ロシアの作曲家」リムスキー・コルサコフの
「シェエラザード」が何度もレコードで流れる場面が出てくる。


洗濯。

部屋の掃除。


午後1時半、昼寝。

読書「竜馬が行く」(司馬遼太郎著:文春文庫)
ベトナム事務所に8巻の文庫本があったので読むことにする。
20年ほど前に出版された本なので字が小さく読みにく。

フエ市人民委員会主催の記念式典での挨拶原稿を書き上げ
バオミンさんにメールで送る。


午後7時、フダビール2本。
静岡県袋井市の「国香純米大吟醸ー斗瓶囲い」を冷やして
飲む。香りも味も最高級。美味しい。海苔をつまみに飲む。
美味しい。かなり飲んでしまう。反省しながら。

12月31日の「大晦日の会」の残りの天ぷらなどを
お土産にもらった。おつまみにしてビール、国香」を飲む。

フジテレビの「サザエさん」をみる。

熊谷真美がサザエさん。片岡鶴太郎が磯野波平役。


午後8時半、ブランチの「マコロニスープ」の半分を食べる。


2011年のJASSの課題を考える。

今日は次男と孫と話した以外は誰とも言葉を交わさなかった。

投稿者 koyama : 20:56 | コメント (0)

2011年01月01日

2010年元旦

曇り

午前7時起床。

読書「シェエラザード(下)」(浅田次郎著:講談社文庫)

新年のメール受信。


新年の日本のテレビを見る。5年ぶり位か?

面白くないというのか、馬鹿馬鹿しい。
ただ馬鹿騒ぎをしているだけ。

午前10時、以前日本料理店で「鍋物」をした時の
残りの鍋物を冷凍しておいた。同じく冷凍したご飯を
解凍し、雑炊を作り食べる。

昼寝1時間。

1月7日の会合の挨拶文の原稿を書く。

バオミンさんから電話。午後4時に私の教え子の
バオトアンさんの勤めているホーチミン市の肥料会社の
役員の方が「子どもの家」を訪問されるとのこと。

午後3時半、宿舎をでて電動バイクで「子どもの家」へ。

こどもたちにお菓子のプレゼント。


1時間ほど懇談する。

帰りにハイ君と会う。ハイ君は新年、行くところがなく
「子どもの家」へ遊びに来ていた。


その後、近くの精進料理屋で軽くビールで交流。

午後6時15分、お店を辞して、サッカー場近くの
レストランへ。

日本語教師土井先生のご両親と会食。大塚さんも一緒。

午後9時過ぎまで土井先生のご両親からご馳走になる。

自宅着。午後9時20分。

投稿者 koyama : 13:11 | コメント (0)

2011年 謹賀新年


明けまして おめでとうございます。

旧年中は大変お世話様になりました。

今年は、世界から貧困と戦争をなくし、世界中のこどもたちが

幸せに暮らせる世界を作って行きたいと決意をしております。

皆様方のご支援をお願いいたします。

読者の皆様のご健康とご多幸を祈念いたします。


2011年1月1日   

ベトナムの「子どもの家」を支える会
ベトナム事務所員一同

投稿者 koyama : 12:05 | コメント (0)