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2010年12月31日

ベトナムの「大晦日」

終日、曇り

午前4時目覚める。

読書「シェエラザード(下)」(浅田次郎著:講談社文庫)

午前7時朝食。フォー

午前8時から受信メールの整理。返信。

2011年1月中の日程の整理

体調不良。下痢・腹痛・吐き気。風邪の症状。

昼食まで寝ている。


午前11時半昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

午後、部屋の掃除。洗濯。

読書「「シェエラザード(下)」(浅田次郎著:講談社文庫)

午後5時、日本料理店へ。
日本料理店スタッフ・日本人で「年越しの会」。
食材は支援者のUさんから贈呈された。


午後5時半から日本料理店で紅白歌合戦を
見ながら年越し。

大塚さん・日本料理店のこどもたちが作った年越し料理


Uさんからの寄贈の食材多数



締めに「雑煮」を食べる


雑煮を堪能する富岡先生

静岡の会の笠井先生にお願いし買って買って頂いた
「みんパル」。USBで日本の地上はのテレビが見られる。

NHK紅白歌合戦を最初から最後まで見る。


幸田なんとか? 


五木ひろし




小林幸子


リー君も相当飲む。ラオスラム酒を1本飲む。

行く年来る年を見て午後10時半解散。


来年もベトナム事務所員の幸せと健康を祈る。


====================

読書録(2010年) 目標100冊

(1月)
1   「明暗」(夏目漱石著:新潮社)
2   「スプートニクの恋人」(村上春樹著:講談社)
3  「青年の環(一)」(野間宏著:岩波文庫)
4  「青年の環(二)」(野間宏著:岩波文庫)

(2月)
5 「饒舌の思想」(開高健著:筑摩書房)

(3月)
6 「東南アジア地域統合とベトナム」(中野亜里著:国際政治158号)
7 「ルポ 貧困大国アメリカⅡ」(堤未果著:岩波新書)
8 「国境の南・太陽の西」(村上春樹著:講談社)

(4月)
9 「強欲社会主義ー中国全球化の功罪」
(遊川和郎著:小学館101新書)
10 「世界を知る力」(寺島実郎著:PHP新書)
11 「若き友人たちへ」(筑紫哲也著:集英社新書)
12 「独裁者との交渉術」(明石康著:集英社新書)

(5月)
13  「名ばかり大学生」河本敏浩著:光文社新書
14 「中国共産党を作った13人」(TAN ROMI著:新潮新書)
15 読書「勝ち組社会」(森永卓郎著:角川新書)
16 「愛新覚羅浩の生涯」(渡辺みどり著:中央公論新社)
17 「いま ここに在ることの恥」(辺見庸著:角川文庫)
18 「難死の思想」(小田実著;岩波書店)
19 「言葉を育てる 米原万里対談集」(筑摩書房)

(6月)
20 「新編 平和のリアリズム」(藤原帰一著:岩波書店)
21 「ある晴れた日に」(加藤周一著:岩波書店)
22 「1945年春・ローズベルトアメリカ大統領が死んだ日」(仲晃著:岩波書店)
23 「戦後世界経済史―自由と平等の視点から」(猪木武徳著:中公新社)
24 「使える経済書100冊―資本論からブラックスワンまで」
(池田信夫著:NHK出版)
25 「ニーチェからスターリンへトロッキー人物論集」
   (光文社)

(7月)
26 「ナショナリズムという迷宮」(佐藤優:朝日文庫)
27 「ポストモダンの共産主義」(スラヴォイ・ジジェク:ちくま新書)
28 「マルクスは生きている」(不破哲三著:平凡新書)
29 「ベトナム戦争ー民衆にとっての戦場」(吉澤南著:吉川弘文館)

(8月)
30 「蒼きゅうの甍Ⅰ」(浅田次郎著:講談社)
31 「蒼きゅうの甍Ⅱ」(浅田次郎著:講談社)
32 「蒼きゅうの甍Ⅲ」(浅田次郎著:講談社)
33 「蒼きゅうの甍Ⅳ」(浅田次郎著:講談社)
34 「憎まれ役」(野中広務・野村克也著:文春文庫)
35 「1Q84 BOOK 3」(村上春樹著:新潮社)
36 「日はまた昇る」(ヘミングウェイ著:谷口隆男訳:岩波文庫)
37 「花埋み(花うずみ)(渡辺淳一著:角川文庫)
38 「仮装集団」(山崎豊子著:新潮文庫)
39 「泥の河・蛍川」(宮本輝:新潮文庫)

(9月)
40 「若き実力者たち」(沢木耕太郎著:文春文庫)
41 「用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)
42 「「孤剣 用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)
43 「凶刃 用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)
44 「刺客 用心棒日月抄」(藤沢周平著:新潮社)
45 「よろずや平四郎活人剣(上)」(藤沢周平著:新潮社)
46 「よろずや平四郎活人剣(下)」(藤沢周平著:新潮社)
47 「1週間」(井上ひさし著:新潮社)
48 「五瓣の椿」(山本周五郎著:新潮社)
49 「ロシア 闇と魂の国家」(亀山郁夫:佐藤優:文芸春秋)
50 『風雪の檻』(獄医立花登手控え二:藤沢周平著)

10月

51 「珍妃の井戸」(浅田次郎著:講談社)
52 「完本 戒老録ー自ら救いのために」
(曽野 綾子著:祥伝社黄金文庫)
53 「中原の虹(1)」(浅田次郎著:講談社)
54 『中原の虹(2)』(浅田次郎著:講談社)
55 『中原の虹(3)』(浅田次郎著:講談社)
56 『中原の虹(4)』(浅田次郎著:講談社)
57 「現代たばこ戦争」(伊佐山芳郎著:岩波新書)

11月

58 「禁煙ファシズムと戦う」(小谷野敦編・斉藤貴男・栗原雄一郎著)
   (ベスト新書)
59 「沢村貞子という人」〔山崎洋子著:新潮文庫〕
60 「淳之介さんのこと」(宮城まり子著:文春文庫)
61 「ジャーナリズム崩壊」(上杉隆著:幻冬舎新書)
62 「マルクスの逆襲」(三田誠広著:集英社新書)
63 「ポピュリズムへの反撃―現代民主主義復活の条件」(山口二郎著
   角川出版)
64 「思春期 ポストモダン成熟はいかにして可能か」(斉藤環著:幻冬舎)
65 「イギリス近代史講義」(川北稔著:講談社現代新書)
66 「反音楽史―さらばベートヴェン」(石井宏著:新潮文庫)
67 「中国侵略の証言者たちー「認罪」の記録を読む」(岡部牧夫他:岩波)
68 「漢語日歴(かんご ひごよみ)」(興膳 宏著:岩波新書)
69 「正しい団塊の世代白書」(高田文夫著:講談社文庫)
70 「気になる仏像がひと目で分かる本」(大和書房)
71 「大学破壊―合併・身売り・倒産の内幕」(諸星裕著:角川書店)
72 「カラマーゾフの兄弟1」(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳光文社)
73 「カラマーゾフの兄弟2」(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳光文社)
74 「カラマーゾフの兄弟3」(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳光文社)

12月

75 「カラマーゾフの兄弟4」(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳光文社)
76 「カラマーゾフの兄弟5」(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳光文社)
77 「ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場」(松岡完著:中公新書)
78 「西部戦線異状なし」(レマルク著:秦豊吉訳 新潮文庫)
79 「シェエラザード(上)」(浅田次郎著:講談社文庫)

投稿者 koyama : 12:13 | コメント (0)

2010年12月30日

ハノイ →ダナン →フエ

ハノイ。午前6時起床。

午前8時ホテルで朝食。

午前10時、ホテルを出てハノイ空港へ。

ハノイ空港で静岡の会、笠井先生からメール。
無事、笠井先生一人、成田空港へ到着とのこと。
第2陣は、少しあと。
ひと安心。

午後12時半ハノイ発。午後1時35分ダナン着。

ダナンから車でフエへ。午後4時半フエ着。


体調悪し。日本料理店へ行かずに部屋で横になる。

40通以上のメールあり。

静岡の会の皆さん全員、帰国との連絡。

フエ →ハノイ →ビエンチャン →ルアンパルバン →ハノイ →ダナン
の機中で読書

「シェエラザード((上)」(浅田次郎著:講談社文庫)読了

下痢と疲れで日本料理店には行かず、部屋で休息。

夕食は冷凍庫に保存していた煮込みうどんを解凍。

午後10時。リー君から電話。「先生、元気ですか?」と
お見舞いの電話あり。

下痢・吐き気あり。

投稿者 koyama : 21:49 | コメント (0)

2010年12月29日

ルアンパルバン「托鉢」見学

朝6時、ホテルを出てルアンパルバン(ラオスの古都)
の朝の托鉢を参観。



午前7時過ぎ、ホテルの経営のラオス国境の川沿いの
レストランで朝食。


市内を展望できる300段近いの階段を登る。


昼食もメコン川淵のレストレンで

午後4時半、ルアンパルバン →ハノイ便に乗る


午後6時前、ハノイ着。

レストランで夕食。静岡の会は30日午前0時05分発の飛行機。

私は午後9時に迎えが来てハノイに1泊することになっていたが、
ハノイの観光会社の案内人がこない。結局午後10時半まで
待っても来ない。仕方がないので静岡の会の皆さんと別れて
タクシーで市内ホテルへ。

投稿者 koyama : 21:37 | コメント (0)

2010年12月28日

ラオス・ラム酒会社「ラオディー」工場見学

快晴

ラオスの首都ビエンチャン。

ホテルでパンの朝食。

車で1時間近く。高校同級生が経営しているラム酒会社の
工場を視察。

広いサトウキビ畑。


訪問した日は丁度、サトウキビを刈り取って、砂糖液を取り、
発酵させる作業中。


農場内にある「ハーブサウナ」


ラディーの醸造責任者の井上さん


静岡で「吟醸酒の会」をしている笠井先生と井上さんは
醸造について詳しい意見交換


昼食は手作りの「フランスパン」工場で。

ビエンチャン →ルアンパルバンの飛行機は2時間遅れ、
ビエンチャン空港で4時間待たされる。

午後7時半過ぎ、ルアンパルバン着。
飛行場から車でホテルへ。

ナイトバザールへ。

投稿者 koyama : 21:18 | コメント (0)

2010年12月27日

JASS静岡の会 ハノイ →ラオス・ビエンチャンへ

午前4時起床。

午前5時半ハノイのホテルを出て、ハノイ空港(ノイバイ)へ。
ハノイ市内から空港まで車で1時間。

午前8時40分ハノイ初。1時間でラオスの首都ビエンチャンへ。
入国手続き。市内へ。

高校同級生の與芝君の手配でガイドさんが付き、市内を
案内してもらう。


タートルアン That Luang を参観。
ラオス上座部仏教(小乗仏教)の中心のお寺。

信仰心の強い静岡の会の皆さん



凱旋門


凱旋門から見た「ビエンチャン市内」

昼食はベトナム人経営の「フォー」の店。


多少、喉の渇きを潤す。


昼食後、ホテルで暫時休憩。

午後3時。市内のシルク専門店へ。

手作りのシルク。


市内の市場2箇所を参観。

午後6時過ぎ、高校同級生の富田君と一緒にラム酒を作っている
井上さんたちと大衆食堂で夕食。

高校時代3年間同じクラスで一緒に陸上部で活動した富田君。
ラオス・ラム酒会社「ラオディー」副社長。


投稿者 koyama : 20:34 | コメント (0)

2010年12月26日

JASS静岡の会と「子どもの家」へ。そしてハノイへ

終日雨

午前6時起床。

午前7時半、昨日の残りの「マカロニスープ」を朝食。

午前8時過ぎ徒歩、ベトナム事務所へ。更に
静岡の会宿泊のホテルへ。

JASS静岡の会の皆さん(5人)、私、バオミンさん・土井先生と
一緒に「子どもの家」へ。

静岡の会のS先生の里子ユイ君にお土産のジャケット


こどもたちの歓迎会

セン委員長の歓迎の言葉




こどもたちの歓迎の踊り



静岡の会からサッカーボールの寄贈



午前11時。こどもたちと一緒に昼食を摂る





午後12時、ホテルへ戻り、Uさんと合流。
一緒に天安山中腹の中国茶専門喫茶店へ


午後3時、フエ空港へ。
フエ空港で全教千葉女性部の皆さんと合流。一緒に
ハノイへ行く。案内はフーン先生

全教千葉と静岡の会の皆さん記念写真


午後5時過ぎ、ハノイ・ノイバイ空港着
空港から車で1時間。ハノイ市内のホテルへ。

ホテルから「チャーカー」を食べに


午後9時過ぎ、ホテルへ戻る。

明日は5時半にホテルを出発し、ラオス・ビエンチャンへ。


投稿者 koyama : 23:17 | コメント (0)

2010年12月25日

地球の歩き方ツアー講演会:JASS静岡の会夕食会

終日快晴

午前6時起床。
風邪を引く。洟水がでて困る。

午前7時朝食。赤米と小豆のおかゆ。

多数のメール受信。返信。

明日から12月30日までJASS静岡の会と一緒に
ラオスへ行く。荷物の準備・・・・。

午前9時半宿舎を出て「子どもの家」へ。地球の歩き方
ミニスタディーツアーの講演会。6人。


講演のテーマは
①何故、ベトナムでストリートチルドレンや生活困難なこどもたち
 の支援をしているのか?
②海外支援・国際ボランティアの本当に目指すものは何か?
③人生とは? 人との出会い


風邪を引き、声がでない。

午前11時過ぎ講演会終了。

地球の歩き方ツアーの皆さんはこどもたちと昼食。



電動バイクで「子どもの家」から宿舎へ。

午前11時半、昼食。小麦粉の手打ちうどん(チャオ・バイン・カイン)


疲労感が強く2時間ほど昼寝。

その後、必要な受信メールへの返信。
ラオス行きの荷物の準備。


午後6時過ぎ、宿舎を出て、日本料理店へ。

JASS静岡の会の皆さん(5人)と夕食会。


JASS静岡の会から日本料理店へお土産

日本料理店のこどもたちの自己紹介



午後9時、閉会。

明日は午前8時半、静岡の会の皆さんと「子どもの家」へ。

現在4組のスタディーツアー等が来訪。ベトナム事務所は
大忙しい。ベトナム事務所員同士での打ち合わせの時間も
取れないほどの忙しさ。

投稿者 koyama : 23:22 | コメント (0)

2010年12月24日

全教・静岡の会スタディーツアー来訪

午前6時起床。

曇りのち晴れ。暑い。気温30度。

午前7時朝食。ブンボー。

午前7時50分、ベトナム事務所へ。

午前8時過ぎ、全教千葉女性部(13人)ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所員紹介。

原田先生の司会。

私とハンさんの添乗で全教千葉はドンバ・市場へ。

アオザイ屋へ。

午前10時「子どもの家」へ。
「子どもの家」との交流会。


セン「子どもの家」運営委員長の歓迎の挨拶

全教千葉女性部挨拶


その後、台所付近で「ポップコーン」を作る。



静岡の会の活動


ベトナム事務所訪問交流


2011年のカレンダーを贈呈


ソン君へお祝い



午後12時過ぎ、全教千葉の皆さんと一緒に昼食。
ベトナム料理。

午後2時半、船上生活者の子弟の多い「フールー小学校」へ

校長先生との交流


フールー小学校には「子どもの家」卒業生の
ズオンさんが3年生の担任として教師生活を送っていた。

こどもたちと交流



「子どもの家」卒業生のズオンさんの担当する3年2組で
図工の交流。



午後5時、交流終了。

午後5時半、ベトナム事務所で「子どもの家」の運営委員長
センさんを講師にベトナム戦争中の「解放戦線」の活動の
話を聞く。

午後5時半、JASS静岡の会ツアーの皆さんと交流。



静岡の会宿泊のホテルにフエ市共産党人事部長の
トアンさん夫妻が挨拶。




午後6時半、日本料理店で全教千葉の夕食会



日本料理店のこどもたち・大塚さんの自己紹介

午後8時、全教夕食会終了


今日は朝8時過ぎから午後8時過ぎまで12時間連続の
活動だった。さすがに疲れる。


投稿者 koyama : 23:44 | コメント (0)

2010年12月23日

第15回クリスマス会

晴れ

午前6時起床。

午前7時朝食。キャッサバ芋の手打ちうどん


午前中、ピースインツアーから連絡あり。
国際線、国内線の航空券取得、ホーチミン市の
ホテル、ガイド予約などを行う。


午前11時昼食。豚肉・野菜雑炊

午後1時間ほど昼寝。腹痛。

午後3時半、クリスマス会場の「ズイタンホテル」へ。

既にベトナム事務所員全員で第15回クリスマス会の
会場飾りつけを行っていた。


クリスマス会は、内田征子さん個人が1995年から毎年
「子どもの家」にプレンゼントしてくれているもの。
今年で15回目という節目を迎える。
第1回目クリスマス会は王宮内の古風なレストランで行われた。
第1回クリスマス会に参加したこどもたちもまだ「子どもの家」の
残っている。

「子どもの家」出身の大先輩リー君。23歳。
後輩の面倒を見るため駆けつける。今日は先輩として
の「威厳」を保つため、ネクタイ姿で登場。意外と似合っている。


こどもたち一人一人に配られるプレゼントの山


ベトナム事務所スタッフ全員が協力してこどもたちのために
準備をする。



バスを2回運行し、「子どもの家」からズイタンホテルにこどもたち
がやってくる。

午後5時半、内田征子さん主催の「第15回クリスマス会」開催。

司会は、古竹先生とハンさん

最初にフエ市人民委員会外務部長のニエン氏がお祝いの
挨拶。


続いてセン「子どもの家」運営委員長の挨拶

主催者である内田さんの挨拶



「子どもの家」のこどもたちを代表してTHUYさん(フエ師範大
化学科)がお礼の言葉


開会セレモニーの最後。ベトナム事務所員全員から
15回のクリスマス会へお礼と記念品贈呈

ベトナム事務所・日本語教師のフオン先生より
お礼の言葉。



ベトナム事務所からお礼の「寄せ書き」

原田先生より記念品贈呈

クリスマス会を楽しみ「子どもの家」・在宅支援のこどもたち


ニエン外務部長の乾杯の音頭で会食となる


日本料理店のこどもたちも手伝いで参加


リー君は如才なく関係者に挨拶し乾杯




「子どもの家」の寮母さんたちスタッフも参加



新婚Mさんと妹


「子どもの家」スタッフ・ベトナム事務所スタッフ

ベトナム事務所スタッフ



こどもたちの会食は20分程すると「動き回る」活動に
転換する。


会食が終わり。ゲーム・カラオケ大会になる前に
北海道函館の会主催の「子どもの家」絵画展に出品し
入選した「子どもの家」に函館の会より賞状が届く。
賞状贈呈式を行う。



ビンゴゲームをする。

そして最後の延々2時間近く続く「カラオケ大会」へ突入。



ベトナムのカラオケは椅子に座って歌う


カラオケ大好き人間のT君。「子どもの家」創立時から入所。


セン「子どもの家」運営委員長が審査委員長。
カラオケを歌ったこどもたち全員を採点。

第1席から表彰する。景品贈呈。

午後9時前閉会。帰りに一人一人にお菓子と記念品の
プレゼント。

主催者の内田さんかた一人一人のこどもたちに丁寧に手渡される


一人一人のこどもたちの心に中に「豊かな思い出」として
残る第15回クリスマス会だった。
主催者の内田さんに心から感謝。

午後9時過ぎ、全ての片づけを終わり、ベトナム事務所スタッフ
で総括会議。

午後11時前閉会。

帰宅。


投稿者 koyama : 08:21 | コメント (0)

2010年12月22日

天安山山麓のレストランで食事

快晴・時々曇り・一時雨。


午前6時起床。

午前6時50分宿舎を出て「モーリンホテル」へ。

内田さん・大塚さん・ソン君・メンさんと朝食バイキングを
食べる。

午前9時、モーリンホテルを出て、ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所で「コックホック高校副校長」「「ハイバイーチュン高校
責任者」と懇談。新年の挨拶と花を持って来てくれた。

午前10時からベトナム事務所員全員と大塚さんで明日の
クリスマス会のこどもたちのお土産のお菓子を詰め込む。

午前11時、クリスマス会のお菓子などの諸準備が終わり、
全員で昼食会を行う。
天安山山麓のレストランで「スッポン料理」を堪能する。


富岡先生の「乾杯の音頭」

多くのスタッフは、コーラで昼食会を堪能する。
私もその後の会議があるのでアルコールは飲まなかった。

昼食会の主催者は内田さん。

この店で一番美味しい「豚肉」。


地鶏焼き


本日のスペシャリティー「スッポン鍋」

午後1時半閉会。ベトナム事務所へ。


午後2時、トゥア・ティエン・フエ省の局長など幹部と
懇談会。バオミンさんの通訳。内容のある会議だった。


午後4時、ベトナム事務所へ、戻る。
フエ農業大学の教授来訪。地域のコミュニティー作りの
プロジェクトを一緒にしたいとの提案。
詳しく話し合う。


午後4時半、宿舎へ帰る。疲れる。短時間横になる。

午後6時前、日本料理店へ。

午後9時閉店。来客あり。

日本料理店の帰り空を仰ぐ。ほぼ満月に近い月が
煌々と輝いていた。今年の冬は異常気象。
例年今頃は雨の毎日だったのだが。

午後9時半宿舎着。

内田さんが持って来てくれた「ショスタコービッチ5番」
を聞きながら火炎樹日記を書く。
ショスタコービッチはスターリンに何度も批判され、
苦しみながら作曲をしていた。その苦しみ・理不尽な
スターリニストからの攻撃に対する無言の抵抗とも思える
音が聞こえる。

投稿者 koyama : 23:30 | コメント (0)

2010年12月21日

内田さん主催「海産物専門店」会食

晴天 

フトンと毛布を干す

午前7時朝食。フォー・ボー(牛肉入りフォー米麺)


午前9時前徒歩、ベトナム事務所へ。

内田さんがベトナム事務所訪問。かなりのお土産。

内田さんと若干意見交換。

内田さんとベトナム事務所員は、明後日のクリスマス会の
お土産・景品など買いに行く。

午前中、バオミンさんと打ち合わせ

かなり多くのメール受信。返信。

午前11時過ぎ、ベトナム事務所へ全員集合。
内田さん主催の「海産物専門店」での昼食会。


フエ名産「いか」

醤油とわさびで食べると美味。

この種類の貝は本当に美味しい。

締めは「魚のおかゆ」



全員記念写真


午後1時半閉会。

車でベトナム事務所へ。徒歩、宿舎。

その後、飲みすぎもあり2時間ほど昼寝。

午後4時読書「シェエラザード」(浅田次郎著:講談社文庫)

メール受信・送信。

午後6時日本料理店へ。

午後7時、内田さん・ソン君・メンさん夫妻と日本料理店
で夕食会。

午後9時過ぎ閉店。17人の来客。
最後のお客さんは、アメリカ・オーストラリア・オーストリア。
私たちの活動を知っていて寄付金もくれる。


午後9時40分、宿舎へ戻る。

空を見る。見事な満月。

内田さんから頂いた「ショクタコービッチ5番(革命)」を聴きながら
日記を書く。

この曲はいつも私の気持ちに合致している。悩みがあり
そして高揚していく。落ち込んだ気持ちを激励してくれる。
人生は思うように行かないというような気分になる。


投稿者 koyama : 23:43 | コメント (0)

2010年12月20日

「子どもの家」フエさん退所式:内田さんフエ到着

終日曇り。寒いのか暑いのか分からない不思議な気温。

午前6時起床。

午前7時朝食。精進ブン麺
今日は旧暦の11月15日。精進料理を食べる日。

午前8時ハン過ぎベトナム事務所へ。

ベトナム事務所員に12月の給料を渡す。

バオミンさんのオートバイで「子どもの家」へ。
今日は「子どもの家」のフエさん(18歳)の退所式。

フエさんは、5年前に「子どもの家」に入所し、中学を
卒業した後、ミシンの研修をしていた。既に3年半の研修を
終えたので、家で一人で待っている母親と暮らすことに
なった。田舎へ帰り(フエからオートバイで1時間半)
田舎で小さな「洋裁屋」(ミシンで婦人服を作る)を開店する
予定。

セン「子どもの家」運営委員長から退所までの経過説明。

私の方でこれからもお母さんを助けて、二人でしっかりと
生活するよう話す。

フエさんのお礼の挨拶。

母と私の二人の生活、家族の生活が大変だった。
「子どもの家」に入所した。
「子どもの家」で生活が安定し、学校へも行けた。
今は自立し、母親を助けて一緒に生活したい。
里親の林さんにも宜しく伝えて欲しい。


母親は字が読めないためフエさんが退所承諾書を読み上げ、
母親が拇印を押す。

今日、退所し家へ帰るとのこと。

しっかりとミシン洋裁店を経営し、母親と二人で幸せな生活と
人生を送って欲しい。問題が起こったら、「子どもの家」の
センさん、JASS事務所のバオミンさんに連絡するよう
話す。

午前10時半、ベトナム事務所へ戻る。

ブライセンベトナム支社へ。
ボーナスと昇給について社員に話す。

午前11時半、昼食。マカロニスープ

1時間ほど昼寝。体がだるい。

読書「西部戦線異状なし」(レマルク著 秦豊吉訳:新潮文庫)

午後3時、徒歩ベトナム事務所へ。

日本料理店のこどもたちに給料を渡し、生活の問題などを
聞く。この給料で5人の「子どもの家」卒業生は自立した
生活が出きる。働いて生活することこそが、私たちJASSの
目指している海外支援の目標である。

副店長兼厨房主任

接客主任

在庫管理主任

注文記録主任

元店長・接客係り

ソン君のオートバイの後ろに乗り、「子どもの家」へ。

「子どもの家」につける石版付けを確認しに行く。

午後5時半ベトナム事務所。


徒歩、宿舎へ。

読書「西部戦線異状なし」(レマルク著 秦豊吉訳:新潮文庫)
読了。

素晴らしい内容。80年前に書かれた本とは思えないほど
現在に通じる(現在でも繰り返されている)戦争の本質・
実態をリアルに描いている。読んで良かった本である。
人間が戦争と言う人殺しの場面に入ると理性も理屈も
なくなり、動物となるのだ、主人公はその中でも
何とか人間性を保持しようと努力をし自省している姿
は今日を生きている私たちにも通じるものがある。

午後7時半、宿舎をでて日本料理店へ。
午後8時、ソン君と妻メンさん(来年6月出産予定
・おめでとう)が車で迎えに来る。

日本料理店は、この時点で18人の来客。

午後8時40分フエ空港着の飛行機で内田さんが到着の予定。
出迎えに行く。

午後9時、内田さんが飛行場から出てくる。


車でフエ市内へ。みなさん夕食を摂っていないので
大衆食堂(コードー)へ行く。

午後10時半までコードーで夕食。

ビール5本飲む。

夕食後、内田さんの宿泊するバオミン・ホテルへ。

その後、ソン君のオートバイで宿舎へ。

宿舎到着午後11時。

投稿者 koyama : 19:23 | コメント (0)

2010年12月19日

「子どもの家」の修理箇所点検

終日晴天

午前8時起床。

読書「西部戦線異状なし」(レマルク著 秦豊吉訳:新潮文庫)
3分の2読む。
18歳の若者が戦場での体験を通して人間性を徐々に
失っていく過程が丁寧に描かれている。

「アフガニスタンに駐留している外国部隊の2010年の死者数が
19日、700人に達した。過去最悪だった昨年の521人を大きく
上回っている」とのこと。アフガンでは、今も「西部戦線異状なし」
の状況・大量殺戮・人間性喪失の闘いが続いている。
700人以上にアフガンの住民などは更に多くの死者を出している。
大義も目的も分からない戦争である。オサマビンラディンが
9・11の犯人。それを匿っている「アルカイダ」も同罪という
いかにも「荒っぽい」アメリカの理屈である。大義と名分すらない
戦争に多くの貧しい若者が死んで行くのである。
戦争をしたい「指導者」がまずもって先陣を切るべきなのだが、
指令しかしない人々である。

太陽が出ている。空は青空。

フトンと毛布を干す。


午前10時、電動バイクで「子どもの家」へ。
セン運営委員長から「子どもの家」の修理箇所のチェックを
依頼されていた。来週は多数のスタディーツアーが来るので
今日出きる仕事はしておきたい。

「子どもの家」の厨房の天井のトタンがはがれている。

食堂の天井もかなりススがついて汚くなっている。

台所の外の衣類干しの枠組みの鉄が錆びて壊れている。



16年間、「子どもの家」が傷まないで清潔な生活が出きる
建造物を維持で来ているのは、定期的なメンテナンスである。
少し傷みかけたら直ぐに直すということを繰り返してきた。
傷みかけたままほっておくと、直ぐに壊れてしまう。

修理箇所の点検をしていたら元里親Dさんの里子のチュック君が
「子どもの家」に遊びにきていた。

昨日、元里親のDさんからチュック君にクリスマスプレゼントが
届いていた。急いでベトナム事務所へ行き、チュック君への
クリスマスプレゼントとカードを持って来て、チュック君に渡す。

クッキーのプレゼント。チュック君は男の子に分けてやっていた。


宿舎へ帰る。午前11時半。ブランチ。
フダ缶ビール3本飲む。昨夜、リー君に買って来てもらった
チャールア(豚肉のミンチに塩・胡椒をし、蒸したもの)を
おつまみに。昨日の残りの「マカロニスープ」を茶碗1杯。

昼寝。

午後3時から部屋の片付け。洗濯。

明日から12月31日までの諸活動の準備。日程の再確認。


1月中旬から2月中旬までの日本帰国の全日程の整理・確認
一覧表作り。

午後6時、フダ缶ビール2本。ビールがなくなってしまう。

好きな音楽を聴きながらぼーっとビールを飲む。

おつまみがなくなり、外に買い物に出るのも億劫なので
塩をおつまみに飲む。

午後8時半、早めに就寝。

10月18日に日本から帰国し、今日で丁度2ヶ月経つ。
ちょっと疲れる。これは気候の変化が大きいから。
バオミンさんですら寝込んでしまったのだ。
体調の管理に気をつける。
明日から12月30日まで2週間は、毎日スタディーツアー等の
仕事がある。

12月19日付けの「赤旗」では、

「お金の心配なく学びたい」「学ぶ時間と就職先がほしい」「大学の予算増やして」―。大学生の諸要求をもちよった交流集会が18日、東京都目黒区の東大駒場キャンパスで開かれました。全日本学生自治会総連合(全学連)が主催し、全国から12学園53人が参加しました。

1960年代の学生運動のことを「ウンヌン」する気はない。
しかし、大学生の就職率が50%台と今こそ、大学生は総決起
する時なのだが、全国集会に12大学から53人しか集まらない
「全学連」(全国学生自治会総連合」は、その名に値しない。
何故、こうなってしまったのかの総括なしに昔のままの
活動をしているように思えてならない。
学生の本当の気持ち・要求に合致していないということに尽きる。

海外ボランティア・海外支援・国際協力にどれだけ「意識の高い」
大学生が興味を持ち、行動をしているのか? NGO・NPOを
自ら作り自主的に活動している大学生がどんなに多いか?
少し、「全学連」を名乗る学生や指導する関係者に知って
もらいたいものである。

投稿者 koyama : 19:53 | コメント (0)

2010年12月18日

ベトナム事務所員会議:「子どもの家」へ:東京の会「バンベー郵送作業」

晴天 気温は低い。

午前6時起床。

午前7時朝食。フォー。


午前7時45分、バオミンさんから電話。体調が悪いので
今日は休むとのこと。

頭痛など完全に風邪の症状。フエのかなりの人が、
同様の症状で苦しんでいる。土日、ゆっくりと養生する
ように話す。


午前8時、徒歩、ベトナム事務所へ。

午前8時半、ベトナム事務所員会議。

(ソン)12月ツアーの準備
    ナムドン郡への連絡
    スタディーツアー等の車の予約
    2011年の日程の計画
    原田先生のビザ取得

(原田)2階会議室の清掃・整理
    特進2・3クラス
    特進2は、ニフィー試験のセンター試験問題
    特進3は日本人教師3人で授業を見せ合う。

(古竹)フエ高等師範大学2年生・3年生会話テスト 朝6時45分から
    3年生は会話が上手になってきた。
    1年生は2・3年生のテストで教室が使えなくなり、
    代替教室を大学側が用意していなかったので困った。
    特進3は、順調に授業が進んでいる。今後はもう少し
    ペースを上げて授業を進めるつもり。

(フーン)日本語学校初級2回授業
     資料の整備
     授業の準備


(富岡)日本語学校中級ー漢字が難しくなった。撥ね・止め・
     払いなどを注意しながら教えた。  
     既学習の漢字を忘れてしまう生徒もいる。

(土井)特進2 1回授業  特進3 2回授業。
     古竹・原田先生と授業を見せ合う。
     フエ高等師範大学2年生の会話テスト

(ハン)JASS静岡のハノイのホテル予約
    2011年1月のスタディーツアーのホテル予約
    ベトナム事務所・ブライセンなどスタッフの給料支給の
    準備
    ベトナム事務所の11月12月の会計帳簿の整理

(フオン) 特進3 8・9課
      日本語学校中級定期テスト準備

(アン)「フェリシモ」関連 日本へ品物を送る準備
    函館の会の川人さんから絵画展に出した「子どもの家」
    のこどもたちへ賞状が届いた。

(小山)当面の諸問題について



里親から送られてきたクリスマスプレゼントが届く。

ハンさんと「子どもの家」のトイレ修理・絵画教室等の
戸棚や机購入について話し合う。

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大体同時刻頃日本では、「JASS東京の会」を中心に
13人の方々が集まり、「ベンベー38号」の郵送・発送作業を
していた。JASS機関紙バンベーと2011年2月12日の
「現地報告会」のちらしなどを封筒に入れ、郵送先をつけて
袋とじをする。中々面倒くさい単純作業である。
1時間半で1200通の封筒への詰め込み作業を終えたそうだ。
会員の皆さんに届くバンベー38号は、こうしてJASS東京の会
や茨城の火炎樹の会の皆さんなどが「手弁当」で作業をしてくれる
上に成り立っているのである。JASS日本運営委員長の稲垣さんを
はじめ関係者の皆さんに心から感謝したい。
JASS日本の「機動力」には感嘆する。特に圧倒的な「女性パワー」。



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ベトナム事務所員会議終了後、ソン君のオートバイに
載せてもらい、石版屋へ。その流れで、「子どもの家」へ。

「京滋YOUの会」支援の「トイレ改修」「絵画教室・保健室の
机買い替え」の実態を調査に行く。きちんと工事ができていた。

保健室の机と絵画教室の戸棚が古くなったので
買い換える。


「京滋YOUの会」の皆さんの浄財で改装された。
「京滋YOUの会」の皆さんに改めて御礼を申し上げたい。


「子どもの家」から急いでベトナム事務所へ帰り、
徒歩、宿舎へ。


午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン


午後1時間ほど昼寝。

朝から下痢と吐き気。食欲なし。バオミンさんと同様の
風邪の初期症状か? 特に腹痛と吐き気が強い。


読書「西部戦線異状なし」(レマルク著 秦豊吉訳:新潮文庫)
ドイツの高校20人のクラスで既に7人が戦死、4人が負傷。
1人は精神に異常をきたす。結局、20人中、12人が何らかの
戦争の被害を受けている。

フランス軍との塹壕を掘っての「肉弾戦」の様子が、非常に
リアルに書かれている。第1次世界大戦である。毒ガスが使われ
火炎放射器まで作られている。
弾丸が頭上を飛び交う中を塹壕で2日も3日も待機する。
食料が尽きる。ねずみが這い回る。気が触れた新兵が
塹壕生活に我慢できず、塹壕を飛び出し、肉塊と化す。
最後に退却するフランス兵を追って、肉弾戦となる。
先のとがったフォークのような武器を作り、相手を刺す。
凄惨な場面である。ベトナム戦争関係の本も結構読んで
いるが、戦争の本質は、凄惨な人殺しである。
今もイラク、特にアフガンでも同じことが行われている
のだ。もっと凄惨に。アメリカ本土でテレビ画面を見ながら
ボタンを押すとロケットが発射され、アフガン兵が肉塊と
化すのだ。本書では敵兵を殺した主人公の心の苦闘が
描かれているが、アフガン戦争はそうした心の苦しみもない
ままに、ゲームと同じ感覚で何万キロも離れた「敵」を
殺しているのだ。戦争の本質からすれば進化どころか
更に退化しているさえ思える。

「京滋YOUの会」に「子どもの家」トイレ改修・机・戸棚
購入等の会計報告書と写真の送信を行う。

午後5時。徒歩、日本料理店へ。


午後5時半、日本料理店で夕食。


野沢菜の唐辛子漬け



一度に14人の来客あり。

アルゼンチン人でオーストラリア在住の家族7人。

ニュージーランド家族5人。

ドイツカップル2人。

注文が多岐にわたり、厨房は大忙し。



9時半、14人の来客が帰り、閉店。

こどもたちと夜食を食べる。


リー君以外のこどもたちが帰宅。

その後、大塚さん・リー君・原田先生・富岡先生で
飲む。

午後11時。閉会。

徒歩宿舎へ帰る。多少真っ直ぐ歩けなかった。

投稿者 koyama : 13:08 | コメント (0)

2010年12月17日

雨・曇り

終日雨・曇り 

日中の気温15度5分。非常に寒い。

午前6時起床。

午前7時朝食。ブンボー

午前9時、徒歩、ベトナム事務所へ。

バオミンさんと日本帰国日程その他当面の諸問題に
ついて協議。

午前11時徒歩宿舎へ。

午前11時半、昼食。ご飯・野菜炒め・豚肉の煮物・野菜スープ

1時間ほど昼寝をしようとしたが、寒くて眠れない。


読書「西部戦線異状なし」(レマルク著 秦豊吉訳:新潮文庫)

翻訳は1929年。本書は1970年発行。当時の値段で200円。
支援者が何かの機会にベトナム事務所に持って来てくれた本。

時代は第1次世界大戦。ドイツ人部隊の様子が描かれる。
18歳の生徒を「国家のために軍隊へ入れ」と勧める教師。
18歳で同級4人で志願入隊。第1次世界大戦に参戦。
フランスとの戦い。初年兵教育では日本の軍隊と同様の
上官からの「訓練の名によるいじめ・虐待が常習化」。
軍隊でも新兵いじめが常態化してる様子が、18歳から20歳
の若者の目から描かれる。

以前、野間宏「真空地帯」を読んだが、全く同様の精神状態が
ドイツの軍隊にもあったことが分かる。
日本軍がプロイセン(ドイツ)の軍制を学んでできた軍隊であること
から、やはりドイツ軍の軍制・訓練等も似ているのかも知れない。

北海道関係者へ講演会等についていくつかのメールを書く。


午後5時過ぎ、徒歩、日本料理店へ。


午後9時閉店。3人の来客あり。


投稿者 koyama : 17:38 | コメント (0)

2010年12月16日

低気圧通過ー豪雨・強風吹き荒れる

終日荒天。強風・豪雨

午前6時起床。宿舎は強風と豪雨の真っ只中。
宿舎の回りの木が風で揺らぐ。窓ガラスの隙間から雨が家に
入る。

午前7時朝食。赤米と小豆のおかゆ。


午前7時半、バオミンさんから電話。「強風と豪雨」熱帯低気圧が
フエを通過しているとのこと。先生の宿舎は大丈夫かと心配
の電話。

「フェリシモ」本社と連絡。500色の色鉛筆の件。

バオミンさん・ハンさんと打ち合わせ。

「子どもの家」のこどもの退所の件・・・・。


読書「ベトナム戦争ー誤算と誤解の戦場」(松岡完著:中公新書)


午前11時半昼食。マカロニスープ

1時間ほど昼寝。昨日は31度。太陽が出て暑かった。今日は
18度。気温が急に下がり、毛布の上に薄い掛け布団をかけないと
寒くて眠れなかった。

バオミンさんと世界歴史都市連盟の件で打ち合わせ。

「ベトナム戦争ー誤算と誤解の戦場」(松岡完著:中公新書)読了。

最初は期待して読んだが内容的には、アメリカサイドから見た
ベトナム戦争史といえる。アメリカの独立戦争からの戦争の
歴史と意義を解説し、その中で朝鮮戦争そしてベトナム戦争が
どのような意味があったのかを記す。「ベトナム症候群」が
アメリカ社会にどんなに大きな影響を与えたかを書いている。
アメリカの文民統制(シビリアン・コントロール)が実際の戦争
になると「邪魔」なものになるとの実例を多く出している。
ベトナム戦争中ジョンソン大統領は北爆の爆弾の種類まで
軍隊に指示していたとのこと。軍隊側からすれば、戦争も
知らない素人の文民が兵器・戦車・飛行機の種類まで
作戦決定に当るのでは、戦争に勝てっこないと思っていたようだ。
著者はベトナムのことにはほとんど無知である。
「ベトナムでは、ホーチミン主席が尊敬されていて、
誕生日と9月2日の死亡した日は国民の祝日になっている」
と書いてある。全て嘘である。
誕生日は祝日ではない。お祝いの行事はあるが。
ホーチミン主席の死んだ日は、もともと9月3日とされていた。
本当は9月2日に死んだのだが。9月2日は建国記念日。
建国記念日に葬式では、まずいということで、ベトナム共産党は
本当に死んだ9月2日をごまかして、9月3日と国民に発表。
ベトナム戦争後1980年代の終わり頃までは、ホーチミン主席の
死んだ日は9月3日なっていた。ニャンザンの副編集長が
ホーチミン死去の日の真相をニャンザンで暴露し、本当の死亡日が
判明。9月2日だった。
現在、9月2日は祝日であるはホーチミン主席の死んだ日だからでは
なく、建国記念日だから祝日。以上のことは、ベトナム関係の
本を少し読めば書いてある。ベトナム戦争と銘打った本で、基礎的な
単純な事実を知らない著書に学問的な価値さえ疑ってしまう。
残念である。

バオミンさんと静岡の会ツアーの件で打ち合わせ。


午後5時過ぎ、日本料理店へ。外は雨。

アヒルの玉子焼き


午後9時過ぎ閉店。来客6人。

徒歩帰宅。雨の中。


投稿者 koyama : 09:48 | コメント (0)

2010年12月15日

忙しい1日を過ごす

快晴

午前6時起床。

軽くストレッチ。

午前7時朝食。キャッサバ芋の手打ちうどん(美味しい)


受信メール確認。必要なメール送信。


午前8時半、徒歩、ベトナム事務所へ。

フエ中央病院小児科元医長来訪。

2000年から一緒に仕事をしている。
現在はハノイ厚生省の指導下でベトナム中部の
医療水準向上プログラムの責任者をしているとのこと。
フオン先生とは、この10年間、WHO、ハノイ厚生省と
協力して、地域の診療所の医師の医療水準向上の
プログラムを一緒にやってきた仲である。

午前11時半、昼食。春雨麺


1時間ほど昼寝。気候が寒かったり暑かったりで体調を
崩す人が多い。ブライセンベトナム支社では6人中3人が
病気で休んでいる。

読書「ベトナム戦争ー誤算と誤解の戦場」(松岡完著:中公新書)

多数のメール受信。15通のメール送信。

午後4時、ベトナム事務所へ。バオミンさんと
静岡市への日本語研修生派遣の誓約書・協定書の
日本語文・ベトナム語文を作る。

途中、静岡大学理学の先生一行が突然訪ねてくる。
フエに静大の連絡事務所があることを知らなかったとのこと。

午後5時半、こどもたちと夕食。

今夜のリー君は食欲旺盛。3膳のご飯を食べる。

午後9時閉店。来客21人。

午後5時半から午後9時まで連続して来客あり。
厨房の料理も接客も大変だった。

こどもたちが頑張って仕事をやりぬいた。

午後9時半、宿舎へ帰る。

投稿者 koyama : 23:56 | コメント (0)

2010年12月14日

兄「小山一義(こやま・かずよし)」命日65回忌

1945年12月14日は、私の兄一義が中国から引き上げの途中
栄養失調と薬のない中で風邪 →急性肺炎で病死した命日である。
既に兄を知っている人間は、ほとんどこの世にいなくなった。
父親が死に母親はアルツハマー。姉は当時1歳。
今生きていれば、68歳位になる。
65年前に小山一義という3歳の子どもが中国で飢えと
疲労と薬のない逃避行の中で死んで行ったことを
せめてこの火炎樹日記だけででも明らかにし、冥福を祈りたい。
戦争というおろかな大人の犠牲者はこどもたちである。
アジア太平洋戦争・朝鮮戦争・ベトナム戦争・イラク・アフガン戦争。
この世に正しい戦争はない。私は全ての戦争に反対する。
日本国憲法9条が、いまほど光り輝く時はない。
憲法9条ができた動機の何億分の一には、私の兄の命も含まれ
ていると私は思っている。

今私の兄のために出きることは、戦争反対を声高に言い続ける
こと。戦争が起こらないような国際社会を作り上げることだと
思っている。ベトナムにいるのでお墓参りにもいけない。
この火炎樹日記を通して何百人かの人に、[昔、小山一義がいた」
ということを知ってもらえるだけでもせめてもの供養だと思ってる。
死んだ人間は何も言えない。
生きている私たちが言い続けなければならない。
私がベトナムで17年半の活動を続けている動機の一端は、
兄の死である。300万人の日本人、2000万人のアジア人が
死んだアジア太平洋戦争である。戦後65年、それぞれの家族が
戦争で死んだ人を今でも思い出し、私と同じ思いを抱いているの
ではないかと思う。


(兄 小山一義 )

==============

終日曇り

午前6時起床。気温変化が大きく、ベトナム事務所でも
体調を崩す人が多い。

午前7時、朝食。フォー。


午前、ピースインツアーとSKYPEで打ち合わせ。

2011年2月のバオミンさんたち3人の東京での現地報告会
参加のためのホテル予約をインターネットで行う。
なかなか、適当なホテルがない。今まで使っていた
日暮里のホテルが、宿泊希望日(3日間)使用出来ない。

2時間ほど探し、上野駅付近のホテルを予約。

バオミンさんといくつかの件で打ち合わせ

午前11時半、昼食。

野菜たっぷりの雑炊。

2時間ほど昼寝。熟睡。

午後2時半、日本から電話あり。

読書「ベトナム戦争ー誤算と誤解の戦場」(松岡完著:中公新書)

ベトナム戦争がどんな国際情勢の中で行われたのかを著者は
明らかにしている。

米ソの緊張緩和政策。そして、ソ連・中国のイデオロギー上の対立。
こうした複雑な国際関係の中でベトナムは、ある意味で、米ソとも
闘い、中国とも闘いながら、ソ連・中国の支援をもらうという高等戦術
で1950年代のジュネーブ協定・その後のベトナム戦争を
戦っていく。

午後4時半、フエ中央病院小児科元医長より電話あり。
明日、事務所で話し合うことにする。

2011年2月12日「現地報告会」用の総括・方針原案骨子を
考える。今後、バオミンさんやベトナム事務所関係者との
話し合いのたたき台とする。


読書「ベトナム戦争ー誤算と誤解の戦場」(松岡完著:中公新書)

午後5時過ぎ、徒歩、日本料理店へ。

午後5時半、こどもたち・大塚さんと夕食。
日本語教師は日本語学校へ。

在庫管理主任のチャンさんと厨房主任のトゥオイさん、
大塚さんでホーチミン市の日本食材店に注文する食材を
を決めている。今日注文すれば、明日フエ空港に届く。

午後9時閉店。6人の来客あり。

午後10時から15分停電。

町を見た。町中が真っ暗だった。弓張月の月が真っ暗な
町に煌々と輝いていた。停電も「粋なもの」だと思った。
これは、涼しい秋だからだ。真夏だったら、部屋にいられない。
憤りだけが残るのだが・・・・。秋の弓張月は、趣がある。

投稿者 koyama : 12:15 | コメント (0)

2010年12月13日

自治労愛知訪問者

午前4時起床。

読書「ベトナム戦争ー誤算と誤解の戦場」(松岡完著:中公新書)
2001年初版。

著者の松岡氏は私より10歳ほど若い。ベトナム戦争そのもの
を体験した世代ではないと思う。

解放戦線万歳の路線に立っていない。アメリカ、ソ連、中国、
ベトナムと世界情勢の中でベトナム戦争を客観的に位置づけている。

北のベトナム共産党は、南ベトナム民族解戦線を利用し、
1975年4月30日、ホーチミン市を完全制圧した後は、
解放戦線製を無視し、一路全土社会主義化に向かった
と分析している。


午前7時朝食。ブンボー。

メール受信・送信。

午後9時過ぎ、徒歩、ベトナム事務所へ。

自治労愛知の皆さん5人がベトナム事務所へ。

皆さんを案内して「子どもの家」へ。

「子どもの家」の案内など。午前11時終了。

徒歩、宿舎へ。昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

昨日から多少風邪気味。2時間ほど昼寝。


読書「ベトナム戦争ー誤算と誤解の戦場」(松岡完著:中公新書)


2011年2月に訪日するバオミンさん一行3人の東京・関空の
ホテルの予約をする。

午後5時過ぎベトナム事務所。

こどもたちと夕食。


豚の耳を野菜と酢、唐辛子で和える。


枝豆

フダ生ビールをほんの少し飲む。

リー君は私たちと一緒に夕食を食べたが、午後8時過ぎに
お腹がすいたと更に夕食を食べていた。若いということは
食べられると言うことに尽きる。



午後9時閉店。5人の来客。

投稿者 koyama : 23:26 | コメント (0)

2010年12月12日

休日

午前8時起床。

読書「カラマーゾフの兄弟5 エピローグ」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社)

訳者亀山氏のドフトエフスキーの生涯。
改題「父を殺したのはだれか」を読む。

関係者からのメール受信・送信。

午前11時、「ブランチ」。

ブダ缶ビール3本飲む。
昨夜、日本料理店の残りのおつまみ(糠漬け・枝豆)

「チャートゥー」(豚の頭の肉をミンチにし塩コショウをし
茹でたもの)をおつまみに。

午後12時半から昼寝。

午後2時読書。

読読書「カラマーゾフの兄弟5 エピローグ」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社)読了。

全5巻。2550ページ。なかなか読むのに苦労がいる。
同一人物を正式名称・ニックネームなど色々な名前で
読むので誰が誰だか分からない。登場人物が多い。
それぞれの人がある時はアレクセイだったり、アリョーシャ
だったりと・・・・。

ファーストなど西欧古典の素養がないと理解できない部分がある。
また、ロシア正教・キリスト教の基礎知識と素養も必要。

テーマは「父親殺し」なのだが、それを通して、「神の存在」
人間の性(さが)、善行、正義、悪魔、サディズム、マゾヒズム、
など様々なテーマが読み取れる。一度読んだだけでは、到底、
この本を理解することは出来ないが、当面、再読の気力なし。
「カラマーゾフの兄弟」は第1部。本番は、その後書く予定の
第2部だったのだが、ドストエフスキーが59歳で急逝し、
本番の第2部を書かずに死んでしまった。
結局、私が読んだ2550ページの「カラマーゾフの兄弟」は
ある意味で「予告編」を読み、本番を期待させられたまま、
終わってしまったとも言える本である。

本書は明治12年位に書かれている。明治維新後12年。
既に社会主義革命が登場している。次男のイワンは、
ある意味で社会主義者。著者も一時、空想的社会主義の
影響を受け、銃殺刑執行直前に恩赦されている。

あまりにも壮大で奥行きが広く、私の力では、食べきれない
本である。また、5巻の本を読む「気力」が出たら、読んでみたいと
思っている。


読書「ベトナム戦争ー誤算と誤解の戦場」(松岡完著:中公新書)
2001年初版。

午前中に食した「チャートゥー(豚の頭)」に当ったのか?
下痢と吐き気。昨夜、リー君が「これは直ぐに当たるから・・」と
言っていた。その通りだ。

12月20日からのスタディーツアーなど4つのツアーの日程、
担当者配置などを再確認。

2011年1月帰国日程を書いて見る。

バンベー38号が完成し、12月18日に会員等
自宅への発送作業が行われる。
各地の会にも発送される。JASS日本の坂本さんから
2800部のバンベーの送り先(各地の会・・・・)一覧を
もらう。

午後6時、フエ缶ビールを飲む。

2月訪日「現地報告会」参加のフエ市共産党委員長・外務部長・
バオミンさんの東京・関西のホテルを予約。

投稿者 koyama : 17:34 | コメント (0)

2010年12月11日

ベトナム事務所員会議:「子どもの家」NGAさん誕生会

終日快晴 暑い位

午前6時起床。軽く柔軟運動

午前7時朝食。フォー

午前8時、徒歩でベトナム事務所へ。

午前8時半、ベトナム事務所員会議。

(ソン)12月日程ツアーの準備・車の予約・航空券の予約
    京都の竹とんぼのおもちゃ900個完成。

(古竹)フエ高等師範大学日本語学科は休み
    日本語学校「特進3」。大人しいが良く勉強する。
    テストをしても全員が80%以上は取れる。能力の
    ある人材が揃っている。良い雰囲気だ。

(土井) フエ高等師範大学休み
     日本語学校「特進3」。一人一人の能力がある。
     努力している。
     日本語学校「特進2」は来週から。

(フーン)日本語学校「初級」「特進クラス」まとめのテスト
     ベトナム事務所会議室の大掃除


(富岡)日本語学校中級クラス授業。高校生が入学し、活気が
    出てきた。ブライセンの生徒は少し押され気味
    新入学希望者のテストをする

(フオン)日本語学校中級 高校生グループが活気がある
     ブライセングループ元気がない。
     日本語学校「特進3」7課・8課

(ハン) 奨学生名簿翻訳
     12月ツアーの全教・静岡の会・地球の歩き方の訪問先の
     予約

(アン) 「フェリシモ」の仕事 製品ができたので連絡

(原田) 日本語学校「特進3」 
     来週「特進2」が始まる。静大ニフィープログラム留学生
      数学・理科関連の専門日本語を教える。
      ベトナム事務所会議室の大掃除

(ミン) フエ市人民委員会外務部へ行き、いくつかの打ち合わせ
     2月のJASS「現地報告会」の準備
     世界歴史都市連盟関連関連文書の翻訳
     「子どもの家」セン運営委員長と打ち合わせ。物価があがり
     「子どもの家」の運営費が大変だとのこと。
     ソン君・ハンさんが作った12月日程表の最終チェック

その後、バオミン運営委員長が12月ツアーの日程と担当者
分担の細かい説明。

ベトナム事務所員会議終了後、フエ高等師範大学日本語学科
の打ち合わせ。

フエ高等師範大学のベトナム人の先生も来る


ベトナム事務所員会議終了後、電動バイクで「子どもの家」へ。
日本の川向先生の里子NGA(ガー)さんの誕生会。

午前10時半、「子どもの家」着。

刺繍研修センターへ。

「フェリシモ」の「ポストカード」製品の切手の部分を刺繍していた。


川向先生からの誕生プレゼントをガーさんに渡す。

ハンカチ・手帳・目覚まし時計など。


お祝いの手紙を読む

午前11時過ぎ、食堂で「誕生会」が始まる。

「子どもの家」のどもたち全員がケーキを食べられるように
ケーキを3つ用意。


誕生祝いのローソク点火

一息で灯を吹き消す

ケーキ入刀


こどもたち全員が「HAPPY BIRTHDAY TO NGAさん」
を歌い、お祝いする。

途中、昼食が入る。

食後のデザートにあたるのだろうか?
昼食後、こどもたちはすごい食欲でケーキを食べていた。



数ヶ月前に入所したこどもたちもすっかり「子どもの家」に
慣れていた。我が家の感覚。


午後12時過ぎ、ガーさんの誕生会終了。
ガーさんはハノイのこども。諸般の事情で両親がいない。
兄弟もいないので、いくところがない。「子どもの家」
だけが唯一のガーさんの居場所である。
ささやかな私たちの取り組みではあるが、「子どもの家」
がなければ、GAさんは今、どうなっていたことか?
現在、高校生。大学受験のための勉強を一生懸命している。

「子どもの家」を出ようとしたら、「ハイリーホテル」の名前の
産みの親「ハイ君」が「子どもの家」に来ている。

又、仕事を変えて、木工の仕事をしているとのこと。
何があっても寂しくなると帰る場所は「子どもの家」なのだ。

「子どもの家」で食事(お茶碗半分)を済ます。


午後12時半過ぎ、電動バイクで宿舎へ。


読読書「カラマーゾフの兄弟5 エピローグ」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社)

訳者亀山氏のドフトエフスキーの生涯。
改題「父を殺したのはだれか」を読む。

とにかくこの本は、一度読んだだけでは、著者の
本意もつかめず、ストーリーすら複雑であり、
何度か読む価値の本であることは事実だ。

1時間ほど昼寝。外は、太陽が出ている。


引き続き、読書。

2011年2月12日(土)「現地報告会」のチラシの
校正を行い、JASS日本へ送信。

メールの受信・送信。


午後5時過ぎ、徒歩日本料理店へ。


午後8時過ぎまでに来客2人。オーストラリア・シドニーより。

通りに観光客の姿なし。閉店を決める。午後8時過ぎ。

日本料理店のこどもたち・日本人で簡単な反省会。

好きな料理を注文し食べる。日本料理店のこどもたちも

お好み焼き、焼うどんなどを食べる。

私は、糠漬けと枝豆を頼み生ビールを飲む。


日本人は、様々な和食を注文。


日本料理店のこどもたちも様々な日本食を注文。

午後9時過ぎ、解散。

徒歩、宿舎に帰る。日本料理店でかなりビールを飲む。
明日は日曜日。ゆっくりと休む。

投稿者 koyama : 17:50 | コメント (0)

2010年12月10日

里親・里子関係連絡:2月12日現地報告会前後の活動整理

終日快晴

午前6時起床。

午前7時朝食。ブンボー



静岡市役所との連絡。

関係者にいくつかのメール送信。


バオミンさんと来年のことで打ち合わせ。


午前11時半、昼食。ご飯、インゲン炒め・・・


体がだるい。

昼寝。2時間。

午後16通のメールを書き送信。

読読書「カラマーゾフの兄弟5 エピローグ」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社)
を読み終わり、訳者亀山氏のドフトエフスキーの生涯。
改題「父を殺したのはだれか」を読む。


午後4時半、徒歩、ベトナム事務所へ。

バオミンさん・ハンさんと2011年現地報告会の会計に
ついての基本的な打ち合わせをする。
2011年会計報告、予算案についての基本的な意思統一をする

午後5時半、日本料理店で夕食


ブンの精進麺


私の靴の糊が剥げてはがれてしまう。

リー君が「昔この仕事をしていたので、僕がやる」
と言ってセメダインを買ってきて貼り付けてくれる。
上手に出きる。

今日は通りに観光客がほとんど歩いていない。

6人の来客あり。
ロンリープラネット(英語の観光ガイドブック)を読んで
わざわざ日本料理店に来てくれるオランダ人(2人)もいた。

私に色々と質問していた。

午後9時過ぎ閉店。

日本料理店に来て、鼻水が止まらない。風邪の初期症状。


===============================

京都市の豊田陽氏から以下の投稿がありました。
私としても最近、日本社会から「寛容さ」がなくなり
「イライラ社会」になっているように思っていた所で、
公園のベンチにホームレスが寝ないように
「眠り防止の木」を貼り付けるという事態が起こっている
ことに戦慄を感じました。
「異物排除」「異端排除」の心理があるように思われて
なりません。
ホームレスを見えない所へ追いやれば、問題が解決する
訳はないのです。これは、日本人全体が考える
自らの問題だと思っています。今の日本の社会、
いつ自分がホームレスになるか分からない社会になっている
現実を直視すべきだと思うのですが・・・・・・。(小山)



謎のブロック
             京都市   豊田 陽

最近、近所の公園を散歩していて、おかしな「物」に気がついた。
写真のように公園のベンチに木製の四角いブロックが付けられている。
ひとつのベンチだけでなく公園内のあちこちのベンチの真ん中にすべて付いている。いったい何だこれは?
散歩の帰りに近くの理髪店に立ち寄って聞いてみた。ここの親爺は近所の事情通だが、「京都市が木製のブロックを付けた」らしい。「あそこの公園はホームレスが野宿するので、ベンチの上で夜、横になって眠れないようにして、公園から追い出すために設置した」そうだ。「何もそこまでして追い出さなくてもいいのになあ気の毒に…」先日、事情を確認するために京都市の情報公開コーナーを訪ねてみた。
ホームレス対策です。
公園のベンチに設置された木製ブロックの写真を見せて「これを誰がどのような意図で設置したのか教えて欲しい」と尋ねるとしばらくして「緑政課」の担当者が現れた。
担当者の男性曰く、あっさり「ホームレス対策です。公園のベンチで夜間、野宿しないように設置しました」との事。ちなみにこの公園だけでなく「市内のあちこちの公園のベンチに木製ブロックの仕切りを設置したり、最初から仕切りの付いている金属製のベンチを公園に置いている」との事。もう少し事情を聞くと「7月6日に「市民」から電話があり、その要望をもとに設置することに決めた」そうだ。ちなみに複数の市民や町内会、自治会、団体からホームレスを排除して欲しいという電話があったのではなく、たった「1本の電話」がきっかけだという。それにしても、いくらホームレス対策といえ公園で野宿させないためにベンチに木製ブロックを設置するとはあまりに安直すぎないだろうか。
文書はありません。
 もう少し詳しく事情を知りたいので情報公開請求したところ、その翌日、さっそく担当者から電話があり「今回、請求されたような内容に関する文書は一切存在しないので文書は出せません」との事。普通、起案書とか作ると思うけど…。設置にかかった費用も公開できないの?
ホームレスはゴミか
ところで都市公園法を見ると「第十一条に国の設置に係る都市公園においては、何人も、みだりに次に掲げる行為をしてはならない。一 都市公園を損傷し、又は汚損すること」とある。行政や「善良な」市民にとってホームレスは危険物、汚物の扱いなのだろうか。
ホームレスの問題、野宿者をどうするか。筆者は解決方法はないと思う。たとえば京都市がホームレスを対象に行った報告書を読むと心の病を抱えている人が多いことがわかる。それゆえ行政の対応も困難なことは十分理解できる。だからある程度、社会全体でホームレスの存在を許容しないといけないのではないだろうか。ところがホームレスに対する風当たりが年々、強くなっているように感じる。なぜ最近ホームレスに冷たく厳しいのか?セーフティネットのない今の日本では誰もが社会から落伍するのではないかという不安、恐怖を抱えている。ある日、自分がリストラされてという不安。あるいは自分の息子や娘が将来、ひきこもりやニート、更にはホームレスになるのではないかという心配。そういったことを想像したくない、見たくもないが故にホームレスを排除しようとするのだと思う。
 ところで京都市の公式サイトを見ると今年の7月14日に「京都市ホームレス自立支援等連絡調整会議設置要」というのが出ている。設置の目的は「第1条 京都市内のホームレスの自立支援等に関する問題について,関係部局及び関係機関等が連携を図り,総合的かつ横断的に取り組み,その解決に資するため,京都市ホームレス自立支援等連絡調整会議(以下「調整会議」という。)を設置する。」
だそうである。ちなみに公園にホームレス対策として木製のブロックが設置されたのが9月27日。もちろんこの会議には構成員として「建設局水と緑環境部緑地管理課管理係長」の記載もある。従って公園からホームレスを排除しようというのは市民からの要望を受けた現場の職員が勝手に判断して設置したというよりは京都市「全体」の意識が働いていると見た方がいいだろう。だからよけい安直にホームレスあるいは「異形の者」を排除しようとする考え方に恐ろしさを感ずるのだ。
 お地蔵さんの下で
公園を追い出されたホームレスはいまどうしているのか?じつはうちの町内には小さなお地蔵さんがお祀りしてあり祠には屋根が着いている。雨やしぐれの夜になると、うちの町内や隣近所のお地蔵さんの下で夜を明かしている。先日、ホームレスをどうしようかと町内で小さな「寄り合い」を持った。「別に悪いことをしているのではないから交番に何とかしてくれと云うのはやめておこう。ただしお賽銭を盗んだり、火の不始末で火事を起こしたりしないように本人(ホームレスの男性)に、ひとこと言っておこう。どういう事情で野宿しているのかわからないが冬のあいだは気の毒だから多少は目をつぶっておこう」というような意見が出された。京都の歴史や町なみを支えているのは京都市や行政ではなく、昔ながらの地元のリバタリアリズムだと思う。行政は安直な対策ではなく、行政にしかできないやり方で包容力のある社会づくりを目指して欲しい。

投稿者 koyama : 13:19 | コメント (0)

2010年12月09日

静岡市役所・京都市役所などと連絡

雨・曇り。寒い

午前5時起床。

読書「カラマーゾフの兄弟4」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 

午前7時、朝食。キャッサバ芋の手打ちうどん

読書「カラマーゾフの兄弟4」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 読了。
本書の中心4部を全て読み終わる。
裁判の判決は、20年の鉱山での懲役刑。

午前8時15分、バオミンさんがオートバイで
迎えに来てくれる。フエ市人民委員会外務部へ。

外務部長のニエン氏と2011年2月12日東京で行われる
JASS[現地報告会]の打ち合わせ。
世界歴史都市連盟総会等の打ち合わせ、その他、
当面の諸課題について話し合う。


1時間半ほど話し合う。

ベトナム事務所では、倉庫の『大掃除」。



午前11時半、昼食。マカロニスープ。

1時間ほど昼寝。寒い。

読読書「カラマーゾフの兄弟5 エピローグ」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社)

エピローグは付属のようなもの。62ページ。読了。

カラマーゾフの兄弟はドストエフスキー59歳、最後の作品。

村上春樹は20回この本を読んだという。その気持ちも分かる。
人間という複雑な生物を多岐にわかって描写している。
神、来世、嫉妬、欲望、自慢、親子の絆、社会、伝統、
愛国など様々なことが描かれている。一度読んだだけでは
あまりに大きすぎるテーマのため、感想もいえない。

第5巻は、訳者亀山氏のドストエフスキーの生涯・
年譜・解題などが続く。

静岡市役所・京都市役所と連絡。

2011年2月の日程が確定。

多数のメール送受信。


午後5時過ぎ、日本料理店へ。

既に4時半から来客あり。午後5時過ぎにも2人の
来客。今日は全員での夕食はできなかった。

その後、続々と来店。午後9時45分まで来客あり。

総数11人。オランダ、オーストラリア・・・。

午後10時前閉店。


宿谷まで徒歩。

投稿者 koyama : 00:02 | コメント (0)

2010年12月08日

関連機関と連絡・打ち合わせ:米英開戦69周年反戦を誓う

終日雨。昼ごろ豪雨。

午前6時起床。体がだるい。喉痛。
終日、冷たい風が室内に入ってくる。

午前7時朝食。赤米と豆のおかゆ。

フエのCD屋で買った1枚35円のCDを聴く。
モーツアルト。アイネクライネ・ナハト・ムジークなど
私の知っている「美味しい」部分だけの曲を集めたもの。
仕事をしながら聴くのに丁度良い。

静岡市役所・京都市役所へメール送信。

バオミンさんと電話でいくつかの打ち合わせ。

バオミンさんも体調が悪い。

午前11時半、昼食。春雨麺


1時間ほど昼寝。寒い。毛布と掛け布団をかけて寝る。

読書「カラマーゾフの兄弟4」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 

第4巻が一番長い。700ページ。延々と長男の父親殺しの
裁判の様子が書かれている。
600ページまで読む。証人の証言、物証の披露などがある。
検察官と弁護士の弁論が延々と続くが、7分の6まで読んでも
誰が父親を殺したのかはわからない。

検察官・弁護士が、恋愛・愛情の憎悪、金銭欲など人間の
欲望について、心理学的な考察を延々と行う。
その中で「ヨーロッパ文明」の間違いなどという言葉も頻繁
に出てくる。こうした親殺しをするのは、ヨーロッパ文明がロシアに
リアリズムとして浸透してきたからだ・・・・。
農奴制をなくしたばかりの帝政ロシアの当時の
知識人の中の意識(ロシア主義)を物語っている。
今日の世界でも同様に意見が出ている。『西欧文明の行き詰まり』。

2011年2月の「現地報告会」前後の日程の調整を行う。

バオミンさんと連絡。打ち合わせ。


多数のメール送受信。

京都市から来た重要なメールが「迷惑メール」500通ほどの
中に紛れ込んでいた。困ったものだ。

午後5時過ぎ、徒歩、日本料理店へ。
原田先生・古竹先生は日本語学校。

今日の来客9人。元TBSテレビカイロ支局長さんなど来店。
話をする。

午後9時閉店。

閉店間際。厨房に「ねずみ」出没。我がリー大先生は
足で踏みつけてねずみを捕獲。虐殺。手で持って
道路に捨てる。その間、一部日本人は、「怖い・・・・」
などと言って椅子の上に乗って「ああしろ・こうしろ」と
指示をするという醜態を晒す。情けない限りである。
次回この種の「ねずみ騒動」が起こった際は、毅然と対処して
欲しいものである。


ーーーーーー
今日は今から69年前の1941年、日本軍国主義・帝国主義が
英領マレー半島・アメリカの真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争
が始まった。日本はそれ以前に中国での戦争を開始し、満州
傀儡国家を作っている。アジア太平洋戦争が本格的に始まった
日である。

インターネットで読める日本の各誌を読んでみた。
少なくともインターネットで12月8日を書いた新聞は日本共産党
の「赤旗」と東京新聞だけであった。あとの新聞は、インターネット版に
12月8日は一切載っていなかった。

赤旗は、主張でアジア太平洋戦争を糾弾。
東京新聞は、コラムで「やんわり」と戦争を批判している。
時代の流れなのか? 69年前の戦争を日本の大新聞が
取り上げていない。良くも悪くも今日の日本の出発の始まりが
12月8日の世界戦争だったのだ。日本のマスコミの劣化状況が
良く分かる。市川海老蔵の暴力事件は詳しくとりあげるが、
69年間の「真珠湾・マレー半島攻撃」は取り上げる価値のないもの
としているのだろうか?

以下、東京新聞のコラム。

東京新聞「洗筆」

作家の吉村昭さんは、城山三郎さんとの対談で「戦争が終ったときの一般のマスコミの風潮というのは、一部の軍国主義者が戦争を指導したというんだけれど、そうじゃないんですよ。われわれがやった。国民がやったんですよ。それを責任転嫁している、文化人と称する人たちは」と語っていた▼国民は戦争へ向かう巨大な渦に巻き込まれながら、熱狂して戦争の遂行を支えた。率先して国民的熱狂をあおり、燃え上がらせた新聞の責任の重さをあらためて自覚する▼きょう十二月八日は太平洋戦争の開戦から六十九年。艶っぽい江戸落語を楽しめる幸せをかみしめつつ、歴史の歩みを見つめ直したい

投稿者 koyama : 18:21 | コメント (0)

2010年12月07日

各種業務

終日雨・曇り

午前5時起床。

読書「カラマーゾフの兄弟4」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 

いよいよ長男ドミートリーの裁判。
基本的には今日と同じような裁判形式をとっている。
少し前まで農奴制があったロシアである。

裁判長・判事と検察官、弁護士、証人、証拠を
公開の場に開示し、公開論争。

午前7時朝食。フォー。

午前9時、徒歩、ベトナム事務所へ。

バオミンさんと当面の諸課題について話し合う。

ベトナム事務所員は、真面目に仕事をしていた。
今日の天気は暑いような寒いような天気。
ベトナム事務所には、「エヤコン」が入っていたが、
私は「寒く」感じた。


ハンさんは、親戚の葬儀で欠席。
ミン運営委員長は、肺がんの元になる「煙」を吸いにベランダへ。
体調をかなり崩している。心配。

ベトナム事務所日本語部長のフーン先生と
JASS函館の会の柴山さんが日本語学校での
授業の進め方などを話し合っていた。


午前11時半。昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

1時間半ほど昼寝。何となく寒気がする。熱っぽい。

読書「カラマーゾフの兄弟4」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 

北海道芸術高校へスタディーツアー関連のメール。

静岡市役所へメール送信。

京都市役所へメール送信。

ブライセン本社と連絡。


午後5時過ぎ、徒歩、日本料理店へ。

こどもたちと大塚さんで厨房の準備中。


リー君とグエットさんは、接客の態勢に入る。


夕飯は、新鮮な豚肉の脂を落としたものを海老の塩辛と
ニンニク・唐辛子をつけて食べる。


富岡先生・古竹先生は日本語学校での授業で遅くなる。

午後9時閉店。14人の来客あり。


徒歩、宿舎へ帰る。気候の変動で頭痛・喉痛。
風邪の前兆。

バオミンさんは、午前中、戻してしまう。
これも風邪の前兆。暑かったり寒かったりと気候の
変動が大きい。


投稿者 koyama : 18:57 | コメント (0)

2010年12月06日

税田さん一時帰国

日中豪雨・時々晴れ・曇り 
気温の変化が大きい。頭痛・倦怠感。

午前4時、目覚める。

読書「カラマーゾフの兄弟4」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 

長男の父親殺しの裁判。次男のイワンが
使用人が犯人と疑い、告白させる。
延々と話し合いの場面が続く。理論闘争なのだが、
その中に「真理」と「神」「良心」が入ってくる。


午前7時、朝食。精進ブン麺

午前9時過ぎ、徒歩ベトナム事務所へ。

税田さんと一時帰国後のJASSベトナム事務所活動などについて
話し合う。

ハンさんと当面の事務引継ぎ

クラッシク音楽を聴きたくなり、バオミンさんとCD専門店へ行く。

私はベートベンの第9とドボルザークの第9を買いたかった。
できたらビバルディーの四季。ベートベンの3大ピアノソナタ
も。
しかし、ベトナムでは、第9はなかった。代わりに運命(第5)が
あったが、第1楽章のみ。結局、何人かの作曲家の
「美味しい」「有名な部分だけ」を抜き出したCDだけしか
売っていなかった。1枚35円。
ベートーベン・ビバルディー・モーツアルト・ブラームス・
チャイコフスキーなどを買う。10枚。350円。

今日は仕事をしながら、四季の「春」を何度も聴いた。
ベートベンの「月光」が入っていたのでこれも何度も聴く。
本当は「熱情」を聴きたかったのだが。
それでも月光を聴いていると心が落ち着く。

今一番聴きたいCDは
①ベートベンの第9(合唱つき)
②ドボルザークの第9「新世界」
③ショパンの「幻想即興曲」
④ショスタコービッチ「革命」

到底フエでは手に入りそうもない。
日本へ帰国したら買ってフエに戻るつもり。

何とか、ベートーベンの第9(合唱つき)を聞きたいのだが、
まだフエでは、そうした文化は一般市民にはないようだ。
日本にいれば、直ぐに買えるのだが。こうした文化面では
やはりベトナムに住むということは、本当に不便である。

私にとって、クラシック音楽と落語は精神の安定剤。


メール受信・送信


午前11時半昼食。豚肉野菜雑炊


1時間ほど昼寝。気温24度。蒸し暑い

午後2時 読書「カラマーゾフの兄弟4」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 

午後3時、徒歩ベトナム事務所へ。


日本料理店では、開店の準備中。
こどもたちが手分けして「キビキビ」と仕事を
していた。日本料理店開店5年。こどもたちも
すっかりと手順を覚えたようだ。何事も「時間と経験」が
必要だ。

大量の豚肉。

調理主任のトゥーイさんが大量の豚肉を「小口」に切り分けていた。



チャンさんは「餃子の皮」を作っている。


ヒエウさんは、野菜の仕込み。


グエットさんはお客さん用の「おしぼり」の準備

リー君は「生ビール」の水素ボンベの交換作業

税田さんが一時帰国する。飛行場まで見送る。

日本料理店前で記念撮影



車で20分、フエ空港へ到着。



一時帰国する税田さんの健康を祈る。

午後5時半、日本料理店で夕食。

夕食は「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)

こどもたちは唐辛子を多量に投入。日本人は若干。

こどもたちのチャオ・バイン・カイン

日本人のチャオ・バイン・カイン


午後8時頃、ホーチミン空港へ着いた税田さんから電話。
無事国際線に入ったとのこと。

無事な日本帰国を祈る。


今日は7人の来客あり。

隣りの精進料理屋でリー君の弟が働いていた。


午後9時閉店。

午後9時半前、宿舎へ徒歩で帰る。


投稿者 koyama : 18:52 | コメント (0)

2010年12月05日

バンベー38号編集・仕上げ・レイアウト完了 →印刷へ

2011年「現地報告会」
日時:2011年2月12日(土)13:30~16:30
会場:豊島区民センター
    (JR山手線池袋駅東口下車 徒歩約5分)
    http://www.toshima-mirai.jp/center/a_kumin/index.html
(報告者)バオミンJASSベトナム運営委員長
      小山道夫JASS代表
      ユン・フエ市共産党委員長
      ニエン・フエ市人民委員会外務部長

会員の方、支援者・興味のある方の参加をお待ちしております。

======================

終日、雨


昨日、3回「飲んだ」ので今朝は起きられなかった。
午前9時起床。

午前10時、昨日の残りの「チャオバンカン」の半分を食べる。

今日は1日、バンベー38号最終編集を行う。

午前中、レイアウトをしてくれている静岡のAさんへAさんから
返送された「レイアウト初稿」に対する私からの訂正等をまとめ、
送信する。

私のパソコンと静岡のレイアウトをしてくれているAさんのパソコン
の相性が悪く、Aさんに届かない。

JASS日本のバンベー責任者の坂本さんが仲介をしてくれ、
レイアウトをAさんへ転送してもらう。

食欲なし。昼食抜き。そのままバンベ編集。

更にレイアウトの訂正があり、静岡のAさんへ送信。

更にバンベーの初稿を読み直し、更に訂正追加があり
訂正第3弾をAさんに送る。

午後2時から1時間昼寝。外は雨。


引き続き、バンベー38号編集関連の業務。

午後4時から読書。

「カラマーゾフの兄弟4」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 

第4巻は700ページ。新書版の本の2冊か3冊分。

半分ほど読む。

父親殺しで起訴された長男と次男の拘置所での話し合い。
人間の生き方、人との交流の仕方など学ぶべきこと大。

私が今まで読んだ本で影響を受けたベスト6の本

吉川英治「新平家物語」
山岡荘八「徳川家康」
五味川純平「人間の条件」
五味川純平「戦争と人間」
松本清張「昭和史発掘」
与謝野晶子「源氏物語」


海外ものでは、『カラマーゾフの兄弟』が
上記の中に入りそうだ。

午後6時、フダビールを飲みながら、引き続き
バンベー関連のメールを関係者に送る。

ラジオジャパンの短波放送を聴く。


メール受信・送信。

投稿者 koyama : 19:20 | コメント (0)

2010年12月04日

ベトナム事務所員会議:ベトナム事務所昼食会:日本料理店夕食会

終日雨・曇り・時々晴れ

午前4時半起床。

読書「カラマーゾフの兄弟4」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 

午前7時朝食。ブンボー

午前8時半、徒歩、ベトナム事務所へ。

午前9時、ベトナム事務所員会議


(ソン) 12月日程作成  ブレラ請求書作り
     富岡先生のビザ申請  関係者の航空券注文

(原田)月 日本語学校「特進クラス2」 
       日本語能力試験の模擬試験 (12月5日)本試験
    水  日本語学校「特進クラス3」 進度早い
       フエ高等師範大学日本語学科3年生作文テスト採点

(富岡) フエ高等師範大学3年生授業
     日本語学校「中級」授業。新たに高校生5人入学

(古竹) フエ高等師範大学2年・3年授業 今週で今年の授業終了
     テスト採点集計
     1年生は、引き続き授業を続ける
     日本語学校「特進4」漢字授業を始める。
     

(フーン)フエ高等師範大学3年生授業終了
     2年生は12月26日から2学期が始まる
     日本語学校「初級」・「特進3」授業
     特進3は、ダナンヘ日本語能力試験を受験に行く

(土井) 日本語学校「特進2」 「特進3」の授業
      フエ高等師範大学2年生の今までの授業を総括し
      次年度への方針を考えた
      テスト作り


(フオン) 日本語学校「特進3」 しっかりと勉強している。能力がある。
(ハン) 先週・金・土は「オアシスの会」の皆さんと「子どもの家」、
      ビーザー地区の船上生活者支援に行った
     奨学金支給一覧表を作った。
     マルタカの10月・11月分の会計報告作成
(税田)「オアシスの会」の会に同行
     奨学金名簿の翻訳
     竹とんぼ900本の注文を受けたが、500本が出来上がった。

(アン)奨学金の翻訳 →税田さんに確認してもらう
    「フェリシモ」の仕事

(ミン)・マルサの佐藤社長と仕事
    ・「縫製研修センター」がフエ省税務局の会計監査を受けた
    ・「子どもの家」のこどもたちの若干の問題
    ・2010年3月からNGOも一般の外資系企業と同一に
     外国人の労働登録をするようになった。
    ・2011年1月~4月までのスタディーツアーやベトナム事務所 
     に日程等の説明をする。
    ・静岡市から研修生の招請の要請がフエ市人民委員会に
     来ている。

ベトナム事務所員会議の本日の主な議題を終了。

その後、税田さんの「一時帰国休暇」の件について、
私から以下のように経過と事情を説明。

『税田さんから、諸事情により、しばらく帰国休暇を取りたいの
 申請があった。話し合いの結果、一時帰国休暇として、
 また、再度フエでの仕事が可能になった場合は、復帰する。
 12月6日(月)午後5時05分の飛行機で帰国する。
 日本にいてもメール等で出きるベトナム事務所の仕事は
 引き続き行っていく。再度の復帰を願う』


税田さんから一時休暇帰国の挨拶があった。

『2002年に京都青年会議所のツアーに同行して「子どもの家」に
来た。2005年5月にベトナム事務所員となった。
その時は、ハンさん、バオミンさん、フーン先生がベトナム事務所に
いた。ソン君はまだ「子どもの家」のこどもだった。
色々と体験・経験をさせてもらった。皆さんも体調に気をつけて
仕事をしていって欲しい。』

ベトナム事務所員会議終了後、バオミンさんの発案で
ベトナム事務所員全員と大塚さんで昼食を摂ろうという
ことになった。

午前11時過ぎ、タクシーに分乗し、「ハイリーホテル」付近の
田舎の庶民のレストラン風な店へ行く。




私は相当量のビールを飲んだ


午後1時半過ぎ、昼食会は終了。

タクシーでベトナム事務所へ。

ベトナム事務所からソン君のオートバイに乗せてもらい
宿舎へ。

午後3時半まで熟睡。

読書「「カラマーゾフの兄弟4」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社)

午後5時過ぎ、徒歩で日本料理店へ。

今日は日本料理店を閉店に日本料理店のこどもたちと
大塚さん・税田さん・日本人で「税田さんの会」を行う。

大塚さんとこどもたちが作った「鮭」と「イカ」の押し寿司。


夕食会は「すき焼き」「ジャブシャブ」の2種類の鍋物。







日本料理店のこどもたちが税田さんに感謝の言葉を述べる


午後9時前、税田さんの健康と復帰を願って閉会。


最後は、ラオスの高校同級生の與芝君たちが作っている
ラオディーの「ラム酒」をみんなで飲み。

日本料理店で税田さん・大塚さん・日本語教師の皆さんと
別れ、宿舎に帰る途中、リー君と弟のイン君が待っていた。
致し方なしに近くの飲み屋に2人を誘う。


更にビールなどを飲む。

リー君の弟のイン君は、日本料理店で働いていたが
暴言を吐いて勝手に退職。ホーチミン市の母親の
所で仕事をしていたが、再びフエ市に帰ってきた。
建築現場の労働者をしているとのこと。

この二人との出会いは17年前になる。

しばらく、二人の生活状況を聞く。

午後10時過ぎ、私は疲れたので帰宅。

リー君はこの17年間で大分「落ち着いて」来た。
弟のイン君はまだ不安定。何とかこの兄弟が真っ当に
生きていけるように「大人」の助言と援助が必要だと
痛感した。

今日は昼に飲み、夜に飲み、更にその後に飲んだ。

1日3回の飲酒はやはり「老体」にはきつい。

税田さんの復帰とリー君とイン君兄弟の幸せを祈り、
私の出きることはしたいと改めて決意した次第である。

午後10時過ぎ、宿舎にたどり着いた。

徒歩で宿舎に帰ったが、真っ直ぐに歩けなかった。


投稿者 koyama : 18:11 | コメント (0)

2010年12月03日

フエ警察へ:バンベー38号校正

朝雨・昼間太陽が出る。夕方、曇り。
気候の変動が大きい。体調不良。


午前5時起床。
読書「カラマーゾフの兄弟3」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 読了

午前7時朝食。キャッサバ芋の煮込みうどん(美味しい)

午前9時、フエ市警察フーホイ警察署に行く。
昨夜のわが宿舎への泥棒の逮捕のお礼に行く。

副署長と懇談。顔なじみの人。

わが宿舎への泥棒事件の真相が分かる。
当初、泥棒が入り、私の電動自転車を盗もうとし、
ガタガタ音がして両隣の人が起きてきて泥棒を捕まえた
との情報であった。
しかし、地元の警察副署長の説明は違っていた。
「小山さんはフエ市に取って大事な人なので、夜中
フエ市の警察官が何時間かおきに巡視している」とのこと。
今回の電動自転車盗難事件の際も時刻は「午前2時」。

有難いことである。24時間、私の宿舎の警備をしてくれている
フエ警察に感謝している。

午前2時に私の宿舎を警備しに警察官が来て、泥棒を
見つけた。泥棒は3人組。タインホア省からフエに来た泥棒もいる。
私の宿舎に来る前に自転車2台を他の場所で盗んでいる。

私の宿舎は24時間フエ警察の皆さんが警備をしてくれていることが
分かった。改めて感謝している?。

午前中、バンベー38号の校正。

午前11時半昼食。マカロニ・スープ


昼食後1時間ほど昼寝。

読書「カラマーゾフの兄弟3」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 読了


読書「カラマーゾフの兄弟4」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 

長男の父親殺人事件の記述は終わり、
3男のアリョーシャの話に変る。


バンベー38号の校正。静岡の有ヶ谷さんのレイアウトされた
原稿を全て読み直し、誤字・脱字などを訂正。時間がかかる。

10ページの全ての原稿を詳読し、校正する。


午後5時、ベトナム事務所へ。

午後5時半、日本料理店で夕食。

ベトナムの野沢菜。ビールのおつまみに最適



古竹先生と同じ福岡からの来客。

午後9時閉店。来客6人。

その後、リー君と少し「八海山」を飲む。

八海山3分の2を飲んでしまう。リー君は美味しい日本酒を
知っている。



午後10時、日本料理店をでる。

徒歩で帰宅中、元日本料理店のイン君(リー君の弟)と
道で会う。

宿舎着午後10時。

投稿者 koyama : 23:46 | コメント (0)

2010年12月02日

打ち合わせ

終日小雨

午前4時半起床。

読書「カラマーゾフの兄弟3」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 

長男 ドミートリーが父親の殺人容疑で検察・判事
の取調べを受ける。取調べ中に長男の供述の
気持ちの変化を微に入り細にいり記述する。
ロシア人の粘着質と言うのか大陸性というのか?
延々と取調べと供述の模様(長男は時に怒り、時に
笑い、時に動揺し)を丁寧に描いていく。
明らかにサスペンス推理小説でもある。


午前7時、朝食。赤米の「おかゆ」と小魚の甘辛煮。


午前8時半徒歩でベトナム事務所へ。

2時間半ほど打ち合わせ。

午前11時45分昼食。米飯と野菜サラダ・豚肉の脂を落としたもの
野菜スープ。気温の変化が大きく、食欲なし。3分の1ほど食べきれ
ない。

その後、1時間ほど昼寝。

静岡市役所とのメールやり取り。

いくつかの日程等の検討。

スーパーへ買い物


午後5時半、知り合いと食事会。


夕方、バオミンさんから電話あり。
昨日の午前1時、私の宿舎に泥棒が入り、両隣の家の人が
物音に気づき、犯人を捕まえたとのこと。
バオミンさんがフエ警察に呼ばれ、泥棒事件を聞かされた
とのことだった。

私はバオミンさんに話を聞くまで、昨日の午前1時深夜に
私の宿舎に泥棒が入ったことなど全く気づかす、知らなかった。
ゾッとする。泥棒は、入り口にあった私の「電動バイク」を盗もうと
したとのこと。門に鍵がしまっており、門を乗り越え侵入し
電動バイクを盗もうと「もがいている」うちに音がして、
両隣の家の人が気づき逮捕となった。
しかし、よく考えてみると、泥棒が金銭目当てで室内に
侵入し(ガラス戸に粘着テープを貼り、ガラスを割れば
音はしない)凶器で私を脅すか、刺し殺すことは容易
である。私は門に鍵をかけ、玄関のドアにも鍵をかけて
あったが、金目当ての泥棒だったら、簡単に私の寝室に
侵入し、殺害し、金品を盗むことができたと思うと
恐ろしくて眠れなくなってしまう。
フエに住んで17年半。本当に色々なことがある。

投稿者 koyama : 17:22 | コメント (0)

2010年12月01日

通常業務

雨・時々曇り

午前4時起床。

読書「カラマーゾフの兄弟3」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 

カラマーゾフ家の長男が父親を殺し、3000ルーブルを
強奪し、豪遊する。


午前7時朝食。蒸し暑い。フォー。

メール受信・必要な送信。


午前9時から午前11時10分までベトナム事務所で打ち合わせ。


午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
私の一番好きな食事。

1時間ほど昼寝。湿度が高く、頭痛・倦怠感。

読書「カラマーゾフの兄弟3」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社) 

長男、ドミートリー父親を殺し3000ルーブル(30万円)強奪豪遊。
豪遊中、警察・検察・裁判官に逮捕される。


静岡市役所へメール。

日本事務所の山西さんにメール。
その他、いくつかのメールを送る。

午後5時20分、徒歩、日本料理店へ。


大塚さんが「オアシスの会」の皆さんを見送りにハノイへ
行き、リー君をはじめ日本料理店のこどもたちにお土産を
買ってくる。

女子には、イヤリング。

リー君は、ネクタイ・カフス・ハンカチーフ


午後9時半、7人の来客が帰り閉店。


投稿者 koyama : 23:55 | コメント (0)