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2010年12月10日

里親・里子関係連絡:2月12日現地報告会前後の活動整理

終日快晴

午前6時起床。

午前7時朝食。ブンボー



静岡市役所との連絡。

関係者にいくつかのメール送信。


バオミンさんと来年のことで打ち合わせ。


午前11時半、昼食。ご飯、インゲン炒め・・・


体がだるい。

昼寝。2時間。

午後16通のメールを書き送信。

読読書「カラマーゾフの兄弟5 エピローグ」
(ドストエフスキー著:亀山郁夫訳 光文社)
を読み終わり、訳者亀山氏のドフトエフスキーの生涯。
改題「父を殺したのはだれか」を読む。


午後4時半、徒歩、ベトナム事務所へ。

バオミンさん・ハンさんと2011年現地報告会の会計に
ついての基本的な打ち合わせをする。
2011年会計報告、予算案についての基本的な意思統一をする

午後5時半、日本料理店で夕食


ブンの精進麺


私の靴の糊が剥げてはがれてしまう。

リー君が「昔この仕事をしていたので、僕がやる」
と言ってセメダインを買ってきて貼り付けてくれる。
上手に出きる。

今日は通りに観光客がほとんど歩いていない。

6人の来客あり。
ロンリープラネット(英語の観光ガイドブック)を読んで
わざわざ日本料理店に来てくれるオランダ人(2人)もいた。

私に色々と質問していた。

午後9時過ぎ閉店。

日本料理店に来て、鼻水が止まらない。風邪の初期症状。


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京都市の豊田陽氏から以下の投稿がありました。
私としても最近、日本社会から「寛容さ」がなくなり
「イライラ社会」になっているように思っていた所で、
公園のベンチにホームレスが寝ないように
「眠り防止の木」を貼り付けるという事態が起こっている
ことに戦慄を感じました。
「異物排除」「異端排除」の心理があるように思われて
なりません。
ホームレスを見えない所へ追いやれば、問題が解決する
訳はないのです。これは、日本人全体が考える
自らの問題だと思っています。今の日本の社会、
いつ自分がホームレスになるか分からない社会になっている
現実を直視すべきだと思うのですが・・・・・・。(小山)



謎のブロック
             京都市   豊田 陽

最近、近所の公園を散歩していて、おかしな「物」に気がついた。
写真のように公園のベンチに木製の四角いブロックが付けられている。
ひとつのベンチだけでなく公園内のあちこちのベンチの真ん中にすべて付いている。いったい何だこれは?
散歩の帰りに近くの理髪店に立ち寄って聞いてみた。ここの親爺は近所の事情通だが、「京都市が木製のブロックを付けた」らしい。「あそこの公園はホームレスが野宿するので、ベンチの上で夜、横になって眠れないようにして、公園から追い出すために設置した」そうだ。「何もそこまでして追い出さなくてもいいのになあ気の毒に…」先日、事情を確認するために京都市の情報公開コーナーを訪ねてみた。
ホームレス対策です。
公園のベンチに設置された木製ブロックの写真を見せて「これを誰がどのような意図で設置したのか教えて欲しい」と尋ねるとしばらくして「緑政課」の担当者が現れた。
担当者の男性曰く、あっさり「ホームレス対策です。公園のベンチで夜間、野宿しないように設置しました」との事。ちなみにこの公園だけでなく「市内のあちこちの公園のベンチに木製ブロックの仕切りを設置したり、最初から仕切りの付いている金属製のベンチを公園に置いている」との事。もう少し事情を聞くと「7月6日に「市民」から電話があり、その要望をもとに設置することに決めた」そうだ。ちなみに複数の市民や町内会、自治会、団体からホームレスを排除して欲しいという電話があったのではなく、たった「1本の電話」がきっかけだという。それにしても、いくらホームレス対策といえ公園で野宿させないためにベンチに木製ブロックを設置するとはあまりに安直すぎないだろうか。
文書はありません。
 もう少し詳しく事情を知りたいので情報公開請求したところ、その翌日、さっそく担当者から電話があり「今回、請求されたような内容に関する文書は一切存在しないので文書は出せません」との事。普通、起案書とか作ると思うけど…。設置にかかった費用も公開できないの?
ホームレスはゴミか
ところで都市公園法を見ると「第十一条に国の設置に係る都市公園においては、何人も、みだりに次に掲げる行為をしてはならない。一 都市公園を損傷し、又は汚損すること」とある。行政や「善良な」市民にとってホームレスは危険物、汚物の扱いなのだろうか。
ホームレスの問題、野宿者をどうするか。筆者は解決方法はないと思う。たとえば京都市がホームレスを対象に行った報告書を読むと心の病を抱えている人が多いことがわかる。それゆえ行政の対応も困難なことは十分理解できる。だからある程度、社会全体でホームレスの存在を許容しないといけないのではないだろうか。ところがホームレスに対する風当たりが年々、強くなっているように感じる。なぜ最近ホームレスに冷たく厳しいのか?セーフティネットのない今の日本では誰もが社会から落伍するのではないかという不安、恐怖を抱えている。ある日、自分がリストラされてという不安。あるいは自分の息子や娘が将来、ひきこもりやニート、更にはホームレスになるのではないかという心配。そういったことを想像したくない、見たくもないが故にホームレスを排除しようとするのだと思う。
 ところで京都市の公式サイトを見ると今年の7月14日に「京都市ホームレス自立支援等連絡調整会議設置要」というのが出ている。設置の目的は「第1条 京都市内のホームレスの自立支援等に関する問題について,関係部局及び関係機関等が連携を図り,総合的かつ横断的に取り組み,その解決に資するため,京都市ホームレス自立支援等連絡調整会議(以下「調整会議」という。)を設置する。」
だそうである。ちなみに公園にホームレス対策として木製のブロックが設置されたのが9月27日。もちろんこの会議には構成員として「建設局水と緑環境部緑地管理課管理係長」の記載もある。従って公園からホームレスを排除しようというのは市民からの要望を受けた現場の職員が勝手に判断して設置したというよりは京都市「全体」の意識が働いていると見た方がいいだろう。だからよけい安直にホームレスあるいは「異形の者」を排除しようとする考え方に恐ろしさを感ずるのだ。
 お地蔵さんの下で
公園を追い出されたホームレスはいまどうしているのか?じつはうちの町内には小さなお地蔵さんがお祀りしてあり祠には屋根が着いている。雨やしぐれの夜になると、うちの町内や隣近所のお地蔵さんの下で夜を明かしている。先日、ホームレスをどうしようかと町内で小さな「寄り合い」を持った。「別に悪いことをしているのではないから交番に何とかしてくれと云うのはやめておこう。ただしお賽銭を盗んだり、火の不始末で火事を起こしたりしないように本人(ホームレスの男性)に、ひとこと言っておこう。どういう事情で野宿しているのかわからないが冬のあいだは気の毒だから多少は目をつぶっておこう」というような意見が出された。京都の歴史や町なみを支えているのは京都市や行政ではなく、昔ながらの地元のリバタリアリズムだと思う。行政は安直な対策ではなく、行政にしかできないやり方で包容力のある社会づくりを目指して欲しい。

投稿者 koyama : 2010年12月10日 13:19

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