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2010年12月16日

低気圧通過ー豪雨・強風吹き荒れる

終日荒天。強風・豪雨

午前6時起床。宿舎は強風と豪雨の真っ只中。
宿舎の回りの木が風で揺らぐ。窓ガラスの隙間から雨が家に
入る。

午前7時朝食。赤米と小豆のおかゆ。


午前7時半、バオミンさんから電話。「強風と豪雨」熱帯低気圧が
フエを通過しているとのこと。先生の宿舎は大丈夫かと心配
の電話。

「フェリシモ」本社と連絡。500色の色鉛筆の件。

バオミンさん・ハンさんと打ち合わせ。

「子どもの家」のこどもの退所の件・・・・。


読書「ベトナム戦争ー誤算と誤解の戦場」(松岡完著:中公新書)


午前11時半昼食。マカロニスープ

1時間ほど昼寝。昨日は31度。太陽が出て暑かった。今日は
18度。気温が急に下がり、毛布の上に薄い掛け布団をかけないと
寒くて眠れなかった。

バオミンさんと世界歴史都市連盟の件で打ち合わせ。

「ベトナム戦争ー誤算と誤解の戦場」(松岡完著:中公新書)読了。

最初は期待して読んだが内容的には、アメリカサイドから見た
ベトナム戦争史といえる。アメリカの独立戦争からの戦争の
歴史と意義を解説し、その中で朝鮮戦争そしてベトナム戦争が
どのような意味があったのかを記す。「ベトナム症候群」が
アメリカ社会にどんなに大きな影響を与えたかを書いている。
アメリカの文民統制(シビリアン・コントロール)が実際の戦争
になると「邪魔」なものになるとの実例を多く出している。
ベトナム戦争中ジョンソン大統領は北爆の爆弾の種類まで
軍隊に指示していたとのこと。軍隊側からすれば、戦争も
知らない素人の文民が兵器・戦車・飛行機の種類まで
作戦決定に当るのでは、戦争に勝てっこないと思っていたようだ。
著者はベトナムのことにはほとんど無知である。
「ベトナムでは、ホーチミン主席が尊敬されていて、
誕生日と9月2日の死亡した日は国民の祝日になっている」
と書いてある。全て嘘である。
誕生日は祝日ではない。お祝いの行事はあるが。
ホーチミン主席の死んだ日は、もともと9月3日とされていた。
本当は9月2日に死んだのだが。9月2日は建国記念日。
建国記念日に葬式では、まずいということで、ベトナム共産党は
本当に死んだ9月2日をごまかして、9月3日と国民に発表。
ベトナム戦争後1980年代の終わり頃までは、ホーチミン主席の
死んだ日は9月3日なっていた。ニャンザンの副編集長が
ホーチミン死去の日の真相をニャンザンで暴露し、本当の死亡日が
判明。9月2日だった。
現在、9月2日は祝日であるはホーチミン主席の死んだ日だからでは
なく、建国記念日だから祝日。以上のことは、ベトナム関係の
本を少し読めば書いてある。ベトナム戦争と銘打った本で、基礎的な
単純な事実を知らない著書に学問的な価値さえ疑ってしまう。
残念である。

バオミンさんと静岡の会ツアーの件で打ち合わせ。


午後5時過ぎ、日本料理店へ。外は雨。

アヒルの玉子焼き


午後9時過ぎ閉店。来客6人。

徒歩帰宅。雨の中。


投稿者 koyama : 2010年12月16日 09:48

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