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2011年03月09日

アン君退所式:ブライセン社長等来訪

気温低い  小雨

午前7時朝食。赤米のおかゆ

午前8時45分、バオミンさんがオートバイで迎えに
来てくれる。「子どもの家」へ。

「子どもの家」のアン君の退所式

アン君は1999年に「子どもの家」へ入所。
兄のビン君と二人で昔の事務所にやってくる。
フエ駅付近で兄弟で寝ていた。近所の人に
「フォンザンホテルの前に日本人の事務所がある。
こんな道路で寝ててはいけない」と諭され、
我がベトナム事務所へやってくる。
12年前の出来事だが、私の瞼には鮮明に
その日のことが残っている。
朝食を摂ってなかったので、近所でブンボー(米麺)を
買って食べさせたことを覚えている。
あれから12年も経ってしまったのでだ。早いものである。

当時クアンチ省に住んでいた母親も列席。
今はホーチミン市で食堂の皿洗いをしているとのこと。


(セン)アン訓は1999年に入所した。現在16歳である。
    本人と母親の希望で退所することになった。
    小学校時代は成績は抜群に良かったが、中学校に
    入り、勉強を怠けてしまった。ホーチミン市に行き、
    兄のビン君の勤めている換気扇会社に勤めるとの
    ことなので、今度はしっかりと仕事をして欲しい。
   ホーチミン市に行っても「友達関係」特に悪い友達
   との付き合いをしないようにすること。
    ホーチミン市はフエと違い複雑な都市だ。
   アン君が考えているような甘い気持ちでいたら大変だ。
   心を引き締めて生活するように。支援者の茂木さんや
   JASSの皆さんのことを思い出して生きて行って欲しい。

(母親)長い間兄のビンと弟のアンを「子どもの家」で育てて
     もらい感謝している。
      当時はクアンビン省にいたが、私一人の働き手で
     子供を育てることができずにいた。JASSのお陰で
     兄のビンも弟も義務教育を勉強させてもらい、大きく
     育ててもらった。感謝している。
      本人の強い希望でホーチミン市にいる兄と同じ会社
     で仕事をするこよになった。長い間の支援に感謝
     している。里親の方にも宜しく伝えて欲しい。

(アン)長い間、「子どもの家」でお世話様になった。
    これからはホーチミン市で一生懸命仕事をして母親を
    助けたい。

母親が退所承諾書にサインをするのだが、字が読めない。
47歳の母親は学校に行ったことがないとのこと。
母親の住んでいた「クアンチ省」は、北緯17度線の南側
であり「ベトナム共和国(南ベトナム)」だったが、1973年には
「ベトナム民主共和国(北ベトナム)により占領・解放された地域。
ベトナム戦争中、最大の激戦地であった。
お母さんの小学校時代が最も戦争の激しい地域だった。
お母さんが学校へいかなかったのは、ベトナム戦争と家庭の
貧困という事情があったものと推測する。

退所承諾書をアン君が母親のために読んであげる。
合わせて承諾書にアン君がサインする。本来は母親だが。

アン君と兄のビン君、そして母親の3人の幸福を祈る。


続いて「子どもの家」のD君。15歳。5年前、船上生活の
両親の元から「子どもの家」へ入所。現在6年生。
小学校時代は常に成績「最優秀」であった。
しかし、最近、セン運営委員長に「ホーチミン市に行き
仕事をしたい。退所したい」との申し出をしている。

今日は母親、本人と私たちの話し合いをした。

母親は我が子に「子どもの家」へいるように言っている。
しかし、D君はホーチミン市の縫製工場で働きたいと
言っている。

私がどうしてホーチミン市に行くの?との質問に
「友だちからお金が儲かると言われた」との返答。

私はホーチミン市に行けば何度もお金儲けができ、
自分の夢は何でも実現すると思ったら大間違いだ。
ホーチミン市は物価も高い、悪い人間もたくさんいる。
まだ社会を知らないD君だ。せめて中学校の義務教育
を卒業するまで「子どもの家」にいなさいと。
D君は勉強も良く出きるのだ。頑張って大学まで行きなさいと
諭す。

セン運営委員長も私と同様の意見を言う。

しかし、D君は「どうしてもホーチミン市に行き、縫製工場で
働き、お金儲けをしたい」と言い張る。

私が「ホーチミン市のどこの縫製工場へいくの?」と聞く。
D君は、「どこだかは決まっていない」との返事。

結局、D君が友だちから「ホーチミン市に行けば、
大もうけできる」というような話を聞き、本気になって
ホーチミン市行きを考えるようになったという経過で
ある。

今日は話し合いをしたが、まだ結論を出さない。
これからも何回か話し合いをしようということで
話を終わる。

急いで話し合いを終わり、午前10時過ぎ、
フエ大学副学長とある問題で懇談。

午前11時半、宿舎へ帰り昼食。精進麺。


午前3時過ぎ、IT会社ブライセンのVU君・THI君と一緒に
フエ空港へ。

語午後4時半過ぎ、ブライセンの藤木社長以下計5人の
社長さんたちをフエ空港で出迎える。

車で30分。フォンザンホテルへ。


日本料理店でリー君と旧交をあたためるブライセン藤木社長


午後5時半過ぎ、日本料理店でこどもたちと日本語教師は
夕食。


午後6時過ぎ、ブライセンの藤木社長さんとその仲間の社長さん
たちと一緒に夕食。ブライセンベトナム支社のVU君・THI君も
参加。二人とも1年間ブライセン日本本社で研修をした仲。

午後9時前に閉会。ホテルへ戻る。

投稿者 koyama : 2011年03月09日 16:58

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