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2011年03月26日
ACCL渡辺さん来訪:静岡大学入試第1日目:講演会
終日雨 非常に寒い。
昨日からの下痢が治らない。
お腹の具合が悪いので朝食は食べず、午前7時40分
ベトナム事務所へ。
午前8時過ぎ、JASS里親担当・ACCL代表の渡辺和代さんが
ベトナム事務所へ。
渡辺さんは、フエ中央病院小児科と提携し、小児ガン、特に
小児白血病のこどもたちの支援を行っている。
私、里子担当のハンさん、バオミンさんとで「子どもの家」の
こどもたちの入退所の現状について説明。
フエ(ベトナム)全体の異常な物価高の現状を説明し、
何とか節約し、現状の里親会費でこどもたちの生活を
一層充実させていくことなどを話し合う。
今日は、2011年に入金された里親会費を持って来てくれた。
有難いことである。
午前9時、静岡青年会館へ。静岡大学入試の初日。筆記試験
である。
会場へ。静大の先生・関係者(5人)、原田先生・フーン日本語
部長、フオン日本語教師が既に来ている。私とバオミンさんも
合流。
フエの受験者は6名(内1名は「子どもの家」のHNさん)
ハノイ1名、ホーチミン市12名。合計19名の受験者。
既に指定されている受験番号の机・椅子に座り、携帯電話を
封筒に入れ保管する。
静大工学部M先生の受験上の諸注意を聞く。
午前9時半前に受験生は2階の受験教室に移動する。
私は、午前9時半から地球の歩き方5班の講演会が
「子どもの家」であるのでタクシーで急いで「子どもの家」へ
行く。外はかなりの雨。
午前9時半、2階音楽室(会議室)で地球の歩き方の
皆さんに講演をする。今回は、1997年放映の「ドキュメンタリー
人間劇場」の一部をテレビを使ってみてもらう。
テレビに出てくるこどもたちのことなどを説明しながら
講演会をする。今回は、初めて放映されたテレビ
番組の一部を紹介しながらの講演会をしてみた。
口で説明するよりも映像でみたもらった方が分かりやすい。
午前10時45分に講演会を終了。
その後、「子どもの家」のこどもたちの歓迎会。
セン運営委員長の歓迎の挨拶。ソン君の通訳。
こどもたちの歓迎の踊り(今日は寒いので冬着を着ての踊り)
地球の歩き方スタディーツアー5班の皆さんの出し物
鍵盤ハーモニカを使って「ドラエモン」を歌う
とても上手に鍵盤ハーモニカを使っていた。
教員志望者なのだろうか?
歓迎会が終わろうとした時、「子どもの家」のこどもたちから
サプライズの行動があった。
「東日本大震災支援行動第3弾」
こどもたちが、私にも内緒で「日本の地震・津波被害者」
への激励の言葉と「鶴」を折って地球の歩き方5班の
日本人の皆さんに贈ったのだ。
中心になったのは、「タン君」とフエ芸術大学へ行っている
「フック君」である。この二人が中心になり、英語はフエ医科大
フエ師範大に行っている女子学生が書き、小中学生は
鶴を折ったりして、「子どもの家」のこどもたち全員で
日本の被災者への激励の寄せ書きを作った。
「PRAY FOR JAPAN。 YOU ARE NOT ALONE」
との英語が書いてあったので、タン君に聞いたら、
大学生に行っているこどもたちが英語をかいたとのこと。
人の手は、タン君トフック君が描いた。「子どもの家」のこどもたち
がそれぞれの特色を生かして、日本人を励まそうとする
努力と気持ちが伝わってくる。
小さな折鶴は小さいこどもたちが時間をかけて作った。
16年間「子どもの家」でこどもたちを育ててきて
こどもたちは英語を知り、こうした常識的な人間の感覚・感情を
しっかりもつこどもに育った。寮母さん・学校の先生に心から
感謝したい。人間を育てると言うJASSの目指すものの
一部が多少は達成しつつあることなのかも知れない。
「子どもの家」のこどもたちはなかなかシャレた英語を知っている。
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんにタン君が寄せ書きを
贈る。
寄せ書きの中心になったタン君から日本の被災者への
激励の言葉。「自分たちも日本の被災者と同じ気持ちで
悲しみと苦しみを共有している」という趣旨の挨拶をする。
成長したものだ。1993年10月、4歳位で最初に私が
作ったチーラン通りの「子どもの家」に入所してきた。
タン君とは18年近く付き合っているのである。
午前11時半。雨の中、宿舎へ帰る。
お腹の調子が悪いので「おかゆ」を作ってもらう。
ベトナムのお粥は日本と同じだが、塩と生姜(しょうが)
をつけて食べる。
今日は半日の仕事だったが、本当に疲れる。
下痢で食事をきちんとしていないことと風邪を
引いているので、直ぐに横になる。力が出ない。
震災支援第4弾のアイディアを考えた。
バオミンさんと相談。何とか実現したい。
ベトナムの政治など複雑な問題が横たわっている。
そうしたことを乗り越えて何とか、私の考えた
第4弾のアイディアを実現したい。
日本の同胞の皆さんが被災している。
ベトナムにいる私たちも出きることは小さいことでも
何か支援をしたいものである。
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「東電の想定外」は嘘。(毎日新聞より)
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東電の「想定外」は嘘<福島第1原発>東電「貞観地震」の解析生かさず
毎日新聞 3月26日(土)18時47分配信
東京電力福島第1原発の深刻な事故の原因となった、大津波を伴う巨大地震について、09年の国の審議会で、約1100年前に起きた地震の解析から再来の可能性を指摘されていたにもかかわらず、東京電力が対策を怠っていたことが分かった。今回の事故について東電は「想定外の津波だった」との釈明を繰り返している。だが、東電側が審議会の指摘をないがしろにしたことが、前例のない事故の引き金になった可能性が出てきた。
指摘があったのは09年6月、原発の耐震指針の改定を受け電力会社が実施した耐震性再評価の中間報告書について検討する審議会だった。産業技術総合研究所(茨城県つくば市)の岡村行信・活断層研究センター長が、869年に発生したマグニチュード(M)8以上とみられる「貞観(じょうがん)地震」を取り上げ、「非常にでかいもの(地震)が来ているのがもう分かっている」と、東電が考慮していない理由を問いただした。
翌月の会合でも、この地震が、04年のスマトラ沖大地震のように幅広い震源域が破壊された可能性が高いことを指摘し、東電にスマトラ沖地震のような「連動型地震」を想定するよう求めた。東電側は「まだ十分な情報がない」「引き続き検討は進めてまいりたい」と答えるにとどまった。
古文書によると、貞観地震は宮城県沖で発生、津波で約1000人が水死したとされる。産業技術総合研究所などが05~09年、宮城、福島両県で、海岸付近の土砂が津波で運ばれた「津波堆積(たいせき)物」の分布を調べたところ、当時の海岸線から数キロ内陸まで浸水したことが判明。福島県内でも、同原発の約7キロ北の現・浪江町請戸地区で現在の海岸線から約1.5キロの浸水の痕跡があった。同規模の津波は450~800年程度の間隔で、過去に繰り返し起きた可能性も浮かんだ。これらの成果は学会や論文で報告されている。
◇「『想定外』は言い訳」
東電の武藤栄副社長は25日の会見で「連動した地震による津波は想定していなかった」「(貞観地震を参考にした)地震や津波の予想について共通見解を出すには至っていない状況にあった。学会として定まったものがなかった」と釈明した。東電のこれまでの対応に対し、岡村センター長は「原発であればどんなリスクも当然考慮すべきだ。あれだけ指摘したにもかかわらず、東電からは新たな調査結果は出てこなかった。『想定外』とするのは言い訳に過ぎない。もっと真剣に検討してほしかった」と話す。【須田桃子、藤野基文】
投稿者 koyama : 2011年03月26日 21:34