« 来訪社長一行「フーバイ工業団地」、フエ科学大視察 | メイン | 古竹先生離任・激励会 »

2011年03月11日

「東北地方太平洋沖地震」の犠牲者に哀悼。

小雨  寒い

午前7時朝食。フォー。

午前8時過ぎ、徒歩でフォンザンホテルへ。

ブライセン社長と仲間の皆さん一行と「子どもの家」へ。

セン運営委員長と挨拶。


「子どもの家」の施設を案内する。

1時間ほど「子どもの家」を視察。その後、ソン君と
二人で王宮を案内。バオミンさんは、法事で欠勤。



午後12時。フエ市内の「チャーハン専門店」へ。

昼食後、天安山中腹の「ウーロン茶」専門店に行く。

ベトナム時間の午後2時前(日本時間午後4時前)
ブライセン社長と仲間の社長さんの
会社から「宮城で大地震発生」との第1報の電話あり。
その後、それぞれの社長さんが会社の様子などを電話で
確認。東京五反田、横浜等。
更に社員に地震の詳細を聞くが日本の社員の方たちも
詳細は不明の様子。しかし、社員の方々からの電話
報告を総合すると相当大きな地震が岩手・宮城などで
発生したことがわかる。東京も震度5との
電話連絡あり。被害者がでなければよいのだが・・・と
皆で話し合う。

午後2時過ぎ、市内の「静岡フエ青年交流会館」付属
日本語学校を視察。

特進クラス3の授業。3月に静大工学部入試を受ける
生徒も4人ほどいた。日本語で話し合う。

日本語学校参観後、市内最大の市場「ドンバ市場」を
視察。


午後3時半過ぎ、ドンバ市場を出て、午後4時、フエ空港へ。

法事中のバオミンさんに電話。知り合いのベトナム航空に
連絡し、ホーチミン市 →成田の飛行機が今夜出るのかを確認
してもらう。0:05分ホーチミン市発が0:15分に変更されるが
今夜飛行機が出きるとのこと。


ブライセンの藤木社長以下の皆さんの無事帰国を願う。

ソン君と二人でフエ市内に帰る。

私は体が疲労困憊。そのまま宿舎に帰る。

東京の自宅・福島の長男、東京の次男の家に
電話をするが全く通じない。
日本の家族の状況が分からない。しかし、これ以上
電話をしても仕方がないので止める。

午後7時(日本時間午後9時)、東京の自宅にいる
妻から電話あり。

福島の長男・東京の次男・東京の自宅は無事とのこと。

一安心。しかし、多くの方々がなくなったり行方不明に
なっていることに心痛む。

午後9時、ブライセン本社総務部から電話。
ブライセン社長一行の飛行機の件。

再度バオミンさんを通してベトナム航空へ問い合わせ。
0時15分ホーチミン発の飛行機は飛ばないという。

急いでブライセン本社総務部へ電話をし、藤木社長に
私の携帯に電話を入れてもらうよう依頼する。

ベトナムから日本への電話は一切通じない。
日本からベトナムへの電話は通じる。

午後10時過ぎ、ホーチミン市の藤木社長より電話。
成田行きの飛行機は今夜でないことを話す。
ホーチミン空港へ行き、明日の新たな切符を取るよう、
そしてホーチミン市のホテルをベトナム航空が用意している
か確認し、用意していたらそこへ今夜は泊まる、用意して
いない場合は直ぐに私に連絡をしてもらうよう頼む。

ベトナムテレビでは日本の大地震。死者25名との報道。

日本のマスコミの報道では死者・行方不明者数百名との
こと。津波が多発。火災発生。「自衛隊」が出動した模様。

亡くなった方々へ哀悼の気持ちを表明。
行方不明の方々が無事生還することを祈る。

投稿者 koyama : 2011年03月11日 20:56

コメント