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2011年03月16日
富岡夫妻空港へ出迎え:小児針の会:古竹先生送別
快晴
午前5時起床。
午前6時半過ぎ、バオミンさんと一緒にフエ空港へ。
午前7時20分、富岡先生のご両親がフエ空港へ到着
する予定だったが、いつものように遅延。午前7時過ぎの
段階でまだホーチミン空港。私は8時過ぎに「小児針の会」
の大極さん一行をベトナム事務所で出迎える役目になって
いた。富岡先生のご両親は1時間以上遅れる模様。
いい加減な「ベトナム航空」ではある。いつものことだが・・・・・。
フエ空港バオミンさんと富岡先生に任せ、宿舎へ戻る。
途中、パン屋でパンと牛乳を買い、軽い朝食とする。
午前8時過ぎ、フォンザンホテルへ「小児針の会」の
皆さん8人を出迎えにいく。ソン君も一緒。
皆さんとベトナム事務所へ。ベトナム事務所スタッフと
小児針の会の皆さんの挨拶。
ベトナム事務所員の自己紹介
小児針の会の皆さんの自己紹介
小児針の会からベトナム事務所へお土産
ベトナム事務所スタッフとの交流を終え、小児針の会の皆さんは
車で「子どもの家」へ。「子どもの家」のセン運営委員長と挨拶
ソン君が施設を案内する
「子どもの家」のタン君が何故か「国旗」を振っていた。
1時間ほどソン君の施設案内が終わり、私の講演会となる。
90分ほどの講演を終わり、「子どもの家」のこどもたちと
昼食を共にする。
午後3時過ぎ、ベトナム事務所へ。
古竹先生がいよいよ離任・帰国。最後のベトナム事務所での仕事。
日本料理店のこどもたちなどが古竹先生を見送る
こどもたちとのお別れ
夕方、フエ空港へ到着。
日本へ帰国し、大学へ復帰してからの健康と勉学の向上を
心から祈る。1年間のベトナム事務所での活動に深謝。
午後6時、日本料理店。
佐藤さんと友人の方と交流。
午後9時まで交流が続く。
帰宅午後9時15分。
静岡・富士宮市などで震度6の大地震があった。
帰宅後、急いで静岡の会事務局長の笠井さんに
お見舞いの連絡。
返信があり、静岡市は大事には至らなかったとのこと。
富士宮市は被害がでているとのこと。
大きな被害がないことを祈る。
福島原発は、枝野官房長官の数日前の「安全・安全」の
言葉がどこにいってしまったのか? と思われるほど
危険な状態に陥っている。
フランスは、在日フランス人のフランスへの帰国便を用意した。
アメリカの原子力専門研究所は、現在の福島原発の状態を
チェルノブイリの水準と認定している。
東電の対応には、あきれてしまう。
どんな大地震があっても「安全」と豪語していた東電の
安全は、冷却水を注入する電気装置の電池がなくなったとか
もう口にも出したくない「でたらめさ」である。
菅首相は地震の翌日に福島原発を視察しているのである。
あの視察は何だったのか? 肝心な問題を何も点検せず
帰ってきている。単なるパフォーマンスと言われても仕方がない。
日本のテレビを見ていると福島原発についての評価が「甘・甘」状態。
海外のメイディア・政府・機関の評価は非常に厳しい。
緊急事態が起こった時の鉄則は厳しい評価・最悪の状態を
想定しての対策をたてることだ。東電・菅内閣の福島原発への
評価は、常に「希望的願望」を前提とした「一番よい方になったら」
としての甘い評価である。
国民に「慌てずに」と言っているが、国民の方が冷静であり、
菅内閣の福島原発への対応こそ、「慌てふためいている」
態度である。
「政治的休戦」を止めて政党は国民の立場から批判すべきことは
きちんと批判する政治的な責務を負っている。
被災者や関係者・国民の不満は誰が政府に届けるのか?
主権者である国民の付託に答え、代議する人間としての
国会議員・政党である。政治的休戦こそ国民を裏切る行為で
ある。
東電は情報を隠し、隠し、小出しにしている。
政府は無批判に追随してる。やっと一昨日、東電本社内に
対策本部を作り、海江田氏が本部長、東電社長は副部長に
なているが、遅きに失した無策政権の典型である。
投稿者 koyama : 2011年03月16日 00:08