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2013年05月31日

バオミンさんとSKYPE

湿度高し

体調はいまいち。

何か仕事をすると「疲労感」が残る。

午前10時半から12時過ぎまでバオミンさんと
SKYPEで話し合う。当面の大きな課題について
細かい打ち合せ。今後のJASSのあり方、方向などに
ついて意思統一を行う。

午後2時、池袋のビックカメラへ。
数か月前に新しい携帯電話(老人が使うシンプルなもの)に
買い替えた。しかし、新しい携帯電話には、
住所録がついていなかった。古い携帯電話の充電部分が
壊れてしまい、新しい物を買ったのだが・・・・。
古い携帯電話に通電し、住所録をコピーしたかった。
古い携帯の充電器を買いに行ったのだが、既に
古い携帯の充電器は販売を中止していた。
たかだか数年前に買った携帯電話なのだが・・・・・。
IT分野の機種の変転は速い。これほど、、無駄なことはない。
まだ十分使える携帯電話だが、新しい機種が出ると、ほとんと
修理はできず、部品は買えなくなってしまう。

大量の住所を古い携帯に入れてある。手紙を出す時、
住所が分からず困ってしまう。これが「便利になったという
現在」の不便な現実である。無駄だ。使えるものを次から
次へと「捨てていく」時代になっている。

山西さんから入金された「JASS会員会費等」を銀行から
引き出す。ベトナム事務所に渡す予定。

数時間の池袋への外出だったが、異常な疲労感。
家へ帰り、数時間横になる。まだ、体調は回復していない。
徐々に通常の生活に慣れるようにしたいとは思っているのだが、
なかなか思うように進まない。

夕方、大学の同級生の鍼灸師DDさんから「お灸」と
胃や腸、下痢、飲みすぎ・・・・に聞く「ツボ」を書いた
文書をもらう。先日、足の「三里」にお灸をすえた。
翌朝、前夜にお風呂に入ったような「ポカポカ感」が
残った。お灸は効く。Dさんに感謝。

「大黒屋光太夫(上)(下)毎日新聞社を読了。
1868年明治維新の100年ほど前に出来事。

「白い航跡(上) 吉村昭 講談社」を読み始める。

まだ内容は不明。鳥羽伏見の戦いから話は始まる。

投稿者 koyama : 19:13 | コメント (0)

2013年05月30日

ブライセン本社訪問

曇り・雨

今日は1日中、蒸し暑い。

午前中、受信メールの整理・返信。

午後休息。

午後2時半、自宅を出て池袋へ。買い物

午後4時、五反田のブライセン本社へ。

本社ベトナム担当のK部長と1時間半程打合せ。



山手線車中・数日前から高校同級生五井君から
送ってもらった本を読む。

「大黒屋光太夫(上)吉村昭著 毎日新聞社」読了。

「大黒屋光太夫(下)吉村昭著 毎日新聞社」半分ほど
読む。

この本は前から読みたかった本だった。
異文化の中で日本人はどんな反応をし、どんな生活を
するのか?
「江戸時代、廻船が難破し、ロシアで10年近く過ごす
、10数名の日本人船員の物語」。
当時のロシアは、かなりの文明国で、漂流しロシアに流れ着いた
漁民を日本語教師にして、日本語学習をしている。


投稿者 koyama : 19:52 | コメント (0)

2013年05月28日

歯科医へ

曇り・湿度高い

お腹の具合いは多少改善気味。


午前11時、近所の歯科医へ。
6月中旬にインプラントの歯を入れる。
今日はそのための最後の打合せ・歯や体(血圧等)の
最終チェック。手術担当の院長と手術などの具体的な
打合せ。

最終的にインプラントは、左下奥歯3本となる。
院長から手術の具体的な進め方、麻酔等の状況、
術後の手当て等の説明を受ける。

手術した翌日、京都の講演会に行く。
手術の後の歯茎等の腫れを聞く。人によって違うとのこと。
一般的には「腫れ」が出る。翌日京都へ。更に京都から
札幌へ。合計10日間。
院長にお願いし、その間の痛み止め、腫れ止め等の
薬をもらうことにする。

6月中旬に手術をするが、その前に2回病院へ行き、
最終打合せ、チェックをする。この病院は、なかなか
細かく手当てをする病院と見た。インプラント手術の
希望者が多く、手術を待っている患者がかなり多いとの
こと。インプラントの手術は、手術をした日に全て終わると
思っていた。手術の日には、
顎の骨に穴を開ける、歯茎を通して、細いチタンの棒を
歯茎を通して、下あごの骨につける。その後、「仮歯」を
入れて、第1回目の手術は終わる。それから3ヶ月間待つ。
その間にチタンが、下あごの骨、歯茎になじみ、くっつく。
3ヶ月後に正式な歯をチタンの棒にくっつけて終わる。
1年に数回は、インプラントの歯のチェックが必要との
こと。

口の片方だけ食物を噛むというのは、人間の自然の
体を徐々に衰弱させる。きちんと食物が食べられない
ということは、きちんとした「栄養」が摂れないということでも
ある。長期的に見ると「老齢化」を促進し、フエでの
子どもたち支援の活動ができなくなる。


午後4時頃、青少年教育の会の加藤さんから電話。
良い胃腸の病院を紹介してくれる。感謝。

午後5時、フエのバオミンさんと「SKYPE」でいくつかの打合せ。

20通ほどのメールあり。

午後9時。鍼灸専門家の友人からの助言。
足の「三里」にお灸を据える。

投稿者 koyama : 20:00 | コメント (0)

2013年05月27日

病院へ

快晴

午前9時自宅を出て、近所の総合病院へ。

午後9時半、腹部CTスキャン。

午前10時、胃腸器科の医師の診療。

CTスキャンの結果は、腎臓に「嚢胞(のうほう)がある。
腎臓の腫瘍か調べたが、腫瘍の可能性もあるので、
腎臓エコーで詳細を調べるようにとのこと。
先日の胃カメラで喉の入り口に大きな腫れが
ある、悪性腫瘍の可能性もあるので、急いで耳鼻咽喉科に
行き、調べてもらうように、とのこと。

午前10時半、耳鼻咽喉科へ。喉の大きな腫物について
診てもらう。生まれつきのもの、心配はいらないとのこと。

引き続き、午前11時、腎臓のエコー検査。

午前11時半、泌尿器科の医師の説明。
腎臓は問題ないとのこと。前立腺肥大がある。
自覚症状があったら病院へ来るようにとのこと。

以上で診療はおしまい。

私が病院へ来たのは、下痢を治すため。
総合病院は、各科に分かれ、担当医師は、
週に何回か、午前か午後の勤務。
一人の患者を責任を持って治療する態勢になっていない。

仕方がないので、胃腸科の医師に質問する。

CTスキャンの分析を他の専門医師がしているので
2週間後に来院するとうにとのこと。

これ以上、この病院に頼むことはできないと思った。

下痢以外の腎臓がんの検査や喉頭がんの検査、前立腺肥大
などを見つけてもらったことは、感謝したい。しかし、来院の
目的である下痢の治療は一切ない。既に初診から2週間
程経っている。薬も下痢の原因も分からない。
変わったことは、ウイルスや寄生虫が原因の下痢ではない
とのこと。

2週間後に来院するようにという意味が分からない。
その間にも下痢は続く。当面の何か「手当」がないものなのか?


投稿者 koyama : 18:47 | コメント (0)

2013年05月23日

胃カメラ検査

午前9時、自宅を出て、家の近くの総合病院へ。

下痢が止まらないことの再検査。


胃カメラで胃の状況を調べる。原因不明。
胃が相当荒れているが、下痢との関係不明。

来週、腹部CTスキャンをし、更に原因を究明するとのこと。
原因が分からないので、処方のしようがないのも事実。
現実に起こっている下痢や異常な倦怠感などについての
対処療法がないのは、本当に困ってしまう。

この1週間ほど、「検査」ばかり。

先週の検便、肛門付近の寄生虫の卵の有無の
検査をした。その結果がわかる。

寄生虫はいない。ウイルス系細菌などの原因に
よる下痢ではない。

上記の寄生虫、ウイルスが原因ではないということまで
分かった。

来週、腹部スキャンをし、更に腸関係の細部を
調査する。
現時点で想像できるのは
①フエの風土病。これは、日本の医師ではわからない。
②肉体的な疲労、精神的な強度のストレスによる下痢。

いずれにしても既に1ヶ月半にわたり下痢が止まらないのは
本当に困る。真っ当な食事ができないこと、体力と意欲が出ない
ことなどが続く。しかし、目の前にしなければならなし仕事が
山積している。

今日も1日、部屋で寝ている。

投稿者 koyama : 12:11 | コメント (0)

2013年05月22日

高校クラス会分派会議

午後12時、自宅を出て、巣鴨へ。

体調は不良。下痢が止まらない。
体がだるい。

午後1時から2時間程、高校クラス会分派会議。
巣鴨の台湾料理店へ。

私は食べ物が食べられない。お酒も飲めない。
既に1ヶ月以上、お酒を一滴も飲んでいないというのか、
「飲めない」。

暖かい中国茶だけ飲んで、皆さんの話を聞いていた。


2時間程、交流をし私は姉の住んでいる根津へ。
他の皆さんには、二次会へ。

巣鴨から上野へ。上野から池之端を通って、根津へ。
根津の姉夫婦と1時間程、世間話。

午後6時頃、自宅着。

明日は、胃カメラの検査。今夜は、午後8時までに
夕食を済ませ、その後の飲食は禁止されている。


午後10時頃、就寝。久しぶりに歩いた。
家に帰ったら、相当の疲労感あり。

投稿者 koyama : 19:50 | コメント (0)

2013年05月20日

バンベー43号編集、終了

体がだるい。下痢あり。

食事があまりできない。
細菌性の下痢か? 消化器科の下痢か?
5月23日に細菌性下痢かどうかは結果が出る。
消化器系が原因か同課は、23日の胃カメラ次第。

朝から夜まで1日、バンベー編集。一応、終了する。

投稿者 koyama : 20:08 | コメント (0)

2013年05月19日

終日、バンベー43号編集

朝から夜まで「バンベー43号」の編集。

USBを使ってインターネットをつないでいるので
電波の力が弱く、写真などがなかなかUPしない。

長時間かかっても終わり切れない。

体調不良。再度、下痢再発。原因不明。

5月23日に検便の結果が出る、また胃カメラで検査する。

投稿者 koyama : 19:06 | コメント (0)

2013年05月16日

通院

午前9時半自宅を出て都営三田線で春日。
春日で大江戸線に乗り換え都庁前。

心臓の病院へ。午前11時予約。しかし、患者が
多く、診療は午後12時を過ぎていた。

血圧測定。診療。問診。いくつかの生活上の注意。
痛風の危険があるとのこと。
心臓の本格診断をした方が良いとのこと。
次回、通院時に専門心臓撮影センターを紹介するとのこと。
心臓の薬、1ヶ月分をもらう。

新宿から帰宅。午後2時過ぎに自宅に着く。
自宅→新宿往復でも相当疲れる。
2時間程自宅で休息。

午後4時、家の近くの総合病院へ。前回帰国時に
胃カメラ、大腸内視鏡の検査をした病院。

フエで3週間続く「下痢」の診断、治療へ。


前回の胃カメラの写真を医師が見て、心配な点が
いくつかあるので、再度胃カメラの検査をした方が良いとのこと。
下痢の原因は、何らかの細菌の可能性がある。
細菌の検査。検便、肛門入口に卵を産む寄生虫の検査。

来週5月23日、再度胃カメラの検査を行う。

投稿者 koyama : 18:26 | コメント (0)

2013年05月15日

休息

メール受信。

必要なメール送信。

バオミンさんと電話でいくつかの問題について打合せ。

終日、寝ている。


投稿者 koyama : 19:57 | コメント (0)

2013年05月14日

歯科医院へ

午前10時過ぎ、事前に予約した行きつけの歯科医院へ。

フエで急に歯が腫れて、「左下あご」の奥歯3本が突然抜けて
しまった。

この2週間程、右の奥歯(臼歯)だけで食事をしているが、
おかゆは問題ないのだが、ごはんや野菜などは、片方の
奥歯だけでは、きちんと食することができない。

歯科医師の治療を受ける。

左奥歯は2本が実在の歯、真ん中の歯は、以前抜いた歯。
2本の実在の歯の間に抜けた歯の義歯をつけた「ブリッジ」
である。
どういう訳かフエで突然歯が腫れて、その影響で2本の実在の
歯が抜けてしまった。

今日の歯科医は、抜けて(実際は、歯茎から上の歯が折れた)
しまった歯の歯茎の中にある歯を治療し、その歯に義歯を
はめ込み「仮の歯」を作ってくれた。

総時間3時間かかる。時間はかかったが、何とか仮の奥歯が
できたので、食事をする時に両側の奥歯を使って、咀嚼が
できるようになった。

医師と相談し、今日は仮の歯を作ったが、根本的には
インプラントを2本入れ、その間の歯を両側のインプラントに
かけて、きちんとした歯にしたらどうかとの説明を受け、
了解する。

直ぐにインプラントを埋める歯茎下の骨の厚さなど検査をする。
インプラントを埋められる厚さがあることも分かり、6月14日に
インプラント埋め込み手術をすることになった。
最低20年位はもつようだ。20年の間に多分私は
あの世に行っていると思うので、これで最後の奥歯治療に
なると思う。

ついでに歯全体の治療、歯垢除去などもしてもらう。

ーー
下痢の方は徐々に快方に向かっているが、まだ安心できない。
現在は、油気のない物だけを食べている。

まだ体がだるい。3時間の歯科治療はそれなりに疲れる。

午後は、ゆっくりと横になり、たくさんの受信メールを読み、
必要な返信をする。

投稿者 koyama : 15:40 | コメント (0)

2013年05月13日

自宅着

午前7時半、成田空港着。

入国手続きは簡単に済み、午前8時半には、京成スカイライナー
の切符を買う。午前9時半頃、日暮里着。
山手線ー地下鉄三田線を乗り継ぎ、自宅へ。

直ぐにお風呂に入る。

今回の帰国の最大の目的は、体調の不良の回復と
左下あご臼歯など3本の歯が無くなったことへの
対処。現状では、右側の奥歯でした食事ができない。

自宅着、直ぐに行きつけの歯科医に電話。
今日は予約が一杯とのこと。明日、午前10時半の予約を
取る。

入浴後、フエから自宅までの疲れと、この間の疲れが出る。
2時間程寝る。


山西さんから電話。ソロプチミスト関連。

ベトナム事務所にメールを入れる。

投稿者 koyama : 19:16 | コメント (0)

2013年05月12日

日本へ臨時帰国

今日は日曜日

午前9時起床。

料理のセンさんが昨日作ってくれた「おかゆ」を
レンジで温めて食す。

臨時帰国の荷物の最終整理。

今回はいくつかの荷物を日本へ持ち帰る。


午後12時、センさんが今日のために作り
冷蔵庫に入れてあった「チャオ・バイン・カイン」
(小麦粉の手打ちうどん)を温め、そばつゆで
食べる。

部屋の整理。貴重品の「処理」(盗難防止のため)

バオミンさんと電話。
税田さんと電話。

リー君から電話。「体に気を付けて」と。

午後4時、車が迎えに来てくれる。
フエ空港が11月20日まで滑走路拡張工事。

日本へ帰国するためには、フエから車でダナンまで
2時間から2時間半かけていき、ダナンから ホーチミンへ。

車の運転手にリー君から電話。「小山先生は元気か?」
とのこと。雰囲気としては、フエのどこかの飲み屋で飲んで
いるようだと、運転手は言っていた。

午後6時20分、ダナン空港へ到着。

 さすがに「疲れる」



ダナン空港で2時間ほど待つ。

午後8時30分、ダナン空港を出発し、 ホーチミン空港へ。
午後9時40分、 ホーチミン空港の国内線へ到着。
徒歩で、国際線空港まで移動。

午後11時55分まで2時間半程、 ホーチミン空港で
待機。

5月13日午前0時20分、 ホーチミン空港発。

午前7時30分(ベトナム時間午前5時半)、成田空港着。

投稿者 koyama : 18:48 | コメント (0)

2013年05月11日

ITブライセン打ち合わせ:JASS打ち合わせ

午前7時朝食。「おかゆ」+茹で「隠元豆」


午前9時、徒歩でベトナム事務所へ。

ブライセンKさん・バオミンさんと打ち合わせ


その後、バオミンさん・税田さんと今後の
ベトナム事務所の諸問題について打ち合わせ。

私は明日(5月12日)フエ→ダナン→ホーチミン
明後日(5月13日)ホーチミン→成田便で帰国する。

2週間以上体調不良が続きいている。歯科医院など
早期治療のため急遽、帰国することになった。

JASS東京の会の行うバザー等の販売品
を日本へ持って帰る。小さいスーツケース一杯。


午前11時過ぎ、ベトナム事務所を出る。
ベトナム事務所前にリー君がオートバイで待っている。
事前に私がベトナム事務所に来ることを知っていた。
宿舎まで乗せていってくれる。
「先生、今夜、午後4時に飲みましょう」とのこと。
私は「下痢がひどく、お酒は飲めない」と話す。
リー君の納得したようだ。

午前11時半。昼食。茹で「空芯菜」+「おかゆ」


今日、ベトナム事務所まで歩いたが、力が出なかった。
2週間ほど「おかゆ」しか食べていないので、やはり
体を動かすための「栄養」に欠けている。
この間、ほとんど寝ていたので、筋肉が相当落ちている。

久し振りで外出。疲れる。

食後、2時間程熟睡。

読書「よろずや平四郎活人剣(下)」
(藤沢周平著;文芸春秋)

江戸市中の町名が詳しく出てくる。
5年間ほ神田・神保町にいたことがる。
藤沢周平は、江戸時代の神田の土地を
しっかり調べている。
藤沢周平の本を読んでいると「風景」が
自然に頭に浮かんでくる。そして、その季節
の匂いまで感じるような描写をしている。
季節と時間ごとの空の色、夕暮れの色、
午後8時過ぎの町の明かりなど、色を
詳しく描写することで一瞬にして、場面が
頭に浮かんでくる。ごたごたと書かなくとも。

夕方、明日帰国するための荷物の整理。

洗濯。1回目は洗濯できたが、2回目の洗濯
をする際、壊れてしまう。洗濯機のスイッチが
入らない。

室内の整理整頓。


洗濯物(シャツ・ズボン類)を室内で乾かす。

日本帰国中の「日程」一覧表を作る。

今回の体調不良の原因の深い総括をし、今後の
フエでの活動に何を生かしたらよいのか?
二度とこのような事態が起こらないようにするためには
今回何が悪かったのか?を自己総括している。
年齢という『悲しいかな個人ではどうしようもない壁」
があることを痛感する。この壁があることを前提にしつつ
今後、どのような活動スタイルがいいのか?
深い総括をする。教訓を引き出し、今後のフエでの
活動、ベトナム事務所のあり方、私のトータルとして
の活動のあり方を考えて行きたい。

投稿者 koyama : 18:14 | コメント (0)

2013年05月10日

終日休息

午前7時、朝食。「赤米おかゆ」

午前中、いくつかの仕事をする。

体がだるい。時々、横になる。


午前11時半、昼食。「オクラ」と「おかゆ」


2時間程昼寝。

午後、ベンベー43号編集。

青少年教育の会加藤さんから国際電話。
税田さんから電話。

いくつかの受信メーに返信。

読書「よろずや平四郎活人剣(上)」
(藤沢周平著;文芸春秋)

藤沢周平の時代物は、読み始めると
その時代とその場所の臭いまで感ずる
ような描写だ。

藤沢周平の時代物の主人公は大体
社会から少し外された人間。
登場人物も普通の社会・庶民。
一種の探偵ものではあるが、謎解き
よりも登場人物の人間描写、人間性
に重きを置いている。
多少社会から「外された人物」「社会から
拗ねた人物」などが出てくる。
順風満帆の人生を歩んでいるような人は
けして主人公にはならない。
藤沢の人生を投影しているようである。
藤沢本は、読んでいて安心して読める。


まだ普通の食事が出来ない。この2週間ほど、
今までの経験則で「下痢は大丈夫」と思い、
普通の食事をすると必ず下痢状態が再発する
ということを繰り返している。

怖くて普通の食事ができない。
この2週間ほどきちんとした食事をしていないので
少し「仕事」をすると、その反動で翌日は、
体が動かない。体重が3キロ減った。

投稿者 koyama : 20:23 | コメント (0)

2013年05月09日

ブレインパッド社長一行を案内し市内視察

昨夜遅かったので朝起きられず。

快晴

午前7時朝食。「おかゆ」


午前9時、宿舎の近くまで車が迎えに来てくれた。
バオミンさんと一緒にブレインパッド社長一行の
宿泊しているCホテル、更にブライセン本社社長・部長
の宿泊しているSホテルへ。

ブライセン新事務所を訪問視察。
ブライセン新事務所は、静岡フエ青年交流会館
の2階にある。

現在20人近くの若いスタッフが研修・仕事中。



ブライセン本社からほぼ「常駐的」にフエで
指導しているK部長。(左)


ブライセン本社関係者

ブライセン本社藤木社長とバオミンさん



視察中のブライセン本社・ブレインパッド社の皆さん
ブレインパッド社は東証マザーズに上場している。

今回はブライセン本社から4人のエンジニアが
ブライセン支社指導に入っている。



真面目に仕事に集中しているブライセン支社員。

「子どもの家」関係出身者3名もブライセン
ベトナム支社で仕事をしている。


現在ブライセンベトナム支社で行っている仕事の
概略を説明するK部長


業務の説明を受けるブライセンベトナム支社員

今日は気温33度、湿度83%。最近では一番暑く
湿度も高い。

フエ王宮を視察。

グエン王朝直系の子孫「バオミンさん」の
説明で王宮を視察。グエン王朝13代(数人は
欠けている)の位牌が安置されている場所を
視察。バオミンさんの詳しい説明を受ける。


今日はあまりに蒸し暑いので「皆さん」も
かなり疲れてきたようだが、頑張って視察。


その後、「子どもの家」を視察。
セン委員長の歓迎の挨拶の後、私が「子どもの家」の
1階と2階を案内する。
「子どもの家」の歴史とベトナムでの役割り、
日越友好の取り組みなどを説明。

午後1時半、「子どもの家」を後にする。

昼食は皆さんの泊まっているホテルに変更。
あまりに暑いので、屋外での食事は無理。

ホテルのレストランのお客は我が一行のみで
あった。食事は、所謂(いわゆる)「洋食」中心。

私は食べるものがなかったので、「ブンボー」
(米麺)を頼み、麺だけ食べる。

午後2時過ぎ、ホテル近くの中型スーパーを視察。
フエで最初に出来たスーパーだが、お客もほとんど
いなく、室内が薄暗い。これでは、利益はあがらない。
従業員もダラダラして仕事をしようとの意欲が全く
みられない。
続いて、車でドンバ市場視察。
市場を一回りし、フエという町の庶民の生活を
知ってもらう。

午後3時過ぎ、私を宿舎の近くの大通りで下ろし、
皆さんは、ダナンへ。

ダナンで一部の皆さんは、ハノイ経由で帰国。
一部の皆さんは、ダナンに泊まり、明日1日
ダナンに滞在する。

私は、朝から蒸し暑い中での案内だったので
相当疲れる。直ぐに横になり、1時間ほど寝る。

税田さんから電話あり。
小児ガンNGO(UCCL)代表でJASSの里親
担当をしている渡辺さんがフエからダナンへ
行く車の中から電話。フエでの活動を終わり
帰国されるとのこと。

読書「卒業」(東野圭吾著:講談社文庫)読了。

高村薫の本を読んでしまったので、東野圭吾
の推理小説は、人間の実態と息吹が全く
感じられない。推理を楽しむだけのもの。
何故、人間はそうしたことをするのか?
といった「殺人」を犯す人間の生い立ち、環境など
のバックグランドの説明がないので、全ての描写が
「白々しい」。

高村薫を改めて思い出すと、殺人を犯した人間の
生い立ち、心の苦闘、現在の生活を克明に記録
している。そうした人間のベースがしっかり描かれて
いると、その上に起こる殺人事件も真実味があり、
読者はフィクションの世界に引き込まれる。

東野圭吾は、推理小説を書こうとするあまり、
人間の生活・人間描写がほとんどなく、
殺人の犯人探しゲームを書いているようで
他の東野圭吾の本を読もうという気持ちには
なれない。


午後6時、夕食。朝の残りのおかゆを
お茶碗1杯食す。ベトナム茶を飲む。

夕食後、読書。
最終的には私の一番好きな作家「藤沢周平」に
行ってしまう。千葉全教関係者が大量に
持って着てくれた「藤沢周平」の本。

「よろずや平四郎活人剣(上)」
(藤沢周平著;文芸春秋)

投稿者 koyama : 20:26 | コメント (0)

ブライセン関連の訪問者懇談

晴れ

午前7時朝食 「おかゆ」



食後、洗濯(洗濯機の調子が悪い)


当面の課題を整理する

バンベー43号編集。原稿・写真の集まり具合いを
チェックする。集まった原稿は予定の90%。
写真もほぼ同率。残りの原稿を早急に集め、
全文章に目を通し、誤字・意味不明・文章上の
問題などを校正する。


体がだるくなり、横になる。

読書「卒業」(東野圭吾著:講談社文庫)

推理小説。大学生を舞台に茶道の「風月花乃会」
を舞台にした殺人事件の推理。
大学生が推理していく。堂場舜一の安直な
探偵・警察推理小説よりは、面白い。

午前11時半昼食。「おかゆ」


既に2週間以上、おかゆを『主食」として生活している。

何とか下痢が治り、真っ当な食事をしたいものだが・・・・。

バンベー43号編集等の整理

何人かの関係者から電話。

「京滋YOUの会」、札幌ベトナム交流会の関係者に
講演会等に関するメールを送る。

午後7時、バオミンさんから電話。ブライセン藤木社長
と知り合いの会社の社長一行がダナンから
フエに到着したとのこと。これから夕食会。
車でが迎えに来てくれる。

フォン河に浮かぶ船上レストランで夕食会。
ブライセン本社社長・社員、ブライセンの関係
会社社長、マネージャー4人、ブライセンベトナム
支社員・・・・・・。

お客さんの「BRAIN PAD」社長さん、部長さん
マネジャーさんの挨拶。


バオミンさんが今日、ダナン空港まで出迎えに行き、
フエまでお連れした。

午後10時過ぎ、リー君から電話。

午後11時まで船上レストランで会食。

私はベトナム茶だけを飲み、何も口にできなかった。


午後11時過ぎ、宿舎へ帰り、いくつかの仕事をする。
幸い「お酒」が飲めないので、酔っ払うことはなく
仕事の整理は出来た。午前0時半、就寝。


投稿者 koyama : 08:34 | コメント (0)

2013年05月07日

ブライセン藤木社長一行来訪

快晴  夕方小雨


午前7時朝食。「ブン・クア」(かに団子の米麺)
油っぽい。カニは食べられなかった。

食後、横になり読書

「讐雨」(堂場舜一著:中公文庫)

バンベー43号の編集

下痢が止まらず、体がだるい。

午前11時半昼食。「野菜いりおじや」


2時間程熟睡

バンベー編集

「讐雨」(堂場舜一著:中公文庫)読了。

堂場舜一の本は初めて読んだ。
刑事・事件物。

その前に「高村薫」の刑事・事件物
を読んでいるので、堂場刑事物は
内容が薄っぺらで通俗すぎる。
人物描写や筋の展開も平板。
どうしてこんな本が売れるのか?不思議。

午後6時、ブライセン藤木社長以下5人の
社員とブライセンベトナム支社員全員との
夕食会。


午後8時過ぎまで2時間の交流。

私は暖かいお茶だけを飲む。食事も出来なかった。


午後8時過ぎ帰宅。

その後、リー君から電話。日本料理店付近の
食堂で飲んでいるとのこと。
「元気になってください」とのこと。

投稿者 koyama : 22:04 | コメント (0)

2013年05月06日

ブライセン打ち合わせ

快晴

午前7時朝食
「フォー・ボー(牛肉入り米麺)

肉だけ残し、米麺を食べる。


午前9時から2時間強、ブライセンの
鎌田さん・バオミンさんと当面の打ち合わせをする。
今週は、ブライセン本社社長以下、10人近い
訪問者がある。細かい打ち合わせを行う。


私はまだ本調子ではない。昨日までの体の
ダルさが、かなり減ってきた。


午前11時半、昼食。「チャオバインカイン」
(小麦粉の手打ちうどん)

豚肉を抜いてもらい、麺だけを食べる。



食後、2時間程横になる。


読書「照柿(てりがき)」(高村薫著:講談社)
上下2冊を読みきる。

「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)
とトーンが似ている。
殺人と人間の「欲望」、そして、家族。
特に父と息子の葛藤などが、「照柿」の
基調になっている。人間の原罪というのか
人間の持っている「明と闇」を描いているように
思えた。

舞台が東京と大阪。東京は多摩地区の
羽村町。大学時代4年間、武蔵小金井に
住んでいたので、立川・羽村は懐かしい
地名だった。

体調は、何となく「快方」に向かっているような
気がする。

午後5時頃、税田さんから電話。
日本料理店のヒエウさんが、発疹アレルギーで
先週から休んでいる。それに伴って日本料理店も
閉店している。
今日、税田さんとハンさんが調べた結果では、
発疹アレルギーではなく「麻疹(はしか)」の
可能性が濃厚とのこと。他の子どもたちに
移ってはいけないので、今日も日本料理店
を閉店とする。

午後7時、リー君から電話。

柔らかいするめを用意したいがどうか?とのこと。
「現在、下痢中のため今はスルメは食べられない」
と返事をした。既にどこかの飲み屋で飲んでいる
ようだ。

バンベー43号の編集のための準備をする。

読書「讐雨(しゅうう)」堂場舜一著:中公文庫

投稿者 koyama : 20:46 | コメント (0)

2013年05月05日

休息

午前中、ひどい頭痛。
倦怠感と頭痛。何もする気気力なし。

横になっている。

下痢が止まらない。

午後12時半、昨日作ってもらった「おかゆ」の
残りを食べる。

午後2時過ぎから少し頭痛が柔らぐ。

読書「照柿(てりがき)」(高村薫著:講談社)

夕方まで本を読みながら、時々寝る。

夕方、食欲なし。頭痛が再度ひどくなる。

午後7時頃、リー君から電話。飲んでいて
気分が良いようだ。一安心。

ベトナム茶を飲む。

そのまま横になる。

投稿者 koyama : 15:59 | コメント (0)

2013年05月04日

終日横になっている。

快晴・夕方雨

午前7時朝食。「おかゆ」の筈だったのだが、
何らかのミスで「肉団子入りチャオ・バイン・カイン」
が出てくる。下痢は全く治っていない。困ったものだ。

「麺」だけ選って食べる。肉類・油物・アルコール類は
下痢の最大の敵。

食後、洗濯。荷物の整理。

毛布などを日向に干す。

体がだるい。腰痛が出る。


体調を崩すと次から次へと体の
悪いところが「露呈」される。


ベッドで横になり読書。

午前11時半、昼食。「おかゆ」


「李欧」(高村薫著:講談社)

今日1日かけて読みきる。

高村薫独特の文章の臭いがある。
520ページの本だが、少し「ダラダラ」して
しまりがない。300ページ程度にまとめた方が
読後の充実感があったように思う。

かなり複雑な人間模様。
満州関係の軍人だった人間、大阪の
ナイトクラブ、日本語と台湾、香港、シンガポール
のシンジケート(マフィア)、日米中の諜報機関
など複雑な登場人物である。
時代はほぼ私の年代のことも時代から1990年代
までの大阪下町の旋盤工場を舞台に、朝鮮・中国
などのスパイ殺人などが入り乱れての展開となるが、
当時の時代は意見を結構丁寧に追っているんで
「嘘らしさ」がない。主人公のような人間の
生き方もひとつに人生かな?と思った。

午前3時から読み始め、今日1日かけて読み終える
だけの「面白さ」はあった。


午後8時、リー君から電話。健康に気をつけてとの
こと。

午後8時半 読書「照柿(てりがき)」
(高村薫著:講談社)を読み始める。

投稿者 koyama : 21:47 | コメント (0)

2013年05月03日

バオミンさん・税田さんと打ち合わせ

快晴

午前6時シャワーを浴びる。体重測定。
とうとう60キロを割ってしまった。
相変わらず下痢は止まらない。何を食べても
多分、「栄養」になっていない。

午前7時朝食。「おかゆ」

午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。

バオミンさん・税田さんと当面の訪問者
受け入れ、その他ベトナム事務所の運営
などについて、2時間半程打ち合わせ。

午前11時半、打ち合わせを終わり、
宿舎へ帰ろうとしたら、ベトナム事務所前で
リー君がオートバイで待っていた。

体調が悪く「だるい」ので、リー君の
オートバイに乗せてもらい宿舎まで送って
もらう。

午前11時40分 昼食。「おかゆ」

今日は、ハンさんが朝、通勤中に腹痛・下痢を
もようし、帰宅・欠勤。
この2週間、ベトナム事務所・日本料理店関係者
は相次いで『下痢・発熱」等の症状が出ている。

澤井先生は、ひどい頭痛で「病院」へ行き、点滴。
富岡先生も発熱。税田さんも発熱・体調不良。
日本料理店の調理担当のヒエウさんが、昨日から
体中に発疹は出来、日本料理店を休んでいる。
店長兼調理主任のトゥオイさんは先日から
4ヶ月間の「産休」に入っている。
日本料理店は、ヒエップ君一人しかいない。
ヒエップ君はまだ新人。
そんな訳で昨日と今日は日本料理店も休業とした。

私の体調不良は、個人的に変なものを食べたから
という訳ではなく、フエの「気候」その「フエの特殊な
何か?」が原因している。それに反応する人間が
発熱したり、下痢をしたり、発疹が出来たりと
体が外部の異常事態に「何らかの反応」をししている
ものと想像できる。海外での生活は、この種の
理由不明なことで「難儀」することが多い。

昼食後、2時間半程熟睡する。

その後、横になりながら
「私の体験的ノンフィクション術」
(佐野眞一著 集英社新書)を読了。

ノンフィクションを書く人の心構えのような
物を読み取った。「歩く・見る・聞く」を原点に
権力者などのノンフィクションをかなり
書いている。

日本から持って来た本をほとんど読み終わる。
私が日本で「小説」は買ってこないことにしている。
主に「政治・経済・社会・歴史・・・・」のような
今の日本を多角的に知るような本を買ってきている。

とうとうこの種の本がフエの我が宿舎になくなった
ので「小説」を読む。
小説を読みだすと「麻薬」のようなもので、
途中でやめられず、1冊終わると次にと
読み続けるようになるので、この「危ない道」
に入らないようにしていたのだが・・・・。

時々「高村薫」がテレビなどで「時評」をしているのを
聞き、しっかりとして自分の意見を持ち、政治にも
妥協しない態度を堅持しているように見えたので、
高村薫を読み出す。
支援者の方がフエを訪問される時に時々、
本をお土産に持ってきてくれることがある。
高村薫も数冊その中にある。

読書「李欧(りおう)」高村薫著・講談社

夕方、税田さんから電話。

バンベーの原稿と写真の件

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今日は憲法記念日

憲法と共に生まれた私としては、
憲法96条・9条の改悪に反対する。

インターネットで主な新聞の社説を読む。

私的には、北海道新聞、東京新聞など
地方新聞の方が「中央新聞(朝日・読売・・・)
よりも内容が豊かであるように思えた。

以下、各紙の「抜粋」


①読売新聞
 
  憲法改正論議の根底にあるのは安倍首相が指摘するように、「日本人は自身の手で憲法を作ったことがない」という事実である。

 戦前の大日本帝国憲法は天皇の定めた欽定(きんてい)憲法だ。現行憲法は占領下、連合国軍総司令部(GHQ)の草案を基に制定された。

 国民自ら国の基本を論じ、時代に合うよう憲法を改正するという考え方は、至極もっともだ。読売新聞の世論調査でも1993年以降、ほぼ一貫して憲法改正賛成派が反対派を上回っている。

 憲法改正の核心は、やはり9条である。

 第2項の「陸海空軍その他の戦力は保持しない」は、現実と乖離(かいり)している。「自衛隊は軍隊ではない」という虚構を解消するため、自衛隊を憲法に明確に位置付けるべきだ


②朝日新聞

そもそも、憲法とは何か。

 憲法学のイロハで言えば、権力に勝手なことをさせないよう縛りをかける最高法規だ。この「立憲主義」こそ、近代憲法の本質である。

かつての天皇制のもとで軍国主義が招いた惨禍の教訓が、その背景にある。

 特に9条は、二度と過ちを繰り返さないという国際社会への約束という性格もある。国民の多くは、それを大切なことだとして重んじてきた。

 自民党が96条改正の先に見すえるのは、9条だけではない。改憲草案では、国民の権利への制約を強めかねない条項もある。立憲主義とは逆方向だ。

■政治の自己改革こそ

③毎日新聞

憲法と改憲手続き 96条の改正に反対する

その時の多数派が一時的な勢いで変えてはならない普遍の原理を定めたのが憲法なのであり、改憲には厳格な要件が必要だ。ゆえに私たちは、96条改正に反対する。

憲法は基本的人権を保障し、それに反する法律は認めないという「法の中の法」だ。その憲法からチェックを受けるべき一般の法律と憲法を同列に扱うのは、本末転倒と言うべきだろう。


④東京新聞

憲法改正を叫ぶ勢力の最大目的は、九条を変えることでしょう。国防軍創設の必要性がどこにあるのでしょうか。平和憲法を守る方が現実的です。

 選挙で第一党になる、これは民主的な手法です。多数決で法律をつくる、これも民主的です。権力が憲法の制約から自由になる法律をつくったら…。

 ワイマール憲法当時のドイツで実際に起きたことです。国民主権を採用し、民主主義的な制度を広範に導入した近代憲法でした。ヒトラーは国民投票という手段も乱発して、反対勢力を壊滅させ、独裁者になりました。憲法は破壊されたのです。


たとえ国民が選んだ国家権力であれ、その力を濫用する恐れがあるので、鎖で縛ってあるのです。また、日本国民の過去の経験が、現在の国民をつなぎ留める“鎖”でもあるでしょう。

◆9条改正の必要はない

国防軍が実現したら、どんなことが起きるのでしょうか。樋口さんは「自衛隊は国外での戦闘行為は許されていませんが、その枠がはずれてしまう」と語ります。

 「反戦的な言論や市民運動が自由に行われるのは、九条が歯止めになっているからです。国防軍ができれば、その足を引っ張る言論は封殺されかねません。軍事的な価値を強調するように、学校教育も変えようとするでしょう」

 安倍晋三首相の祖父・岸信介氏は「日本国憲法こそ戦後の諸悪の根源」のごとく批判しました。でも、憲法施行から六十六年も平和だった歴史は、「悪」でしょうか。改憲論は長く国民の意思によって阻まれてきたのです。

◆“悪魔”を阻むハードル

 首相は九六条の改憲規定に手を付けます。発議要件を議員の三分の二から過半数へ緩和する案です。しかし、どの先進国でも単純多数決という“悪魔”を防ぐため、高い改憲ハードルを設けているのです。九六条がまず、いけにえになれば、多数派は憲法の中核精神すら破壊しかねません。

⑤日本経済新聞


96条改正の先の明示を

 忘れてならないのは、改憲手続きをへて条文を改める明文改憲だけでなく、その前の段階で、国家がきちんと機能するよう法改正により対応が可能な立法改革もしっかり進めることだ。

 焦点となっている96条の改正条項の改正は、各院の総議員の3分の2以上の賛成による発議を2分の1以上にしようとするものだ。

 すでに自民党がまとめている国家安全保障基本法で集団的自衛権の一部行使を可能にするのは現実的な対応だ。9条改正までの時間的な余裕がないとすれば、同法の早期成立が望まれる。

⑥北海道新聞

きょう憲法記念日 平和国家が問われている(5月3日)

 日本国憲法はいま、施行以来、最大の危機を迎えている。

 安倍晋三首相は、昨年の衆院選勝利の余勢を駆って、96条の改正要件を緩和する憲法改正を主導し、今夏の参院選の争点に据える構えだ。

 首相はかねて「戦後レジーム(体制)からの脱却」を唱えている。

 目指すところは、96条改正を突破口に、戦争放棄をうたう9条を改正し、現在の自衛隊に替わる国防軍の創設と、海外での武力行使を可能にする国づくりにほかならない。

 わが国は多大な犠牲をもたらした戦争を心から反省し、自由と平和の下で戦後の繁栄を築き上げてきた。

 首相の方針はこの歩みを真っ向から否定するものだ。

 9条をはじめとする憲法の理念を守り、世界に向けて広げていく行動が何にも増して求められる。

⑦赤旗


96条も、9条も、改悪許さない


 安倍晋三政権のもと、憲法改悪の動きが急速に強まるなかで、1947年の施行から66年目の憲法記念日を迎えました。安倍政権は7月に予定される参院選で憲法改定を争点に持ち出し、まず改憲の発議を国会議員の3分の2以上の賛成としている96条の改定を手始めに、自衛隊を「国防軍」に変える9条改定などを強行しようとしています。96条改定の先行は、時の政権の都合だけで憲法を改定しようという、立憲主義を覆す、言語道断な暴挙です。96条改定も、憲法の平和原則を否定する9条改定も、許すわけにはいきません。
奴隷解放も3分の2以上

 最近話題になった、アカデミー賞受賞の映画「リンカーン」をご覧になりましたか。リンカーン米大統領が19世紀半ば奴隷解放を実現するため、南北戦争のさなかに憲法改正を実現する話です。権謀術策のすさまじさは映画に譲って、注目したいのは、奴隷解放のための憲法修正13条も、議会の3分の2以上の賛成と4分の3の州議会での承認で成立した事実です。

 安倍首相は、憲法を改定するには衆参両院の「3分の2以上」の賛成で発議しなければならないというのは世界でも異常であるかのようにいって、発議要件の緩和を先行させようとしています。しかし、「リンカーン」に見るまでもなく、憲法改定にきびしい条件を設けているのは世界での常識です。それはなにより、権力の活動を縛る憲法は、時の政権の都合で簡単に改正されてはならないからであり、憲法は国の法律のなかで最高の法規だからです。

自民党はすでに昨年、「日本国憲法改正草案」を発表しています。天皇を「元首」とし、自衛隊は「国防軍」とし、個別的であれ集団的であれ、「自衛権の発動を妨げるものではない」とするなど、とんでもない内容です。ところが安倍首相は、こうした改憲の中身は隠して“世界で異常”など偽りの口実で、まず改憲の発議要件を緩和しようというのです。まさにそのやり方そのものが立憲主義を覆し、国民の意思を踏みにじるものというほかありません。

 自民党の改憲案は、96条の発議要件を緩和するだけでなく、基本的人権は「永久の権利」と定めた97条は削除し、公務員に憲法の尊重擁護義務を定めた99条は「すべて国民は、この憲法を尊重しなければならない」と変えようとしています。憲法に名を借りて、権力ではなく国民を縛ろうとしているのは明らかではないでしょうか。

投稿者 koyama : 20:39 | コメント (0)

2013年05月02日

終日、部屋で仕事

晴れ

午前7時朝食。「フォー・ガー(牛肉入り米麺)

午前中、バオミンさんと電話でいくつかの件について
打ち合わせ

今日は終日、横になったり仕事をしたり。

「眠れないほど面白い『古事記』 読了
(由良弥生著:三笠書房)

神話から実在の天皇になるまでの33代の
天皇が「古事記」には出ている。

33代天皇は推古天皇。この辺になると
聖徳太子や仏教導入など日本史で
勉強する「飛鳥時代」の頃の天皇となる。

33代までの天皇になる間にかなり親子、
兄弟間で皇位をめぐり殺し合いが
あったことも率直にかかれている。
また、天皇の異母兄弟姉妹の間の
結婚もあり、天皇はかわいい女の子を
見ると直ぐに好きになってしまう・・・・といった
ことが率直に書かれている。道徳は時代に
制約・規定されるので何ともいえないが・・・。

天の神(天照大神)から高天原に天孫降臨し、
国の神(地方豪族)との戦いを経て、
近畿に大和朝廷が成立することを伺わせる。
古事記を神話・古文として読んでいるうちは
良いが、これがわが国の歴史、などという
人間が出てくると空恐ろしいことではある。
日本人の祖先が書いた(7世紀)神話と
として読む価値はある。

読書「私の体験的ノンフィクション術」
(佐野眞一著 集英社新書)

私と同年齢の作者。
週刊朝日に「橋本大阪市長」の出自を書いた
ルポライターでもある。

ノンフィクションの書き方の基礎になる
考えたが書かれている。

無着成恭の「山びこ学校」の卒業生を訪ねる
ノンフィクションを著者は書いている。

戦後の民主教育の見本のようになり、
山形県の中学生の先生だった無着成恭が
一躍時の人となり、新聞・ラジオなどで
大活躍した。
著者はその卒業生42人の今をルポする。

家族親族から縁を切られて戸籍を抹消された
教え子が東京の安アパートにいる。

各地の飯場を転々としている卒業生、
など多くの卒業生が、高度経済成長の
担い手として東京に出てきて、働いたが、
結果的にかなり厳しい人生(孤独死予備軍)
を歩んでいる・・・・。

昼食 「魚入りのおじや」

食後1時間ほどすると、強烈な下痢に襲われる。
それから10数回・・・・。

バオミンさんに電話をし、明日から食事は
「おかゆ」にするよう料理のセンさんに連絡して
もらう。

今までの経験だと2週間近く下痢が治った
ようで再発することはなかった。一度、止まったら
完全回復していた。今回は、治ったような
治らない様な・・・・・。今日はひどい状況。


投稿者 koyama : 19:09 | コメント (0)

2013年05月01日

今日はメーデーで休日

午前8時起床。雨

午前9時、朝食。おかゆ。

その後、洗濯。

昨日の疲れが残る。
しばらく横になる。

昨日の火炎樹日記を書く。

リー君から電話あり。

「先生、今日午後4時にヤギ肉屋で
飲みましょう」とのこと。受け入れる。

午後2時まで寝ている。

冬物と夏物の衣類の入れ替えをする。

いくつかのメールが届く。
返事をする。


バンベー43号の編集。
原稿と写真等をそろえる準備をする。

既に私の書く原稿と写真は全て準備完了。

「子どもの家」の子どもたちや寮母さん、
各地の会、関係者、里親の皆さんなど
に依頼したり、これから依頼する原稿が
徐々に入ってくる。

原稿と写真を整理し、編集し、全体のバランスを
考え、最終稿を静岡の有ヶ谷さんに送信する。
5月19日締め切り。
これから2週間弱で、バンベー原稿と写真を
そろえる仕事が始まる。


午後4時前、宿舎の近くに行く。
リー君がオートバイで待っている。
フエは雨。

私は下痢なのだが、リー君の最近の状況は
かなり「切羽詰った」様子。孤独と焦りが、
電話や話の中ににじみ出ている。

無理をしてリー君と会い、話を聞く。
色々な話をする。友人関係、仕事のこと・・・・。

ヤギ鍋。私はコップ2杯程度ビールを飲む。

1時間ほどで私は引き上げる。

ーーーー


東京の眠りを覚ます知事暴言
たった「ひとこと」で75億円消える

この程度の知事のいるこの程度の
東京都であり我々都民・選挙民ではある。


(ニューヨークタイムズ紙猪瀬都知事発言と経過)
以下、JCASTニュースより

英文のサイト記事によると、猪瀬氏は、インタビューに対し、「ベストの開催地はどこだと思いますか?」と思わせぶりな質問をした。そして、立候補したトルコのイスタンブールやスペインのマドリードを挙げ、「インフラや洗練された競技施設がまだ整っていない」と指摘した。そして、トルコを念頭に置いてか、「イスラム諸国が共有しているのはアラーの神だけで、お互いにケンカばかりしている。これらの国には階級というものがある」と述べた。

さらに、トルコの人々が長生きしたければ、日本のような文化を創るべきで、若者が多いだけではあまり意味がないとまで話した。

ーーー
ニューヨーク・タイムズ紙は記事で、猪瀬氏が他都市を批判したと報じ、これはIOCの行動規範に反する発言の可能性があると指摘している。

ーーー
他国に対する極端な差別主義であり、排外主義
と無知な偏見。
そして石原前都知事張りの「独善主義」とも
いえる。世界には通じない都知事とも言える
低級な知性。

オリンピック招致予算75億円はもはや
風前の灯となった。また、2度目の
多額の都税と国税・寄金の無駄遣いに
なりそうだ。

ーーーー
当初、猪瀬知事はこの種の発言を否定。
ニュヨークタイムズ紙が作り上げたものとの
認識を示していたが、突如、発言を認め
謝罪した。二枚舌都知事でもある。

投稿者 koyama : 16:36 | コメント (0)