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2013年04月30日
バイック・マー山・フーヴァン郡海岸訪問
今日は、ベトナム全土「解放」38周年記念祝日。
午前7時朝食。ブンボー。牛肉とカニ団子は
食べられなかった。全体に油が多いので
半分弱を食して終わる。
午前8時、バオミンさん・ニエン外務部長たちの
車が、宿舎近くに迎えに来てくれる。
フエ省で最高の山「バイック・マー山」(1450メートル)
へ行く。
フエ市共産党委員長家族・ニエンさん夫妻・
フエ市人民委員会部長夫妻・外務部副部長・
バオミンさん・私。
車で2時間程かけて標高1450メートルの
マイック・マー山の山頂付近へ。
山頂は霧に包まれていた。
フランス植民地時代は、フランス植民地主義者の
別荘開発が行われていた。
戦前は、ラストエンペラー(第13代)バオダイ帝
の奥さんの別荘があった。
ラストエンペラー「バオダイ帝」の奥さんの別荘
別荘の下には、大きなプールがあった。
70年ほど前には、ここでバオダイ帝と
奥さんが暑いフエの夏を避けて
涼しい空気とプール遊びを楽しんだので
あろう。
バイック・マー山の頂上近くについた一行
頂上付近にじゃ霧が出て涼しかった。
現在は、国立公園となっており、誰でも
入山できる。車用の道路も整備されている。
頂上まで20分ほど歩く。
頂上には「平和の鐘」がある。今日は4月30日。
ベトナム戦争終結・南部「解放」記念日である。
フエ市共産党ゆn委員長と私で「再び、戦争や
争いが起こらないよう、梵鐘を鳴らし、不戦を
祈る。
バイック・バー山頂上にある標高標識。1450メートル。
山頂から『下界』を見る。遠くに海も見える
フエを出て、5時間ほど。下山する。
車で1時間半ほどのところにある「フーヴァン郡」の
海岸へ。ここは、昔、ユン・フエ市共産党委員長が
共産党の責任者をしていた地区。
今日は休日。多くの市民が海水浴に
来ていた。家族ずれで海水浴を楽しんで
居る姿をみると「平和」の有難さをつくづくと
感ずる。
市民は家族・親族でこの海岸へやってきて、
思い思いに飲み、海産物を楽しむ。
この海岸からベトナム戦争末期には、たくさんの
「ボートピープル」が海外へ「脱出」していった。
それから20数年。
現在、海外脱出した「ボートピープル」が
海外で成功し、大金を送金したり、里帰りを
してきている。今日も何組かの「海外脱出家族」が
派手な一時成金風の格好でやってきて、
派手に飲食をしている。
私たち一行も軽く飲む。
私は昨夜から下痢はひどく、体調は最悪。
私以外の皆さんは絶好調(舌好調)。
フエ市共産党・人民委員会幹部の皆さんとご家族
と一緒に1日を過ごしたが、あまりに「質素」な行動に
驚いた。市民の贅沢さに比べ、食べ物は、自宅から
持ってきた缶ビールと簡単な手作りの食料のみ。
村長さんも駆けつける。
村長さんは、昔、ホーチミン青年団時代の
ユン共産党委員長の部下だった。
村長さんとバオミンベトナム事務所運営委員長
村の部長さんなども歓迎に現れる
ほとんど海産物の注文をなく、実に質実剛健な
休日の過ごし方だった。
一部の噂では、ハノイの「お偉いさんたちの
贅沢三昧な生活の話を聞く。
少なくともフエ市共産党委員長やフエ市人民委員会
幹部の皆さんの休日の過ごし方は、家族同伴で
自宅で作った食べ物を持ち寄っての「ささやかな」
過ごし方だった。
午後5時まで海岸で過ごす。
結局今日は、午前8時から午後6時まで
10時間の行動だった。私的には、昨夜からの
下痢の復活、疲労でかなりきつい10時間では
あった。ほとんど飲めなかったというのか
飲む気力がなかった。
午後6時過ぎ、宿舎まで車で送ってもらう。
そのまま着替えずに横になる。
そのまま「眠って」しまう。
突然電話。気づくと2時間半ほど寝ていた。
夕食も摂らずに引き続きねてしまう。
今日は、朝食を半分ほど食べ、昼食
夕食は摂っていないというのか、食欲なし。
とにかく疲れた。これもフエでの仕事と活動の
一環である。
バオミンさんと外務部副部長の二人の
教え子が色々と助けてくれた。
2013年04月29日
知人結婚式:春口さんご両親懇談
気候と気圧の変化が大きい。
ベトナム事務所の何人かの人は、頭痛、発熱
などで休んでいる。
午前7時、朝食。「フォー・ボー(牛肉入り米麺)」
午前8時45分、徒歩でベトナム事務所へ。
日本語教師春口先生のご両親が来訪。
ベトナム事務所の皆さんと挨拶・交流
午前11時半昼食。「ラーメンのようなもの」
税田さんが、体調を崩している日本語教師2人の
ために「おかゆ」を作ってもっていく。
午後5時、知り合いの息子さんの結婚式に参加。
ベトナム事務所付近のセンチュリーリバーサイド
ホテルの横の芝生。
750人という大変な数の参加者あり。
フエ省・市の共産党、警察など主な行政関係の
トップも参加。
フエ市共産党委員長・フエ市人民委員会外務部長と
新郎新婦とご両親
750人もの参加者がある結婚式に参加したのは
初めての体験だった。
フエに来て20年。結婚式も相当ハデになったきた。
推定日本円で300万円程かかったようだ。
日本の価値に直すと2000万円から3000万円の
結婚式となる。
午後6時、一度ベトナム事務所へ帰る。
午後7時、春口先生の日本語の授業が終わり、
ベトナム事務所へご両親と戻ってくる。
春口さんとご両親、バオミンさんで会食。
途中、元日本料理店のスタッフだった
フエンさんがお子さんを連れてくる。
午後10時過ぎ、春口さん家族3人との会食を終える。
9ヶ月間の日本語教師、ベトナム事務所勤務に感謝。
一人っ子の春口先生のおっとりとした性格はこの
ご両親の暖かい愛情によって育まれたことが分かる。
2013年04月28日
終日休息
体がだるい。
終日、横になっていた。
午後12時。センさんが作ってくれた
チャオバインカインを温めて食す。
メール拝受。送信。
日本から電話あり。
読書「眠れないほど面白い古事記」
(由良弥生著:三笠書房)
神武天皇の誕生。古事記では
こんな描写でよいのか?などと
疑義を感ずるくらい実にオープンな
記述をしている。
午後7時。リー君から電話。
今、フォンザンホテルの前の飲み屋にいる。
一緒に飲もうとのこと。
体調不良だが、いく。
「子どもの家」のこと、日本料理店
のこと、今後の自分の身の振り方などに
着いて』語る。
===
ベトナム・フエに住んで20年。
色々な出来事があった。
喜びも苦しみも悲しみも失敗も、
はたまた、様々な「言われなき攻撃」も。
お陰さまで色々な経験をさせてもらった、
そんな中で一番つらい事は、病気に
なった時だ。
いまもそうだが・・・・。
二つの問題がある。
①日本にない「フエ」だけの『風土病』に
なった時の不安だ。ベトナム人も含めて
フエ風土病とは知らない。
医師だけがしっているようなものだ。
5年ほど前からフエの風土病のひとつ
「寄生虫」が原因の発疹。
当初、原因が分からないまま、体中に
発疹が出来、それが段々と成長していく。
一体どうなるのか? 対処法も原因も
分からない。バオミンさんも知らない。
毎日、一人で「何の病気なのか?」と考え、
苦悶する。体中がかゆくなり、日に日に、
赤発疹が大きくなる。頭から体中に
出る。この種の風土病との闘い。
寄生虫が原因と分かった。
どうしても「生野菜」を食べざるを得ない。
今も、「いつ発症するのか?」という危惧を
持ちながら、フエで生活している。
ベトナム人の多くは長い間の生活で「耐性」
が出来ている。
今回の下痢、歯茎の異常な腫れ、喉の腫れに
よる声の「しわがれ」。今までの体験で対処したが
「通じなかった」。
結局、1週間、おかゆを食べ、何とか今日
あたりから正常の半分程度に回復した。
自分の体がどうなってしまうのか、という
心配がある。フエの病院に行っても解決は
難しい。
②この種の原因不明の病気になった際、
結局、宿舎で終日一人で寝ているだけ
の対処法しかない。これは、かなり
孤独感と病気に対しての不安がある。
今回は、結局原因がわからないまま
はぐき(歯茎)が異常に腫れてしまい、
物が食べられなかった。
結局、昨日になって、2本の奥歯が
取れてしまい、ブリッジにした永久歯の2本と
ブリッジ1本が欠損した。
2本の歯は、その根が残っている。
直ぐに清浄し、治療しなければならない。
しかし、諸事情で今すぐ日本には帰れない。
その間に抜けてしまった二本の歯の
歯茎以下の部分は残っている。急いで
消毒と手当てが必要なのだが、それが
今すぐ出来ないことへの苛立ちはある。
一人で宿舎で寝ているとそれとなく
「孤独」と「不安」はある。フエでの20年の
生活は、常にこの孤独と不安との闘いだった。
2013年04月27日
春口先生送別会
快晴
午前6時半起床。まだ体がだるい。
午前7時朝食。1週間ぶりに「おかゆ」以外の
食事をする。「フォー・ガー」(鶏肉米麺)
午前10時、数日振りに徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさんとブライセン本社役員来訪のための
諸準備の打ち合わせをする。
途中で在日韓国人の方が、JASSの活動に
ついて知りたいとのことで、ベトナム事務所へ。
30分ほど懇談する。
午前11時20分。バオミンさんのオートバイで
ビーザー地区にあるフォン河沿いの
ベトナム大衆料理店へ。
今日は、春口先生の離任・送別会。
9ヶ月間のベトナム事務所勤務・日本語教師
であった。
富岡先生の司会で「送別会」は始まる。
写真撮影はソン君。
乾杯
私は調子が悪いので、「お茶」で乾杯。
今日の主賓、春口先生 9ヶ月間のフエ滞在
ご苦労様。
私は料理が食べられないので「おかゆ」にする。
私から春口先生へ、9ヶ月間のフエでの仕事に
感謝の言葉。
続いてバオミンさん
直接日常的な仕事の責任者である日本語部長の
フーン先生の挨拶
アンさんの挨拶
フオン先生(通称「今晩は先生)の挨拶
ハン財政部長の挨拶
後藤先生の挨拶
富岡先生の挨拶
ソン君の挨拶
税田さんの挨拶
澤井先生の挨拶
石井君の挨拶。現在ベトナム語を勉強中。
ベトナムで挨拶を言う。なかなか上手に
なっていた。真面目のベトナム語を勉強している
ことが分かる。
最後に春口さんからのお礼の言葉。
「フエで日本語を教えて9ヶ月。お世話様になりました。
帰国後は大学に戻り勉学に打ち込みます。
卒業後はフエで学んだことを生かしてよい先生に
なりたいです。」
石井君より記念品の贈呈。
フエで活動した関係者・場面等の記念写真や
ベトナム事務所員全員の寄せ書き贈呈
後藤先生より「フエ記念の衣類」贈呈
その後、9ヶ月間の思い出などを話し、会食し
送別会を終了する。
春口先生の日本での健康と活躍を祈る。
===
今回の体調不良の原因が分かった。
バオミンさんと話をしていて、バオミンさんも
私と同じ症状。歯茎が腫れて物が食べられない、
口内炎ができた。富岡先生も発熱、倦怠、
食欲不振。
これらの症状は現在の私の症状と同じ。
私は2月から相当無理をして仕事をしていた。
その無理と現在フエで流行っている「風土病」
が重なったと見た。
数年前には、寄生虫による「フエ風土病」にかかって
苦労した。体中に赤い斑点が出る。その後、斑点が
大きくなり、体中がかゆく赤くなる。
フエの風土病。これは秋口から冬にかけてフエで
流行る病気だ。
今回のフエ風土病の原因は分からないが、
私とバオミンさん、富岡君などの症状は、
口の粘膜質等が崩壊する、発熱と倦怠が
特徴。
私は今週の初めに左右両方の奥歯が異常に
痛くなり腫れて、物が食べられなくなった。今まで
歯が痛くなったり腫れたことがなかった私にとっては
驚きだった。何だろうと・・・・。
今日、春口さんの送別会でおかゆを食べていたら、
左奥歯の「ブリッジ」部分が、突然、取れてしまった。
左下顎の奥歯3本分がなくなってしまった。
この3本の歯のブリッジが取れてしまった原因は、
今週初めの歯茎の異常な腫れだった。
異常に歯茎が腫れたので、ブリッジの形が
変形し、歯茎の腫れが元に戻ったら、ブリッジが
大きくなり、取れてしまったということだ。
下顎の半分近くの歯がなくなているように感ずる。
物を食べることに非常な不便を感ずる。
出来たら今でも日本へ帰って、ブリッジの治療を
急いでしたい。歯のブリッジは、2本の自分の歯の
間に義歯をブリッジするもの。ブリッジが取れると
いうことは、2本の自分の本当の歯が抜けてしまった
ということになる。抜けた後のきちんとした治療を
急いでする必要がある。
ベトナムでJASSの仕事をするということは、
こうした時にも直ぐに日本へは帰れない。
近々にブライセン本社から社長以下お客さんが
来る。
今回のフエ風土病の症状は、粘膜質の
部分の腫れ。私は歯茎と喉・声帯の腫れ。
声が出来にくくなっている。困ったものだ。
今回の異常な下痢もフエの風土病が原因と
見た。
午後3時前にバオミンさんのオートバイで
宿舎まで送ってもらう。
異常に疲れた。そのまま横になる。
気づくと2時間程寝ていた。
また下痢になるのではとの恐怖が強い。
食欲がない。
読書「眠れないほど面白い古事記」
(由良弥生著:三笠書房)
本書は通俗語で書かれているので、
非常に分かりやすく、面白い。
日本の神話伝説を冒涜するの?
などと怒る右翼も出るかもしれない
内容。逆説的に言えば、日本の
国作り神話を至って「人間的」に
記述している。
安部路線が続けば、こんな本は
発禁本になるかもしれない。
国体の冒涜と・・・。
2013年04月26日
終日宿舎で寝ながら仕事
快晴 夕方から夜にかけて雨
午前6時起床
午前7時朝食 「おかゆ」
体がだるい。横になる。
バオミンさんと電話で何度か打ち合わせ。
税田さんと打ち合わせ
ブライセン関連の仕事を部屋で行う。
午前11時半、昼食。「魚おかゆ」
既に一週間程、おかゆしか食べていない。
今日から魚を食べる。
午後、読書。
読書「新・帝国主義の時代 右巻 日本の針路篇」
佐藤優 著:中央公論新社 読了
基本的に意見が違うが、参考になる部分は多い。
特に中国の今後の動向。中国は新帝国主義と
規定し、今後の中国の動向を推定しているが
ほぼ正しいように思われる。
今週一週間、下痢問題と体調不良で
ほぼ毎日、寝ていた。
必要な場合のみ仕事をすることにし、
何とか体調を早く回復すべく努力した。
明日から少しずつ仕事を始める。
読書「眠れないほど面白い古事記」
(由良弥生著:三笠書房)
2013年04月25日
終日寝ている
ベトナム事務所のメールアドレスが変更されました。
新ベトナム事務所メールアドレス
vanphongjassvn@gmail.com
午前7時起床。
昨夜熟睡。通常、6時前には目が覚めるのだが、
今日は目覚めず。
朝食時の午前7時に目覚める。
顔も洗わずにそのまま朝食。
油っぽいものは胃腸が受け付けない。
「おかゆ」(少しの塩味で)
塩は心臓の医者に厳しく制限されている。
食後、体がだるいので横になる。
読書「新・帝国主義の時代 右巻 日本の針路篇」
佐藤優 著:中央公論新社
北方領土返還交渉の経過。
本書のロシア連邦と日本の外交交渉は
フエでのJASSが行っているフエ市人民委員会
やフエ市共産党とのお付き合いと基本的には
同じものである。
既に今日で5日間、お酒を飲んでいない、
というのか「飲む気力」がない。
深刻な状況。
おかゆ以外は、胃腸が受け付けないことが
分かった。今日も1日中、おかゆ。
細菌等が原因の下痢りではなく、胃腸障害・
疲弊症。
胃腸を中心に体が疲れすぎているということ。
ゆっくり休むしかない。
午前11時半昼食「おかゆ」
午後5時まで読書をしながら、うつらうつら睡眠。
====
安部政権になって、日本全体の雰囲気が
右傾化しつつある。
「週間金曜日ニュース」
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=3041
を見ると極右団体「在日特権を許さない市民の会」
(在特会)が、在日朝鮮人・中国人などに対する
攻撃をしていると報道している。
東京では新大久保にあるコーリアンタウンに
「朝鮮人排斥」を呼号する若者中心の
デモが押しかけているとのこと。
1930年代のヒトラーが政権を取るドイツの
状況に似てきている。
閣僚や国会議員百数十人が靖国神社に
参拝している。
靖国神社は、「国のために死んだ人たちを
祭る神社」ではない。
そもそも鳥羽伏見の戦いで「官軍」の戦死した
兵士を祀るために作った神社。
その本質は、国のためではなく「天皇のために
死んだ人」を祀る神社である。
西南戦争で死んだ西郷隆盛などは、靖国神社には
祀られない。朝敵(天皇の敵)だからである。
昭和天皇はA級戦犯の靖国合祀に強く反対していた
と関係者からの証言が新聞に載った。
安部首相は、「国のために死んだ人に哀悼の
誠をささげて何が悪い」と言っているがピントはずれ。
靖国神社自体が、「大東亜戦争」といい、
侵略戦争との規定を否定している。
当然ながら「A級戦犯」が合祀されている。
中国や韓国が意義を申し立てるのは、
アジア太平洋戦争で日本がアジア諸国を
侵略したことを「否定している」ことへの
抗議を行っているのである。
中国、韓国を非難する以前に、サンフランシスコ
「講和」条約で受け入ながら、日本のアジア侵略、
その侵略の責任者である「A級戦犯」を容認
する安部首相の姿勢は、今後、日本国内で
「中国人」「韓国人」などを排斥、攻撃する
偏狭な日本人集団をのさばらせることに
なる。
4月28日の「サンフランシスコ講和条約」
発行日を「主権回復の日」として、祝おうと
呼びかける安部首相。
そうであれば、東条英機などA級戦犯を
決めた極東軍事裁判の判決を受け入れた
のもサンフランシスコ「講和」条約である
ことを理解しなければならない。
サンフランシスコ講和条約のある部分を
取り入れ、ある部分は、取り入れないという
講和条約受け入れはない。
極東軍事裁判のA級戦犯容疑で逮捕された
祖父岸信介がいることを恥としなければ
ならない。満州国の事実上の副総理だった
祖父岸信介。中国侵略の中心人物の一人で
ある祖父をもつ安部首相である。
安部首相の常軌を逸した発言は、
日本人の中に芽生えつつある偏狭な「排外主義」
を先導する役割りを果たしている。
中国・朝鮮問題は一層慎重な言動が望まれる。
アベノミクスで浮かれている間に日本は
韓国・中国との間に再度、小泉ポピュリスト首相が
作った中国・韓国との軋轢を再燃する可能性が
強い。
===
ジュネーブで開催されているNPT=核拡散防止条約
再検討会議のための準備委員会で、核の不使用を
うたった共同声明が発表された。
唯一の被爆国である日本は、この声明に賛同
しなかった。
共同声明は24日、南アフリカが提出したもので、
「いかなる状況下でも核兵器が再び使用されないこと
が人類の共存のためになる」とうたわれている。
70か国以上がこの声明に賛同したというが、
唯一の被爆国である日本は、賛同しなかった。
ーー
安部首相の恐るべき方針転換だ。
今後「唯一の被爆国」などということばは、
使えない。
北朝鮮・中国問題を横目に見ての安部首相の
「米国の核に日本は守ってもらう」といの方針
を阻害するとの姿勢が強くにじみ出ている。
着々と「戦争をする国家」を作り上げる道を
歩む安部首相。
憲法96条改正→9条の改悪→徴兵制
へと進行する「アベノ ミリタリー」路線。
2013年04月24日
体調不良
午前6時起床。
午前7時朝食。
午前中、バオミンさんと当面の諸課題について
打ち合わせ。
午前11時半、昼食
食後、2時間程熟睡。
体がだるい。なぜか、1週間、下痢が治らない。
読書「新・帝国主義の時代 右巻 日本の針路篇」
佐藤優 著:中央公論新社
北方領土返還問題。日露の情報発信、受け取り
方などをめぐる「情報(インテリジェンス)」の解読の
仕方の違いを明らかにしている。
各国の首脳などの発言はそれぞれの文章通り
読み取れないものがある。
「嫌よ嫌よも好きなうち」などという言葉もあるが、
嫌(いや)という言葉を深く読むと、好きなのだ
という意味が隠されていることがある、その真相
を読み解くのが、日本の外務省・官僚・政治家
は下手だと佐藤氏は言う。
午後3時前。ソン君が洗濯機修理業者を連れてくる。
洗濯機が故障し、このところ洗濯が出来なかった。
しばらく修理をし、「臨時に」直してあるが、
再度故障したら、洗濯機を持って行って修理をする
との留保がついた修理完了だった。
とにかく体がだるい。直ぐに横になる。
午後8時半。地球の歩き方ツアーの皆さんを
ダナンまで見送りに行ったバオミンさんから
電話。5キロのマグロを買った。塊に
切ってもらい、日本料理店に持って
帰るとのこと。有難い。
バオミンさん、ダナンから5キロのマグロ切り身を
買って来る。ヒエップ君が受け取る。
接客主任のグエットさんたちが、ブロックにするため
解体の準備
トゥオイ調理主任が4ヶ月間の産休に入っている
いるため事実上の「調理主任」になっている
ヒエウさんを中心に、ブロックに切り分け、
冷凍する準備を始める。
マグロの処理経験のあるグエットさん、ヒエウさん
を中心にブロック切り処理を始める。
新鮮なマグロの赤身は、美味しいそうだ。
「うすアブ」のマグロをわさびで食べれば、
食も進むというものだ。
私は下痢がひどく、夕食はベトナム茶を飲み
就寝する。この4日間で2キロ体重が減って
しまった。気力と体力を相当消耗している。
論議したり、物を考えたりする意欲が出ない。
2013年04月23日
終日。部屋で寝ている
昨日からの下痢状態が続く。
午前7時朝食。「おかゆ」と塩で朝食。
長粒米のおかゆなので、匂いは若干の
違和感を感ずるが、贅沢はいえない。
終日、部屋で寝ている。
読書「新・帝国主義の時代 右巻 日本の針路篇」
佐藤優 著:中央公論新社)
沖縄問題に興味をもつ。
バルト三国の分離独立の経過を辿り、
国土の0,6%の沖縄に全米軍基地の
73%が集中している現状がある。
沖縄の「亜民族」状態→日本からの独立の
可能性への言及あり。
琉球王国は1854年に琉米修好条約、
1855年には琉仏修好条約、
1859年には、琉蘭修好条約を結んでいる。
1868年の明治維新の直前まで、独立国家
としての国際法上の主体として認知されていた
ことを知る。
菅首相が「沖縄は独立すればよい」発言も
衝撃的ではある。佐藤氏は沖縄の独立も
可能性がなくはないとの認識を持っている。
それほど、東京中心の本土との認識の
格差が沖縄にはあることが分かる。
4月28日に「日本独立を祝う式典」を
安部首相は行おうとしているが、
サンフランシスコ「平和」条約締結は
同時に沖縄・小笠原の米軍占領を永続化させ、
千島・樺太の領有権を放棄した条約でもある。
安部首相の「4・28独立記念式典」強行は
沖縄の傷口に更に塩を塗りこむ暴挙である。
午前11時半昼食。引き続き「おかゆ」
午後、しばらく眠る。
その後、引き続き「読書」。
午後雨が降り出す。
午後6時過ぎ、雨の中、徒歩で日本料理店へ。
午後6時半、地球の歩き方6班の皆さん(3人)
と私、バオミンさんで夕食会。
私は食事は出来なかったが、地球の歩き方ツアー
の皆さんと交流する。
グエットさんが今晩のメニューを説明する。
午後9時前に晩餐会終了。
2013年04月22日
終日、寝ている
昨夜、午前1時頃から急に下痢状態。
一晩中、眠れず。
今日は1日食事が出来ず、寝ていたい。
(センさんの作ってくれた麺類の一部を食す)
バオミンさんとブライセンの件などで連絡。
怪しいものは食べていない。胃腸系統の
衰え、「酷使」が原因か?
病気の時はさずがに「寂寥感」あり。
読書「新帝国主義の時代ー左巻 情勢分析」
(佐藤優著;中央公論新社)→読了
佐藤氏の主張
・日本は品の良い帝国主義国となれ
・自衛力等集団的自衛権をもつべし
・日米同盟を一層強化すべし
・今後の世界は、弱肉強食の世界
情報収集力を持ち、自国の利益を
毀損しないような「帝国主義国」と
なるべきだ。
小山評価
左翼的言辞を使いながら、結局は
日本帝国主義のアメリカ従属下での
自立路線をとれという主張と見た。
2013年04月21日
終日、横になっている
快晴
体がだるい。昨日、左足の親指に「椅子」を落として
しまい、その足の親指が腫れてしまった。
歩くことが出来ない。
午前11時、センさんの作っておいてくれた
「春雨麺」を食べる。
1時間ほど、昼寝。
その後、午後一杯読書。
「新帝国主義の時代ー左巻 情勢分析」
(佐藤優著;中央公論新社)
佐藤優氏の視点は『グローバル」なものでは
ある。得意のロシア問題には、詳しい。
インテリジェンス(情報分析)について、日本の
外務省を厳しく批判している。
ロシアや北朝鮮などから出される「声明文」
をどう読むか? 情報分析力を問うている。
書いてあることと「本当に言いたいこと」とは
違うし、書いてあることの「裏にあるメッセージ」
をどう読むか・・・・・。
これは、フエにいて海外ボランティアをしていても
ある程度必要な能力ではある。共産党や行政の
お偉いさんの「言うこと」を真っ当に聞くだけでは
意味がない。その言葉の裏に「どんなメッセージが
隠されているのか?」を読み取ることは、私たちの
ような海外NGOには、なくてはならない能力である。
佐藤氏は日本は集団的自衛権を確立し、北朝鮮
と対峙すべきと主張している。
私はこの考えには真っ向から絶対反対だ。
北朝鮮の年月日は、「主体(チュチェ)何年」という
年号になっていることをはじめて知った。
金日成氏が生まれた年が「主体元年」だそうだ。
主体(チュチェ)暦。1912年が主体元年。
今年は、主体102年だそうだ。
馬鹿ばかしと笑っていられないのは、
73年前には、わが国も「皇紀2600年」などと
言う式典をしたものだ。神武天皇(実在せず)が
高天原で初代天皇になった時が「皇紀元年」だ
そうだ。1940年が「皇紀2600年」だとして、
戦意高揚のためももあり、最大な式典を
行った。今でも地方に行くと「皇紀2600年・・」
という石碑を見ることがある。
北朝鮮を見ていると1945年以前のわが国を
見ているようだ。
2013年04月20日
SON君誕生会:地球の歩き方ツアー6班
快晴
午前7時朝食。「カニ団子米麺」
午前8時過ぎベトナム事務所へ。
今日はソン君の31回目の誕生日。
ベトナム事務所で誕生会を行う。
石井君からソン君へ誕生ケーキ贈呈
ベトナム事務所員の寄せ書き贈呈
ベトナム事務所員全員でお茶などを飲みながら
ソン君の人生を語る
ソン君も一児の父親となり、家庭を持ち自立している。
「子どもの家」の長い歳月を改めて反芻する。
午前9時半から「静岡青年交流会館」で
地球の歩き方第6班の方々に「ベトナムの歴史・
風土」を話す。
2階のブライセンベトナム支社新事務所を
訪問する。
「子どもの家」生徒会長だったチュン君も
頑張って仕事をしている。
鎌田ブライセン本社ベトナム担当責任者も
皆さんの仕事を指導中。
地球の歩き方6班は3人の方が参加。
午前9時半から午前10時半まで
ベトナムの歴史・風土などについて話す。
午前11時半、宿舎で昼食。
野菜サラダなどなど
昼食後1時間ほど横になる。
重い木の椅子を2つ重ねて洗濯物を
乾かしていたら、椅子が左足の親指に
落ちる。左足親指が内出血。非常に痛い。
消毒薬と化膿止めを塗る。
横になりながら午後3時まで読書。
「新帝国主義の時代ー左巻 情勢分析」
(佐藤優著;中央公論新社)
佐藤氏は、レーニンの帝国主義論を取り上げ、
日本も「新帝国主義国」として、今後、活動すべき
との見解。自国の利害をしっかり主張するべきだ
と。
午後3時過ぎ、宿舎を出て、「子どもの家」へ。
ハンさんとアンさんが地球の歩き方の3人の
参加者を「子どもの家」の各部屋紹介を
し、休憩していた。
直ぐに2階会議室で「子どもの家」・ボランティア
活動について話す。
午後4時40分まで。
食堂の前で寛ぐ(くつろ)男子
その後、子どもたちによる歓迎会
最初にセン「子どもの家」運営委員長の挨拶
通訳はハンさん
子どもたちによる少数民族の踊り
白鳥の踊り
お返しに地球の歩き方の皆さんの歌
伯母の「ホアさん」の「交通事故」で急遽入所した
ルオム君。元気に生活していた。
全員で記念撮影
「子どもの家」卒業生の「フック君(28歳)」が
遊びに来ていた。
現在、理髪店に勤務しているという。
その足で日本料理店へ。
今日は日本料理店の給料日。
近々に出産予定のTUOIさんは、今日が出産前の
最後の勤務となる。給料を渡しながら、安産を
祈ると話す。
接客主任のグエットさん
7月23日に結婚式をするHIEUさん。
「子どもの家」に住んでいるHIEP君
午後6時過ぎに宿舎に帰る。
鎌田さん・税田さんから電話。
左足の内出血が化膿しないことを祈る
2013年04月19日
フンヴォン記念日で休日
今日は「フンヴォン王」記念日で祝日。
フンヴォン(雄王)は紀元前、ベトナムの北部
に成立したと推定される文郎国の支配者。フンヴォン
は、支配者の「称号」であり人名ではない。
雄王は称号なので何代もの支配者が使用したもの。
快晴 午前10時半、気温36度、湿度68%。
午前9時過ぎに起床。食堂に行くと料理のセンさんが
朝食を作って待っていた。
連絡のミスで「4月19日は休日なので食事は作らない
でください」と伝えてあったのだが・・・・。
午前6時半に宿舎に来て、午前7時に朝食を作って
いた。私は朝食はないもの、昨夜飲んで疲れたので
今日の朝はゆっくりと午前9時位までは、寝ていようと
思っていた。料理を作ってくれるセンさんには
申し訳なく思った。センさんは、いつも旦那さんが
オートバイで宿舎まで送ってくる。そして、私の
食事が終わった頃、旦那が迎えに来る。
「仲睦ましいご夫妻」ではある。私など、
そんな馬鹿馬鹿しいことはしないが・・・・。
(この記述で全女性軍に総反撥を喰らうのは必至)
急いで午前9時半に朝食。
「チャオ・バイン・カイン」。(小麦粉とキャッサバの
手打ちうどん)
メールを開き、返事を出す。
口中の両奥歯が痛かったのは、歯のせいでは
なかった。両方の奥歯は、既に「神経を切って」
あるので、痛みは感じないはず。
この数日、時間があれば横になっていた。
今日は、午前9時に朝食を摂った時以外は
本を読んで1日を過ごした。
両奥歯の痛みは和らいできた。やはり疲労の
せいと判断した。
「漢文法基礎 」(加地伸行著 講談社)を読了する。
本書は大学受験の「Z会」の講師をしている加地先生
(現在立命館大学教授・大阪大学名誉教授)
が、大学入試のための参考書として書いたもの。
ではあるが、単なる大学入試を目的とした参考書
ではない。漢文という中国の古典を読むことに
どんな意味があるのか? を教養豊かな著者が
解説・指導する内容であり、大学受験をしない
私が読んでも興味津々の内容であった。
今度、日本へ帰ったら「唐詩選」を読もうなどと
思っている。
夕方まで横になり読書。
読書「新帝国主義の時代ー左巻 情勢分析」
(佐藤優著;中央公論新社)
最新刊。右巻もあり「日本の針路編」。
まず、左巻「情勢分析編」から読み出す。
520ページ。
鈴木宗男や佐藤優氏とは、考えが違うところも
多いが、彼らの意見に耳を傾けるべきものも
持っている。自分と違う意見を知ること、本を
読むことは大変大事なことである。得るものが
多い。広い視野を持った人間になりたいものである。
午後5時。税田さんから電話。
今夜、ダナン空港へ地球の歩き方
スタディーツアーの皆さんが到着する。
税田さんとソン君で出迎え。
ホテルの若干の問題があったので
バオミンさんに電話をし、修正する。
問題解決。
税田さん・ソン君・地球の歩き方の皆さんが
フエに着くのは午後10時頃になる。
午後5時半頃、リー君から電話。
「今晩飲みましょう」とのこと。
仕事が残っていたので、午後6時半から
飲むことにする。
午後6時半、家を出ようとしたらリー君が
宿舎までオートバイで迎えに来てきくれたが、
私は電動バイクで行く。
フォンザンホテル前の路上の飲み屋。
なかなか心のある若者である。私が奥歯が痛くて
ものが食べられないということを知っていた。
同時に私が「スルメ焼き」が好きだということも
知っている。
リー君は、柔らかいスルメを買ってきて、飲み屋の
従業員に焼くように頼む。
ソフトするめなので柔らかく美味しい。
日本料理店、ブライセンなどの話をしてくる。
リー君はなかなか情報通ではある。
ただ、この路上の飲み屋は「レロイ通り」という主要
道路にあり、バスや車がひっきりなしに通る。
「ホコリっぽいのなんのっと」言ったら大変な
ゴミとホコリの中で飲んでいる。
リー君の今後の進路なども話す。
現在の仕事(警察に来るベトナム人のオートバイの
守衛)が近々に終わるので、その後の身の振り方
を心配していた。
少し疲れがあるので、午後8時前に失礼する。
宿舎へ帰り、いくつかの仕事をする。
2013年04月18日
TU君フエ帰国:ブライセン蒲田氏と夕食打ち合わせ会
快晴
午前10時半 32度 湿度70%
午前7時朝食。
「フォー・ボー」(牛肉・米麺)
午前中、バンベーの原稿を2本書く。
必要な写真を火炎樹日記を見ながら
探す。
午前10時頃、静岡大学大学院に
進学しているTU君がベトナム事務所に
やってきた。1ヶ月程の帰省とのこと。
だいぶ日本語も上手になってきた。
多数のメール受信・送信。
午前10時頃から久し振りに太陽が出る。
急いで布団を干す。
午前11時半昼食。「ラーメンのような麺」
食後1時間ほど昼寝。
午後1時半頃から雨。
昼寝後、読書.
「漢文法基礎 」(加地伸行著 講談社)
600ページの分厚い本だが、もう一息で読み終わる。
興味津々の本だった。
パソコンで漢字を検索する際、同音読みの漢字が
多数ある。一応、パソコンで使用例が出てくるのだが、
それぞれの同音漢字の「意味」を理解したかった。
本書は、助字として、多数の同音漢字の微妙な
意味あいをを説明している。
最終章は漢文の構文。著者は色々と決まりは
あるが、訓読(日本読み)にする場合には、
構文と全体の意味を推測して読み順を決めていく
という至って曖昧な解説だが、確かにそうなの
かも知れない。
絶句・律詩には、「韻を踏む」習慣がある。
この韻を踏む場合の基本は、平仄(ひょうそく)。
中国語は4声。(ベトナム語は6声)ある。
私は中国漢詩などで押韻(おういん)する場合、
同じ読み方を使うと思っていたが、間違いで
あった。同じ声調を使うのだ。日本語にはない
ので高校の頃は理解が難しかったが、
ベトナムに来て6声調(フエは4声調)を
知って、初めて、中国の律詩・絶句で韻を
踏むことの意味が理解できた。
平仄(ひょうそく)の平は、平らな声調。
ベトナム語では第1声。仄(そく)は傾くという意味。
ベトナム語だと第2声から第6声まで。、
第1声は「平らな声調」、第2声以降が「仄(そく)-
傾く」に当たる。
昔の中国語は「平声」「上声」「去声」「入声」
と4声。
漢詩等で押韻(韻を踏む)のは、平仄を同一に
すること
疲れたときは、当面している様々な悩ましい
仕事から離れて漢詩の五言絶句・七言絶句
などを読み、押韻を知り、心豊かになる
時間(瞬時でも)が欲しいものだ。
バオミンさん・税田さんと電話で打ち合わせ。
午後5時半、フエ市人民委員会外務部と
ブライセン・JASSベトナム事務所の
合同交流会を行う。
ニエン外務部長・ホアン外務部副部長、
鎌田ブライセン本社ベトナム担当責任者、
小山バオミンさん。
今後のJASSとフエ市人民委員会外務部、
ブライセン・JASSとフエ市人民委員会との
関係の強化について懇談。
2013年04月17日
バンベー編集会議:日本料理店試食会
晴れのち曇り、雨。気候の変動が著しい。
午前6時起床。体が異常にだるい。
午前7時朝食。ブンボー・フエ(フエ名物米麺)
午前8時過ぎ徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさん、税田さんとJASS機関誌「バンベー(友達)」
の編集会議。
バンベー43号のメインテーマを打ち合わせする。
43号から新たにいくつかのコーナーを新設。
20年間「子どもの家」を運営し、その中で育った
子どもたちを紹介する企画を考える。
午前11時、バンベー企画会議終了。
徒歩で宿舎へ。
午前11時半、昼食。「チャオ・バイン・カイン」
(小麦粉の手打ちうどんに魚入り)
昼食後1時間ほど昼寝。
読書「漢文法基礎 」(加地伸行著 講談社)
午後3時。バンベー原稿の私の分担部分を執筆。
午後6時。電動バイクで日本料理店へ。
日本料理店長兼調理主任のTUOIさんが
近々に4ヶ月の「産休」にはいる。
産休に入る前にTUOIさんは、調理担当の
HIEU(ヒエン)さんと「HIEP(ヒエップ)君に
いくつかの料理を「伝達」している。
TUOI調理主任から料理を習う「HIEP君」。
今まで身につけた日本料理店を後輩に教え
4ヶ月の産休に入りつつあるTUOI店長兼
調理主任。
TUOI(トゥオイ)さんが4ヶ月間の産休に
入ったら、事実上の調理主任になる
HIEUさん。HIEUさんも7月には結婚する。
アメリカ人のお客さんの注文である
「てんぷら」を作っているHIEU(ヒエン)さん
日本料理店厨房
今日は、HIEP君が「きんぴら」と
トマトの野菜サラダをTUOI調理主任から
学び、自分で作ってみた。私はその試食
かかり。新人のHIEP(ヒエップ)君が
作った料理をお客さんに出せるかの
判定係り。
HIEP(ヒエップ)君の作った「きんぴら」
上手に出来ていた。
HIEP君の作った「トマトの野菜サラダ」。
これも美味しく出来ていた。
たまご丼
今日は体調が悪い。生まれて初めて「歯が痛く」なった。
正確には「歯茎(はぐき)」が痛く、硬いものが食べられ
ない。多分、疲労のせいだと思う。
疲れた。1時間半ほど日本料理店にいて帰宅。
しばらくするとリー君から「先生飲みにいきましょう」
との電話あり。
「体調悪く、疲れているので次回に」と断る。
2月からの疲労がたまり、歯茎にでたものと推測
する。歯茎が痛いので物が食べられなく
困っている。
2013年04月16日
ブライセン関連打ち合わせ
午前5時起床
曇りのち晴れ、後小雨。不安的な気候。
午前7時朝食。『肉団子入りチャオ・バイン・カイン」
午前8時過ぎ徒歩でベトナム事務所へ。
ブライセン本社鎌田さん、バオミンさんと
当面のブライセンベトナム支社運営に
ついての意思統一。
午前11時過ぎ終了。
宿舎に帰ろうとベトナム事務所を出ると
ベトナム事務所の前のお店にリー君がいる。
「先生、オートバイで家まで送ります」
とのこと。リー君のオートバイの後ろに
乗せてもらい宿舎まで。
午前11時半昼食「春雨麺」(あまり好きではない)
食後2時間程昼寝。
最近体調が良くない。特別当たるものを食べていない
のだが、下痢をする。抵抗力が弱くなったようだ。
午後3時、徒歩30分かけて昨日行った「理髪店」へ。
午後4時過ぎに再度来てくれとのこと。
仕方ないので徒歩で30分かけて宿舎へ。
午後4時前、電動バイクで理髪店へ。
4ヶ月程理髪店へ行っていなかったので
髪はぼうぼう・・・・。
3万5千ドン。(170円)。
宿舎へ戻り、いくつかのメールへの返事。
JASS日本代表委員会委員長の
稲垣さんへメール。
午後6時、電動バイクで日本料理店へ。
途中、電動バイクの空気が抜けたので
空気を入れてもらう。5円。
富岡君と「お客さん呼び込みのサクラ」
で日本料理店で飲んでいる。
途中で税田さんも加わる。
2人のフエ駐在員のような日本人が
来店。何度も来てくれている。
富岡君と人生、社会、ベトナムの未来、
北朝鮮問題などを話し合う。
午後9時半、日本料理店を退出。宿舎へ。
2013年04月15日
ブライセン打ち合わせ:「子どもの家」新入所者
終日曇り 寒い
午前7時朝食。フォー(ハノイ名物米麺)
午前8時、徒歩で「子どもの家」へ。
片道15分。運動に丁度良い。
ブライセン本社ベトナム担当責任者の鎌田さんと
当面のベトナム支社運営に必要な件を相談する。
明日から3日間ほどかけて、半日の時間をとり
詳細打ち合わせをすることとなった。
午前10時半。電動バイクで「子どもの家」へ。
4月10日「子どもの家」付属刺繍みやげ物店
スタッフ(「子どもの家」卒業生)のホアさんの
交通事故について、報告があった。
ホアさんは、10数年前に「子どもの家」へ
入所。私がフエ師範大を解雇されて、フエ市内
に事務所を作り、その2階に寝泊りしていた頃である。
毎朝午前5時に事務所からフエ駅まで往復1時間の
ウオーキングをしていた。途中、フエ市役所の
隣の公園にホアさん(当時12歳?)と母親が
寝ていた。何度も「子どもの家」へ入所するよう
働きかけたが、断られ、2年後にやっと「子どもの家」
に入所してくれた。「子どもの家」で刺繍を学び、
現在の「子どもの家」付属刺繍みやげ物店で
働き自立することが出来た。
ホアさんには、母親がいる。現在は高齢で
仕事が出来ない。諸般の事情でホアさんの
姉の子どもがいる。3人で生活していた。
ホアさんの刺繍みやげ物店の収入で
3人の生計は保たれている。
今回、母親とホアさんが緊急入院してしまい、
姉の子ども(ズム君日本の小学校6年)は、
誰も面倒を見る人がいなくなり、急遽、
「子どもの家」に入所させることになった。
おととい入所したのだが、一体元気にやっている
のかどうか? 心配になり「子どもの家」へ
行った。石井君たちとサッカーを楽しんでいた。
一安心。(真ん中がズム君)
「子どもの家」のサッカー仲間。
中学校から帰って着て直ぐにサッカーに興じるなど
エネルギーのある子どもだ。
午前11時半、昼食。肉団子のおじや。
昼食後1時間ほど昼寝。
午後2時半。徒歩で30分の所にある「理髪店」へ。
しばらく待つ。おやじが「2時間程待つようになるので
午後5時半頃、再度来て欲しい」といわれる。
仕方がないので徒歩30分で帰宅。今日は徒歩
で1時間も歩けたので、良かった。
長文のメールを書き、関係者に送る。
今年の2月26日から3月23日まで
ベトナム事務所・「子どもの家」の手伝い支援
来てくれていた「永田健人君」(名古屋の大学4年生)
が「中日新聞」にフエでの活動が紹介された。
永田君はスケートの浅田真央と同じ大学。
先生には、ハンマー投げの室伏氏も。
永田君は体育の先生になるという。
=================================
三国連太郎氏が亡くなった。合掌
高校のころだろうか? 家の近くの場末の
映画館で「日本泥棒物語」というコメディー
映画を見た。確か、山本薩夫監督だったと
記憶している。
2人の土蔵泥棒が、福島県の国鉄松川駅
の付近で盗みをして、休んでいる。
そこに9人のなにやら「怪しい人物」が
線路を歩いてくるのを見た。という単純な
な話なのであるが、これが、世間に言う
「松川事件」なのだ。
高校生の私には単純なコメディー映画
だと思って観た映画が、実に政治的な
映画だった。
福島の松川駅付近で列車が転覆し、
国鉄労働組合と東芝松川工場の日本共産党員など
の労働者20人が列車転覆容疑で逮捕された。
i一審では4人の死刑を含む有罪判決。
宇野浩二、吉川英治、川端康成、志賀直哉、
武者小路実篤、松本清張、佐多稲子、壷井栄ら作家
の支援もあり最高裁の差し戻し判決で全員無罪の
判決が確定した。
私は当時、環状七号線に面した所に住んでいた。
ある時、数千人の大きなデモが環七で行われた。
中学生の頃である。「松川事件無罪判決どうのこうの」
と書かれた横断幕やゼッケンをつけた多くの人々が
デモ行進をしていた。
このデモに刺激を受け、中学生だった私は地元の
「民主書店」(共産党系の本屋)へ行き、
松川事件という「パンフレット」を買い、どんな事件
だったのかを知った。デモの頃は、最高裁判決で
全員無罪が出る前である。
単純なコメディー映画として見に行った
「日本泥棒物語」(東映)が、実に政治的な
映画だったことが分かったのは、「松川事件
無罪判決どうのこうの」というデモ行進と
関連パンフレットを中学生で読んだことが
背景にある。今から考えると私は政治的に
非常に早熟な子どもだったのだ。
中学で松川事件を知り、三鷹事件、
下山事件を知った。
三国連太郎の土蔵破りの犯人が、
9人の人間を松川駅付近で見たことを
証言するという当時の政府自民党の
松川事件は「アカの共産党の仕業」」との
キャンペーンに真っ向から反対する
映画が、子どもたちの観る映画館で
上映されていた当時(1960年代)の
日本社会の政治的雰囲気を象徴しているよう
である。
2013年04月14日
日曜日ー久し振りの休日
午前5時頃、一度目を覚ますが再度寝てしまう。
午前9時起床。
恒例の(医師からの指示)血圧測定。
特に問題なし。
第1回目の血圧測定は、2000年7月8日からだった。
それから12年半、毎日朝起きた時の血圧を測定し、
心臓医師に見てもらっている。長期的な血圧の
動向調査。
メールの受信・送信。
昨日の火炎樹日記の誤記を訂正する。
リー君、税田さん、バオミンさんから電話。
午前11時過ぎ「ブランチ」。料理のセンさんが
昨日作り冷蔵庫に入れてあった「ラーメン」のような
麺類を温めて食す。
その後、読書。
読書「漢文法基礎 」(加地伸行著 講談社)
600ページのうち3分の2を読み終わる。
今後の読書に大いに役立つ。
1時間ほど昼寝。
ベトナムに住んで20年。昼寝も20年。
自然に昼過ぎになると「眠く」なる。
午後3時過ぎ、バオミンさんと電話。
交通事故で叔母(刺繍みやげ物店のホアさん)と
祖母が救急入院し「一人になったズム君」の
様子を聞く。昨夜は「子どもの家」に泊まった
とのこと。今日の様子を「子どもの家」の
寮母さんに電話で確認してもらう。
「子どもの家」に馴染んでいるとのこと。
午後、外へ遊びに行っているという。
元気に生活していることを知り、一安心。
通販「フェリシモ」へ報告書と写真を送付。
16万円強の寄付を頂く。何に使ったかの
報告書を提出。
午後5時、宿舎の近くの路上にリー君が
オートバイで待っている。
リー君のオートバイの後ろに乗り、「ヤギ肉専門店」
へ。リー君が日本料理店の店長をしていた頃、
このヤギ屋さんの近くの5階建てのビルを
借りて、一緒に生活していた。
日本料理店が終わった午後9時半頃、この前の
ビルに戻り、リー君や弟のイン君、ハイ君などと
ヤギなべを食べながら飲んだ思い出が蘇る。
炭火でヤギ肉鍋を食べる。美味しい。
恋人と別れた後の「感想」、今後の身の振り方
などを話し合う。
「まだ4人の恋人がいるので、問題ない」
との強気の発言。
フエには本当の唐芙蓉(とうふよう)がある。
豆腐を発酵させたもの。精進料理から
発達したものと推測する。
腐った豆腐なのだが、これがお酒の
おつまみには、最高。
今後のリー君の人生を話し合う。
リー君の教訓。「フエの女性はみんなお金が
一番」とのこと。
自分はお金がないので恋愛が成就しないという
ことを間接的に言いたいようだ。
今日は日曜日。
結構多くのお客が「ヤギ肉」を食べに来ていた。
リー君はなかなか忙しい人間である。
頻繁に電話が入る。
2時間、リー君と話し合いながら飲んだ。
酔っ払いのリー君のオートバイの後ろに乗り
宿舎まで送ってもらう。
午後7時帰宅。
宿舎で「八海山 大吟醸」を飲む。
2013年04月13日
ベトナム事務所員会議
終日小雨、曇り 寒い
昨夜、痛飲。
午前7時朝食。「ブン・クアー(かに団子米麺)」
血を固めたものが入っていた。気持ち悪いが食べる。
徒歩でベトナム事務所へ。
しばらくぶりのベトナム事務所。
皆さん、非常に真面目に仕事をしている。
日本語関係者
通販フェリシモ関係者
日本語関係者
右 JASS日本語部長
会計とベトナム事務所担当者
JASS観光担当
その後、ベトナム事務所会議室で
ベトナム事務所員会議を行う。
バオミンさんが当面の日程等を提案
(ソン)今週は息子が気管支炎となり看病した。
日本料理店ネズミ駆除。ネズミの穴に
石井君と協力して砂などをいれ、セメントで
固めた。
観光案内の公式ライセンスを取得した。
取得にあたりベトナム事務所の皆さんの
協力に感謝している。
(税田) 3月末 菊先生よりクッション作成の
依頼を受ける。「子どもの家」で芸大5年生の
フック君にデザインを書いてもらっている。
日本料理店のゴキブリ・ベスミ退治を行った。
「京滋YOUの会」と京都市の協力で実施るる
講演会で展示する作品作りを行っている。
===
(ハン) 北海道の菊先生の展覧会用の絵画を
100枚準備中。
ハノイボランティアネットのミンさんからの
依頼の刺繍等作品70枚を作成中。
「子どもの家」付属刺繍みやげ物店の
ホアさんが、4月10日の夜、天安山付近で
オートバイ同士の交通事故に遭う。
オートバイの後ろに母親も乗っており、
ホアさんと母親の二人が、救急入院。
ホアさんは、左腕骨折、鼻骨骨折。
母親は、頭を打って精密検査中。
既にホアさんは、レントゲン代、鼻の手術代
で500万ドンの請求書が来ている。
母親も脳の精密検査代等で400万ドンの
請求を受けている。
現時点で1200万ドン(6万円)の請求を
病院から受けている。ホアンさんの月給は
360万ドン(1万8千円)。
月給の3、5ヶ月分の請求額。
それ以外に病室代として1日一人8万ドン
(400円)かかる。
1ヶ月間2が入院すれば、24000円の
病室代がかかる。
これから更に治療費、食費等がかかる
見通し。
(昨日、小山・バオミンさんと協議し当面の費用を
JASSとして、貸与することにした。)
ホアさんの甥がホアさんとホアさんのお母さんの
3人で生活していた。突然、ホアさんと祖母が
いなくなり、食べ物もなくり、「子どもの家」の
刺繍みやげ物店に来て食事をあげた。
ロック寮長に連絡し、「子どもの家」に入所させる
よう小山・バオミンさんと話し合って、実行した。
(澤井)ブライセン 中級週2回の授業をしている。
日本語能力検定試験4級の合格に向けて、
頑張っている。生徒たちの語彙が豊富になった。
授業に会話もいれ、更に日本語能力を向上
させたい。
4月28日に友人が来るので宜しく。
====
(アン) マルタカより625の花柄の刺繍の
注文があった。
(フーン)JASS日本語学校一般クラス中級(14人)
を教えている。能力差があり難しい面もあるが
頑張っている。
ブライセンの上級とフエ高等師範の2年生を
教えている。
ブライセン上級は11人の生徒に急増したので、
教えるのが大変だ。
日本語能力試験3級のまとめのテストをした。
(フオン) ブライセン初級・中級
中級は日本語能力試験4級。7月に
4級の試験を受験する。
ブライセン初級は真面目によく勉強をしている。
==
(富岡) フエ高等師範1年生(みんなの日本語15課)
ブライセン上級 雰囲気は良いが、男性が
多少萎縮気味。
ブライセン初級 ひらがなを教えた。
==
(春口)JASS日本語学校一般コース中級。
(大学生10人・高校生4人)
クラスの雰囲気は良い。能力差がある。
5月1日にフエを出て、帰国する。9ヶ月間
お世話になりました。
4月28日に両親がフエに来るので
宜しく。
(後藤) フエ高等師範大2年生(初級50課)
ブライセン初級(生徒にやる気がある)
==
1時間ほどでベトナム事務所員会議を終わる。
徒歩で宿舎へ帰り、横になる。今日は何故か
体がだるい。
読書「漢文法基礎 」(加地伸行著 講談社)
読んでいて引き込まれる内容。
漢文の知識がないことに読書をするうえで不便を
感じていた。
本書は、大学受験のための「漢文入門者」なのだが、
著者の個性なのだろうか、一味違う内容となっている。
漢文の基礎をしっかりと教えている。
現在の中国でも私たちが学校でならう漢文は
「古文」である。つまり現在では一般に使われていない
漢字や文章である。私たちが、源氏物語を古文で
読むようなもの。
特に「助字」の使い方、意味を知ることは、明治大正
の頃の日本文学を読むのに役立つ。
(助字 以、於、諸・若・所・・・)
第2回目の洗濯をする。
午前11時半、昼食。「チャオ・バイン・カイン」
昼食後、2時間程昼寝。
その後、メールの受信・送信。
いくつかの問題についての方針・対策を考える。
2013年04月12日
日本料理店会議
午前6時起床 気温21度 湿度90% 終日雨
午前7時朝食。フォー
午前中、三重県の高校スタディーツアーの件で
長文の抗議文を書く。
午前11時半昼食 野菜サラダ。
魚フライ・スープ。ご飯。
食後2時間程熟睡。
午後2時半。徒歩でベトナム事務所へ
午後3時、日本料理店会議。
日本料理店のシフトの件で日本料理店
の子どもたちと協議。
・日本料理店長のトゥオイさんが5月15日頃から
4ヶ月間の産休に入る。
・7月23日にヒエウさんが結婚する。
新婚旅行等で7月22日から7月30日まで
の9日間休む。
上記2点の休暇は、御目でたいことである。
トウオイさんとヒエウさんの幸せな人生を
祈る。
その間の日本料理店のシフトを協議。
午後5時半、「サクラ」として日本料理店で一杯飲む。
丁度、バオミンさん・春口先生たちの帰宅時刻。
午後8時まで日本料理店で生ビールを7杯飲む。
それ以上飲もうとしたらグエットさんに
「先生、体を壊すので生ビールを飲むのは禁止」
と厳しい通達。
その間、フランス人、日本人、カナダ人など
5人の来客あり。
日本料理店の前の店でリー君が飲んでいる。
チラチラと日本料理店の様子を観察。
午後8時半、日本料理店を出て
雨の中徒歩で帰宅。途中、リー君から電話。
「先生、いつもの路上の店で一杯飲みましょう」と。
いつもの路上の店に行く。リー君は既に
「出来上がって」いる。
リー君は「恋人と別れた」と話している。
恋人と別れてもまだ4人の恋人がいると
豪語。
午後10時過ぎまでリー君と様々な
話をした。
2013年04月11日
当面の諸課題について協議する
午前5時起床。朝豪雨。
午前7時朝食。「ブン・クアー(かに団子米麺)」
唐辛子がかなり利いている。医者からは
「辛いものは控えるように」(胃の出血)
と言われているのだが・・・・・・。
午前9時過ぎ徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさん・税田さんと当面の諸課題に
ついて協議。
日本語学校関連は、フーン日本語部長も
交えての話し合いをする。
特に日本料理店の件については、富岡先生や
フーン先生などの意見も聞き、当面の方針を
協議した。
日本料理店長のTUOIさんが5月15日から
4ヶ月間の「産休」にはいる。
おめでたいことである。
日本料理店のHIEUさんが7月23日に
結婚式を挙げる。これもお目でたい。
18歳という若さでの結婚を祝福したい。
日本料理店の課題は、
①TUOIさんの4ヶ月間の産休中の
調理部体勢の確立。
(TUOIさんは、調理主任もしている。)
②HIEUさんの結婚式とそれに続く新婚旅行中の
調理部体勢の一層の確立。
7月22日から7がつ30にちまでの9日間の
休みとなる。
特に②の時期は、調理担当3名のうち2名が
休むことになる。産休と新婚旅行という
おめでたいできごとなので、何とかやりくりをして
出産と新婚旅行を成功させてやりたい。
しかし、7月22日から7月30日までの
9日間の厨房は1人となる。
その対応策を考え、成案を得る。
明日の午後3時に日本料理店会議を
開き、日本料理店の子どもたちと協議する。
昼食、午前11時50分。
春雨麺。
その後、2時間程昼寝。今日は雨・曇りで
どんよりとした肌寒い1日だった。
地球の歩き方ガイドブックへの原稿を書く。
第17回JASS静岡の会総会へのお祝いの
メッセージを書き送信する。
ある問題についての理論整理をする。
必要な対応をすることにする。
成田からホーチミン市への機中で
腕時計のバンドが切れてしまった。
昨夜、リー君に修理(つなぐこと)を頼む。
今日、修理済みの時計バンドをもらう。
修理代は「50円」。
私はひどい「金属アレルギー」。ベトナムに
来て汗でメガネのフレームの金属が溶けて、
肌にしみが出来た。また、金属の時計バンドを
していたが、汗で金属がとけ、左の腕が
赤く腫れるアレルギーになってしまった。
という事情があり、汗などに解けない「チタン」
製のメガネ、腕時計バンドをしないと大変な
事態になる。
10年ほど前に安売りの時計屋で4000円で
買ったチタンバンドの時計である。何度も
壊れたが、路上の時計修理屋さんに頼むと
50円か100円で直してくれる。
日本で一度時計バンドの修理を時計屋さんに
持って行ったことがあった。「うちではできない。
預かって修理するところへ持って行き修理する。
1週間はかかる。費用は数千円」とのこと。
日本では時計は使い捨て。修理をする時計屋さん
もいなくなってしまった。
ベトナムでは、路上に時計の修理屋さんがいる。
数ヶ月前も時計の「リューズ」が取れてしまい、
どこかへ行ってしまった。
路上の時計修理屋さんに頼んだ。
違う時計のリューズを使い、直してくれた。
ベトナムで生活していると日本人の生活様式が
極端な「無駄遣い」「超資源浪費」社会になって
しまったことが分かる。コンビニに行く。
一人分の野菜サラダが100円ほどで売られている。
入れ物は、フラスティック。少量の野菜サラダを
食べるのに大量のプラスティックを使い捨てしている。
物を大事にするという社会構造そのものが
資本主義の「金儲け」のために変質させられて
来ている。もう少し、物を大事に使う社会で
ありたい。残念ながら、私自身も日本にいれば
そうした社会に住んでいるのだ。
2013年04月10日
当面の諸課題の打ち合わせ
午前6時起床。
午前7時朝食。「精進ブン麺」。
今日は旧暦の3月1日。
フエでは多くの人たちが精進料理を食べる。
午前9時、ベトナム事務所へ。
マレーシアに永住している日本人と日系
アメリカ人ご夫妻とお会いする。英語のガイドブック
「ロンリープラネット」を読んだとのことで来訪。
アメリカやマレーシアなどの話をする。
アメリカに住んでいたそうだが、あまりの格差の
大きさに嫌気をさし、マレーシアに移住した
とのこと。寄金を頂く。
その後、バオミンさん・税田さんと当面の
諸問題について打ち合わせ。
日本の支援者Kさんから石井君の大好物である
カマンベールチーズを頂く。税田さんにもって
帰ってもらい石井君に渡してもらう。
午前11時半まで3人で当面の諸課題に
ついて突っ込んだ打ち合わせをする。
午前11時40分、ベトナム事務所を出る。
事務所の入り口でリー君と会う。
「今日は、午後6時から飲みましょう」とのこと。
「彼女を紹介する」と豪語。
午後12時15分、昼食。
「鶏肉のおじや」
その後、。2時間程昼寝。疲れた。
昨日の火炎樹日記を書く。
午後5時頃、ホーチミン市の日系観光会社から電話。
先日、この会社からベトナム事務所にメールが入る。
「日本の何とか〔詳細不明〕という学校がフエに行くが
あなたの子どもたちの施設は、何が出来るか
回答して欲しい」とのこと。
日系会社名も訪問する学校の紹介も何を目的に
「子どもの家」訪問をしたいのかもかかれていない。
大変失礼なメールだった。
バオミンさん宛てに来たメールだが、非常識
そのもの。バオミンさんに話し、メールを
送ってきた人に私の携帯を教えるようにお願いする。
メールの送り主からの電話。
最初は、若い女性からの電話だったが、埒が
あかない。
観光会社名も訪問する学校の日本語名も
何も書かずに、突然、「子どもの家」を訪問するが
「子どもの家」で何が出来るか?との不躾な
質問。
私はこの担当の日本人の女性に「あなたの会社は
何様ですか?」 勝手に「子どもの家」に来ると言って
連絡してきて、「子どもの家」では何が出来るか?
などと質問するその精神構造に唖然としたと
話すが、この女性、私の言っている内容が理解
できないようだ。人間の感性と能力の問題。
ホーチミン市の日系観光会社の責任者に
代わってもらう。
私「あなたの会社のツアーに子どもの家へ
来て欲しいなどと頼んだことはない。あなた方が
勝手に子どもの家に来ると言っているだけのこと。」
「子どもの家は見世物小屋ではない。きちんと
訪問の趣旨と意義があれば、日本の若者の
訪問を受け入れるが、貴社は傍若無人。
自己紹介も自分の会社名も明かさずに
お前の所に行くが、何が出来るのか言え との
態度は常識を逸脱している。
「どこの社会に自己紹介もなく、勝手に相手の家に行く
などということが通用するのか?」
と詰問する。
日本社会の「人間能力が低下している」と
言われているが、このホーチミン市の日系
観光会社の知的水準・社会的認識水準の
低級さに驚く。フエで20年間活動し、多くの
日本の若者を受け入れてきたが、こうした
自己紹介もなく、名も名乗らずに一方的に
JASSの「子どもの家」に行ったらら何が出来るか
言えとの態度は、傲慢そのもの。
ホーチミン市の日系観光会社の責任者と名乗る
人物に強く抗議をする。
「JASSはあなたの会社の子分でも僕(しもべ)
でもない。あなたの会社の命令を聞く立場にはない」
「あなたの会社とは関係ないNGO・NPO組織である」
「貴社が何を考えているのか? 貴社がどれだけ
大きな会社かは知らないが、そうしたことはJASSとは
関係ないこと。子どもの家を訪問したいのなら、
人間としての最低の常識である自己紹介と訪問目的
をきちんと相手に伝えるという社会常識をわきまえた
行動をすべきである」と話す。
20年間フエで活動し、段々とこの種の社会常識
を弁(わきま)えずに行動する会社が増えてきている
ことは認識していたが、今回のホーチミン市の
日系観光会社は「地球は自分たちを中心に
回っている」と考えているようだ。
幼児性そのものから脱皮できない人間の集団と
思えた。この種の人間にいくら「自己紹介もしないで
相手に質問するのは間違っていますよ」と
言っても「そのこと自体を理解する最低限の
知的能力がない」と思えてならなかった。
この種の人たちに何を言っても通じない
世の中になってきたのかと、一抹の寂しさを
感じた。
午後6時過ぎ、日本料理店へ。
子どもたちが、スルメを焼いてお酒の
おつまにしてくれたものを贈呈してくれた。
感謝。
その足でいつものリー君の待っている路上の
ような大衆酒場へ。
リー君の電話のように「彼女」を連れて来ていた。
24歳だという。
喫茶店でリー君から声をかけて知り合ったそうだ。
何とか結実するといいのだが・・・・・。
また「フーテンのりーさん」にならないことを
祈るのみである。
2013年04月09日
成田→ホーチミン→ダナン→フエ (帰国)
快晴
昨夜、成田近郊のビジネスホテルに泊まる。
(1泊4800円だった。朝食付き)
今回の成田発→ホーチミン行きは
「成田発午前10時」。
ホテルの空港行きバスは、午前7時か
午前8時10分。
飛行機が午前10時発なので午前8時10分の
空港行きバス(無料)を予約。
午前7時、ホテル内の朝食レストランへ。
バイキング方式のきちんとした朝食だった。
(1人1300円と書いてあったので、
ホテル代は3500円という計算になる)
午前8時10分、ホテルを出て成田空港第1
ターミナル「北ウイング」に。北ウイング、
と言うと何故か中森明菜を思い出す。
今日はホテルから空港まで混んでいて
空港着午前9時。午前10時出発なので
時間的には余裕があった。
チェックインカウンターへ行く。
カウンターの女性スタッフは、「出発時刻が
30分早まっている。午前9時半出発だ。
急いで機内へ入って」といわれる。
午前10時発が午前9時半に一方的に
変更されていた。
荷物を預ける。荷物の預り証は「成田→ダナン」
となっていた。このまま理論的に考えれば
成田からホーチミン経由で荷物は、ダナン空港に
届くということになる。しかし、今までフエに行く際
にはそうしたことはなく、成田→ホーチミンで
一度荷物を降ろし、再度、ホーチミン空港国内線
で荷物を預けるという方式だった。
成田→ダナンという『タグ』を見て、いやな予感が
したが、時間がないので急いで、荷物検査、
出国手続きをし、午前9時25分に機内に
入る。
機内では、ひたすら寝ていた。
食事の時だけ起きて。ビールなどは
大変残念だが全く飲む意欲がなかった。
水だけ飲んだ。
機中で「漢文法基礎―本当に分かる漢文法入門」
(加地伸行著:講談社)を読む。
非常に興味の沸く本である。
執筆目的は高校生用の大学受験のための
漢文学習の本なのだが、予備校の先生でも
ある著者の漢文に対する博識とそもそも論
は大いに学ぶことがる。
漢文の基礎理論をしっかりと学習できる。
ベトナムでも田舎などへ行くとある特定の
本貫の祖先を祭る廟には、漢文が書かれている。
何となく漢字なのでおおよその意味は
分かるような気もするのだが・・・・
もっときちんと漢字が縦に並んでいる
ベトナムのお寺や廟の漢文をしっかりと読みたい
との気持ちもあった。
奈良時代から千数百年もかけて、「訓読」を
延々と続けてきた日本人の祖先に感謝する。
午後2時半頃、ホーチミン空港へ。
ホーチミン空港国際線では私の荷物が出てこない。
やはりシステムが「近代化」「合理化」されて、
成田→ダナンへ荷物が運ばれたと思い、
10分間ほど歩き、ホーチミン空港国内線へ。
ホーチミン→ダナンの航空券をもらう。
その際、荷物は成田→ダナンとなっているが、
ダナン空港でもらえばよいのか聞く。
カウンター担当者は「分かりません」との
何とも責任のない回答。最低のベトナム空港の
システムの学習・研修すらしていないことが分かる。
責任者に聞いて「YESかNO」かの返事が欲しいと
要求。カウンターの女性スタッフはしばらく、席を外し
上司か担当責任者に聞きに行く。戻ってくる。
「荷物は、成田からダナンへ運ばれます。
ホーチミン空港では、受け取れません」とのこと。
やはりベトナム空港も国際的な潮流の中で
真っ当な運営をするようになったのか?と感心し
ボーディングパスのみをもらい、国内線のセキュリティー
チェックなどを行い、指定された12番ゲート前で
待っていた。3時間ほど待つことになる。
1時間ほどすると「放送で小山道夫どうのこうの・・」
との放送あり。
急いで近くの窓口に行く。
窓口の説明「あなたの荷物は、ホーチミン空港
国際線の落し物係りのカウンターにある。
急いで取りに行くように」とのこと。
気温35度。暑い中、急いで国内線のセキュリティー
担当者に訳を説明し、国際線の建物に行く。
落し物カウンターへ直行。私の荷物2つが置いて
あった。
「この荷物は私のものです」というと「持って行って
良い」という。一応、パスポートなどで名前を
確認し、荷物の名前と照合させるくらいの
仕事はしたらどうなのか?などと思いながら、
2つの荷物をもらい、国内線に行こうとすると
荷物検査の税関の「太ったおばさん」が、
荷物検査をするので中を見せろという。
荷物をあける。すると「ビーズ」や「数ミリの
飾りのシール」などが出てきた。
高校同級生Y君から依頼の日本料理店
子どもたちの内職用の仕事の材料。
税関の太ったおばさんは、「これは違法の
ものだ。没収する」という。
私はこんなシールは違法も何もない。何も問題
のない品物、と反論。
ここから太ったおばさんは、態度を急変。
一つ一つのビーズなど全てを調査票に記入しろ
という。そして、税関の責任者のところへ持って
行くという。
そんなことをしていれば、国内線に乗り遅れる。
私は再度、太ったおばさんに「何も問題もない
ものに不当な嫌疑をかけるのはおかしい」と
抗議。するとおばさんは、「お金を出せ」という。
また正面から露骨な「賄賂請求」である。
今までの体験で、この種の問答をする場合は、
「品物を失っても良い」「私のバックに太った
おばさんの上司がいる」などの条件がない
と結局、品物は取り上げられる、下手を
したら国内線の飛行機にも乗り遅れる
との不安がよぎる。
太ったおばさんは、賄賂請求になれているのか?
立て続けに「お金を出せ」という。まるで白昼の
銀行強盗のようなものだ。
結局、Y君から預かったかなり大量な材料を
失っても「太った賄賂おばさん」と闘うか?
それともそれなりのお金を上げて、「無罪放免」
してもらうかの最終判断を迫られる。
せっかく、昨日、Y君と西台・巣鴨と2回もあって
預かった貴重な日本料理店の子どもたち用の
材料だ。ことは、冷静沈着に物事を処理しなければ
ならないと思い、100万ドン(5000円)を渡す。
太った賄賂おばさんは、更に私が持っていた
お金から50万ドン札1枚を抜き取り、「行きなさい」
と手で合図。結局、全ての荷物のレントゲン検査も
しないで、賄賂だけ取るという「白昼銀行強盗」の
ような手際の良い、賄賂の取り方だった。
その種の犯罪の常連者。周りの税関トップも
荷物検査のスタッフも全て仲間。あとで分け前を
「分かち合う」人たち。
こうして1日に10人程度のお客を「餌食」にして、
お金を簒奪(さんだつ)しているホーチミン空港国際線
税関スタッフの人たちだった。
1日に私のような「餌食」を10人も見つければ、
7万円の収入となる。1ヶ月で280万円の
「上がり」となる。共産党幹部の家族などの
特権としての税関スタッフの実態である。
これらの悪徳スタッフの自宅はおそらく
豪華でベンツなどに乗っているのである。
日本の某革新政党が高らかに賛意を
表している「ドイモイ政策」と共産党一党独裁の
実態である。共産党員とその家族・子どもたち
だけが、「甘い汁」を吸う腐った社会システムである。
急いで、ベトナム空港国内線で荷物の
チェックインを行い、国内線のセキュリティー
チェックをし、12番ゲートで待ち、
午後6時10分ホーチミン発の飛行機で
ダナンへ。
ダナン空港着午後7時20分。予定とおりの
運行。
午後7時半過ぎ、無事2つの荷物も手にし
ダナン空港外へ。バオミンさんが待って
いてくれた。
それから2時間。ハイバントンネルを超え、
午後10時フエ市内へ。宿舎までバオミンさん
が重たい荷物・ホーチミン空港の税関から
守った日本料理店の子どもたちの荷物
(かなり重たい)を持って宿舎まで来てくれる。
午後10時過ぎ、やっと長い旅を終え、
宿舎で一休み。
午後11時頃就寝。20年間、フエに住むと
フエが一番落ち着く場所になってしまった。
今回の帰国はブライセン本社の2012年度
総括会議、2013年後入社式・キックオフ会議
への参加。ベトナム担当のKさんとの何度かの
打ち合わせのための帰国。
2013年04月08日
フエ帰国のため成田空港付近に前泊
晴天 杉花粉症再発。喉が腫れて声が出にくい。
一昨日の夜からの下痢で昨日はおかゆを朝と夕方少量。
今朝はパンとヨーグルト少し。何とか極度の下痢状況から
復活過程にはあるのだが・・・。
午前10時。高校分派会議参加者與芝君と打合せで
西台駅前の喫茶店で会う。
フエでの仕事の打合せ。
2時間半程仕事・その他の話し合いをする。
信頼できる友人がいることに誇りを持つ。
與芝君から預かった仕事の材料。
昼食。
フエ帰国のための荷物整理。
午後2時過ぎ自宅を出て、地下鉄で巣鴨駅へ。
午後3時。巣鴨駅前で再度與芝君と会い、更に仕事の
材料をうけとる。
今回はかなりの荷物になった。
巣鴨駅前にて。與芝君撮影。
巣鴨→日暮里→特級で成田駅へ。徒歩10分でビジネスホテル。
(1泊4500円朝食付き)
午後5時過ぎ、ホテル着。
地下鉄・山手線のホームや車内で物を食べる人が多いのに
うんざりする。若者ばかりではない。地下鉄では、隣に座った
私より年上の女性が、「おにぎり」をぱくついている。
荷物の運搬で疲れる。ホテルで1時間程仮寝。
近くのお弁当屋で幕の内弁当。450円。
昨日からお酒を飲む気持ちになれない。
メールを開く。
バオミンさんからメール受信。
その他、いくつかのメール受信。必要な返信をする。
目と喉が痛い。鼻水が出いる。
明朝早いので早めに寝る。
2013年04月07日
JASS東京総会
昨夜、ひどい下痢状態。10数回。
一晩、眠れなかった。
午前10時過ぎ、自宅を出て神保町乗り換えで都営新宿線
で船堀。午後1時。船堀駅改札口で東京の会の皆さんと
合流。会員のTさんのお宅へ。
総会前半は軽く「腹ごしらえ」。Tさんが作ってくれた軽食。
大学生の頃から旧JASSベトナム事務所に来ていた旧姓Nさん。
今やかわいいお子さんのお母さんに。
腹ごしらえの後、総会。
JASS東京代表の松下さんから2013年の総括提案。
バンベー発送2回。
日暮里のフリーマーケット
JASS現地報告会(2月17日)
日比谷フェスタに参加できなかったのは残念。
ベトナム事務所へ10万円の寄付を行った。
ーー
2013年方針
・日比谷グローバルフェスタに参加する。
・フリーマーケットの実施・参加
・会員を20名上に
ーー
2012年の決算報告
ーー
代表、副代表、会計等を選出し午後4時半閉会。
代表 中村友香
副代表 松下安希子
夕方帰宅。
直ぐに横になり一休み。食事はできず。
午後10時頃、枕元で携帯電話がなる。
フエのリー君から電話。
「先生、元気?」から始まるいつもの電話。
9日の夜、フエに帰るのは知っているが、
夜遅いので一緒に飲めない。
10日の夜、一緒に飲みましょう?という
趣旨の電話。
リー君とは20年も付き合っている。
紆余曲折の人生をお互い歩んでいる。
どんな気持ちで日本にいる私に電話を
してきたのか? 国際電話代は高いのに・・・・
昨夜からの下痢で食事ができず、力が出ない。
直ぐに横になりたい。
明日、成田に前泊。明日は、フエへ「帰国」だ。
2013年04月06日
東京→名古屋→東京
午前8時自宅を出て東京駅へ。
東京駅で「人身事故」があり、山手線の交通が乱れていた。
昨日からの天気予報で、今日は午後から暴風雨となり
交通機関にも大きな影響が出るとの報道がしきり。
予定より1時間早い新幹線で名古屋へ。
午前10時半頃、名古屋着。新幹線車内でメールの受信
と送信。
名古屋駅で支援者の時田さんとお会いする。
時田さんは10年ほど前にフエの船上生活者が多く
通学している「フールー小学校」に学校を寄贈してくれた。
今日は、いくつかの件で相談と打合せがあるとのことで
名古屋でお会いする。
丁度昼食時。駅前の中華料理店で打合せをする。
時田さんは元春日野部屋の力士。
現在は日本相撲振興会会長などをしている。
大関「鶴竜」を日本へ紹介して人でもある。
鶴竜が大関になった際には、何度もテレビに
出ていた。
今後の「子どもの家」への支援の件などを話し合う。
午後3時過ぎまで協議。
直ぐに新幹線に乗り東京へ。午後5時前、東京駅着。
さすがに疲れる。
2013年04月05日
支援者との懇談
快晴 スギ花粉大量飛散
午前7時起床。
地下鉄で大手町→西葛西。
長年JASSを支援してくれている「古田土会計事務所長」
と懇談。
古田土会計事務所には、百数十人の会計士がいる大きな
事務所である。
古田土先生は、10数年前「子どもの家」を訪問。
それから今日まで様々な支援をしてくれている。
午後12時過ぎ、退所。
大手町まで行き、東京駅の地下で軽く何を何する。
午後2時過ぎ、自宅着。
明日は、東京から名古屋へ行き。天気予報だと
明日の午後は相当天候が荒れるようだ。
20年前、フエで日本語を教えて教え子から
電話あり。
2013年04月04日
自宅で仕事
快晴
こういう快晴の日は、花粉の飛散が多い。
今日は、外出する仕事もないので、家の中で「謹慎」。
30通ほどのメール受信。
今までの受信したメールで忙しくて返信できなかった
メールに返信。
いくつかの資料を作る。
ベトナムから持って来た額入り刺繍2つを梱包しなおす。
2013年04月03日
高校クラス会のような会の分派会議
午前9時起床 小雨
午前中、メールの受信・送信。
何人かから電話あり。いくつの件を打合せ。
昼に自宅を出て、上野へ。アメ横のど真ん中にある
大衆酒場へ。
今日は、定例の高校クラス会のような会の分派会議。
分派会議参加者全員が日本国より「前期高齢者」
に認定されてしまった。戦前なら孫を抱いて日向ぼっこを
している年ではある。が、団塊の世代は、そう簡単に
爺さんにならない。今日は、同志6名が結集し、断固たる
飲酒闘争へ向けての総決起集会を敢行。
2時間程、今後の日程などを話し合う。ベトナム・ラオス旅行の
打合せ・・・・・・。
その後、河岸を変えて、恒例の「大統領」へ行き、再度決起集会
を開催。私はクサヤをつまみに飲む。
夕方、閉会。
池袋から自宅付近までの直通都バスに乗り帰宅。
2013年04月02日
夕方まで自宅で仕事:夜ブライセン関連
終日雨
昨日、パソコンが故障し使用不能。
今日、何とか直る。
40数通のメール受信。頑張って全てを読む。
全部には返事が出せなかった。
今日は雨なので「スギ花粉攻撃」は激減。
しかし、その後遺症は残っている。
午後4時過ぎ、自宅を出て、五反田へ。
午後6時半、五反田でブライセン本社ベトナム担当
のK部長と合流。
今後のブライセンベトナム支社運営・問題点・今後の
方向などについて、突っ込んだ話し合いを行う。
夜10時過ぎ、フエの「リー君」から電話。
『先生、元気ですか? 今、恋人といます』
との内容。
3月9日にフエに帰るからと話す。
電話が切れる。
しばらくするとまた、リー君から電話。
『先生、元気?・・・」何だか訳の分からない
ことと言って電話が切れる。
リー君は「今は」幸せのようだ。
五反田を出たのは、午後11時を過ぎていた。
2013年04月01日
ブライセン本社入社式・キックオッフミーティング
午前8時起床。
入浴。
朝食。
午前11時過ぎ、自宅を出て、巣鴨へ。
巣鴨の喫茶店でいくつかの仕事。
ベトナム事務所との連絡。地球の歩き方スタディーツアーの
アンケート作成。ブライセン本社と日本語学校2階事務所の
貸与契約書の原案作成等の仕事行う。
関係者とメール送受信。
午後3時、喫茶店を出て、巣鴨から目黒へ。
午後3時半、目黒「雅叙園」へ。
目黒雅叙園は、日本で最初の総合結婚式場。
1928年(昭和3年)創業。
午後4時、ブライセン入社式・キックオフミーティングが
始まる。
百数十人が参集。
初めにブライセン藤木優社長の挨拶
新入社員4人へ歓迎の言葉。途中採用社員、在籍社員
へは、労い(ねぎらい)に言葉。
新入社員4人がそれぞれ入社の決意と挨拶。
4人の入社挨拶を聞く。それぞれの新入社員が
「自分らしさ」を出そうと工夫された挨拶だった。
本当の自分らしさ、個性は、自分自身の
内面に宿る知識・教養・胆力などの総合された
ものであることも事実である。
言葉だけの自分らしさ「個性」から、実行・実態の
伴った自分らしさ、個性的な社員になっていけるのか
どうかは、これからの研鑽にかかっている。
続いて、2012年度に活躍し、成績を残した社員の
表彰。
在籍20周年表彰。ブライセン初期からの社員の方である。
その後、各部からの2013年度の方針・計画の説明
入社式・2013年度のキックオフ説明会も終わり
会場を移し、交流会となる。
中華料理の宴席。
午後8時頃、閉会となる。
帰りは都営三田線で目黒から一直線。
スギ花粉に大分痛めつけられた。