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2013年04月30日

バイック・マー山・フーヴァン郡海岸訪問

今日は、ベトナム全土「解放」38周年記念祝日。

午前7時朝食。ブンボー。牛肉とカニ団子は
食べられなかった。全体に油が多いので
半分弱を食して終わる。


午前8時、バオミンさん・ニエン外務部長たちの
車が、宿舎近くに迎えに来てくれる。

フエ省で最高の山「バイック・マー山」(1450メートル)
へ行く。

フエ市共産党委員長家族・ニエンさん夫妻・
フエ市人民委員会部長夫妻・外務部副部長・
バオミンさん・私。

車で2時間程かけて標高1450メートルの
マイック・マー山の山頂付近へ。
山頂は霧に包まれていた。
フランス植民地時代は、フランス植民地主義者の
別荘開発が行われていた。

戦前は、ラストエンペラー(第13代)バオダイ帝
の奥さんの別荘があった。


ラストエンペラー「バオダイ帝」の奥さんの別荘


別荘の下には、大きなプールがあった。
70年ほど前には、ここでバオダイ帝と
奥さんが暑いフエの夏を避けて
涼しい空気とプール遊びを楽しんだので
あろう。


バイック・マー山の頂上近くについた一行



頂上付近にじゃ霧が出て涼しかった。
現在は、国立公園となっており、誰でも
入山できる。車用の道路も整備されている。


頂上まで20分ほど歩く。

頂上には「平和の鐘」がある。今日は4月30日。
ベトナム戦争終結・南部「解放」記念日である。

フエ市共産党ゆn委員長と私で「再び、戦争や
争いが起こらないよう、梵鐘を鳴らし、不戦を
祈る。



バイック・バー山頂上にある標高標識。1450メートル。


山頂から『下界』を見る。遠くに海も見える



フエを出て、5時間ほど。下山する。

車で1時間半ほどのところにある「フーヴァン郡」の
海岸へ。ここは、昔、ユン・フエ市共産党委員長が
共産党の責任者をしていた地区。


今日は休日。多くの市民が海水浴に
来ていた。家族ずれで海水浴を楽しんで
居る姿をみると「平和」の有難さをつくづくと
感ずる。



市民は家族・親族でこの海岸へやってきて、
思い思いに飲み、海産物を楽しむ。


この海岸からベトナム戦争末期には、たくさんの
「ボートピープル」が海外へ「脱出」していった。

それから20数年。
現在、海外脱出した「ボートピープル」が
海外で成功し、大金を送金したり、里帰りを
してきている。今日も何組かの「海外脱出家族」が
派手な一時成金風の格好でやってきて、
派手に飲食をしている。

私たち一行も軽く飲む。

私は昨夜から下痢はひどく、体調は最悪。



私以外の皆さんは絶好調(舌好調)。


フエ市共産党・人民委員会幹部の皆さんとご家族
と一緒に1日を過ごしたが、あまりに「質素」な行動に
驚いた。市民の贅沢さに比べ、食べ物は、自宅から
持ってきた缶ビールと簡単な手作りの食料のみ。


村長さんも駆けつける。

村長さんは、昔、ホーチミン青年団時代の
ユン共産党委員長の部下だった。



村長さんとバオミンベトナム事務所運営委員長


村の部長さんなども歓迎に現れる

ほとんど海産物の注文をなく、実に質実剛健な
休日の過ごし方だった。
一部の噂では、ハノイの「お偉いさんたちの
贅沢三昧な生活の話を聞く。
少なくともフエ市共産党委員長やフエ市人民委員会
幹部の皆さんの休日の過ごし方は、家族同伴で
自宅で作った食べ物を持ち寄っての「ささやかな」
過ごし方だった。

午後5時まで海岸で過ごす。

結局今日は、午前8時から午後6時まで
10時間の行動だった。私的には、昨夜からの
下痢の復活、疲労でかなりきつい10時間では
あった。ほとんど飲めなかったというのか
飲む気力がなかった。

午後6時過ぎ、宿舎まで車で送ってもらう。

そのまま着替えずに横になる。

そのまま「眠って」しまう。

突然電話。気づくと2時間半ほど寝ていた。

夕食も摂らずに引き続きねてしまう。

今日は、朝食を半分ほど食べ、昼食
夕食は摂っていないというのか、食欲なし。

とにかく疲れた。これもフエでの仕事と活動の
一環である。

バオミンさんと外務部副部長の二人の
教え子が色々と助けてくれた。

投稿者 koyama : 2013年04月30日 10:42

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