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2013年04月15日

ブライセン打ち合わせ:「子どもの家」新入所者

終日曇り 寒い

午前7時朝食。フォー(ハノイ名物米麺)


午前8時、徒歩で「子どもの家」へ。
片道15分。運動に丁度良い。

ブライセン本社ベトナム担当責任者の鎌田さんと
当面のベトナム支社運営に必要な件を相談する。
明日から3日間ほどかけて、半日の時間をとり
詳細打ち合わせをすることとなった。

午前10時半。電動バイクで「子どもの家」へ。

4月10日「子どもの家」付属刺繍みやげ物店
スタッフ(「子どもの家」卒業生)のホアさんの
交通事故について、報告があった。

ホアさんは、10数年前に「子どもの家」へ
入所。私がフエ師範大を解雇されて、フエ市内
に事務所を作り、その2階に寝泊りしていた頃である。
毎朝午前5時に事務所からフエ駅まで往復1時間の
ウオーキングをしていた。途中、フエ市役所の
隣の公園にホアさん(当時12歳?)と母親が
寝ていた。何度も「子どもの家」へ入所するよう
働きかけたが、断られ、2年後にやっと「子どもの家」
に入所してくれた。「子どもの家」で刺繍を学び、
現在の「子どもの家」付属刺繍みやげ物店で
働き自立することが出来た。
ホアさんには、母親がいる。現在は高齢で
仕事が出来ない。諸般の事情でホアさんの
姉の子どもがいる。3人で生活していた。
ホアさんの刺繍みやげ物店の収入で
3人の生計は保たれている。
今回、母親とホアさんが緊急入院してしまい、
姉の子ども(ズム君日本の小学校6年)は、
誰も面倒を見る人がいなくなり、急遽、
「子どもの家」に入所させることになった。
おととい入所したのだが、一体元気にやっている
のかどうか? 心配になり「子どもの家」へ
行った。石井君たちとサッカーを楽しんでいた。
一安心。(真ん中がズム君)

「子どもの家」のサッカー仲間。
中学校から帰って着て直ぐにサッカーに興じるなど
エネルギーのある子どもだ。



午前11時半、昼食。肉団子のおじや。



昼食後1時間ほど昼寝。


午後2時半。徒歩で30分の所にある「理髪店」へ。

しばらく待つ。おやじが「2時間程待つようになるので
午後5時半頃、再度来て欲しい」といわれる。
仕方がないので徒歩30分で帰宅。今日は徒歩
で1時間も歩けたので、良かった。

長文のメールを書き、関係者に送る。

今年の2月26日から3月23日まで
ベトナム事務所・「子どもの家」の手伝い支援
来てくれていた「永田健人君」(名古屋の大学4年生)
が「中日新聞」にフエでの活動が紹介された。
永田君はスケートの浅田真央と同じ大学。
先生には、ハンマー投げの室伏氏も。
永田君は体育の先生になるという。


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三国連太郎氏が亡くなった。合掌

高校のころだろうか? 家の近くの場末の
映画館で「日本泥棒物語」というコメディー
映画を見た。確か、山本薩夫監督だったと
記憶している。

2人の土蔵泥棒が、福島県の国鉄松川駅
の付近で盗みをして、休んでいる。
そこに9人のなにやら「怪しい人物」が
線路を歩いてくるのを見た。という単純な
な話なのであるが、これが、世間に言う
「松川事件」なのだ。
高校生の私には単純なコメディー映画
だと思って観た映画が、実に政治的な
映画だった。

福島の松川駅付近で列車が転覆し、
国鉄労働組合と東芝松川工場の日本共産党員など
の労働者20人が列車転覆容疑で逮捕された。
i一審では4人の死刑を含む有罪判決。
宇野浩二、吉川英治、川端康成、志賀直哉、
武者小路実篤、松本清張、佐多稲子、壷井栄ら作家
の支援もあり最高裁の差し戻し判決で全員無罪の
判決が確定した。

私は当時、環状七号線に面した所に住んでいた。
ある時、数千人の大きなデモが環七で行われた。
中学生の頃である。「松川事件無罪判決どうのこうの」
と書かれた横断幕やゼッケンをつけた多くの人々が
デモ行進をしていた。
このデモに刺激を受け、中学生だった私は地元の
「民主書店」(共産党系の本屋)へ行き、
松川事件という「パンフレット」を買い、どんな事件
だったのかを知った。デモの頃は、最高裁判決で
全員無罪が出る前である。

単純なコメディー映画として見に行った
「日本泥棒物語」(東映)が、実に政治的な
映画だったことが分かったのは、「松川事件
無罪判決どうのこうの」というデモ行進と
関連パンフレットを中学生で読んだことが
背景にある。今から考えると私は政治的に
非常に早熟な子どもだったのだ。
中学で松川事件を知り、三鷹事件、
下山事件を知った。

三国連太郎の土蔵破りの犯人が、
9人の人間を松川駅付近で見たことを
証言するという当時の政府自民党の
松川事件は「アカの共産党の仕業」」との
キャンペーンに真っ向から反対する
映画が、子どもたちの観る映画館で
上映されていた当時(1960年代)の
日本社会の政治的雰囲気を象徴しているよう
である。

投稿者 koyama : 2013年04月15日 19:10

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