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2007年02月28日
地球の歩き方第3班二日目、札幌国際大学5日目、エルダ倶楽部ダナンへ
晴天
気温30度。湿度、75%。
3つのスタディーツアーへの対応。ベトナム事務所は総力戦の
体勢に入った。ベトナム事務所にいて全体の活動を指揮する
人はいない。全員が最前線に出て、活動をしている。
ハンさんが体調を崩し途中で退勤。早期回復を祈る。
3つのスタディーツアーを全員が担当。それぞればらばらな
活動に入っていく。今後、全体で何をしているのかが分かる
体制作りが急務。
地球の歩き方スタディーツアー3班(31人)は、小山、税田、ソン
、サンが対応。(ハンさんは途中まで付いたが体調悪化のため
タクシーで帰宅)。
札幌国際大学は、バオミンさん。エルダー倶楽部はラームさん。
午後2時から夜9時まで日本語学校。石岡先生・石塚先生・フーン
先生・サン先生。
これからこうした調子の活動が毎日1ヶ月続く。
ベトナム事務所員の体調が心配である。
私は各スタディーツアーの最初の講演会、夜の日本料理店
での会食、支援者のスタディーツアーに付き添い、
アクセサリー工場、縫製工場などの立ち上げなどの仕事が
ある。
午前7時、朝食。ブンボー。
午前7時半徒歩でベトナム事務所へ。
午前8時、地球の歩き方スタディーツアー第3班がベトナム事務所
訪問。ベトナム事務所スタッフ全員が自己紹介。
そのまま小山・税田・ハン・ソンの4人で2台の中型バスに
分乗し「子どもの家」へ。
●自己紹介するベトナム事務所員
●ベトナム事務所を訪問した地球の歩き方Ⅲ班(30人)
午前9時、「子どもの家」へ到着。子どもたちの歓迎の歌と踊り。
●セン「子どもの家」運営委員長歓迎の挨拶
●子どもたちの歓迎の踊り
●地球の歩き方スタディーツアー30人の歌。
その後、小山・ソン組と税田組の2組に分かれ「子どもの家」視察。
私が「子どもの家」を案内しながら、ソン君に何箇所か案内・説明
をしてもらう。上手に日本語を使い説明も上手だった。こうして
ソン君は少しずつベトナム事務所員としての仕事に習熟して来ている。
午前10時、音楽室で私の講義。1時間半。
今回の参加者30人+添乗員1人。30人の大半は大学生。
男性1名、女性29名。
話の最後に今後、JASSは各大学に「JASS00大学の会」
をつくるという方針を立てた。この中で自分の大学で
ストリートチルドレンや世界の貧困問題など海外支援・
海外協力をしてみたい人は、是非、自分の大学にJASSの
各地の会を作って欲しいとの呼びかけを行う。
午前11時半過ぎ、講演会が終わり、昼食レストランへ。
オンターオレストランでフエ料理を堪能。隣りの席では、
20人ほどのハノイから来た軍人が大宴会を行っていた。
何回「乾杯」と称して一気飲みをしたことだろう。
公費旅行、公費飲食が常態化しているベトナムの
「特権階級」に皆さんの痴態に呆れる。
イカフライト野菜のミックスの酢の物
牛肉の焼肉
海老などの揚げ春巻き
カニのスープ
チャーハン
デザート(スイカ・マンゴー)
●ソン君が料理の説明 上手に説明していた。
午後1時過ぎトンチンカンホテル着。
昼寝。
午後2時、読書「細雪」。
午後6時過ぎ、フエ師範大学付近の学生用の安い大衆食堂へ。
地球の歩き方3班の皆さんが大衆食堂での食事を希望。
2階に上がり一般庶民、低所得者層の食べる「ほか弁」の
ような食事をする。私がいつも昼食に買っている「コムディア屋」さん
である。昼食のほか弁は1万ドン(75円程度)。
フエ市内には7つの大学があり、30万人の市民の中に
3万人もの大学生がいる。フエ市はベトナム最大の大学生の
町である。街角ごとに大学生用に安い食堂がある。
大学生や低所得者のいく食堂ほど美味しいところはない。
低所得者の最大の楽しみは美味しい物を食べること。
この種の食堂は美味しくなければ絶対に流行らない。
この種の大衆食堂の条件は「安くて美味しくて大量」。
私は13年半前にフエに来た時、フエ師範大学内に
住んでいたい。この大衆食堂の直ぐ近くである。
当時からいつも大繁盛していた。
●夕食もソン君が説明、案内などに活躍
ベトナム事務所の需要な戦力になりつつあるソン君
8時近く大衆食堂での会食を終わり、自由行動となった。
その足で日本料理店へ。
日本料理店では、札幌国際大学の皆さんがバオミンさんと一緒に
夕食交流会。
札幌国際大学の皆さんと交流。生ビール3杯飲む。
9時少し前、札幌国際大学の皆さんはバオミンさんとホテルへ。
今日は流石に疲れる。部屋に戻りしばし休息。
そのうちについ寝てしまった。気づくと午後10時。
2007年02月27日
札幌国際大学・エルダー倶楽部・地球の歩き方第3班
晴れのち曇り。
湿度が非常に高い。気分が悪くなる。
午前7時、朝食。ブンボーフエ。美味しい。
午前7時45分、エルダー倶楽部(13人)が宿泊している
ズイタンホテルへ。
午前8時、エルダー倶楽部の皆さんにベトナムの歴史、
グエン王朝の歴史を話す。
エルダー倶楽部は文字通り、「年配者」のための旅行倶楽部。
最年少者は60歳。60代から80代の熟年の皆さんのツアー。
全日空と提携して「世界を舞台に楽しく学ぶ大人の教室」
をスローガンに2004年2月に設立された非営利教育団体。
今回はフエで王宮や皇帝廟などを参観する。
王宮等参観の前に私が簡単なベトナムの歴史を話す。
ベトナム人のアイデンティティーは何か? 一言で言えば
「中国に学び、中国に反撥する」精神構造にある。
『北属南進』。北の中国には従属し、南のチャンパ王国や
クメール(カンボジア人)などへの侵略を進める。これは
紀元前後から紀元1000年位までの北部ハノイ付近の
ベトナム人(キン族/ベト族)の基本精神。
『面従腹背』。紀元1000年以降のベトナムの基本精神。
中国に表面上は服従する格好を取りつつ、実際には
中国に対する強烈な敵愾心を持っている。
13年半ベトナムに住んで感じた様々なベトナム人の行動を
総括すると「面従腹背」という言葉に集約できる。
中国の支配下にあった紀元前後から1000年のエピソードとして
安部仲麻呂の話をした。安南都護職(中国から派遣された属国
ベトナムの支配職)に就任した安部仲麻呂の話。
13世紀元寇の話。日本への元寇は1274年(文永の役)、1
1281年(弘安の役)と2回あった。元は3回目の元寇を
行う計画があったという。
元寇は日本だけでなくベトナム(北部)にもあった。
1287年、ハノイ付近の「バクダン江」へ元が進行。
海の干満を利用した「チャン・フン・ダオ将軍」の智謀で
元軍は大敗喫する。その影響で元は3回目の日本への
元寇を諦めたとベトナム研究者は言っている。
続いてバオミン・「JASSベトナム」運営委員長が話す。
グエン王朝6代目の末裔として、家族や親族から
聞いた歴代皇帝の生活について話すしてもらう。
バオミンさんの曽祖父はグエン王朝時代の文部大臣。
初代グエン王朝のザーロン皇帝はグエン王朝が500年続き、
20代まで子孫が繁栄すると考えた。
2代目、3代目、4代目・・・20代めの子孫までその名前を
決めていた。初代ザーロン皇帝の決まりで「6代目の子孫には
BAO」をつけることになっている。バオミンさんは、ザーロン皇帝
の6代目の子孫なので「BAO」がつき「BAO MINH」となった。
バオミンさんに男子が生まれる7代目の名前が既に決まっている。
一般の人は知らないが、子孫の会の中では、名前を聞けば
何代目かみんな知っている。
庶民は「皇帝は幸せだ」と思っているが、実際には皇帝の仕事は
本当に大変である。
朝4時に起きて実母にお茶をいれなければならない。
武官・文官を集めて会議をする。夜は、後宮に数百人の
女性がいるが、宦官のつれていく女性の所に泊まらなければ
ならない。また、後宮の女性に男子が出来たときに間違いなく
皇帝の子どもであることが必要なので、夜の寝室の全ての
行動を宦官などは克明に記録する。皇帝は一切のプライバシー
がない。
1975年のベトナム「解放」。1976年の全土社会主義化の中で
グエン王朝の子孫が先祖の礼拝のために王宮に行くことは
禁止されていた。やっと数年前に1年間に1回だけ「グエン王朝
子孫の会」として王宮へ行き、自分の祖先への礼拝が許された。
1時間の話を終わる。
徒歩ベトナム事務所へ。ベトナム事務所で受信メールへの返事。
バオミンさんと諸問題の打ち合わせ。
昼食。
あまりに湿度が高いので気分が悪い。少し横になる。
昼寝。
午後2時。読書「細雪」。阪神の大水害。
午後4時。徒歩ベトナム事務所へ。
研修生の件で打ち合わせ。バオミンさんと日本料理店の
掃除機、帯広Yさんから依頼された里子へのプレゼント用の
簡易カメラを買いにいく。
午後6時半、。エルダー倶楽部の皆さん13人が日本料理店へ。
午後4時から日本語学校の生徒と交流。その足で日本料理店へ。
日本語学校生徒と交流しながら日本料理を楽しむ。
午後8時半、日本料理店での交流は終了。
地球の歩き方スタディーツアー3班は午後7時15分フエ空港へ。
バオミンさん、税田さん、ソン君が出迎え。
途中、ブンボーの夕食を摂り午後9時過ぎ、ズイタンホテルへ
無事到着。
2007年02月26日
札幌国際大・エルダー倶楽部
午前中晴天、午後曇り
かなり蒸し暑い。
午前7時、朝食。フォー。今日から久しぶりに全員が揃う。
北部旅行の石塚先生、南部旅行の石岡先生。5人で食事。
午前8時、札幌国際大学の一行がベトナム事務所を訪問。
ベトナム事務所員全員で応対、自己紹介。
札幌国際大学一行は「子どもの家」へ。子どもたちと交流。
ベトナム事務所のハン会計部長、ソンベトナム事務所員が案内。
午後は「子どもの家」で子どもたちと絵画教室で交流。
ハンさん、ソン君の案内。
ベトナム事務所では今日から石岡先生・
石塚先生が仕事に復帰。
午前8時20分。日本語学校卒業生のクアン君がベトナム事務所
へやって来る。
3月末から開始する「アクセサリー工場」の現場主任候補としての
面接のため。
クアン君は28歳。「静岡フエ青年交流会館付属日本語学校」の
初級・中級・上級教室で学んだ卒業生。当時の先生は坂本文子先生
横島久仁子先生、サン先生、フーン先生。
家族環境、今までの職歴、新しい仕事への希望などを聞く。
同時に日本語会話能力をチェック。
私の方で「アクセサリー工場」主任の仕事内容、役割りなどを
説明する。また、雇用契約の内容、賃金、昇給などを説明。
2007年2月20日から2日間、浅草のアクセサリー会社「ブラレ」
の社長さんがフエに来て工場設立の準備をする。
その後、工場を設立し、5月から操業を始める予定である。
ブレラの社長さんは2年前にTBSテレビで放映された私の
活動をご覧になり、現地にアクセサリー工場設立という形で
の支援を提案してくれた。既に「子どもの家」の子どもたち
の中で3人から4人の子どもたちが就業を希望している。
午前9時過ぎ、帯広のYさんがベトナム事務所へ。
Yさんが支援している里子のH君のお母さんが里親のYさんに
挨拶にやってきた。
帯広のYさんは、1997年、テレビ東京で放映された
ドキュメンタリー人間劇場を見て支援を始めてくれた。
その時からH君の里親となってくれた。H君は生まれながらの
障害があった。右手右足が不自由だった。Yさんの支援で
学校へ行くようになった。成績は常に最優秀。
しかし、一昨年、突如高熱を出して精神に問題を起こし、
通常の思考・行動が出来なくなってしまった。
中学3年生の時の出来事だった。学校も中学で終わった。
家にいて療養を続け、昨年あたりからやっと通常の
生活が大体送れるようになってきた。
バオミンさん、税田さんとアクセサリー工場関連の打ち合わせ。
今後の日程、浅草の会社社長受け入れ、工場の組織体制、
月給などについて打ち合わせ。
昼、インスタントラーメン。
読書「細雪」。ひな祭り、花見など優雅な伝統生活。
源氏物語を彷彿させる。
昼寝。
午後3時過ぎ、徒歩ベトナム事務所へ。
毎日ベトナム事務所とトンチンカンホテルを2往復する。
片道15分。一応、1日60分の徒歩。
テト休み中6日間ほど寝ていたことが祟り、足腰が
ふらつく。毎日しっかりと歩くことを自分自身に義務付ける。
明日、エルダー倶楽部で講演するベトナム略史の仕上げ。
資料をコピーしてもらう。
日本料理店では、テト新年後初めての夕食を全員で食べる。
日本人スタッフ、子どもたち。久しぶりに皆さん、元気なを
顔を揃える。
テト正月があり、今日から日本料理店を再開。
日本料理店入り口には、お雛様が飾られていた。
午後6時半、「暖炉基金」の障害児と家族を帯広のYさんが
日本料理店へ招待。
暖炉基金は帯広のYさんが5年ほどまえに発足させた
個人的な基金である。JASSベトナム事務所に委託し
JASSが推薦した障害児5人を「大学卒」まで奨学金を
支給し、自立させるという基金である。
Yさんは、2年前に夫を亡くし退職。お子さんがいないことも
あり、暖炉基金の障害児を自分の子どもたちのように可愛がって
いる。今日は日本料理店を貸切りとし、5組の障害児家族と
Yさん、私、バオミンさんとで懇親。
①D君は生まれつき両手の指がない。
お母さんは天秤棒でうどんを売っている。お父さんは日雇い。
D君は中学1年生。成績最優秀。将来はコンピュータの
仕事をしたいと言っている。
②B君は生まれつき右足が不自由。父親は45歳の時亡くなる。
母親と6人の兄弟で生活している。母親は臨時手伝いをしている。
将来、コンピュータの仕事をしたいという。
③Aさん 21歳。生まれながら右足が不自由。
昨年、念願のフエ医科大学付属看護専門学校へ入学。
将来、看護師になりたいと頑張っている。
兄弟が多く、親の仕事は臨時日雇い。
午後6時40分。帯広のYさんが挨拶。「皆さんには障害があっても
頑張って生きていって欲しい。自立して自分の力で生活できるよう
応援をする」「皆さんが大学を卒業するまで応援したい」。
その後、子どもたち一人一人が自己紹介。
続いて会食。日本料理を堪能。豚の角煮、かぼちゃの茎炒め、
巻き寿司、野菜の酢のもの、味噌汁・・・・。
1時間半ほどの懇親。
障害児の親を代表して母親が挨拶。
午後8時過ぎ、懇親会は終了。
その後、大塚店長などを中心に日本人スタッフ全員で
今後の日本料理店の運営、経営、人事などについて
話し合う。3月1日、午後2時から日本料理店全員集会を
開き、新たな日本料理店の人事、運営方針を提示する
こととなった。
日本人スタッフ会議は午後9時過ぎ終了。
今日は結婚35周年記念日。珊瑚(さんご)婚というそうだ。
1972年2月26日、渋谷の勤労福祉会館で「人前結婚式」
を行った。当日は、大雪だった。71年前の1936年には
世に言う「二・二六事件」(軍部皇道派による軍事クーデター)
があった。その日も大雪だった。
結婚から35年。今年は私も還暦となる。結婚35年の人生を考えた。
この35年、どんな人生だったのだろうか?
色々と考えているうちに頭が痛くなったので、缶ビールを
飲んで寝てしまった。
2007年02月25日
札幌国際大学2日目
曇り
少し肌寒く感じる。
早朝、読書「細雪」。
午前7時「NHK日曜討論」。格差問題がテーマ。
大田大臣など。やはり今回も出席者の人選に大きな問題あり。
大田大臣、伊藤忠会長は格差そのものはいつの時代も起こるもの
と言い切っていた。こうした一般論で論じられない今日の
格差問題である。人的に作り出された「格差」。政治の結果として
作られた格差についてどう解決するのかが、問われている。
「労働力の流動性」の名のもとに「非正規雇用」という当初『特殊』
な雇用形態として導入されたものが、今日では、常態化している
ことを見るべきである。自然現象として起こった今日の格差ではない。
政権政党と大企業によって作り出された格差である。
人為的な格差は、人の力で解決することは可能である。
午前9時。トンチンカンホテルを出て「電動バイク」で「子どもの家」へ。
今日は日曜日。子どもたちは、本を読んだり、勉強をしたり、庭で
遊んだりと思い思いの日曜日を過ごしていた。
「子どもの家」では、子どもたちの歓迎の歌と踊りが終わり、
税田さんが、札幌国際大学の皆さんを案内し、「子どもの家」を
回っていた。
午前10時。2階の音楽室で私の話。1時間ちょっと話をする。
13年間のストリートチルドレンや障害児支援活動の経過。
その中で学んだ人生。「新しいことに挑戦しよう」「人との出会い
を大事にしよう」「だめで元々だから行動してみよう」。
私たちの海外支援の目的は「人間を育てる」こと。
物をあげたり、建物を作ること自体は目的ではない、飽くまで
人間を育てるための手段。
1時間ちょっとの話の後、いくつかの質問に答える。
午前11時20分、終了。
昼食のレストランへ行く途中、皆さんの希望もあり
建築中の縫製研修研修センターを視察する。
縫製研修センターは、90%以上完成していた。
●縫製研修センター外観
●縫製研修センター 1階
●縫製研修センター2階
3月末にハノイの日本大使館の代表を招請。フエの知事、市長、
共産党関係者などの参列の下に落成記念式典を行う予定。
午後12時。市内のベトナム料理店へ。
バオミンさん・税田さんも参加。ベトナムの大衆料理を堪能する。
午後1時半、トンチンカンホテルへ戻る。
しばらく昼寝。
午後3時から講演の準備。
2月27日にエルダー倶楽部という年配者の皆さんの
ツアーがあるが、私の方で簡単なベトナムの歴史を、
バオミンさんが「グエン王朝皇帝の日常生活」を話す。
私は持ち時間が少ないので、以下の内容をコンパクトに
話すことにした。
①ベトナム人はどこから来たのか?
中国系なのか? もともとベトナムにいた人たちなのか?
②ベトナム人のアイデンティティーとは?
ベトナム人の民族意識はどこから出てきたものなのか?
③安部仲麻呂、第3回目の元寇をつぶしたベトナムへの元寇
夕食は「コムディア」。70円。缶ビール2本。支援者の方から
頂いた「味噌漬け」。ショウガの味噌漬けが絶妙な味。
ビールのおつまみに合う。
5代目 三遊亭円楽が「引退」するという。2年前脳梗塞で
倒れ、言葉が不自由だったという。
噺家の引き際はひとそれぞれだ。8代目桂文楽が、高座で
言葉がつまり「勉強して参ります」と言って引退したのは
有名な話である。
反対に死ぬまで話し続けた人もいる。先代林家正蔵ー
林家彦六。死ぬ直前の高座を上野の鈴本で聞いた。
当時、一人で歩けなくて幕が上がると高座に座っていた。
ことばもかなり不明瞭だった。それでも満席のお客は
十分満足していた。
2007年02月24日
ベトナム事務所員会議・札幌国際大学到着
晴天
気温30度。 湿度80%
午前7時朝食。フエ名物「ブンボー」。美味しい。
午前8時、徒歩、ベトナム事務所へ。
午前8時半、ベトナム事務所員会議。1月17日の旧暦新年以降
初のベトナム事務所員会議。2週間のベトナム事務所閉鎖後、
久々にみんなが顔を揃える。今日旅行から帰る石塚先生など
一部を除き。
(ソン)帯広のYさんを案内した。ドンバ市場、食事(チャーハン・・・・)
(ハン)刺繍みやげ物店スタッフの基本給を25万ドンから35万ドンに
アップした。出来高給を合わせると平均70万ドン程度になる。
刺繍みやげ物店の先生(指導者)の給料は固定性。
先生から給料のアップの依頼あり。理由は、フエの物価が急激
に上がっていること。
フォーやブンボーなど大衆軽食。しばらく前までは
5000ドン(37円)だったが、一昨年位から8000ドン(60円)に
値上がりしていたが、最近は12000ドン(90円)になった。
この数年で庶民を取り巻く物価は3倍に値上がりした。
それに伴って水道・電気など光熱費が10%値上がりした。
庶民の日常生活に関係する物価が大幅にあがり、生活しにくく
なった。一部の成金や特権階級の人たちには全く影響はないが
普通の給料で生活している農民、労働者、給与所得者などには
大きな打撃となっている。
そうした事情があるので固定給の刺繍の先生からは固定給
のアップを望む希望が出ている。
(★この件はハンさん、税田さんなどを中心に先生などの話を
聞くこととなった)
(石岡)テト休暇中旅行に行った。ホイアン→ニャチャン→ダラット→
ホーチミン市。バスで移動した。楽しかった。特に危険も
なかった。
(税田)テト休暇中、日本へ一時帰国していた。2月21日夜フエに
戻った。
神奈川県青少年協会から刺繍の注文があった。
JASSはこだての菊先生から刺繍の注文。帯広からも
刺繍の注文あり。
(フーン)日本語学校の観光基礎コース(26人)のテストをした。
学生は真面目。テストの成績も良好。
(サン)ACCLからフエ中央病院への招待状をベトナム語に翻訳した。
テト正月中は、多くの親戚や友人が訪問してきた。疲れた。
(ミン)1月27日から2月5日まで日本へ行った。総会、12周年式典、
静岡市長懇談などを行った。疲れた。
元日本語学校の先生たち(坂本文子、西山優子、原かおり、
松下安希子、中村友香、福田もえ子)と一緒に食事をしたり
東京見物をした。楽しかった。
上尾の星野さんたちと2月4日総会の後、上野の焼肉屋で
懇談した。内容のある話を聞いた。楽しい懇談だった。
上尾の星野さんたちは、3月にスタディーツアーを組織する。
2月・3月の訪問者担当の日程表が決まったので説明する。
フエ中央病院小児科医長のフオン先生・トアン医師が
ACCL(渡辺和代代表)の招待でインドネシアバリ島での
世界小児ガン親の会総会に出席しスピーチする。
JASSとしてACCLとフエ中央病院の仲介役をしている。
(小山)2月4日の総会で決まった新たな内容を説明。
今後は、ベトナム事務所が責任を持って子どもたちの支援を
続けていく。ベトナム事務所員全員の自覚と責任感が必要。
同時に日本の多くの支援者の力もお借りして、内容のある
子どもたちの自立に向けて活動を進めたい。
午前10時、ベトナム事務所員会議終了。
ピースボートの先遣隊レオさんが午前11時半にベトナム事務所を
訪問するとのこと。ベトナム事務所で待機するが、到着が送れ
午後1時半になるとのこと。昼、トンチンカンホテルに帰り休息。
支援者から頂いた「日本米」7勺を炊く。半分で昼食。
読書「細雪」。東京に行った長女と3女の葛藤など・・・・。
3女雪子見合い騒動を通して昭和13年頃の大阪と東京の
人間模様が分かる。
午前11時半、ベトナム事務所へ。ピースボートのレオさんが
訪ねてくる。バオミンさんと一緒に日本語学校を案内する。
ピースボートは第56回ツアーが3月4日に「子どもの家」を訪問する。
こうした定例のツアー以外に少し長期フエ滞在ピースボートツアーを
行うこととなった。山岳少数民族訪問宿泊などの計画を立てている。
午後3時、トンチンカンホテルへ戻り、30分ほど昼寝。
その後、読書「細雪」。
バオミンさんから連絡。札幌国際大学スタディーツアーが当初
午後7時15分フエ空港着だったが、到着時間が早まった。
出迎えの出発時間を早めるとのこと。午後6時、トンチンカンホテルを
出てフエ空港へ出迎え。フエ空港の掲示板には更に早く着くと
出ていた。午後6時25分着とのこと。当初予定より1時間早く
到着するとのこと。しかし、6時25分過ぎても飛行機は来ない。
ベトナム航空から連絡のあった6時50分になってもこない。
結局、原点の7時15分頃到着。多くの出迎えの人たちは
ベトナム航空のでたらめ(?)か指揮命令系統の確立していない
組織に翻弄された。飛行機到着が早くなったとのベトナム航空
からの電話で急いでフエ空港へ。空港では更に早く到着との掲示。
しかし、結局、到着は原点の予定時刻。泰山鳴動して何も出なかった。
飛行機が無事着けば良い。
午後7時15分、フエ空港の到着した札幌国際大学。
斉藤教授の引率で5人の学生が元気にやってきた。これから9日間、
「子どもの家」や山岳少数民族との交流、フエ近郊の農村ホームステー
などを行う。
JASSベトナム運営委員長の案内でフエ市内へ。
途中、「フォーサイゴン」で簡単な夕食。フォー、チャーハン、
肉まんなどを食べる。美味しい。
午後9時、大衆レストラン「フォーサイゴン」を出て、バオミン・ホテルへ。
長い1日だった。
今日から1ヶ月半の「春のスタディーツアー」が始まる。
20回程度のスタディーツアーを受け入れる。
4月初旬まで続く。
2007年02月23日
平常の仕事に入る
晴天
気温 30度。湿度75%。
午前7時、税田さん、仁枝さんと朝食。昨日までダナン・ホイアン・
ミーソンへ行っていたい仁枝さんが帰ってくる。フォー。今までは
生のフォーだったがテト明けから「乾麺戻し」のフォー。
美味しくない。なぜ変わったのか原因不明。ベトナムでは
原因不明なことが日常茶飯事に起こる。
午前8時半、徒歩ベトナム事務所へ。
昨日まで仁枝さんたちと一緒にダナンなどへ行っていたYさんが
ベトナム事務所を訪問。1時間ほど懇談。
その後、バオミンさんたちと当面のいくつかの問題を打ち合わせ。
アクセサリー工場の従業員の選定。「子どもの家」の子どもたちで
仕事や進路の決まっていない子どもたちに仕事をする機会を
与えたい。「仕事をして給料をもらって自立する」。これが私たち
の基本的な方針。日本からの支援で生きてゆくという考え方は
採らない。出来るだけ多くの「子どもの家」の子どもたちに
チャンスをあげよう。
午後12時過ぎ、「コムディア」(ほか弁)を食べる。70円。
野菜炒め、玉子焼き、海老と豚肉の甘辛煮を乗せたご飯。
午後12時半から1時間読書。「細雪」。次女幸子、大阪から
東京へ引っ越す。駅に百数十人の見送り。
その後、昼寝。
午後2時過ぎからメール送受信。いつくかの問題を処理。
大塚さんがベトナム事務所を訪問。
午後3時過ぎ、徒歩ベトナム事務所へ。バオミンさん、税田さん
いくつかの打ち合わせ。
日経平均株価が1万8188円42銭(+79円63銭) となった。
数年前7000円台まで下がった頃と比べると2、5倍まで
上がった。バブル全盛の頃の3万円台には及ばないが。
日経平均の指標の株を変更しているので、バブル時代と
同様の指標株で見れば、ほぼバブル全盛時と同水準との
こと。形の上での「株バブル」と対比した庶民の生活の
低水準。あまりにも急激に人為的に作られた生活格差。
年収200万円以下が2000万人もいるという。
ワーキングプアーということばもけして大げさとも思えない
現実がある。労働者の4人に一人はワーキングプアー。
生活保護をもらった方が収入が多くなるという。
働くことがこれほど低められている時代はない。
「小泉構造改革」の実態である。
先の衆議院予算委員会で安倍首相は「格差の存在」自体を
認めなかった。これほどおきな社会格差の出ている日本。
真面目に一生懸命働いても報われない社会。一部の
金持ちと安倍首相のような「閨閥」を持っている人たち
だけが甘い汁を吸える社会。これが安倍首相のいう
「美しい国」なのか・・・・・・。
ノルウェーのオスロで「クラスター爆弾禁止条約」の国際会議
が開かれた。2008年末までに使用、製造、移動、備蓄を禁止する
条約の締結を目指す「オスロ宣言」を採択したが、我が日本は
宣言に加わらなかったそうだ。英仏は加わった。
〈クラスター爆弾〉は多数の子爆弾を容器に詰めた形で、
不発率 が数%~数十%あるとされ、戦闘後も多くの死傷者が
出ている。イラクやアフガニスタンで米軍などが使用している
残虐な兵器である。我が日本も自衛隊が保有している。
クラスター爆弾禁止条約を目指す「オスロ宣言」に加わらない
日本。「美しい日本」を標榜する安部政権の本質を示している、
と書いた所で既に缶ビールが3本空いていた。以上、酔談。
2007年02月22日
仕事始め
晴天
気温28度。湿度80% 蒸し暑い1日だった。
午前7時、税田さんと朝食。ブンボーフエ。美味しい。
午前8時半、ベトナム事務所まで徒歩。
ベトナム事務所は今日正月明けの仕事始め。
学校や公共機関も今日から仕事はじめ。
旅行中のスタッフを除き出勤。久しぶりにベトナム事務所スタッフ
と会う。皆さん、テト正月を家族と楽しく過ごしたとのこと。
バオミンJASSベトナム運営委員長、税田ベトナム事務所員と
当面のスタディーツアーなどの具体的打ち合わせを行う。
(1時間半)
午前10時過ぎ、フエ中央病院小児科を訪問。
フオン医長と懇談。
4月初旬、インドネシアバリ島で行われる世界小児ガン関連会議
参加の打ち合わせ。
日本の小児ガン支援NPO「ACCL」(渡辺和代代表)は
ベトナム中部の小児ガン(特に小児白血病)支援プロジェクトを
行っている。JASSは、ACCL(ASIAN CHILDREN’S
CARE LEAGUE)のベトナム連絡事務所を勤めている。
今回、ACCLの支援もあり、フエ中央病院医長と医局員の二人が
バリ島の世界小児ガン関連の会議に参加することになった。
今日は参加の最終手続き、会議報告内容等の打ち合わせを
行った。
昼、フランスパン(野菜、肉入り)と牛乳。
午後3時、徒歩でベトナム事務所へ。
1週間ほど寝ていたので足や体中の筋肉が相当弱っている。
少しずつ体力回復作業が必要。
「子どもの家」のためにアクセサリー工場を作る
浅草のアクセサリー会社「ブレラ」社長のフエ訪問の
諸準備と打ち合わせ。
当面は10人のスタッフで工場を開始する。
「子どもの家」の子どもたちで仕事がない子どもたちなどを
優先して採用する、工場管理責任者、品質管理責任者
など、当面工場立ち上げのために必要な対策を考える。
2時間半の話し合いを行う。
午後5時半、大塚さんから電話。ダナン、ホイアン旅行から
無事帰ったとのこと。楽しかったそうだ。無事皆さんが
「帰還」してほっとする。
25通のメール受信。15通のメールん送信。
読書「細雪」。
2007年02月21日
仕事開始
晴天
気温30度。 湿度75%
町はまだお正月気分。閉店している店が多い。
しかし、少しずつ開店する所も増えてきた。
10年ほど前のテトの時、フエに滞在したが、1週間完璧に
町は眠っていた。しかし、それから10年。ベトナム社会の
資本主義化の影響なのか、早めにお店を開くようになってきた。
路上の食堂も少しずつ復活してきている。
午前7時。今日から朝食を作ってくれるようになった。
朝食の「フォー」が出た。ありがたいことである。
午前5時起床、7時朝食。午前8時半頃ベトナム事務所へ。
午前11時半昼食ー昼寝。午後5時半夕食と1日の生活日課
のように食事が組み込まれていると「規則正しい」生活が出来る。
特に食事が不規則なのがよくない。
午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。1週間ぶりに歩く。
足の筋肉が思ったより衰退していることに気づく。
1週間運動しない筋肉は衰退する。毎日の運動がいかに
大事かがよく分かった。足がふらつく。
ベトナム事務所にはまだ誰もいない。
メールの整理。支援者への手紙書きなどをする。
日本の支援者から頂いたお米を炊き、味噌漬け、カブ漬けなどで
昼食。
午後2時間ほど昼寝。
やっと今日から体調がほぼ回復。ちょうど1週間かかった。
年齢的なこともあるのだろうか? 風邪を治すのに1週間も
かかるとは。それでも今日から仕事をする意欲が出てきた。
ありがたいことである。
午後は読書。
「細雪」。読んで行くほどに面白くなってくる。会話・口語調
なので読みやすい。60数年前の大阪人の言葉とものの
考え方、ひいては、当時の日本人のものの考え方の一端が
分かるというもの。
亡命ロシア人が出てくる。姉妹に「中国は今後どうなりますかね?」
「共産主義になりますかね?」などと質問する場面がある。
昭和18年と言う時代を反映している。谷崎が女性的なものの考え方を
するのからだろうか? 全編に人のことばの裏の裏を読み取るような
記述が多い。相手にこういったが、相手の立場と今の気持ちは
こうだろうから、こういっておいたほうがよい、などと腹の探り合い
のような、私たちの日常生活に良く見られる人間模様が事細かに
書かれている。多少うんざりだが、引き付けるものあり。
午後5時半、バオミンホテルへ。1週間ほど泊まっていた
S君と友人が帰国する。挨拶。S君は4月から就職するという。
短時間の話だったが、なかなかの好青年。大成することを
祈る。
バオミン・JASSベトナム運営委員長の娘さん「アルファーちゃん」と
一緒に記念写真を撮る。
午後8時。ベトナム事務所員の税田さんが日本から帰国。
ベトナム事務所も少しずつテト正月体制から脱却しつつある。
2007年02月20日
正月4日目
曇りのち晴れ
気温28度。湿度80%。
朝7時半、大塚さんより電話。
これからみんなでダナン・ホイアンへ行くとのこと。
急いでトンチンカンホテルの玄関へ。
大塚さん、Yさん、仁枝さん、リー君・イン君兄弟。
2泊3日の旅行とのこと。リー君・イン君兄弟が
お正月どこへも行けないのが可哀想とのことで
今回の旅行となった。私は体調不良につき遠慮。
今回は仁枝さんがラオス行きのバスの切符が買えずに
テト休暇中の旅行が出来なかった。また、お正月を
普通の家庭のように楽しめないリー君・イン君にも
日本から来たYさんにとっても格好の機会となった。
大塚さんの心遣いに感謝。
しばらく横になる。
午前10時過ぎ、バオミンさんから電話。今からトンチンカンホテルに
行くとのこと。
昨日ニエン外務部長宅を訪問した時部屋にあった「お香」を
ミンさんのお母さんが買って来てくれたとのこと。
先日、中央病院小児科医長からもらった本場のウーロン茶と
合わせ、ウーロン茶の甘い香りと香木のお香を楽しむ。
町に出て「コムディア屋」(ほか弁屋)を探す。
やっと1軒のお店を見つけ、野菜炒め、魚の煮付けを買う。
久しぶりに真っ当な食事をする。
そのまま横になり読書。
「細雪」を読む。
まだ100頁程度しか読んでいないが、率直な感想は
女性的な筆致で綿々人物や情景描写をする。
とにかく「○」がつくまでの1文節が非常に長い。
「、」を延々と連ねる。
三女雪子のお見合いの場面。昭和18年(1943年)
に書かれた本であるが、当時、大阪の上流階級のお見合い
の場では「標準語」を使っていたのだ。大阪弁の言葉が
出ないように気を使い両家が話していることがよく分かる。
船場の没落商家の4姉妹の言動・生き方を通して「女」の
考え方、行動様式が分かるような気がするが、何しろ
ネチッコイ文章である。文章と言う意味では非常に勉強に
なる。私の知らない古い言葉が出てくる。「半畳を入れる」
など・・・。広辞苑で引くと歌舞伎を見るときなどに敷く半畳の
畳。役者が下手な場合などにその「半畳」を投げ込むところから
「野次を入れる」などの意味だそうだ。私は初めて知ったことば
である。既に死語となっているのか? 私が知らなかったのか?
フエに戻ってから発熱。昨日まで38度を前後していた。
食欲不振、動くのも嫌だった。
今日はやっと熱が下がった。37度ちょっと。
食欲も出てきた。明日休んでいれば何とか「復調」出来る感触を得る。
2007年02月19日
新年3日目
晴天
年末から年始にかけて「夏日」である。晴天。太陽が
燦燦と輝いている。湿度も高い。
体調不良のため午前中寝ていた。バオミン・ベトナム事務所長
から電話。
外務部長宅へ新年の挨拶に行こうとのこと。
午前10時半。バオミンさんのオートバイの後ろに乗り、ニエン
外務部長宅へ。
ニエン氏の付近は中国で言えば「釣魚台」と言った所。
左隣はフエ市共産党委員長宅、右となりは元フエ市長宅。
簡単な新年の挨拶をした後、直ぐに乾杯。ベトナムの伝統。
豚足ハムでビールを飲む。とにかく飲む量が桁外れ。
私など途中でギブアップしそうな所を叱咤激励され、
更に飲み続ける。飲みながらフエの政治事情など様々な
話をする。今後のJASS活動についての話し合いも。
途中でフエ市児童文化会館副館長が来訪。一緒に飲み続ける。
2時間ほど飲む。午後12時半頃、退席。
帰りにミネラルウオーターを5本買う。昨日から水がなくなっている。
風邪気味で体調が悪かったがビールを飲んで多少体調回復か?
帰宅後、そのまま昼寝。夕方まで寝てしまう。
ホーチミン市、フエ市で大晦日に反政府ビラが配布されたとの噂。
フエの電話、インターネットなどがかなり恣意的に切断されている。
テト正月で多くの人間がベトナムに帰省し、電話を使っているという
事情とも相まって、通信事情は悪い。
2007年02月18日
正月2日目
晴天
30度。75%
15日から体調が悪くなった。今日は体がだるく、下痢。
37度7分。多少熱あり。
朝7時、NHK海外衛星放送「日曜討論」を見る。
6カ国協議をどう評価するのか、がテーマ。
出演者の選び方が偏っている。
6カ国協議の合意に意義をとなえている山崎拓や加藤紘一なども
出すべきだ。
今回の合意の裏には、アメリカのイラク政策の失敗、イラン核開発
問題などがあり、北朝鮮にかかわっていられない米国の実情がある。
そうしたアメリカの世界政策に十分触れずに論議したことは
残念。6カ国合意は基本的には良いこと。戦争をしないで話し合いで
物事を決めると言う意味で。
支援者から頂いたお米1合で全かゆを炊く。
佃煮、味噌漬けで食べる。本当に助かる。
「細雪」を読む。関西の言葉なので少し読みづらい。
1センテンスが非常に長い文章。細かいことを更に細部に
わたって描写している。この際、正確な言葉を知ろうと思い
広辞苑を引きながら読む。襦袢(ジバン ポルトガル語 GIBAN
肌着)、畳紙(たとうがみーたたみ紙ー厚い和紙。四つに畳むように
して折り目をつけた包み紙。和服、結髪の道具などにしまう。)
上方や少し古い日本語がたくさん出てくる。勉強になる。
起きる気力がわかず1日中寝ている。この数日で体調を
戻さなければならない。食欲なし。
2007年02月17日
CHUC MUNG NAM MOI
CHUC MUNG NAM MOI
(祝) (年) (新)
謹賀新年 春 豚年
今日はベトナムの正月元旦。
昨夜、遅く、寝入っている耳に「打ち上げ花火」の音が響いて
いるようないないような記憶が残っている。日本で言えば
除夜の鐘というところだろうか?
風邪真っ最中。午前8時まで寝ていた。
午前10時。日本で頂いた日本米1合を炊く。昨夕、大塚さんたちが
作ってくれたテンプラの残りでブランチ。
その後、メールの受信・送信。
部屋の掃除、荷物の整理。トンチンカンホテルは朝食も
部屋の掃除も「お正月休み」ということでストップしている。
これから1週間、食事作りとゴミとの闘いとなる。
体がだるい。しばらく横になり読書。
「百人一首」(鈴木日出男著:ちくま文庫)
中学・高校で勉強した和歌を改めて読んでみる。
年を重ねること、時間をかけ受験や勉強と関係なく
歌を読んで見るとそれぞれに深い味わいがある。
安倍仲麿
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる三笠の山に 出でし 月かも」
遣唐使で唐に渡り帰国途中に船が難破し結局、終生中国に留まった
安倍仲麿の気持ちが少し分かるような気がする。
中国・唐での生活がけして嫌ではない。しかし、望郷の念も捨て難い
という仲麿の気持ち。玄宗皇帝に重用され、当時、唐が支配していた
ベトナムの担当大臣のような役職にまで昇任しハノイ付近に駐在した
仲麿。複雑な仲麿の気持ちが込められているような歌である。
午後、しばらく昼寝。
午後2時過ぎに正月のフエの街に出てみる。
見事に全てのお店が閉店していた。
●フエ最大の市場 「ドンバ市場」も閉店
●ドンバ市場前の商店街も全て閉店
いつも行く「コムディア屋」(ほか弁)も全て休み。
これは手ごわい。これから1週間の食事をどうするのか考えてしまう。
野菜不足。
バオミン・ホテルに行く。日本の支援者から預かったバオミンさん
へのお土産を持っていく。
バオミン・ホテルは受付のスタッフも朝食も掃除スタッフもいた。
なるほど。お金を取るということはこういうことなのだ。
「GIVE AND TAKE」ということか・・・・・。
今日は2回洗濯。1ヶ月いない間に部屋の衣類が全てカビていた。
カビた衣類やタオルなどを全て洗濯する。
日本料理店は昨日から2月22日まで約1週間閉店。
1週間前に生ビール60リットルを入れたが、70%ほど残して
日本料理店はお正月休暇に入った。日本料理店や日本語学校
の日本人は仁枝さんを除いて旅行などに出かけている。
45リットルも残っている生ビール。もったいない。
午後6時半。残っている生ビールをピッチャーに入れて部屋に
持って行く。日本で支援者の方から頂いた「味噌漬け」「わさび」
「海老屋総本本舗」の「たらこ」「しじみ」「はぜ」「葉唐辛子」
「あみ」の佃煮でフダ生ビールを飲む。冷たくて美味しい。
谷崎潤一郎「細雪」に挑戦。読み始める。
1000ページ。文庫本「上中下」3冊。
昨日「子どもの家」へ行った。多くの子どもたちは親戚や知り合い
などへ帰省しテト正月を『親族・知り合い』で楽しんでいる。
「子どもの家」に残っている子どもたち10人のことを考えた。
家族も親族も知り合いも帰る家もない子どもたち。
一人一人の子どもたちのことを考えると心が痛む。
「天涯孤独」とい言葉がある。
10人の子どもたちは天涯孤独である。どんな気持ちで
テト正月を迎えたのだろうか? 私には推測することも出来ない。
私が13年半、フエにいて「子どもの家」などの活動をする意味が
少しはあるのかな?と改めて感じたのである。
子どもたちは天涯孤独ではない。「子どもの家」の子どもたちや
寮母さん、日本人スタッフとのつながりがある。けして孤独ではない。
日本料理店のリー君やターオ君。JASSのフエでの活動があった
ことで救われている。人間らしい生き方が少し出来るようになった
のかも知れない。
私たちがしているボランティアは、結局「人間」である。建物でも
お金でもない。人間である。人間に目が行かないボランティアは
怪しい。
夜8時。気温28度。湿度70%。
2007年02月16日
ベトナムの大晦日
晴天
気温28度、湿度75%(トンチンカンホテル廊下)
完全な「風邪」模様。体がだるく食欲なし。
トンチンカンホテルは正月休みということで朝食も作らなくなった。
おかゆを作る。五分がゆ。帰国前に懇親したJASS会員の方から
頂いたお米1合を使う。朝食は5勺のおかゆ。しばらく横になる。
午前10時、支援者Yさんと一緒に「子どもの家」へ行くことになって
いた。日本料理店前で30分待つが来ない。私が時間を間違って
いたようだ。午前10時半過ぎ、ベトナム事務所員のソン君と
一緒にやってくる。Yさん、ソンと「子どもの家」へ。
Yさんが「子どもの家」の子どもたち全員にテト正月のお祝いの
「バインチュン」というお餅を寄贈する。
「子どもの家」は明日(2月17日)の元旦を前にして正月の
装飾も完了。『謹賀新年 春 豚年』
「子どもの家」労働組合事務所兼応接室には桃色・黄色の梅の花が
飾られていた。
テト正月を前にして、親戚など誰かに受け入れて
もらえる子どもたちは、親戚などとお正月の体験をするようにしている。
63人の子どもたちの中で誰も受け入れる人のいない子どもたち10人
のためにお正月のお祝いをした。
Yさんが正月のお餅「バインチュン」を子どもたちに贈る。
子どもたちと一緒にバインチュンを食べる。
Yさんより石鹸、おもちゃなどの贈呈
長男の同僚の息子さんS君と友人も参加。S君は3月に大学を
卒業し、総務省に入省するとのこと。その前に是非「子どもの家」
を見ておきたいと話していた。拙著「火炎樹の花」や
伝記『ベトナムの「子どもの家」』なども読んでくれていた。
しばらく「子どもの家」で子どもたちや寮母さんたちと懇談。
帰路、王宮前を通る。大量の菊の花、梅、蘭、キンカンなどが
おかれ、多くの市民が集まっていた。
お正月の飾り物である。菊や金柑(キンカン)の『黄色』は
黄金=お金を意味している。黄色は新春にあたりお目出度い
ということで、多くの家庭で新年の飾りに買っている。
●大量の菊の花
●金柑(キンカン)
王宮前の広場は多くの市民で賑わっていた。日本の年末風景と
同じに何となくせせこましく、華やかな雰囲気が漂っていた。
トンチンカンホテルに戻る。昼食は朝作ったおかゆの残り(5勺)。
体がだるく、夕方まで横になっている。
午後6時前、バオミン・ホテルに泊まっているYさんを呼びに行く。
今夜は大晦日。日本料理店でも7人の子どもたちのうち5人は
親戚などに帰省しお正月を楽しむことになっている。
リー君と弟のターオ君の二人だけは帰る家がない。
日本料理店では、帰る家のない二人のために日本料理店
の大晦日を行う。
大塚さんが腕を振るい、仁枝さんが補佐し、美味しい大晦日
料理を作る。
Yさんは1997年に放映されたTV東京の「ドキュメンタリー人間劇場」
を見て、帯広から支援を申し出てくれた。
番組の中に出てきたリー君のことが忘れられなかったそうだ。
10年前の10歳のリー君から今は20歳に成長したリー君と再会(?)。
改めて13年のフエでの活動を意義を知ったと話していた。
●美味しそうにフダ生ビールを飲むリー君
大晦日の会は午後8時終了。リー君・ターオ君兄弟がYさんを
バオミン・ホテルまで見送る。
私と大塚さん、仁枝さんの3人で諸問題について話し合う。
午後11時解散。
大塚さんの息子さん夫妻が上海からフエに来る予定だったが、
ハノイで足止め。結局、今日はフエにこられないとのこと。
明日、午前7時半頃になるそうだ。年末にベトナム人の
里帰りは本当に多くの人たちの移動がある。
2007年02月15日
成田→ハノイ→フエ
晴天
午前9時、成田着。フエに行くYさんと合流。
ベトナム空港カウンター。荷物は二人を合わせて52キロ。
2キロオーバーとのこと。何とか交渉でオーケー。
今後は私のビザが切れているので渡航は出来ないとのこと。
2週間以内の観光なのでビザ不要の筈と再度交渉。
私の航空券がベトナム→日本→ベトナムとなっているので
ビザが必要とのこと。カウンターの女性が上司などに聞きに
行く。結局、誓約書を書かされ発券。
明後日がベトナムの旧正月とあって、日本に来ている研修生など
が大量にベトナムへ帰る。日本で言えば「年末帰省ラッシュ」である。
ベトナムへの帰国者が多く、今日は「臨時便」となった。
私たちの乗る飛行機は臨時便。
午前11時、成田を発つ。6時間半かけてハノイへ。
午後5時半(ベトナム時間午後3時半)ハノイ空港着。
ハノイの気温は24度。日本から来るとやはり「暖かく」感ずる。
日本では夏日というのだろうか?
ハノイ空港入国手続きはあっけなく終わった。パスポートチェックも
1分ほど。税関では、手荷物などのレントゲンチェックも一切しない。
ちょっと前まで「テロ対策」と称して靴まで脱がされレントゲンチェック
していたのに、今回はレントゲンチェックや持ち物チェックも一切しない
というのは、どういうことだろうか?不思議な国ではある。
ハノイ空港(ノイバイ空港)で4時間待たされ、現地時間午後7時30分
ハノイ空港を出発。午後8時半、フエ空港へ到着。
フエも気温は24度。昼間は太陽が出ていて気温28度だったそうだ。
フエ空港にはバオミン・ベトナム事務所長が出迎えに来ていた。
車でフエ市内へ。昼食を口にしてから10時間半、食事をしていない。
市内のフォー専門店へ。しかし、年末休暇に入っていると言うことで
既に閉店。急遽、日本料理店の大塚さんに電話し夕食をお願いする。
ちょうど閉店する直前だった。大塚さんは快く受け入れてくれる。
午後9時半、日本料理店へ。
大塚さん、仁枝さん、Yさんとバオミンさんと私で会食懇談。
久しぶりで日本料理店の「フエ生ビール」を飲む。
まだ1週間しかたっていないとのことで、丁度美味しい頃。
●上手に生ビールを注ぐ日本料理店ボランティアの仁枝さん
大塚さんが手早く簡単なおつまみを作ってくれる。
バオミンさん、Yさんたちと何杯かの生ビールを堪能。
フダ生ビールは嫌味のない淡白な品のある味。
食事は「マグロ丼」。美味しい。
午後11時。夕食を終え長い1日が終わる。
今日は朝成田に着いた頃から鼻水が止まらなかった。
機内でも同様。
ハノイ空港で待っている頃になると喉が痛く体がだるくなる。
完全な風邪症状。困った。
トンチンカンホテルの部屋に入ろうと思ったら、
部屋の鍵が替えられていた。
部屋に入りルゴールでうがい。疲れきった。
急いで就寝。
フエの街は新年を迎える雰囲気で盛り上がっていた。
夜遅いのに町中に人が出ている。警察官もたくさん出ていた。
交通事故が多発しているとのこと。
バオミンさんも市内から空港へ出迎えに来る時に2件の
交通事故を目撃したとのこと。
何とか体調を治さなければ・・・・・・・。
2007年02月14日
フエへ「帰国」準備 1ヶ月間の日本滞在記録
雨
風強し。
明朝、成田発。成田で帯広のYさんと合流。一緒にフエへ行く。
フエ「帰国」の荷物整理。ベトナム事務所や「子どもの家」、
フエ関係者へ届けるよう預かった荷物整理。
日本料理店用のお酒。
2007年1月帰国日程
1月15日(月)08:30(フエ空港発) ハノイ日本大使館訪問
1月16日(火) 0:10 ハノイ発→成田(6:40)東京自宅泊
17日(水)福島休養
18日(木)福島休養
19日(金)福島休養
20日(土)東京自宅 P6役員会 上野
21日(日)東京自宅
22日(月) 10;30読売新聞Y記者懇談 読売新聞医療功労賞新聞発表
23日(火)11:00 読売新聞本社玄関 読売新聞「顔」欄インタビュー
24日(水)14:30 香川県Nさん懇談(新橋)
17:30 ブライセン藤木社長
25日(木)
26日(金)P5大塚さん親戚の方と懇談パレスホテル
27日(土)07:25 バオミンさん成田到着(出迎え)
13:00 日本事務所会議(王子)
28日(日)11:45 次男夫妻・両家会食
16:30 読売新聞医療功労賞授賞式説明会
29日(月)
10:30~11:20 読売新聞医療功労賞授賞式
11:30~12:45 受賞パーティー
13:45~17:30 皇居天皇・皇后
30日(火)午前11時20分 衆議院第2議員会館M代議士懇談
午後1時 名古屋T氏懇談(バオミンさん)上野
午後5時国際ソロプチミスト東京―東例会(ニューオータニ)(30人)
31日(水)
2月01日(木)A10 東京→静岡
16:00 雙葉学園高校(静岡) (15人)
18:30 JASS静岡の会懇談会
02日(金)11:40 小嶋静岡市長訪問 P3 渡辺さん打ち合わせ 上野
03日(土)
04日(日)11:00 日本事務所会議(総会準備)(王子)
13:00 第13回JASS総会
17:00、「JASS創立12周年記念式典」
21:00 高校同級生懇談(巣鴨)
05日(月)10:30 (バオミンさん見送り)
06日(火)P1 日野市立7生中シンポジューム 京王線 南平駅(120人)
07日(水)A10 JICA 10F 東南アジア第3チーム(新宿)
P5 熊谷さん懇談
08日(木)10:30 外務省南東アジア課長水越氏懇談 (霞ヶ関)
12:30 オアシスの会懇談(水道橋)
09日(金)P12:30 TVディレクターMさんなど懇談(神保町)
P2:30 神保町渡辺さん「小児ガン」打ち合わせ
P6 古田土会計事務所主催講演会 (150人)
10日(土)A10 JASS青少年・教育の会関係者懇談
P7 七生中・3月「子どもの家」訪問予定者懇談(新宿)
11日(日)
12日(月)
13日(火)A5:50 練馬倫理法人会モーニングセミナー(練馬)(15人)
P6 JASS会員と懇談(新宿)
14日(水) フエ「帰国」準備
15日(木) 成田(11:00発) →ハノイ(19:25発)→フエ(20:35着)
講演会 5回 320人
個人面談等 21回
2007年02月13日
練馬倫理法人会モーニングセミナー
晴天
午前4時起床。午前5時半過ぎ自宅近くで太平観光の
北垣会長の車に乗る。北垣会長の運転で講演会会場である
練馬まで。
午前6時半、練馬倫理法人会「モーニングセミナー」講演。
15人の参加者。
今まで5、6回講演をしている。今日は障害児支援プロジェクト
などについて話す。このセミナーは、地元企業の社長さんたちの
朝の勉強会。
午前7時半、終了。その後、参加者の皆さんと朝食。
午前9時、大江戸線「練馬」から都庁前へ。
心臓病の検診。明後日ベトナムへ戻るので薬をもらう。
榊原記念病院は満員。長時間待たされる。
NSビルで本を2冊買う。ベトナムへ行く飛行機内での読書用。
今回の帰国中は忙しく読書をする時間と余裕がなかった。
午後2時過ぎ帰宅。しばらく休息。
衆議院予算委員会を見る。
民主党岡田氏の追及も生ぬるいものではあったが、
安部首相の答弁は、「木で鼻をくくった」ものだった。
格差問題。安部首相の基本認識が良く分かった。
格差が出るのは、労働能力のない人間がいるからということ。
政府としては、それら労働能力のない若者の労働技術の
スキルアップ・職業訓練の支援を行うということが、政府の
施策の基本だと言う。
民主党の質問の基調は安部首相と同じ。「パイの理論」。
経済を活性化し、大企業が好景気にならないと、底辺の
格差で苦しんでいる人も救われないというもの。
パイを大きくする(経済発展)という理論は、結局は
大企業だけがぼろ儲けすることを意味する。こうした
阿部氏や尾身氏の理論と同根の立場での追求には
限界があった。
国民新党の亀井氏の質問は情に訴える。なかなか聞かせる
ものだった。特に自民党は公明党に乗っ取られ従属している
という趣旨の質問は現実の状況を踏まえていた。
これも意味のあるもの。
民主党・共産党・社民党・国民新党の質問の中では共産党
の志井委員長の質問が具体的であり、貧しい人、格差に
苦しんでいる人たちの立場でのものであった。
午後5時自宅を出て新宿へ。新宿でU/T/Y/K諸嬢と会食。
午後11時帰宅。
26通のメール受信。9通のメール送信。
2007年02月12日
休日
晴天
スギ花粉大量飛散?
午前中寝ている。
昼起床。
午後、メール15通受信、12通送信。
夕方、日暮里駅へ。2月15日フエ帰国の京成スカイライナー
切符を買いに行く。
切符買いの帰り、巣鴨駅前赤提灯へ。「煮込み」「枝豆」などで
生ビール2杯。隣の若者がタバコを吸いだす。
タバコの煙が私の顔と体に吹きかかる。仕方がないので
フーと息を吹きかけてタバコの煙をタバコ男に吹き返す。
飲み屋でタバコを吸うのは非常識。
自分の嗜好のために多くの人間を苦しみに
陥れる自分勝手な行動。こうした人たちは、人の苦しみを
理解できない人間と思ってしまう。どんな生き方をしている
のだろうと。
飲み屋自身にも問題がある。タバコを禁止したら利益があがらない
と勝手に思い込んでいる。
ベトナムの日本料理店では、一切「禁煙」にしている。
お客さんは店先にある喫煙所に行って喫煙している。
タバコの煙は食事をまずくする。臭いは美味しい味を台無しにする。
料理店で自分の出す食事に自信があれば、異常な臭いのある
タバコの煙を認めるわけがない。お金儲けの問題ではない。
自分の仕事に対する自信と誇りの問題である。
飲み屋でタバコを吸う人間は「無粋」。
タバコを吸うか吸わないかは個人の嗜好かもしれないが、
「他人に迷惑をかけている」と言う意識を持つことは必要である。
お陰で体中がたばこの「異臭」で覆われてしまった。
山梨県の国際交流協会に「金髪・青い目の外国人教師」募集と
いう外国語学校のボスターが貼られていたとのこと。
国際交流協会と言っても各種各様の交流協会がある。
常識的に考えて「金髪・青い目」などという条件をつけた
外国人教師募集はいかに偏って異常なものかを理解できない国際
交流協会などは解散すべきだ。実際にこの程度の国際交流
協会があるのも実情である。「国際交流協会」などと銘打って
あるとつい『国際交流の専門家』などと思ってしまう。
肩書きで人間を見てはいけないということを私たちは知るべき
である。
東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で、線路に侵入した
女性を助けようとした警視庁板橋署の宮本邦彦巡査部長の
殉死を悼む。今の日本にこうした人間がいるのだ。
2007年02月11日
休日
晴天
杉花粉症の症状がかなり出ている。
久しぶりの休日。昨夜帰宅が遅くなり、午前中は寝ていた。
メール受信・送信。
晴天のスギ花粉飛散時は、外出をしないことが鉄則。
2月15日、フエ帰国の諸準備。
ベトナムへのメールが全て返送されてします。
この1週間ほど、ほとんどのベトナム事務所送信メールが
返送される。バオミンさん・税田真理子さんたちと連絡が
取れない。
夜、テレビ東京の「李香蘭」を見る。
率直な感想は安直な脚本。それぞれの人物の行動、発言の
歴史的必然性を抹消しているので、不自然な話に
なってしまう。
関東大震災の際、大杉栄・伊藤野枝などを虐殺した
甘粕正彦憲兵大尉を「良心的」な人間に描いている。
男装の麗人と言われた川島芳子も何のために登場させるの
かが分からない。
また、山口淑子の自伝から脚本を作ったということもあり、
李香蘭が悲劇の主人公として描かれているようである。
(2月11日放映分を見て)。
李香蘭を知るためには、日中戦争とアジア・太平洋戦争
についての基礎知識が必要である。
李香蘭が勉強しているミッション系の高校で反日学生集会があり、
「自分は国民党で日本と闘う」「自分は共産党軍に入り闘う」など
当時の上流階級の女子が入る「お嬢さん高校」で何故こうした
反日発言が出るのか? あの場面だけでは、若い人たちは
反日集会と発言の歴史的背景が理解できないように思う。
それでも全体として日本のアジア・中国侵略についての
描写があり、放映の意義はあると思う。
続きは明日なのか?
2007年02月10日
「子どもの家」訪問予定者懇談
晴天
昨夜帰宅が午前を過ぎた。
午前10時、JASSスタディーツアー関係者との懇談予定があり
午前7時過ぎ起床。睡眠不足。
午前中、JASSスタディーツアー関係者とスタディーツアーに
参加した中学生と懇談。昨年、JASSスタディーツアーに
参加した中3の生徒3人が高校に合格したとのこと。
おめでとう。一人は推薦入学。ベトナムスタディーツアー
について文章を書き面接に答えたとのこと。
午後3時。結婚した次男夫婦来訪。二人とも仕事が
忙しいとのこと。仲良く暮らして欲しいと願う。
午後5時半過ぎ、自宅を出て新宿へ。
午後7時、今年3月に「子どもの家」訪問予定の皆さん、
先日の七生中での「勉強は何にために?」のシンポジューム
の関係者と懇談。
午後11時まで懇談は続く。
自宅着午前0時過ぎ。
2007年02月09日
古田土会計事務所主催講演会
午前中晴れ。夜雨。
昨日受信のメールの返信。9通。いくつかの問題あり。
午前11時過ぎ、地下鉄で神保町へ。
TVディレクターのMさん、 ホーチミン市で雑誌編集をしている
N氏と懇談。ベトナム事情などを話し合う。
午後2時半「ACCL」(アジアチャイルドリーグ)Wさんと懇談。
ベトナムでの小児ガンプロジェクトについての相談。
神保町から都営浅草線で「船堀」へ。
午後6時半から午後8時10分まで古田土会計事務所主催
の講演会。
古田土さんは、10年来の支援者である。
会場は「タワーホール船堀」。
古田土会計事務所の職員や「世直し 赤い顔」のメンバーや
家族、地元中小企業社長さんや家族のみなさんなど150人が
話を聞いてくれた。講演会開始時刻には、雨模様。
小学生の子どもたちも聞きに来てくれていた。
私は杉花粉症で喉がガラガラ。鼻はつまり、話しづらかったが
講演会を進めていくうちに体調回復。
講演会終了後、主催者の皆さんと懇親会。
皆さん企業の社長さんや会長さん。
古田土社長、赤い顔の直井社長、野口さんたちは、
10年前から家族ぐるみで「子どもの家」の支援を続けてきてくれ
ている。その間、数度の「子どもの家」訪問ツアーも実施。
子どもたちや日本の世の中の腐敗堕落の実態に強い憤り
を感じている人々である。
日本を本当に支えているのはこうした中小企業の皆さん
である。感謝。
帰宅午前0時過ぎ。
2007年02月08日
外務省南東アジア課長懇談、オアシスの会懇談
晴天。
多少暖かいが、風が冷たい。
昨夜は痛飲し帰宅後直ぐ寝てしまう。
午前9時自宅を出て、地下鉄で内幸町まで直通。
内幸町下車。日比谷公園ー日比谷公会堂ー野外音楽堂へ。
しばらく日が当たる音前の公園で日向ぼっこ。
これからお会いする外務省南東アジア課長さんとの懇談内容
を整理する。
午前10時20分。外務省正門。
警察の検問。用件、名前、面会相手
の氏名などを尋問される。
正門から館内へ。館内では、持ち物のレントゲン検査、
個人の危険物所事検査。続いて面会希望書を記入し受付へ。
受付で更に尋問される。
外務省アジア大洋州局南部アジア部 南東アジア第1課長のM氏、
同課外務事務官I氏と懇談。外務事務官I氏は昨年までの
数年間ベトナム大使館員で私もお世話になった方である。
ベトナムの状況、フエの様子、ボランティア活動の内容などを
について意見交換。
午後12時半、帝国ホテルでオアシスの会のTさん、Hさんと
お会いする。オアシスの会がフエで行っている船上生活者
支援の医療船活動の現状などについて意見交換。
17階の喫茶室でサンドイッチをご馳走になる。
野菜サンド1700円には驚いた。
帰宅午後3時。体がだるい。風邪気味か?
2時間ほど横になる。
明日の講演会の内容整理、ビデオ等の準備。
昨日と今日のメール71通のメールを読む。
読むだけで1時間以上かかる。
返信が必要なメールがたくさんがるが、数通を返信したが
体調不良。
2007年02月07日
JICA本部訪問懇談
快晴
午前9時、自宅発。新宿へ。
新宿南口にあるJICA(国際協力機構)本部へ。
東南アジア第3チーム(カンボジア・ベトナム)チーム長と主任の
方と懇談。
フエでのJICAプロジェクトの件で話し合う。
フエの現状、JICA側としてのプロジェクトの方針などを
すりあわせる。
今後の引き続き連絡を取り合うことを話し合いJICAを出る。
午後12時過ぎ、一