« 札幌国際大学2日目 | メイン | 札幌国際大学・エルダー倶楽部・地球の歩き方第3班 »
2007年02月26日
札幌国際大・エルダー倶楽部
午前中晴天、午後曇り
かなり蒸し暑い。
午前7時、朝食。フォー。今日から久しぶりに全員が揃う。
北部旅行の石塚先生、南部旅行の石岡先生。5人で食事。
午前8時、札幌国際大学の一行がベトナム事務所を訪問。
ベトナム事務所員全員で応対、自己紹介。
札幌国際大学一行は「子どもの家」へ。子どもたちと交流。
ベトナム事務所のハン会計部長、ソンベトナム事務所員が案内。
午後は「子どもの家」で子どもたちと絵画教室で交流。
ハンさん、ソン君の案内。
ベトナム事務所では今日から石岡先生・
石塚先生が仕事に復帰。
午前8時20分。日本語学校卒業生のクアン君がベトナム事務所
へやって来る。
3月末から開始する「アクセサリー工場」の現場主任候補としての
面接のため。
クアン君は28歳。「静岡フエ青年交流会館付属日本語学校」の
初級・中級・上級教室で学んだ卒業生。当時の先生は坂本文子先生
横島久仁子先生、サン先生、フーン先生。
家族環境、今までの職歴、新しい仕事への希望などを聞く。
同時に日本語会話能力をチェック。
私の方で「アクセサリー工場」主任の仕事内容、役割りなどを
説明する。また、雇用契約の内容、賃金、昇給などを説明。
2007年2月20日から2日間、浅草のアクセサリー会社「ブラレ」
の社長さんがフエに来て工場設立の準備をする。
その後、工場を設立し、5月から操業を始める予定である。
ブレラの社長さんは2年前にTBSテレビで放映された私の
活動をご覧になり、現地にアクセサリー工場設立という形で
の支援を提案してくれた。既に「子どもの家」の子どもたち
の中で3人から4人の子どもたちが就業を希望している。
午前9時過ぎ、帯広のYさんがベトナム事務所へ。
Yさんが支援している里子のH君のお母さんが里親のYさんに
挨拶にやってきた。
帯広のYさんは、1997年、テレビ東京で放映された
ドキュメンタリー人間劇場を見て支援を始めてくれた。
その時からH君の里親となってくれた。H君は生まれながらの
障害があった。右手右足が不自由だった。Yさんの支援で
学校へ行くようになった。成績は常に最優秀。
しかし、一昨年、突如高熱を出して精神に問題を起こし、
通常の思考・行動が出来なくなってしまった。
中学3年生の時の出来事だった。学校も中学で終わった。
家にいて療養を続け、昨年あたりからやっと通常の
生活が大体送れるようになってきた。
バオミンさん、税田さんとアクセサリー工場関連の打ち合わせ。
今後の日程、浅草の会社社長受け入れ、工場の組織体制、
月給などについて打ち合わせ。
昼、インスタントラーメン。
読書「細雪」。ひな祭り、花見など優雅な伝統生活。
源氏物語を彷彿させる。
昼寝。
午後3時過ぎ、徒歩ベトナム事務所へ。
毎日ベトナム事務所とトンチンカンホテルを2往復する。
片道15分。一応、1日60分の徒歩。
テト休み中6日間ほど寝ていたことが祟り、足腰が
ふらつく。毎日しっかりと歩くことを自分自身に義務付ける。
明日、エルダー倶楽部で講演するベトナム略史の仕上げ。
資料をコピーしてもらう。
日本料理店では、テト新年後初めての夕食を全員で食べる。
日本人スタッフ、子どもたち。久しぶりに皆さん、元気なを
顔を揃える。
テト正月があり、今日から日本料理店を再開。
日本料理店入り口には、お雛様が飾られていた。
午後6時半、「暖炉基金」の障害児と家族を帯広のYさんが
日本料理店へ招待。
暖炉基金は帯広のYさんが5年ほどまえに発足させた
個人的な基金である。JASSベトナム事務所に委託し
JASSが推薦した障害児5人を「大学卒」まで奨学金を
支給し、自立させるという基金である。
Yさんは、2年前に夫を亡くし退職。お子さんがいないことも
あり、暖炉基金の障害児を自分の子どもたちのように可愛がって
いる。今日は日本料理店を貸切りとし、5組の障害児家族と
Yさん、私、バオミンさんとで懇親。
①D君は生まれつき両手の指がない。
お母さんは天秤棒でうどんを売っている。お父さんは日雇い。
D君は中学1年生。成績最優秀。将来はコンピュータの
仕事をしたいと言っている。
②B君は生まれつき右足が不自由。父親は45歳の時亡くなる。
母親と6人の兄弟で生活している。母親は臨時手伝いをしている。
将来、コンピュータの仕事をしたいという。
③Aさん 21歳。生まれながら右足が不自由。
昨年、念願のフエ医科大学付属看護専門学校へ入学。
将来、看護師になりたいと頑張っている。
兄弟が多く、親の仕事は臨時日雇い。
午後6時40分。帯広のYさんが挨拶。「皆さんには障害があっても
頑張って生きていって欲しい。自立して自分の力で生活できるよう
応援をする」「皆さんが大学を卒業するまで応援したい」。
その後、子どもたち一人一人が自己紹介。
続いて会食。日本料理を堪能。豚の角煮、かぼちゃの茎炒め、
巻き寿司、野菜の酢のもの、味噌汁・・・・。
1時間半ほどの懇親。
障害児の親を代表して母親が挨拶。
午後8時過ぎ、懇親会は終了。
その後、大塚店長などを中心に日本人スタッフ全員で
今後の日本料理店の運営、経営、人事などについて
話し合う。3月1日、午後2時から日本料理店全員集会を
開き、新たな日本料理店の人事、運営方針を提示する
こととなった。
日本人スタッフ会議は午後9時過ぎ終了。
今日は結婚35周年記念日。珊瑚(さんご)婚というそうだ。
1972年2月26日、渋谷の勤労福祉会館で「人前結婚式」
を行った。当日は、大雪だった。71年前の1936年には
世に言う「二・二六事件」(軍部皇道派による軍事クーデター)
があった。その日も大雪だった。
結婚から35年。今年は私も還暦となる。結婚35年の人生を考えた。
この35年、どんな人生だったのだろうか?
色々と考えているうちに頭が痛くなったので、缶ビールを
飲んで寝てしまった。
投稿者 koyama : 2007年02月26日 16:46