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2007年02月17日
CHUC MUNG NAM MOI
CHUC MUNG NAM MOI
(祝) (年) (新)
謹賀新年 春 豚年
今日はベトナムの正月元旦。
昨夜、遅く、寝入っている耳に「打ち上げ花火」の音が響いて
いるようないないような記憶が残っている。日本で言えば
除夜の鐘というところだろうか?
風邪真っ最中。午前8時まで寝ていた。
午前10時。日本で頂いた日本米1合を炊く。昨夕、大塚さんたちが
作ってくれたテンプラの残りでブランチ。
その後、メールの受信・送信。
部屋の掃除、荷物の整理。トンチンカンホテルは朝食も
部屋の掃除も「お正月休み」ということでストップしている。
これから1週間、食事作りとゴミとの闘いとなる。
体がだるい。しばらく横になり読書。
「百人一首」(鈴木日出男著:ちくま文庫)
中学・高校で勉強した和歌を改めて読んでみる。
年を重ねること、時間をかけ受験や勉強と関係なく
歌を読んで見るとそれぞれに深い味わいがある。
安倍仲麿
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる三笠の山に 出でし 月かも」
遣唐使で唐に渡り帰国途中に船が難破し結局、終生中国に留まった
安倍仲麿の気持ちが少し分かるような気がする。
中国・唐での生活がけして嫌ではない。しかし、望郷の念も捨て難い
という仲麿の気持ち。玄宗皇帝に重用され、当時、唐が支配していた
ベトナムの担当大臣のような役職にまで昇任しハノイ付近に駐在した
仲麿。複雑な仲麿の気持ちが込められているような歌である。
午後、しばらく昼寝。
午後2時過ぎに正月のフエの街に出てみる。
見事に全てのお店が閉店していた。
●フエ最大の市場 「ドンバ市場」も閉店
●ドンバ市場前の商店街も全て閉店
いつも行く「コムディア屋」(ほか弁)も全て休み。
これは手ごわい。これから1週間の食事をどうするのか考えてしまう。
野菜不足。
バオミン・ホテルに行く。日本の支援者から預かったバオミンさん
へのお土産を持っていく。
バオミン・ホテルは受付のスタッフも朝食も掃除スタッフもいた。
なるほど。お金を取るということはこういうことなのだ。
「GIVE AND TAKE」ということか・・・・・。
今日は2回洗濯。1ヶ月いない間に部屋の衣類が全てカビていた。
カビた衣類やタオルなどを全て洗濯する。
日本料理店は昨日から2月22日まで約1週間閉店。
1週間前に生ビール60リットルを入れたが、70%ほど残して
日本料理店はお正月休暇に入った。日本料理店や日本語学校
の日本人は仁枝さんを除いて旅行などに出かけている。
45リットルも残っている生ビール。もったいない。
午後6時半。残っている生ビールをピッチャーに入れて部屋に
持って行く。日本で支援者の方から頂いた「味噌漬け」「わさび」
「海老屋総本本舗」の「たらこ」「しじみ」「はぜ」「葉唐辛子」
「あみ」の佃煮でフダ生ビールを飲む。冷たくて美味しい。
谷崎潤一郎「細雪」に挑戦。読み始める。
1000ページ。文庫本「上中下」3冊。
昨日「子どもの家」へ行った。多くの子どもたちは親戚や知り合い
などへ帰省しテト正月を『親族・知り合い』で楽しんでいる。
「子どもの家」に残っている子どもたち10人のことを考えた。
家族も親族も知り合いも帰る家もない子どもたち。
一人一人の子どもたちのことを考えると心が痛む。
「天涯孤独」とい言葉がある。
10人の子どもたちは天涯孤独である。どんな気持ちで
テト正月を迎えたのだろうか? 私には推測することも出来ない。
私が13年半、フエにいて「子どもの家」などの活動をする意味が
少しはあるのかな?と改めて感じたのである。
子どもたちは天涯孤独ではない。「子どもの家」の子どもたちや
寮母さん、日本人スタッフとのつながりがある。けして孤独ではない。
日本料理店のリー君やターオ君。JASSのフエでの活動があった
ことで救われている。人間らしい生き方が少し出来るようになった
のかも知れない。
私たちがしているボランティアは、結局「人間」である。建物でも
お金でもない。人間である。人間に目が行かないボランティアは
怪しい。
夜8時。気温28度。湿度70%。
投稿者 koyama : 2007年02月17日 19:54