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2007年03月31日

フエ副知事訪日視察団一行来日

寒い

午前5時起床。昨晩は激しい咳で眠れず。
午前5時半自宅を出て巣鴨ー日暮里経由成田へ。
副知事・ミンさん一行は予定より30分早く到着。午前7時50分、
入管を終え外へ出る。副知事などは外交官パスポートなので
バオミンさんも外交官通訳ということでゴチャゴチャした質問もなく
入国。

副知事一行4人とスカイライナーで日暮里へ。
JASS日本代表委員会委員長の福田もえ子さんがインターネット
で予約してくれた日暮里のホテルへ到着。チェックインは午後2時。
皆さん、疲れているようなのでホテル内の喫茶店で休憩。

その後、上野へ。皆さん、空腹とのこと。皆さんの希望で回転寿司へ。

皆さん、お刺身や生ものをしっかりと食べていた。さすが、元解放戦線
のゲリラの皆さんたちである。山岳地帯でねずみや蛇を食べて
アメリカ軍と戦っていたとのこと。何でも食べられる強さがある。

腹ごしらえをしかりとした後、上野の山へ。
上野の山の桜がちょうど満開。大変な人出だった。


上野の桜を楽しんだ後、疲れが出てきた。皆さん、休息したいとの
こと。もっともである。昨日、フエを出て、夜中の午後11時55分頃
ホーチミン市を飛行機で出て訪日してきたのである。

午後1時過ぎ、日暮里のホテルに戻り、1時間ほど早いチェックインを
お願いする。快く受け入れてくれた。
午後4時45分まで各自、自室で休息。

午後5時過ぎ、千代田線で湯島へ。日本語教師だった西山優子さんが
駅まで迎えに。案内で明石書店へ。
ちょうど1週間前、社員の西山優子さんの案内で明石書店の社長さん
や友人の皆さんが「子どもの家」や日本語学校、日本料理店などを
訪問視察。
今回は、その縁でフエ副知事の出版社視察を受け入れてくれる。
明石書店で社長さん、フエ視察団一行、一時帰国中の石岡先生
などの自己紹介。


明石書店に三輪さんがいた。
ちょうど12程前、フエ師範大学を「日本の警察のスパイ」との
嫌疑で一方的に解雇され、ミニホテルに軟禁中だった私に
ベトナムの子どもたちのことを雑誌「子どものしあわせ」に書いて
欲しいと声をかけてくれた方である。
今は、愛知県犬山市教育委員会編「全国学力テスト、
参加しません。」の出版の中心になって活躍している。
文部省は今月、全国の小6・中3全員の学力を実施しようとしている。
全国で唯一、犬山市教育委員かが参加しないことを決めた。
犬山市は小学校10校(4415人)、中学校4校(1856人)の
小さな市であるが地方自治の精神をしっかりともち、独自の
判断で学力テスト不参加を決めている。
「全国学力テスト、参加しません。」(犬山市教育委員会編:
明石書店出版)定価 1200円+税)

*明石書店 電話 03-5818-1171
         FAX 03-5818-1174
http://www.akashi.co.jp


その後、近くの食堂で歓迎交流の宴


午後9時過ぎお開きとなる。自宅着、午後10時過ぎ。
体調、不良。

投稿者 koyama : 13:30 | コメント (0)

2007年03月30日

1日休養

晴天

一昨日、ハノイから乗り成田への途中、ひどい下痢症状に襲われる。
風邪の症状かどうかは分からないが・・・・・。

昨晩、病院でもらった薬を飲み休む。
今朝は食欲がなく、ご飯を少々。
昼過ぎまで寝ていた。

明朝午前7時25分に成田へ副知事一行を出迎えに行く予定。
京成スカイライナーの切符を買っておかなければならない。
可能性はかなり低いが、万一、朝6時半頃のスカイライナーが
満席の場合、出迎えの時刻に遅れてしまい、副知事やミンさんに
迷惑をかけることになる。
昨日、姉から連絡あり。母が緊急入院したとのこと。

午後2時、大山の老人医療センターに入院している母親を
見舞いに行くついでにスカイライナーの切符を買う。

町を歩くが夢遊病者のごとく、フラフラしている。

入院中の母親は96歳。点滴をしていた。赤ちゃんのように
熟睡していた。点滴の管を無意識に抜いてしまうようなことが
あるようで、手には「手袋」がはめられていた。
母親が熟睡していること、私が風邪を引いていることもあり、
短時間で病室を後にする。

少し熱っぽい。食欲なし。ぼーっとしている。

投稿者 koyama : 17:24 | コメント (0)

2007年03月29日

日本帰国

昨夜、午後11時半ハノイ発の予定だったが、1時間遅れで
出発。追い風だったようで、4時間ほどで成田着。
体調悪し。

午前6時40分成田に着き、スカイライナーに乗ろうとしたが、
時間が早くスカイライナーは1時間後。
地下駅で1時間待ち、午前8時前のスカイライナーに乗る。
途中、都営線で人身事故があったそうで、スカイライナーは
断続的に停止。結局40分以上遅れて日暮里着。
巣鴨に出てコインロッカーに荷物をいれ、春日から大江戸線経由
都庁前。NSビルの榊原記念クリニックへ。心臓の薬がなくなった。
今日は春休みといういこともあって子どもの心臓病患者がたくさん
来ていた。病院は座る椅子がないほどである。この病院は
予約制。私は予約が出来なかったので、長時間待たされる。
結局、2時間半待たされ、午後12時半に診察。心電図・・。
合わせて風邪の診療も。薬をもらう。心臓と風邪薬で7種類もの
薬を飲むこととなる。薬漬け状態。
家へたどり着く。そのまま横になる。
午後8時、次男が来訪。寝ながらしばらく話をする。
熱は8時。食欲なし。そのまま寝てしまう。
明日中には体調を元に戻さなければならない。

投稿者 koyama : 10:46 | コメント (0)

2007年03月28日

地球の歩き方Ⅶ2日目、上尾「チーム・グローバル・フレンドシップ」3日目、フリースペース4日目、藤井先生ツアー4日目、宇都宮縫製工業組合佐藤さんグループ2日目

晴天。

昨夜から発熱。喉風邪にかかる。
検温、38度。

午前7時、朝食フォー。頑張って食べるが喉を通らない。
朝食後1時間ほど横になる。

午前8時半から1時間かけて昨日の火炎樹日記を書く。
昨日はたくさんのメインイベントがあった。「縫製研修センター」
落成式典、フリースペースの子どもたちが「子どもの家」へ宿泊。
体調がすぐれないので、概要のみとする。残念。

午前9時半、自室を出て電動オートバイで「子どもの家」へ。
午前10時から1時間、地球の歩き方7班(12人)の皆さん
に14年間の「子どもの家」活動などについて話す。
声がほとんど出ない。マイクで話すが、喉が振動しない。
地球の歩き方の皆さんには、申し訳なかった。
私としては、最大限誠意をもって話した。聞き苦しかったが
何とか私の真意は伝わったと思う。私は、子どもたちや学生
さんに話す時、毎回、自分としては全力を使って話している
つもりである。今回は質問もたくさんでた。

講演会終了後、宇都宮縫製工業組合佐藤理事長一行が
「子どもの家」へ来訪。1時間ほど、「縫製研修センター」の
今後の運営などについて話す。

午後12時半、トンチンカンホテルの自室へ戻る。
体力を全て使った感あり。声も出ないし人と話す気力ない。
直ぐに横になる。2時間ほど横になる。大分楽になったような
気がする。
一時帰国の最後の準備とチェック。

午後4時、車が迎えに来る。車でダナン空港へ。
ハイバントンネルが出来たのでは、2時間強で到着。
6時過ぎダナン空港到着。
直ぐにチェックイン手続き。空港内待合室で40分ほど待つ。
午後7時15分、ダナン発のVN機でハノイへ。
今回はフエ→ハノイの切符が取れなかった。
午後8時半、ハノイ空港(ノイバイ)に到着。
国際線のチェックインは2時間前からとのこと。
空港外の椅子で1時間半ほど待つ。
午後9時半過ぎ、国際線チェックイン開始。
入管を通って、国際線空港内待合室で待つ。2時間。
午後11時半、ハノイ発→成田行きの飛行機が飛び立つ。
明日3月29日午前6時45分、成田に到着の予定。

今回は2月15日にフエに帰国したが、直ぐに風邪を引いてしまい
1週間ほど寝ていた。丁度、ベトナムの旧正月ということもあって
食事が買えず、部屋の掃除もないという悲惨な正月ではあった。
2月22日に体調を回復し訪問者の応対を始め、それから今日
まで35日間、連続仕事を続けた。流石に無理に無理を重ねての
仕事だったように思われる。体を壊さないのが不思議なくらいである。
3月31日からはフエ省副知事など要人を案内して東京→京都→
丸亀への6日間の旅行が控えている。それまでに体調を回復し
なければならない。

投稿者 koyama : 16:42 | コメント (0)

2007年03月27日

「縫製研修センター」落成式典、地球の歩き方Ⅶ班到着、上尾TGF2日目、フリースペース3日目、藤井先生ツアー3日目

晴天

気温33度。

午前7時、朝食「ブンボーフエ」。

体がだるい。微熱。

午前8時、上尾「チーム・グローバル・フレンドシップ」の皆さん(6人)
を迎えにサンさんとホテルへ。
「子どもの家」へ到着後、歓迎の踊り、交流。


●セン委員長、歓迎の挨拶

●子どもたちの出し物

●上尾「チーム・グローバル・フレンドシップ」の出し物

上尾「チーム・グローバル・フレンドシップ」は、二人の大学生と
4人の大人。

歌と踊りの交流後、フォークダンスやゲームをして楽しんだ。
上尾「チーム・グローバル・フレンドシップ」の大人の皆さんも
子どもたちと一緒に遊んでいたいのが強く印象に残った。

1時間ほどの交流後、2人の大学生は近くの農村ホームステーへ。
大人の4人は、「子どもの家」台所付近の上下水道の工事。

●セメントをこねる加藤さんたち

●水道管の接続工事をする星野さん

上下水道工事が一段落した頃、上尾「チーム・グローバル・フレンドシップ」
の4人は、農村ホームステー先を訪問。

午前11時、フリースペースの子どもたちと一緒に「子どもの家」で
昼食。

午後12時半、自室へ戻る。体が異常にだるい。検温。37度8分。
喉風邪を引いたようだ。

午後2時半、日本料理店前からベトナム事務所スタッフと
一緒に「縫製研修センター」落成記念式典へ。

午後3時に「縫製研修センター」1階で落成記念式典開会。

(参加者)
・トゥアティエンフエ省ー 副知事、労働局長、共産党常務委員会委員
・フエ市ー共産党委員長、市長、副市長
・日本大使館ー参事官、2等書記官、秘書
・トゥアティエンフエ省内2つの「子どもの家」代表
・「縫製研修」で宇都宮へ行き帰国した研修生
・-上尾「チーム・グローバル・フレンドシップ」、藤井先生一行、
   宇都宮縫製工業組合佐藤理事長、
 -ベトナム事務所員


初めに参会者紹介


続いて、フエ市人民委員会を代表してタン副市長(教育担当)が
挨拶。

●日本大使館町田総務参事官挨拶

●「フエ市越日交流委員会」を代表して小山副委員長挨拶


●最後にテープカット
  副知事、労働局長、フエ市共産党委員長、副市長、小山


その後、参会者を案内して「縫製研修センター」を視察。

午後4時過ぎ、上尾「チーム・グローバル・フレンドシップ」の
皆さんとフエ市内、郊外の2箇所の家庭訪問。
「子どもの家」の子どもたちの実家を訪ねる。

午後6時、自室へ戻る。発熱。倦怠。しばらく横になって休む。
声が出なくなる。

午後8時半、佐藤理事長、三井物産のA氏、宇都宮で
日本語教師をしているBさん、ミンさんと会食。
午後10時半近くまで。

今日は長い1日だった。
植木等が死んだ。60年代、小中高校時代の出来事が
脳裏をかすめる。

投稿者 koyama : 10:06 | コメント (0)

2007年03月26日

フリースペース2日目、藤井先生ツアー2日目、上尾JGSTフエ着、ミンさん弟結婚式

快晴。真夏。

気温32度、湿度75%。

今日はフエ「解放32周年」、ホーチミン共産青年同盟創立76周年
記念日。

午前7時、朝食。フォー。


午前7時半、日本語教師石岡先生一時帰国。

急いで朝食を済ませ、フリースペースの皆さんが泊まっている
バオミンホテルへ。

今日はバオミンさんの弟ビー君の結婚式。バオミンホテルの
玄関にはお祝いの飾り。


ベトナム事務所のハンさんと一緒にフリースペースの
皆さんを案内して朝食「ブンボーフエ」へ。
牛肉入り、豚肉入り、牛豚肉入りから選択。


朝食後、小型バスで「子どもの家」へ。子どもたちと文化交流。

子どもたちの歓迎の踊り。

フリースペースの皆さんの出し物。歌、ギター付き沖縄島歌・・・

交流会後、私がフリースペースの皆さんの施設案内。

その後、図書室で講演。


今日は「子どもの家」に3つのグループが来訪。
昨日交流会を行った藤井先生グループ(7人)、
フリースペース(10人)、東京の学校先生(6人)。

子どもたちと一緒に昼食を摂る。

東京の先生方。私と同年代の皆さん。
教員として子どもたちのための教育がしづらくなった東京の
教育現場で今なお頑張っている皆さんに声援を送りたい。

藤井先生ツアーの皆さん

午前11時50分、「子どもの家」を後に帰宅。

午後12時半から午後1時半まで昼寝。
疲労が溜まり起きられなかった。
風邪を引いた模様。喉痛、鼻水、倦怠感。

午後3時半、仁枝さんと一緒に電動オートバイ。自転車で
バオミンの弟ビー君(バオ・クオック)結婚披露宴会場
「ビーザーレストラン」へ。

●新郎(バオ・クオック)・新婦(クイン・テイー)と
  結婚披露宴開始前に


●バオミン・JASSベトナム運営委員長兄弟


招待状には午後4時とあった。私、大塚さん、仁枝さん、
ハンさんは、定刻午後4時前に披露宴会場に到着。
しかし、披露宴会場には人影なし。
結局、披露宴が始まったのは、1時間遅れの午後5時過ぎ。
アジア的な大雑把さ。


●披露宴会場の看板「成婚式」

●ミンさんの娘アルファーちゃんと従兄弟の先導で
 新郎・新婦・両親入場

●両家・両親と新郎新婦壇上へ

●両家を代表して新郎クオック君のお父さん(ミンさんの父親)
が挨拶。

●ケーキカットの代わりに「ワイン注入式」。

セレモニーはいとも簡単に終了。
引き続いて歌手が出て杵2曲ほど歌う。
その後は、参列者の「カラオケ」大会が延々と続く。
カラオケ大会中、両親と新郎新婦は、出席者の
テーブルを回り、挨拶。


午後6時15分、宴たけなわだが中座。

日本料理店へ。上尾の星野さん・加藤さん一行6人が
日本料理店へ到着。税田さんも交えて交流。
今回は大学生の若者2人も参加。ボランティアを体験する。
午後9時まで交流は続く。2000年初頭
からスタディーツアーを行っている。

投稿者 koyama : 16:46 | コメント (0)

2007年03月25日

JASS東京の会発足 地球の歩き方Ⅵ班帰国、文化学習ツアー・藤井先生ツアー来訪

真夏の太陽

気温32度。暑い。

午前7時NHK「日曜討論」。イラク戦争、6者協議、核・拉致問題。
自民・公明・共産・社民は6者協議の大枠合意を基本的に評価。
民主、国民新党は、北朝鮮への経済制裁解除の
方向へ一歩進んだアメリカの頭越し「対北朝鮮軟化路線」へ
追随している安部政権へ疑問を提示。
イラクへの攻撃を支持した小泉政権と安部政権。
町村外相の「フセインが悪い奴だからやっつけても良いのだ」
との理論は流石に説得力を欠く。公明党もイラク問題では
アメリカのイラク侵略を正当化している。
7時45分頃、突然「能登地方」の地震に番組が変わる。
死者とけが人が出た模様。被災者の皆さんにお見舞い。
石塚先生の実家は福井県。何もなければ良いのだが。

昨夜の地球の歩き方スタディーツアー夕食会の残り
を朝食に。ご飯をレンジで温める。アジフライ、オニオンリング、
キャベツ。

3月28日一時帰国のための荷物整理。洗濯。

午後12時半、ラームさんと一緒にフエ空港へ。
教員・大学生・高校生など7人のスタディーツアーの出迎え。
午後1時過ぎ、無事ハノイから到着。

フエ市内のホテルへ。ホテルで45分ほど休息。

午後2時半、ホテルから「子どもの家」へ。
「子どもの家」で子どもたちの歌と踊りの歓迎会。

●今日は日曜日だがセン委員長出勤。挨拶

●子どもたちの歓迎の踊り「アリババ」

●藤井先生関係スタディーツアー側の歌
  さすが音楽の先生関係の皆さん。素晴らしいハーモニー。

●藤井先生関係スタディーツアーの皆さんから絵の具などの
 支援物資贈呈



その後、この14年間のフエでの活動を話す。

講演会終了後、「子どもの家」の各施設を案内


午後5時過ぎ、「子どもの家」を後にホテルへ戻る。

2月22日から連続32日間の仕事となった。

地球の歩き方Ⅵ班は午後3時にホテルを出てホーチミン市
へ行く予定だったが、出発が1時間以上遅れる。
皆さんの無事帰国を祈る。

文化共同スタディーツアー(フリースペース)の皆さんは
当初の到着時刻午後7時15分を1時間以上遅れて、
午後8時15分過ぎにフエ空港へ到着。
ベトナム航空のミスでホーチミン空港にスーツケースを
一つ置き忘れ。明日、ベトナム航空がホテルへ持ってくるとの
こと。先日の地球の歩き方ツアーでは、ベトナム航空の
ミスで5つのスーツケースをホーチミン空港へ置き忘れた。
最近、ベトナム航空の仕事のいい加減さが目に付く。
飛行機の離発着の時刻がほとんど出鱈目。
管理・運営に関して大きな問題がある。利益だけを優先
しているベトナム航空の姿勢には、飛行機事故に
つながる影を感じる。スタッフ一人一人が仕事に責任を
もつという姿勢に徹底して欠けている。
午後10時近く、遅い夕食、フォーを食べてバオミン・ホテルへ。

大相撲。大関白鵬が優勝。横綱朝青龍は千代大海を引いて倒す。
優勝決定戦。白鵬は朝青龍を引いて勝つ。
全く面白くない大相撲ではある。大関・横綱の決戦。
真っ向正面から対決すべきである。白鵬、朝青龍は
「勝つためには、何でもする」とういう姿勢。勝てばよいのでは
ない。横綱、大関は真っ向正面のぶつかりで勝つとの
気概が必要。卑怯な横綱・大関であった。相撲は勝つ以前に
横綱・大関は逃げるかのような卑怯な戦法を取ってはいけない
ように思う。二人ともモンゴルから来て封建的な相撲の社会で
苦労したことであろうが、負けても良いから引いたり、逃げたり
する相撲はしないで欲しい。栃東が脳梗塞。元気回復を祈る。

2007年2月4日、第13回JASS総会で決まった「東京の会
など各地や大学にJASSの会を作ろう」という方針に
基づき、3月18日、JASS東京の会が設立された。
これで各地の会は、北から「JASSはこだて」、「札幌の会」、
「火炎樹の会(茨城)」、「JASS東京の会」、「静岡の会」
「京滋YOUの会(京都・滋賀)」と6つの会が設立。
今後、各大学に「JASS00大学の会」設立運動を
進めることになっている。

2007年3月18日
JASS日本 東京の会 発足について

1.名称
JASS東京の会(発足日2007年3月18日)

2.目的
①ベトナム・フエ市にある「子どもの家」などへの支援活動を行う。
②JASSベトナムの活動をサポートする。
③日本各地にある「JASS各地の会」と連携、交流し、より良い活動を進める。
  
3.会員の種類
一般会員:社会人
学生会員:大学院生を含む。社会人学生は良識の範囲内で申告。

4.会費
①一般会員3000円、学生会員1500円
②会員は会費を4月末日までに納入
③会計年度は4月1日~3月末日
④納入方法については検討中。郵便局又は銀行の振込口座を開設する。 
  
5.2007年度活動計画
日本事務所で行っていた活動(浦安フリーマーケット、グローバルフェスタ)を存続すると共に、
新たな会員の獲得に向けた活動を推進する。
  ★学生をターゲットにした活動
①「地球の歩き方ツアー」参加者向けの事前説明会の開催。
    「地球の歩き方ツアー」体験者による現地での体験談やアドバイスを行い、ツアーへ
    の不安を払拭し、期待に変える。併せて、小山代表や日本語教師体験者に現地の
    最新情報や海外支援などについて語ってもらい、ボランティアを身近に感じてもらう。
②ツアー後、グローバルフェスタへの参加を呼びかける。
   
  ★パネル制作
①以前のパネルが老朽化したため、現地の最新情報が分かる新パネルを作成。
②「地球の歩き方ツアー」参加者に協力を呼びかけ、現地の写真などをお願いする。グロ
  ーバルフェスタまでの完成を目指す。
    
  ★オリジナル商品の開発
   ①物販用の刺繍商品の開発。多くの人に購入してもらえるよう「ワンコイン(500円)
     商品」「日本人好みの商品」を企画し、現地の刺繍土産物店に発注する。
   ②JASS東京の会スタッフTシャツの作成。JASSマークをプリントし、グローバルフェ
     スタなどで着用。

  ★小山代表講演会
   ①小山代表講演会の企画。

  ★ブログの開設
   ①多くの人に活動の様子を知らせると共に、広く参加を呼びかける。まめに更新。
  ★その他
   ●各地の会としての業務
    ・バンベの発送作業。火焔樹の会にも協力を呼びかける。
   ●JASSベトナムのサポート業務
    バンベ編集のサポート(印刷業者とのやり取りなど):西山優子
  
 ≪年間スケジュール≫
  2007年4月
5月19日(土) 新浦安フリーマーケット
6月(日時未定) バンベ発送作業(各地の会の業務として)
  24日(日) 地球の歩き方ツアー参加者向け説明会&講演会(小山or日本語
        教師体験者)
7月 8日(日)                     〃           
8月
9月
10月(日時未定) JAPANグローバルフェスタ(日比谷)
11月(日時未定) 浦安市民活動センターフェス(ヨーカドー新浦安店予定)
12月(日時未定) バンベ発送作業(各地の会の業務として)

2008年 1月
2月(日時未定) JASS現地報告会(JASS日本のフォロー)
3月(日時未定) 収支報告      

6.人事
①役員
代表:西山優子
副代表:
会計:寒河江幸子
副代表:松下安希子
  
②業務担当
・浦安地区:山西司郎
・地球の歩き方ツアー説明会:
・グローバルフェスタ:
・パネル制作:
・オリジナル商品開発:
・小山代表講演会:
・資料(バンベ等)保管/発送:
・展示品(パネル、絵等)保管/発送:
・ブログ:

7.会則
  特に作成はしないが、内容は上記の通り。年度末に収支報告を行う。

8.予算
①支出 \300,000
内訳・・・イベント費用:\250,000、会場費:\25,000、通信費:\10,000、
      印刷費・消耗品:\5,000    
②収入 \500,000 
内訳・・・イベント売上:\490,000、カンパ&講演会参加費:\10,000

投稿者 koyama : 08:25 | コメント (0)

2007年03月24日

地球の歩き方Ⅵ班6日目ナムドン山岳地帯へ

午前中晴天、午後曇り。

気温32度。湿度90%

午前7時朝食。ブンボー。美味しい。

午前8時過ぎ、ベトナム事務所。
午前8時半、ベトナム事務所員会議。

(ソン)西山優子さんツアー・地球の歩き方案内
(石岡)日本語学校観光基礎コーステスト


(石塚)日本語学校中級・観光クラス授業
(ハン)地球の歩き方案内。花田さんたちをランコーに案内。
    里親への手紙翻訳15通。刺繍のホンさんの母親(85歳)・
    サオさんの母親(75歳)葬儀参列。
(フーン)観光クラス(22人)授業
     西山優子さんツアーの王宮ガイドを行った。
    久しぶりのガイドだった。
(サン)中級・上級クラス授業
(ミン)地球の歩き方キャンプ。花田さん・・・・。
(小山)「子どもの家」のL君、A君の問題について詳細報告。

その後、バオミン・運営委員長より来週のスタディーツアーに
ついて再度確認。5つのグループが同時に来る。
更に「縫製研修センター」落成式典などをも入り、春の
スタディーツアーの最後の山場である。皆さん協力して
仕事に当たって欲しいとの檄あり。

18通のメール受信。10通のメール送信。

昼寝。
読書「般若心経」(瀬戸内寂聴著:中公文庫)1988年版

午後3時。「縫製研修センター」落成式関連の諸準備。
副知事訪日の列車切符の予約。
その他、日本の関係者との連絡。
バオミンさんと①「子どもの家」の子どもの問題
②来週からのスタディーツアー問題 ③「縫製研修センター」
落成式 などについて打ち合わせ

午後6時半、地球の歩き方Ⅵ班とベトナム事務所員との
お別れ交流会。

●小山、お礼の挨拶

●地球の歩き方参加者から感謝の花束贈呈


●バオミン・JASSベトナム運営委員長の乾杯の音頭



午後9時過ぎ、交流会は終了。
日本料理店で研修している子どもたち。



投稿者 koyama : 17:24 | コメント (0)

2007年03月23日

地球の歩き方Ⅵ4日目、ブレラ社長帰国

晴天

急激に気温が上がる。
気温28度、湿度85%。

午前7時、朝食。フォー。

午前8時、ズイタンホテルへ。地球の歩き方Ⅵ班の
皆さんと合流。
今日はグエンフエ高校との交流。
3月26日は「ホーチミン青年同盟」創立76周年記念日。
また、32年前の3月26日、フエが北ベトナム軍に
よって「解放」された記念日でもある。
グエンフエ高校はこの2つの記念日を記念して
フエの近くの山でキャンプを行い1泊する学校行事を
行う。
地球の歩き方Ⅵ班はそのキャンプに招待され交流することと
なった。

午前8時過ぎ、バオミンさん、ソン君、私が同行し
森山添乗員、27人のスタディーツアー参加者で
バスで山に入る。

山でキャンプをする最大の理由は、32年前まで戦われた
『ベトナム戦争』で共産党・ホーチミン青年同盟員が山岳地帯に
こもり、アメリカ軍、南ベトナム軍と戦った過去の歴史を
追加体験させるためのものである。

各クラスごとにテントを作り、飾りなどを工夫し、一晩をともに
過ごす中で「革命の思想」とクラス・学校全体の団結を
固めることを目的としている。

午前9時山に到着。

テント張りや草刈などを行い、クラスごとにテントの整備を行う。
地球の歩き方の皆さんも作業を手伝う。


午前9時半、グエンフエ高校キャンプ大会開会式

校長先生、副校長先生(3人)などと一緒に並び、
紹介される。

2000名の生徒と100名の先生方が整列。国家斉唱。
ホーチミン青年同盟の歌斉唱。


「子どもの家」からグエンフエ高校には2人の子どもたちが
通学している。
グエンフエ高校はトゥアティエンフエ省(100万人)の
県立高校ではトップ校。

高校2年のトゥーイさん。


高校1年のターオさん

その後、グエンフエ高校生と交流

●テントの中で交流


●ゲームやバンブーダンスをして交流

●日越の若者交流・記念撮影

午前11時半、山を後にして昼食。
市内の「ブンボーフエ」の専門店へ。



午後1時。自宅へ戻る。
昼寝。
読書「フリーズする脳」読了
脳のネットワーク作り。一つのことに執着せずに
多面的な生活行動が「ぼけ」を防止する。
漢字や計算だけするような「訓練」は、偏ったやり方と
批判的。多少の悩み事、苦しみこそ、脳のフリーズを
防いだり、ぼけ防止に繋がるとのこと。

午後3時、バオミンさんのオートバイで「子どもの家」へ。
セン委員長から子どもたちの問題で相談があるとのこと。
「子どもの家」の子どもたちの問題について、話し合う。

L君(小学校2年生)の祖母が、L君を学校の帰りに
連れ帰ってしまったとのこと。
L君の祖母を呼んで事情を聞く。



(祖母の言い分)
テト正月に自宅へ帰ってきた。L君の手に湿疹があった。
「子どもの家」は衛生状態が悪く、食事をしっかり与えていない。
こんな所に孫を入れて置けないので連れて帰った。

(いくつかの証言)

・寮母さんの証言。
先日、祖母がぼろぼろの衣服をまとい、
L君の手を引いて町で物乞いをしていた。

・近所の人の証言
 L君と祖母は物乞いをしている。

・L君の叔母(刺繍土産物で仕事中。「子どもの家」にいた)
 祖母はL君を育てる力がない。何とか「子どもの家」に
入れておいて欲しい。

(セン委員長と私が言った事)
・「子どもの家」は衛生状態も普通。食事も学校へもきちんと
 行かせている。
・L君は「子どもの家」で生活し、学校へ行って成長するのが
 一番良い。

3年ほど前、刺繍みやげ物店で仕事をしているHさんに
頼まれ、L君と祖母の家へ行く。5畳ほどの狭い下宿。
ほこりだらけの部屋に二人は住んでいた。
祖母は、路上の物売りをしていたが、収入が少なく
自分で食べるだけで精一杯。祖母から「L君の生活の
面倒が見られない。学校へ通わせられない」と言われ
入所させた経緯がある。

祖母には、もう一度よく考えるように。L君を直ぐに
「子どもの家」に戻すよう説得。
祖母は考えると言って帰っていった。

その後、センさんなどと懇談。L君の処遇について
①「子どもの家」で生活することが最良の道
②祖母が「子どもの家」は汚いなどと言っているのは
 言いがかりをつける口実。本心は、言いがかりをつけて
 何がしかのお金をもらうこと。
③L君を学校帰りに連れて帰ってしまい、L君を利用して
 物乞いをしていることは事実。祖母は、自分で働くことが
 嫌になり、小2のL君を使って物乞いをしたいために
 連れ去った。
④今後、更に祖母を説得してL君を「子どもの家」へ
 返すようにする。出来るだけ短時間でL君を
 「子どもの家」へ返す。長期化するとL君の勉強や
 生活に大きな影響を与える。
⑤3月26日、再度L君も同伴して祖母と話し合うことにする。
  ほかに何か事情があるかもしれない。今日の祖母の
  話だけでは要領を得ない。

祖母の例のようにこの5年~6年で一気に
『景気』の良くなったフエでは、こうした「お金」にまつわる
様々な話を聞く。

グエンフエ高校のキャンプ。校長先生、教頭先生と
キャンプ中にお茶を飲みながら話し合った。
「10年前の生徒と今の生徒では変わった所は
ありますか?」と私が聞く。
校長先生は「今の子どもたちの多くはお金持ち。贅沢すぎる。
キャンプにもデジカメからアイポッドまで持ってきている。
我慢が出来なくなり、努力をしなくなった。グエンフエ高校
では、貧しい家庭の子どもたちが頑張って勉強し成績も
良い」。
「キャンプを行うにあたって父母会を開き、キャンプ実施への
了解を取った。その際、ほとんどのクラスで、数人の父母が
私はお金があるのでクラス全員のキャンプ参加費用(1000円)
を寄付したい、との申し出があった。1クラス45000円程の
お金を寄付する父母が結構多くいた」とのこと。
45000円は農村の年収である。
グエンフエ高校は県立高校のトップ校。入学した生徒の
多くはフエの上流階級の師弟。小学校から塾に通い、
中学校では家庭教師や数種類の塾に通って入学してきた
生徒が多い。家庭教師や数種類の塾の費用だけでも
一人の労働者の月給をはるかに越えている。こうしたお金を
苦労なく支出できる階層が出てきたいる。
フエは今、土地と家のバブル状況。土地を買ってしばらくおくと
2倍から3倍に値上がりしている。観光客が増大し、ホテル建築
ラッシュ。建築会社やそれに関連する県営・市営企業は
大もうけをしている。こうした関係者や共産党、行政の幹部は
莫大な「裏金」を得ているのは事実である。こうした階層の
師弟は、小学校・中学校・高校などでもぜいたく品を沢山持っている。
「子どもの家」の子どもたちもクラスでこれらの師弟の生活を
見て、あこがれる傾向がある。物とお金に・・・・・。フエの社会
全体が今「バブル」「金権主義」の渦中にあるように思える。

フエで一番有名なアオザイ屋「チー」。
昨日、バオミンさんのオートバイでその店の前を通ったら
「チー」がなくなっていた。代わりに金細工屋さんになっていた。
「チー」の社長はフエ有数のお金持ちである。
事情を聞いた。「チー」の社長が大金をもっているのに任せて
ホーチミン市に沢山の土地と家屋を「投機目的」で購入。
更に大量の物件を購入するため銀行から借金。
しかし、借金が返済できなくなり、昨年倒産したとのこと。

祖母とA君も大きな意味では「フエ・バブル」の影響、その被害者
ともいえるかも知れない。

L君とA君の今後についてはもう少し時間をかけて判断をする
必要がある。

「子どもの家」では地球の歩き方Ⅵ班が子どもたちと
スイカ割りを楽しんでいたい。

午後5時。縫製研修で宇都宮縫製工業組合に行った研修生が
3年の研修期間を終わり帰国。「子どもの家」にいた私に
帰国の挨拶に来た。3年ちょっと前に日本語学校で日本語を
教えた生徒である。「縫製研修センター」で何人かを採用する
予定。

午後7時。関係者と懇談。

午後8時半、日本料理店で日本人関係者と今後のJASSベトナムの
運営について検討会。午後11時半まで続く。

「アクセサリー研修センター」指導のブレラH社長さん、T社員の
お二人が帰国。4日間のフエ滞在に深謝。

投稿者 koyama : 16:11 | コメント (0)

2007年03月22日

地球の歩き方Ⅵ班3日目、西山優子ツアーカンボジアへ、ブレラ関係者3日目

終日曇り、時々小雨。

寒い。気温24度、湿度90%(トンチンカンホテル廊下)

インターネットの調子が悪く、数十通のメールが全て
返送されてしまった。昨日から今朝にかけてベトナム事務所へ
送信し、返送されてしまった方にお詫び。
午前中、直し復旧。

午前7時朝食。ブンボー。

午前7時半、西山優子関係者ツアーの皆さんがバオミンホテルを
出発。カンボジアへ。

バオミンさんの長女αちゃん。お母さんのオートバイで
幼稚園へ。

午前8時半。「アクセサリー研修センター」支援のブレラ社長
一行と社員の方の下宿探し。4軒ほど調査したがどれも安くて
立派なもの。建築会社の社長が贅をつくして作った外国人向け
の建物。下手な日本の家屋や部屋よりも立派。1ヶ月400ドル。
トンチンカンホテルの我が部屋の4倍以上の広さで大きな台所、
ガス台、テレビ、ビデオ、パソコン、ベッドなど全てが付いている。
しゃれた飾りの寝室と応接間、居間の3室。
それ以外の建物も素晴らしい作り。

昼食はブンボーフエ。

午後12時半、帰宅。昼寝30分。
読書「フリーズする脳」

午後2時半、ベトナム事務所へ。寒気を感じる。鼻水がでる。
脱力感。典型的な風邪の症状。本当に体が柔になってしまった。

ベトナム事務所で「アクセサリー研修センター」支援会社
ブレラの社長さん、社員のTさん、バオミンさん、私で
今後の「アクセサリー研修センター」の進め方、材料の
送り方、製品の送り方、研修生の選抜方法等細かい打ち合わせを
2時間半ほど行う。その間も鼻水が出る。困ったものだ。


午後5時半、自室へ。直ぐに横になる。最近は10分でも
時間があれば横になりたくなる。「子どもの家」でも
自室でも。

ハノイの日本大使館から数通のメール受信。返事を送信。
3月27日の「縫製研修センター」落成記念式典関連。

地球の歩き方Ⅵ班はシクロで「子どもの家」へ。
その後、市場で買い物。昼食作り。

午後6時半。「アクセサリー研修センター」支援ブレラの社長、社員の
Tさんの3人で日本料理店で打ち合わせ、食事。

日本料理店、18人の来客あり。

午後9時半、自室に戻る。

投稿者 koyama : 19:33 | コメント (0)

2007年03月21日

地球の歩き方Ⅵ班2日目、西山優子ツアー2日目、ブレラツアー2日目

雨、のち曇り。

非常に寒い。例年だと真夏なのだが。

今年は異常気象。雨季に雨が降らなかった。
水力発電に頼っているベトナムでは電力不足に陥っている。
フエの電力当局の通達で「地域輪番」で停電を実施とのことだったが
ベトナム事務所やバオミンホテル地域だけが狙い打ち気味に連日の
停電。既に3日間も停電。丸1日、半日・・・・・。
近いうちに日本料理店・トンチンカンホテルも停電に見舞われるのは
必死。

午前8時。ソン君と一緒に西山優子ツアーの皆さんを案内して
ドンバ市場へ。ツアーの皆さんが「子どもの家」の子どもたちに
果物のお土産を買ってくれるとのこと。
旬の果物である「マンゴー」「りんご」などを70人分買う。

午前9時半「子どもの家」着。セン委員長と挨拶後、私が
施設を案内する。

午前10時、地球の歩き方Ⅵ(27人+添乗員1人)の皆さん
対象の講演会。西山優子ツアーの皆さん(7人)も同席。
私の生い立ち、海外支援・ボランティアの原点は何だったのか?
この14年間の活動の経過、活動の中で得たものなどを話す。

午前11時半、西山優子ツアーの皆さん、子どもたちと
一緒に昼食。食後、お土産のマンゴー、りんごを子どもたちと頂く。

午後1時、トンチンカンホテルへ戻り30分ほど昼寝。
読書「フリーズする脳」。頷く(うなずく)点多し。

午後2時半。「アクセサリー研修センター」支援者ブレラの社長
と社員のTさんと一緒に「子どもの家」へ。
「アクセサリー研修センター」研修候補者を集めて、研修内容
の実地説明。「子どもの家」からは4人の候補者のうち3人
(ホータロン君、ロン君、ハーイ君)が参加。タン君は欠席。
地域の貧しい家庭の子ども3人も参加。
「子どもの家」の子どもたちも興味があったようで飛び入りで
参加。


0、4ミリ銅線を3ミリの飾りだまの穴に通し、ペンチ、釘切りなどを使い
2ミリ程度の丸い輪を作る。これがなかなか難しいようだ。

研修生候補者、一人一人が試しに挑戦する。

飛び入りの「子どもの家」の子どもたちも興味本位で挑戦。

午後4時、研修生への説明会と事実上の第1時面接を終了。
その足で「アクセサリー研修センター」へ。建築業者を呼んで
研修室の改修を頼む。材料などを収納する棚、机、蛍光灯など
を特注する。


午後5時、「アクセサリー研修センター」の準備作業を終わる。

トンチンカンホテルに戻り、副知事訪日関係のホテル予約、
案内などの問題をJASS日本代表委員会委員長の
福田もえ子さん、代表委員の原かおりさんとメールで
打ち合わせ。
ベトナム事務所のメールの調子が悪く、送信は出来るのだが、
受信が全く出来ない。数十にも上る受信を自動的に返送
してしまっている。

午後6時半。西山優子ツアーの皆さん、税田さんと一緒に
日本料理店で夕食。


マブベえがおの会ツアーの大極安子さんが、ベトナムでの
タッチセラフィー研修でお世話になった方々にプレゼント
した「日本料理店金券」を使って日本料理を食べに来る。
「子どもの家」のセン委員長、ロック寮長、タム医師、
ハン会計。ニー、グエットという「子どもの家」の子どもたちの
接客の様子などを観察しながら、日本料理を堪能する。

西山優子ツアーは、午後9時半終了。バオミンホテルへ。

その後、西山優子元日本語教師を囲んで、日本人スタッフ
とバオミンさんとで11時半まで交流、近況報告などを
行う。

投稿者 koyama : 09:52 | コメント (0)

全国大学生協ツアーⅢ帰国、地球の歩き方Ⅵ・明石書店・ブレラH氏フエ訪問

終日雨。非常に寒い。

長袖、セーター、ジャンバーを着る。

午前8時半、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所では、ホーチミン市の支援者只木さんから
寄贈されたパソコンを使って日本語学校主任のフーン先生
が仕事をしていた。もう一台のパソコンは「子どもの家」で使用。

山西さんからボランティア貯金申請書に必要な写真を送って
欲しいとの依頼が来た。急いでバオミンさんと打ち合わせ。

昼、コムディア(70円)。

昼寝。
読書「フリーズする脳」。

午後3時、国際ソロプチミスト帯広へ送るFAXを4枚作成。
午後4時、ボランティア貯金申請書用の写真、地図などを
デジカメで撮り、山西さんに送信。

午後6時半。バオミンさん、クアンさん(「アクセサリー研修センター」)
と一緒にフエ空港へ。

今夜は、地球の歩き方、明石書店、Hさんと3つのグループが
同じ飛行機でホーチミン市から来訪。

午後7時405分。飛行機到着。

フエ空港には、日本語学校観光ガイドコースの卒業生が
APEXに入社し、日本人のお客さんを空港で待っていたい。
静岡会館日本語学校もこうしてフエの若者を着実の
成長させ、フエに貢献していることを実感した。
観光会社APEXはこうして簡単に日本語が出来る学生を
確保することができるのである。日本語学校の先生が
本当に苦労し、安月給で育てた学生である。

「アクセサリー研修センター」指導のブレラのH社長とTさん。


明石書店の皆さん。
元「子どもの家」日本語クラスの先生だった西山優子さん
(JASS東京の会代表)が案内。

地球の歩き方(27人)。ベトナム航空のミスで5つの
スーツケースをホーチミン空港へ置き忘れてきたようだ。
なかなか、空港の外に出てこない。H社長の案内が
あるので、地球の歩き方が気になったが、そのまま
日本料理店へ。

日本料理店では、ハノイ放送局がインタビュー。

H社長とTさん、クアンさんと日本料理を堪能。

午後9時半、日本料理店を終了し、バオミンホテルへ。

アメリカのイラク侵略4周年。アメリカは二進も三進も
行かなくなっている。北朝鮮の拉致問題・6者協議も
その背景にはアメリカのイラク侵略の行き詰まりがある。
日本の頭越しにアメリカが北朝鮮と「手を結ぶ」必要が
出てきたのは、イラク問題の行き詰まりから。
自分で開いた「パンドラの箱」の収拾がつかなくなって
しまった。
安部首相は北朝鮮強硬論で人気を上げてきたが、
アメリカの対北朝鮮金融制裁解除政策に唯々諾々と
追随するしかない無能さを露呈。

投稿者 koyama : 00:04 | コメント (0)

2007年03月19日

大学生協Ⅲ4日目

曇り雨

寒い。気温23度。数日前に比べると10度も下がる。
もっとも東京は5度とか?

急激な気温変化に「子どもの家」や日本料理店のスタッフ
で体調を崩す子どもたちが出ている。

午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。
バオミンさん・税田さんと3月20日からのスタディーツアー
の最終調整を行う。
地球の歩き方Ⅵ班(28人)、西山優子さんツアー(7人)、
アクセサリーブレラ社長の3つのツアーの担当者分担。

途中で日本大使館より連絡。「縫製研修センター」落成記念式典
を3月27日にして欲しいとのこと。参事官と秘書の方が出席される
との連絡あり。

3月25日からの4つのスタディーツアーの総合調整を更に
行う。
地球の歩き方Ⅶ、上尾GSTスタディーツアー、フリースペース、
藤井和夫先生一行スタディーツアーと4つのスタディーツアーが
同時並行的にフエを訪問すする。
更に大使館からの希望で3月27日午後3時から「縫製研修センター」
落成記念式典が入る。

全てのスタディーツアーに参加者に満足して頂ける様に
様々な観点からスタディーツアー担当者を決める。

3月25日から4月1日までが春のスタディーツアーの山場となる。
1ヶ月に300人近いスタディーツアーを受け入れた。
スタディーツアーのコーディネート料が「子どもの家」の運営費、
スタッフの給料、ベトナム事務所の運営費などになる。
又。300人の若者(主に大学生)にボランティア、社会貢献、
アジアと世界の貧困問題などを通して、自分たちの足元で
ある日本の社会を見よう、日本社会を変えようと訴えた
つもりである。日本の若者に人生と生きる喜びをベトナム社会
や「子どもの家」、JASS活動を通して知ってもらいたい。
その他、いくつかの問題について突っ込んだ話し合いをした。

午後1時、昼寝。寒気と倦怠感。

午後3時、フエ市人民委員会外務部へ。
ニエン外務部長と懇談。

3月27日午後3時からの「縫製研修センター」落成記念式典
の招待者、式次第等の打ち合わせを行う。

(招待者)
①ベトナム側
  ・マン フエ省共産党委員長
  ・メー 元フエ省知事
  ・リー 現フエ省知事
  ・ホア 現フエ省副知事
  ・チェン 現フエ省労働局長
  ・ユン 現フエ市共産党委員長
  ・カオ 現フエ市長
  ・タン 現フエ市副市長
  ・    フエ市児童労働部長
  ・    フエ市財政部
  ・セン 「子どもの家」運営委員長
  ・ロック 「子どもの家」寮長
  ・    フエ市内にあるいくつかの「子どもの家」責任者
  ・    「子どもの家」、「縫製研修センター」のある
       地元タイロック地区人民委員会委員長
  ・    フエ市人民委員会事務局長

②日本側
  ・JASSベトナム関係者
  ・上尾GST一行(6人)
  ・フリースペース一行(11人)
  ・藤井和夫先生一行(9名)

(式次第)
●司会  フエ市人民委員会外部員2名
●通訳  日本人(バオミン)、ベトナム人(イックホアン)

①参加者紹介(ニエンフエ市人民委員会外務部長)
②フエ市人民委員会代表挨拶
③日本大使館参事官挨拶
④小山道夫 「フエ市越日交流委員会」副委員長挨拶
⑤テープカット

その他、細かいことについて最終打ち合わせ

フエ市人民委員会外務の帰り、バオミンさんと一緒に
日本料理店が停電になった時の緊急用のランプを
買いに行く。ガスボンベを使ったランプが明るく便利とのこと。
フエの秋葉原と言われる地域に行き10軒ほどの店を訪ねたが
全て売り切れ。
ベンゲー地区まで行き聞いたが、そこも全て売り切れとのこと。
数日前にテレビで「ベトナム中部・南部は電力不足のため
地域を順番にして停電を実施する」との発表があった。
それを聞いた市民や商店、レストランなどが買いに走ったものと
みられる。
日本料理店には30万円を出して「自家発電機」を7年ほど前に
買ったのだが、停電の時も使わない状態が続いている。

午後4時過ぎ、トンチンカンホテルに戻る。外は本当に寒い。
35通メール受信。10通返信。


午後5時半、日本料理店で子どもたち、日本人スタッフと
一緒に夕食を摂る。

2月15日、フエに戻ってから今日まで1ヶ月ちょっと。
そのうち、日本料理店で子どもたち・日本人スタッフと
一緒に夕食を摂ったのは、今日で2回目である。
それ以外の日は、来訪者の接待のため日本料理店で食事を
している。

大塚さんが「アスピック・サラダ」(寒天寄せ)を作ってくれる。
美味。寒天に薄塩味とハムが入っている。

かた焼きそば。


午後7時、日本料理店に来客。ハノイの放送局スタッフ。
インターネット(ベトナム語版)で日本料理店のことを読んだ。
取材したいとのこと。旦那はベトナム政府派遣スタッフとして
釧路の炭鉱で4年間、通訳をしている。
ドイツ語放送で「子どもの家」日本料理店の設立目的、子どもたち
のことなどを紹介したいとのこと。初めに私が何故ベトナムに
来たのかなどの質問。子どもたちは何故日本料理店で
仕事をするのか、今後、日本料理店をベトナム全土に広げる
つもりは?・・・・・。

明日か明後日、子どもたちや私の声を録音したいと言っていた。
日本料理店を知ったのは、ベトナム語のHPに日本料理店が
載っていたからだという。見せてもらう。確かに日本料理店の
写真(大塚店長と子どもたち)が写っている。ベトナム語で長い
解説がある。だれがどこで書いてくれたのかは知れないが、
内容を聞くと、素晴らしい日本人の取り組みだ、子どもたちの
自立のために日本料理店を作ったことは立派なことと
言う趣旨のことが書いてあると言う。

その後、オランダ人家族3人、来店。
御寿司を注文。

厨房のターオ君、トゥオイさんが上手にお寿司を握る。

午後9時20分、日本料理店閉店。

大学生協スタディーツアーⅢは、終日、農村ホームステー。

明日は、3組のツアー来訪あり。

投稿者 koyama : 18:27 | コメント (0)

2007年03月18日

地球の歩き方Ⅴ班帰国へ、大学生協Ⅲ3日目、アイセック立教大

朝のうち雨 午後薄日

午前7時、NHK日曜討論。
昨日から気温が急激に低下。喉が痛く、体がだるい。

午前9時、電動バイクで「子どもの家」へ。
アイセック立教大学の学生さんが来訪。
税田さんが施設案内。
「アイセック」とは学生に世界での様々な体験をさせ
グローバルな人間育成をめざす世界組織。
アイセックジャパンはその地域組織。

午前10時から1時間ちょっと、アイセック立教大の
皆さんに講演会を行う。

午前11時過ぎ、講演会と質疑応答を終了し、「子どもの家」の
子どもたちと昼食。

午後1時。トンチンカンホテルへ戻る。
昨日、洗濯機で洗濯中、洗濯機が故障。脱水できない
ままの衣類を部屋に干しておいたが、湿度が高いため
あまり乾かない。多少太陽が出てきたのでベランダに干す。
ベランダ下には大型バスが停車。アイドリングを繰り返し
真っ黒な排気ガスを放出。ススまみれになる衣類を
想像する。

急激な気温の変化(32度→23度)に体が付いてゆかない。
だるい。しばらく横になる。
一時外出。買い物。

全国大学生協スタディーツアーⅢ班はサンさん、ソン君の案内で
ナムドン山岳地帯へ。
午後6時半、日本料理店で夕食会。サンさん、ソン君と10人の
参加者で交流しながら日本料理を堪能する。

玉ねぎなどの天麩羅、魚の煮物、マカロニサラダ、ご飯、味噌汁。


今日は日曜日にもかかわらず、大塚店長以下、子どもたち
も出勤。

日本語教師の石岡先生も手伝い。

福島大学から来ているボランティア体験希望のOさんも
厨房に入り、手伝いをしていた。

午後9時過ぎ、交流夕食会は終了。

日本料理店前で記念写真


投稿者 koyama : 16:11 | コメント (0)

2007年03月17日

マブベえがおの会6日目、地球の歩き方Ⅴ5日目、大学生協Ⅲ2日目

晴天

気温32度 湿度75%

午前8時、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所は停電。結局、この地区は朝5時から夜になっても
停電が続いた。
今年は異常気象で雨が降らず、水力発電に頼るベトナムでは
電力不足となった。先日からフエでも地区別に停電を実行する
ことになった。今日はベトナム事務所のある地区であるが
明日は別の地区と、1週間に1回程度停電が実施される。
日本料理店も停電となる可能性が強い。来客中に停電になった
際の対策が必要。

ベトナム事務所1階の刺繍みやげ物店も真っ暗。
刺繍の仕事が出来ず、玄関のドアを開けて光を入れて仕事を
していた。
CO2などの環境破壊がこうした形で発現して来ている。


午前8時15分、日本料理店ターオ君と話し合う。
数日前、友人のオートバイを運転し、信号無視で捕まった
とのこと。詳細を聞く。

友人のオートバイに乗っていた。後ろにはその友人も同乗。
赤信号を無視して交差点を突っ走り、警察官に捕まる。
信号無視と無免許運転。警察にオートバイを没収された。
罰金37万ドン(2700円)を請求されているとのこと。
事実関係を聞き取る。信号無視、無免許運転は事実であることが
判明。罰金が払えないという。しばらく話し合う。

午前8時過ぎ、ベトナム事務所にマブベえがおの会の
皆さんがやってくる。
シクロで王宮に行くグループ、自転車で町を散策するグループに
分かれ、観光を楽しむ。


午前8時半、ベトナム事務所員会議。
ハンさんが休み、サンさん、ソン君は大学生協ツアーの付き添い。

(石岡)日本語学校 上級クラス、観光基礎コース
     日本料理店を週2回手伝う
     一時、帰国の準備。
(石塚)日本語学校 中級テスト、観光基礎コース
     中級クラスで福島大学生Oさんの日本語研修
(フーン)観光基礎コース週4日間
(税田)地球の歩き方5班、事務所で仕事、刺繍の注文
(ミン)マブベえがおの会、来週からたくさんのツアーが来る。
   その分担をしたので見て欲しい。
   ・3月20日から地球の歩き方Ⅵ、西山優子さん関連ツアー、
    アクセサリー工場設立関連・・・・・


マブベえがおの会の皆さんとベトナム事務所員とで
「チャオバンカン」(米とキャッサバのうどん)を食べに行く。
「待つ店」(通称)へ行く途中、「子どもの家」初代料理長の
フオンさんの仕事をしている家があった。フオンさんは
お菓子を詰める仕事をしていた。数年前に定年で退職した
フオンさんであるが、元気に仕事をしていて安心した。


午後1時過ぎ、トンチンカンホテル戻る。
昼寝。30分。
読書「フリーズする脳」。

副知事訪日関連のホテル予約、東京、京都での
歓迎・案内準備等について、各地の会の皆さんと連絡。

午後3時、マブベえがおの会は帰国の途へ。
バオミンさんと一緒にフエ空港まで見送り。

午後6時半、地球の歩き方Ⅴ班とベトナム事務所員の交流夕食会

昨年、鳥取県の徳岡さんが子どもたちに教えてくれた
「牛すじ煮込み」(通称 徳岡スペシャル)。
徳岡さんが作ってくれた牛すじ煮込みと全く同じ味を
保っていたい。地球の歩き方の皆さんも「本物の味」と
言っていた。

家庭料理「子どもの家」のスタッフを紹介する。
いつも厨房にいる子どもたち、接客の子どもたち・・・・・。



午後9時過ぎ、交流夕食会は終了。
日本料理店の玄関で記念写真。

日本料理店の片付け、掃除。警備員のリー君が他のスタッフ
と一緒に片付け・掃除を手伝っていた。

今日は長い1日であった。

投稿者 koyama : 09:10 | コメント (0)

2007年03月16日

マブベえがおの会5日目、地球の歩き方Ⅴ4日目、大学生協Ⅲ到着

晴天

午前7時朝食。フォー。

午前8時過ぎ、ベトナム事務所より緊急電話。
里親のSさんの件。夕方ベトナム事務所訪問の
予定だったが、急に朝ベトナム事務所・「子どもの家」
を訪問するとフエ空港から今電話があったとのこと。
今日はマブベえがおの会はミンさんとDMZツアーで
クアンチ省へ。地球の歩き方は、税田さん・ハンさん
がグエンフエ高校へ。大学生協スタディーツアーは
ラームさん、ソン君が朝、空港へ出迎え。
ということで朝ベトナム事務所→「子どもの家」への
案内をする人がいない。急遽、私がベトナム事務所に
飛び、待機。午前9時前、ナム君(小2)の里親
Sさん母娘がベトナム事務所へ。
しばらくベトナム事務所で懇談。

午前9時過ぎ、全国大学生協ツアーⅢ班が
ベトナム事務所へ。ベトナム事務所スタッフの紹介。


私はSさん母娘を案内してタクシーで
「子どもの家」へ。里子のナム君と対面。

今日は午前10時から全国大学生協ツアーⅢ班(11人)
の皆さんに1時間半の講演をする予定だった。
S母娘さんと里子のナム君との対面のお世話をして
急いで講演会をとなった。

午前11時半まで全国大学生協ツアーⅢの講演会を行う。

講演会終了後、S母娘さんを案内して日本料理店へ。

午前1時から30分昼寝。

読書「フリーズする脳」。

午後2時半からフエ省副知事訪日の諸準備。
東京、京都、香川での訪問先予約、交通の確認、
などを行い、いくつかのメールを送信。

午後4時半。「子どもの家」へ。
地球の歩き方Ⅴ班は子どもたちとカレーを作り終わり、
カレーで夕食中。

午後5時半。地球の歩き方Ⅴ班は「子どもの家」を発つ。
参加者全員、体調も崩さず快調なスタディーツアーを遂行中。


午後7時、マブベえがおの会の皆さん、日本料理店へ。
今日がフエ滞在の最終日。
ベトナム事務所員、障害児医療センタースタッフなどと
最後の交流夕食会。


●マブベえがおの会大極代表の挨拶

●BUIフエ市厚生部長・フエ市立病院院長・障害児医療センター所長
  乾杯の挨拶

●セン「子どもの家」運営委員長の終わりの言葉


午後9時過ぎ、マブベえがおの会の夕食交流会は終わる。
毎年1回~2回フエで治療を行ってくれる。
「子どもの家」、地域診療所、フールー小学校・・・。
最近はフエ市立病院の東洋医学センターとの交流も開始。
地道な交流・医療活動が行われている。

投稿者 koyama : 20:37 | コメント (0)

2007年03月15日

マブベえがおの会4日目、地球の歩き方Ⅴ3日目、里親K夫妻来訪

晴天 

気温32度。湿度75%。

午前7時、朝食ブンボー。

トンチンカンホテルと隣接して「ズイタン」ホテルがある。
軍隊の経営。
私たち日本人が泊まっている部屋の直ぐ前にズイタンホテルの
玄関がある。朝6時頃から大型バスが止まりアイドリングをし
バス内の冷房を利かせお客さんを待っている。朝6時から8時頃
まで、次から次へと大型バスが、私たちの部屋にバスの後部を
向けて、アイドリングをし客を乗せて出発するのを繰り返している。

排気ガス規制のないベトナムの
大型バスから真っ黒な「排気ガス」が大量に出る。
毎朝2時間にわたり大量の大型バスからでる排気ガスを
毎日私たちは吸わされてしまう。窓を閉めてもだめ。
建てつけの悪いトンチンカンホテルの窓やドアは、隙間だらけ。

ベトナムに帰って今日で丁度1ヶ月。毎日目が痛くり、
鼻水が出る。ゼーゼーと喘息気味の毎日。原因が分からなかったが、
毎朝浴びる大量の真っ黒な排気ガスのせいだということが
分かった。このままでは、気管支炎、鼻炎などをはじめ
長期間大量に排気ガスを吸わされることで起こる各種病気を
引き起こす可能性がある。
日本人スタッフの健康を守るため、何らかの措置をそらなければ
ならない。引越しなど必要な手立てをとらないと、長期間、
こんな生活をしたら日本人スタッフ全員が体を壊す。
トンチンカンホテルのオーナーをはじめ、ベトナム人はこの種の
排気ガスには全く無関心であるが、健康を著しく害することは
明らかなのだが・・・・。

午前9時、ベトナム事務所で12年間里親をしてくれている
Kさん夫妻と懇談。
Kさんは、前のJASS会計担当だった船崎さんのお母さんと
同じ会社の同僚。船崎さんのお母さんに勧められて12年前に
里親になってくれた。1995年のことである。私がフエで
里親ー里子制度を始めた最初の里親のなってくれた方の
一人。


その足で「子どもの家」へ。サンさんとも同行。
里子のタムさんと12年目にして初めて対面する。

K夫妻はタムさん(17歳)が5歳の時から里親として
12年間にわたり支援を続けてくれている。

●5歳のタムさんと17歳のタムさんの写真

タムさんは、「子どもの家」のミシン研修センターで
縫製を研修し、現在は「子どもの家」近くの縫製専門店
で実習をしている。
タムさんは、日本の両親であるK夫妻に自分の作った
衣類をみせた。

しばらくタムさんとK夫妻の交流が続く。サン先生が
通訳をする。

午前11時過ぎ、K夫妻はタムさんと一緒に昼食。

午前11時。タムさんとK夫妻は一緒に昼食を摂る。

昼食後、K夫妻と「縫製研修センター」を視察。
「縫製研修センター」は既に内装も終わり完成状態。
3月27日か28日に日本大使館公使を招き、
盛大な落成記念式典を挙行する予定。

マブベえがおの会は、ミンさんと一緒に「障害児医療センター」
フエ市立病院東洋医学科を訪問。タッチセラフィーの実践・交流。
午後はフーハウ診療所で施術。

地球の歩き方Ⅴは、午前中ハンさん、ソンさんと、
シクロで「子どもの家」へ。市場へ買い物。昼食作り。


午後12時半、トンチンカンホテルへ戻る。
1時間昼寝。

読書「フリーズする脳」(築山 節』著:NHK出版)を
読み始める。

昼寝30分。熟睡する。

午後3時、再度、「子どもの家」へ。
K夫妻とタムさんは、ドンバ市場へ買い物。
タムさんは、記念にジーンズを買ってもらう。

午後4時半、K夫妻はタムさんと別れホテルへ。
最後の記念写真を撮る。


ーーーー
「子どもの家」では午後、地球の歩き方Ⅴ(10人)の
皆さんと子どもたちとの交流が続いていた。

●子どもたちと折り紙を作って交流する


地球の歩き方の皆さんは、全員元気はつらつ。病気や
体調を崩す人は皆無。


午後3時過ぎ、フエ市内の名門高校「コックホック高校」
の生徒20人ほどが、突然遊びに来る。事情を聞くと、
日本人の若者が「子どもの家」にいると聞いたので
交流したい、とのこと。


早速、コックホック高校生と地球の歩き方、子どもたちとの
交流が始まる。ソン君の指導で色々なゲームをして
遊ぶ。

午後5時過ぎ、地球の歩き方Ⅴの皆さんはホテルへ。

ベトナム事務所から電話。緊急に打ち合わせをしたいとの
こと。ベトナム事務所へ。午後6時20分まで諸問題を
協議。

午後6時半、タムさんの里親Kさん夫妻が日本料理店。
日本料理店厨房のターオ君の里親として長年支援を
続けてくれていた船崎さんより依頼されたターオ君への
お土産をKさんが渡す。

Kさん夫妻との懇談は午後9時半まで続く。

投稿者 koyama : 19:17 | コメント (0)

2007年03月14日

マブベえがおの会第3日目、地球の歩き方Ⅴ班2日目

晴天。真夏。

午前7時朝食。フォー。

午前8時半、ベトナム事務所へ。バオミンさんと
副知事訪日問題についての意思統一。
関係者への連絡、情報収集。

午前9時半、「子どもの家」へ。
子どもたちは、昨夜の興奮冷めやらぬと言ったところ。

午前10時、地球の歩き方Ⅴ班(10人)の皆さんにフエでの活動
講演会。1時間半。


午後12時。地球の歩き方Ⅴ班の皆さんと昼食。
税田さん、ハンさんも一緒。


午後1時過ぎ、トンチンカンホテルへ。
30分ほど昼寝。

読書「細雪」(谷崎潤一郎著:中公文庫)読了。

3週間ほどかけて1000ページの「細雪」を読み終わった。
細切れに読んだので十分味わって読めなかったことは
残念だが、読み終わってしまうと、楽しみがなくなった
ようで寂しい気もする。読書とは不思議なものである。
全体を読んでの感想。
舞台は昭和13年、14年頃の兵庫県蘆屋(あしや)。
没落豪商の4姉妹の物語。この本を興味を持って読めたのは
大阪船場の没落豪商という背景が、4姉妹の日常生活の
中に微妙に影響を与えていることである。
日本が日中戦争に入り、太平洋戦争に突入する直前の
異常事態の日本にありながら、『優雅』に蛍狩り、春の花見、
歌舞伎鑑賞、映画鑑賞などを繰り返している生活態度。
谷崎が戦争そのものに背を向けてのことなのか、
戦争という現実から逃れて、源氏物語のような王朝栄華な
世界に入り込むことで、事実上戦争という日常を否定しようと
したのか?
没落豪商の屈折した人間模様、感情が時々顔を出す。
4女妙子、3女雪子などは現実世界に対し、ある時はかなり
「斜に構えた」態度を取っている。
東京人と大阪人のものの考え方の違いが出ていて面白い。
4姉妹とも建前は、上級階級の奇麗事を並べているが、
現実に4人の中での話になると、現実的な意見を
もち、物事を客観的に厳しく見ている。損得勘定もしっかりと
している。3女雪子の見合いを繰り返すことを通して、4姉妹の
それぞれの家庭、生き方などが描写される。4人とも非常に
現実的でリアルな生き方をしている。これが大阪人の生き方なの
か?
1000ページの全体を通して、女性が物事をどのような手順と
論理で考えるのか? 微に入り細をうがつが如く記述している。

40通のメール受信。10通送信。

午後5時15分、日本料理店の子どもたち・スタッフと
夕食。テト正月前にフエに戻ってから初めての夕食参加となる。
3週間ほど、スタディーツアーの皆さんと一緒に夕食を摂った。

元モップスの鈴木ヒロミツが死んだ。60歳。肝臓系のガン
だそうだ。飲みすぎか?
同時代の東京で生まれ育った同年代の人だけに
その死に微妙な衝撃を受ける。

投稿者 koyama : 22:36 | コメント (0)

2007年03月13日

マブベえがおの会第2日目

晴天。

真夏となる。気温30度。湿度80%

午前7時朝食。ブンボー。

午前8時、マブベえがおの会、バオミンさんと一緒に
「子どもの家」へ。

●セン委員長、タム医師と懇談

その後、バオミンさん運営委員長の案内で「子どもの家」の
各施設を視察。
今回のマブベえがおの会の参加者には、鍼灸学校の
学生さん、「はり灸みのわ」の先生などが含まれている。

その後、私の体験談を話す。

「子どもの家」では午後学校へ行く子どもたちが
勉強をしていた。

小学校低学年組は、「子どもの家」特別支援教育(キャノン支援)で
フエ師範大学の学生が勉強を教えていた。


また、別室ではフエ科学大学に「飛び級」で進学した
16歳の  さんとフエ県立トップ校と言われている
グエンフエ高校2年生のトゥーイさんが、物理と
化学の自習をしていた。かなり難易度の高い勉強を
してる。この二人は、24時間勉強に集中しているかに
見える。

フエ教育大学3年生のDさん。
2日前から3週間の教育実習が始まったとのこと。

小学校3年生を受け持ち、今日は算数の授業をしたと
言っていた。「どうだった?」と行言うと「緊張してすごく疲れた」
との返事だが、教師としての夢に向けて頑張ろうとの
気持ちが顔に現れていた。子どもたちの立場に立った
良心的な教師になって欲しいと祈る。
「子どもの家」の子どもたちからこうして教師になる子どもが
出てきたこと、未来のベトナム社会を担う人材を養成する
人間が育ったことに、フエでの取り組みを重ねあわせ、
感慨もひとしおである。14年間の様々な思い出が
走馬灯のように頭の中を巡る。

私の講演会後、ドンバ市場へ。
バオミンさんのお母さんとお姉さんの経営するアオザイ屋へ。
アオザイ選びに時間がかかり、1時間半ほど滞在。

午後12時過ぎ大衆食堂「コード」へ。
アヒルの玉子焼き、空芯菜のニンイク炒め、豚肉の海老塩辛付け、
魚の土鍋煮、イカのから揚げ、野菜スープ、ご飯。
どこの国でも大衆食堂が一番安くて美味しいものを食べさせる。
フエ王宮料理が一番高くてまずい。


午後1時過ぎ、トンチンカンホテル。

読書「細雪」。最終段階へ。3女雪子の子爵次男との婚約へ。

午後4時、ベトナム事務所へ。バオミンさんと打ち合わせ。
トゥアティエンフエ省副知事の訪日案内依頼の件。
詳細を相談。

午後5時過ぎ、「子どもの家」へ。
今日はベトナムで特に有名な国民的司会者である「タン・バック」
さんが「子どもの家」へ来て、「子どもの家」の子どもたちを
励ますという催しがある。

「子どもの家」に付くと既に照明・音響などの取り付けが
行われていた。

既に地域の人たちが家族ずれで「子どもの家」へやっていている。
騒然とした雰囲気。
子どもたちは、テレビで有名な司会者兼コンメディアン兼歌手
である「タン・バックさん」が来るというので、昨日から興奮状態。

午後6時15分から午後9時までバックさんのショーは続く。

●日本人スタッフも参加。

●タッチセラフィーの研修に来ているマブベえがおの会の
 皆さんも参加



●フエ経済大学に入学し下宿生活を送っている
 「子どもの家」卒業生のMさんも来訪。妹のTさんと久しぶりに
 姉妹で娯楽を楽しむ。


●楽屋で。バックさんとセン委員長、ロック寮長


●バックさんと小山・セン委員長


●今日の催しの看板
 タン・バックさんと37グエンチャイ「子どもの家」の
 子どもたちとの交流 2007年3月


●子どもたちの出し物


いよいよタン・バックさんの出番。
この頃にあると噂を聞きつけり、「子どもの家」の前を
通りかかった人たちが次から次に「子どもの家」の中へ
入ってくる。既に数百人の人垣が出来ている。

バックさんは登場するなり子どもたちにクイズを
始めた。『「子どもの家」を主催している日本人の
団体名は?』・・・。子どもたちはバックさんが登場した
だけで大騒ぎ。バックさんも額に汗して一生懸命インタビュー。


バックさんのショーは子どもたちを飽きさせないように
バラエティーに富んでいる。

子どもたちにクイズを出した後は、男性歌手の歌。

町のシクロの運転手の歌

楽屋でバックさんから「日本人も何か歌を歌ってくれますか?」
と頼まれた。日本人の皆さんにお願いし「しあわせなら手くぉたたこう」
を歌ってもらう。

女性の歌手など次々に趣向を凝らした出し物がでる。

タン・バックさんとの交流ショーは午後9時まで3時間も続く。
最終的に「子どもの家」に集まった人たちは、「子どもの家」
子どもたちと地域の人たちを合わせて「目の子算」で600人
にも達した。

日本の盆踊りの様相を呈する。綿アメ屋まで出る始末。


8時半頃、「子どもの家」を辞し、日本料理店へ。
午後9時から11時過ぎまで全日本人スタッフで
本日のタン・バックショーについて深い反省。

投稿者 koyama : 10:23 | コメント (0)

2007年03月12日

マブベえがおの会フエ到着

晴天

気温28度。湿度75%

久しぶりに太陽が出て半袖で過ごすことが出来た。
この1週間ほど冷たい風が吹き、非常に寒かった。
太陽を見ると気分も明るくなる。

午前7時、朝食。フォー。

午前8時半、徒歩ベトナム事務所へ。
福島大学から来た2週間のボランティア体験
希望者と懇談。これから10日間のボランティア体験
計画を相談する。
「子どもの家」5日間、日本語学校5日間を
基本に日本料理店の急がし時に数日手伝うこととする。
日本語学校は、参観、助手そして最後に部分授業をすること
にした。

バオミンさん・税田さんと当面の訪問者受け入れのこと、
その他様々な問題について基本的な意思統一。

昼食「コムデイア」(ほか弁)。

午後3時、フエ市人民委員会外務部長懇談。


明日の「子どもの家」でのテレビ取材の件。
ベトナムの各地を回りストリートチルドレンや生活困難な家庭
の師弟が頑張って生活している様子を放映する番組。
ベトナムで一番有名な番組司会者がやってきて有名な歌手が
歌ったり踊ったりするベトナムで一番有名な番組。
「子どもの家」の子どもたちの歌や踊りも披露される。
その他の打ち合わせも行った。

午後4時過ぎ、大塚さんとオアシスの会来訪者の打ち合わせ。

午後6時半、バオミンさんとトンチンカンホテルを出て
フエ空港へ。マブベえがおの会(8人)の出迎え。
午後7時15分、予定通り到着

車でフエ市内へ。夕食はフォーサイゴンでフォーを食べる。
私はチャーゾー(豚肉のソーセージ)をおつまみに
フダビールを飲む。



午後9時過ぎ、トンチンカンホテルの戻る。

地球の歩き方ツアーはホーチミン市。夜11時過ぎの
飛行機で関空、成田へ。

投稿者 koyama : 19:28 | コメント (0)

2007年03月11日

地球の歩き方ツアー ホーチミン市へ。

晴れのち曇り

蒸し暑い。

今日は日曜日。朝食がないのでゆっくりと朝寝をするつもり
だったが、午前6時半、地球の歩き方添乗員から電話。
ツアー参加者の携帯電話がなくなり、昨夜12時半頃から
部屋中を探したがなかったとのこと。
急いで昨日乗ったバスの中を探して欲しいとの依頼。
バオミンさんに電話。運転手の連絡。バスの中に落ちていた。

午前8時過ぎ、宇都宮縫製工業組合の佐藤理事長から電話。

しばらく寝る。

午前10時、うどんを食べる。

今日は1日かけて平成19年度「国際ボランティア貯金申請書」
を作成した。午後5時までかかり何とか完成。関係者に送信。

午後3時、地球の歩き方ツアー(30人)の皆さんがホーチミン市へ。
明日ホーチミンに滞在し、夜、日本へ帰国。


夜、読書「細雪」。4女妙子家出。3女雪子新たなお見合いへ。

投稿者 koyama : 19:41 | コメント (0)

2007年03月10日

ベトナム事務所員会議、全国大学生協ツアーⅡ班帰国、地球の歩き方Ⅳ班最終日お別れ夕食会

曇り 肌寒い

朝、なかなか起床できない。口内炎3つ。
午前7時朝食。ブンボーフエ。半分ほど食べる。

急いで準備をし徒歩でベトナム事務所へ。
午前8時、ベトナム事務所員会議。

会議の冒頭、「税田さん00歳誕生祝」を挙行。
3月3日の誕生日だったが、訪問者への対応で
忙しく今日になってしまった。税田さんは既に
ベトナム事務所の中心的存在となっている。
税田さんなくしては、ベトナム事務所の運営が
成り立たない貴重な存在。体に気をつけて、
バオミン・運営委員長の片腕としてJASSベトナムの
運営・子どもたちのために奮闘して欲しい。

みんなで書いた寄せ書き

★ベトナム事務所会議の内容

(ソン)地球の歩き方、全国大学生協ツアーを案内して
    「子どもの家」へ行った。帯広のYさんの案内などをした。
(ハン)生協ツアーを案内して市場へ。一緒に昼食を作った。
    「子どもの家」の子どもたちとの交流のお世話。
    注文を受けた刺繍を全教の松原さんに送った。


(石岡)ピースボートの訪問者をお世話した。
    日本語学校観光基礎コースのテスト。
    四日市大学学生の方々の日本語教育。
(石塚)日本語学校中級テスト
     今日、地球の歩き方と一緒にナムドン山岳地帯へ行く。


(フーン)日本語学校観光基礎コーステスト(23名)
     地球の歩き方参加者が病気になり夜9時過ぎに
      呼び出しがあり家からホテルへ。学生さんを
     連れて笛中央病院へ行き診察の通訳。
(税田)各種団体スタディーツアーのお世話
(サン)地球の歩き方スタディーツアーに同行した。

(ミン)ピースボートを迎えにダナンへ。
    その他、各種団体のスタディーツアーのお世話・案内。
    今週は2回、午後9時頃にツアー参加者を連れて
     フエ中央病院緊急外来へ行った。
    個人訪問希望者のメールなどの応対。

その後、バオミン・運営委員長より3月12日~4月1日まで
のスタディーツアー訪問者の日程、任務分担案が出され
説明。質疑応答があった。
●3月12日~3月20日までのスタディーツアー
 地球の歩き方(Ⅴ)、全国大学生協ツアー(Ⅲ)
  マブベ笑顔の会、その他、個人訪問者
●3月20日~4月01日までのスタディーツアー
 地球の歩き方(Ⅵ)、西山優子さんツアー、
 ブレラ社長(アクセサリー工場開設)
●3月25日~4月01日
 地球の歩き方(Ⅶ)、上尾JGSツアー、学習文化共同
ネットワークスタディーツアー、藤井和夫さんたちスタディーツアー

ーーーーーーー
午前10時、日本大使館主催「医務官講演・領事出張サービス」
に参加。

最初にベトナム在留登録の更新を行う。
大塚さん、石岡さん、税田さんが参加。全員の在留登録更新など
を行う。
その後、日本大使館の医務官より「トリインフルエンザ」「新型
インフルエンザ」についての医学的講演会あり。
午後12時近く終了。

日本料理店で皆さんと昼食。私は「他人丼」(豚肉の卵とじ)3ドル。

午後1時から30分ほど昼寝。
その後、読書「細雪」。蛍狩りの様子、父親・母親の年忌の
トラブル。

午後3時。全国大学生協ツアー2班が帰国の途に。


日本料理店警備員のリー君がアシスタントとして活躍。
お客さんのスーツケースをバスに積み込む仕事を
熱心にやっていた。少しずつ、仕事をすることの
喜びを覚えてきたのか? 来ないのか? 微妙?

地球の歩き方は朝から終日、ナムドン山岳地地帯へ。
山岳少数民族カトゥー族との交流。

午後6時半。地球の歩き方スタディーツアーの最終日。
日本料理店でベトナム事務所員との交流夕食会。

●ピースインツアー添乗員さんの挨拶
 「今日でフエ滞在は最終日。皆さんのご協力で無事フエでの
  活動を済ますことが出来た。明日はホーチミン市。
  あと2日間、健康に気をつけてベトナムでのスタディーツアーを
  完遂して欲しい。今日はベトナム事務所員の皆さんとの
  交流を楽しんで欲しい。」


●乾杯


ベトナム事務所員・ツアー参加の仲間の皆さんと歓談が続く

●夕食会のメニューの一つ「生姜焼」。
 柔らかい豚肉と野菜の添え物。ジュージーな豚肉の
 香りと味が舌に溶け込む。ベトナムの豚肉は本当に美味しい。
 食べやすく小口に切ってある。店長の大塚さんの配慮。

懇談は午後9時過ぎまで続く。

午後9時過ぎ、地球の歩き方スタディーツアーⅣの皆さん31人
はホテルへ。

日本料理店スタッフで掃除片付け。
黙々と床掃除をしているリー君(警備員)の姿が印象的だった。



午後9時半から日本人で反省会。午後11時半まで深い反省を
行う。

投稿者 koyama : 18:04 | コメント (0)

2007年03月09日

地球の歩き方Ⅳ班5日目、全国大学生協ツアー2班4日目

曇り

気温25度、湿度90%
寒く蒸し暑く、過ごしにくい。

午前8時半、福島大学の2週間ボランティア体験希望学生
ベトナム事務所来訪。しばらくボランティアのことなど懇談。

昨夜、体調を崩しフエ中央病院へ入院した人が退院。
病状とその後の措置について情報収集。

ベトナム事務所で今後のJASSのあり方など検討。
先日来訪されたIT関係の会社社長さんにHP寄贈を依頼したが快諾。
「JASSベトナム」としてのHP作成を模索する。
現地での活動状況を詳細に支援者やボランティア・国際支援に
興味のはる人たちに提示していきたい。

ボランティア貯金申請書の書き方について情報収集。

昼食はコムディア(70円)野菜炒め、ご飯。

午後3時、トゥアティエンフエ省幹部で省立会社社長が
ベトナム事務所を訪問。トゥアティエンフエ省としての訪日
「投資セミナー」実施の依頼。JASSとしてのコーディネートの
依頼。副知事を団長に30名規模の大型「投資勧誘セミナー」
を日本で行いたいとのこと。詳細説明を聞く。

地球の歩き方Ⅳ班の参加者で私と話をしたいとの連絡あり。
午後4時。「子どもの家」へ。
「子どもの家」では地球の歩き方Ⅳ班の参加者と子どもたちが
遊びで交流中。



参加学生と懇談。大学で開発経済、ボランティアなどを勉強して
いるとのこと。海外ボランティアのあり方、支援とは何かなどを
話す。

午後5時半。参加者と子どもたちが作った日本風「カレー」
で夕食。


帯広のYさんを見送ってホーチミン市まで行った大塚さんが
午後8時日本料理店へ帰還。
午後9時前。大塚さんの無事帰還を祝って日本人スタッフ会議。
午後11時半まで。

数えてみると2月22日から16日間、連続仕事が続いている。
朝から夜遅くまでの活動。さすがに最近は頭がボーッと
して来ている。体の芯から疲労が溜まっている感あり。

多くの若い訪問者を受け入れている。怪我や病気も多い。
夜9時からの緊急通院2件、腹痛・下痢、怪我なども
結構ある。こうしたことは致し方ないことではあるが、
主催者として、病気・怪我などが大きくならないうちに
対処する義務を負っている。精神的には24時間、緊張
しての生活が続く。多い日は1日に総計50人ほどの
訪問者がり、全ての訪問者に満足してもらい、病気・怪我
などにならないよう安全を確保することも私たちの仕事。

当面しなければならない課題も山積している。
ボランティア貯金申請書の作成、縫製研修工場落成式典
実施(3月27日か28日)、アクセサリー工場開始への
準備、造船場研修生派遣問題、省副知事等投資セミナー
訪日の諸準備などを多くの訪問者受け入れ(2月末から
3月一杯で約300人)をしながら同時並行的に
行わなければならない。

あまりに忙しく、日記を書く時間が全くない。

今一番、したいことは、「細雪」をゆっくり読みたいことだ。

就寝、午前0時半。


投稿者 koyama : 17:27 | コメント (0)

2007年03月08日

地球の歩き方ツアーⅣ3日目、大学生協ツアーⅡ3日目

うす曇

気温が下がり、寒い。体調を崩すベトナム人多し。

午前7時45分、ズイタンホテルへ。

今日3月8日は「国際婦人デー」。
旧社会主義陣営では国家行事として行われていた婦人
擁護運動。ベトナムでは内容がほとんどなくなり、
男性が女性に花束を上げる行事に矮小化されてしまっている。
それでも町中に「3月8日、国際婦人デー、おめでとう」との
赤い横断幕が張り巡らされている。

地球の歩き方ツアーが宿泊している「ズイタンホテル」では、
担当者が女性宿泊者に花束を贈呈。


地球の歩き方ツアーⅣ班はシクロで「子どもの家」へ。
バオミンさん、ソンさんはオートバイで30台のシクロを
護衛する。私はバオミンさんのオートバイの後ろに乗り
「子どもの家」へ。

「子どもの家」到着後、子どもたち、料理主任のムオイさんたちと
近くのタイロック市場へ昼食の食材買出し。

午前9時半、「子どもの家」で子どもたちと昼食の料理


午前10時、「子どもの家」のT君(17歳)の退所式を行う。
セン委員長、ロック寮長、バオミン運営委員長、小山。
T君と母親が出席。

T君の母親はフエである男性と付き合いT君を産んだ。
その時点ではT君の父親は独身だと思っていたが、
実際には奥さんがいた。T君の母親は周囲の人たちから
「あなたは2号さん」などと言われ、男性にだまされたと
悟り、別れるが、周囲の目がありフエにいられなく
突然ホーチミン市に行ってしまった。
その後、T君の祖母がT君を育てていたが、育てきれず、
2000年、T君10歳の時、祖母がT君を「子どもの家」に連
れてきて入所。
入所時点で「母親不明」「父親不明」となったT君は
その後、7年間「子どもの家」生活し成長した。
昨年になり母親は17歳位になったT君の事が忘れられなく
「子どもの家」へ突然を連絡してきた。「ホーチミン市に住んで
いる。子どものT君を引き取りたい」とのことだった。
セン委員長、ロック寮長、バオミン運営委員長、ベトナム事務所員
などが協議。10数年前に姿を消した『お母さん』なる人物が本物か?
本物であったとしても生活能力があるのか? T君を帰しても
安心して母親に任せることが出来るのか? を検討した。
取り急ぎ、母親の戸籍を取り寄せ、警察、地元の人民委員会
等へ照会。母親が間違いなく「T君の母親」であることを確認。
次に母親にT君を養育する能力があるのかを調査した。
そこで分かったことは、母親はホーチミン市の親戚の家で
間借りしていること、小さな美容院を経営していることが判明。
「子どもの家」、ベトナム事務所関係者が協議した結果以下の
点を確認し、T君の退所を認めることにした。

①親子で生活することは子どもにとっては良いこと
②T君が母親との同居を望んでいること
③母親は自宅はもっていないが、親戚の家に住んでおり、
 小さいとは言え美容院を経営し、経済的にはT君を養育するには
  十分な生活能力があること

(セン委員長)T君の退所式を行う。母親の希望でT君を引き取りたい
         との申し出でがあり退所式を行う。
         小山代表をはじめJASSが長い間T君の面倒を
         見てきたことを忘れないで欲しい。
(母親) フエに住んでいた。ある男性と知り合いT君を産んだ。
     男性は独身だと思っていたが、奥さんがいて子どもも
     いたことが分かった。近所の人たちから「2号さん」などと
    言われ、フエにいずらくなりT君をおいてホーチミン市に
    行った。T君は祖母に預けた。その後、祖母がT君を
    育てていたが、祖母も仕事がなくなり老齢化し、T君を
    養育できなくなり、7年前に「子どもの家」へ祖母が
    預けた。
     長い間、日本の皆さん、「子どもの家」のスタッフの
    方々にお世話様になった。感謝したい。
(小山)現在は結婚しているのですか? 仕事は何をしてるのですか?
(母親)警察官と結婚し9歳の男の子がいる。小さいが美容院を
    やっている。家はない。親戚の家に間借りしている。
     今は家はないが生活は安定してきたので、T君を引き取り
    一緒に住みたくなった。ホーチミン市に戸籍を作ったので 
    そこにT君も入れたい。
     改めて日本の皆さんにお礼を言いたい。
(小山)T君はお母さんと新しいお父さん、新しい弟と一緒に
     住みたいですか?
(T君)はい。「子どもの家」の先生にお礼を言いたいです。
    長い間、お世話をして頂きありがとうございます。
(セン) T君に言いたい。新しいお父さんに注意されても
     直ぐに反撥して家出などをしないように。物事を
     しっかり考え理解して行動するように。
(小山)お母さんにお願いしたい。私たちはT君を7年間
    お預かりし養育し、17歳の立派な若者に育てた。
    これからホーチミン市での新しい生活の中で
    くれぐれもT君に十分な愛情をかけて育てて欲しい。
     新しい夫との間の子どもと区別をつけず、
     同じようにT君を愛して育ててください。
(セン)T君は小学校の頃は、成績最優秀だったが
    中学に行って成績がかなり下降した。
    ホーチミン市に行っても勉強など自立のための
    手立てをしっかりとつけて欲しい。
(母親)本人は絵が好きなので絵の勉強をしたいと行っている。
    将来は看板屋になりたいといっている。

(ロック寮長)それでは、お母さん、退所承諾書にサインを。

T君とは7年間の付きあいであった。
これからのT君の人生に何が待っているのかは分からない。
多くの荒波の中を掻い潜って生きてゆかなければならないの
かも知れない。T君の人生が幸多かれと祈るのみである。
日本の里親の皆さんにも心から感謝申し上げたい。

午前11時、昼食が出来上がる。地球の歩き方ツアーの
皆さんは子どもたちと一緒に昼食。


午後1時過ぎ、トンチンカンホテルへ戻る。
30分ほど昼寝。

読書「細雪」。下巻に入る。6割ほど読了。
三女雪子の恋人の病死をめぐる人間模様。
女性の細やかな内面の気持ちを細かく
描写している。

午後2時半、ベトナム事務所へ。
四日市大学の先生と学生さん(社会人学生)が
ベトナム事務所を訪問、午後6時までボランティア、
国際協力、ベトナム社会主義の実情などを話す。


午後6時半、全国大学生協ツアーⅡの夕食会。日本料理店にて。



投稿者 koyama : 11:57 | コメント (0)

2007年03月07日

地球の歩き方Ⅳ2日目、全国大学生協ツアーⅡ二日目

曇り。

気温が大きく低下。寒い。
町の人々は冬服を着だす。

午前7時朝食、フォー。

午前7時40分、ズイタンホテルへ。地球の歩き方Ⅳの
皆さんを迎えベトナム事務所へ。

●ハンさん、ソンさんが全国大学生協ツアーⅡの皆さんを引率し
  「子どもの家」へ。

●地球の歩き方4班はベトナム事務所へ。

午前8時過ぎ、ベトナム事務所でベトナム事務所員の
紹介。


地球の歩き方4班は午前8時45分、「子どもの家」到着。

「子どもの家」の歓迎会。

●セン委員長、歓迎の挨拶

●地球の歩き方4班(30人)の出し物「ドレミの歌」

交流会終了後、税田さん、バオミンさんの二組に分かれて
「子どもの家」の案内。

●午前10時~11時45分まで小山講演会

「子どもの家」には、地元理容専門学校の実習生が無料の
理髪をしていた。感謝。


午前12時20分、オンターオレストランへ。


午後1時、昼食を終了しホテルへ。

私はトンチンカンホテルへ戻り30分ほど昼寝をするが、
疲れがどっと出て起きられなかった。

午後3時、ベトナム事務所へ。関係者といくつかの
重要問題について協議。当面の対応策を考える。

午後6時トンチンカンホテルへ。

午後9時。今日は、帯広のYさんのフエ滞在最終日。
日本料理店閉店後、日本人関係者でYさんの
「お別れ会」を行う。同時に明日はYさんの誕生日。
誕生会を兼ねる。

石塚さんの司会で「送別・誕生会」が始まる。

初めに小山からYさんにお礼の挨拶

●帯広Yさんの挨拶

●ソン君からベトナム事務所員の寄せ書き贈呈


●フエ滞在中のYさんの活動記録を写真にして贈呈

●大塚さんの乾杯の音頭

お別れ・誕生会は午後11時過ぎまで続く。


投稿者 koyama : 21:35 | コメント (0)

2007年03月06日

全国大学生協ツアー2班フエ到着、地球の歩き方4班フエ到着

晴天

午前6時起床。
午前7時朝食。ブンボーフエ。美味しい。

午前8時45分、ズイタンホテルへ。
全国大学生協ツアー第2班(12人)がフエ到着。
その足でベトナム事務所へ。ベトナム事務所員紹介。



午前10時、全国大学生協ツアー2班、バスで「子どもの家」へ。
サンさんと私の案内。

●最初に「子どもの家」の歓迎の踊り


●10数年前に入所した子どもも今では立派な青年に成長


サンさんの案内で「子どもの家」の諸施設を視察。


午前10時半、音楽室で私の講演。1時間半。
ストリートチルドレン、障害児、子どもたちの実態、
「子どもの家」の創設、運営、発展。
海外支援のめざすもの、人間が生きると言うこと・・・・。



午前12時、「子どもの家」を発って、市内の「オンターオ」
レストランでベトナム料理を堪能。

午後1時過ぎ、レストランを出て、ホテルへ。

私はトンチンカンホテルに戻り、30分ほど昼寝。

午後、5人ほどから電話。
この5日間ほど忙しく何も出来なかった事務処理を
行う。あまりに事務処理が溜まりすぎ、完全処理は
出来ない。

バオミンさんは今朝からホーチミン市へ。
地球の歩き方4班の出迎え。

午後6時、ズイタンホテルをバスで出て、フエ空港へ。
ラームさん、ソン君と一緒に地球の歩き方4班を出迎えに。

バオミンさんさんは今日の朝、フエ空港からホーチミンへ。
地球の歩き方4班をホーチミン空港で出迎え、フエまで
引率して来る任務で。

午後6時45分、予定より30分ほど早く到着。
ミンさんの引率で30人と一人の添乗員、合計32人の
皆さんが無事、フエ空港へ到着。

飛行機がフエ空港へ到着したと同時に豪雨。
雨の中、地球の歩き方ツアー4班の皆さんのスーツケース
をベトナム事務所員のソン君がずぶ濡れになってバスの
荷台に入れる。

飛行場から市内へのバスの中で関係者の自己紹介など
を行う。

●上手な日本語を使って自己紹介をするソン君

市内の「フォーサイゴン」というフォーの専門店へ。
美味しいフォー(米のうどん)。お代わりをした学生さんも多い。


打ち合わせをしながら夕食を摂る添乗員さんとバオミンさん


午後9時。投宿するズイタンホテルに到着。

添乗員さんの諸注意を聞く

スタディーツアーツアーの参加者が部屋に入り、20分ほど問題が
あるか1階ロビーで待機。
参加者の1人が「病気」を訴える。諸事情を聞くと直ぐに病院に
行って専門医の診断を受けた方が良いとの判断をする。
直ぐにバオミンさんを通してフエ中央病院小児科医長に連絡。
フエ中央病院の緊急病棟での診療を依頼する。
小児科医長が手を打ってくれる。女性なので女性の通訳が
必要となり、ハンさんに電話。通じない。日本語主任の
ミーフンさんに電話。事情を話す。直ぐにオートバイで
ホテルへ来てくれる。ツアー参加者、添乗員、ミンさん、
ミーフンさんでフエ中央病院緊急外来へ。
午後10時半。ホテルへ戻る。薬を飲み安定の方向へ。

私は午後9時半、日本料理店へ戻る。
日本料理店で帯広のYさん、大塚さん、石岡さん
石塚さん、仁枝さん、税田さんたちと交流会。
午後11時半まで。

投稿者 koyama : 19:28 | コメント (0)

2007年03月05日

ピースボートダナンへ、日本の投資視察団来訪

曇りのち晴れ

疲れがたまり朝起きられない。
午前7時朝食。フォー。乾麺なので美味しくない。

午前8時半、ベトナム事務所へ。
いくつかの問題の打ち合わせ。

昼食はトンチンカンホテルへうどん。

午後1時過ぎ、帝国ホテルへ日本の投資視察団の社長さん方
を迎えに。
投資視察団は、旧三和銀行系の経営者の研究会関係者が
中心となったもの。
12人の企業家が参加。中には年商1000億円の企業もある。

バオミンさんと一緒に皆さんを案内しフエ市人民委員会へ。
フエの投資環境の視察、市長への表敬訪問。

フエ側は、市長、副市長(経済担当)、外務部長、
フエ省投資計画局副局長、部長、フエ市人民委員会
事務局長など豪華なメンバーが出席。
フエ側の投資受け入れへの並々ならぬ姿勢が読み取れる。

●フエ市側

●日本側投資団


●フエ市長の挨拶


●日本側投資団団長挨拶

フエ省投資計画局がフエへの投資環境、優遇措置などの
説明を行った。
その際、フエ投資環境についてパワーポイントを使って説明したが、
スクリーンに映った日本語の文章があまりに稚拙なものなのに
驚いた。聞くとフエ市人民委員会外務部にいたJICA海外青年
協力隊員が監修したとのこと。呆れてしまう。
全体の説明文が「です調」と「である調」の混合文。
日本人投資家に説明する公式文章が「です、である」が混合されて
いたのでは普通の企業家はそれだけで説明文章を信用しなくなる。
ベトナム語を直訳しているため、日本語にすらなっていない文章。
読んでいて赤面する。ベトナム側で日本語が読める人がいないから
何とかごまかせるが、こんな文章を書くJICA海外青年協力隊員の
基礎学力そのものを疑ってしまう。「フエ科学大学」を
「フエ化学大学」と書いてしまったのは、笑ってすますとしても
公式な文章すら書けない青年協力隊員をどんな基準で選んだ
のだろうか? 海外支援などと大仰なことを言う前に
きちんとした最低限度の日本語(小学校で勉強する程度)
を身に付けた若者を選抜して欲しいものである。
この若者は、多分、本を読んでいないのではないだろうか?
おまけに日本側企業家にこの文章を「CD-ROM」にして
渡しているもの驚きである。幼稚な日本語を日本の企業家に
撒き散らしていると言っても過言ではない。

その後、日本の企業家から多くの質問が出た。

税金の優遇措置はあるのか? 利益は日本に持ち帰る
ことが出来るか?・・・・・・

今後、日本企業を誘致する場合に日本語が出来るベトナム人
が必要だが、フエには日本語学校はあるのか?との質問が
出た。市長はフエ市内にある私塾のような日本語学校が
あると回答。
ベトナム中部最大の日本語学校である静岡会館日本語学校
があることを知ってか知らずか答えない。

日本側が「日本人は温泉が好きだ。一度、温泉に入って
日本人の温泉好きを知って欲しい」との質問に、
「フエには温泉がないので、日本の温泉に入りたい」
などととぼけた回答をしている。
フエには京都の会社とフエの会社の合弁会社で
「ミーアン温泉」という立派な温泉がある。草津温泉と
同じ硫黄泉である。コテージ風の建物には室内に
温泉が引かれ、飲んだり食事をしたりすることも出来る。
また、山側には「タンタン温泉」というリゾート温泉も
ある。
投資説明をするのに市長さんが自分の町をしっかり
説明できない現実に切歯扼腕の思い。もったいない。
噂では、近々副知事に昇任するとのこと。
既にフエ市には興味がなくなったのか。


それにしても自分の仕事に関してあまり勉強をしていない
市長にも呆れる。出世も良いが、日本からわざわざ投資の
説明を聞きに来たのであるから、きちんとした答えを言い、
フエの宣伝をして欲しかった。

市長、表敬訪問後、日本側視察者の希望もあり、IT企業と
建築・都市計画会社を訪問。

●IT企業ショールーム(インテルを使ったパソコン等の開発)

●建築・都市計画会社の説明会

フエ市内の二つの企業を視察した後、日本語学校視察。
日本語学校では1月に開講した「観光基礎コース」の学生
フーン先生の指導で勉強していた。このコースは、1日4時間、
週5日間=計週20時間。2年間で1600時間の日本語教育を
行う。



日本語学校を後にして、縫製研修工場を視察。既にほぼ出来上がり
3月末の落成式典を待つのみ。3月27日か28日の予定。

午後4時半、「子どもの家」へ。
セン運営委員長と挨拶をし、私の案内で「子どもの家」を
巡回視察し、子どもたちと交流する。

1時間ほど「子どもの家」に滞在し、帝国ホテルへ戻る。
午後6時15分。帝国ホテルから徒歩10秒。日本料理店へ。



投資視察団の皆さんと懇談。私とバオミン・運営委員長が
応対。
「子どもの家」のこと、ストリートチルドレンのこと、
ボランティアのことなどを話し合う。

夕食会の最後に家庭料理「子どもの家」のスタッフの
自己紹介。
「子どもの家」の子どもたちの成長と子どもたちの成長の
ために努力している大塚さん、仁枝さん、日本人スタッフ
への労いの言葉を頂く。

フダ生ビール、焼酎、久保田千寿の温燗。

午後9時過ぎ、夕食会は終了。投資視察団の皆さんから
多額の寄金を頂く。深謝。

日本料理店の片付け、閉店。

その後、日本人スタッフでこの間のスタディーツアー、
日本料理店の運営、ボランティアなどについて深い反省会を
開く。大塚、税田、石岡、仁枝、石塚、小山。
深い反省会は午前0時過ぎまで続く。


投稿者 koyama : 17:11 | コメント (0)

2007年03月04日

地球の歩き方6日目帰国、札幌国際大学9日目帰国、ピースボート

晴天

午前5時半起床。

午前7時過ぎ、バオミンさん、ソン君と一緒にダナンへ。
午前10時にダナン港へ接岸する予定のピースボートの出迎え。

途中、フランスパンとバナナを買い簡易朝食。
昨夜午前1時に寝た。5時間弱しか寝ていないので、眠い。

車で2時間半。ダナンの軍港へ到着。既にピースボートは
着岸していた。ピースボートは1500人乗り。
今回は600人ほどの乗船者とのこと。通常よりかなり乗船者が
少なかった。

●強い日差し。既に気温は30度をはるかに超えている。


顔なじみのピースボートの責任者などと立ち話。
ガソリン代が高騰しピースボートの運営は大変なようだ。

ピースボート乗船者の中で「子どもの家」訪問を希望している
25人。

午前11時、中型バスでフエ「子どもの家」へ。
途中、車中で「子どもの家」の歴史、ベトナムの政治・経済・
文化などを話す。バオミンさんによるベトナム語講座を行う。


参加者の方々からは多くの質問があった。

午後1時半、フエ到着。その足で「オンターオ」レストランで
昼食。

午後2時半昼食終了。宿泊予定のホテルへチェックイン。
午後3時、中型バスを小型バスに乗り換えて「子どもの家」へ。

「子どもの家」では子どもたちが歓迎の準備をして待っていた。
今日は日曜日。子どもたち全員が待っている。

●歓迎の踊りの出番を待っている子どもたち

歓迎会開会。始めにセン運営委員長の歓迎の言葉


●子どもたちの出し物

●子どもたちと参加者の全員合唱

●ピースボート参加者から大量の文房具の贈呈


歓迎会終了後、バオミン・運営委員長の案内で「子どもの家」の
諸施設を参観。

「子どもの家」の子どもたちはテト正月依頼の日曜日。
庭で遊んだり、部屋で寛いだりしていた。


午後6時過ぎまで子どもたちと交流し、ピースボートは
日本料理店へ。

午後6時半、25人のピースボートは日本料理店へ到着。
早速フダ生ビールで乾杯。


会食懇談。途中で今日誕生日の方がいて、日本料理店から
誕生ケーキのプレゼント。

更に交流歓談は続く。夕食会の最後に日本料理店の
子どもたちスタッフを紹介した。

ピースボート夕食交流会は午後9時終了。

今日は朝7時過ぎから夜9時過ぎまで14時間、連続の
仕事だった。正直、体が固まって動かなくなった。
何も考える力がなくなってしまった。
2週間、休みなく仕事が続いた。ありがたいことではある。
こうして多くの人たちがフエや「子どもの家」、私たちの活動
の交流に来てくれるのは、嬉しいことではある。

地球の歩き方4班は午後5時10分、フエ空港を発って
ホーチミン市経由帰国。

札幌国際大学も午後5時10分の飛行機でホーチミン市経由帰国。


投稿者 koyama : 09:53 | コメント (0)

2007年03月03日

地球の歩き方Ⅲ5日目、札幌国際大学8日目、札幌の会Sさん一行ツアー

晴天

蒸し暑い。今日は4組のツアーの受け入れ

①地球の歩き方スタディーツアー「ナムドン山岳地帯」へ(ラム・サン)
②札幌国際大学は農村ホームステー(イックホアン・リー)
③ローターアクト長野(小山・仁枝)
④札幌の会Kさんツアー(小山・ミン)

午前8時、ベトナム事務所へ。
仁枝さんの知り合いでもある「ローターアクト長野」の皆さん
5人がベトナム事務所を訪問。しばらく懇談。
ローターアクトは、ロータリークラブが作った30歳までの
青年組織。
懇談後、「子どもの家」へ。子どもたちと一緒に市場へ買い物。


●「子どもの家」地元「タイロック市場」には、獲れたてのカツオが
 たくさん並べられていた。お刺身に最適。


午前9時半、ローターアクトの皆さんと子どもたちは一緒に
昼食作り。


午前11時過ぎ、子どもたちと食事。

「子どもの家」では男子の茶髪が流行っている。
理髪店の見習いをしている友人の染髪モデルをして茶髪に。
茶髪男子の頭を見ると染髪が「まだら模様」。

昼食後、ローターオクトの皆さんから大量の絵の具など絵画教室
への寄贈があった。

昼食後、ローターアクトはバオミン・ホテルへ。
私はトンチンカンホテルへ戻り、メールの受信・送信。
午後2時半。ベトナム事務所へ。JASS札幌の会の
Kさん一行がベトナム事務所を訪問の予定。
車が送れ、ベトナム事務所へ1時間ほど遅れる。

ベトナム事務所からバオミンさんと一緒に「子どもの家」へ
案内。既にローターアクトの皆さんも「子どもの家」に到着して
いた。

Kさんは10年前から里子のメンさんを支援してくれている。
今回は初めて奥さんも同伴。友人のファッション関係の方など
総勢5人で訪問。里子のメンさんと対面。交流。
その後、「子どもの家」を案内した。

「子どもの家」ではローターアクト長野の皆さんが
絵画教室で「風船工芸」をしていた。

ローターアクト、子どもたちと全員写真を撮る

「子どもの家」の諸活動などを札幌Kさん一行に説明。
その後、「子どもの家」の諸施設を案内。

午後6時半、札幌の会Kさん一行は日本料理店へ。
里子のメンさんも交えて日本料理を堪能し歓談。

●日本料理店前で。札幌の会Sさん一行とメンちゃん


日本料理店では同時間帯に地球の歩き方4班(31人)が
来店。接待するベトナム事務所員、札幌の会Kさん一行など
合計40人ちょっとの来客接待となり、大塚さん、仁枝さんを
はじめ接客・厨房の子どもたちは大忙し。




地球の歩き方4班の添乗員森山さんの乾杯の挨拶。
今日で地球の歩き方4班は最終日。ベトナム事務所員と交流の
夕食会となった。ベトナム事務所も最大限参加。
石岡先生、ミーフンさんは日本語学校の授業で欠席。

●ベトナム事務所の税田さんと参加者

●ベトナム事務所・日本語教師のサンさんと参加者

●日本語教師の石塚先生とサン先生、参加者


●ビール・生ジュース代の集計に没頭するホン・ニーさん

●ベトナム事務所員 ソン君と参加者


●接客担当のグエットさんと10年来の「子どもの家」友人メンさん


地球の歩き方4班との交流は午後9時まで続き、ホテルへ戻る。

帯広のYさんも日本料理店の手伝いに参加。
地球の歩き方の皆さんが帰られた後、関係者日本人スタッフ
全員(大塚・仁枝・Y・税田・石岡・石塚・小山)で今日の
地球の歩き方(31人)と札幌の会Kさん一行(6人)の
接客、調理など日本料理店の運営などについての
「深い」反省会を行う。反省会は甲論乙駁。深夜まで続く。
午前12時過ぎ、反省会は終了。

今日は朝5時起床、就寝午前1時。21時間の連続活動となった。
流石に物事を考える気力がなくなってしまった。

明日(正式には今日)は午前7時過ぎにピースボートの出迎えのため
トンチンカンホテルを出発する。

投稿者 koyama : 12:09 | コメント (0)

2007年03月02日

地球の歩き方4日目、札幌国際大学7日目

晴天

午前5時、起床。3月1日の日記を書く。
午前7時、朝食。5人揃う。ブンボーフエ。

午前8時過ぎ徒歩、ベトナム事務所へ。
右足ひざが痛い。
しばらく会議室で読書「細雪」。
4女妙子の結婚問題で揺れる4姉妹と関係者。

午前9時、札幌国際大学の皆さんがベトナム事務所へ。
会議室で「ナムドン少数民族訪問」にプレ講義。
簡単なベトナムの歴史、何故ベトは54民族の他民族国家なのか?
ナムドン山岳地帯とJASSの付き合い、JICA障害児支援、
ベトナムの少数民族問題とその現状、少数民族は貧しく
可愛そうな民族か? 1時間15分ほど話をする。

その足でバオミンさん、リー君の引率でナムドン山岳地帯へ。

午後1時、昼寝。体がだるく2時間寝てしまう。

午後3時から新しく出来たスーパーマーケットへ買い物。
乾麺、インスタントラーメン、ツナ缶、固いチーズなど800円相当。
昼食関連の食料調達。

午後4時、散髪。140円。1993年9月から行っている散髪屋。
黙って座ると決まった散髪をしてくれる。

午後6時半、札幌国際大学、バオミンさんと夕食懇談会。

今日行ったナムドン山岳地帯・少数民族の皆さんとの交流などに
ついて話す。

豚肉のしょうが焼き、ポテトサラダ、豚の角煮、野菜の浅漬け、
ご飯、みそしる。
特に豚肉のしょうが焼きは柔らかく美味しい。大塚さんが
細かく作り方を子どもたちに教え、子どもたちが調理したもの。

私は豚肉のしょうが焼きをおつまみに「フダ生ビール」グラス4杯か
5杯を楽しむ。

〆のデザートは「あんみつ」。大塚さん特製。さっぱりした上品な
甘さ。


既に今日で連続9日間の仕事。これからの日程を見ると
5週間ほど連続して仕事が入っている。体がもつのだろうか?

投稿者 koyama : 19:24 | コメント (0)

2007年03月01日

地球の歩き方3日目、札幌国際大学6日目

晴れのち曇り
気温30度 湿度85%

気温の変化が大きい。夕方は寒くなる。
1日中、体がだるい。横になると眠くなってしまう。

午前7時朝食。ブンボーフエ。石塚さんが体調を崩し、
朝食を欠席。午後2時からの日本料理店会議には参加。

午前7時40分、ズイタンホテルへ。地球の歩き方3班の
皆さんを迎える。2人、体調を崩した人がいる。しばらく
部屋で休む。


午前8時、シクロに乗って「子どもの家」へ。
ハンさんとソン君が付き添う予定だったが、ハンさんの
体調が悪いので、私の方で家で休むよう電話をする。
ソン君と私で29人のツアー参加者をシクロで「子どもの家」
まで案内。ソン君は緊急事態即応のためオートバイで。


午前9時前、「子どもの家」へ。
「子どもの家」では午後登校の子どもたちと料理担当の
スタッフ「ムオイさん」が待っている。
その足で近くの「タイロック市場」へ昼食の食材を買出し。



午前9時半、「子どもの家」へ戻り、子どもたちと一緒に
昼食作りを始める。

●生きた海老の皮むき

午前11時過ぎ、「子どもの家」と一緒に昼食を摂る。
ご飯、かつおの唐辛子入り煮物、空芯菜のスープ、
肉と野菜炒め。

午後1時過ぎ、シクロでホテルへ帰る。

読書「細雪」。400ページ読了(1000ページ中)
長女鶴子一家の東京転勤。次女幸子と神経衰弱を
患っている悦子、3女雪子。
昭和13年頃の東京見物。敗戦7年前の東京の
様子が克明に描かれる。大阪の没落上流階級の
娘たちの東京旅行。「女中さん(文中引用)」を
2人連れての東京見物。次女幸子が見た東京と
東京の感想。干からびた雑然とした東京は
大阪の自分たちの住むところではない、東京は嫌いだ
というもの。それもで二人の女中さんを日光旅行に
行かせ、中禅寺湖・華厳の滝などの見物をさせている。

午後2時、日本料理店全員会議。


3月5日から昼の部を再開すること、勤務時間、勤務のシフト
などを話し合う。


大塚さんからは、料理は自分の両親・家族に作っていると言う
心持で作らなければ駄目だという話があった。
また、大塚さんは6月に一時帰国し、体調の精密検査をする予定。
体調がよければまた、いつか日本料理店でみんなと仕事をする
という内容の話をした。大塚さんが日本料理店を辞めてしまうと思い、
涙する子どもたちもいた。午後3時半まで日本料理店の様々な話を
する。子どもたちからも意見・要望などが出る。

午後5時過ぎ、帯広のYさんとミンさんで里子のヒエウ君の家へ行く。
10年間支援しているヒエウ君は18歳になる。

Yさんは1997年からヒエウ君を支援している。障害のあるヒエウ君。
最近は精神的な問題もほとんど改善。
タクシーで20分。フオン川支流のフーハウ地区の市営住宅に母親と
二人で住んでいる。家賃は月額400円。
Yさんは、7年前にヒエウ君に会っていたが、今回、あまりに成長している
のに驚く。長年ヒエウ君が欲しがっていたカメラをお土産に渡す。


ヒエウ君は、先年亡くなったYさんの旦那さんと自分の写真を「合成」
した写真を作り、ベッドからみえる所に飾り、感謝の気持ちで毎日見て
いたとのこと。

1997年、フエ市内の美術館の裏の薄暗い倉庫の中で
ひっそりと暮らしていたヒエウ君母子。諸般の事情で
表に立てない立場である。家も収入もなく、子どもは
手足麻痺の障害がある。学校へも行っていなかった。
その日の食事をどうするのかが最大の問題だった。
テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」を見た帯広のYさん。
直ぐに支援も申し出てくれた。里親担当の渡辺和代さんが
偶然、ヒエウ君を里子につけた。人生の『縁』(えにし)である。
帯広のYさんの支援を受け、通学、生活も安定。
その後、フエ市への働きかけで市営住宅へ入居。
現在は衣食住も最低のものは保証され、安心して
暮らすことが出来る。たった一人の人間ではあるが
こうして10年間、紆余曲折を経て、自立へ向かって支援が
出来たことを幸せに思う。そうした機会を作ってくれた
ヒエう親子に感謝したい。小さな小さな日越友好活動でも
ある。物をあげ、建物を作るという「箱物支援」では味わえない
人間支援である。


ーーーーーーーーーーーーーーーー
2月の日本料理店来客数。(2月17日前後から2週間ほどテト閉店)
165人。日本人以外の来客15%。

2006年5月(150人)
     6月(158人)
     7月(168人)
     8月(403人)
     9月(385人)
    10月(117人)
    11月(143人)
    12月(154人)
2007年01月(111人)
     02月(165人)

合計 1954人(10ヶ月間)

大塚さんをはじめ、仁枝さん、税田さん、7人の子どもたち、
日本語教師、鳥取の徳岡さん、茨城の中村さんなど
多くの方々のご支援で日本料理店は大きく成長した。
困難ばかりの毎日だったが、「困難を恐れず
行動を起こすこと」で前進できることを物語っている。
日本料理店には全くの素人集団が、まがりなりにも
10ヶ月間苦闘しての到達点。関係者の皆さんに
改めて感謝。これで7人の子どもたちの自立と
就職の受け皿が出来た。日本語教師や
日本人スタッフの朝食・夕食代も日本料理店の
収益から出すことが出来た。
但し、大塚さんをはじめ日本人スタッフの無料奉仕
がその基底にあることを忘れてはならない。

投稿者 koyama : 18:50 | コメント (0)