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2007年03月23日
地球の歩き方Ⅵ4日目、ブレラ社長帰国
晴天
急激に気温が上がる。
気温28度、湿度85%。
午前7時、朝食。フォー。
午前8時、ズイタンホテルへ。地球の歩き方Ⅵ班の
皆さんと合流。
今日はグエンフエ高校との交流。
3月26日は「ホーチミン青年同盟」創立76周年記念日。
また、32年前の3月26日、フエが北ベトナム軍に
よって「解放」された記念日でもある。
グエンフエ高校はこの2つの記念日を記念して
フエの近くの山でキャンプを行い1泊する学校行事を
行う。
地球の歩き方Ⅵ班はそのキャンプに招待され交流することと
なった。
午前8時過ぎ、バオミンさん、ソン君、私が同行し
森山添乗員、27人のスタディーツアー参加者で
バスで山に入る。
山でキャンプをする最大の理由は、32年前まで戦われた
『ベトナム戦争』で共産党・ホーチミン青年同盟員が山岳地帯に
こもり、アメリカ軍、南ベトナム軍と戦った過去の歴史を
追加体験させるためのものである。
各クラスごとにテントを作り、飾りなどを工夫し、一晩をともに
過ごす中で「革命の思想」とクラス・学校全体の団結を
固めることを目的としている。
午前9時山に到着。
テント張りや草刈などを行い、クラスごとにテントの整備を行う。
地球の歩き方の皆さんも作業を手伝う。
午前9時半、グエンフエ高校キャンプ大会開会式
校長先生、副校長先生(3人)などと一緒に並び、
紹介される。
2000名の生徒と100名の先生方が整列。国家斉唱。
ホーチミン青年同盟の歌斉唱。
「子どもの家」からグエンフエ高校には2人の子どもたちが
通学している。
グエンフエ高校はトゥアティエンフエ省(100万人)の
県立高校ではトップ校。
高校2年のトゥーイさん。
高校1年のターオさん
その後、グエンフエ高校生と交流
●テントの中で交流
●ゲームやバンブーダンスをして交流
●日越の若者交流・記念撮影
午前11時半、山を後にして昼食。
市内の「ブンボーフエ」の専門店へ。
午後1時。自宅へ戻る。
昼寝。
読書「フリーズする脳」読了
脳のネットワーク作り。一つのことに執着せずに
多面的な生活行動が「ぼけ」を防止する。
漢字や計算だけするような「訓練」は、偏ったやり方と
批判的。多少の悩み事、苦しみこそ、脳のフリーズを
防いだり、ぼけ防止に繋がるとのこと。
午後3時、バオミンさんのオートバイで「子どもの家」へ。
セン委員長から子どもたちの問題で相談があるとのこと。
「子どもの家」の子どもたちの問題について、話し合う。
L君(小学校2年生)の祖母が、L君を学校の帰りに
連れ帰ってしまったとのこと。
L君の祖母を呼んで事情を聞く。
(祖母の言い分)
テト正月に自宅へ帰ってきた。L君の手に湿疹があった。
「子どもの家」は衛生状態が悪く、食事をしっかり与えていない。
こんな所に孫を入れて置けないので連れて帰った。
(いくつかの証言)
・寮母さんの証言。
先日、祖母がぼろぼろの衣服をまとい、
L君の手を引いて町で物乞いをしていた。
・近所の人の証言
L君と祖母は物乞いをしている。
・L君の叔母(刺繍土産物で仕事中。「子どもの家」にいた)
祖母はL君を育てる力がない。何とか「子どもの家」に
入れておいて欲しい。
(セン委員長と私が言った事)
・「子どもの家」は衛生状態も普通。食事も学校へもきちんと
行かせている。
・L君は「子どもの家」で生活し、学校へ行って成長するのが
一番良い。
3年ほど前、刺繍みやげ物店で仕事をしているHさんに
頼まれ、L君と祖母の家へ行く。5畳ほどの狭い下宿。
ほこりだらけの部屋に二人は住んでいた。
祖母は、路上の物売りをしていたが、収入が少なく
自分で食べるだけで精一杯。祖母から「L君の生活の
面倒が見られない。学校へ通わせられない」と言われ
入所させた経緯がある。
祖母には、もう一度よく考えるように。L君を直ぐに
「子どもの家」に戻すよう説得。
祖母は考えると言って帰っていった。
その後、センさんなどと懇談。L君の処遇について
①「子どもの家」で生活することが最良の道
②祖母が「子どもの家」は汚いなどと言っているのは
言いがかりをつける口実。本心は、言いがかりをつけて
何がしかのお金をもらうこと。
③L君を学校帰りに連れて帰ってしまい、L君を利用して
物乞いをしていることは事実。祖母は、自分で働くことが
嫌になり、小2のL君を使って物乞いをしたいために
連れ去った。
④今後、更に祖母を説得してL君を「子どもの家」へ
返すようにする。出来るだけ短時間でL君を
「子どもの家」へ返す。長期化するとL君の勉強や
生活に大きな影響を与える。
⑤3月26日、再度L君も同伴して祖母と話し合うことにする。
ほかに何か事情があるかもしれない。今日の祖母の
話だけでは要領を得ない。
祖母の例のようにこの5年~6年で一気に
『景気』の良くなったフエでは、こうした「お金」にまつわる
様々な話を聞く。
グエンフエ高校のキャンプ。校長先生、教頭先生と
キャンプ中にお茶を飲みながら話し合った。
「10年前の生徒と今の生徒では変わった所は
ありますか?」と私が聞く。
校長先生は「今の子どもたちの多くはお金持ち。贅沢すぎる。
キャンプにもデジカメからアイポッドまで持ってきている。
我慢が出来なくなり、努力をしなくなった。グエンフエ高校
では、貧しい家庭の子どもたちが頑張って勉強し成績も
良い」。
「キャンプを行うにあたって父母会を開き、キャンプ実施への
了解を取った。その際、ほとんどのクラスで、数人の父母が
私はお金があるのでクラス全員のキャンプ参加費用(1000円)
を寄付したい、との申し出があった。1クラス45000円程の
お金を寄付する父母が結構多くいた」とのこと。
45000円は農村の年収である。
グエンフエ高校は県立高校のトップ校。入学した生徒の
多くはフエの上流階級の師弟。小学校から塾に通い、
中学校では家庭教師や数種類の塾に通って入学してきた
生徒が多い。家庭教師や数種類の塾の費用だけでも
一人の労働者の月給をはるかに越えている。こうしたお金を
苦労なく支出できる階層が出てきたいる。
フエは今、土地と家のバブル状況。土地を買ってしばらくおくと
2倍から3倍に値上がりしている。観光客が増大し、ホテル建築
ラッシュ。建築会社やそれに関連する県営・市営企業は
大もうけをしている。こうした関係者や共産党、行政の幹部は
莫大な「裏金」を得ているのは事実である。こうした階層の
師弟は、小学校・中学校・高校などでもぜいたく品を沢山持っている。
「子どもの家」の子どもたちもクラスでこれらの師弟の生活を
見て、あこがれる傾向がある。物とお金に・・・・・。フエの社会
全体が今「バブル」「金権主義」の渦中にあるように思える。
フエで一番有名なアオザイ屋「チー」。
昨日、バオミンさんのオートバイでその店の前を通ったら
「チー」がなくなっていた。代わりに金細工屋さんになっていた。
「チー」の社長はフエ有数のお金持ちである。
事情を聞いた。「チー」の社長が大金をもっているのに任せて
ホーチミン市に沢山の土地と家屋を「投機目的」で購入。
更に大量の物件を購入するため銀行から借金。
しかし、借金が返済できなくなり、昨年倒産したとのこと。
祖母とA君も大きな意味では「フエ・バブル」の影響、その被害者
ともいえるかも知れない。
L君とA君の今後についてはもう少し時間をかけて判断をする
必要がある。
「子どもの家」では地球の歩き方Ⅵ班が子どもたちと
スイカ割りを楽しんでいたい。
午後5時。縫製研修で宇都宮縫製工業組合に行った研修生が
3年の研修期間を終わり帰国。「子どもの家」にいた私に
帰国の挨拶に来た。3年ちょっと前に日本語学校で日本語を
教えた生徒である。「縫製研修センター」で何人かを採用する
予定。
午後7時。関係者と懇談。
午後8時半、日本料理店で日本人関係者と今後のJASSベトナムの
運営について検討会。午後11時半まで続く。
「アクセサリー研修センター」指導のブレラH社長さん、T社員の
お二人が帰国。4日間のフエ滞在に深謝。
投稿者 koyama : 2007年03月23日 16:11