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2007年03月01日

地球の歩き方3日目、札幌国際大学6日目

晴れのち曇り
気温30度 湿度85%

気温の変化が大きい。夕方は寒くなる。
1日中、体がだるい。横になると眠くなってしまう。

午前7時朝食。ブンボーフエ。石塚さんが体調を崩し、
朝食を欠席。午後2時からの日本料理店会議には参加。

午前7時40分、ズイタンホテルへ。地球の歩き方3班の
皆さんを迎える。2人、体調を崩した人がいる。しばらく
部屋で休む。


午前8時、シクロに乗って「子どもの家」へ。
ハンさんとソン君が付き添う予定だったが、ハンさんの
体調が悪いので、私の方で家で休むよう電話をする。
ソン君と私で29人のツアー参加者をシクロで「子どもの家」
まで案内。ソン君は緊急事態即応のためオートバイで。


午前9時前、「子どもの家」へ。
「子どもの家」では午後登校の子どもたちと料理担当の
スタッフ「ムオイさん」が待っている。
その足で近くの「タイロック市場」へ昼食の食材を買出し。



午前9時半、「子どもの家」へ戻り、子どもたちと一緒に
昼食作りを始める。

●生きた海老の皮むき

午前11時過ぎ、「子どもの家」と一緒に昼食を摂る。
ご飯、かつおの唐辛子入り煮物、空芯菜のスープ、
肉と野菜炒め。

午後1時過ぎ、シクロでホテルへ帰る。

読書「細雪」。400ページ読了(1000ページ中)
長女鶴子一家の東京転勤。次女幸子と神経衰弱を
患っている悦子、3女雪子。
昭和13年頃の東京見物。敗戦7年前の東京の
様子が克明に描かれる。大阪の没落上流階級の
娘たちの東京旅行。「女中さん(文中引用)」を
2人連れての東京見物。次女幸子が見た東京と
東京の感想。干からびた雑然とした東京は
大阪の自分たちの住むところではない、東京は嫌いだ
というもの。それもで二人の女中さんを日光旅行に
行かせ、中禅寺湖・華厳の滝などの見物をさせている。

午後2時、日本料理店全員会議。


3月5日から昼の部を再開すること、勤務時間、勤務のシフト
などを話し合う。


大塚さんからは、料理は自分の両親・家族に作っていると言う
心持で作らなければ駄目だという話があった。
また、大塚さんは6月に一時帰国し、体調の精密検査をする予定。
体調がよければまた、いつか日本料理店でみんなと仕事をする
という内容の話をした。大塚さんが日本料理店を辞めてしまうと思い、
涙する子どもたちもいた。午後3時半まで日本料理店の様々な話を
する。子どもたちからも意見・要望などが出る。

午後5時過ぎ、帯広のYさんとミンさんで里子のヒエウ君の家へ行く。
10年間支援しているヒエウ君は18歳になる。

Yさんは1997年からヒエウ君を支援している。障害のあるヒエウ君。
最近は精神的な問題もほとんど改善。
タクシーで20分。フオン川支流のフーハウ地区の市営住宅に母親と
二人で住んでいる。家賃は月額400円。
Yさんは、7年前にヒエウ君に会っていたが、今回、あまりに成長している
のに驚く。長年ヒエウ君が欲しがっていたカメラをお土産に渡す。


ヒエウ君は、先年亡くなったYさんの旦那さんと自分の写真を「合成」
した写真を作り、ベッドからみえる所に飾り、感謝の気持ちで毎日見て
いたとのこと。

1997年、フエ市内の美術館の裏の薄暗い倉庫の中で
ひっそりと暮らしていたヒエウ君母子。諸般の事情で
表に立てない立場である。家も収入もなく、子どもは
手足麻痺の障害がある。学校へも行っていなかった。
その日の食事をどうするのかが最大の問題だった。
テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」を見た帯広のYさん。
直ぐに支援も申し出てくれた。里親担当の渡辺和代さんが
偶然、ヒエウ君を里子につけた。人生の『縁』(えにし)である。
帯広のYさんの支援を受け、通学、生活も安定。
その後、フエ市への働きかけで市営住宅へ入居。
現在は衣食住も最低のものは保証され、安心して
暮らすことが出来る。たった一人の人間ではあるが
こうして10年間、紆余曲折を経て、自立へ向かって支援が
出来たことを幸せに思う。そうした機会を作ってくれた
ヒエう親子に感謝したい。小さな小さな日越友好活動でも
ある。物をあげ、建物を作るという「箱物支援」では味わえない
人間支援である。


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2月の日本料理店来客数。(2月17日前後から2週間ほどテト閉店)
165人。日本人以外の来客15%。

2006年5月(150人)
     6月(158人)
     7月(168人)
     8月(403人)
     9月(385人)
    10月(117人)
    11月(143人)
    12月(154人)
2007年01月(111人)
     02月(165人)

合計 1954人(10ヶ月間)

大塚さんをはじめ、仁枝さん、税田さん、7人の子どもたち、
日本語教師、鳥取の徳岡さん、茨城の中村さんなど
多くの方々のご支援で日本料理店は大きく成長した。
困難ばかりの毎日だったが、「困難を恐れず
行動を起こすこと」で前進できることを物語っている。
日本料理店には全くの素人集団が、まがりなりにも
10ヶ月間苦闘しての到達点。関係者の皆さんに
改めて感謝。これで7人の子どもたちの自立と
就職の受け皿が出来た。日本語教師や
日本人スタッフの朝食・夕食代も日本料理店の
収益から出すことが出来た。
但し、大塚さんをはじめ日本人スタッフの無料奉仕
がその基底にあることを忘れてはならない。

投稿者 koyama : 2007年03月01日 18:50

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