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2013年10月31日

終日、自宅で仕事

午前5時起床

午前8時から30通の受信メールへの返信。

奨学金贈呈者へのメール送信。

午後、「時差ボケ」対策として、1時間半程ウオーキングをし
昼間に寝ることを阻止するよう努力。


午後6時過ぎから更に受信した15通のメールへの
返信。

2014年2月東京で行われる「JASS現地報告会」に
ついて、関係者にメール送信。

今日で「ピロリ菌」撲滅の薬1週間投与を終了する。
1週間、朝食、夕食後に「5種類の薬」を飲む。

これから2ヶ月後に再度「ピロリ菌検査」をし、
ピロリ菌が胃の中にいるかどうかを調べる。
2014年の2月の現地報告会で帰国するまで
検査は延長される。

投稿者 koyama : 19:39 | コメント (0)

2013年10月30日

高校クラス会「分派会議」

かなり寒く感じた。

午前1時過ぎには『目覚める』。
「時差ボケ」が未だに直らない。昼間眠くなり、夜目覚める。

午前5時起床。受信メールへの返信。いくつかの文章を
書きまとめる。

午前11時前、テレビ関係者から取材関連の電話。
1時間程話す。

午前11時、自宅を出て「上野」へ。
午前12時。上野「アメ横」のお店へ。

高校の「分派会議」開催。少しずつ、分派・分裂主義者の
人数が増えてきた。

当初予定の「魚専門店」で軽く「旧交」を温める。

分派・分裂主義者6人結集。
皆さん、それぞれの日々の活動、取組、関心などを
報告・話し合う。


まだ、皆さん「仕事」をしている。仕事をしながら「バンド」
等もしている。大したものである。


2時間程、交流。

その後、第2店目へ。



更に第3店目で分派会議の分派。3人で引き続き、人生を語る。


夕方、自宅着。

投稿者 koyama : 10:41 | コメント (0)

2013年10月29日

自宅で休養

午前中、赤塚公園、東京大仏などへウオーキング

 読書「社会を変えるには」(小熊英二著 講談社現代新書)

ギリシャ・ローマ時代からの「民主主義概念」などを論述し、
現代の「自由民主主義、代議制度の国会、選挙などの
歴史的な論考をしているが、興味のあるところである。


1週間、胃のなかの「ピロリ菌」撲滅の薬を朝食・夕食後に
飲まなければならない。規則正しい生活が求められる。

テレビ局から取材の申し入れ。電話が話す。


ベトナム事務所からいくつかのメール受信。

投稿者 koyama : 09:34 | コメント (0)

2013年10月28日

国際ソロプチミスト東京東の役員懇談会

昨夜も午後11時に目が覚めてしまい、朝、5時まで眠れなかった。
午前5時起床。お茶を飲み、フエ帰国までの日程等を
整理。

午前10時、自宅を出て地下鉄で神保町→赤坂まで

赤坂の「虎屋」の地下にある「辻留」という京懐石料理屋へ。

国際ソロプチミスト東京東の役員の皆さんとの懇談会。

「辻留」の奥さんもソロプチミストの会員。

辻留の美味しい懐石料理を頂きながら、今後の
国際ソロプチミスト東京東の障害児支援などの話をする。
東京の皆さんが、フエに障害児医療センターを2回に
渡って建築してくれたのは、1995年ころ。JASSとの
お付き合いは、20年弱に及んでいる。

この20年間、色々な団体・個人の皆さんがJASSの
活動やフエの子どもたち、障害児などの支援を
行ってくれた。途中で諸般の事情で支援から離れて
行った方もいる。これは致し方ないことである。

国際ソロプチミスト東京東の一色元会長や植松さんなど
の皆さんは、本当に私心なく、「子どもの家」や子どもたち
障害児医療センターへの心からの支援を進めてくれている。
感謝している。

また、今日お会いした皆さんの「奉仕への強い気持ち」が
伝わって来た。

辻留の懐石料理は、美味しい。

午後2時頃、話し合いを終わり、帰宅。


ーーー
昨日、「みのもんた」のテレビ番組降板記者会見を
見た。

本人の会見での発言と私の感じは随分ずれていた。

「自分はジャーナリストになりたい」と言っていたが、
安倍首相と一緒に食事をする中で、権力を批判・監視を
することが最大の役割りであるジャーナリズムの一員
でありたいと言っても無理である。

逮捕された次男を「殴ったりして」厳しく育てたと言っていた。
しかし、次男は「日本テレビ」、娘は「TBS」に就職している。

試験で公正に入社したとは、誰も思っていないであろう。

日本テレビでは長年「昼の番組」をしていた。
TBSでは、朝の番組のメインをしていた。
そうした「親の力を使って」子どもたちをテレビ局に就職
させたことは明らかのように思える。

そのこと自体を見ても「親として子どもたちを甘やかして
育てた」との反省があるべきだと思った。

30代の息子の犯罪に親は関係ないという意見はその通り
ではある。しかし、同様の犯罪事件などを取り上げ、
時には、家族、親の養育などをコメントしている立場でもある
人だ。一般の人間とは違う立場にある。みのもんたの
一言は国民の意識・行動に大きな影響を与える立場に
あることは事実である。息子の犯罪にたいして法律上の
責任はないが、職業上の道義的な一定の責任はあるように
終えた。

投稿者 koyama : 09:47 | コメント (0)

2013年10月27日

時差ボケとの闘い

昨夜も午前0時頃に目覚め、朝まで眠れなかった。
未だに「時差ボケ」で「昼夜逆転」状態が続いている。

昼間に寝ないよう午前中、キューバ・アメリカ旅行の
荷物整理。旅行記の整理などを行う。

昼頃なると眠くなってきた。ベトナムに居れば、
昼食後2時間程「シエスタ」昼寝をするのだが、
今、シエスタ昼寝をしたら午後10時頃までねてしまう。

外にでる。寒い。

上野へ行く。上野は、父親に子どもの頃、よく連れていかれた
浅草の「匂い」があるので大好きだ。

何枚かのCDを買う。「中森明菜」「八代亜紀」「テレサ・テン」

ついでに、いつもの「大統領」へ。午後4時帰宅。

インターネットの接続の調子が悪く、数分でインターネットが
切れれしまう。

2時間程、色々とやってみるが、直らない。私のインターネット
知識と技量では、解決不能。2週間ほどすればフエに帰れる。
フエで直そう。

テレビで「みの もんた」の担当番組降板記者会見を見た。
色々と思う所があった。


投稿者 koyama : 08:45 | コメント (0)

2013年10月26日

岩波ホール映画鑑賞「ハンナ・アーレント」

(インターネットの調子が悪く、1分程度でインターネットが
 切れてしまう。直す方策を知らない・困ったものだ・・・・)


午前2時目覚める。
キューバ・アメリカ旅行の後遺症で、「昼夜逆転」の生活が直らない。日中「眠って」しまい、「夜、目覚める」という体が直らない。
午前9時半、自宅を出て、神保町の「岩波 ホール」へ。30歳代の頃、岩波ホールの
すぐ近くで5年間程、働いたことがある。
 岩波ホールで初日を迎える映画「ハンナ・アーレント」(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督・ドイツ)を観る。約2時間。
 午前11時過ぎ、岩波ホールへ。
この映画の初日。
既に観客が並んでいた。大人1800円・シニア1500円。切符売り場で2000円出す。係りの人が「シニアですか?」と聞くので「ハイ」と答えると1500円にしてくれた。9階の映写室へ。途中で「先着者へ「ドイツ・リッタースボーツ・チョコをもらう。
「ハンア・アーレント」という題名は、ドイツ系ユダヤ人名(女性)。ヒトラー占領下のフランスで
ヒトラー「収容所」に連行。その後脱出。
ドイツ・ヒトラー時代に「ナチスに加入した」ハイデガーに師事。不倫関係になる。
 1951年、米国国籍取得。プリンストン大学などで哲学等を教える。
 1961年、ナチスでユダヤ人を強制収容所に送る責任者だった「アイヒマン」がイスラエルの秘密警察が逮捕。イスラエルで「アイヒマン」の公開裁判が開かれる。
 哲学者・ハンナ・アーレント教授は「ニューヨーカー紙」の特派員として、「アイヒマン裁判」の傍聴記を書く。
 当然ではあるが、ナチスの在仏強制収容所に入れらたユダヤ人である「ハンナ・アーレント」女史が、「戦犯・大量ユダヤ人虐殺者」の最高責任者である「アイヒマン」を厳しく批判し、断罪を要求する「傍聴記」を書くと世界中の「ユダヤ人」や反ナチ主義者が期待していた。ところが、「ハンナ・アーレント教授」は、紙上に「アイヒマンは、ヒトラーなどの命令を忠実に執行した遵法精神を持った官僚だった」との批評を書く。
アメリカ中、イスラエル・ユダヤ人世界で
「人種虐殺遂行最高責任者であるアイヒマンの罪を免罪するもの」との厳しい批判が、世論中から出され、厳しい批判にさらされる。
しかし、ハンナ・アーレント教授は、断固としてそれらの批判に立ち向かい、アイヒマン」は、ナチス権力機構の一環として、単に事務的な部分を担当していたにすぎないと自己評価することで自分の犯した罪の大きさを認識できないでいる平々凡々で陳腐な人間であった(悪の陳腐さ・凡庸)と把握したと新聞にその傍聴記を書く。同時にヒトラー政権当時、イスラエルグループの責任者が、ヒトラーに協力していたことを暴露する。
こうした傍聴記に対して、アメリカやイスラエル・世界中の「反ナチズム」勢力からの厳しい批判を受ける。しかし、「アーレン」は
それらの批判に同じず、「人間の心の奥には、
その時の空気の流れ、雰囲気、時代背景、組織・社会の中で、人間は制約される。、そして、凡庸で忠実な官僚として、悪を行う」と主張し続ける、といった内容。

結論は出ない、「問題提起」の映画である。
哲学者「ハンナ・アーレント」の主張は一理あると思える。
アイヒマンをユダヤ人の収容所送りの最高責任者と断罪することは可能だが、振り返って、自分自身を見た場合どうなのか?
組織の中で「真面目に仕事をしよう」とすればするほど、悪の凡庸にならないか?
大阪の「阪神・阪急レストラン」とかなんとかいう高級レストランで事実上の「偽装」があった。しかし、社長も関係責任者も私達会社は知らなかった、担当社員が勝手に行ったこと」と主張し、最悪の「偽装工作をした」ということを否定する。みずほ銀行の暴力団融資問題も当初、社長など責任者は、「知らなかった」を連発。

これらの人間の行動を見ると、「ハンナ・アーレント教授」の言いたかったことは、真面目な人間であればある程、組織を守る忠実な「官僚になるのだ」との主張はあながち、誤ったものでもないように思えた。
 
これは、革新系の組織では更に強いものがある。社会主義・共産主義系組織では、上部が決めたものには、100%忠実な「凡庸な官僚」として、上部の決定を忠実に遂行する。少しでも疑問をもった人間には、厳しい批判をし、組織排除を行う。上部の決定はたびたび誤ったものであっても・・・。
ナチスの蛮行を批判する人々に対して、「アイヒマン、ヒトラー」への批判は正しいが、あなた自身は、「今、自分の置かれているポジションで、アイヒマンと同じ行動をしているのではないのか? 凡庸な官僚として、忠実に上部の決定を遂行する人間」・・・・
ハンナ・アーレントの提起した問題は、今日の組織化された社会で生きる一人一人の人間の生き方の問題を鋭く突きつけているように思えた。

午後4時過ぎ帰宅。眠くなる。昼寝のつもりで一時横になる。気づくと午前3時だった。
アメリカ旅行の時差が「昼夜逆転」として残っている。

映画終了後、池袋の西口「東京芸術劇場」前の広場で4月・10月に行われる「青空古本市」へ。
「ナチズムとユダヤ人」(100円)
「ヒトラーの台頭」〈500円〉
「戦後革命運動論争史」(840円)
「有線ヒット曲全集(1978年:100円


投稿者 koyama : 10:23 | コメント (0)

2013年10月25日

昨日ロスから成田へ帰国:時差ボケ・・・

昨日、午後12時、ロスを出発。(米国時間)

午後5時過ぎ(日本時間)、11時間程かけてロサンゼルスから成田着。
この時点で既に米国時間では、午前0時頃。

成田空港でバオミンさん一行3人と別れる。
バオミンさん一行は1時間後に更に ホーチミン市へ。

私は京成スカイライナーで帰宅。

帰国後、自宅へ帰り荷物の整理、メールの送受信。

この時点で体は、午前1時か午前2時。

アメリカとの時差の関係で、「時差ボケ」状況。

ーー

今日は、午前9時過ぎ歯科医へ。

2週間前に作った「インプラント」の第1次本歯のチェック。

今日は、第2次本歯(最終本歯)の型を取り、11月8日
最終的にインプラント歯が出来上がる。
きちんと食事ができるまでには、もう少しの時間が必要。

時差の関係では体はアメリカにいる状況。
昼過ぎには、眠くなる。

午後1時から午後7時まで寝てします。

ベトナム事務所の日本人スタッフと電話。

北海道の支援者から電話。

東京の支援者から電話。

2週間強のキューバ・アメリカ旅行の疲れが出る。

しばらくは体調の管理が必要。

投稿者 koyama : 22:20 | コメント (0)

2013年10月07日

通院:訪米準備

午前10時、先日受診した「胃腸病院」へ。

先日、「ピロリ菌有無」の検査をした。
今日は結果を聞きに行く。

ピロリ菌は、基準値の3倍程度あるとのこと。
先日の「胃カメラ」検査で「萎縮性胃炎」と診断された。
十分その意味は解らなかったが、「ピロリ菌パンフ」を
読むと、『ピロリ菌は、感染すると胃に炎症をおこし、
長い間炎症が続くと胃粘膜の胃酸などを分泌する
組織が消失した状態(萎縮性胃炎)になるとのこと。
更に進むと一部の患者では、胃がんになることも
報告されている』とのこと。

先日の診断で「萎縮性胃炎」との診断を受けた。
更にピロリ菌があると「胃がん」への道に進む
可能性がなくもない。危険因子は除去しておいた方が
良いと思い、「ピロリ菌」検査をしたが、陽性(いる)
ということが分かった。

このまま放置すると「胃がん」への可能性がゼロではない
ように思い、「ピロリ菌除菌」措置を行うことにした。

1週間、数種類の投薬を行う。

明日から「キューバ・アメリカ」へ仕事で出かける。
帰国してから1週間、ピロリ菌除菌を行うことにした。


午後半日かけて、明日からの海外旅行の諸荷物の
準備をする。

縫製関係のSさんと連絡を取り合う。一つの仕事
終える。

バオミンさんに3回ほど電話。

数年前に「寄生虫」が原因で体中に赤発が出き、大きな
腫物が体中にできた。

今日、その前兆である赤発と小さな腫物ができ始めた。
バオミンさんに電話をし、この発疹を治す薬をベトナムの
医院でもらってきてもらうようお願いする。


この間、食事があまりできず、体力、免疫力が相当
低下している。

腕に湿疹ができた。いくつかの疾患は「体力低下」
「抵抗力低下」「免疫力低下」の兆候でもある。

明日からバオミンさん・ニエンさんなど3人のベトナム人と
キューバ・アメリカ視察旅行に行く。

体力がもつか非常に不安がある。


投稿者 koyama : 17:24 | コメント (0)

2013年10月06日

終日、家で寝ている

体調不良

10月8日から「バオミンさん」「ニエンさん」等の訪日
準備のためホテルに行く。約2週間、キューバ、アメリカ
視察旅行をする。今の体調では2週間の「難行苦行」の旅
はできない。短時間だが、体を休め体力をつけるようにしている。

ホテル予約、キューバ・アメリカ入国のビザ関係の準備が
出来た。次男が全て手配をしてくれ、昨夜、持って来てくれた。
感謝。

体がだるい。

読書「社会を変えるには」(小熊英二著:講談社現代新書)
1962年生まれの社会学研究者。

社会の変化・原発問題など「長期的歴史スパン」を持って
一つの出来事を分析する視点は学ぶべきことあり。

税田さんとメールでいくつかの件について意見交換。
バオミンさんにメール送信。

明日も1日寝ている予定。

投稿者 koyama : 19:24 | コメント (0)

2013年10月05日

「こうばこの会」創立20周年式典・公演会参加

午前中、メール受信・返信

体調不良。体がだるい。

午後12時、自宅を出て、西台→巣鴨→新宿→中野

今日は、20年間のお付き合いである「こうばこの会」
創立20周年記念公演会に参加。

「こうばこ会」は視覚障碍者が、「語り」(朗読)を通して
自己表現し、社会との交流をもつという意図で
1993年に設立された会である。

設立当初から「こうばこの会」の大久保利彦さんとの
出会いがあり、JASSとのお付き合いが始まった。

「こうばこの会」は、この20年間に50回の公演会を
行っている。今日は、51回目の公演会。

公演会には、参加協力費を支払う支援者などが参加。
その寄金の一部を「子どもの家」へ支援してくれていた。

20年近くもの間、「子どもの家」の子どもたちを黙々と
支援してくれている「こうばこの会」の皆さん、関係者に
感謝。


今日は、20周年記念公演会。

中野区立の「芸能小劇場」は130人の参会者で満席。


目の不自由な皆さんの公演会(朗読・・・)なので、大きな動きは
出来ない。

案内の人が引率し、舞台の前の椅子に座り、口演を行う。

今日は以下のようなプログラム

1「うた時計」(新美南吉作)口演 妙蓮寺紫(ペンネーム)
2「待ちぼうけ」(杉本苑子作) 口演 LLカンパニー
3 20周年記念会場参加者全員参加「じゃんけん大会」

(休憩)
4JASS代表小山道夫挨拶、支援金贈呈
5「誰も知らない最後の日」(あかつきえにし作:服部真弓作曲)
 演劇だった。


15分間の休憩の後、私の挨拶



この20年間の「こうばこの会」とのお付き合いについて
話す。視覚の不自由な皆さんが、多くの聴衆の前で
自分を表現することのすばらしさ、それを20年間、コツコツ
と支えてきた大久保利彦さんをはじめとしたサポーターの
皆さんの支援・永続性についての素晴らしさを話す。



「こうばこの会」を代表して事務局の大久保利彦さんより
JASSへ「寄金」を頂く。


最後の出し物は「誰も知らない最後の日」
これは、演劇ある。


語りの会から始まり、20年。視覚障碍者の皆さんが
動きが入る「演劇」までたどり着くという地点まで
到達したことが分かる。
コツコツと小さな努力を積み重なることが、大きな
結果へ到達するという「素晴らしい」実例と見た。


午後4時半、終了。

自宅へ帰る。

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6月4日 ベトナムの「ヴォー・グエン・ザップ」将軍が102歳で
亡くなった。哀悼の意を表したい。

ベトナム戦争を勝利に導いた指導者であったが、晩年は
不遇であった。共産主義・社会主義は、その時期の
大勢・主導的意見に常に同調・賛同していないと
ヴォーグエンザップ将軍のように「干されて」しまう
悲しい政治思想・システムではある。

ベトナム戦争を指導し南北の指導者は、ほぼ「フエ人」
で占められていた。ヴオ・グエン・ザップ将軍もフエから
北へ2つ目の「クアンビン省」で生まれ、フエの名門高校
「コックホック高校」で学ぶ。

「北ベトナム」の ホーチミン主席・ファンバンドン首相・
ヴォーグエンザップ将軍も「コックホック高校」で学んだ。
同時期、南ベトナム大統領の「ゴー・ジンジェム「も
「コックホック高校」で学んでいる。

ベトナム戦争の南北の指導者は、フエで青春と勉学を
進めた人物による「内戦・米ソの代理戦争」でもあった。

投稿者 koyama : 11:12 | コメント (0)

2013年10月04日

終日寝ている

昨日の高熱で今日は1日寝ている。
3食の食事をしっかり摂り栄養をつけ、
市販の薬を飲み。


バオミンさんと電話でいくつかの件を話す。

この数日、フエは「風台風」で大変だったようだ。

ベトナム事務所付近の歩道の大木が風邪で
倒れた。

フエの町ではかなりの大木が倒れたようだ。

フエでは眼の「結膜炎」が流行っている。私も目が腫れた。

日本料理店の子どもたちも結膜炎になり、仕事ができない
状況にある。

10月9日から10月24日まで海外に行く。海外の15日間
は体力・気力を使う。その前に体調不良を治しておかなければ
ならない。

投稿者 koyama : 17:35 | コメント (0)

2013年10月03日

胃カメラー発熱

曇り・晴れ

午前8時過ぎ家を出て、高島平団地内にある
胃腸専門クリニックへ。

午前9時から12時まで。

胃カメラを鼻に通す。今まで何度か胃カメラを撮ったが、
全て口からだった。
今回、初めて「鼻」からの胃カメラ撮影を行う。
総合病院では胃カメラの技師が、決まった場所を撮影し
専門医師が、その写真を見て判定する。

このクリニックは、専門医師が、技師でもあるので
約20分程度の鼻から挿入の胃カメラ診断中、
ここは、鼻の中、ここは、噴門、などと胃の部位を説明し、
ここが赤いですね。全体的に血管が胃壁表面に出ている、
これは、加齢の影響? 。この辺は、全体的に赤い発疹が
が出ている、などなど、それぞれの部位をテレビモニター
に映しながら、医師が具体的に説明してくれる。

診療結果はその後、診療室で胃カメラをした医師より
具体的に説明してくれた。症状としては、慢性胃炎。

赤い発疹、血管の浮き出ているのは、「ピロリ菌」の
可能性がある。ピロリ菌は「発がん促進」の菌なので
ピロリ菌が胃にあるか? ないか?を調べる。

1つの袋に呼気を入れる。その後、錠剤を1錠飲み、
しばらくして「錠剤入りの呼気」を違う袋に入れる。

問題が起こる。

鼻からの胃カメラ検査の際、鼻から喉の中に
麻酔のジェルを入れる。しばらくすると感覚がなくなる。

ピロリ菌の錠剤を飲んだのだが、1錠の錠剤が喉を
通らない。水を飲んで錠剤を胃に入れようとすると
自然の反応で、「咳が出て」錠剤を吐き出してしまう。

結局、30分程、たった1錠の錠剤が飲めなかった。

30分後に何とか1錠の錠剤をのみ、薬を飲んだ後の
「呼気」を袋に入れる。

口からの胃カメラより、鼻からの胃カメラの方が楽だった。
総合病院で技師と医師が分離しての診断より、
医師が技師もできると胃カメラ挿入中に診断と直接
の説明をしてもらえるのは良い。

これで、この数日、①前立腺肥大・ガン健診
②インプラントの本歯を入れるための予備治療を行う。
③胃カメラ診断

前期高齢者に必要な健康診断を行う。

残りは、心臓病院が残る。

昼過ぎ、昼過ぎ帰宅。

テレビの天気予報では、「今日は28度と暑い」と
報道されていたので、半袖で通院。
病院の中もエヤコンが効いていた。診療中、
鼻水が出て来ていた。

家へ着くと、「体がガタガタ」と震える。震えが止まらない。
横になる。10分程、体の震えが止まらない。
熱を測る。38度9分。相当の発熱。
夕方まで横になる。体が異常にだるい。

近くの薬局へ行き、薬をもらう。

風邪を引いたのか? 体が震えたり、震えが止まらない
という経験を初めてした。記憶にある中では、38度9分
という体温を経験したことはない。

フエのバオミンさんから縫製工場関連の書類が届く。
直ぐに日本のSさんの所に郵送する。

食欲なし。そのまま就寝。

投稿者 koyama : 09:02 | コメント (0)

2013年10月02日

インプランント

午前中、豪雨。

午前10時、近くの歯科へ。

7月2日に3本のインプラント歯を入れた。
この3ヶ月間、インプラント歯は、「仮歯」だったので、
使えなかった。インプラントを入れなかった方の
歯を使って食事をしていたが、うまく物が噛めなかった。

今日、歯科に行き、「インプラントの本歯をいれるための
準備に入った。

本歯の「歯型」「かみ合わせ」など、本歯を作るための
準備。1時間半かかる。

これから10月中に3回程度通院し、本歯のインプラントが
使えるようになる。本歯ができるまで2週間ほどかかる。
10月末から3回ほど通院し、最終段階のインプラント本歯が
入り、やっと「物をしっかりと食べること」ができる。

バオミンさん・税田さんといくつかの件で、電話で打合せ。

明日は、、午前9時に「胃カメラ」。
前回の胃カメラ検査では、胃に残留物があり、胃カメラを
使えなかった。
今回は、今日の午後12時前に食事をし、その後は水分
のみで、明日午前9時の胃カメラ検査に臨む。

投稿者 koyama : 17:23 | コメント (0)

2013年10月01日

TU君の「お別れ会」

午前9時、自宅近くの総合病院へ。
前立腺肥大・ガンの検査。

採血・前立腺エコー検査。

1時間程で結果が出る。前立腺ガンは全く心配なし。
前立腺肥大は、初期の初期段階で心配の必要なし。

一安心。一応、この種の検査は面倒くさいが自主的に
しておくべきこと。万万が一ガンなどがあれば、初期発見
であれば、治療可能。

その後、近くの胃腸専門病院へ。胃カメラ検査の予約。
この病院の胃カメラは、鼻から挿入するそうだ。
事前検査を行い、明後日午前中に胃カメラ検査をする。

ベトナムに住んでいるので、どうしても自分の健康は
自分で検査し治さなければならない。
「子どもの家」の子どもたちやスタッフ、ベトナム事務所の
皆さんへの責任でもある。


午後3時、新宿で内田さん・TU君と合流。
静岡大学大学院に留学していたフエのTU君が
学業を得て、フエに帰国する。

今日は、TU君の支援者でもある内田さんと私、TU君の
3人で送別会。午前中は内田さんがTU君を東京見物
に連れていく。

夕方、3人で食事会。


TU君に日本料理店の子どもたちの「デコ電」サンプル
をフエへ持って行ってもらうよう依頼すする。

TU君の無事帰国を祈る。長い間、TU君を応援してくれた
内田さんや静岡の会の皆さんに深く感謝したい。

目だった日越交流をするより、こうした見えない所で
人間を育てる日越友好をしたいものだ。

投稿者 koyama : 12:08 | コメント (0)