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2007年05月31日

後藤ハンナ先生の日本語授業

晴天。 休肝日

午前中35度。午後曇り小雨。

午前7時朝食。ブンボー。

午前8時半、徒歩、ベトナム事務所。
バオミンさん、サンさんと夏のスタディーツアーについての
打ち合わせ。出来るだけ見積もりを安くし、訪問者が
ベトナムに来られ易くすることを基本に見積もりをすることを
話し合う。

今朝、7時前に日本料理店に来た仁枝さん。
日本料理店の机と椅子を作る業者が7時に机椅子を搬入する
との連絡があり、7時前に日本料理店で待っていた。
結局、今日は1日待ったが来なかった。明日8時に持ってくる
とのこと。約束できないのなら朝7時などという無理な時間を
指定するなと言いたい。

かなりのメール受信、返信。

昼食 コムディア。

昼寝。1時間。

午後1時半読書「漢字の起源」
文字の「文」と「字」の意味の違いを知る。
「文」は「「紋」のこと。模様。象形文字の原型を意味し
月、日など。
「字」は、「文」を組み合わせて出来た漢字。
会意文字など。信、武など。

午後4時。日本語学校へ。今日は札幌出身の後藤ハンナ先生
の授業の様子を見る。
観光基礎コース20人ほどの授業。4時~6時まで。
一人だけで授業をするようになって4回目。
授業は月~木まで。午後2時~4時の日と4時~6時
までの日がある。
今日の授業は最初に教科書第16課の復習テスト。
漢字をひらがなに、ひらがなを漢字に直すテスト。
まだ習っていない漢字を事前に説明する。

ゆっくりした大きな声で説明していた。教師の第一歩は
学生が教師の言うことが聞こえるということ。
第一関門は立派に突破している。

後藤先生の説明を聞く生徒。


観光基礎コースは、今年1月から開講。5ヶ月ほど日本語を
勉強した。後藤先生は一人の質問に丁寧に答えていた。



●テスト問題と生徒の回答の一部

学生の中には、「問題が簡単で直ぐ出来た」などと豪語
している者もいた。

後藤先生は順調に日本語教師の第一歩をスタートしたと見た。

午後5時半、ベトナム事務所日本料理店へ。
子どもたち、日本人と夕食。骨付き豚肉の甘辛煮。
空芯菜ニンニク唐辛子炒め。唐辛子入り野菜ごった煮スープ。

午後6時半、日本料理店開店。

開店直ぐにヨーロッパ系のお客さん1人。

午後7時、オーストラシアのシドニーから2組の夫婦。4人。
天ぷらやフエ生ビールを飲む。

パイナップルジュースの注文があった。厨房にパイナップルが
ない。ニー店長が自転車で急いで買出しに行く。
りー副店長が自転車を店長に出してやる。力仕事はリー君の
専売。やさしい気持ちをもっている副店長である。

午後8時過ぎ、お馴染みの日本人1人。

今日の「おすすめ」メニュー。

午後9時、閉店。今日のお客さんは欧米5人、日本人1人。
合計6人。
日本料理店は今日で開店8日目。おなじみのお客さんも
付き、通りすがりのお客さんも入ってくれるようになった。

投稿者 koyama : 18:54 | コメント (0)

2007年05月30日

フールー小学校終業式

晴天

気温35度。

既に10日間ほど35度から40度の日が続いている。
生きているだけで体力を消耗する。
夕食の時、お酒を飲まず、しっかりと食事を摂ることにした。
1週間に4日~5日程度はしっかりと食事をし体力をつける。
ストレスも溜まるので週に2回程度ビールを飲むという生活
態度に変更する。日記に「休肝日」とある。

午前7時朝食。フォー。

午前8時、昨夜から届いたいくつかのメールに返事。
この1ヶ月ほどのベトナム事務所での複雑な出来事の説明も
あり1通のメールを書くのに1時間ほどかかることもしばしばある。

午前8時45分、徒歩、ベトナム事務所へ。
県営人材派遣会社社長と懇談。いくつかの問題を話し合う。

午前9時半。ベトナム事務所2階に以前のオーナーが鳩の巣を
作っていたい。今でもたくさんの鳩が来て、フンをしていく。
2階、3階のテラスには大量の鳩のフンがある。
日本料理店関係者が水で流し、きれいにあらう。
鳩がテラスに入らないように「釣り糸」を細かく張る。



ベトナム事務所で仕事。

午前11時過ぎ、徒歩帰宅。
昼食。

午後12時、昼寝。午後1時半まで熟睡。やはりかなり体力を
消耗している。NHK衛星放送ではハノイの気温が34度とのこと。

午後1時半、読書「漢字の起源」
私たちが普通に使っている漢字の起源がどんな意味があったのかを
知ることは当時の中国の歴史と文化を知ることになる。
また、その文字が付いている漢字には何らかの意味で文字の
発祥の歴史の緒がつながっている。
「人民」の『民』の象形文字は「目」を針金で指すという残酷な形
から出発している。奴隷が逃げ出さないように針で目をつつき、
見えにくくしたのが原義。当時、まつりごとがあると「いけにえ」
を神に捧げた。奴隷がいけにえになる。多いときには一度に
300人以上のいけにえの首を切っている。
『民』の原義は、奴隷という意味。
なるほど、「全てを人民のため」になどという言葉を使う
ニセ社会主義国。中国・ソ連など多くの
社会主義国は文字通り「民」の原義通りに政治を行っていた
訳である。天安門事件で、数千人もの『人民』を
戦車でひき殺したもの『民』の原義に忠実だったのだ。
人民は奴隷であり、人間扱いしていなかったことが良く分かる。

「妾」は、辛(針)の下に女。奴隷の女と言う意味。
奴隷の女は性的な奴隷だった。そこから転じて2号さんなどに
使う言葉にもなったとのこと。

午後3時半、フールー小学校の終業式に招待される。
さすがはベトナム流の招待。午後3時半の終業式招待が
その日の午前中に来るのである。

フールー小学校は600人弱の生徒のうち半数が船上生活者で
ある。フエでも一番貧しい地区の子どもたちが通う。
船上生活者の半数は中学に進学しない。卒業するのは20%。
今日は終業式。成績最優秀、優秀などの子どもたちに
賞状と賞品を授与する。気温40度近く。いるだけで汗が
吹き出てくる。子どもたちは暑い校庭に1時間以上座って
いた。一人も「倒れる子ども」はいなかった。日本なら
バタバタ子どもたちは倒れるだろうと思った。

校長先生の話

最優秀は79人、優秀122人。再試験38人。

続いて最優秀・優秀の子どもたちに賞状と賞品を手渡す。

1時間ちょっとの式典。

午後5時半夕食。
鯖の煮物、竹の子とビーフンの炒め物、ポテトサラダ、
ニガウリのスープ、ご飯。全て子どもたちが計画し仕入れをし、
料理を作った。
子どもたち、日本人スタッフと夕食を摂る。
厨房のターオ君がこのところ全く出勤してこない。

午後6時半、日本料理店開店。

シンガポール人2人。日本人1人来店。

厨房は調理に大忙し。

商売は飽きない。お店を開いて入れば、徐々にお客さんは
付いてくるというものである。開店初日2人、3日間連続ゼロ。
その後は毎日5人前後のお客さんがある。新日本料理店も
軌道にのりつつある。

お客さんがいないちょっとした瞬間。店長と副店長は
業務連絡の深い話し合いを真剣にしていた、・・・・・
かどうかは分からないが
副店長の顔が多少ニヤけていたのが気にはなったが・・・・・。


お客さんがいない待ち時間。トゥオイさんとグエットさんから
「何故、小山先生はベトナムに来てこういう仕事をしているのか?」
と聞かれた。

8時45分。少し早く閉店。3つのエヤコンをつけると停電していた。
今日、業者に直してもらったが、不安なので3つのエヤコンを
つけ、どの程度涼しくなるのか、調べてみる。

ボーッとしていても仕方がないので、リー君、仁枝さんを誘って、
生ビールを飲む。大塚さんや子どもたちはソーダやコーラ。

9時過ぎ子どもたちは帰宅。その後もカウンターで
リー君たちと四方山話。

帰宅は午後10時半過ぎ。

投稿者 koyama : 19:11 | コメント (0)

2007年05月29日

フエの町並み、名所などをビデオに収める

晴天。 休肝日

午前中暑い、昼雷雨、夕方暑い。午後8時半豪雨。

気温35度。

午前7時朝食。ブンボー。

午前8時、ベトナム事務所へ。ベトナム事務所員のソン君の
オートバイの後ろに乗り、フエの町並み、名所旧跡などの
ビデオ撮影を行う。

初めにフォンザンホテルからフエ駅までの一直線。レロイ通り。
両側の町並み、並木道、みやげ物店、ホテル街、フエ師範大学、
フエ市人民委員会、テンティエン橋、フースン橋、省人民委員会、
ハイバーチュン高校、コッくホック高校などを大雑把に撮影し
フエ駅へ。更にフースアン橋でオートバイを降り、フォン川を
通してラオス側の山岳風景、そして反対の河口側を撮影。

フースアン橋の近くにフエ市花『火焔樹の花』が咲き始めていた。
いよいよ火焔樹街道の季節となった。

チャンフンダオ通りに入り、「旧市街」を撮影。ドンバー市場、
船上生活者のコロニー、フエの秋葉原電気街。
日本語学校を経由して王宮へ。旗台を通り、王宮前。
更にグエンフエ高校を通り、タイロック市場。縫製研修センター。

●完成した縫製研修センター

最後に「子どもの家」へ行き、2学期の試験が終わり、成績表を
もらった子どもたちに話を聞く。子どもたちは既に3ヶ月間の
夏休みに入った。宿題のない子どもたちの天国期間。

幼稚園1人、小学校10人、中学校23人、高校8人、合計42人が
通学。
(フエ医医科大1人、フエ教育大1人、フエ美術専門学校1人は
 まだ成績結果が出ていない)

ベトナムの成績は、1学期・2学期のテストの合計を平均し
10点満点に換算。8以上が最優秀賞。日本流に言えば、
1年間のテストを全て平均し、平均点が80点以上が最優秀
ということになる。

●最優秀(8点以上) 5人(幼稚園1、小1、中2、高1)
●優秀(7点以上) 13人(小8、中3、高2)
●普通(5点以上) 17人(小1、中12、高4)
●再試験(5点未満) 7人(中6、高1)


最優秀になった幼稚園のTY君

最優秀の小学校2年生のユイ君
1日3時間位勉強したとのこと。将来は警察官になりたい
と言っていた。

最優秀の中学生女子3人に聞いた。

(問い)成績は? 1日何時間位自習しているの?将来は?
(答え)●ニューさん左
    (中1)8、2点。5時間は自習をする。政治家になりたい。

    ●ホンニーさん 真ん中
    (中2)8、7点。5時間以上自習する。グエンフエ高校に
       入りたい。

    ●フオンさん 右
    (中1)8、4点。5時間は自習。将来は医者になりたい。

再試験7人の子どもたちのうち、中学3年生2人は「落第」となり
更に1年中学3年に通うことになる。
残りの5人は、再試験で10点満点で5点以上を取れば進級、
5点未満なら落第となる。再試験は7月。全員が進級して
欲しいと祈るのみ。


ご前10時半、ベトナム事務所へ。

午前11時半、トンチンカンホテルへ戻る。
昼食。パン。ヨーグルト、牛乳

昼寝。1時間半。

午後2時。読書。「漢字の起源」

午後4時、徒歩ベトナム事務所。
メールの受信と返信。

午後5時半、夕食。子どもたちと日本人スタッフ。
午後6時半、日本料理店開店。
リー君は深く反省したのか、そもそも注意が上の空なのか
分からないが、元気に日本料理店に復帰。今日は掃除から
準備と非常に熱心に仕事をした。夕食中も冗談を言って
明るく過ごしていた。

午後7時、4人の日本人のお客さんが来店。
午後9時まで食事と生ビール・お酒を楽しむ。

午後9時過ぎ閉店。徒歩トンチンカンホテルへ。


サギ国家「美しい国・日本」の実態

国会の争点は年金問題。参院選の最大の争点の一つである。
松岡農水省の縊死(いし)問題も結局、政権政党(自公)の
無能を露呈したとも言えるが、年金問題は、無能だけでなく
政権政党の犯罪ともいえるサギ国家の実態を暴露している。
5000万件の年金資料が誰のものか分からないまま放置されている。
年金受給者が3000万人というから、べらぼうな数の年金
資料が杜撰(ずさん)な管理のまま放置されていた訳である。
私なども23年間共済年金に「源泉徴収」でお金を取られていた。
取るときは源泉徴収でとっておきながら、そのお金の管理が
全くでたらめだった。使途がでたらめだったことは今まで繰り返し
報道されていた。誰も使わない赤字施設を作り続けたなどなど・・・。
今度は、収めた年金が誰から納められたのかが分からないまま
放置されていた、しかも5000万件。
柳沢厚生労働大臣は、「不安な人は自分で申し出ろ」と言っている。
この傲慢な態度。泥棒がお金を盗み、被害者に「盗まれた人は
申し出ろ」と言っているようなもの。盗人猛々しいとはこういうことだ。
私たち団塊の世代など人数が多い。高い年金を大量に徴収された。
60歳から年金を支給すると国家は約束していた。
ところがいざもらう頃になると「65歳」からにしますと支給を
5年延ばされた。65歳で当初の金額がもらえるのかと
思っていたら「100年安心」の年金改革と称するインチキ・
サギ改革で支給金額が大幅に削減されてしまった。
支給年限が一方的に5年延期され、その金額も大幅に
削減。納入時の約束と全く違う年金支給。これだけかと
思ったら、更に今回支払っていたお金が誰のものかも
管理しないまま今日まで放置されていた。納入していたのに
更に年金額が削減されることになる。
自民党の中川政調会長は「社会保険庁の職員が悪い」
と言っている。しかし、常識的に考え、職員の責任は
上司の責任でしょうといいたい。「漫才の人生こうろ」だったら
「責任者、でてこい」と言ったところ。
柳沢厚生労働大臣の責任は免れないし、
自民党・公明党という政権政党の責任こそ重大である。
既に国家的サギ行為を行っている政府自民党・公明党であるが、
5000万件もの納入者不明の資料問題が明るみに出ても
「誰一人責任者」が出てこない、ふざけた政権政党である。
腐っているとはこういうことを言うのだろう。
「100年安心」を主張した宗教政党の責任は重大である。
「100年・1000年不安のインチキ年金」と訂正すべきである。
私などこの年金問題は生活に直結している。怒らずには
いられない。夏の参議院選挙にこの怒りをぶつけるしかない。
「美しい国」の輪郭が見えてきた。


投稿者 koyama : 18:47 | コメント (0)

2007年05月28日

暗澹たる一日=松岡農水大臣の縊死

晴天。34度。  休肝日
夕方から雨雲。

午前7時朝食。フォー。
早朝から隣りのホテル前で大型バス、ワゴン車などのエンジン音
が響く。

午前8時過ぎ、徒歩、ベトナム事務所へ。
事務所へ行く途中、副店長のリー君と出会う。
「ベトナム事務所に行ったが、怒られた。午後、事務所に行く」と
言う。「土曜日はどうして来なかったの?」と聞く。
想像通り「疲れた」とのこと。疲れたのは事実だろう。
何しろ、今まで半日働き1日休みと言った調子の勤務態度だった
のが、4月20日の旧日本料理店閉店以来、日曜日も含めて
毎日朝から夜9時過ぎまで出勤していたのだから、彼の
言い分にも一理あるのはあるのだが・・・・。
「休むときには連絡しないと行けない」「今後、黙って休まない
ように」と路上の立ち話をする。

ベトナム事務所で仕事。必要なメールへの返信。
某賞申請書の添付資料について、何人かの方と連絡打ち合わせ。
5月31日必着で資料が届かない状況となり、緊急措置をとる。

昼食。コムディア(75円)。

NHK衛星放送で松岡農水大臣縊死のニュースを知る。驚き。
経過と事情は別にして、松岡大臣の冥福をお祈りする。
事件の経過と問題は別にして、松岡氏を支える仲間や相談する
自民党の友人はいなかったのかとつくづく思う。
死屍に鞭打つ気はないが。
ちょっと前の自民党だったら自殺などしなくても済んだのでは
ないかと悔やまれる。自民党の人情家や知恵者が松岡氏への
サポート、助言などをしていたはずだからである。
自民党は義理・人情があった政党でもあったはずだ。
言い方は変であるが、人間や党員・仲間をもっと大事にして
いたように思う。
小泉・安倍首相になってから、人間・党員を『物扱い』するように
なった。「郵政民営化」問題で除名されたり、「土下座」同様の
措置を受けて復党したりと、人間としての暖かさのなくなった
自民党である。松岡氏が何故自殺をしたのかは、分からない。
本人のキャラクターもあるだろうが、自民党自体が松岡氏への
きちんとした対応が出来なかったことだけは事実である。
安倍首相にとっては佐田大臣の辞任についでの辞任が
政権の信頼度を揺るがす問題である。安倍首相は
ある意味で松岡氏を「さらし者」にしたきらいがある。
任命権者の首相が「松岡更迭」を決める責任があった。自己の
政権保持のためにインチキ松岡大臣をさらし者にした、
と言われてもしかたがない。国会で多数を握った
自民・公明のおごった国会運営は目に余るものがある。
一昔前なら松岡氏がどんなに頑迷固陋に辞任を拒否しても、
首相が更迭せざるを得なかった。多数に胡坐をかいた自民の
おごりのツケでもある。日本社会を象徴する悲しい出来事
である。子どもたちの自殺が相次いだ。政府は子どもたちに
「人間の命の大切さ」を教え、「仲間で助けあおう」「困った
仲間がいたら親身になって相談に乗ってあげよう」と呼びかけて
いた。呼びかけた政府・内閣の大臣の自殺、そしてその自殺を
防げなかった政治家たち。日本社会の崩壊が深刻なところまで
来ていることを実感する。本当に話せる仲間がいたら
自殺にまでは至らなかったと思えてならない。
事務所費問題、光熱費問題、緑資源機構の献金問題など
常識的に考え、世間の批判に耐えられるものではなかった。
自民党内の人情家・知恵者が「松岡更迭」を首相に迫る
ことが何故出来なかったのか? 任命権者の安倍首相の大きな
責任が残った。同時に首相も自民党内の親分どもも含めて
『人間関係の希薄さ』がここまで来たのかと思った。
自民党・公明党など与党内の人間関係の希薄さを改めて
感じてしまう。政治的な立場を別にして、いち人間として
松岡大臣縊死の報を聞いて、こんなことを考えた。
松岡氏の冥福を祈る。


午後3時、リー君の問題ででリー君とミンさんで話し合う。

その後判明したことは、午前8時に日本料理店に入った
リー君は勝手に冷蔵庫をあけて料理を作り始めてしまった。
それを知ったベトナム事務所関係者が厳しく叱責。
リー君は副店長なので何をしてもよいと勘違いしている
節がある。
リー君に、何故勝手に日本料理店で調理を始めたのか聞いた。
『お腹が空いたから』との返事。毎日仕事の帰りに日給月給
1日13000ドンを上げていることを指摘。土曜日の午後、
リー君が来なかったから日給月給がもらえなかったので、
責任は自分自身にある。すると、日曜日の日給ももらっていない
と言い訳。土曜日に無断出勤したから日曜日分ももらえないのは
当たり前と。ああ言えばこう言うリー副店長であった。
私は今回は厳しくと思い以下の3点を言う。
①副店長は勝手なことをしてよいと言う役職ではない。
  朝食は自分のもらった給料の中で自分で処理するもの。
  冷蔵庫の食品はお客さんに出す大事なもの。
②勝手に仕事を休むことは、今後許されない。仕事をしないで
 給料だけをもらおうという考えは間違っている。
③副店長として期待しているので、今後①②をしっかりと守り
 みんなの見本となるような仕事をして欲しい。

リー君は一応納得したようだ。


続いて、日本料理店関係者と日本料理店頭に飾る『看板』の
デザインを話し合う。


子どもたちの写真、寿司、天ぷらの写真を入れ、
JASS家庭料理「子どもの家」 と入れることにした。

午後5時半、夕食。子どもたちと日本人スタッフ。


「ブン・チャーカー」(米うどんのつけ麺)


午後6時、日本人スタッフに「フエで起こった重大な問題」に
ついて報告。

午後6時半、日本料理店開店。


●平常業務に就くリー副店長。

午後7時、日本人のお客さん(2回目)が来店。明日から
4人日本人が来るとのこと。来週、パーティーを日本料理店
でやりたいと言う。ありがたいお客さんである。フエの下水道
工事のスタッフだという。「子どもの家」の趣旨にも賛同し
協力してくれる気持ちもあるようだ。
その後、ベトナム人が2人。お寿司などを頼む。
厨房は大忙し。

●お寿司を握るトゥオイさん

●来客があり喜ぶ接客係りの二人


今日は3人のお客さん。
午後9時閉店。

今日は昼から松岡大臣縊死の報を聞き、政治的な
問題を抜きにしても、日本社会の人間関係が
ここまで希薄になったのかと暗澹たる気持ちになった
1日であった。

投稿者 koyama : 10:44 | コメント (0)

2007年05月27日

バンベー全原稿を通読

晴天

午前9時起床。昨夜痛飲。

午前10時過ぎ、入浴。NHKのど自慢を見ながら
フダ缶ビール2本。ベトナム米1合で全がゆを作る。
半分食べる。
1時間ほど、横になる。

午後12時半。JASS機関紙バンベー原稿全てに目を通し、
問題点などをチェックする。全ての原稿の見出しをつける。

読書「石の肺」読了。
京都の豊田さんから贈られた本。読む価値の十分ある本である。
無知は犯罪だと思った。自分自身の自戒である。

アスベスト問題がアスベスト工場関連者や付近に在住していた
人だけの問題ではない、深刻な問題だということを
改めて知った。全国民の生死に関わる重大問題。しかも
国家が先導しておこなった国家犯罪ともいえる問題。

石綿は絶縁体、耐熱のために色々なところで使われている。
アスベスト繊維を車のブレーキライニング、ゴムと混ぜて
クラッチ、ブレーキ。エレベーター機械室。水道管。
学校などの緞帳(どんちょう)に防火のためにアスベストが
使われている。豚舎、畜舎、消防車、消防基地、耐火金庫、
歯科技工士(歯形を取る電気炉に使われている)、
学校給食の揚げ釜、ご飯を炊くところ、ジッポのライター。
ピアノの椅子(椅子に張ってあるジュート布を船で運ぶ
時の麻袋)、ビルなどの天井裏にアスベストが吹き付けられ
ている。空調ダクトから室内に拡散されている。多くの人が
吸っている。
今後、10年、20年、40年後にアスベストで肺がんや中皮腫に
なる人たちは相当数出てくることが予想される。

読書「漢字の起源」(藤堂明保著:講談社学術文庫)
興味のある本。中国の歴史と象形文字としての漢字の解説と
歴史。私たち『美しい日本人』は、数千年前に中国人が
発明した素晴らしい文字を何の対価も払わず「コピー」して
今日に至っている。中国が日本製品のコピーをしていると
してWTOに訴える動きある。アメリカは提訴した。
確かに中国のコピー商品は目に余るものがある。
同時に538年とも552年とも言われる日本への漢字伝来。
日本人の文化と精神構造そのものに重大かつ最大の
影響を与えた漢字。私たちの祖先はコピーをしていたのだ。
ありがたいことである。ベトナムに来て「文字」というものと
その国家の精神構造文化の伝統とは大きなかかわりが
ありことを知った。
ベトナムが正式に文字を持ったのは、1945年9月である。
ベトナムが公式の文字をもってからまだ62年しか経っていない。
中国の漢字の影響を強く受けたのに、フランスの宣教師が
作ったローマ字中心の文字を国字にしている。
ローマ字表記の言葉自体の基礎は漢字である。
複雑なベトナムの文字事情がある。
私たちは、漢字をコピーし、中国文化を学んで1500年近く経つ。
その間に漢字のコピーから自分たちの文字にしてしまった。
一部の日本人は「反中国感情」ばかりを扇動しているが、
2000年間という長い間の中国との交流の歴史を知るべきである。


午後4時。バオミンさんから電話。ベトナム事務所で仕事をして
いるとのこと。


テレビで相撲を見る。白鵬が朝青龍を破って全勝優勝。
見ごたえのある相撲だった。純然たるスポーツとして
見ているが、肉体と肉体とのぶつかり合いという
スポーツという視点で見ると今日の朝青龍と白鵬の
相撲が久しぶりの力相撲。見て楽しかった。
白鵬は横綱昇進を確実にした。テレビのインタビューに答えた
町の人の声。「国技の相撲なので日本人に横綱になって
欲しい」との声が結構多いようだ。
国技の相撲に外国人が多数入っている現状は、今後の
日本社会の進むべき道を象徴しているように思える。
この数日、相撲を見た。白鵬は立派だった。
ほとんどの力士がサポーターや足袋をはいていた。
見苦しい。白鵬は一切そうした類のものをつけていない。
相撲はこうあるべきだと思った。
横綱朝青龍はどうみても相撲を舐めていた。稽古不足が
私のような素人にも分かった。途中で息が上がっていた。

午後8時、フダ缶ビール2本。残りのおかゆを食べる。
ビールを飲みながら、リー君・ターオ君兄弟の今後の行く末
を考えた。二人は何を考え何をしようとしているのだろうか?
14年前から付き合って来た二人である。これも何かの縁である。
兄弟ととことん付き合って行こうと思いながらも、彼らの
行動様式が推測できないことも多い。
言葉が十分通じないこともかなり問題ではあるが、彼らが
何をしようと「愛情」と「厳しさ」の二つをもって対処することが
必要なのではないかと思いながら、更にフダビールを1本飲んで
しまった。愛情と甘やかしの狭間で揺れている。
愛情と厳しさは表裏一体のもの。愛情と甘さは峻別すべきである。
甘さは子どもたちを駄目にする。愛情は子どもたちを生き返らす。
理屈では分かるのだが・・・・・・・。

投稿者 koyama : 17:03 | コメント (0)

2007年05月26日

ベトナム事務所員会議:日本料理店来客

猛暑。天気予報36度。外気40以上が続く。

数分外に出ると汗まみれ。1週間続けて猛暑。

午前7時朝食ブンボー。美味しい。

午前8時、徒歩ベトナム事務所へ。15分。2000歩程度。

午前8時半定例のベトナム事務所員会議。
事務所の電話番はリー副店長。電話の取次ぎをする。
なかなか役立つ男。


(ソン)在宅支援の子どもたちの写真を撮る。里親への
    夏のメッセージ用。
    日本料理店の子どもたちに日本語を教えた。
(石塚)月曜:新日本料理店開店祝賀会で司会をした。
     金曜:観光基礎コースのテスト
(ハンナ)月:日本語を15分間教えた。
      火:日本語を30分間教えた。
      水:通常の授業を初めて行った。
      金:会話のテストを手伝った。
      日本語を教えるのはなかなか難しい。
      頑張ります。
(ハン)子どもたちから里親へのメッセージの翻訳。
    ソン君と一緒に在宅支援の子どもたちの写真撮影。
    今年は里親へのメッセージと絵を描く。
    奨学生400人のお礼状の翻訳。大変。
(フーン)週3回の授業を行った。
(サン)JASS観光スタディーツアーの見積もりを作る。
    日本語学校は週2回(上級4、5クラス)
    上級4クラスは生徒が5人程。他クラスへ生徒を
    振り分け閉鎖した方が良いと思うが、皆さんどうでしょうか?
    ★基本的にはその方向で日本語学校関係者で検討する
     こととなる。
(ミン)サン副社長とスタディーツアー関係の打ち合わせ
   バンベーの整理。
   フエ中央病院小児科で『白血病患者父母の会』をした。
   先月家庭訪問した3軒の入所。6月中旬を目処に。
   船上生活者の入所希望兄弟。子どもたちの出生届など
   本来提出しておくべき書類がない。現在、「子どもの家」
   で必要な書類を作成中。出来るだけ早く入所させたい。

1時間ほどでベトナム事務所員会議終了。

ベトナム事務所会議で出された「子どもの家」の近況。
昨夜、「子どもの家」の倉庫に泥棒が入った。
1階C棟の絵画教室の隣りにある倉庫に2人の泥棒。
窓の鉄枠を壊し、倉庫に入り、「金目」のものを取って
外に出ようとしたら、壊した鉄枠に体が「はまって」出られなく
なってしまい、捕まった。間抜けな泥棒。顔を見たら
「子どもの家」の男子2名。現在動機を調査中。影に
糸を引く人物がありそうとの伝聞。
色々と問題が起こるものである。

新日本料理店では、店内の壁に「子どもの家」の子どもたちの
写真を拡大して貼っていた。

旧日本料理店あった写真に新たな写真を加える。大塚さん
仁枝さんたちが写真を選ぶ。



病気で休んでいた店長のホンニーさんが出勤。
3キロさせて31キロになったという。まだ本調子ではないようだ。


昼食。パン、ヨーグルト、ミルク。

昼寝。1時間。
読書「石の肺」。

朝から1日かけて某新聞社系国際関連の賞の申請書を書く。
締め切りが今月一杯とのこと。半日で申請書を
書き上げる。何人かの方々に資料などを探してもらい
協力を頂く。

午後5時半、夕食。今夜は「チャオバンカン」。小麦粉のうどん
の煮込み。豚肉と海老でだしをつる。

●小麦のうどん

●チャオバンカンの薬味(香草など)

こげご飯



今週は昨日まで4日間、ビールなどを飲んでいなかった。
今日は解禁。夕食にフダ生ビールを飲む。

午後6時半。日本料理店開店。昨日まで3日間来客ゼロ。

午後7時過ぎベルギー人2人が入店。ハノイで少数民族の
支援をしているNGOだという。
その後、同僚のフランス人2人も。

しばらくして日本人。フエの下水道工事支援でベトナムに
来たという。

厨房はターオ君がいないため大忙し。

4日ぶりに来客があり笑顔が出た店長とグエットさん

午前中出勤していたリー君が午後は「無断欠勤」。どうなって
いるのだろう?

午後9時過ぎ、閉店。今日は5人の来客。
やっと本格的な日本料理店となってきたような気がする。

子どもたちが帰ったあと、日本人スタッフで今後の日本料理店
の運営などを真剣に話し合う会議を行う。気づくと午前0時を
過ぎていた。

投稿者 koyama : 15:57 | コメント (0)

2007年05月25日

バンベー・JASS観光等の業務

晴天

今日も外気温40度。日陰の廊下36度。
暑い。1日中、体がダラーッとしている。
仕事を始めようという気力が出ない。

午前7時、朝食。フォー。今朝から税田さんがいない。
4人の朝食となる。少し寂しい。

午前8時半、徒歩ベトナム事務所へ。
徒歩15分。事務所に着いた時点で体中、汗まみれ。

ベトナム事務所2階の会議室では、子どもたちが
日本語の勉強。日本料理店開店後、子どもたち
から英語と日本語の勉強を続けたいとの要望がでた。
子どもたちの体力も考え、水曜日英語、金曜日日本語の
勉強をすることにした。


今日も「ソン先生」の指導の下、日本語の実践的な会話
の勉強をしていた。日本料理店での会話が基本。

ベトナム事務所で多くのメールへの返信。
JASS観光の夏のスタディーツアーの見積もりのチェック。
今後、見積もりは誰が見ても分かるよう親切な見積もりを
作るようにした。

午前10時。バオミンさんと一緒にフエの秋葉原電気街へ。
日本料理店のカウンター部分が暗く、外から見て一番
目立つカウンターが目立たず、室内全体が暗いイメージ
に見える。大塚さんのアイディアでカウンターにスポットを
当てようということになった。中程度の強さのスポットライト
2つを買う。扇風機2台買う。

午前11時半。ベトナム事務所を出てフンボン通りの
フランス製のパン屋さんへ。パンをいくつか買う。
途中でヨーグルトを10個買う。1つ20円。

昼食はパンとヨーグルトとミルク。

昼寝。1時間半。熟睡。やはり疲れているようだ。
読書「石の肺」。読めば読むほど、「無知の怖さ」と犯罪性が
分かる。私自身がアスベストについては、学校のアスベスト
問題と昨年、クボタが発表したアスベスト被害者への支援
問題程度。明治からアスベストは病気になり死んでいくと
知られていた。関空付近の地域は日本最大のアスベスト
工業地帯。同和地区のひとたち、在日朝鮮人、極貧の
人々が『命と引き換えに』アスベスト産業に関わっていた
ことを知った。日本政府はアスベストを建材などに使うことを
法律で義務付けていた。アスベストは鉱物であり永久に
溶けたり変質したりしない。吸ってから20年~40年後に
発症し、気管支炎から中皮腫、肺がんなどに死亡する。
アスベスト被害は今後数十年して更に大量に発生する
状況だということも改めて分かった。エイズ問題と
同様、国家の犯罪でありながら、他人事のような態度を
とっている「美しい国」日本である。

午後、バオミンさんと連絡を取りながら、6月15日に
来るピースボートの受け入れ態勢を作る。見積もり。

午後4時。日本料理店の厨房。
おやつタイム。小さなフランスパン(肉と野菜と唐辛子入り)
で休憩。

午後5時半、夕食。


大塚さん、仁枝さん、私、リー副店長、グエットさん、
フエンさん、トゥオイさんの7人。

今週は毎日40度の猛暑。皆さん体力を相当消耗し、
消化機能が減退している。今夜の食事は「」おかゆ」。
海老と卵でだしを取った「おかゆ」。実に美味しい。

日本語学校の先生は授業があり、午後7時からの夕食。

昨日、一昨日とお客さんは「ゼロ」。
しかし、子どもたちは嫌がらずに今日も頑張っている。
1年間の体験は大したものである。商いは飽きないである。
良い時もあればお客さんが来ない時もあるという体験を
既に何度もしている。子どもたちは平静にお客さんゼロを
受け入れている。

お客さんが来るのを待っているいる間に店の前のシクロで。


新日本料理店店内の模様



店長のホンニーさんは、まだ体調不良のため欠勤。
暑い部屋の中で苦労しているのだろうと思うと可愛そうな
気もするが、ベトナムの子どもたちの大半は同じ境遇。

ターオ君は今週になって1日も出てこない。昨夜も
「子どもの家」に行ったがいなかった。寮母さんに聞くと
午後11時頃、塀を乗り越えて「子どもの家」に入り、
ベッドで寝て、寮母さんたちが起きる前にどこかへ
行ってしまうという。どこで何をしているのだろうか?

今夜もお客さんはゼロ。
午後9時閉店。リー君と途中まで歩いて一緒に帰る。
トンチンカンホテル着9時20分。
トンチンカンホテル廊下気温36度。湿度60%。
うーん、夜9時半でも36度か・・・・。やはり暑く湿気も高い。

投稿者 koyama : 17:14 | コメント (0)

2007年05月24日

JASS機関紙「BAN VE」原稿チェック

晴天  休肝日

朝7時、トンチンカンホテルの日陰で36度。
日中の外は40度を越えている。体中から汗が吹き出る。
急激な気候の変化。体調を崩す人が多い。

今日は日本料理店店長のホンニーさんが病気になり休む。
この1ヶ月間、新日本料理店工事、旧日本料理店の荷物整理、
そして、店長指名と慌しい毎日だったと思う。特に18歳で店長
を引き受けるに至った心境はかなり複雑であり、挑戦的な
意気込みがあったと思う。日本料理店6人の中で最年少の
ホンニーさんが店長を引き受けた中には、相当の決意が
あったものと推測される。体も一番小さい。この暑さと精神的
疲労でダウンしたのではないかと心配している。

午前8時半。日本料理店打ち合わせ。


今日は、1日中、バンベーの全ての原稿に目を通し、全体的な
文章と記事等の整合性をチェックした。
朝から夕方までかかった。途中で暑さと体力の消耗で
「頭が動かなく」なってしまった。

昼食は日本料理店隣の「精進料理屋」のほか弁(37円)。

昼寝。1時間半。とにかく暑さとこの1ヶ月の疲れでいくら寝ても
寝られる状態。

読書「石の肺」。読んでいくうちに怖くなる。

午後3時過ぎ、税田さんが一時帰国のためトンチンカンホテルを
出発する。リー君が自主的にフエ空港まで見送るという。
今日から6月14日までの短期休暇。ゆっくりと休みリフレッシュ
してフエへ戻って来て欲しい。


午後3時40分、徒歩ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所で再度、バンベーの原稿チェック。
午後7時、全てのチェックが終了しバオミンさんに送る。

夕方、日本料理店接客係りのグエットさんのお姉さんが
フエ高等師範大学の帰りに日本料理店に寄る。
来年の9月から小学校の先生になる。二人とも
「子どもの家」に住んでいる。仲の良い姉妹である。


午後5時半。子どもたちと夕食。野菜サラダ、イカの煮物、
貝の澄まし汁。

今日はリー君、グエットさん、フエンさん、トゥオイさん、
大塚さん、仁枝さん、私の7人。午後6時過ぎ、石塚さん
後藤さんが日本語学校の教育を終わり夕食へ。

午後6時半、日本料理店開店。

午後7時半、来客なし。
「子どもの家」へ。「子どもの家」ではこの猛暑に子どもたちが
相当参っていた。何人もの子どもたちが発熱や下痢、咳で
苦しんでいた。「子どもの家」医師のタムさんが診療し
投薬。日本料理店のホンニー店長も発熱、嘔吐、下痢で
静かに寝ていた。日本料理店のことが気になるらしく、
お客さんは? 日本料理店のみんなは何をしている?
などと質問。

一方、男子は至って元気。

「子どもの家」に入っている姉妹に会いに兄と姪が遊びに
来ていた。

やはり兄弟姉妹である。こうして時間を見つけては、
姪も含めて家族親族が一緒にいたいのである。
「親は子どもたちを育てる義務がある」と記者団に語った
わが首相。「さはさりながら・・」である。家族一緒に
暮らしたいと思っても暮らせない生活と社会がある。
建前とお説教では人間は育たない。
などと思いながら、ふと前を見ると昨年心臓の手術を
したターオちゃんだ。左手を包帯で包んでいる。
「どうしたの?」と聞くと、部屋の2段ベッドの上の段から
落ちて左手を骨折したとのこと。一難去ってまた一難と
言ったところだ。本人はあまりショックはないようで明るい
顔をしていたのだ救いである。

しばらく「子どもの家」で子どもたちの様子を見る。
日本料理店に帰ろうかと思い庭を見ると、おいてあった
電動バイクがない。大塚さんと同様『盗まれた』と思った。
「子どもの家」の庭中を探したがない。やっぱり。
と思っていると、タン君がスイスイと外から電動バイクに
乗ってやって来た。

午後8時半、日本料理店に戻るが、来客なし。
午後9時、閉店。

投稿者 koyama : 20:38 | コメント (0)

2007年05月23日

JASS観光打ち合わせ

晴天  休肝日

気温38度。外気は40度以上。息をしているだけでフラフラする。

午前7時朝食。フォー。

この1ヶ月、日本料理店閉店、新日本料理店開店工事、
観光会社設立ととにかく忙しく過ごした。
この1週間ほど急に40度近い猛暑。1ヶ月間の疲労が
たまり猛暑で抵抗力をなくした皆さんが、体調を崩している。
バオミンさん、大塚さん。休息をとって体力の回復を
祈る。

午前8時半、徒歩、ベトナム事務所へ。
肌に太陽の光が刺さる。町中の空気が沸騰しそうな朝である。
既にリー副店長は出勤していた。4月20日旧日本料理店閉店
以来、1ヶ月。リー君は1日も休まず出勤している。理屈を抜きに
立派。


ベトナム事務所でJASS観光の打ち合わせ。
既に7月8月9月のスタディーツアーの問い合わせが多数来ている。
見積もりを取るための打ち合わせ。JASS観光を立ち上げたのは
全ての利益が子どもたちに100%還元するようにするため。
同時に日本の観光会社の利益アップ、スタディーツアー参加者の
参加費用が少しでも安くなるよう、改めてホテル、レストラン、車の
会社などと交渉することにした。

地球の歩き方ツアー、全国大学生協ツアー、その他のスタディーツアー
などを逐一検討し、ツアーの内容、費用、参加者の満足度などを
検討する。

昼食 パン、ヨーグルト、ミルク

昼寝。30分。

読書「石の肺」
アスベスト(石綿)はエジプトでミイラを包む材料として使われ
「竹取物語」にも出てくる。日本では平賀源内が秩父で
燃えない火浣布(かかんぷ)を作り、アスベストを工業用
として最初に開発したそうだ。輸入したアスベストの
93%は建材製品に使用されている。断熱材としては
建物のボイラー室、船の機関室。
天井裏に吹き付けられたアスベストも多い。水道管の
腐食を防ぐためにアスベストが使われ疾患を引き起こし
ている。一般住宅の石綿スレートの屋根、外壁、床、
天井、職場としては造船所、製造業、建築業、発電関係
などに患者が多い。アスベストを吸って20年から
40年で発症する。悪性中皮腫など。

午後3時、徒歩ベトナム事務所へ。相変わらず
外気温40度と思われるほど、暑い。

ベトナム事務所でたくさんのメールへの返事。
昨日の火焔樹日記を書き込む。

午後5時半、子どもたち、日本人スタッフと夕食。
リー副店長は積極的に皆さんの食事を運ぶ。


午後6時半、開店。
しばらくお客さんがこない。
午後7時半、フランス人2人が入り口に来る。値段を聞いて
「さよなら」と行ってしまう。リー君が得意のフランス語で
説得したが無理だった。

子どもたちはお客さんを待って日本料理店入り口で雑談

午後8時になっても来客なし。

子どもたちと日本人スタッフ雑談中。

今日は残念ながらお客さんはゼロ。
お店に看板がないのでどんな料理を出すのか分からないこと、
現在、観光シーズンではなくお客さんが町に出てないことなどが
来客ゼロの理由と思われる。やはり数ヶ月は存在をしってもらう
期間として必要。

午後9時半、トンチンカンホテルへ。

読書「石の肺」。

投稿者 koyama : 21:14 | コメント (0)

2007年05月22日

新日本料理店開店初日:ベトナム中部白血病父母の会結成総会

晴天。38度。  休肝日

数分外にいるだけで汗が吹き出る。
外の温度は40度とのこと。急に暑くなった。

午前8時過ぎ、徒歩、ベトナム事務所へ。
午前8時半。新日本語教師後藤ハンナさんに
「JASSの歴史」「フエにおけるJASSの役割り」
フエでの様々な問題、JASS活動をする上での政治的な諸問題、
新日本料理店、JASS観光設立の意義、JASSのめざしているもの
などを話す。1時間半。


午前10時。京都教育大学4年生の学生さん(1年休学し
アジアのボランティアを体験旅行中)にボランティア、アジア、
JASSのめざすもの、現在の到達点などの話をする。
2時間。


午後12時半、トンチンカンホテルへ。
昼食。昨夜の開店祝賀会の残りの食料をもらっていた。
パスタ、フライ等を食べる。

昼寝。30分。あまり眠れない。

読書「石の肺」(佐伯一麦著)
半分ほど読んだが衝撃的な内容。


午後2時45分、バオミンさんと一緒にフエ中央病院小児科へ。
ACCL(アジア・チャイルド・ケヤ・リーグ)が主催し行う
「3星プロジェクト」(小児白血病の子どもたちの生存率を高め
そのケヤを支援する)実施のため。

今日は、ベトナム中部「小児白血病父母の会」結成総会が
行われる。私とミンさんがフエ中央病院小児科の会議室に
到着すると既に白血病の子どもたちと親、担当の医師、
小児科医長、小児科白血病棟主任などが待っていた。
会員は最終的には30人ほどになる見通しだが、
今日は14組の家族が参加していた。クアンチ省・クアンビン省、
ダナン省、ダックラット省(少数民族)、フエ省など。

「白血病患者父母の会」と書かれた横断幕がはられていた。
ベトナムで初めての小児白血病患者の父母の会の発足である。

初めにフエ中央病院小児科医長のフオン先生が挨拶。

『今日、「ベトナム小児白血病患者父母の会」結成総会を開けて
大変嬉しい。ACCLの渡辺和代さんの主導で先日、私たちは
インドネシアのバリ島の「世界小児がん父母の会総会」に出席した。
そこで小児白血病は、家族と患者の子どもたちが協力して忍耐強く
治療に当たることが大切なことを学んだ。今日、こうしたACCLと
JASSの協力のお陰で「小児白血病患者父母の会」が出来たことは
本当に嬉しい。父母の会をとも協力しながらベトナム中部の
小児白血病の子どもたちの治療と生活支援を行って行きたい。』
(フエ中央病院小児科医医長フオン先生の話の概要)

続いてACCLの現地代理人としてJASS代表の私の挨拶。

『日本での皆さん方と同じ病気と闘っている子どもたちがたくさにる。
私の弟も16歳の時、小児白血病になり苦労した。
小児科医長フオン先生と協力して病気を治して行きましょう。
諦めずにフエ中央病院に通ってきたください。
長い時間がかかりますが、病院の指導を受けて、栄養や
感染に注意してください。渡辺和代さんが代表を勤める
ACCLでは皆さんが遠い地方からフエ中央病院へ通う
交通費、薬代などの支援を行います。3ヶ月に4日間
フエ中央病院小児科に入院して治療を行ってください。
皆さんの元気が回復することを祈ります』

白血病主任のリン医師が白血病治療について話を
する。リン医師は昨年まで半年間フランスに留学し
小児白血病の研究をして来ている。

「治療は医師が面倒見るので安心して欲しい。4日間の
入院を繰り返すが、頑張って欲しい。入院は3月末、
6月末、9月末、12月末を基準としたい。通院を継続すれば
必ずよくなるので頑張って欲しい。治療にこなくなる子どもたち
もいるので家族の皆さん、どんなに大変でも年間4回
治療に必ず来て入院し、薬をもらって欲しい。男の子は
最低3年間の治療が必要、女の子は2年間」

その後、参加家族14家族で話し合い、父母の会代表一名、
副代表2名を選出した。
代表はクアンチ省、副代表はダクッタク省(南の山岳少数民族)、
そして地元フエ省。

続いて親の意見や希望を聞く。

「地元の病院にいてフエ中央病院に転院したが、
手続きが複雑で私たちには分からない。何とか、私たちにも
分かるような手続きの変えて欲しい」


ACCLから支援される交通費を支給する。
自宅からバスなどで来る交通費を援助する。
親が実際にかかったバス代を記入する。


14人の子どもたちはクアンビン省(3人)フエから車で5~6時間
クアンチ省(6人)フエから車で3時間から5時間。
ダナン省(1人)
フエ省(3人)
ダックラック省(1人)フエから車で8時間。

●父母会の親と一緒に記念写真

●最後の親子と記念写真を撮る

抗がん剤のせいであろうか? 脱毛している子どもたちの
姿が痛々しかった。40年前、弟が罹った白血病と闘っている
子どもたちと付き合える機会が出来たのも何かの縁である。
ACCLの現地代理人として子どもたちのために出来るだけの
協力をして行きたいと思っている。

午後5時、ベトナム事務所へ戻る。
午後5時半から子どもたち、日本人スタッフとの夕食会が
再開された。私は個人的に本当に助かる。この1ヶ月間、
3食自分でとなるとなかなか大変だった。相当、いい加減な
食事と相成った。これから朝食と夕食はしっかりとして食事を
摂ることが出来る。1ヶ月間、忙しく、食事を用意する時間がなく
食事をする気力が出ないときもあった。
こうして10数人で食事をすれば、食欲も出てくるというものである。

新日本料理店開店初日。子どもたちや日本人スタッフが
協力して開店準備。

店長・副店長が「微妙な雰囲気」で打ち合わせ。

午後7時、新日本料理店第1号のお客様が来店。
日本料理店の看板も出ていない。赤提灯だけがシンボル。

午後8時、2番目のお客様が来店。

午後9時過ぎ閉店。
現在のフエは旅行の「OFF」シーズン。あまりお客さんが
町に出ていない。隣の精進料理屋は8時過ぎには早々と
閉店してしまった。
新日本料理店が出来たことを知っている地元の人は
ほとんどいない。看板もまだ出来ていない。
初日に二人のお客さんが来てくれたことは有難い
ことである。

午後9時半。帰宅。皆さんは自転車た電動バイク。
私は徒歩。リー副店長が心配して、途中まで
一緒に帰ってくれた。

トンチンカンホテル帰宅午後9時45分。
その後、昨日の日本料理店開店記念祝賀会の
日記を書く。昨夜から今まで日記やメールを
開く時間がなかった。

ベトナムの「インチキ選挙」

一昨日5月20日はベトナムの国会議員選挙だった。
定数500人に875人が立候補し、体裁上は競争選挙の
格好をとってはいるが、その内実は「インチキ選挙」。
新聞報道では独立系候補などと書いてあるが、けして
独立してはいない。
ベトナムの国会議員選挙が何故インチキかといえば、
選べる政党が一つしかないことに尽きる。
ベトナム共産党の一党独裁を是認した人以外は立候補
出来ないこと。複数政党制を主張したり、社会主義を
否定する意見そのものを表明したり発表したら
逮捕投獄されるというのが実態である。
戦前の日本と同じく「国体の変革」(天皇制打倒)は
治安維持法で最高刑は死刑であった。「天皇制打倒」
をベトナムでは「共産党一党独裁反対」に置き換えれば、
戦前の日本と今のベトナムとは瓜二つである。
カソリックのグエン・バン・リー神父が民主主義、複数政党制を
主張したことで逮捕され8年間の禁固刑が確定し、投獄されて
いる。「共産党の一党独裁」に触れた瞬間、社会から抹殺される
のがベトナムの実情である。
国民が主権者であるなら、多様な国民の政治意識が政治に
反映される政治的なシステムが必要である。
今回の国会議員選挙は、国民の選択肢が一つしかないの
である。

インチキ選挙その2。

一般市民は候補者がだれか分からないということ。
ベトナム共産党は町中に「5月20日 第12期国会議員選挙。
選挙は権利であり国民の義務である」との横断幕を
張り巡らしていた。
しかし、候補者が政見を市民に訴えるということはなかった。
また、候補者の政見と履歴、ポスターが町に貼られることもない。
一度だけ、「子どもの家」入所希望者の自宅を訪問した際、
農村の集会場で選挙の集まりがあったのを見た。農村人民委員会
の役員などに対して候補者が話をしていた。
政見は市民(主権者)に語るのではなく、人民委員会の幹部を
集めて語るだけである。候補者が国民に政見を語ることはないし、
本当に市民が思っていることを語ることも出来ない。

インチキ選挙その3

ベトナムでは選挙は「共産党政治体制」への踏み絵となっている。
選挙に行かない人間や家庭は「反政府主義者」と認定されてしまう。
そうした背景がありかなりの家庭では家族の誰か一人が「代表」して
投票所へ行き、家族全員の投票をするというインチキ選挙が横行
している。私の知り合いの皆さんの多くの家庭が同様の
『家族代理選挙』を行っている。

インチキ選挙 その4

毎回、投票率が「99、999%」となり、国民の圧倒的多数が
選挙を支持したということになっているが、実態は「その3」で
述べたようである。
更に投票率を100%にするのは、各村、群、市、省人民委員会の
「任務」である。
市人民委員会は村の人民委員会に「投票率はどのくらいかね」と
問い合わせをする。村の人民委員会は「投票率100%が課題」
となっていることを知っているので、うそでも「100%です」と
答える。官僚主義社会の典型的な図式である。
こうして積み上げられた数字が投票率99、99%の実態である。

日本の新聞は、「ベトナムの国会議員選挙で独立派が立候補」
などとボケた記事を書いていた。
ベトナムに独立派などその存在を許されていない。

5月25日当選者が発表される。発表前から当選者は既に
決まっていると共産党の幹部が私にささやいていた。

選挙管理委員会も独立したものではない。共産党の皆さんだけ
の開票である。家族の代理人が一人で10人分の投票をする
ことを黙認している選挙である。インチキ選挙と言っては駄目
だろうか? 公正な選挙が出来るシステムではない。

投稿者 koyama : 11:59 | コメント (0)

2007年05月21日

新日本料理店開店祝賀会

晴天・快晴

気温34度。湿度高し。

午前7時朝食。フォー。

午前8時過ぎ、徒歩ベトナム事務所へ。
既にリー副店長が出勤している。日本料理店の出勤時間は
午後2時半だが、リー副店長は『やる気満々』。
日本料理店の掃除、玄関の掃除などをしている。

静岡の巣山さんから贈られたハンカチをベトナム事務所員に
渡す。夜、子どもたちにも渡す。


バンベ31号の原稿に目を通す。夏のスタディーツアー関連の
見積もりに目を通す。

いくつかの観光会社から夏のスタディーツアーについての
連絡がある。

午前10時。「子どもの家」卒業生で現在在宅支援の
DUOC君が在宅支援金を取りにベトナム事務所へ来る。
近況を聞く。


「子どもの家」を退所する際は、喫茶店で仕事をして
月給80万ドン(7000円)程度もらっているので自立できる。
母親が病気なので同居して面倒を見たいと言っていた。
自分は資本金を十分持っているので、母親にパン屋をさせて、
その売り上げで十生活と通学は可能と言う。
私たちは、喫茶店(朝6時半から夜10時まで)で仕事をしながら
フエ高等師範大学へ通うのは難しいのでしばらく「子どもの家」にいて
大学を卒業したら母親と同居するようにと説得したが、既に
事実上、「子どもの家」を出てしまっていたDUOC君は
私やミンさん・セン所長の説得を十分聞かずに退所した。
 今日、話を聞くと、喫茶店の仕事は既に辞めてしまっていた。
現在、駐輪場の警備員。午前中だけの仕事で月給20万ドン。
病気だと言っていた母親が天秤棒を担いで物売りをし、
その売り上げで生活しているという。里親の支援金と母親の
天秤棒での物売りで何とか生活が出来ている状況ということが
分かった。「子どもの家」を退所する時は、自分の力で全て
出来ると言っていたのだが、退所してまだ2ヶ月ほどで、
母親の仕事に頼っての生活に入ってしまった。23歳。
何とか頑張って大学を卒業し、音楽の先生になることを
願っている。JASSベトナムで出来る応援はして行きたいと
思っているが、本人が人の説得を受け入れないところに
難しさがある。既に23歳。一人前の大人である。母親と
協力して生活することは立派なことである。何か相談する
ことはあるの? と聞くが大丈夫と言っている。


午前11時、トンチンカンホテルへ。
昼食。パン、ヨーグルト、牛乳。

昼寝。30分。

ACCL(アジア・チャイルド・ケヤ・リーグ)代表の渡辺さんから
電話。明日の小児白血病の親を集めたプロジェクト説明会
について。

午後2時過ぎ、ベトナム事務所へ。
日本料理店の店長以下、子どもたちが出勤。
今夜6時からの新日本料理店開店祝いの準備を始める。
昨日、相談した特別メニューの料理作り。部屋の整理と
机の配置。

ホンニー店長とリー副店長は35人がきちんと座れるように
机の配置を考え、机を並べる。


接客のグエットさんは、生ビールのサーバー、コップを冷やす
など、飲み物関係の専門家。


厨房のフエンさん、トゥオイさんは料理作り。
ターオ君は無断欠勤。

ホンニー店長を連れて新日本料理店の隣の
「精進料理屋」へ開店の挨拶に行く。
ホンニー店長が「太巻き寿司」など何種類かの
日本料理を挨拶代わりに渡す。


イン君とソン君で今日の祝賀会の横断幕を張っている。
中央の横断幕は
「祝 日本料理店開店 歓迎 後藤ハンナ先生」



●フエ着任1週間目の後藤ハンナ先生


副横断幕は「祝 フーン先生ご懐妊、サン先生観光副社長
就任、ソンさん日本語教師就任」。


お祝いの花輪が届く。

(平本さんより寄贈)


(青少年教育の会より寄贈)


(刺繍みやげ物店の皆さんから生花の寄贈)

ホーチミン市在住の只木良枝さんからお祝いのメールあり。


午後6時、招待した皆さん、ベトナム事務所員、
刺繍の先生、建築関係のみなさんなど総勢40人ほどが
参集。

石塚啓子先生とハン会計部長の司会で始まる。


初めにJASSベトナム運営委員長のバオミンさんが
挨拶。

続いて来賓挨拶。フエ市人民委員会ニエン外務部長。


セン「子どもの家」所長。

セレモニーの最後にホンニー店長とリー副店長の
音頭で乾杯。息の合った乾杯の音頭だった。

工事、刺繍、ベトナム事務所、来賓、子どもたちなど
テーブル毎にすわり、開店を祝った。

●工事関係者:1ヶ月の突貫工事を請け負ってくれ
          見事に成功させてくれた功労者。
          生ビール、日本酒をかなり飲んだ。お土産に
         日本酒を1本ずつ渡す。

●ベトナム事務所・来賓

●東京平和産業のラームさんとソン君


●刺繍みやげ物店の皆さん

●子どもたち


●フーン先生のお目出度をお祝いする

●リー君と飲み比べ。私が敗北する
 「リー君と小山は顔が似ている」との噂が巷に広がっている。
 そう言われれば確かに・・・・。  既に14年間の付き合いになる。

午後8時半。開店祝賀会は終了。しばらく子どもたちが
食事やデザートを楽しんでいた。
4月20日に旧日本料理店を閉店してちょうど1ヶ月。
見事に新日本料理店が完成した。ベトナム事務所員や
工事関係者の努力で超短期間で仕上げられたことに
感謝している。

今日1日、新店長、副店長の下、子どもたちは一生懸命
仕事をし、見事に子どもたちだけで準備から運営を
やり終えた。子どもたちも相当疲れてはいるが、精神的には
一つのことをやり終えたという達成感と満足感が残ったので
ないだろうか? 明日から本格的開店。
その後、日本人スタッフで諸問題について深い反省会を
挙行した。

投稿者 koyama : 10:13 | コメント (0)

2007年05月20日

最後の机、台などが届く

晴天

気温33度。

午前7時起床。昨夜飲みすぎ。
直ぐに昨夜の新日本料理店開店前夜祭の日記を書く。
2時間かかる。出来るだけ子どもたちの様子を写真で
載せるよう努力する。

午前10時、入浴。昨夜の前夜祭で残った食料を持ち帰り
朝食とする。魚のフライ、もち米のご飯・・・。
フダ缶ビール2本。NHKのど自慢を見ながら。

午後12時。昼寝。疲れが出たのか午後2時過ぎまで
寝てしまう。
午後3時過ぎ、ベトナム事務所へ。今日は最後の家具類が
搬入される日。
子どもたち(5人:ターオ君欠)、仁枝さん、税田さんが
既に新日本料理店で待機中。
3時といってもそこはベトナム時間。3時40分頃、家具類が
到着。厨房にあった特製の台を作る。