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2007年05月16日

大抜擢人事を決める

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  koyama1947@yahoo.co.jp まで

朝から晴天 気温33度。

久しぶりに例年の暑さになる。

朝から気持ちの良い晴天。ドアを開ける。隣りのホテルの
玄関に大型バスがアイドリングをしている。大量の
真っ黒な排気ガスが噴出している。到底、人間の
住める居住環境ではない。部屋中のドアをしめるしか
対策はない。本当に困っている。

昨夜、トンチンカンホテル1階で夕食を摂っていた大塚さんの
電動バイクが盗まれた。物騒な社会になってきたものだ。

午前7時45分。バオミンさんと一緒に船上生活者の多い
フールー小学校へ。校長先生と懇談。現在生徒は588人。
5年生(最上級生)は110人。中学へ進学する子どもは
110人中50人。更に中学を卒業する子どもが20人程度。
この10年間にフールー小学校を卒業した子どもたちは
1000人強。大学進学は2人のみ。
フールー小学校の50%の子どもたちは船上生活者の師弟。
私たちは50人の子どもたちに奨学金を贈呈している。

今日は船上生活者の師弟で「子どもの家」に入所を希望している
船を訪ねることが目的。校長先生は既に母親を学校へ呼んで
いた。フールー小学校は船上生活者のセンターにもなっている。
三男がフールー小付属の夜間識字教室に通っている。
識字教室はフオン川の中州の真ん中にあり、1990年中ごろの
洪水で流されてしまった。その後、私たちが中州にある識字学校を
再建し寄付したという経過がある。三男がフールー小識字教室
に通っている関係で、母親との連絡がついた。

母親の案内で船で「自宅の船」まで案内してもらう。


「子どもの家」入所希望の子どもたちの家兼船に到着。
家族と親戚が待っていた。

船に乗り込む。犬と猫がいる。川の生臭い匂いと、犬猫の
匂いが複合して、室内に入った途端、「ウゥー」となる。

ご両親に家族構成を聞く。

父(46歳) 漁業 (月収40万ドン~50万ドン)3600円程度 
        小学校2年までしか行っていない
母(44歳) 家事 学校へは行っていない
長男(24歳) ラデン細工の研修中
長女(21歳) 結婚し2歳の子どもあり
次女(19歳)ホーチミン市で帽子作りの研修
次男(17歳)同上
三男(13歳) A君 学校へ行っていない
三女(12歳) 学校へ行っていない
四男(5歳から7歳?)B君 学校へ行っていない

家族の収入は、父親が川魚を獲って得る収入だけである。
平均月収は40万ドン~50万ドン(3000円~3600円)。
祖母も入れると家族7人が3000円~3600円で生きていく
のだ。到底、子どもたちを学校へは通わせられない。
食べていくだけでも大変である。普通の生活をするのは
無理な実態である。

両親は三男のA君と4男のB君の二人の入所を希望している。
B君の年齢は不明確。出生届けを出していない。両親も
今何歳だか分からないという。時には5歳、時には7歳と言っている。

72歳の祖母。祖母の祖父母も両親も船上生活者だったとのこと。
この家庭は少なくとも100年以上続いた船上生活者である。

両親も学校へ行っていないので、読み書きが出来ない。
勉強するということの意味と価値が必ずしも十分分かっている
わけでもない。
家族、親戚がたくさん集まる。皆さん、至って明るい。
こういう生活もあるのだなと改めて感じたが、同時に
両親が子どもたちを学校へ行かせないという権利はないはず。
子どもたちには『学ぶ権利』がある。この船の中で、
「そもそも子どもたちを通学できないようにしているのは誰だ」
などと論議をしても始まらない。私たちが、通学していない
子どもたちを知ったからには、何らかの支援を子どもたちに
すべきである。

「JASSベトナム」運営委員長のバオミンさんと相談し、
三男、四男の入所を決める。

この船上生活者の家庭を訪問して、ベトナム社会主義が極端な
『格差社会』『二重構造社会』であることが分かる。
一方では字も書けず、子どもたちの勉学や将来について
明確な展望を考えることもなく家庭生活を送っている人々が
いる。一方で、共産党幹部や行政幹部や一時成金層の
人々は子どもたちに必要以上の物を与え、家庭教師をつけ、
高額な費用を支払い特別塾に通わせる家庭もある。
「二極化」した社会は、今後固定し、『上流階級・特権階級』
『成金階級』は引き続き子どもたちもその後を継ぎ、
船上生活者の家庭は引き続き学校へ行かず、貧困生活に
甘んじるという社会である。

ご両親にA君、B君をどうしたいのか?希望を聞く。
「学校へ行かせて欲しい。読み書きを教えて欲しい」とのこと。
A君・B君に「子どもの家」への入所の意思を確認する。
二人とも『「子どもの家」へ入り、勉強したい』とのこと。
「子どもの家」の目的、設備、生活などを説明する。

私が今出来ることは、こうした子どもたちを「子どもの家」に迎え入れ
日本人の里親の方々に支援をして頂く仲介者役をすることである。
A君、B君に幸せな人生を歩んでもらいたいと願うのみである。

船上生活者の船からベトナム事務所へ帰る途中、昨夜大塚さん
が盗まれた電動バイクどと同型の電動バイクを買いに行く。
前回より安くなっていた。

ベトナム事務所では日本料理店の子どもたちが
英語を勉強していた。非常に熱心にやっている。
ホンニーさんは、腹痛で休む。


午前10時。新日本料理店の打ち合わせを行う。
バオミンさん・大塚さん・税田さん・小山

5月21日に開店する新日本料理店。今後の運営の基本を
相談する。日本料理店を移転した最大の理由は、
日本料理店を子どもたちのものにするため。運営も
収益も全て子どもたちや子どもたちを支えるスタッフに
役立てるようにしたい。2月4日JASS第14回総会決定
でも「ベトナム現地の完全自立を達成する」との方針が
明記されている。
様々な問題があった旧日本料理店。4月20日に閉店とし、
新たな日本料理店を開店する。
今回は抜本的な人事刷新を決めることにした。

①日本料理店の運営を全て子どもたちに任せる
 子どもたちが責任を持って日本料理店を運営していく中で
 子どもたちは様々なことを学び、大人に成長していくものと
 思う。既に1年間、子どもたちは鳥取の徳岡さん、茨城の 
 中村さん、大塚さんや日本人スタッフなど様々な人々から
 日本料理の作り方を学んだ。また、2000人弱のお客さんの
 応対を経験した接客係り。この1年で日本語も学び、日本料理・
 接客を学び、ほぼ、ひとり立ちできるところまで来たと判断した。
②具体的には、店長「ホンニーさん」・副店長に「リー君」
 を抜擢することにした。4人の一致した意見である。
③日本人スタッフは、ホンニー店長、リー副店長が日本料理店
 の運営をしっかりとできるよう「側面」から援助することを
 基本とすることにした。

以上の決定は、かなり挑戦的な内容を含んでいる。
果たして18歳のホンニーさんが日本料理店全体を
見渡しての仕事が出来るのか?
気分屋で仕事をしたりしなかったりの警備員のリー君が
日本料理店全体の運営を「ホンニーさん」と協力して
うまくやっていけるのか? 直ぐに飽きてしまわないか?
子どもたちには、荷が重過ぎないか?
など様々な躊躇もある。しかし、いずれは、日本人が
いなくなるのである。子どもたちに「新しい峰に挑戦する」
チャンスを与えたい。自信をなくしたら応援し、成功したら
励ましすることが、子どもたちを「育てる」ことである。
2月4日JASS総会で決めた「子どもたちを育てる」
「子どもたちの自立を促進する」ことになるのではないかと
考えた。人間は、無限の可能性を秘めている。
ホンニーさんとリー君、更に4人の子どもたちが力を
あわせ、新しい課題に挑戦して行って欲しい。
子どもたちの能力と力はチャンスを与え、挑戦する中で
必ず引き出され伸びていくものと信じている。

打ち合わせ会終了後、臨時のベトナム事務所員会議を
開き、店長、副店長人事を提案し皆さんの意見を聞く。
皆さん、賛成してくれる。


直ぐに『リー君』を呼んで副店長の件を話す。

4月20日、旧日本料理店閉店以後、リー君は毎日新日本料理店
建築工事現場に来ている。今まで直ぐに仕事に飽きてしまう
弱点を持っていたリー君が「変身」したような気もしないでもない。
バオミンさんが、ベトナム語で副店長就任要請の話をする。
リー君がどんな反応を示すか非常に興味があった。
想像通り、「私は自信がある。頑張って副店長をしたい」との
答えだった。
私の方から次のことを話す。
①副店長になったからには、自分だけでなく、6人の
 スタッフ全員が楽しく仕事が出来るように心がけるのが
 仕事だということを頭において欲しい。
②気分で仕事をすることはやめるように。
③店長のホンニーさんと協力して、日本料理店全体の
 問題をいつも考えて解決して行って欲しい。
④ベトナム事務所のみんなは、リー君の活躍に期待している。

昼食。

昼寝(30分)

読書「石の肺ーアスベスト渦を追う」(佐伯一麦著:新潮社)

午後2時半、バオミンさんと一緒に「子どもの家」へ。
新日本料理店店長候補のホンニーさんと会い、店長就任を
打診。

バオミンさんがベトナム語でJASSが何故ホンニーさんを
店長に推挙したのかを説明。店長の仕事内容なども話す。
セン「子どもの家」所長も「店長は大変な仕事だ。あなたに
とっては人生で初めての大役。できるかどうか自信がないとは
思うが、今、目の前にある課題に全力で挑戦して欲しい。
あなたの能力と力なら、必ずやれると思う」と励ます。
「私は店長をやります」とホンニーさんはきっぱりと言う。
私が店長の仕事について、何か質問や疑問はないか?
と尋ねる。『私は今聞いたばかりの話なので、まだ良く考えて
いない。これからゆっくりと考えてみる。明日、日本料理店会議
を開くそうなので、その時、私が考えていることを皆に言いたい」
と話す。
ホンニーさんは賢い子である。1年間、日本料理店で仕事を
している。店長という仕事が、実際、どんなに大変かを知っている。
知っているからこそ「簡単に出来ます」などとは、到底いえないの
である。ホンニーさんは店長就任という重大な課題を真正面から
受け止め、ぶつかって行こうと決意したものと思われる。
ホンニーさんの成長と活躍を期待したい。

「子どもの家」からベトナム事務所へ戻る。天気快晴。
真夏の気温。

途中、バオミンのお母さんが経営しているドンバ市場内の
布地屋へ行き、スボン用の布(今はパンツと言うらしいが、
パンツは下着という語感が強いのでこの際はズボン)3着分
長袖ワイシャツ用布2着分を買う。3500円相当。
ベトナム事務所隣の縫製屋へ布の持ち込み採寸、縫製を
依頼。3年前に同様の方法でスボンを3着作った。

新日本料理店は着々と工事も進みカーテン、ついたて、
ガス台の穴あけ(明日、ガス台関連取り付け)などが
終わった。

店内の仕切りにつかう「衝立」(ついたて)

ガス台

午後5時、トンチンカンホテルへ戻る。今日は暑い1日だった。
私は暑いフエが大好き。暑くなると体調が良くなる。

里子の件で関係者にメール送信。25通のメール受信。
全てに目を通すだけでもかなり大変。

今夜、新日本語教師の後藤さんがフエに着任する。
当初、午後8時フエ空港着の予定だったが午後8時40分に
変更となり、午後7時45分、サンさん、リー君とフエ空港へ
出迎えに行く。
空港では午後9時に遅延予定との表示。空港入り口の
ガードマンに聞くと、午後9時から午後8時半に変更に
なったと言う。空港待合室に行き、日本語学校の卒業生
の警備員に聞くと、午後8時50分だとのこと。
訳の分からない状態。午後8時に空港到着後、約1時間
弱待つ。結局午後8時50分に到着。後藤さんは元気な姿で
フエ空港へ姿を現す。


午後9時20分。空港を出てフエ市内へ。フエ市内の「フォーサイゴン」
レストランで遅い夕食。

無事着任の簡単な祝杯を挙げる。リー君は上機嫌でビールを
ぐんぐん飲む。

結局、午後10時までフォー(米うどん)やチャーハンなどを
食べ、トンチンカンホテルへ。

午後10時過ぎトンチンカンホテルへ無事到着。
後藤さんに取っては「超長い1日」だったことだろう。

トンチンカンホテルでは、日本人スタッフが出迎えて
くれる。

後藤さんにとっても私に取っても「長い長い1日」が終わる。

投稿者 koyama : 2007年05月16日 20:16

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