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2007年05月08日

新日本料理店工事

晴天

気温32度。暑い。

本当に変な天気だ。寒かったり暑かったり。

午前7時、朝食。ブンボー。

7時過ぎ、仁枝さんが日本料理店工事現場に行く。

午前8時半、日本料理店工事現場へ。

雨が続き、セメントの壁が乾かない。今日はガスボンベで
壁を乾かしていた。

厨房の流し台の取り付けも完成に近づいている。

日本料理店の椅子と机のサンプルを作らせる。大塚さんが
かなりきちんと説明したのだが、出来てきたものは、およそ
注文とはかけ離れていた。お店側の勝手な作業。
お客の注文を聞く気持ちがないのか、ピントはずれの出来。
他の店に頼むことにする。60個一度に注文しなくて良かった。
ベトナムにすんで14年。この種のトラブルには何度も付き合っている。
一応、サンプルを1つ作ってもらい、それを再度直しながら
最後の希望する品物を作ると言うことがベトナムでは重要。

2階の会議室では、ソン先生の日本語教室が行われている。
ホンニーさん、リー君、グエットさん、トゥオイさん、フエンさん。
ソン先生が実際の日本料理店での接客を想定しての
実践的な日本語会話を教えていた。子どもたちは熱心に
学んでいる。



●ソン君がホワイトボードに書いた板書。自分で調べて必要な
 会話内容を決めてきた。

次に実際の日本料理店の玄関でお客と店員になり会話をする
練習。ソン先生がお客。子どもたちが店員。

(子ども)    いらっしゃいませ。どうぞ。
(ソン先生)  すいません。よやくしていたんですけど。
(子ども)    おなまえは なんですか?
(ソン先生)   たなかです。
(子ども)    おまちしておりました。こちらへどううぞ。

ソン先生はお辞儀の仕方、案内の手の使い方などを
教えていた。


ホワイトボードに書いた内容は、ソン先生が自分で
調べてきて考えた内容である。

ソン先生は「子どもの家」の第1期生。10年間「子どもの家」
で生活し、フエ高等師範大学を出た。その後、JASSの
静岡フエ青年交流会館付属日本語学校で上級まで勉強。
今、こうしてベトナム事務所員として、「子どもの家」の
後輩に日本語を教えるまでになった。
私たちは「人間を育てる」海外支援をめざしている。
中々難しいものへの挑戦ではあるが、こうして長い時間を
かけ一人一人の子どもたちの成長を見守りながらの
支援こそ本当に海外支援ではないかと思っている。
紛争地域への緊急援助も必要であろう。イラク戦争中に
戦場に子どもたちを助けると入っていくのも支援なのかも
知れない。しかし、結局は緊急支援だけでは人間は
生きてゆけない。教育をし、子どもたちを「人間として」
いかに育てるかが、海外支援に問われているのである。


私たちの援助は時間をかけ子どもたちを育てる。育った子どもたちが
次世代の子どもたちを育てるという循環型・自己発展型の
国際支援を考えている。人間こそが全ての元になり、資本である。

午前9時半、日本語教室終了。

続いて、子どもたちはベトナム事務所1階の新日本料理店建築
の手伝い。

日本料理店の食器などを入れる「販売する刺繍を置いていた」棚の
移動。なかなか重たい。子どもたちと日本人スタッフが必死で
運搬。


工事中でほこりだれけの新日本料理店入り口 工事現場


昼食。パン。牛乳。ヨーグルト。チーズ。

昼寝。30分。

読書「ダライ・ラマ」。インドに亡命し、ネール首相の支援も
あり(ネールは当初、中国との友好を重視し、チベット亡命者
への支援に消極的だったようだ)。インド南部に数万人の
チベット難民地区を作る。チベット亡命政府を樹立。
当初は国際的な支援も少なく、インドが中心だったが
徐々に国際的な支援も増えてくる。

午後2時半。バオミンさんと一緒にイン君の下宿探し。
ベトナム事務所から自転車で15分ほどのところに
適当な下宿を見つける。大家さんと交渉。1ヶ月20万ドン(1500円)
昨日の兄弟を交えての話し合いでは、一触即発の雰囲気が
漂っていた。緊急避難が必要と判断し、安い下宿を見つける。
明日、午前中にバオミンさんと一緒にイン君を下宿させる予定。
兄弟の和解は時間がかかる。一緒に日本料理店での仕事を
しながら絆を強めていくことは最良と思われる。人間を育てる
ということは、「手間と暇とお金のかかる」一大事業であり、
一人の人間が人生をかけても余りある事業だと思っている。
子どもたちを育てるキーワードは「忍耐」と「待つこと」である。

安倍首相が靖国神社に「真榊」(まさかき)を供えたそうだ。
内閣総理大臣と書いて「私人」の行為といっている。
「国のため戦って亡くなられた方々に敬意を表し、
ご冥福をお祈りする。その思いを持ち続けていきたい」と
語ったそうだ。A級戦犯合祀問題で揺れた小泉首相時代
を再燃させてしまった。東条英機などA級戦犯を
「国のために戦ってなくなられた方」としてしまった。
既に韓国政府の反撥が出ている。
姑息な首相ではある。今まで隠していた本性が
現れたということなのか?馬脚を現したともいえる。
中国は冷静な反応をしている。
およそ外交のない日本である。外務省の文章を読むと
良く「国益」という言葉が出てくる。中国に借りを作って
しまった。

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(以下、「デスマス調」に。)ここから少し、フダ缶ビールが
入りました。変な長調へ転調。このところ少し疲れたので
ばかっぱなしを。

阪神連敗。ご苦労様。この数年が変だったのです。
8連敗、良くやってくれました。これで阪神の本来の姿に
戻りました。ほっとしています。星野や岡田が監督になって
本来の阪神の素晴らしい力(勝つと思って最後は負ける)がなくなって
しまいました。今年はこのまま最下位に低迷し、ストーブ
リーグではお得意の球団内のごたごた、出来たら、選手の
誰かが球団首脳を「馬鹿ったれ」などと批判し、引退する
などのパホーマンスを見せてください。
そしてこれから5年間位は最下位を低迷してください。
そして6年後位に突然生き返り、優勝。そして翌年も
夏過ぎ位までは、トップで進み、秋にはいった途端に
急降下してお決まりの最下位となってください。
私は、そんな阪神が大好きです。
私は子どもの頃から「某札束球団」が大嫌いでした。
短島三塁手などは一番嫌いでした。ナボナのお菓子
を宣伝していた「ホームラン王」は好きでした。
いつも有名選手、成績優秀な選手を札束で買って
結局、何人の選手を駄目にした分からない、
選手「殺し」の札束球団が嫌いでした。この球団が
負けた日はビールが美味しいと真実思いました。
最近、ビールがいまいち美味しくないのは、年の
せいだけではないようです。札束球団・球界の
紳士たれ球団が「ゴタゴタ多発・選手やり放題球団」に
いつも負けてしまうので、張り合いがないのです。
阪神よ、このまま連敗記録を更新し、ついでに
プロ野球最高というのか最低というのか、連敗記録
の最大というやつを作ってもらえないでしょうか?
最近、スポーツも面白くなくなっています。
西武の不祥事(これは元オーナーの堤氏自身が不祥事
社長でしたから)、高校野球の特待生制度など
全てお金で強くなるという「金・金・金」のスポーツ界です。
その点、阪神は素晴らしいです。「金・金・金」という
金権体質に無縁です。球界一の「しぶちん」球団
ですね。お金は出さないがゴタゴタが年中行事。ゴタゴタで
プロ野球を面白くする球団。さすが、大阪の商人球団。
我が愛する阪神ゴタゴタ年中行事球団よ、復活せよ。
勝ちそうで最後は必ず負ける「反水戸黄門球団」の
真価を発揮してください。本当に猛虎を愛するフアンの
声です。

最後に「なぞかけ」を一つ。

「阪神タイガース」とかけて「朝青龍」と解きます。
その心は、「お互い もうこ」が売り物です。

投稿者 koyama : 2007年05月08日 17:25

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