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2007年05月09日

東京平和産業と話し合い

晴れのち曇り

気温の変化が大きい。
昨夜は一晩中眠れなかった。

午前7時朝食。フォー。
午前7時半、徒歩でベトナム事務所へ。

午前8時、ベトナム事務所で東京平和産業のラームさん
と懇談。ベトナム事務所側はバオミンさん、税田さん、小山。
約1時間の話し合いの結論は以下のようになった。

①ラームさんは今後東京平和産業を中心にビジネス業界に
 進出し、一層ビジネスに邁進する。そのため、ベトナム事務所員
 は辞める。
②ベトナム事務所は、更に一層、「子どもの家」や子どもたちの
 ためのボランティア活動を推進する。
③今まで東京平和産業が行っていたJASS関連のスタディーツアー
 の業務は今後、「JASS観光会社」を設立し、JASSベトナム事務所
 が直接運営する。
④ラームさんはJASSベトナム事務所員をやめて「ビジネス業界」
 に進出するが、引き続き、できることはお互い協力・共同して行く。

要旨こんな話し合いを行った。その背景は、以下のようである。
2007年2月4日「第14回JASS総会」が行われ、
「現地自立」、とりわけ「現地財政自立」のために努力すること
が決まった。具体的には、JASSを「JASSベトナム」と「JASS日本」の
二つの機能に分けそれぞれの役割を果たしながら、「子どもの家」や
生活困難な子どもたち、障害児などの支援を行っていくことが決まった。
2月4日の総会決定を受けて、「JASSベトナム」(旧ベトナム事務所)
では、できるだけベトナム事務所で全ての活動が行えるよう様々な
機構改革、意識改革=構造改革を実行している。
更にできるだけ日本からの支援に頼らずに、ベトナムでベトナム人スタッフ
を中心に子どもたちの自立、ベトナム事務所の自立を進めようとの
決意を固め、できるところから具体化してきた。
「JASSベトナム」がベトナムでのJASS活動を全て決定するように
機構改革が行われ、バオミンさんが「JASSベトナム」運営委員長
に就任。ベトナムで行うJASS活動を代表し、JASSのベトナムに
おける最高責任者となった。
更に財政改革にも着手。2月4日総会以前は、日本の会計担当
山西副代表から送られる支援金を中心に、日本事務所の
会計協力をうけながらベトナムでの活動を進めてきた。
2月4日総会以降は、基本的には
「自立採算制」を取り入れ、ベトナム事務所での「財政活動」を
強化し、ベトナムで「収入を上げ」、日本からの支援に頼らない
JASS活動を推進する努力を重ねてきた。
そのため、ベトナム事務所を拠点に「子どもの家」を中心とし、
オートバイ修理工場、縫製研修工場、アクセサリ工場、日本語学校
、日本料理店などの起業を行い、「JASSベトナム」として
独自に財政を確立し、収益を上げて、「子どもの家」の子どもたちや
スタッフ、ベトナム事務所のスタッフや運営費を捻出するよう
体制を作り上げてきた。
更に12年前から始めた東京平和産業(資金は私が個人的に投資)
での観光事業。ラームさんを責任者に配置し、太平観光さんの支援で
4年間にわたり社員の舟山さんの派遣・指導を受けて、観光業を
学んできた。この12年間のうち8年間ほどは、細々とした観光業を
営んでいた。収益は全額ラームさんのものとなり今日に至って
いた。ラームさんは東京平和産業を拠点に「家具販売業」「クリーニング」
ホテル業などビジネス業界に進出しながら、ベトナム事務所にも
在籍するという「二束のわらじ」の活動を行っていた。
4年ほど前から地球の歩き方や全国大学生協などと提携し、
スタディーツアーの受け入れを行うようになった。また、JASSでの
取り組みが日本国内でもかなり知れ渡るようなり、多くの団体が
スタディーツアー訪問をするようになった。当初は年間数十人
の訪問者の受け入れと観光などを行っていた東京平和産業が
今日では年間1000人ものスタディーツアー訪問者を受け入れる
ようになってきた。訪問者が増大する中で東京平和産業(案内は
ラームさん一人)だけでは到底スタディーツアーの調整、企画、
そして実際の案内などができない状況となった。
そうしたことを背景に年間1000人近くの受け入れ、案内の
90%はベトナム事務所のスタッフ(ミンサン、ハンさん、サンさん、
フーンさん、ソン君、税田さん、小山、石塚さんなど日本語教師)
が行うようになった。私個人では言えば全てのスタディーツアーの
日程の中に「小山代表講演会』という日程が入っている。90分
の講演会を「子どもの家」で行っている。この3月には、20回以上
の講演会を「子どもの家」で行っている。
この12年間で東京平和産業が行っている訪問者受け入れの
スタイルが大きく変わった。数十人の受け入れから1000人の
受け入れ。しかし、スタディーツアー受け入れの収益が
引き続き東京平和産業に基本的には全額入るというシステムは
変わらないまま今日に至っている。
JASSは5年ほど前から「現地自立」「現地財政確立」をめざし
活動を強めていた。とりわけ2月4日総会決定を受けて、
フエで「独立採算制度」で「子どもの家」支援等を進めることに
なり、東京平和産業の収益独占体制はJASSとして大きな
矛盾となった。私は3年前から東京平和産業のラームさんと
この問題を話し合って来た。また、ベトナム事務所の
バオミンさん、税田さん、私とラームさんとの話し合いも
昨年から3回行われ、実際の仕事をする人と収益を得る人
との大きな「アンバランス」の是正について話し合って来たが
なかなか問題の解決には至らなかった。
具体的には、スタディーツアーの宣伝、集客、ツアーの内容
検討、全体のコーディネート、案内などのほとんどを
ベトナム事務所員が行いながら、収益のほとんどが
東京平和産業に入ってしまい、「子どもの家」や子どもたち
に使えないという『アンバランス』を是正したいとの気持ちが
ベトナム事務所側には強くあった。3年間の話し合いを
経て、今日、ラームさんとベトナム事務所側との最終的な
話し合いと「合意」が成立。上記のような結論に達した
次第である。
この合意で、今後は、スタディーツアーなどに関する
ベトナム事務所員の様々な活動は全て『子どもたちのため』
に生かされることになった。ラームさんの「企業家」としての
大成を祈る。

午前9時半。「子どもの家」へ。東京の先生一行9人が
「子どもの家」を視察中。1時間、皆さんを案内し、「子どもの家」の
歴史と目的、子どもたちの教育問題などを説明する。
私が東京の小学校教員をしていた頃の先生方。既に全員退職
されている。


午前10時半。「子どもの家」にて。
日本料理店料理人ターオ君の件。
兄弟喧嘩が続き、同居が難しい状況の中で、臨時に「子どもの家」
に泊まっているターオ君である。数日前に職業研修をしている
「子どもの家」の子どもを誘って、ゲームセンターに連れて行って
しまったり、友達を「子どもの家」に勝手に泊めてしまい、
寮母さんからセン所長に「臨時宿泊をやめさせて欲しい」との
苦情が出ていた。昨日、ターオ君の下宿を何とか見つけてきた。
今日はターオ君を連れて新下宿に連れて行く予定である。
昨日、バオミンさんが「子どもの家」スタッフを通して5月9日
の午前中、私とミンさんが「子どもの家」へ行くので待っている
ようにとの連絡をしておいたが、「所在不明」。
「子どもの家」スタッフや子どもたちがターオ君の行きそうな
場所(ゲームセンターなど)を探す。見つける。
ターオ君に「下宿を見つけたので今から新下宿に行く」旨を
告げる。
そして、JASSで貸してあった自転車の所在を聞く。
「質屋に入れてしまった」とのこと。12万ドン(1000円)。
ゲームセンターなどでの遊興費に使ったものと見られる。
自転車がないと下宿から日本料理店にも通えない。
バオミンさんとセン所長がベトナム語で厳しくターオ君を
叱る。セン所長に別れを告げ、ターオ君を質屋に行かせる。
私たちもあとを追おう。質屋に着く。ミンさんとターオ君が
質屋に入ったが、それから30分出てこない。私は入り口で
30分立っていた。昨夜は一睡もしていない。今日は
1時間ラームさんと話し、1時間来訪者の案内で話し、
とにかく立っているのもフラフラ状態。
30分後にJASS自転車を持って出てくる。ミンさんの
オートバイの後ろに私が乗り、ターオ君が質屋から
取り戻した自転車に乗り、30分。新下宿に到着。
新下宿に入り、ターオ君に「今度はこの下宿で
問題を起こさないように。真面目に生活するよう。
そして、毎日、ここからベトナム事務所1階の
新日本料理店に通い、真面目に板前業に精進するよう」
話す。
午後12時過ぎ、午前中の日程を終わる。帰りに
昼食がないのに気づき、ミンさんにコムディア屋まで連れて
行ってもらい1万ドン(70円)で野菜中心のほか弁を買う。
トンチンカンホテル着12時半過ぎ。
コムディアを食べようとしたが、箸を2回~3回ほどつけたが
食事が喉を通らない。疲れがピークに達している。
そのまま、水を飲んで横になる。1時間半熟睡。

午後4時過ぎ、ベトナム事務所へ。工事の進捗状態などを
チェックする。

日本の会の役員の皆さんに「ラームさんとの話し合い」の
内容をメールで報告する。
引き続き、ベトナム事務所で今後の観光問題、日本料理店
問題などを考える。

午後7時、大塚さんに夕食を作って頂く。冷奴、ぬかづけ、
ハンバーク定食。皆さんで軽くビールを飲み、今日午前中の
話し合いの内容を確認しあい、今後、協力して日本料理店
やベトナム事務所、「子どもの家」を守り立てて行こうと
誓い合う。


誓ってるうちに缶ビルが10本近く空いていた。
午後10時過ぎ、誓い合いの会は終了。いつものことではあるが
大塚さんの手作りの食事を頂き、元気が出る。
昨年、5月から10年間、専属で食事を作ってくれていた
フオンさんが仕事をやめる。それ以降は日本料理店で食事を
したりしていた。4月20日日本料理店閉店後は日本料理店での
食事もできず、パンを買ったり、インスタントラーメンを作ったり
と何とかその場を凌いでいる状況である。この1年間、本当に
食生活が乱れている。栄養のバランスなどほとんど関係ない
食事となっている。昨年から風邪を引いたり、直ぐに体調を
崩すのも食事が安定していないからだと改めて確認した
今日1日であった。それにしても今日は、フエ滞在14年間で
一番『重く』『長い』一日であった。「フー」。ため息が出た。


投稿者 koyama : 2007年05月09日 07:29

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