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2007年05月30日

フールー小学校終業式

晴天

気温35度。

既に10日間ほど35度から40度の日が続いている。
生きているだけで体力を消耗する。
夕食の時、お酒を飲まず、しっかりと食事を摂ることにした。
1週間に4日~5日程度はしっかりと食事をし体力をつける。
ストレスも溜まるので週に2回程度ビールを飲むという生活
態度に変更する。日記に「休肝日」とある。

午前7時朝食。フォー。

午前8時、昨夜から届いたいくつかのメールに返事。
この1ヶ月ほどのベトナム事務所での複雑な出来事の説明も
あり1通のメールを書くのに1時間ほどかかることもしばしばある。

午前8時45分、徒歩、ベトナム事務所へ。
県営人材派遣会社社長と懇談。いくつかの問題を話し合う。

午前9時半。ベトナム事務所2階に以前のオーナーが鳩の巣を
作っていたい。今でもたくさんの鳩が来て、フンをしていく。
2階、3階のテラスには大量の鳩のフンがある。
日本料理店関係者が水で流し、きれいにあらう。
鳩がテラスに入らないように「釣り糸」を細かく張る。



ベトナム事務所で仕事。

午前11時過ぎ、徒歩帰宅。
昼食。

午後12時、昼寝。午後1時半まで熟睡。やはりかなり体力を
消耗している。NHK衛星放送ではハノイの気温が34度とのこと。

午後1時半、読書「漢字の起源」
私たちが普通に使っている漢字の起源がどんな意味があったのかを
知ることは当時の中国の歴史と文化を知ることになる。
また、その文字が付いている漢字には何らかの意味で文字の
発祥の歴史の緒がつながっている。
「人民」の『民』の象形文字は「目」を針金で指すという残酷な形
から出発している。奴隷が逃げ出さないように針で目をつつき、
見えにくくしたのが原義。当時、まつりごとがあると「いけにえ」
を神に捧げた。奴隷がいけにえになる。多いときには一度に
300人以上のいけにえの首を切っている。
『民』の原義は、奴隷という意味。
なるほど、「全てを人民のため」になどという言葉を使う
ニセ社会主義国。中国・ソ連など多くの
社会主義国は文字通り「民」の原義通りに政治を行っていた
訳である。天安門事件で、数千人もの『人民』を
戦車でひき殺したもの『民』の原義に忠実だったのだ。
人民は奴隷であり、人間扱いしていなかったことが良く分かる。

「妾」は、辛(針)の下に女。奴隷の女と言う意味。
奴隷の女は性的な奴隷だった。そこから転じて2号さんなどに
使う言葉にもなったとのこと。

午後3時半、フールー小学校の終業式に招待される。
さすがはベトナム流の招待。午後3時半の終業式招待が
その日の午前中に来るのである。

フールー小学校は600人弱の生徒のうち半数が船上生活者で
ある。フエでも一番貧しい地区の子どもたちが通う。
船上生活者の半数は中学に進学しない。卒業するのは20%。
今日は終業式。成績最優秀、優秀などの子どもたちに
賞状と賞品を授与する。気温40度近く。いるだけで汗が
吹き出てくる。子どもたちは暑い校庭に1時間以上座って
いた。一人も「倒れる子ども」はいなかった。日本なら
バタバタ子どもたちは倒れるだろうと思った。

校長先生の話

最優秀は79人、優秀122人。再試験38人。

続いて最優秀・優秀の子どもたちに賞状と賞品を手渡す。

1時間ちょっとの式典。

午後5時半夕食。
鯖の煮物、竹の子とビーフンの炒め物、ポテトサラダ、
ニガウリのスープ、ご飯。全て子どもたちが計画し仕入れをし、
料理を作った。
子どもたち、日本人スタッフと夕食を摂る。
厨房のターオ君がこのところ全く出勤してこない。

午後6時半、日本料理店開店。

シンガポール人2人。日本人1人来店。

厨房は調理に大忙し。

商売は飽きない。お店を開いて入れば、徐々にお客さんは
付いてくるというものである。開店初日2人、3日間連続ゼロ。
その後は毎日5人前後のお客さんがある。新日本料理店も
軌道にのりつつある。

お客さんがいないちょっとした瞬間。店長と副店長は
業務連絡の深い話し合いを真剣にしていた、・・・・・
かどうかは分からないが
副店長の顔が多少ニヤけていたのが気にはなったが・・・・・。


お客さんがいない待ち時間。トゥオイさんとグエットさんから
「何故、小山先生はベトナムに来てこういう仕事をしているのか?」
と聞かれた。

8時45分。少し早く閉店。3つのエヤコンをつけると停電していた。
今日、業者に直してもらったが、不安なので3つのエヤコンを
つけ、どの程度涼しくなるのか、調べてみる。

ボーッとしていても仕方がないので、リー君、仁枝さんを誘って、
生ビールを飲む。大塚さんや子どもたちはソーダやコーラ。

9時過ぎ子どもたちは帰宅。その後もカウンターで
リー君たちと四方山話。

帰宅は午後10時半過ぎ。

投稿者 koyama : 2007年05月30日 19:11

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