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2007年05月24日
JASS機関紙「BAN VE」原稿チェック
晴天 休肝日
朝7時、トンチンカンホテルの日陰で36度。
日中の外は40度を越えている。体中から汗が吹き出る。
急激な気候の変化。体調を崩す人が多い。
今日は日本料理店店長のホンニーさんが病気になり休む。
この1ヶ月間、新日本料理店工事、旧日本料理店の荷物整理、
そして、店長指名と慌しい毎日だったと思う。特に18歳で店長
を引き受けるに至った心境はかなり複雑であり、挑戦的な
意気込みがあったと思う。日本料理店6人の中で最年少の
ホンニーさんが店長を引き受けた中には、相当の決意が
あったものと推測される。体も一番小さい。この暑さと精神的
疲労でダウンしたのではないかと心配している。
午前8時半。日本料理店打ち合わせ。
今日は、1日中、バンベーの全ての原稿に目を通し、全体的な
文章と記事等の整合性をチェックした。
朝から夕方までかかった。途中で暑さと体力の消耗で
「頭が動かなく」なってしまった。
昼食は日本料理店隣の「精進料理屋」のほか弁(37円)。
昼寝。1時間半。とにかく暑さとこの1ヶ月の疲れでいくら寝ても
寝られる状態。
読書「石の肺」。読んでいくうちに怖くなる。
午後3時過ぎ、税田さんが一時帰国のためトンチンカンホテルを
出発する。リー君が自主的にフエ空港まで見送るという。
今日から6月14日までの短期休暇。ゆっくりと休みリフレッシュ
してフエへ戻って来て欲しい。
午後3時40分、徒歩ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所で再度、バンベーの原稿チェック。
午後7時、全てのチェックが終了しバオミンさんに送る。
夕方、日本料理店接客係りのグエットさんのお姉さんが
フエ高等師範大学の帰りに日本料理店に寄る。
来年の9月から小学校の先生になる。二人とも
「子どもの家」に住んでいる。仲の良い姉妹である。
午後5時半。子どもたちと夕食。野菜サラダ、イカの煮物、
貝の澄まし汁。
今日はリー君、グエットさん、フエンさん、トゥオイさん、
大塚さん、仁枝さん、私の7人。午後6時過ぎ、石塚さん
後藤さんが日本語学校の教育を終わり夕食へ。
午後6時半、日本料理店開店。
午後7時半、来客なし。
「子どもの家」へ。「子どもの家」ではこの猛暑に子どもたちが
相当参っていた。何人もの子どもたちが発熱や下痢、咳で
苦しんでいた。「子どもの家」医師のタムさんが診療し
投薬。日本料理店のホンニー店長も発熱、嘔吐、下痢で
静かに寝ていた。日本料理店のことが気になるらしく、
お客さんは? 日本料理店のみんなは何をしている?
などと質問。
一方、男子は至って元気。
「子どもの家」に入っている姉妹に会いに兄と姪が遊びに
来ていた。
やはり兄弟姉妹である。こうして時間を見つけては、
姪も含めて家族親族が一緒にいたいのである。
「親は子どもたちを育てる義務がある」と記者団に語った
わが首相。「さはさりながら・・」である。家族一緒に
暮らしたいと思っても暮らせない生活と社会がある。
建前とお説教では人間は育たない。
などと思いながら、ふと前を見ると昨年心臓の手術を
したターオちゃんだ。左手を包帯で包んでいる。
「どうしたの?」と聞くと、部屋の2段ベッドの上の段から
落ちて左手を骨折したとのこと。一難去ってまた一難と
言ったところだ。本人はあまりショックはないようで明るい
顔をしていたのだ救いである。
しばらく「子どもの家」で子どもたちの様子を見る。
日本料理店に帰ろうかと思い庭を見ると、おいてあった
電動バイクがない。大塚さんと同様『盗まれた』と思った。
「子どもの家」の庭中を探したがない。やっぱり。
と思っていると、タン君がスイスイと外から電動バイクに
乗ってやって来た。
午後8時半、日本料理店に戻るが、来客なし。
午後9時、閉店。
投稿者 koyama : 2007年05月24日 20:38