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2007年05月22日
新日本料理店開店初日:ベトナム中部白血病父母の会結成総会
晴天。38度。 休肝日
数分外にいるだけで汗が吹き出る。
外の温度は40度とのこと。急に暑くなった。
午前8時過ぎ、徒歩、ベトナム事務所へ。
午前8時半。新日本語教師後藤ハンナさんに
「JASSの歴史」「フエにおけるJASSの役割り」
フエでの様々な問題、JASS活動をする上での政治的な諸問題、
新日本料理店、JASS観光設立の意義、JASSのめざしているもの
などを話す。1時間半。
午前10時。京都教育大学4年生の学生さん(1年休学し
アジアのボランティアを体験旅行中)にボランティア、アジア、
JASSのめざすもの、現在の到達点などの話をする。
2時間。
午後12時半、トンチンカンホテルへ。
昼食。昨夜の開店祝賀会の残りの食料をもらっていた。
パスタ、フライ等を食べる。
昼寝。30分。あまり眠れない。
読書「石の肺」(佐伯一麦著)
半分ほど読んだが衝撃的な内容。
午後2時45分、バオミンさんと一緒にフエ中央病院小児科へ。
ACCL(アジア・チャイルド・ケヤ・リーグ)が主催し行う
「3星プロジェクト」(小児白血病の子どもたちの生存率を高め
そのケヤを支援する)実施のため。
今日は、ベトナム中部「小児白血病父母の会」結成総会が
行われる。私とミンさんがフエ中央病院小児科の会議室に
到着すると既に白血病の子どもたちと親、担当の医師、
小児科医長、小児科白血病棟主任などが待っていた。
会員は最終的には30人ほどになる見通しだが、
今日は14組の家族が参加していた。クアンチ省・クアンビン省、
ダナン省、ダックラット省(少数民族)、フエ省など。
「白血病患者父母の会」と書かれた横断幕がはられていた。
ベトナムで初めての小児白血病患者の父母の会の発足である。
初めにフエ中央病院小児科医長のフオン先生が挨拶。
『今日、「ベトナム小児白血病患者父母の会」結成総会を開けて
大変嬉しい。ACCLの渡辺和代さんの主導で先日、私たちは
インドネシアのバリ島の「世界小児がん父母の会総会」に出席した。
そこで小児白血病は、家族と患者の子どもたちが協力して忍耐強く
治療に当たることが大切なことを学んだ。今日、こうしたACCLと
JASSの協力のお陰で「小児白血病患者父母の会」が出来たことは
本当に嬉しい。父母の会をとも協力しながらベトナム中部の
小児白血病の子どもたちの治療と生活支援を行って行きたい。』
(フエ中央病院小児科医医長フオン先生の話の概要)
続いてACCLの現地代理人としてJASS代表の私の挨拶。
『日本での皆さん方と同じ病気と闘っている子どもたちがたくさにる。
私の弟も16歳の時、小児白血病になり苦労した。
小児科医長フオン先生と協力して病気を治して行きましょう。
諦めずにフエ中央病院に通ってきたください。
長い時間がかかりますが、病院の指導を受けて、栄養や
感染に注意してください。渡辺和代さんが代表を勤める
ACCLでは皆さんが遠い地方からフエ中央病院へ通う
交通費、薬代などの支援を行います。3ヶ月に4日間
フエ中央病院小児科に入院して治療を行ってください。
皆さんの元気が回復することを祈ります』
白血病主任のリン医師が白血病治療について話を
する。リン医師は昨年まで半年間フランスに留学し
小児白血病の研究をして来ている。
「治療は医師が面倒見るので安心して欲しい。4日間の
入院を繰り返すが、頑張って欲しい。入院は3月末、
6月末、9月末、12月末を基準としたい。通院を継続すれば
必ずよくなるので頑張って欲しい。治療にこなくなる子どもたち
もいるので家族の皆さん、どんなに大変でも年間4回
治療に必ず来て入院し、薬をもらって欲しい。男の子は
最低3年間の治療が必要、女の子は2年間」
その後、参加家族14家族で話し合い、父母の会代表一名、
副代表2名を選出した。
代表はクアンチ省、副代表はダクッタク省(南の山岳少数民族)、
そして地元フエ省。
続いて親の意見や希望を聞く。
「地元の病院にいてフエ中央病院に転院したが、
手続きが複雑で私たちには分からない。何とか、私たちにも
分かるような手続きの変えて欲しい」
ACCLから支援される交通費を支給する。
自宅からバスなどで来る交通費を援助する。
親が実際にかかったバス代を記入する。
14人の子どもたちはクアンビン省(3人)フエから車で5~6時間
クアンチ省(6人)フエから車で3時間から5時間。
ダナン省(1人)
フエ省(3人)
ダックラック省(1人)フエから車で8時間。
●父母会の親と一緒に記念写真
●最後の親子と記念写真を撮る
抗がん剤のせいであろうか? 脱毛している子どもたちの
姿が痛々しかった。40年前、弟が罹った白血病と闘っている
子どもたちと付き合える機会が出来たのも何かの縁である。
ACCLの現地代理人として子どもたちのために出来るだけの
協力をして行きたいと思っている。
午後5時、ベトナム事務所へ戻る。
午後5時半から子どもたち、日本人スタッフとの夕食会が
再開された。私は個人的に本当に助かる。この1ヶ月間、
3食自分でとなるとなかなか大変だった。相当、いい加減な
食事と相成った。これから朝食と夕食はしっかりとして食事を
摂ることが出来る。1ヶ月間、忙しく、食事を用意する時間がなく
食事をする気力が出ないときもあった。
こうして10数人で食事をすれば、食欲も出てくるというものである。
新日本料理店開店初日。子どもたちや日本人スタッフが
協力して開店準備。
店長・副店長が「微妙な雰囲気」で打ち合わせ。
午後7時、新日本料理店第1号のお客様が来店。
日本料理店の看板も出ていない。赤提灯だけがシンボル。
午後8時、2番目のお客様が来店。
午後9時過ぎ閉店。
現在のフエは旅行の「OFF」シーズン。あまりお客さんが
町に出ていない。隣の精進料理屋は8時過ぎには早々と
閉店してしまった。
新日本料理店が出来たことを知っている地元の人は
ほとんどいない。看板もまだ出来ていない。
初日に二人のお客さんが来てくれたことは有難い
ことである。
午後9時半。帰宅。皆さんは自転車た電動バイク。
私は徒歩。リー副店長が心配して、途中まで
一緒に帰ってくれた。
トンチンカンホテル帰宅午後9時45分。
その後、昨日の日本料理店開店記念祝賀会の
日記を書く。昨夜から今まで日記やメールを
開く時間がなかった。
ベトナムの「インチキ選挙」
一昨日5月20日はベトナムの国会議員選挙だった。
定数500人に875人が立候補し、体裁上は競争選挙の
格好をとってはいるが、その内実は「インチキ選挙」。
新聞報道では独立系候補などと書いてあるが、けして
独立してはいない。
ベトナムの国会議員選挙が何故インチキかといえば、
選べる政党が一つしかないことに尽きる。
ベトナム共産党の一党独裁を是認した人以外は立候補
出来ないこと。複数政党制を主張したり、社会主義を
否定する意見そのものを表明したり発表したら
逮捕投獄されるというのが実態である。
戦前の日本と同じく「国体の変革」(天皇制打倒)は
治安維持法で最高刑は死刑であった。「天皇制打倒」
をベトナムでは「共産党一党独裁反対」に置き換えれば、
戦前の日本と今のベトナムとは瓜二つである。
カソリックのグエン・バン・リー神父が民主主義、複数政党制を
主張したことで逮捕され8年間の禁固刑が確定し、投獄されて
いる。「共産党の一党独裁」に触れた瞬間、社会から抹殺される
のがベトナムの実情である。
国民が主権者であるなら、多様な国民の政治意識が政治に
反映される政治的なシステムが必要である。
今回の国会議員選挙は、国民の選択肢が一つしかないの
である。
インチキ選挙その2。
一般市民は候補者がだれか分からないということ。
ベトナム共産党は町中に「5月20日 第12期国会議員選挙。
選挙は権利であり国民の義務である」との横断幕を
張り巡らしていた。
しかし、候補者が政見を市民に訴えるということはなかった。
また、候補者の政見と履歴、ポスターが町に貼られることもない。
一度だけ、「子どもの家」入所希望者の自宅を訪問した際、
農村の集会場で選挙の集まりがあったのを見た。農村人民委員会
の役員などに対して候補者が話をしていた。
政見は市民(主権者)に語るのではなく、人民委員会の幹部を
集めて語るだけである。候補者が国民に政見を語ることはないし、
本当に市民が思っていることを語ることも出来ない。
インチキ選挙その3
ベトナムでは選挙は「共産党政治体制」への踏み絵となっている。
選挙に行かない人間や家庭は「反政府主義者」と認定されてしまう。
そうした背景がありかなりの家庭では家族の誰か一人が「代表」して
投票所へ行き、家族全員の投票をするというインチキ選挙が横行
している。私の知り合いの皆さんの多くの家庭が同様の
『家族代理選挙』を行っている。
インチキ選挙 その4
毎回、投票率が「99、999%」となり、国民の圧倒的多数が
選挙を支持したということになっているが、実態は「その3」で
述べたようである。
更に投票率を100%にするのは、各村、群、市、省人民委員会の
「任務」である。
市人民委員会は村の人民委員会に「投票率はどのくらいかね」と
問い合わせをする。村の人民委員会は「投票率100%が課題」
となっていることを知っているので、うそでも「100%です」と
答える。官僚主義社会の典型的な図式である。
こうして積み上げられた数字が投票率99、99%の実態である。
日本の新聞は、「ベトナムの国会議員選挙で独立派が立候補」
などとボケた記事を書いていた。
ベトナムに独立派などその存在を許されていない。
5月25日当選者が発表される。発表前から当選者は既に
決まっていると共産党の幹部が私にささやいていた。
選挙管理委員会も独立したものではない。共産党の皆さんだけ
の開票である。家族の代理人が一人で10人分の投票をする
ことを黙認している選挙である。インチキ選挙と言っては駄目
だろうか? 公正な選挙が出来るシステムではない。
投稿者 koyama : 2007年05月22日 11:59