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2008年10月31日
静岡市長との懇談:静岡大学関係者との協議・懇談
快晴
午前8時、ホテルのブッフェで朝食。パンと野菜、ミルク。
午前9時、静岡市役所訪問。静岡市国際課長と懇談。
JASS静岡代表牧田さん、滝下さん、笠井さん、小山参加。
今後のJASSと国際課・静岡市役所との協力・共同を確認。
午前10時、市民文化局長・部長と懇談。引き続き、今後
両者が協力して静岡市とフエ市の友好のために努力することを
確認。
午前10時45分、小嶋善吉静岡市長と懇談。
興(おき)静岡大学長、露無副学長、石井教育学部長、
そして私、JASS静岡の会代表の牧田さん、滝下さん、
笠井さんが参加。
静岡大と静岡市、JASSとの3者が協力して、静岡大学
とフエ市・省、フエ高等師範大との協力、静岡市とフエ市
との友好などを進めることを確認した。
●小嶋善吉・静岡市長、局長・・・
●興静岡大学長、小山・・・・
午後1時。静岡大へ。
国際交流センター所長、副学長と今後のフエ高等師範大との
協力、フエからの留学生の受入れ体制などについて
話し合う。
午後2時、静岡大学理学部大学院教員と懇談。
午後3時、教育学部長と懇談
今後の教育学部とフエ高等師範大との提携の内容を
話し合う。日本語教師の派遣など様々な取り組みを
協議。
午後4時、静岡大学教育センター関係者と協議。
静岡大学からのスタディーツアー(2単位認定)についての
詳細を協議。
午後6時半から興学長主催の晩餐会。
昨日と今日の2日間で、静岡大学とフエ市・フエ省との協定、
静岡大学とフエ高等師範大との提携問題の具体化をほぼ達成。
更に静岡市と静岡大学、JASSとの3者の協力提携も一層
進んだ。長い1日だった。
2008年10月30日
静岡大学工学部浜松校訪問・JASS静岡の会交流会
快晴
午前6時起床。
午前6時半朝食。午前7時半自宅を出て東京駅へ。
新幹線で静岡経由浜松へ。
読書「静かな大地」(池澤夏樹著:朝日文庫)
江戸時代末期、徳島藩の家老だった淡路。
明治初期、徳島藩は士族となったが、その家老の家の
淡路は士族になれず、結局、北海道の静内に移民する。
その後のアイヌとの出会いなどの経験を記述している。
非常に興味ある本である。
御前10時10分頃、静岡駅で静岡大学学務部長、課長さん
などと合流し、浜松へ。
浜松には静岡大学工学部がある。フエの高校生の留学先。
今回、フエの高校生の留学先の浜松の工学部の実情を視察。
静岡大学工学部長など関係者と懇談。工学部の説明、
JASSの活動の説明などを行う。
静岡大学工学部の先生だった高柳健次郎生は世界で初めてテレビの
送信を行った。世界で初めてテレビの理論をつくり「い」という文字を
世界で初めて送信した。
工学部の実習場を参観
外国人へ日本語を教える教室を参観。中国、韓国、マレレーシア、
インドネシアの学生が日本語を学んでいた。
いくつかの研究室を訪問
人間の目の瞳孔を利用し、居眠り運転をなくす研究。
午後4時過ぎ、新幹線で浜松を発ち静岡へ。ホテルへ。
午後6時半、JASS静岡の会との懇談会。
静岡の黒はんぺん
地元の吟醸酒「満寿一」を飲む。
2008年10月29日
大淋派展
晴天
午前8時起床。
メール受信。送信。
午前10時過ぎ自宅を出て上野へ。
「大淋派展」を参観。
尾形光琳生誕1300年記念。
大淋展は国立博物館の平成館で行われている。
淋派は江戸初期の本阿弥光悦・俵屋宗達を始祖に
尾形光琳・乾山などが影響を受けた絵画・工芸の一派。
今回の「大淋派展」最大の見ものは、俵屋宗達の
「風神雷神図」。そして同じ風神雷神図を光琳・抱一・鈴木
其一が描いた4つの「風神雷神図」。
会場には60歳以上の夫婦、女性で満員。
一通り参観したが、私が一番気に入ったのは
「色紙張付桜山吹図屏風」(宗達)
この屏風は、俵屋宗達が屏風絵を描き、本阿弥光悦が
古今和歌集の色紙を貼り付けている。
「貼り混ぜの屏風」(はりまぜのびょうぶ)である。
江戸時代初期の屏風であるが、あたかもピカソの
抽象画と通ずるものがあった。当時、相当斬新的な
屏風だったのだろう。
落語の「金明竹」に「はり混ぜの小屏風」という
言葉がでて来る。今回初めて実物の貼り混ぜの屏風を
見た。
今回の入場券はJASS日本のF・Mさんからもらった。
入場料は1500円。
1時間半ほどの参観ののち、1500円得をしたので
軽くいっぱい飲みに行く。池袋の某大衆酒場。
本当にのんべえだけが来る店。
午後3時、自宅へ。昼寝。疲れた。
読書「国家の罠」(佐藤優著:新潮文庫)読了。
非常に興味があり面白い本だった。
外務省の派閥、外務省役人の気質なども良くわかった。
また、東京拘置所内での500日近くの生活、取り調べの
実態なども良くわかった。
当時、鈴木宗男と佐藤優は悪の権化のようにマスコミ
では報道されていたが、佐藤優の言い分はそれなりに
説得力のあるものでもあった。マスコミの一方的な
報道は一種のファシズムに近いものがあることを
私たちは知る必要がある。
夜、ベトナム事務所からメール。返信。
明日から3日間の静岡行の荷物整理。
必要な書類の準備などを行う。
2008年10月28日
板橋区教職員・父母教育を語る会
快晴
8時起床。昨夜の飲み疲れ。
飛露喜(吟醸酒)は美味しかった。ので飲みすぎか?
午前中、メールで12通の返事を送信。
静岡大学関係者と電話で11月18日の静岡大学フエ訪問
の打ち合せを行う。飛行機の件、ハノイ行きの件、18日の
式典の式次第等細かい点を電話で打ち合わせ、その後、
メールで詳細打ち合わせを行う。仕事は準備8割、当日2割で
ある。
午後、故木村百合子さん関連の雑誌用文章800字を書く。
北海道芸術高校パンフレット用原稿600字を書く。
午後4時過ぎ自宅を出て、志村坂上へ。
志村坂上市民センターへ。
主催者の村木さんと会う。講演会の準備を行う。
無理をして村木さんにビデオ上映をお願いした。
市民センターにはビデオ上映機器がない。
村木さんが知り合いの方から借りてくれた。
私の方からは「子どもの家」創立12周年記念冊子(20冊)、
ボランティア貯金貯金「クローバー」30冊、故木村百合子さんの
裁判を支援する会ニュース創刊号30部を持っていく。
結構重たい。
今日の講演会の主催は「志村地域教育を語る会」。
東京都教職員組合板橋支部志村ブロックの皆さんや
新日本婦人の会、PTA関係者などで作っている
教育懇談会である。
午後6時10分開会。1時間半ほどかけてフエでの
「子どもの家」支援活動、国際支援の考え方、
教育とは何か? 学力とは? などの話をする。
30人近くの教職員・父母などが集まった。
こどもたちの教育のこと、子育てのことなどについて
様々な問題を抱えている。真面目に生きようとする人間は
問題を抱える。真面目に生きようとするということは
こどもたちを中心にこどもたちのために生きようと
することだ。
今の日本社会で真っ当に生きるということがいかに
大変なのかを知る。
午後8時過ぎ、講演会を終わり、近くのイタリアレストラン
で反省会。
今日の会合に15年前、最後の職場である舟渡小学校の同僚
だったI・M先生が来てくれていた。今年の3月までドイツの
日本人学校で仕事をしていた。I・M先生がドイツにいる
間に行きたかった。ドイツビールを思いっきり飲んでみたかった。
1972年に北区の教員になったSさんなど多くの友人が
反省会に参加。1996年頃、ハノイで講演を行った民族歌舞団
「荒馬座」の方も参加。
日本社会が本当の市民社会になることを願っている人々で
ある。
2008年10月27日
洗足学園高校講演会:ブライセン藤木社長懇談
晴れのち曇り、夕方小雨
ベトナム事務所からのメール受信。必要な内容のメールを
送信。
明日の板橋区「教育を語る会」講演会のやり方について
主催者と電話で打ち合わせ。
太平観光北垣会長と電話で話をする。
11月11日の「倫理法人会モニングセミナー」の内容等
について打ち合わせ。
読書「l国民の罠」(佐藤優著 新潮社)
佐藤氏が逮捕され、東京拘置所内での取り調べの
様子などを詳細に記述している。
午前11時半、自宅を出て西台→神保町→溝の口へ。
若干時間があったので溝の口駅内の喫茶店で
コーヒーを飲みながら一休み。洗足学園高校での
講演会で話す内容を再度確認。
読書「国家の罠」。
午後3時、洗足学園中高校へ。
校長先生・教頭先生・担当のK先生と懇談。
今回の洗足学園高校での講演会は、神奈川県スタディーツアー
に参加した洗足学園高校のSさんなど3人がK先生に私の
講演会を依頼。校長先生などの許可を得て今日の講演会の
実現となった。
神奈川県スタディーツアー(神奈川県青少年協会実施)
に参加したSさんなどは、洗足学園高校の玄関に
「子どもの家」など訪問のスタディーツアーの大きな壁新聞を
つくり飾ってあった。写真もあり、内容も充実したものである。
午後3時半から午後5時近くまでビデオを使いながら
国際支援、ストリートチルドレン支援の内容、などについて
話す。
神奈川県スタディーツアーに参加した生徒さんは
ベトナムの民族衣装「アオザイ」を着て司会などをしてくれた。
午後5時近く、講演会終了。
講演会には、神奈川県スタディーツアーに参加した
生徒さんのお母さんもお越しになっていた。
夏、娘さんがフエの「子どもの家」スタディーツアー
に参加した時から私のブログ「火炎樹日記」
の読者だとのこと。ありがたいことである。
急いで、溝の口駅から渋谷経由五反田へ。
五反田駅から徒歩10分。午後6時、ITの組み込みなどの
専門会社「ブライセン」を訪問。
社長の藤木さんは長年「子どもの家」を支援してくれている。
また、現在、JASSベトナム事務所からTHI君とVU君を
1年間、会社に受け入れITの専門技術の研修を
してくれている。
VU君は1993年から私たちが支援している。
20分ほど、藤木社長、統括本部長、THI君、VU君の
直接の上司などと懇談。二人の仕事ぶりなどを詳細に
聴取する。
THI君、VU君の仕事の様子を視察。
真面目に仕事をしているようだった。
午後7時。藤木社長、統括本部長、THI・VU君の上司2人、
私、THI・VU君の6人で近くの飲食店へ。
日本酒などを多少嗜(たしな)む。
「飛露喜」(福島)の吟醸酒を飲む。
今後も協力して活動を進めることなどを話し合う。
THI/VU君も元気に過ごしているようなので一安心。
午後9時、懇親会を終了。ブライセンの藤木社長や
関係者の皆さんに感謝。
自宅着午後10時過ぎ。
地下鉄の車中で読書「国家の罠」。
2008年10月26日
休日
終日 曇り、時々雨
午前8時起床。
午前9時から1時間ほど散歩。
受信メールを読み必要なメールの送信。
今後の講演会の内容について、ひとつずつ検討。
参加者や相手の要望などを勘案し、どのような
話をするかを検討する。
10月28日(火)の講演会は教職員・PTAなどの参加する
講演会。生徒・学生とは違う内容を検討。
終日読書。
「下流大学が日本を滅ぼすーひよわなお客様世代の増殖」
(三浦展著:KKベスト新書)読了
題名が少し過激だが、内容は今の大学教育の実態を
明らかにしている。
1960年代の大学進学率は10%台。現在51%。
この10年間大学数は増大している。
そうしたバックグランドの中で大学に行って勉強する
能力自体がない学生が増大している。
卒論が書けない学生、授業で「目的」という言葉を
使ったら学生が「目的って何ですか?」と聞いてくる。
私立大学の半数以上が面接やボランティア体験、推薦などでの
入試であり、いわゆる受験勉強をしないで大学に入学している
実態がある。基礎的なが勉学意欲・向上心がない学生が
多い。少子化の中で大学自体が生き残り作戦を展開し、
そもそも大学に入る能力も意欲もない学生を「お客様」として
入学させている。三浦氏は大学は20%程度の進学率にし、
「職業大学」を設立し、美容師などなどの特定の職業課程
は専門大学で勉強させた方が現実的と提言。
確かにある大学に呼ばれて行った際、教授が「岩波新書
が読めない学生が多い。本を読むように課題をだしても本自体を
読んだ経験がなかったり、読む力がない学生が多く、教師として
教える意欲がなくなる」と話していたことを思い出す。
「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」(佐藤優著:新潮社)
田中真紀子と鈴木宗男を巻き込んだ問題。そのうらに何があったのか?
著者佐藤氏はその後逮捕され裁判闘争中。
ロシアをめぐる外務省内部の派閥争いなど具体的な人名を
出して当時の騒動を暴露している。
もちろん騒動の当事者なので100%本著が正しいとは言えない
とは思うが、それでもかなり具体的な内容であり、真実味を持っている。
佐藤氏はキャリアではない。ロシア大使館の三等書記官。
彼は具体的な人脈をロシアやイスラエルに作っていく。
海外で活動をするには、理屈だけではダメで最終的には
「人脈」をつくること、人脈を通して情報を得ることが大事である
ことを具体的な事例を出して強調している。
この点は私も同感である。
2008年10月25日
支援者H氏ご長男の結婚披露宴出席
曇り時々晴れ
午前7時起床。
メールの受信・送信。
午前9時半、自宅を出て春日乗り換え地下鉄大江戸線で
汐留駅へ。
結婚披露宴会場は汐留駅にある「コンラッド東京」。
午前11時半よりH氏ご長男の結婚披露宴が始まる。
H氏はS県のA市の商工会議所でこどもたちを
連れて「子どもの家」へのスタディーツアーを行っている。
(途中でH氏を中心に独自の組織をつくり実施)。
1998年、フエに視察に来られ、2000年から基本的には
毎年、A市の中高大学生などを連れて「子どもの家」などを
訪問。「子どもの家」の改修やこどもたちとの交流を行っている。
結婚されたご長男のK君も大学時代にスタディーツアーで
「子どもの家」を訪問。
午前11時半、新郎新婦入場。
披露宴の冒頭、新郎新婦の挨拶から始まる。しっかりとした口調で
今日の披露宴の意義、参加者へのお礼を語る。
今日の食事はフランス料理。
この披露宴に出席できない日記の読者の皆さんにせめて
写真で料理の内容を紹介し、空想の味を堪能して頂きたい。
料理のテーマ「海の恵みのダンス 和 スタイル」
初めに「小海老ときゅうり・マンゴーのスクランブル帆立のソテー
とトマトフォンデュ サーモンのコンフィトとなすのお祝い重ね
フォアグラのソテー 山葵風味マッシュポテト添え(写真なし)
海の幸と椎茸の茶わん蒸し仕立て 白トリュフ風
梅酒のプラムジュレ
和牛テンダーロインと季節野菜のポトフ タラゴンのチャツネを添えて
バローナチョコレートケーキのゴマ飾り 抹茶ムースに唐辛子の
チュイルを添えて
新郎・新婦側からそれぞれ主賓の挨拶。
約100人ほどの参加者である。
新婦の和服へのお色直し
新郎の元勤務先の上司、新婦の元勤務先の上司、同級生などの
お祝いの挨拶などがあった。
会の終わりころ、突然私が指名され、新郎・新婦から「子どもの家」への
寄付金を頂く。寄付金へのお礼を申し上げる。
新郎のご両親と一緒に「子どもの家」スタディーツアーに参加された
皆さんで記念写真。
結婚披露宴の結びは、新郎・新婦よりご両親への感謝のことば、
そして花束贈呈
お開きにあたり、新郎・新婦の父親のお礼の言葉、そして新郎の
お礼の言葉があった。
両家のご両親・新郎・新婦と記念写真
私もこの60年間、いくつかの披露宴に出席しているが、
今日の披露宴は参加して本当に気持のよいものであった。
それは第1に「シンプル」な披露宴であった。第2に通常の結婚式場
の「押し付け・既成」の披露宴と一味もふた味も違う披露宴であった。
第3に披露宴主催者(新郎・新婦)のポリシーというのか
こだわり、哲学があった。新郎・新婦は既に「自分」というものを
持っている。
非常に「洗練」された披露宴だった。
そうしたバックグランドがあり、食事から式次第、挨拶など
披露宴進行に大きな工夫があった。
私個人としては、長々とした挨拶がなかったこと、料理の量が
適量だったこと(有り余るほど出さなかったこと)
引き出物が軽かったこと(田舎ではお餅やお赤飯など持ちきれない)
また、大学などの同級生の馬鹿騒ぎのような演芸がなかったこと。
シンプルであるからこそ披露宴全体が引き立ち、参加した印象が
本当に良かった。こういう宴を江戸の言葉でいうと「粋(いき)」という
のだろう。汐留のこの披露宴会場で100人もの参加者の
披露宴をするのには、相当の費用を要するものと想像する。
しかし、披露宴は一貫してシンプルなものだった。
相当な費用をかけていながら、あっさりと何気なく披露宴を
行うという心意気に共感する。
お金はこんな風に使いたいものである。ギラギラした披露宴は
主催者の品格さえ落としてしまう。ご両親とお子さんの
人間性を見たような披露宴であった。
お二人が末永くお幸せに過ごせることを切望する。
帰宅、午後4時。
午後6時。H氏の長男新郎・新婦の結婚(すでにグアムで終わっている)
を祝い、自宅で個人的にお祝いのお酒、二次会を行う。
家に帰ってもなお「このシンプルさ」の余韻が残っている。
物のあり余っている日本にもこうした若者がいることに
快い安堵をおぼえる。親の言いなりに生きる「政治家2世・3世」
を見ると反吐(へど)が出る。有島武郎も太宰治も米原いたるも
大地主や金持ちの自分自身の出自に反抗している。
今日の披露宴は新郎・新婦の自立宣言と私は見た。
何か個人的にお祝いをしたいと思い、自宅にある
「亀甲蔵」(小樽)と「都鶴」(京都)の吟醸酒を飲む。
一応、「鶴と亀」である。
新郎新婦の愛情が鶴と亀のように永遠に続くように。
お陰で今日はかなり飲む。私は体をかけて二人の
永遠の愛を祈るのである。
2008年10月24日
北海道芸術高校(池袋l校)講演会
終日大雨
午前7時起床。
16通のメールの受信。
必要な送信。
午前10時半、自宅を出て、池袋へ。
午後1時、北海道芸術高校池袋校へ。豪雨。
今日の講演会の打ち合わせをし、午後2時から
1時間40分講演を行う。
今日の講演会で私が言いたかったことは「人生」ということである。
東大に行くことが人生ではない。自分のやりたいこと、特性、個性を
活かした人生、自分の力で仕事をして自分の力で生きていくという
「自立」「自活」こそ人間として大事なこと。人の世話にならず、自分
の力で生きていくことの重要性を若者に話したいということだった。
午後4時、講演会終了。
その後、地元の業界紙の取材を受ける。1時間。
午後5時、北海道芸術高校池袋校を退出。
小泉内閣時代の「教育特区」で株式会社立の高校である。
一部では批判もあるが、税金を使った「公的高校」には必ずしも
なじまない若者を受け入れていることは、意義深いことである。
「下流大学が日本を滅ぼすーひよわなお客様世代の増殖」
(三浦展著:ベスト新書)
大学進学率51%の事態を赤裸々に描いている。
OA入試、推薦入試で私立大学では一般の入試で
合格する大学生は半数以下となっている。
受験勉強をしないで大学に入学している学生が多いと
いう現実を明らかにしている。
2008年10月23日
板橋温泉休養:メンさん、ヒエウさん退所式
終日雨。
午前7時起床。
メールの送受信。
火炎樹日記に掲載する写真のシステムが壊れてしまった。
午前中かけて色々と試してみる。何とか解決することができる。
数時間かけて火炎樹日記に写真をアップすることができる。
午前11時半、西台駅から出ている送迎バスに乗り
板橋温泉へ。7月から2ヵ月半ほとんど休まず仕事をした。
9月30日に帰国し、1日休んで10日間ほど北海道へ。
途中数日休んで京都・名古屋へ5日間。やはり疲れが
溜まる。
2時間ほどゆっくりと塩分のある温泉に入りゆっくりと
リラックスする。
読書「教育格差 どこへ行くニッポン社会」(尾木直樹・森永卓郎著
小学館新書)読了。
2002年からの小泉「構造改革」の行きつく先は格差社会の
創出であり、教育格差の創出であることを具体的事実を明示しながら
提示している。新自由主義による資本主義は暴力的資本主義であり
最終的な資本主義。イギリスを除くヨーロッパの社会民主主義に
基づく資本主義を学ぶべきだと森永氏は主張している。
経済格差は同時に教育格差に連動し、国家政策で都市間格差、
学校格差を作っていると尾木氏は主張している。
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10月22日(水)、「子どもの家」のメンさん(21歳)とヒエウさんの
退所式が行われた。
①チャン・ティー・メンさん(母親も出席)
「子どもの家」側はセン運営委員長・ロック寮長、バオミンさん
税田さん
セン:現在20歳になったメンさんは、ミシンの研修もうまくいき、
給料もしっかりともらえるようになり、年齢も18歳の成人を
超えているので今日退所式を行う。
「子どもの家」には14年2ヵ月間在籍しました。
●母親は49歳、無職。
メンさんは8人きょうだいで、兄と一緒に9歳の時に
「子どもの家」に入所。ミシンの研修は6年間続けてきた。
現在は、基本給500,000ドン(4000円)と食事代と能力給
をもらっている。
ミン:これまでの支援者の恩を忘れずにこれからもしっかりと頑張って
欲しい。
税田:これからは、研修先に住み込んで仕事と生活をするのですね?
メン:農業大学の近くに600,000ドンでお店を借りた。これからは
自分の店で仕事をする。仕事の内容は、これまで研修をさせて
もらっていた店の下請け。お店の名前は「メンの店」。
税田:お店はいつから始めるのか?
セン:今日が開店。
セン:応援してくれた人に一言。
メン:12年間、育ててくれてありがとうございました。みなさんの
応援がなかったら今の生活と仕事はなかったと思います。
感謝しています。特に里親の北海道のKさんには
心からお礼を言いたい。ありがとうございました。
退所届を書く
②グエン・ティー・ヒエウさん(20歳)8年4ヵ月間「子どもの家」に在籍)
母親は58歳。家族と農業をしている。2,500㎡の農地を
借りている。
3か月ごとに収穫するが、必要経費を除くと3か月の
収入2,000,000ドン。ヒエウさんは7人きょうだいの6番目。
4人は既に結婚している。2000年に入所。2002年からミシン
の研修をしている。母親は今日は自転車で2時間くらい
かけてやってきたとのこと。
税田:これからのことを聞かせて欲しい。
ヒエウ:これからも今まで研修をさせてもらっていたお店で働く。
月給は800,000ドンから1,000,000ドン。今お店の友だちと
一緒に下宿先を探している。(月給6000円~8000円)
税田:里親などに何かないか。
ヒエウ:涙・・・・・
母:長い間、本当にありがとうございました。
娘が研修先の先生から「これからはしっかりとお給料を払う
ことになる。
これまでは、研修生だったのでお店のミシンを使ってもらって
いたが、
これからは自分のミシンを使って仕事をしなさい。」と言われた。
今はまだミシン(1台)を購入することができない。応援をいた
だけないだろうか。
長い間、応援をしてくださったので、ヒエウは安定した生活
が出来て、仕事を持ち、お給料をいただくことが出来るように
なった。大変嬉しい。本当にありがとうございました。
こうしてこどもたちはいつか「社会へ旅立って」行く。
メンさんとヒエウさんとは10年近く付き合ってきた。
メンさんの入所は6歳、ヒエウさんは12歳であった。
子供から少女へ、そして大人へと成長する過程を
見てきた。私たちが目指すのは、こどもたちが
自分の力で自立して生きていけるような能力を
身につけてやることである。それはけして大学へ
いれることだけではない。メンさん、ヒエウさんの
ように長い間のミシン研修で十分生活の糧を
得ることができるようにすることも含まれている。
メンさんの里親北海道のKさん、ヒエウさんの
里親京都のFさんには心からお礼申し上げたい。
14年2ヵ月、8年4ヵ月は本当に長い年月である。
JASSの海外支援はこうした長い年月をかけて
こどもたちを育てるという気持の方々の支援があって
初めて成立するものである。
メンさん、ヒエウさんの幸せな人生を切望する。
2008年10月22日
北海道芸術高校「名古屋校」講演会
10月18日京都府国際センター講演会からの写真をアップ。
晴天
午前7時起床。
午前9時半ホテルをチェックアウト。
午前10時、名古屋駅へ。駅の喫茶店で休息。読書。
読書「教育格差の事実 どこへ行くニッポンの社会」を読む。
午前11時45分、北海道芸術高校坂井理事長と待ち合わせ。
その足で昼食。「味噌煮込みうどん」を御馳走になる。
1900円もする。美味しかった。かなり味が強かった。
車で北海道芸術高校名古屋校へ。
制服
音楽科の教室
教室
漫画科の生徒の作品
学校から車で10分位の講演会場へ。100人程の生徒さんが
集まっていた。
1時間過ぎの講演を行う
その後、北海道芸術高校坂井理事長さんと公開対談。
対談後、生徒さんたちからの質問を受ける。
積極的に質問する生徒がいる。
100人近くもいる中での質問は勇気のいるものだ。
午後5時前終了。その後、坂井理事長とお茶を飲みながら
今後の活動などを話し、名古屋駅まで送ってもらう。
午後7時半すぎ、東京着。
2008年10月21日
名古屋城見学
お知らせ
ベトナム事務所への電話の仕方が変わりました。
電話番号の前に「3」がつくようになりました。
(旧) 001-010-84-54--828177
(新) 001-010-84-54--3828177
ベトナム事務所の電話番号 828177の前に「3」がつくように
なりました。
ベトナム事務所電話 (旧) 828177
ベトナム事務所電話 (新) 3828177
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晴天
家ダニとハウスダスト(空気中のゴミ)の強いアレルギーである。
ホテル宿泊の最大の敵はこのアレルギーの発症である。
家ダニは夏から秋の季節の変わり目に布団、毛布の中に
大量に発生している。
自宅もそうであるが、10月帰国時の最大の「敵」はこのアレルギーとの
闘いである。「鼻水」「目のかゆみ」「喉はれによる発声困難」「倦怠感」
・・・・・・。
10月からこれらの症状が発症。布団、毛布を「防ダニ」を使い。
じゅうたんや布のカーテンなどに大量の家ダニがいる。
家ダニは死骸もアレルゲンになる。困った体質であるが、
致し方ない。日本へ帰国してから「声が出しにくく」なった。
朝7時半、栄付近の町を歩き朝食を摂れる店を探すがない。
途中、何人かのホームレスの方が、コンビニや飲み屋の
ポリバケツを漁リ、パンや弁当などを手に入れていた。
日本社会の現実をみる思いである。
午前8時、ホテルの隣りのコンビニでおむすびを1つとお茶を買う。
多くの受信受信メール。必要なメール送信。
午前10時過ぎ、ホテルを出て、多少複雑な地下鉄を乗り継いで、
名古屋市役所駅で下車。名古屋城へ。
名古屋城は徳川家康が東海道の要所として、また、大阪への備え
として加藤清正や福島正則など20人の大名に命じて普請した
城である。明治維新まで御三家の筆頭尾張家との居城として
栄えたそうだ。
正門から入り、清正石(加藤清正がひてきた石とのこと)を見て
「東南隅櫓」を横に天守閣を見る。
金の鯱鉾(しゃちほこ)は、高さ(2,6M)、重さ(44、93キロ)北側
という大きさである。
しかし、天守閣はアジア・太平戦争で米軍の爆撃で焼出。
1959年に再建されたそうだ。
名古屋が繁栄したのは、以下のよう。
筆頭御三家ということもあるが
「暴れん坊将軍」の徳川吉宗の「享保の改革」で強い
緊縮政策をとり、倹約を「強制」し、庶民を苦しめた。
当時の第7代尾張藩主・徳川宗春は「享保の改革」を批判。
正反対の積極政策を打ち出し、名古屋に芝居小屋、
茶屋が増え、全国から人が集まってきたそうだ。
名古屋は江戸、京都・大阪に劣らぬ大都市となったとのこと。
そうした背景があり、茶道、華道、製陶、義太夫、常磐津、
長唄、歌舞伎、からくり人形など幅広い分野の芸能・文化
が定着した。徳川宗春の政策は「芸どころの名古屋」
としてのルーツとなった。昨日行った「つぶれかかっている」
大須演芸場もその流れの最後の時期であろう。
芸人は三流所だが、何とかこうした演芸場が残ってほしい
との期待を込めて、名古屋に来た時には必ず支援の
つもりで大須演芸場を訪れる。
城内では菊花展が行われていた。
午後2時ホテルに戻る。
東京から京都の新幹線車中で
「ヴェトナム新時代 豊かさの模索」(坪井善明著:岩波新書)
を読み始め今日読了。1994年の「ヴェトナム 豊かさへの夜明け」
を書いている。私はこの本をベトナムで読み、強い違和感を
感じた。学者と現地に住んでいる人間にはこれほどの
ベトナムについての認識の乖離(かいり)があるのか?
と思った。1994年の坪井氏の著作は、ベトナムのドイモイは
新しい豊かさに向けて大きく進んでいくと示唆していた。
基本的にドイモイ政策を肯定していた。
私は現地に住んでベトナムのドイモイ政策が一部の共産党
の幹部や目先の利く一部の人間だけが大もうけをする
システムであり、庶民や貧しい人、労働者・農民(労農同盟)
の人々はけして「豊かさの夜明け」にはならないと思っていた。
坪井氏の2008年8月著の本書は、私が1994年・95年頃
感じたベトナムの現実を追認したものであった。
学者は自説を変える時には、きちんと学問的な自己総括を
したうえで学問の質を高めていく義務がある。
坪井氏の今回の著作は「ずるずると」現状を追認するだけでの
ものであり学者としての真摯な自己分析がない。
本著の80%には私も同意見である。ベトナムに関心のある人は
一読すべき本である。
「教育格差の真実ーどこへ行くニッポンの社会」
(尾木直樹・森永卓郎著 小学館新書)
教育者の尾木氏と経済学者の森永氏の対談を通して、
「格差社会」から「教育格差」「学力」などを話し合う。
小泉改革以降の日本社会の大きな構造変化の実態を
社会と教育を通して検証している。
日本社会から中間層がなくなり、一部の金持ちと
低所得者が増大したとしている。現在、非正規雇用の
労働者は1670万人にも上っている。
2002年から2007年までのGNP(国内総生産)は
22兆円増えているが、労働者の賃金は総額で268兆円
から263兆円と5億円減っている。しかし、
資本金10億円以上の大企業の役員報酬は2倍になっている。
株主配当は3倍。
年収200万円台の人が1023万人に達している。
日本社会の両極分化である。
フエは洪水は終わったそうだが、雨の毎日とのこと。
午後7時半、ホテル付近の飲み屋へ行く。
名古屋栄付近は東京の銀座界隈のような雰囲気。
少し高級な雰囲気。飲み屋街も「名古屋コーチン」の
焼き鳥屋が目立つ。
私の飲み屋の基準は第1に赤提灯、第2に入口の
とびらがかなり薄汚れている、第3に「ホッピー」が
あること。
栄の繁華街を彷徨する。3つの基準の適合する店を
見つける。サンマの刺身、生ビールがあった。
枝豆とさんまの刺身で生ビールを飲む、
福島方面に住んでいる「彼女」に電話。11月2日に
学習発表会があるという。6月に買ってやった「エルマーの
冒険」3冊を読んだとのこと。学校の勉強はそれなりでいいので
「読書」という娯楽を知って欲しいと願う。
生ビール1杯。その後、ホッピーを2杯飲む。枝豆、軟骨、
ネギ、しいたけの焼きもの。
午後9時半ホテルへ戻る。
名古屋は私には合わない。とにかくどこの飲み屋に行っても
鶏肉の焼焼きものが主流。
「教育格差の真実」を読む。
森永卓郎氏はマルクス経済学者ではない。
しかし、新時自由主義には真っ向から闘っている。
そうした理由でテレビやマスコミからかなり排除
されているとのこと。しかし、現場のディレクター
からは結構声がかかるという。しかし、最終的に
上司のどこかで「森永排除」となってしまうとのこと。
尾木氏も「左翼」とのレッテルを貼られテレビ、マスコミ
から干されることがあるという。
テレビ、マスコミの現場の人間は森永氏・尾木氏を
登用しようと計画するが、どこかの上司が「排除」
するというマスコミと政治の方程式が出来上がっていると
のこと。
明日は、北海道芸術高校名古屋校で講演会。
早めに就寝。
2008年10月20日
名古屋へ。大須観音
晴天
午前9時、ホテルをチェックアウト。京都から新幹線で名古屋へ。
ホテルのチェックインが午後3時なので、名古屋駅のコインロッカー
に荷物を預け、地下鉄で大須観音へ。
大須観音に参拝。
大津観音の周りは門前町となっていて大きな商店街が
ある。ファッションのお店が大半だった。
大須演芸場へ。名古屋で唯一の寄席。
既に10年以上前から潰れるといわれていた。
入場。お客は7人。
名古屋の落語家はたった4人。4人が交代で出演。
時そばなど。腹話術、江戸曲独楽、三味線漫談、
艶歌シャンソニエ
どの芸も二流と言った所。三味線漫談など三味線がたどたどしい。
四人の落語家は三人が雷門〇〇、一人が立川平林。
それでも生の演芸は面白い。
私は仕事で名古屋に来た時には、必ず「大須演芸場」へ
行く。これで四回目。今回はもうつぶれているのではとの
危ぐを持っていたが、やっていたので一安心。
しかし、10人程度のお客では経営は成り立たない。
入場料1500円。
午後4時、名古屋駅から地下鉄で二つ目の栄にある
ホテル(1泊5000円)にチェックイン。
明後日の名古屋での講演会の内容の準備。
写真のアップができなくなった。東京に帰ったら
直してもらうしかない。
「100寺巡礼 奈良」(五木寛之著)読了
ベトナムに住んで15年。年間3ヶ月か4ヶ月ほど
帰国する。帰国しても講演会などで各地を回る。
フエの「ハイリーホテル」と東京自宅と名古屋の
ホテルと全く同じ感覚になってしまった。
自宅感覚は無くなった、というのか「どこでも自宅」
になってしまった。これで終生自宅という感覚は
なくなってしまったと自覚じた。
2008年10月19日
薬師寺・東大寺・興福寺参観
快晴 京都
午前9時、JASS日本代表委員会委員長福田もえ子さんと
懇談。2時間ほど。2009年の「現地報告会」の内容など
を話し合う。
昨日京都に集ったJASS各地の会の皆さんはそれぞれ
京都の観光地などを訪問。
私はどうしても奈良の薬師寺と国立奈良博物館の
「正倉院展」を見たくて奈良へ行く。あまり時間が
ないので近鉄京都駅から「大和西大寺」から
「西の京駅へ。徒歩数分で
薬師寺へ。薬師寺にはこれで4度目の訪問。
中学校での修学旅行、教員になってから2回。
中学校の時は東塔だけがあり、西塔、新金堂、大講堂は
なかった。
30年ほど前に行った時、西塔が完成。極彩色の派手な
西塔にかなり違和感を感じた覚えがある。
今回、改めて東塔(1000年以上前の歴史を刻んでいる)
と西塔を見比べた。以前違和感を感じた「派手」な西塔で
あるが、そもそも薬師寺完成の際にはこうした着色が
されていた筈である。そうかんがえるとこの極彩色の
西塔の色こそそもそもの薬師寺東西塔の色だった筈で
ある。
新築の大講堂(もともと寺院は講堂でで仏法の研究・
研修を行うものだった。そのため、寺院では講堂が一番
大きな建物だった。薬師寺の再建でこの形式をとり、
講堂が最大の建物になるように再建した)
東塔
西塔(さいとう)
金堂に安置されている薬師三尊も改めてあるべき場所で見た。
薬師三尊は今年上野の博物館で見たのだが、やはりあるべき
ところで見る三尊は良かった。
薬師三尊が安置されている金堂(再建)
薬師如来
向って左の月光菩薩
向って右側の日光菩薩
唐招提寺、法隆寺も見たかったのだが、時間がないので
西の京駅から大和西大寺駅経由で近鉄奈良駅へ。
徒歩15分ほどで国立奈良博物館へ。
ところが、休刊中。よく見ると10月25日から正倉院展が始まると
書いてあった。25に日を15日と勘違いしていた。残念。
仕方がないので徒歩15分ほどの東大寺を訪問。
奈良の大仏を見る。
更に奈良駅方面を帰る途中、興福寺により
阿修羅を見る。男か女か? なんとなく憂いを含む眉毛と目。
阿修羅はインドでは「命を与える」神様とも「その反対の神」とも
言われていたようだ。向田邦子の「阿修羅のごとく」はまさに
普段は善人のような温厚な人の心の奥底に「人間の命を
断つほどの強い悪」がひっそりと「棲息している」家族を描いている。
興福寺五重塔
近鉄奈良駅には奈良遷都1300年まで何日との看板があった。
京都のホテルへ帰ったのは午後6時。今日は相当歩く。
疲労困憊。
2008年10月18日
京都府国際センター後援会:JASS各地の会交流会
晴天
午前9時前自宅を出て、巣鴨経由で東京駅へ。
午前10時10分東京発の新幹線で京都へ。
途中、「ヴェトナム新時代 豊かへの模索」(坪井善明著:岩波新書)
坪井氏は1994年に「ヴェトナム 豊かさの夜明け」を岩波から
出版した。ベトナムのドイモイについて基本的に評価する論調
だった。私はその当時、坪井氏の本を読んで「現実とは違う」と
大きな違和感を感じたものだった。
2008年9月に出された本書は、その後14年の実際のベトナム
社会の現実を反映し、かなり厳しい現実への視点をもつに至っている。
午後12時28分、京都駅着。「京滋YOUの会」の中村代表など
3人の方が迎えに来てくれていた。京都駅で昼食を戴き、
午後1時半から午後4時まで「京都府国際センター主催」の
講演会を行う。80人の皆さんが参加。
司会はフエの日本料理店を1年間ボランティアで手伝ってくれた
Nさんや「子どもの家」にスタディーツアーで来たF君
縫製研修センターで作っているJASSオリジナルブランド
(JASS INTERNATUONAL)のブラウスを試着する司会の
Nさん。
午後6時からJASS各地の交流会が行われた。
地元、「京滋YOUの会」、「静岡の会」「火炎樹の会」
「東京の会」「栃木の会」「青少年教育の会」
などの皆さん30人ほどが参加。
司会のNさん。
「京滋YOUの会」中村代表の開会の挨拶
福田もえ子東京の会(JASS日本代表委員長)の乾杯の
挨拶で「JASS各地の会交流会」が始まる。
しばらく交流を行い、その後、各地の会の皆さんの紹介。
JASS栃木の会Sさん
青少年教育の会Mさん
JASS静岡の会の皆さん
JASS静岡の会代表のMさん
京都府国際センター講演会・各地の会の交流会
の音頭を取ってくれた「京滋YOUの会」の皆さん
JASS各地の会交流会参加者全員写真
その後、各地の会交流会2次会も・・・・・・。ホテル帰還は
午後11時過ぎ。
2008年10月17日
通院:高校クラス会:フエ洪水
晴天
午前7時起床。メール受信。送信。
午前9時、自宅を出て早稲田へ。ピースインツアー本社を訪問。
松永社長、関係者と昼食を挟んで午後2時半まで懇談。
今後のスタディーツアー、ベトナムツアーについて意見交換。
午後3時半、一度帰宅。ベトナム事務所へ当面の重要な課題に
ついて送信。
午後5時半、自宅を出て秋葉原へ。高校のクラス会。
午後6時半開会。42年の月日が流れている。
午後11時前終了。自宅着。午後12時前。
感想は省略。
読書「私が生まれた日」読了
「百寺巡礼 奈良」(五木寛之著:講談社)
室生寺、長谷寺、薬師寺、唐招提寺を読む。
ベトナム事務所からフエが洪水との連絡を受ける。
大きな洪水ならなければよいのだが。フエは雨期の
真っ只中。
ベトナム事務所員の無事を祈る。
旧ベトナム事務所前・フォンザンホテル前の様子
2008年10月16日
通院:ピカソ展
晴天
午前8時起床。いくら寝ても疲れが取れない。
午前9時、自宅を出て新宿都庁前。心臓病院へ通院。
10年間主治医をしていた先生が病気で入院。今日は新しい先生。
この病院は予約制なのだが、1時間待たされる。午後12時過ぎに
診療開始。心電図、レントゲン、診察。
女医さんだった。血圧を測る。「疲れてますね」と言われる。
血圧がかなり高かった。
4種類の薬をもらい病院をでる。NSビル。1階に大きな本屋が
あった。ちょっと寄ってみると閉店。この本屋は種類も多く、
結構専門書もあり1時間ほど本を見るのには、手頃だったのだが・・・・。
都庁前から六本木へ。国立新美術館へ。
国立新美術館が上野にあるとばかり思っていた。
六本木にあった。
「巨匠ピカソ」展「愛と創造の軌跡」を見る。
パリの国立ピカソ美術館の改装を機に日本国内最大の展覧会。
具象画から青の時代、キュービズム、新古典主義、シュルレアリズム
への画風の変化を時代を追って展覧している。
フランス共産党に入党。祖国スペインのフランコ総統を憎み、
フランコを罵倒した漫画風の絵を描いている。ゲルニカの創作中の写真、
1951年、朝鮮戦争に反対する絵なども展示されていた。
抽象画に入るほどに意味がわからなくなるが、なんとなくこんなことを
強調したいのかな? こんな感情を伝えたいのかななどと考えながら
170点の絵を見る。
「悩む力」(カン 尚中著:集英社新書)読了。
一読の価値あり。近代になり人間は「個人」として確立した代わりに
人間関係の疎外状態になったと指摘。
明治期、資本主義勃興期に一時成金が出没し、人間性疎外が
起こる。日本では夏目漱石、ドイツではウエーバーが近代的な
個人の悩みについて、徹底して自己を追及していると説く。
夏目漱石の著作を通して、現在の私たちと同じ悩みの萌芽を
夏目漱石に見ている。今の日本と世界の悩みは資本主義社会の
行きつくところという。
「私が生まれた日」(池波正太郎著:朝日文庫)の続きを読む。
明治・大正・昭和の東京下町の江戸文化を伝える時代を
上野と浅草の中間で育った池波正太郎のその時代と
食べ物についての思い出とうんちく。
メール15通受信。10通の送信。栃木県立女子高校からの講演会
の依頼を受ける。
2008年10月15日
茨城県で農業問題の懇談
晴天
午前5時起床。
午前6時朝食。
午前7時自宅を出て、巣鴨経由上野へ。
上野から水戸へ。
午前10時、水戸駅前のホテルで茨城県の農業関係の
団体理事長さんと懇談。前火炎樹の会の古谷さん、
茨城県青年の翼の団長相馬さんも同席。
理事長さんと相馬さんは、高校の同級生。
理事長さんは茨城県鉾田町の元町長さん。
茨城県の農業の実態を聞く。
午前11時半から昼食。
午後1時半、水戸を後に上野へ。
午後3時前上野着。上野から姉の住んでいる
根津へ。根津の姉夫婦、姪と久し振りで懇談。
午後6時過ぎ、帰宅。
10数通のメール受信。必要な返信を送る。
2008年10月14日
上野の国立博物館へ
曇りのち雨
午前8時起床。起きられない。
朝からくしゃみと鼻水。
午前9時過ぎ、上野の美術館へ。「ピカソ展」を見に行く。
今日は上野の博物館・美術館・動物園などは全て休園だった。
残念。
上野アメ横の古本屋へ。
日本資本主義発達史(野呂栄太郎著:岩波書店)400円
日本資本主義分析(山田盛太郎著:岩波書店)420円
を買う。ベトナムで時間がある時、読むつもり。
上野で立ち食いそば。食欲なし。
帰り、西台駅前の本屋で本を買う。
「百寺巡礼 奈良」(五木寛之著:講談社)
「国家の罠ー外務省のラスプーチンと呼ばれて」(佐藤優著:新潮社)
「教育格差の真実」(尾木直樹・、森永卓郎著:小学館)
「下流大学が日本を滅ぼすーひ弱なお客様世代の増殖」(三浦展著)
「戦争絶滅へ、人間復活へ」(むのたけじ著:岩波新書)
「ベトナム新時代ー豊かさへの模索」(坪井善明著:岩波新書」
体がだるくなる。熱ぽい。鼻水が止まらない。
家に帰る途中、「カコナール内服液」を買う。支援者の具嶋先生が
開発したもの。ベトナムへ来られた時に「初期の風邪にはよく効く」
とのこと。早速、1本を服用する。
午後2時から夕方まで寝る。はやり風邪をひいたようだ。
そういえば、昨夜から今朝にかけて「寒かった」。
ベトナム事務所といくつかの問題で連絡を取り合う。
私の不在中、バオミンさん、税田さんを中心に皆さん
頑張って仕事をしてくれている。ありがたいことである。
2008年10月13日
Uさんたちと懇談
晴天
午前8時起床。
午後4時まで今まで溜まっていた仕事をする。
バオミンさんに2回電話で打ち合わせ。
必要なメールを詳細読し、返事を書く。
10月15日水戸市で打ち合わせする農業関係の件。
内容についてメールや各種文書を精読する。
静岡大学留学の件について。
副学長先生より電話。工学部の担当の先生から長文の
メール。
10月18日、京都府国際センターでの講演会当日、参加者に
配布する講演内容をレジュメにして、「京滋YOUの会」の
担当者に送信する。
フエ市と静岡市の友好都市提携を経て、日本語を勉強している
フエの学生など2名を静岡市に派遣する事業の手伝いをしている。
必要なビザ取得、静岡市とフエ市の協定書等の作成などを
行う。
読書「昔の恋人」(藤堂志津子著)
男にはわからない複雑な女性の心理を赤裸々に描いている。
いわゆる「二号さん」の心理を的確に描いている。
興味ある本。そういえば、中島みゆきも大筋では同系統の
人間である。
午後4時自宅を出て、巣鴨へ。巣鴨で水戸行きと京都行きの
列車の切符を買う。
午後6時、新宿の某日本料理店でUさんたちと合流。
会食をしながらフエの様子、「子どもの家」のことなを
世間話をする。いつもながら楽しいひと時を過ごす。
Uさんは私がフエに行った頃の一番最初の支援者。
それ以来10数年支援を続けてくれている。
本当の支援者。Tさん、Yさん、Kさんも同じ。
帰宅午後11時。
2008年10月12日
次男家族と昼食:JASSスタディーツアー反省会
晴天 少し寒い
午前8時半起床。
午前中、メールの送受信。
午前10時半、自宅を出て志村坂上へ。
二男家族の住んでいる家の近くで久しぶりの昼食会。
しばらく会わなかった二男であるが、拙いが歩くようになって
いた。
駅で会うと孫は随分大きくなっていた。
近くのファミリーレストランで昼食。軽く生ビールを飲む。
読書「昔の恋人」(藤堂志津子著:集英社文庫)
午後7時、JASSスタディーツアーの森田さん、加藤さん、山田さんと
反省会。2009年度もJASSスタディーツアーを催行するとのこと。
午後9時半、反省会終了。
2008年10月11日
休息
終日雨。
午前9時起床。
さすがに疲れが出る。起きられなかった。
起床後、ベトナム事務所などからのメールへの返事。昼まで。
部屋の整理。
午後買い物。
ブランチを作り、軽く飲む。
昼寝。
午後4時、読書「昔の恋人」(藤堂志津子著:集英社文庫)
ベトナム事務所rなどからメール。返信を書く。
午後7時、夕食。
三浦和義氏が自殺したとのこと。
私と同じ年。感慨深い。
今年の1月からの疲れが出たような気がしている。
1日休んだが、体全体が疲労で固まっている感じ。
2008年10月10日
石狩国際交流協会:石狩市図書館訪問
晴天
気温16度
午前8時半、ホテルをチェックアウト。
地下鉄東西線ですすきの駅から麻生駅まで。
麻生駅で菊先生と合流。バスで約1時間。石狩市役所へ。
驚くべきと言ってもよい「立派な市役所」だった。
午前9時過ぎ石狩市役所の隣にある「石狩市国際交流協会」を訪問。
事務局長さんや担当スタッフの方と懇談。石狩市での
「子どもの家」の作品展などでお世話になった方々に
菊先生と一緒にお礼を言いう。
今後もおつきあいをとの話をする。
その後、「子どもの家」の作品展が行われている「石狩市図書館」
を訪問。
玄関に100数十枚の「子どもの家」のこどもたちの絵や刺繍作品、
折り紙などがこどもたちの名前と顔写真と一緒に飾られていた。
毎日平均1000人の市民が訪れる図書館である。多くの市民が
こどもたちの作品を見てくれていた。
刺繍作品も展示されていた。
「子どもの家」作品展を見た多くの方々の感想がノートに
書かれていた。
地元のミニコミ誌にも「子どもの家」が紹介されていた。
艦長さんが30分程かけて図書館を案内してくれる。
採光も工夫されている図書館である。
図書館内に地元の野菜も売られ、軽食喫茶もあった。
かなり工夫された図書館である。
図書館に北広島市の小学校校長のSさんがわざわざ訪ねてきてくれた。
今年の夏に奥さん、娘さんと一緒に「子どもの家」、日本料理店を
訪問してくれた方である。感謝。
午後12時半頃、S校長先生の車で菊先生と一緒に地元の
食材を使って食事を提供する市民団体が運営している
小さな食堂へ。地元で作ったそばを使ったもりそば(500円)
とコーヒーを飲む。
S校長先生の車で手稲駅まで送っていただく。
JR手稲駅で菊先生とお別れし、新千歳駅へ。1間ほど。
午後3時過ぎに新千歳空港へ到着。
午後4時発の飛行機に乗る予定だったが、午後4時40分となり
さらに遅れる。
空港内で無線ランでノートパソコンが使えたので、メールを
チェック。バオミンさんからいくつかの問題などのメールあり。
ある程度詳しくいくつかの問題についての私の意見を書き
送信。
その後、バオミンさんに2回電話を入れる。いくつかの打ち合わせを
する。
午後4時50分、新千歳発。午後6時半羽田着。
羽田から地下鉄で三田経由で自宅へ。午後8時半過ぎ自宅着。
今回、9日間の北海道滞在だった。
雄武町での「市民大学」、雄武高校視察、積丹半島宿泊、
北星学園女子中高校での2回の講演会、北海道芸術高校での
講演会と夜の懇親会、藤女子大での講演会、夜のJASS札幌の会
のみなさんとの夕食懇親会、石狩市国際交流協会、「子どもの家」
作品展会場である市立図書館の訪問・・・・・・・。
ほとんど休みのない日程で会ったが、充実していた9日間でも
あった。私の講演会の日程予約・諸準備、作品展の準備と運営など
菊先生には本当にお世話様になった。この日記上にて心からのお礼を
申し上げたい。
2008年10月09日
藤女子大講演会
夕方まで雨。
午前8時半、藤女子大の箱山先生がホテルまで迎えに来てくれる。
車で30分。藤女子大につく。藤女子大は「中島みゆき」「藤堂志津子」
などの出身大学。
午前10時半~午後12時過ぎまで「人間生活科」の学生の
「異文化間コミュニケーション」の授業をする。
1時間半の授業後、学生さんの感想・レポートのコピーをもらう
読む。私の言いたかった事、話した事をしっかりと理解して
くれていた。ありがたいことである。
将来、保育士・管理栄養士などになる学生だとのこと。
授業後、菊先生が大学へ来てくれる。
授業を終わり、箱山先生、菊先生と一緒に「石狩美術館」へ。
この美術館は三友グループの小松耀氏が私財を出して作った
個人美術館。
アール・ヌーボー(新幻術)、アールデコ(新装飾)の芸術運動の
影響を受けたフランスのルイ・イカールのガラス花瓶など
1100点を収蔵。ルイ・イカールの作品の85%を収蔵している。
美術館内にフランス料理店がある。
昼食を採る。食事は個室に通じる細い「水路」で運ばれてくる。
個室の壁がくりぬかれ、アールヌーボーのガラス花瓶が一つ一つ
回転して見えるように細工されている。
午後1時半頃まで昼食・懇談。
その後、石狩市役所前から菊先生と一緒に
バスで札幌へ行く。
テレビ塔を見る。
午後4時過ぎ、ホテルへ戻る。
2008年10月08日
北星学園女子中・高校講演会:JASS札幌の会交流会
晴天
気温16度
午前8時、菊先生がホテルまで迎えに来てくれた。
菊先生と一緒に北星学園女子中高校へ。
菊先生は以前、この高校の国語の先生だった。
菊先生の推薦で今日は北星学園女子中・高校の
宗教礼拝で講演会をする。
午前8時半、中学部300人の宗教礼拝。
讃美歌を歌い、新約聖書を読む。
続いて、私の講演。1時間。午前10時まで話す。
30分ほど休み、続いて高校部700人の宗教礼拝。
午後12時過ぎまで1時間ほど話す。
気温が下がり寒い。右耳の気圧が微妙に変化。
右耳がガーンとして自分の声が大きく聞こえてしまい、
話ができなくなる。
フエの8月の講演会では気温が上がり、体温が上昇する。
耳の気圧が変化し、同じ症状を呈する。夏は、氷水を飲んで
体温を下げ耳の気圧の変化を抑えた。
寒さの場合は体温を上げるしかない。お湯を飲めば良いのだが・・・・。
午後12時半、校長先生、宗教主任の先生、昨年、JICA派遣の
海外研修団で「子どもの家」に来られた先生と昼食を採る。
北星学園はプロテスタント系の学校。
午後1時半過ぎまで会食をしながら懇談。
午後3時過ぎ、ホテルへ戻り、メール送受信。
午後7時、札幌すすきので「JASS札幌の会」の
皆さん11人と懇親夕食会。
JASS札幌の会は、JASSの各地の会では2番目に古い
会である。こどもたちも組織した時期もあった。時計台などで
講演会を行ったこともあった。
久しぶりに札幌の会の皆さんと懇談。10数年のお付き合い
である。
今年に入って札幌の会の二人の方が亡くなったことを知る。
ショックを受ける。
午後9時半閉会。
ベトナム事務所からメール。
2008年10月07日
北海道芸術高校講演会
曇りのち雨
札幌市内「スーパーホテル」に泊まる。
1泊4480円。朝食付。安いがいくつかの問題もある。
温泉あり、インターネットも各部屋についている。
午前中、たくさんのメールの送受信。
昼は札幌醤油ラーメン。美味しい。
午後1時半、ホテルを出て、札幌駅西口にある
「エルプラザ」で札幌芸術高校講演会。
北海道芸術高校は「構造改革教育特区」
として認可された株式会社立高校。
一般高校と同じ授業をしながら「芸術」に特化した
学習も行っている。
「マンガ・イラストコース」「声優コース」「ビューティーコース」
「美容師コース」「ミュージックコース」「ダンスコース」
「普通k-ス」などがある。
「発声」「舞台演技」「スタジオ実習」
「総合演技」「ボーカルレッスン」などの授業。
午後2時半から1時間半、札幌校の生徒、保護者、先生など
が参加。
北海道芸術高校(札幌・仙台・池袋・名古屋)では、
北海道芸術高校「FAIR MIND プロジェクト」
を実施している。
FAIRとは「平等公平、公明正大、正々堂々、美徳、清廉」。
このプロジェクトは5つのステージで構成されている。
・ステージ1 小山道夫の講演会
・ステージ2 ベトナムとの友好Tシャツ作成
・ステージ3 「飛んでけ 車いす」と協力して車いすの整備・・
・ステージ4 Tシャツ作成費用の募金
・ステージ5 ベトナムへのスタディーツアー
午後4時、講演会終了。その後、北海道芸術高校札幌校の
教室を参観させてもらう。
各教室を参観させてもらったが、芸術関連の授業が多いので
かなり個別・少数授業となっている。一人一人の生徒への
手厚い学校側の配慮が窺える。
午後6時45分、北海道芸術高校主催の夕食会。
坂井理事長先生、教頭先生、各教科の先生、
経理の先生などが参加。札幌クラシック生ビールを
飲みながら2時間ほど懇親。
2008年10月06日
札幌へ戻る。夜、知り合いご夫妻と懇談
晴れ
積丹16度。寒い。
積丹から札幌へ。札幌のホテル1泊4980円(朝食付)。
夕方、知り合いのご夫妻と夕食懇談。
札幌大学の先生。経済の話、政治の話しなど「世間話」
をする。
多数のメールあり。ホテルのランで送受信。
午後10時、就寝。
2008年10月05日
積丹へ
曇り
寒い。
みんなと積丹半島の突先の民宿へ。
小樽から1時間半。余市・古平などを通り、積丹へ。
途中、紅葉がかなり始まっていた。
夕方積丹着。積丹町立の温泉に入る。
民宿に泊まる。民宿が漁船を持っている。
今はイカの最盛期。イカ刺しがうまい。
途中、小樽の酒蔵「亀甲蔵」で吟醸酒を買う。
吟醸酒で積丹の刺身を食べながら、孫などと人生を語る。
午後9時過ぎ就寝。
2008年10月04日
ボランティア貯金中間報告書を書く
曇り
昨夜から札幌泊。
今日は1日中、札幌の喫茶店や札幌駅待合室などで
ボランティア貯金中間報告書を書く。
午後5時、福島から来た長男の嫁さんと孫と合流。
長男の嫁さんの小樽の実家へ行く。
家族の皆さんと一緒に市内の美味しい鮨屋へ行き、
刺身類をおつまみに飲む。
ボランティア貯金中間報告書書き上げる。
午後11時、孫と一緒に就寝。
2008年10月03日
雄武町見学→名寄→旭川→札幌
曇り
午前9時半までホテルで仕事。ボランティア貯金中間報告を書く。
午前10時、雄武町教育委員会へ。教育長先生に昨夜のお礼と挨拶。
雄武高校の菊校長先生が同行・案内してくれる。しばらく懇談。
雄武町で捕獲した大熊。こんな大きな熊に出会ったら大変。
写真と撮るのに大熊の前に立つのが怖かった。
その後、雄武高校菊校長先生の案内でオホーツク海の
雄武漁港を見に行く。
3日後に「イカ漁」が解禁されるとのこと。漁民の皆さんが
イカ漁の準備(集魚灯)をしていた。
雄武町(おうむちょう)は酪農と漁業の町。
海を見た後、町に行く途中、牧場がたくさんあった。
雄武高校を視察。
校訓
現在は1年1クラス、2年・3年は2クラスとのこと。
進学と就職、クラブ活動にも力をいれているそうだ。
野球部も10人ちょっとの部員だが、数年前の甲子園へ向けた
北北海道大会で準優勝している。あと一勝で甲子園へ行けた。
広い芝生の校庭。自然環境豊かな学園での勉学は高校生に
とっては一番良い環境だ。都会から「留学」したらどうだろうか?
昼食は、鮭など魚の専門店が経営する食堂。
外からみると食堂とは見えない。
今は、鮭漁の最盛期。大きな鮭が店頭に置かれてていた。
「おまかせ定食」を食べる。鮭料理4種類、貝など魚介類
たっぷりの昼食。あまりに量が多く、全部は食べきれなかった。
雄武町は「ダッタンそば」でも有名な町。
町の肝いりでダッタンそば焼酎を作る。市民に焼酎の名前を
公募。「雄武焼酎」に決まる。提案者は今回、私を雄武町に
呼んでくれた菊さん。
午後12時45分、雄武町教育員会の方と雄武高校校長の菊先生が
名寄駅まで送ってくれる。雄武町から車で1時間半。
名寄から旭川駅へ。1時間半。さらに旭川から札幌へ1時間半。
名寄から札幌までの車中でボランティア貯金貯金報告を書く。
午後6時半、札幌着。駅前のホテルへ。
午後7時半、札幌の知り合いから電話。近くの飲み屋で
北海道の海産物をおつまみに各種吟醸酒の飲み比べをする。
お酒も美味しい、おつまみも美味し、楽しいひと時を過ごす。
Kさんに感謝。
午後10時過ぎ、ホテルへ。ボランティア貯金貯金中間報告を書く。
2008年10月02日
北海道雄武町「町民大学」講演会
晴天
午前8時半、自宅を出て羽田へ。
羽田発11時05分の「オホーツク紋別」で門別へ行く予定だったが
若干出発の時刻が遅れる。
午後1時「オホーツク紋別」空港に到着。気温13度。
雄武町(おうむちょう)はオホーツクの流氷で
有名。紋別市のとなり。人口5000人。小学校が6校、中学1校。
道立雄武高校。
雄武町教育委員会の方と菊先生が出迎えに。
途中、ラーメンの昼食。菊先生は、その足でバスで石狩へ。
「子どもの家」絵画展の準備等のため。
教育委員会の方の車で2時間ほどかけて雄武町へ。
ホテル日の出岬へ。2時間ほど休息。
ホテルの部屋の下がオホーツクの海。毎年2月に
なると流氷見学のメッカとなるそうだ。
午後7時から午後9時まで、雄武町「町民大学」。
教育委員会主催の生涯学習の一環である。
はじめに教育長先生の挨拶。
参加者30数名。割合と年齢が高い人が多いのかと思ったら
若い人も半分ほどいた。町民大学は4回の講座。
3本のビデオを使いながら国際支援、ボランティア、
社会、人生、平和、などについて話す。
雄武町民センターでは「子どもの家」の作品展が行われていた。
立命館慶祥高校の修学旅行で「子どもの家」に来て、大学を
卒業し、ふるさと雄武町へ帰ってきた若者も講演会に参加してくれた。
午後9時過ぎ、教育委員会のスタッフの方と鸚鵡高校の校長先生と3人で
雄武町の有名な料理屋へ招待してもらう。
今は鮭のシーズン。鮭の焼いたもの、イクラ、各種貝類などを御馳走になる。
帰宅は午後11時半。
2008年10月01日
講演会の準備
終日雨。
講演会用のビデオが見当たらなくなり、1日かけて
4本の講演会時に使くビデオを作る。近くのコンビニ
へVHSのビデオを買いに行くが、2軒とも売っていなかった。
昨年、行った時には2軒もとあったのだが・・・・・。
既にVHSのビデオテープは売れないのだ。
近くの99円ショップに行く。1本105円で売っていた。
明日から10日間、北海道で講演会を行う。
荷物の整理、持ち物の準備などを行う。
近くの古本屋へ行き藤堂志津子の本を2冊買う。
北海道での講演会の内容をまとまる。町民大学、
中学生、高校生、大学生と話す。それぞれ話すポイントを
考える。
ビデオ作りをしながら、民主党小沢代表の代表質問を聞く。
昨日の麻生首相の所信表明演説では民主党への質問を
連発していた。
今日の小沢氏の代表質問は、質問というよりも「自説の開陳」
といったところ。客観的にみると小沢氏が首相で麻生氏が
野党代表とも言える。
小沢氏の野党代表「所信表明演説」は、具体的な内容を伴った
ものだった。財源論など不明な点も多い。日米同盟は対等な
同盟と言い、国連中心主義を主張。
昨日と今日の国会の様子を見ていると与野党「逆転」した感が
ある。中山国交大臣の5日目の辞任、笹川総務会長の「アメリカは
下院議長が女性。それで法案が破産した」発言は、また物議を
かもし出す。麻生首相が昨日首相官邸の記者会見で「日清、日ロ
いわゆる大東亜戦争、第2次世界大戦とは少し種類が違うと思う」
と発言。
危機的状態の自民党に危機感がない。日教組を
ぶっつぶす代わりに自民党がぶっ潰れるように思えるほど
危機意識のない自民党議員である。これから予算委員会の
審議で、麻生氏をはじめ危機意識のない自民党の「失言」が
予想される。
今日も1日寒い。ベトナムでは30度で寒さを感じていた。
明日からの北海道の寒さに耐えられるのか?
一抹の不安を感じる。
読書「私が生まれた日」(池波正太郎著:朝日文庫)
対象12年1月25日東京浅草生まれ。
今なお東京に残る江戸時代の名残を追って町を歩く。
東京のうまいもの店めぐり、フランス旅行記・フランス
うまいもの食べ歩き。