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2008年10月21日

名古屋城見学

お知らせ

ベトナム事務所への電話の仕方が変わりました。
電話番号の前に「3」がつくようになりました。

(旧) 001-010-84-54--828177
(新) 001-010-84-54--3828177

ベトナム事務所の電話番号 828177の前に「3」がつくように
なりました。 

ベトナム事務所電話 (旧)   828177
ベトナム事務所電話 (新)  3828177


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晴天


家ダニとハウスダスト(空気中のゴミ)の強いアレルギーである。
ホテル宿泊の最大の敵はこのアレルギーの発症である。
家ダニは夏から秋の季節の変わり目に布団、毛布の中に
大量に発生している。

自宅もそうであるが、10月帰国時の最大の「敵」はこのアレルギーとの
闘いである。「鼻水」「目のかゆみ」「喉はれによる発声困難」「倦怠感」
・・・・・・。

10月からこれらの症状が発症。布団、毛布を「防ダニ」を使い。
じゅうたんや布のカーテンなどに大量の家ダニがいる。
家ダニは死骸もアレルゲンになる。困った体質であるが、
致し方ない。日本へ帰国してから「声が出しにくく」なった。

朝7時半、栄付近の町を歩き朝食を摂れる店を探すがない。
途中、何人かのホームレスの方が、コンビニや飲み屋の
ポリバケツを漁リ、パンや弁当などを手に入れていた。
日本社会の現実をみる思いである。

午前8時、ホテルの隣りのコンビニでおむすびを1つとお茶を買う。

多くの受信受信メール。必要なメール送信。

午前10時過ぎ、ホテルを出て、多少複雑な地下鉄を乗り継いで、
名古屋市役所駅で下車。名古屋城へ。

名古屋城は徳川家康が東海道の要所として、また、大阪への備え
として加藤清正や福島正則など20人の大名に命じて普請した
城である。明治維新まで御三家の筆頭尾張家との居城として
栄えたそうだ。
正門から入り、清正石(加藤清正がひてきた石とのこと)を見て
「東南隅櫓」を横に天守閣を見る。

金の鯱鉾(しゃちほこ)は、高さ(2,6M)、重さ(44、93キロ)北側
という大きさである。
しかし、天守閣はアジア・太平戦争で米軍の爆撃で焼出。
1959年に再建されたそうだ。

名古屋が繁栄したのは、以下のよう。
筆頭御三家ということもあるが
「暴れん坊将軍」の徳川吉宗の「享保の改革」で強い
緊縮政策をとり、倹約を「強制」し、庶民を苦しめた。

当時の第7代尾張藩主・徳川宗春は「享保の改革」を批判。
正反対の積極政策を打ち出し、名古屋に芝居小屋、
茶屋が増え、全国から人が集まってきたそうだ。
名古屋は江戸、京都・大阪に劣らぬ大都市となったとのこと。
そうした背景があり、茶道、華道、製陶、義太夫、常磐津、
長唄、歌舞伎、からくり人形など幅広い分野の芸能・文化
が定着した。徳川宗春の政策は「芸どころの名古屋」
としてのルーツとなった。昨日行った「つぶれかかっている」
大須演芸場もその流れの最後の時期であろう。
芸人は三流所だが、何とかこうした演芸場が残ってほしい
との期待を込めて、名古屋に来た時には必ず支援の
つもりで大須演芸場を訪れる。


城内では菊花展が行われていた。


午後2時ホテルに戻る。

東京から京都の新幹線車中で
「ヴェトナム新時代 豊かさの模索」(坪井善明著:岩波新書)
を読み始め今日読了。1994年の「ヴェトナム 豊かさへの夜明け」
を書いている。私はこの本をベトナムで読み、強い違和感を
感じた。学者と現地に住んでいる人間にはこれほどの
ベトナムについての認識の乖離(かいり)があるのか?
と思った。1994年の坪井氏の著作は、ベトナムのドイモイは
新しい豊かさに向けて大きく進んでいくと示唆していた。
基本的にドイモイ政策を肯定していた。
私は現地に住んでベトナムのドイモイ政策が一部の共産党
の幹部や目先の利く一部の人間だけが大もうけをする
システムであり、庶民や貧しい人、労働者・農民(労農同盟)
の人々はけして「豊かさの夜明け」にはならないと思っていた。

坪井氏の2008年8月著の本書は、私が1994年・95年頃
感じたベトナムの現実を追認したものであった。
学者は自説を変える時には、きちんと学問的な自己総括を
したうえで学問の質を高めていく義務がある。
坪井氏の今回の著作は「ずるずると」現状を追認するだけでの
ものであり学者としての真摯な自己分析がない。
本著の80%には私も同意見である。ベトナムに関心のある人は
一読すべき本である。


「教育格差の真実ーどこへ行くニッポンの社会」
(尾木直樹・森永卓郎著 小学館新書)

教育者の尾木氏と経済学者の森永氏の対談を通して、
「格差社会」から「教育格差」「学力」などを話し合う。
小泉改革以降の日本社会の大きな構造変化の実態を
社会と教育を通して検証している。
日本社会から中間層がなくなり、一部の金持ちと
低所得者が増大したとしている。現在、非正規雇用の
労働者は1670万人にも上っている。

2002年から2007年までのGNP(国内総生産)は
22兆円増えているが、労働者の賃金は総額で268兆円
から263兆円と5億円減っている。しかし、
資本金10億円以上の大企業の役員報酬は2倍になっている。
株主配当は3倍。
年収200万円台の人が1023万人に達している。
日本社会の両極分化である。

フエは洪水は終わったそうだが、雨の毎日とのこと。


午後7時半、ホテル付近の飲み屋へ行く。
名古屋栄付近は東京の銀座界隈のような雰囲気。
少し高級な雰囲気。飲み屋街も「名古屋コーチン」の
焼き鳥屋が目立つ。
私の飲み屋の基準は第1に赤提灯、第2に入口の
とびらがかなり薄汚れている、第3に「ホッピー」が
あること。
栄の繁華街を彷徨する。3つの基準の適合する店を
見つける。サンマの刺身、生ビールがあった。
枝豆とさんまの刺身で生ビールを飲む、
福島方面に住んでいる「彼女」に電話。11月2日に
学習発表会があるという。6月に買ってやった「エルマーの
冒険」3冊を読んだとのこと。学校の勉強はそれなりでいいので
「読書」という娯楽を知って欲しいと願う。
生ビール1杯。その後、ホッピーを2杯飲む。枝豆、軟骨、
ネギ、しいたけの焼きもの。


午後9時半ホテルへ戻る。

名古屋は私には合わない。とにかくどこの飲み屋に行っても
鶏肉の焼焼きものが主流。

「教育格差の真実」を読む。
森永卓郎氏はマルクス経済学者ではない。
しかし、新時自由主義には真っ向から闘っている。
そうした理由でテレビやマスコミからかなり排除
されているとのこと。しかし、現場のディレクター
からは結構声がかかるという。しかし、最終的に
上司のどこかで「森永排除」となってしまうとのこと。
尾木氏も「左翼」とのレッテルを貼られテレビ、マスコミ
から干されることがあるという。
テレビ、マスコミの現場の人間は森永氏・尾木氏を
登用しようと計画するが、どこかの上司が「排除」
するというマスコミと政治の方程式が出来上がっていると
のこと。

明日は、北海道芸術高校名古屋校で講演会。
早めに就寝。

投稿者 koyama : 2008年10月21日 18:14

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