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2009年03月31日

ホーチミン市からフエへ

ホーチミン市晴天

午前7時起床。
読書「日本資本主義分析」(山田盛太郎著)
以下、山田盛太郎の経歴
1925年 東大経済学部助教授
1930年 共産党シンパ事件で東大を追われる
1934年 日本資本主義分析出版
1936年 検挙
1045年 東大経済学部教授
1950年 東大経済学部長
1967年 勳二等瑞宝章
1980年 死去 従三位 銀杯一組

午前8時半、ホテルで朝食。フォー(あまり美味しくない)
と太巻き(あまり美味しくいない)を食べる。
野菜、フルーツ。

午前11時50分まで読書。「日本資本主分析」
1930年代の世界恐慌を日本の独占資本はどのような
方法で乗り切ったのかを学術的に山田元東大教授は
分析している。80年前と同じ様に大資本は行動している
ことが具体的な資料でわかる。
煎じ詰めて言えば、労働者の賃金を極端に引き下げて
資本家の儲けを確保するという方式である。
日比谷の派遣村と同様というのか、それ以上に
露骨な労働者への収奪を行っている。

1930年代の世界恐慌。日本の主力産業は繊維。
長野県生糸生産共同組合連合会資料による
『最低賃金』の引き下げの実態である。

昭和6年6月現在(1931年)30銭
昭和6年7月ないし12月  20銭
昭和7年(1932年)     15銭

昭和恐慌では1年で最低賃金が半分になっている。
こうして戦前の日本資本主義は1930年代の
世界恐慌を労働者の賃金の極端な引き下げで
乗り切ろうとした。
現代のアメリカ発の世界金融危機を日本の
大資本は80年前と同様の手法で乗りきろうと
している。労働者の賃金を切り捨て(派遣切り・・・)。
時代が変わっても大資本家のすることは同じなのだ
と改めて感じた次第である。
企業の社会的な役割りなどへの認識が弱い。
後発資本主義、対米従属資本主義の本質の露呈。


バオミンさんから電話。午後1時半ホーチミン発の
飛行機が1時間遅れるとのこと。
ホテルのチェックアウトは12時。午前11時50分まで
ホテルのとどまり、チェックアウト。

午後12時過ぎ、ホーチミン空港へ。

チェクイン手続きを済ませる、

2時間半ホーチミン空港で待つ。更に放送有。
飛行機が遅延するとのこと。

結局、1時間40分遅れて出発。

ホーチミン空港で1年間、東京のIT企業「ブライセン」
で研修を積んできたTHI君とVU君の帰国と出会う。



フエ空港着午後4時10分。


フエ空港から車で「ハイリーホテル」へ。
途中、バオミンさんと電話でいくつかの問題を
話し合う。

午後6時、日本料理店へ。地球の歩き方スタディーツアー
の皆さんと晩餐会。


リー君とグエットさんのメニュー紹介



参加者の男性の発声で乾杯。


私、バオミンさん、いぶきさん、原田君が参加。




晩餐会の最後にこどもたちの挨拶。





午後9時、「ハイリーホテル」へ。
部屋と物の整理。洗濯。

当面の諸問題についてのメモ作成


投稿者 koyama : 23:08 | コメント (0)

2009年03月30日

シンガポールからホーチミン市へ

午前11時半、シンガポールのホテルを出て
チャンギ空港へ。午後1時半発のVN機でホーチミン市へ。

ホーチミン市のホテルへ。
ベトナム事務所やJASS関係者などと多数のメール送受信。

午後9時過ぎ、日本からの
訪問者をホーチミン空港まで見送る。
私はその足でホーチミン市内のホテルに泊まり、
明日フエへ戻る。

投稿者 koyama : 20:06 | コメント (0)

2009年03月29日

シンガポールは雨

午前中、読書
「日本資本主義分析」(山田盛太郎著:岩波書店)

午前11時50分「ハイティー」を楽しみにシャングリラホテルへ。

午後ホテルのプールで日本からの訪問者の監督。

午後読書。

多数のメールの受信・送信。

夕方、シンガポール オーチャードロード」のほぼ真ん中に
ある「蕎麦屋」に行く。静岡の蕎麦屋さんが出してた手打ちそば
専門店。

店員さんにハノイから来たベトナム人がいた。しばらくベトナム語で
話なす。シンガポールに観光経営の勉強にしていたとのこと。
ホーチミン市からもベトナム人が来るが、ベトナム語で話す
ベトナム人はいないとのこと。

投稿者 koyama : 19:30 | コメント (0)

2009年03月28日

シンガポール動物園へ

晴天  気温30度。

朝食は昨夜買ったパンを食べる。

午前8時半、ホテルを出てシンガポール動物園へ。

午後2時過ぎホテルへ帰る。暑く疲労。

しばらく昼寝。


夕方までたくさんのメール受信。必要な返事を返信。

読書「日本資本主義分析」(山田盛太郎著:岩波書店)
序言・第1 生産旋回=編成替え。資本関係創出過程
のうらに示された所の 日本資本主義の軍事的
半農奴制的性質。
1932年当時の検閲なども考慮しての記述も
あるようで相当難解な語彙が多い。
江戸時代から明治35年までの日本の産業構造を
数値的に示し、一方では江戸時代の零細耕作農奴
であった多くの農民が、明治維新を通して、
生産構造転換の中で、半隷農的零細耕作農民と
半隷奴的賃銀労働者に分化したことを証明している。

投稿者 koyama : 19:42 | コメント (0)

2009年03月27日

日本からの訪問者とシンガポールへ

ホーチミン市は晴天 暑い

午前10時半、ホーチミン空港発VN機でシンガポールへ。

日本からの訪問者と一緒にシンガポールに滞在。

午後1時半、シンガポール着。


オーチャード通りにあるYホテルへ到着。

しらばくホテルで休息。

読書「1789年 フランス革命序論」(ルフェーヴル著:岩波)
読了。

今回、資本主義の勃興と日本の戦前の資本主義の歴史を
知ろうと思い、4冊の本を用意した。

「プロテスタンティジスムの倫理と資本主義の精神」では、
資本主義の精神的・倫理的な出発、動機などを知る。


「1789年 フランス革命序論」でブルジュア民主主義革命
の典型と言われたフランス革命の実態は何だったのかを
読む。今まで教科書などで学んだ教条的・機械的な
フランス革命とはかなり実態が違うことを知る。

「日本資本主義発達史」(野呂栄太郎著:岩波書店)

シンガポールのホテルで
「日本資本主義分析」(山田森太郎著:岩波書店)を
読み始める。戦前の「講座派」による日本資本主義
分析を知る。

夕方、近くのフードコートへ行き野菜炒め、中華風うどんを
食べる。高島屋へ行き、様子を視察。


投稿者 koyama : 08:33 | コメント (0)

2009年03月26日

日本からの訪問者とホーチミン市へ

晴天

午前7時朝食。

午前7時半、日本からの訪問者とホーチミン市へ。

午後9時過ぎ、訪問者をホーチミン空港へ見送る。

投稿者 koyama : 23:30 | コメント (0)

2009年03月25日

フエ経済大学副学長と懇談 

晴天 午後曇り  夕方小雨

午前7時朝食。

マカロニを小さく刻んだもの


午前8時過ぎベトナム事務所へ。
バオミンさん・税田さんといくつかの重要な打ち合わせ。

午前9時、フエ経済大学へ。副学長と懇談。
バオミンさん・税田さんも参加。

午前11時過ぎ、日本からの来訪者とブンボーフエを
食べに行く。

午後12時半「ハイリーホテル」へ。

午後2時、ベトナム事務所へ。
午後2時半、マルサ佐藤会長と懇談。

午後6時半、日本からの来訪者と夕食。

投稿者 koyama : 07:31 | コメント (0)

2009年03月24日

大学生協講演会;フエ大学懇談

晴天 快晴 気温34度。夕方雷雨。

午前7時朝食。

青豆入りおかゆ



午前8時ベトナム事務所へ。

午前8時半、全国大学生協スタディーツアーの皆さん、
ベトナム事務所を訪問。ベトナム事務所員紹介。


午前9時、大学生協スタディーツアーの皆さん、ソン君と
一緒に「子どもの家」へ。
最初に私の講演会。1時間20分。

講演会終了後、ソン君の案内で「子どもの家」の諸施設を参観。


午前10時45分、「子どもの家」の子どもたちの歓迎会



セン運営委員長、歓迎の挨拶(ソン君の通訳)

大学生協スタディーツアー参加者の出し物

昼食。
バオミンさん、日本からの訪問者と一緒に「ヒエップロイ」で
チャーハン。

午後2時半、フエ師範大学へ。

午後3時、フエ大学本部へ。副学長と懇談。

午後4時、フエ科学大学副学長と懇談。

午後6時半。地球の歩き方スタディーツアーの皆さんと
最後の晩餐会。


子どもたちと一緒に記念撮影



午後8時半、地球の歩き方の皆さんは、ホテルへ。

その後、日本からの訪問者と懇談。午後10時半、
「ハイリーホテル」へ。

今日は気温34度、湿度も高く、暑い一日だった。
また、複雑な仕事が入り、心身共にかなり疲れた。


投稿者 koyama : 07:17 | コメント (0)

2009年03月23日

いくつかの問題を解決

晴天  33度 猛暑

午前8時、日本からの来訪者と眼鏡店へ行く。
来訪者が眼鏡を作る。2000円。安い。
その足でドンバ市場へ。するめのお土産を
30枚ほど買う。

午前10時、フエ省幹部と懇談。今後、協力して
活動を進めることになった。フエ省幹部との友好交流関係が
一層促進された。

「子どもの家」近くにできた「チャオバンカン」2号店へ。
真夏の昼、汗をかきながら「唐辛子」を入れて
チャオバンカンを4杯食べる。辛くて・暑くて美味しい。

午後2時半、ベトナム事務所でイン君と話し合う。
昨日(日曜日)、無断外泊、朝帰り。警備員のハイ君
から「ハイリーホテル」の鍵を借り、「ハイリーホテル」に
侵入。その挙句、「ハイリーホテル」の鍵を失くすという
失態を演じた。昨日、インを呼んで、規律違反、JASSを
なめた態度、繰り返しの注意無視を理由に即時「解雇」
を言い渡す。

今日になって急に私に会いたいと言う。
午後2時半、インと会う。私、大塚さん、税田さん、バオミンさん。
既に1階の日本料理店で仕事をしていた。なめた態度。
昨日、規律違反で解雇を申し渡し、「ハイリーホテル」からの
退去も通告してある身だ。それなのに、今日、日本料理店の
作業衣を着て仕事をしているとは・・・・。あきれる。
早速、解雇した人間が勝手にJASS関連の施設に
こないように。ましてや、日本料理店を解雇している。
インも解雇に同意している。どうして今日、勝手に
日本料理店の作業衣を着て仕事をしているのか?と
問いただす。
「日本料理店で仕事をしたい。もう一度、チャンスを与えて欲しい」
という。私「既に何度もチャンスを与えたが舐めた態度をとり続け
真面目に生活しない。無断外泊を繰り返している」。
インは、泣きながら「もう一度チャンスをください」と繰り返す。
最終的には、「解雇の身」であるが、1週間の「謹慎処分」
にする。1週間、日本料理店での仕事を禁止、「ハイリーホテル」で
自分の過去と未来を見つめなおすこと。外出禁止とした。

その後、土曜日、大塚さんの指示に従わず、反抗的な態度を
取り、「子どもの家」へ帰るように言われたHとTさんを呼び
土曜日の反抗的な態度について話し合う。
二人は反省。今後、当然の指示(髪の毛をまとめること)
には従うとの誓約をする。

午後3時半過ぎ、日本料理店会議を開き、子どもたちに
イン君とHさん・Tさんの行動と処分について説明。
今後、日本人、バオミンさんなどベトナム事務所の
人たちの真っ当な指示を聞くように話す。
真っ当な指示は、既に3年前に日本料理店に就職した際、
文書で確約してることである。

午後4時、フエ市幹部と懇談。今後の一層の協力・共同を
話し合う。

午後7時、日本からの来訪者と夕食。

その後、ホテルで来訪者と懇談。午後11時半まで。
午後11時半、ベトナム事務所へ電動バイクを取りに行く。
するとリー君が待っていてくれる。「先生が酔っ払って
電動バイクに乗ると危ないので、待っていた」とのこと。
何時間待った?と聞くと2時間という。リー君の運転で
電動バイクに乗り「ハイリーホテル」へ。
リー君と言う男は不思議な魅力のある男である。
飲酒で日本料理店に来て「処分」をされるかと思うと、
こうして2時間も私の電動バイクのところで待っていてくれる。
私が頼んだわけでもない。私が日本からの来訪者と
『痛飲』し、酔っ払い運転で「ハイリーホテル」へ帰ると
危ないと心配してくれる気持ちも持っている。2時間も
待っているということは、伊達や酔狂では出来ない。
そうした心を持っている子である。

自宅着、午後12時近く。洗濯。

就寝。

今日は暑い1日だった。かなり疲れた。

投稿者 koyama : 08:11 | コメント (0)

2009年03月22日

日本からの訪問者と食事

晴天  気温30度を越す。真夏日。

午前7時起床。読書
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」読了。
(マックス・ウエーバー著 大塚久雄訳 岩波書店)

難解な本ではあるが、一種の推理小説。
冒頭の問題提起が、近代資本主義は清貧をモットーとし
金儲けにはおよそ縁のない「プロテスタント」諸派が
その倫理・道徳の産みの親だとの逆説的なものである。
あれ? 資本主義は、強欲な金儲け主義者の「もっと儲けたい」
との欲望がその精神の基本であり、発展を支えた倫理ではないの
かと思っていたので、どうして? との疑問が本書に注意を
引き付ける。宗教改革でルターが、聖書を翻訳し、その中で
初めて「天職」(労働)という言葉を使ったそうだ。そこから
真面目に働き、お金儲けを目的とせず、節約・倹約・質素な
日常の生活をすべきとのプロテスタント諸派の生き方が
日常化し、イギリス、フランス、アメリカなどプロテスタントの
強い国々に近代資本主義(経営者と労働者)が成立していった。
現在、資本主義にこうしたプロテスタント倫理の「尻尾」すら
残っていないが、アメリカなどの大企業の社長が財団を作り
社会貢献を行うのは、厳格なプロテスタント諸派の名残り
といっている。

午前10時。日本の来訪者とバオミンさん一家と山ろくの
レストランで会食。

午後12時半、「ハイリーホテル」へ。
ベトナム事務所前にリー君がいた。

「ハイリーホテル」に帰り洗濯。


1時間ほど昼寝。

午後3時読書「1789年ーフランス革命序論」
(ルフェーヴル著 岩波書店)

1939年。フランス革命150周年記念の出版物。
フランス革命概史。民衆の動きも視点に入れた
フランス革命の解説書。翻訳者(高橋幸八郎氏の
序文から始まる。本書の歴史的位置付け。

午後7時、日本からの来訪者と夕食。


投稿者 koyama : 23:47 | コメント (0)

2009年03月21日

地球の歩き方スタディーツアー来訪

晴天 気温30度

午前6時半、「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所へ。
バオミンさんと合流し、フエ空港へ。地球の歩き方
スタディーツアーの出迎え。昨日、午前10時便が
午後4時20分に変更された成田組の皆さんが
フエ空港到着。これも30分以上遅れる。
ベトナム航空は、時間がルーズで困ったものだ。

午前8時半、空港で地球の歩き方の皆さんを迎える。

午前4時半ホーチミン市のホテルを出発とのこと。
朝食もまだ。途中、フォーを食べる。

午前9時半、途中、関空組の皆さんも乗せてベトナム事務所へ。


ベトナム事務所員紹介。

午前10時過ぎ、ハンさん・地球の歩き方の皆さんと
「子どもの家」へ。

「子どもの家」のこどもたちと交流会

地球の歩き方側の歌の出し物


ハンさんの案内で「子どもの家」諸施設を視察

午前11時から30分ほど講演会


午後12時過ぎ、日本人訪問者と昼食。

午後2時、昼寝。

午後6時半、日本人訪問者と日本料理店で夕食。

今夜は日本料理店への来客多数。

午後9時、フォンザンホテル付近で1997年放映
ドキュメンタリー人間劇場の二人の主役、リー君と
ロックさんと出会う。

リー君は日本料理店で仕事をしている22歳。
ロックさんは2児の母親24歳。観光客に
ポストカードを売っている。

投稿者 koyama : 19:48 | コメント (0)

2009年03月20日

地球の歩き方ツアー日程の変更・混乱

晴天  28度。

午前7時朝食。
皆さん、元気に朝食を採る。最近多少気候不順のため
体調を崩す人もいるので、万全の注意が必要。

まだ少しずつではあるが「ジンマシン」が出る。
びんろうじゅの葉をこすって汁をジンマシンに塗りつける。
しばらくすると見事にジンマシンは消えている。
びんろうの葉で随分助けられている。
未だにフエ風土病と言われている寄生虫による
ジンマシン問題は、個人的にも解決に至っていない。

朝食はフエ名物ブンボー。細いコメうどんに牛肉。好きな野菜を
載せる。

昨日、飲酒勤務で厳重注意のリー君も明るい顔で朝食を
摂っている。何を考えているのだろうか? 彼の心の中
までは見通せないが。真っ当に成長していって欲しい。

午前10時までIT会社ブライセンといくつかの連絡。

今日、朝10時半成田発の地球の歩き方ツアーの
飛行機が突然午後4時半に変更されたとの連絡を受ける。
関空から来るグループは通常通り。
朝6時45分、バオミンさんはフエ空港へ出発。
関空組がホーチミン空港へ着く午後2時半頃、出迎え
ホーチミン空港からフエ空港まで案内するため。

今朝10時半成田発組は午後4時半発と突然、一方的に
出発時刻が変更されてしまった。結局、当初の予定は
大幅に狂い、午後8時50分頃ホーチミン空港着。
そのままホーチミン市に1泊し、明朝午前4時半ホーチミン市の
ホテルを出発し、午前6時05分ホーチミン発 →フエ行きの便に
乗る羽目の陥ってしまった。本来は、今日の午後6時20分に
フエ空港へ着く予定だったのだが・・・。
ベトナム航空が世界水準の航空会社になりきれない実態だ。


午前10時、徒歩ベトナム事務所へ。30分。

税田さんと当面の問題について若干の打ち合わせ。

午前11時過ぎ、ベトナム事務所を出て徒歩「ハイリーホテル」。

昼食。

30分ほど昼寝。

読書。「プロテスタンティズム・・・・」。いよい。最終章
1905年の本。100年ほど前の本だが読んでいくにつれ
ワクワクしてくる。大塚久雄の翻訳の妙であろうか?
論理展開が最終章にかかり、天職として労働者の
仕事をプロテスタントの理論で位置づける。
人間は何故仕事をするのか? 江戸時代・明治・昭和の
「職人さん」をどう位置づけるのか?
今日の「お金だけが全て」という新自由主義の中で、
お金だけでない経済活動があることを本書は喝破している。

午後3時半、ベトナム事務所。

イン君を呼ぶ。大塚さん、税田さんとイン君で昨日の
途中日本料理店退場問題を話し合う。ハンさんの通訳。
イン君謝罪。無断外泊、門限外帰宅などの問題について
も詰問。反省。

その後、リー君も呼び、日本料理店のAさんへの
いじめとも言える粗暴な行動について、リー・イン兄弟を
追求。二人とも「無実」のAさんへのいじめを認める。
今後、こうしたことがないよう厳重注意。

午後5時40分、こどもたちと夕食。


今夜は「三色ご飯」

日本料理店 8人の来客あり。

午後9時半「ハイリーホテル」へ帰宅。

午後6時半、地球の歩き方ツアーの関空組がフエ空港着。
バオミンさんが案内し、夕食を摂ってホテルへ。

午後9時40分、「ハイリーホテル」着。
静岡藤枝市の純米大吟醸「志太泉」(シダイズミ)
を冷やして「軽く」飲む。甘い香りと癖のない品性の
ある吟醸酒。

投稿者 koyama : 16:56 | コメント (0)

2009年03月19日

マルサ佐藤会長一行来訪

朝霧多し。晴れ。

午前5時起床。読書。

午前7時朝食。赤米のおかゆ。



生茶葉を飲む。

午前10時まで「ハイリーホテル」で仕事。関係者へのメール等。

午前10時から徒歩ベトナム事務所へ30分。
午前11時。バオミンさん、税田さんと当面の諸問題について
協議。引き続き徒歩で「ハイリーホテル」へ。

午前11時半、昼食。

午後12時半から昼寝。

午後1時、マルサ佐藤会長より電話。

午後2時、ソン君とパソコン修理人が部屋へ。
インターネット故障のため修理を依頼。
YAHOO、INTERNET EXPLORERなどが機能しなくなった。

午後2時過ぎ、ベトナム事務所で佐藤さんの会社の方、
同業者の方たちと懇談。「縫製研修センター」への支援のため
ざわざわフエまで。

しばらく懇談し、「子どもの家」を案内。


午後5時、リー君を呼んでベトナム事務所で話し合い。
昨日の飲酒の件等を詰問する。リー君「反省」。

午後5時半、マルサ佐藤会長一行が日本料理店へわざわざ
来て頂く。
フエ →ハノイ便の待ち時間に日本料理店で食事。

午後9時半閉店。11人の来客あり。

投稿者 koyama : 20:28 | コメント (0)

2009年03月18日

人間を育てる苦悩―海外ボランティアの本質的な苦しみと闘う

晴天 夕方から夜にかけて小雨 天候不順。

午前7時朝食。マカロニスープ。

日本料理店のTHUYさんが昨夜くれた「生茶葉」を煎じてもらい
飲む。毎日、少しずつ飲むと多分体に良いと思う。
ベトナム2000年の伝統から出てきた生活の知恵だと思う。


メールの送受信。

午前10時ベトナム事務所へ。静大留学希望学生が
静大フエ事務所(JASSベトナム事務所の一隅)に
来る。留学について説明。

午前11時半、「ハイリーホテル」へ戻り、昼食。

午後12時半から1時間半昼寝。

その読書読書。「プロテスタンティズムの倫理と
資本主義の精神」。

午後1時半過ぎ、税田さんから電話。リー君が近くの
バッグ屋の親父に昼食をご馳走になり、お酒を飲んでいるとの
情報。私は、午後2時半過ぎに日本料理店に来店したら、
バオミンさんの通訳で「お酒を飲んでいるか」確認し、
飲んでいることを本人が認めたら「出勤禁止」「1日分の給料カット」
を通告するようにお願いする。

午後3時。関係者にメール。

午後5時過ぎベトナム事務所へ。
リー君が午後2時半過ぎに日本料理店にやって来たそうだ。
お酒を飲んでいた。「日本料理店での勤務禁止」
「1日分の給料カット」を通告したそうだ。
リー君は「ふてくされて」出て行ったとのこと。
22歳になったリー君である。仕事の厳しさを知るべきである。
勤務後の自由時間での飲酒は個人の自由。しかし、
飲酒をしての勤務は禁止していることは知っている。知っていて
敢えて飲酒をして日本料理店に来るということは、「なめた」
態度である。いけないことは、いけないと指弾すべき。
人を育てるということは、信賞必罰が必要。可愛そうだからと
「猫かわいがり」をするのは、本当の愛情ではない。
「愛と規律」が必要。
同時に弟のインも日本料理店の日本人にたてつき、
引き続き「退場処分」を受ける。事情を聞くと、これも
退場処分を受けても致し方ない態度であった。
兄弟とも人生をなめているのか、人に甘えているのか?
甘えることは結構だが、自分の人生である。自分の力で
切り開いて行かなければならない。いつまでも人を頼り、
人のお金と人の情けで生きていこうという「ものもらい根性」
をそろそろ清算する時期に来ていると私は思った。

午後5時半、日本料理店でこどもたちと夕食。

●雷魚の揚げ物(美味しい)


夕食後のデザートを大塚さんが作ってくれた。

午後6時半、日本人来客あり。

午後9時、閉店。雨。

投稿者 koyama : 23:50 | コメント (0)

2009年03月17日

レジデンスホテル厨房日本料理店学習:米国人ツアー日本料理店

気候変調。寒い。体調を壊す人多し。
私も体調悪し。

午前7時朝食。

午前9時、レジデンスホテル厨房スタッフに大塚さんや
子どもたちが日本料理を教える。



なす煮びたし

きつねうどん

冷麦


午前11時半、昼食。「ハイリーホテル」

午後12時過ぎから2時間横になる。疲労感・下痢。

午後2時半、読書。「プロテスタンティズムの倫理と
資本主義の精神」。門外漢の人間が読んでも興味を
そそる。ヴェーバーは、ある意味で意表をついて論文を
書いている。しかも博学。本書の3分の1近くは(注)の
解説である。解説を読んでいるのか、本文を読んでいるのか
分からなくなってしまう位「脚注」が多く長い。しかし、
論理は整然としていて、最終的に近代資本主義を
倫理的に支えた精神はプロテスタンティズムであるという
ことを証明しようとしている。その中核になる概念が「天職」
という言葉である。ドイツ語のBERUF(ベルーフ:働く)とい
という言葉が、古代からヨーロッパの各国語にどのように
入り、どのような意味合いで使われていくかを具体的に
論証している。最終的に、「天職」(働くことを通して神への
愛を感ずる)という概念に到達したことを述べている。
第1章の「問題」の最大のテーマは「天職」とことばであった。
細かいキリスト教各派の更に細かい違いを克明に書いているが、
全般的に参考になるのは、ある一つのことを証明するための
論理構成である。右に行き、左に行き昔に返り未来に行きながら
も手に掴んだ一つのテーマからは絶対にそれず、道草を食っている
ようで最終的には、その道草こそが、ヴェーバーの論理構成と
証明力の素晴らしさだと見た。天職という概念は、禁欲という
キリスト教の教義の根幹に通ずる概念。世俗外禁欲(教会)と
世俗内禁欲(一般社会)にわけ、プロテスタンティズムがまさに
天職という概念を世俗内(一般社会)に持ち込み個人の倫理として
心の中に持つことによってのみ、近代資本主義の労働者の
仕事に対する忠実な勤務(天職意識)に転化させたとの証明を
第2章で行おうとしているように読み取れた。

午後3時半。関係者にメール送信。多数。受信多数。

今日はバオミンさんとハンさんが体調を崩し休む。
バオミンさんと電話でいくつかの重要問題を話し合う。
バオミンさんは少し体調を復元しつつあるという。
気をつけて早く元気になって欲しい。

午後4時50分、税田さんから電話。今日、米国人ツアー12人が
午後6時に日本料理店に来るとのこと。急遽、夕食を午後5時に
変更したという。急いで、日本料理店へ。今日はビールを飲む
気力なし。ヤキブタのブン麺を食べる。美味しい。


日本料理店のTHUYさんが、生茶の葉を持って来てくれる。
ベトナムではこのまま煮て飲む。体に良いという。疲れと
心労、老化で免疫力が落ちたいることは自覚している。
生茶を毎日飲んで自然の治癒力をひだそうと思う。



午後6時来る米国人は午後「子どもの家」を視察し、その後、
日本料理店に来るということだったようだ。
午後6時半になっても日本料理店にこない。税田さんから電話。
米国人は「子どもの家」に来なかったそうだ。
午後7時過ぎ、日本料理店に姿を現す。

NYのライオンズクラブの皆さん。

話をすると1968年のテト攻勢の際には、米軍として
フエで解放戦線と闘ったという人もいた。
フエに2つの学校を寄贈したとのこと。

グエットさん、リー君が得意の英語を駆使して応対。

午後8時半、会食終了。多額の寄金を置いていってくれる。
感謝。
大塚さんをはじめ、税田さん、こどもたちの協力に感謝。



午後9時過ぎ、リー君運転の電動バイクで「ハイリーホテル」へ。

今日は1日からだがだるかった。時間があったら横になっていた。

「ハイリーホテル」に戻るとリー君一派(ハイ・リー・イン)が
焼酎があるので飲もうと誘われたが、日記記入と体調不良の
ため今日は断る。この代わり「おつまみ」を頂だいと言われる。

投稿者 koyama : 20:35 | コメント (0)

2009年03月16日

気温の変化大:ベトナム事務所員体調を崩す

午前中晴れ:午後曇り 急に気温下がる

午前3時起床。
木村百合子さん裁判意見書の最終仕上げ。
途中、朝食を挟み午前9時半まで。
午前9時半、不十分ながらもほぼ言いたいことを
文章にまとめ、担当のO弁護士さんへ送信。

終日、インターネットの接続が悪い。つながらないこと
たびたび。

午前7時、朝食。

イン君、姿を見せず。「ハイリーホテル」へ帰って来たのが
何時か不明。

精進ブン麺

午前9時半、裁判の意見書を送信し、徒歩でベトナム事務所へ。
ちょうど30分。

バオミンさん、税田さんといくつかの問題で打ち合わせ。

午前11時20分になり、急いで話を終わり、徒歩で
「ハイリーホテル」へ。速歩で近道を行く。15分。

「ハイリーホテル」で昼食。

午後12時半、昼寝。朝早かったため2時間ほど熟睡。

その後、読書。「プロテウタンティズムの倫理と資本主義の
精神」。
引用文や関連図書への批判紹介文が延々と続く。
ウエーバーがよく関連図書を読みこなしていることが分かる。
ウエーバーを批判する学者への反論や批判、一部肯定、
一部否定などの批評を加えながら、ルター主義とカルヴィニズム
の差異を明らかにしてゆく。そのためには、ユダヤ教が
ギリシャ哲学を吸収しながら、その理論を確立す過程を描き、
更にカトリシズムのどこにルターは批判を加えたのかを
解明している。カルヴィニズムの諸グループの中で、
世俗界に影響を与えた潮流を示し、教会内の信仰から
世俗・日常生活での信仰こそが、近代資本主義を精神的
に支える倫理になったと論及を進めようとしているかに
見える。

午後5時、ベトナム事務所へ。

「子どもの家」にいたTHUYさん(現在フォンザンホテル厨房)
がこどもをつれて遊びに来る。子どもは1歳半になという。
1995年から「子どもの家」に入っていたこどもだったが、
既に母親となり自立している。

午後5時半、こどもたち・大塚さん・日本語教師の皆さんと
夕食。

チャートゥー(豚の頭の肉をミンチにし、塩コショウを入れてゆでた)
をドンバ市場裏の専門店で買ってくる。ビールのおつまみに。
美味しい。


日本人来客、フランス人来客あり。

午後、バオミンさん体調を崩し帰宅。
夕方、税田さん体調を崩し「ハイリーホテル」へ
ハンさん、数日前から体調を崩す。
3人とも同一症状。

午後10時、リー君の電動バイクの後ろに乗って
「ハイリーホテル」へ帰宅。

投稿者 koyama : 10:15 | コメント (0)

2009年03月15日

木村百合子さん公務災害裁判意見書作成  洗濯

晴れ。寒い。

午前8時起床。なかなか起きられなかった。
ジンマシンの薬がかなり強いようだ。特に睡眠作用が。

5勺のご飯を炊き朝食。

午前中、木村百合子さんの公務災害裁判の意見書を書き直す。
昨日、インターネットからウイルスが侵入し2万字書いた意見書が
消えてしまった。
今日は気持ちを取り直し、再度2万字に挑戦した。
一度書いた文章と同じ文章は書けない。何とか同一趣旨の
文章を夜までかかって書き上げた。

昼食なし。

午後12時半昼寝。

午後1時半読書。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」

午後2時半から再度木村百合子さん意見書作成。

夕方、ほか弁を買いに行く。

ほか弁を食べながら、木村百合子さん意見書2万字を
書きあがる。

途中、何人かの先生に事実関係を確認。
感謝。

明日清書し、弁護士事務所に送付予定。

投稿者 koyama : 10:09 | コメント (0)

2009年03月14日

ニエン氏ご母堂通夜:隣家結婚式

昨夜から強風雨。気温17度、湿度95%。寒い。
昨夜11時頃から停電。午前中まで電気がつかない。
昨夜半からの強風雨で電線が切れて停電中。


午前7時朝食。

キャッサバ麺


依然停電。

昨日書いた木村百合子さん裁判意見書2万字(400字原稿用紙
50枚)分がインターネットにウイルスが侵入したため消えてしまう。
言葉が出ない。何とか、気力を取り戻し再度書き始めなければ
ならない。この不満と憤りをどこへぶつければいいのか?
自分の心の中で木村百合子さんの憤死への怒りへと昇華し、
裁判闘争の勝利のための執念に高めなければならないと決意。

午前8時半、ベトナム事務所へ。
日本のアジア太平洋大学(大分県別府市)に留学している
ベトナム人学生(2年生)がプログで知ったと言って
「子どもの家」を訪問したいとベトナム事務所へやってきた。
30分ほど話し「子どもの家」を視察。

午前9時過ぎ、私、バオミンさん、税田さん、大塚さんの4人
でフエ市国際交流委員会委員長ニエン氏ご母堂(92歳)の
通夜に出席。92歳の大往生。



「子どもの家」のセン委員長、ロック寮長も一緒。


午前11時半、「ハイリーホテル」の隣の娘さんの結婚式に
参列。私、大塚さん、税田さん。

午後1時半過ぎ「ハイリーホテル」へ帰る。
昼寝。午後4時過ぎまで寝てしまう。ジンマシンを止める薬が
強い。かなりの睡眠作用がある薬である。

午後5時半、日本料理店へ。

午後9時過ぎ。今日は24人のフリーのお客さんあり。

午後9時40分、「ハイリーホテル」へ帰る。

日本料理店のTHUYさんが「ジンマシン」やかゆみに効くと
言って「びんろう樹」の葉っぱを持って来てくれた。
手で揉んで汁を出し、体中につける。


今日は今日極端に寒い。ジンマシンの薬が強く、常時
眠い状態。人間の死と結婚と両極の式典に参列した。

投稿者 koyama : 23:34 | コメント (0)

2009年03月13日

刺繍の先生と話し合い:木村百合子さん裁判意見書作成

終日快晴 湿度高い。夜、強風

午前7時、朝食。私の一番苦手な「おこわ」。硬くて喉を通らない。
2割程度しか食べられなかった。

木村百合子さん裁判の意見書を書く。


午前10時、ベトナム事務所で刺繍みやげ物店の先生と
懇談・協議。結論を得る。

午前11時、「ハイリーホテル」で昼食

午後12時半、昼寝。2時間。疲労が溜まる。2時間熟睡。
気がつくと午後2時半だった。

午後2時半から読書。「プロテスタンティズムの倫理と
資本主義の精神」。非常に面白い本だ。米国フランクリン大統領
の演説を引用し、プロテスタントの人々こそが、結果的に
資本主義の道徳的倫理を形成したと論証している。

木村百合子さん裁判意見書作成。2万字ほど書く。
400字原稿用紙50枚程。まだ未完成。明日更に増補の予定。

一昨日飲んだ「虫下し」に反応し、腹の中の虫が
死ぬ最後のあがきをし、寄生虫の体内から体液を
流している。寄生虫の体液が私の体中に廻り
体中に「ジンマシン」が来て、痒痛。

終日、ジンマシンに悩ませられる。

午後5時半、夕食。日本料理店でこどもたちと。


午後8時半、体調不良のため日本料理店を30分早く帰る。


投稿者 koyama : 22:56 | コメント (0)

2009年03月12日

「LA RESIDENCE]厨房スタッフへ日本料理教育:マルサ三浦さんと懇談

晴天 真夏

午前7時朝食。地元名物「ブンボー」

午前8時半、「ハイリーホテル」を徒歩で出発。
午前9時ベトナム事務所に到着。汗だく。

午前9時からフエ駅付近に出来た純フランス経営のホテル
「LA RESIDENCE」の厨房スタッフ3人に大塚さんと
こどもたちが日本料理を教える。今日は、寿司、茶巾寿司、
太巻きを教える。

茶巾寿司

太巻き


寿司盛

ベトナム事務所は広い心で日本料理の普及に努めている。
3人の「LA RESIDENCE」厨房スタッフに無料で1ヶ月間
日本料理の本当の基礎を教える。ベトナムの多くの
日本料理店で日本料理を食べたが、本当の日本料理と思えた
店は1軒もなかった。その理由は、日本料理の基礎を勉強して
いないからである。見せ掛けだけの日本料理を小手先で
少し知ったら日本料理ができるなどと思っているベトナム人が
多い。

今日の日本料理講習の最後に日本料理の食べ方を
教える。
箸の置き方・・・・・。

午前11時、徒歩で「ハイリーホテル」へ帰る。

昼食

午後12時半、昼寝。1時間熟睡。

午後2時読書。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の
精神」。非常に興味をそそる内容である。カソリックの腐敗を
糾弾し出来た新教のプロテスタントたちが、まさに勃興しつつある
資本主義の経営層になった。労働者になったプロテスタントは
金儲けを拒絶し、「天職」として労働に打ち込んだと書いてある。
金儲けをしたいという意欲が資本主義発展の原動力という
人たちもいるが、ウエーヴァーの理論で行くとその正反対で
金儲けを拒絶したプロテスタントこそ資本主義勃興の担い手
であったと言っている。

午後3時半から静岡地裁に出す意見書の続きを書く。
既に6000字は書いている。

午後4時前、ベトナム事務所へ。マルサの三浦さんと
懇談。

午後6時半、全国大学生協スタディーツアーの皆さんと
夕食懇談会。


大塚さん指導、「子どもの家」のこどもたちの作った
日本料理を堪能。

夕食会の最後に日本料理店スタッフの自己紹介。


午後8時半、生協スタディーツアーの皆さんは帰宅。


夕方から再度「ジンマシン」が出始める。

手、足など体の先端から出始める。

真夜中にはとうとう体全体にジンマシンが発生。
かゆくて寝られなくなる。


昨日、体にいるフエ風土病の寄生虫の虫下しを飲んだ。
そのため寄生虫が体で暴れ、体液を出したものと思われる。
医師から虫下しを飲んだ後は、ジンマシン対策として
朝5錠、夜5錠の薬をもらっている。10日分。
10日ほどすれば治るものと推測して入るが、痒痛には
閉口する。

投稿者 koyama : 22:39 | コメント (0)

2009年03月11日

静岡市国際交流協会スタディーツアー

朝、濃霧  午前中から終日晴天。暑い。

午前7時朝食。マカロニ麺(スプーンで食べるのは食べ憎い)

午前8時半、「第5回静岡市国際交流協会スタディーツアー」
がベトナム事務所を訪問。11人。
ベトナム事務所員と交流。「ここでどんな活動をしてるのですか?」
との質問が出た。事前にフエ、JASS活動、フエ市とJASSの
関係などについての説明がなかったようだ。
若干、私の方で16年間の歴史と現在の活動内容を説明する。

午前9時半、フエ市人民委員会にヴィン市長を表敬訪問

ビン市長の歓迎の挨拶

訪問団


約1時間の懇談。


フエ市長訪問時間が30分延びた。
「ハイリーホテル」昼食時刻午前11時半に遅れる。
昼食をとっておいてくれた。

午後12時半、昼寝。1時間。

午後2時読書「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
を読む。本書は二部仕立て。序文から。本書は1905年に発行。
第1章「問題」(前半部) 信仰と社会階層分化では、ドイツの
カソリック信者とプロテスタンでは、プロテスタントは「実業」系
の学校へ進学する傾向があると指摘。カトリック系の職人は
親方にとどまる傾向があり、プロテスタントは工場へ流入し
熟練工や上層の工業経営の幹部になると指摘。

午後3時、日本のいくつかの関係者にメール送信。

午後5時、ベトナム事務所へ。

午後5時半、日本料理店で夕食。久しぶり。

フエ市立病院副院長から薬をもらう。昨年末から今年のかけて
起こった「ジンマシン」。一種のフエの風土病。体内にある種の
寄生虫が入り、寄生虫が体液を発生。体液が体中に回り
ジンマシンを発生させるとのこと。副院長が「虫下し」をくれる。

今夜午後8時に虫下しを1錠飲む。明日から10日間、3種類の
薬を1日2回飲んで虫を駆除するとのこと。

日本料理店来客。

午後9時閉店。

投稿者 koyama : 18:27 | コメント (0)

2009年03月10日

全国大学生協ツアー講演:地球の歩き方ツアー晩餐会

午前中曇り。昼から晴天。満月。

やっと昼から3月らしい暑い気候となった。

午前7時朝食。

赤米のおかゆ。


午前8時半、全国大学生協スタディーツアー、ベトナム事務所
訪問。ベトナム事務所員紹介。

午前9時、日本料理店で大塚さんがホテル「LA RESIDENCE」
の厨房スタッフに日本料理を教える。これから1ヶ月間、
無料で教えることにした。今日が初日。ホテル側からは
男性1名、女性2名の厨房スタッフが来る。大塚さんが
日本料理の基本、本当の出汁(だし)の作り方、
天ぷら粉の作り方から指導をする。

大塚さんが手取り足取り日本料理の基本を教える。

私たちは無料で「LA RESIDENCE」ホテルの厨房スタッフに
日本料理を教える。お金のことしか頭にないフエの一部の
金の亡者にはJASSのこうした気持ちは理解できないと
思う。しかし、大塚さんがこの3人のスタッフに本当の日本料理
を基礎からしっかり教えることで、日本文化がフエで花咲く日が
来るのである。偽者はだめ。ある日本料理店と称するフエの
お店では、私たちの作った日本料理店を使って、でたらめな
日本料理を出している。日本料理店を開くのは自由だが、
日本料理を出すのなら「うそはだめ」。お客を騙して
ただお金儲けだけしか考えない「嘘」の日本料理は
日本や日本料理に対する冒涜である。
フエで最高級の「LA RESIDENCE」ホテルはさすがに
見識が高い。本当の日本料理をお客に出すという
プロの気構えがある。これから1ヶ月間でしっかりと
日本料理を覚えて欲しい。日本料理を教える
「オアシスの会」代表の大塚さんにも感謝。

午前9時、「子どもの家」で90分の講演会。

午前10時半、「子どもの家」のこどもたちの歓迎会。


午前11時半、大学生協の皆さんと昼食。クアンさんも一緒。

午後12時半、「ハイリーホテル」へ戻る。
昼寝。1時間。

読書「プロテツタンティズムの倫理と資本主義の精神」
訳者の大塚久雄氏の解説をはじめに読む。
大塚の解説によると難解な本とあった。


午後2時半、省のある局の関係者と懇談。

午後4時、「子どもの家」へ。「子どもの家」のセン委員長と
ある件で打ち合わせ。合意。

「子どもの家」では地球の歩き方スタディーツアーの
皆さんがこどもたちと交流中。


午後6時半、地球の歩き方スタディーツアー晩餐会。


午後8時半終了。
ホテルへ帰る前に日本料理店前で記念写真

リー君の電動バイクの運転で「ハイリーホテル」へ。午後9時過ぎ。

投稿者 koyama : 23:14 | コメント (0)

2009年03月09日

ブライセンとの連絡:裁判書への意見書作成

終日小雨  気温20度。湿度85%。
数日、雨と寒さが続く。

読書「河原乞食・考」(小沢昭一著:岩波書店)読了。

ストリッパー特出しのあとは、テキ屋、続いて、
ホモ・同性愛の世界。基本的に俳優に通ずる道との
のこと。猥雑さ、淫猥さがなくなり、国家から勲章を
もらい、時の権力者の庇護の下に下った芸能は
衰退する。小沢昭一は、ストリップ、テキ屋、ホモ・
ゲイ・同性愛に隠微で猥雑な芸能の息吹を感じている
ようだ。ほぼ私も同感する。

午前7時朝食。

木村百合子さん事件で裁判所への意見書作成

午前10時、ベトナム事務所へ。
税田さんと打ち合わせ。

午前11時40分、「ハイリーホテル」へ。
昼食。

午後12時半、昼寝。30分。

読書「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
(マックス・ヴェーバー著:大塚久雄訳:岩波書店)
本書を読む動機は、プロテスタント(アメリカ・イギリスなど)
が資本主義をどのようにとらえ、社会にどのような影響を
与えたのか。今の英米資本主義への精神的・倫理的な
影響を知ること、第2は、キリスト教のボランティアリズムの
原点を知ること。
宗教改革、キリスト教、ユダヤ教などの基礎知識がないと
理解が難しい部分があり、更にはフランスのブルジュア革命
についての基礎知識が必要。

午後、裁判所への意見書作成。夕方5時半までに3000字
の意見を書く。更に続く。何としても木村百合子さんの
無念の憤死の敵討ちをしたい。


午後5時半、ベトナム事務所でバオミンさんと懇談。
いくつかの重要問題について意見交換。

午後6時、日本料理店で夕食。

大塚さんが日本料理店のこどもたちと「カルフォルニアロール」
の試作品を作る。アボガドや鮭、マヨネーズに某調味料などを
混ぜたものを載せる。

鮭の身と皮を揚げて塩味をつけて「乙な」おつまみ。

神戸から来た日本人のお客さん来店。DVDと「子どもの家」
10周年記念誌を贈呈。

午後9時過ぎ、閉店。リー君の電動バイクの運転で
「ハイリーホテル」へ帰宅。午後9時半

午後10時半、寒いので久しぶりに静岡の支援者から頂いた
「湯たんぽ」を入れて寝る。熟睡。

今日は15通のメール受信、9通の送信。

投稿者 koyama : 18:55 | コメント (0)

2009年03月08日

午前中、リー君と液体朝食:午後、裁判所へ提出する意見書を書く

曇り・少し雨  気温22度。少し寒い。


午前8時起床。ゆっくり休む。

静岡のTさんが送ってくれた「布団乾燥機」を使う。
布団乾燥機がこんなに便利なものとは思わなかった。
現在、洗濯機の乾燥機の調子が悪く、洗濯物が
生かわきのことが多い。乾燥機を布団に入れ、
温風が通る袋の上に衣類を乗せておくと乾燥する。

読書「河原乞食・考」(小沢昭一著)
香具師・テキ屋についてのインタビュー。

午前10時、昨夜、リー君と約束した朝食を食べに行く。
ハイ君、イン君。

近くのレストランに入る。朝から家族や近くの金持ちなど
がやってきている。


私はビールを飲みたい気分になかったので、「海鮮鍋」を
たのみ、ブン(米の麺)をつけて食べる。

海鮮鍋には、ハマグリ、えび、イカ、魚、野菜とダシの出る
新鮮な魚介類がフンダンに入っている。

ブン(米の麺)


12時前に朝食を終え、「ハイリーホテル」へ戻る。

昼寝。

午後2時目覚める。

読書「河原乞食・考」(小沢昭一著)
寅さんのような人を香具師(やし)という。以前から何故
香具師として「香具(こうぐ)」という字を使うのか疑問に
思っていた。香具師の前身は、薬や香具を売り歩いた
人だったようだ。ただ薬や香具(お香をいれる器具)を
売るだけでは売れないので、「口上」を工夫しながら
お客さんを集めて売り出したのは初めのようだ。
テキ屋をさくざと言う人もいるが、的屋は縁日などで
射的(しゃてき)をしたり物を売ったりし、全国を放浪して
いた人たちだった。やくざではかったそうだが・・・・。

午後3時半、夕食のほか弁を買いに行く。
ベトナム事務所にあるパソコンを取りにベトナム事務所に
寄る。バオミンさんが仕事をしていた。30分ほど、
雑談をし、ほか弁屋へ。100円でほか弁を買う。

午後4時過ぎ、「ハイリーホテル」へ戻る。

JASSの会員だった木村百合子さんの「自死」=「憤死」裁判。
1月に日本へ帰った時に浜松にある弁護士事務所を訪問。
裁判の経過と争点を詳しく聞く。
弁護士から裁判所に意見書を出して欲しいとの依頼を受け
ていたが在日中はフエ要人の案内、フエに帰って来てからは
スタディーツアーの応対で休む暇がないほど忙しかった。
それでも何とか木村百合子さんの無念な気持ちを晴らさなければ
ならないと思い、今日、意見書の骨子と3分の1ほど書く。


午後6時半、ほか弁をおつまみにビールを飲む。
久しぶりに中島みゆきの「大吟醸」、井上揚水を聴きながら。

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ベトナムで日本の政局を見ているとイライラする。
自公の政権政党の中に「知恵者」はいないのか
と叫びたくなる。

定額給付金の給付が始まった。
鹿児島県の十島村では総額1024万円の給付のために
事務経費は657万円になるという。
北九州市では給付金総額153億円に対し、事務経費は
6億3000万円、熊本市も総額102億円に対し3億7000万円
かかるそうだ。

馬鹿な話である。どこの世界に1000万円を支給するのに
6割の600万円もの経費をかける人間がいるのか・・・・・・。

日比谷公園に派遣村が出来、麻生首相は「経済対策は最優先」
といっている。しかし、この定額給付金の壮大な無駄遣いを
昔だったら自公政権の誰か知恵者が、止められた筈だ。
小泉元首相が「自民党をぶっ潰す」といったが、確かに
自民党はつぶれた感がある。昔はいた自民党の知恵者がいない。
誰がみても「壮大な無駄遣い」を止められない政権政党の自公。
自公の政治家がいくら口で「経済が最優先」などと言っても
口先人間。本当に経済と世界の金融危機の対策を考えるのなら
まず、この定額給付金という「壮大な無駄遣い」をやめて、
もうすこし、合理的な方法を考えるべきなのだが・・・・・・。
自公政権に取って代わる立場にある民主党首の第一秘書
逮捕劇。この時期小沢代表の第一秘書の逮捕は「政治的な陰謀」
と息巻いても、犯罪のかどで第一秘書が逮捕されて、居直っている
野党第一党党首を抱えるわが日本である。
昨日は鳩山一郎元首相の50回忌。自民党の邦夫、民主党の
由紀夫兄弟。3代目の政治家。小沢党首も2代目。麻生首相は
何代目になるのか? 大久保利通、吉田茂・・・・・。
日本の社会は政治も何もかも「世襲社会」になってしまった。
社会階層が固定化してきている。生まれながらで全てが
決まる社会に。
「子どもの家」のこどもたちに何も罪はない。偶然、貧しい国の
貧しく問題のある家庭に生まれただけ。こどもたちに何の
責任があるというのか?

林家こぶ平が「林家正蔵」を名乗った。その力なし。親の
七光り。
今度は、弟の林家いっ平が「林家三平」を襲名するそうだ。
噺家の世界も世襲制になってきた。歌舞伎の世界が
世襲になり、発生当時の猥雑なものを捨てて、大衆から
見放されてしまった。一部の好事家の趣味の対象と化した。
落語もいよいよそうした世界に入って来た。凋落の一路
を辿るのだろう。柳家小さんと関西の桂米朝が「人間国宝」に
なった時点で落語は死滅化の道に転落したと私は思って
いる。もう二度と、古今亭志ん生、桂文楽、先代林家正蔵、
三遊亭金馬などは出ない。談志、三遊亭円生(円楽党)は
落語協会脱退時にそうした危機感を持っていたことは
確かだ。

こぶ平、いっ平の芸より、姉の海老名泰葉の記者会見と
その後の行動にこそ「芸人」の毒と猥雑さそのものがある。

落語家に芸なく、歌手もどきに芸あり。
首相に漢字読解力なく、漢字検定協会に集金力あり。
野党第一党主に集金力あり、政権政党に金銭感覚なし。
中川昭一元財務大臣に酒あり、野党共闘に「小沢裂け」あり。
漆原官房副長官、警視庁にコネあり、中川元財務大臣G7で
ネゴなし。
小沢党首に疑惑あり、麻生首相に気迫なし。

投稿者 koyama : 19:05 | コメント (0)

2009年03月07日

地球の歩き方4班「子どもの家」へ:交流会:講演会

終日小雨  気温22度。非常に寒い。
数日前まで気温32度。一気に10度気温が下がる。
午後5時、気温は20度まで下がる。

午前7時朝食。
大塚さんは、船上生活者支援のため早朝から臨時診療所へ。

キャッサバ麺ー美味しい

午前8時過ぎベトナム事務所へ。
午前8時半、地球の歩き方4班の皆さん8人が到着。

税田さんの司会でベトナム事務所員の紹介

その後、ベトナム事務所3階の刺繍みやげ物店を視察


私とハンさんで「子どもの家」まで案内。

「子どもの家」でこどもたちと文化交流。

「子どもの家」ではフエ高等師範大学の教育実習生20人を
受け入れている。3週間の現場実習を行っている。
今日の交流には、教育実習生も参加。今年の9月から
フエ省やベトナム中部の小中学校の先生になる。

これもJASSのベトナムでの社会貢献活動の一つである。



はじめにセン委員長の歓迎の挨拶

「子どもの家」のこどもたちの歓迎の踊り

地球の歩き方参加者側からの歌と踊りの出し物

交流会終了後、ハンさんの案内で「子どもの家」の各施設を
視察。

午前10時から午前11時20分まで私の講演。


午前11時半、「子どもの家」を後にして、昼食レストランで
かた焼きそばを食べる。

午後12時半、「ハイリーホテル」へ帰る。
昼寝 1時間半。

午後2時、読書「私は河原乞食・考」(小沢昭一著)
ストリップの斬新的な改革はほとんど大阪から始まっている
とのこと。
「特出し」とは特別出演の略。大阪のストリップ小屋に
九州から踊りの踊れないストリッパーが送られてきた。
そこで考え出したのが、いい加減な踊りでお客が喜ぶ
陰部の露出。これから「特出し」という用語はその種の
意味を表す言葉となった。小沢昭一は、芸能の
本質はここにあるといっている。歌舞伎も能も狂言も
全て、淫猥な怪しい芸能から始まっている。芸能の
原点は、権力の禁止したことに反撥している諸民の
求める淫猥なものを提供することにあると言っている。

ブライセンのHPにJASSの宣伝を載せてくれるとのこと。
1000字の宣伝文の原稿を書く。

午後5時、ベトナム事務所・日本料理店へ夕食。

ハイ君は唾液腺炎で寝ているイン君に夕食の弁当を持って
行く。やさしい子である。


午後8時過ぎ、来客あり。イギリス人5人。ベトナム人一人。
フエでNGOをしているグループ。英語でのやり取りは全て
リー君がこなす。ビール、枝豆、天ぷら、カツカレー・・・を
頼む。

その間、私はフダ生ビールのて「テイスティング」をしていた。
そばでリー君が色々と話しをしていた。

「明日の朝、飲みに行こう」と繰り返し促されるが、
私は疲労が酷く断る。しかし、何度もリー君に懇願され
「承知」する。明日の朝10時にリー・ハイー・インと私の
4人で朝食を摂る事にした。朝食が液体でないことを祈る。

しばらくリー君と話しをするが、実に温和な表情であった。


午後9時過ぎ閉店。リー君の運転で「ハイリーホテル」へ帰る。

午後9時過ぎ終了。


投稿者 koyama : 18:05 | コメント (0)

2009年03月06日

地球の歩き方スタディーツアー4班フエ到着

曇り、どきどき小雨。

午前10時半の気温24度、湿度80%。肌寒く、蒸し暑い。

午前7時朝食。ブンボー。

朝食後、受信メールへの送信。

午前9時、ベトナム事務所から連絡あり。「子どもの家」の
卒業生でハノイの日新電機に就職していたA君が突然
退職し、ベトナム事務所に来たとのこと。
バオミンさんは、地球の歩き方4班を出迎えにホーチミン空港へ
行っている。急いでベトナム事務所へ。

ハンさんの通訳でA君と話す。
A君は現在24歳。「子どもの家」創立時に入所した第1期生。
当時10歳。妹と路上で物乞いをしていた。

それから14年間「子どもの家」で生活し、小中学校と優秀な
成績で過ごし、ハイバーチュン高校へ入学。卒業後、
本人の希望でハノイにある日新電機の工場に就職した。
日新電機は、私のブログを見て連絡があり京都の講演会の
際、お会いし交流を深め、今日に至っている。現在は奨学金支給、
「子どもの家」のこどもたちをハノイの日新電機に特別に就職の
受け入れをしてくれている。
私も就職のお願いに日新電機の京都の本社へ伺い、常務の
方などにこどもたちの就職をお願いし、ハノイの日新電機の工場
へは、バオミンさんと一緒に伺い、工場長とも話し合いをし、
こどもたちの就職をお願いした。2年半前にA君とB君の希望を
受けてハノイの日新電機工場へ二人を就職させた。
事前にバオミンさんと「子どもの家」スタッフのタムさんが
わざわざハノイの日新電機の工場まで行き、挨拶をし、
二人の下宿を探し、必要な日常品の購入などをしてやった。
フエからハノイまでの交通費もベトナム事務所で出したという
経過を辿っている。

Aとの話し合い。
(小山)何故、日新電機を突然やめたのだ。
(A君)給料が安いから。他の会社はもっと給料が高い。
(小山)1ヶ月いくらもらっていたの?
(A君)120万ドン。(6千円ちょっと)
(小山)「縫製研修センター」で仕事をしている人が60万ドン。
     日本料理店で仕事をしているこどもたちも60万ドンから
     100万ドンだ。120万ドンはけして安くないよ。
(A君)他の会社はもっと給料出している。もっと給料を
    もらえる会社に行きたい。
(小山)今日、ベトナム事務所に来た目的は何か?
(A君)フエで給料の高い会社を紹介して欲しい。
(小山)A君はJASSが紹介してやった会社を自分で勝手に
    辞めたのだから、仕事も自分で見つけなさい。
    24歳はもう大人だよ。フエの給料はホーチミン市が
    100、ハノイが70なら、フエは50位で安い。
    ハノイの120万ドンで安い給料というのなら、フエで
    もっと高い給料をもらえる会社は自分で見つけなさい。
     ハノイの日新電気でじっくりと働けば、徐々に給料も
   あがっていく。目先のちょっと高い給料に目が奪われ、
   2年半も勤めた仕事を辞めてしまうのいけない。
    JASSや「子どもの家」のスタッフに就職の時お世話に
   なったのだから、ハノイの日新電機を辞める時は、事前に
   電話で相談をしなければ駄目だ。
    勝手に仕事をやめて、もっと給料の高い仕事を世話しろと
  ベトナム事務所に来る様な姿勢は間違っている。
  もう24歳になったのだから、自分でしたことは自分で始末しなさい。

  こんなやりとりをした。残念なことである。A君も今はやりの
  「金権病」「お金第一主義者」。お金のためならお世話になった
  ことも人も忘れ、お金に走るというベトナム社会全体の風潮の
  一部と見た。給料が安いといって勝手に退職しフエに来たが、
  高い給料は人に見つけてもらう、全て「他人頼み」の生き方。
  一種のこじき根性ともいえなくもない。
  この数年、この種の『金の亡者』をたくさん見てきた。
  共通した性癖は、「お金だけが全て」。恩とか義理とか
  いう人間の大事な資質を捨てて、お金の奴隷になって
  しまった人間を身近に見ている。A君の言うように
  私が高い給料の仕事を見つけてやらないと、A君は
  私とJASSを攻撃しだすのだ。こういう人間がフエや
  ベトナムに多数発生している。昨年から私を
  反政府主義者・反社会主義者として警察に告訴した
 人間も、どれだけ私やJASSの皆さんにお世話になったか
 分からないくらい、お世話になった人間である。
  こともあろうに、私やJASSを攻撃するなどおよそ
  人間としてあるまじき人である。
  A君も小型のこの種の人間に成り下がらないように
  して欲しい。国際協力、海外支援ボランティアの
  本質、本当の苦労を見た思いがする。『支援は利権』
  である。

3月8日(日)は、国際婦人デー。ベトナムでは男性が
女性に花束を送るという行事に矮小化されている。
町中に花束売りが出ている。

ベトナム事務所までは電動バイクで行ったが、バイクが故障。
ソン君に全体的な修理を依頼する。ベトナム事務所からの
帰りは徒歩。「ハイリーホテル」までちょうど30分。

午前11時半、昼食。


唾液腺炎に罹ったイン君は、抗生物質のお陰で大分楽に
なったようだ。

午後12時半から1時間昼寝。熟睡。

午後2時から読書「私は川原乞食・考」(小沢昭一著)
関西などのストリップ劇場を訪問し、ストリッパーに
インタビューする。関西のストリッパーの大半は
福岡など九州出身者。東京のストリパーは東北の人。

静岡大学などいくつかのメールを送信。
徒歩でベトナム事務所へ。雨が降っていた。

午後5時半過ぎ、ベトナム事務所着。
日本料理店のこどもたちが夕食を摂っていた。

投稿者 koyama : 12:32 | コメント (0)

2009年03月05日

フエ大学副学長と懇談

晴天  32度。真夏の暑さ

午前7時、朝食。何とか起床することが出来た。
「ハイリーホテル」住人の皆さんと朝食。

日本料理店のイン君が首の辺りが痛いという。
バオミンさんに電話をし、ソン君に付き添ってもらい
フエ中央病院へ連れて行ってもらうようにする。

午前8時半、ベトナム事務所へ。
フエ市人民委員会の車が迎えに来てくれる。
ニエン国際交流センター所長とバオミンさん、私で
フエ駅前にあるフエ大学本部へ。


フエ大学副学長と懇談。副学長は以前、フエ科学大学の
学長だった。私が仲介し、フエ科学大学と京都精華大学との
交流を進めたことがある。二人の先生が京都精華大で
日本語を勉強した。現在のフエ外国語大学日本語学科の
基礎を作ったのは、私たちJASSに仲介で京都精華大で
日本語を学んだフエ科学大の先生たちである。
そんなことでお互い知り合っていることを確認。
フエ市国際交流センター・ニエン所長の紹介で、改めて
自己紹介。


私のほうから、静岡大学からの視察・実情調査団が来るので
その受け入れを打診。快諾。詳細を打ち合わせ、全ての点で
合意する。今後、フエ大学とJASSとの結びつきを強め、
協力していくことでも合意する。


午前10時、ベトナム事務所に戻る。
ベトナム事務所で税田さん・バオミンさんと当面のいくつかの
問題について協議。

午前11時半、昼食。
イン君は中央病院へ行き、「唾液腺炎」と診断され、10日分の
薬をもらう。


午後12時半から1時間昼寝。

読書「私は河原乞食・考」(小沢昭一著:岩波書店)
本書は1969年著作。70年安保の真っただ中で
小沢昭一は全国の「放浪芸」「大衆芸能」を見て歩き
発掘していた。TBSラジオ「小沢昭一的心」の原点。

午後5時、ベトナム事務所にイン君を呼び、唾液腺炎に
ついて説明。①休養をとること ②薬の抗生物質は
10日間、最後まで飲み続けること、の注意をする。


午後5時半、夕食。久しぶりにこどもたちと。
4日間、お客さんなどとの宴席が続いた。

午後9時閉店。リー君の運転で「ハイリーホテル」へ帰る。
しばらく読書をし、早めに寝る。疲れた。

投稿者 koyama : 08:47 | コメント (0)

2009年03月04日

税田さん誕生会:フエ市外務部長懇談:フエ市要人宅へ招待懇談

晴天 
多少暑いが、丁度よい気候 1年中で2週間ほどしかない季節。

午前7時、朝食  マカロニスープ。

午前8時半、フエ大学留学希望学生と話し合う。


午前9時、税田さんの00回目の誕生会。(誕生日は3月3日)


石上先生より誕生ケーキ贈呈



原田先生よりベトナム事務所員全員の寄せ書き贈呈


ケーキに入刀し、しばらく懇談。

午前10時、フエ市人民委員会国際交流センター所長と懇談。
当面のいくつかの問題について突っ込んだ話し合いをする。
合意に至る。

ドンバ市場で物乞いをしている障害児の親子がいる。
15年前から支援している。毎年体が大きくなり、数年に
一度ずつ、車椅子を上げていた。一昨日、ブライセンの
藤木社長一行とドンバ市場を訪れた際、体が大きくなり
車椅子に乗れなくなったのでもう少し大きな車椅子が
欲しいとのこと。北海道芸術高校の生徒さんと
北海道札幌のNPO「飛んでけ 車椅子」との提携に
より、3台の車椅子を手持ちで持って来てくれた。
そのうち2台は既に北海道芸術高校の生徒さんの手で
障害児(者)に手渡された。最後の1台を母親に手渡す。


同時刻にどこかで噂を聞いたようで、知的・身体障害児と
おばあさんが『車椅子が壊れて子どもを乗せることが
出来ない。車椅子を1台もらいえないか?』とやって来た。
現在車椅子はないので、7月頃手に入れる予定と話し
住所と連絡先を紙に書いてもらう。

バオミンさん・税田さんと当面の諸問題について協議。

午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。

午後12時半から1時間半昼寝。熟睡。疲労の極地に達しつつ
ある。

午後2時読書「東条英機と天皇の時代」読了。
700ページの大著。東条英機については、A級戦犯の
戦争犯罪人、日米開戦時の首相であり陸軍大臣という
知識しかなかった。彼の先祖(江戸の能楽師から南部藩
ー現在の青森・岩手・秋田ー招請され、幕末には南部藩士
とて活動、英樹の父親は、明治維新以後、長州藩閥の
支配する軍隊でイギリスへ留学。軍隊のエリートコースを
歩むが、長州藩閥の支配する陸軍内で、排除され冷や飯を食わ
される)の家系を引いている。陸軍は山県有朋以来
長州出身者でなければ出世できない組織となっていた。
南部藩出身(明治維新では長州と戦う)ということで
東条は陸軍内で何度も左遷されている。東女は陸軍内の
反長州閥に属していた。
同時に父親が中将・陸軍のエリートということもあり、
子どもの頃から天皇への忠誠と軍人としての教育を受けて
いた。偏狭な性格と一般社会を知らないまま、陸軍幼年学校、
陸軍士官学校、陸軍大学と家庭も人生も陸軍しか知らない
一生でもあった。狭い視野と精神主義はこうした長州から
疎外され、軍隊という小さな社会の中のみで育った歪んだ
生い立ちに東条の異常なまでの天皇忠誠と「精神主義」
大東亜などエリート主義があった。極東軍事裁判では
A級戦犯として絞首刑となったが、それでも一人の人間として
の人生には、山あり谷ありであった。

午後5時、フエ市人民委員会の車がベトナム事務所へ
迎えに来る。フエ市人民委員会・フエ市共産党の要人と
JASSの交流会。フエ市共産党幹部の私邸で行われる。
フエ市と共産党側は、事前に私の好物を調べていたとのこと。
私の好きなおつまみ類が出る。

炭火でトロトロと焼いた豚肉

今日、海から直接買って来たするめ焼き

雷魚の煮物・スープ

今後、JASSに違法な攻撃や嫌がらせなどがあった場合は、
法律に基づいて、攻撃した人間を逮捕処罰するとのこと。
フエ市人民委員会・フエ市共産党はJASSの活動を
高く評価し、今後、共同してフエ市の社会福祉事業を推進
すること、日本との交流を一層深めることを話し合う。
ベトナム事務所側からは私、バオミンさん、税田さん、
大塚さん(「オアシスの会」代表)が参加。

午後8時半過ぎ、交流懇親会は終了。乾杯を何度も繰り返したので
かなり酔ってしまった。

フエ市人民委員会の車でベトナム事務所まで送ってもらう。

日本料理店でバオミンさん・大塚さんと今後の活動の
進め方などを飲みながら相談。

午後9時半、日本料理店閉店。

リー君の運転で電動バイクの後ろに乗せてもらい、
「ハイリーホテル」へ戻る。

午後10時、「ハイリーホテル」でリー君とハイ君の3人で
『今後の人生』を語り合う。


私が日本に滞在している時、突然家出をしてしまったリー君
であった。その後、2月初めに家出先からみたび戻ってきた。
2月18日、私がフエに戻ってきた頃は、まだ目のつりあがった
ような顔つきだった。それから3週間。大分顔つきも変わって
来た。円満な顔になった。こどもたちの顔つきは、常に
その時の精神と比例しているように思われる。リー君が
日本料理店での仕事を続けることを期待する。
家出して店長を解職されているが、再び「店長」に復帰できるよう
頑張って欲しい。

午後11時、「ハイリーホテル」の部屋に戻る。今日は飲みすぎた。
リー君に「明日、午前7時5分を過ぎても朝食に来なかったら
眠っていると思って欲しい」と頼んで戻る。明日は、朝起きられるか?

投稿者 koyama : 10:24 | コメント (0)

2009年03月03日

ブライセン一行ティエンムー寺・王宮・「子どもの家」:地球の歩き方夕食会

晴天  途中 曇り

午前7時朝食。キャッサバうどん。


午前8時半、ブライセンの皆さんと舟でティエンムー寺へ。


ティエンムー寺を説明するバオミンさん


午前10時、王宮を参観。グエン王朝王子のバオミンさん
の説明は、当事者の説明なので説得力がある。


午前11時半。「子どもの家」でこどもたちと昼食。


昼食後、フエ郊外のティエンアン山山ろくの
中国茶の庭園で休息。

午後5時、ベトナム事務所へ。ベトナム事務所で若干の
打ち合わせ。日本料理店のこどもたちと交流。

午後5時半、フエ空港着。2泊3日の滞在ではあったが、
多くの話し合いを行い、今後のJASSへの支援策を協議
決定した。大きな意義のあるフエ滞在であった。
ブライセンの皆さん、スポーツNGOの小山さんに感謝。

フエ空港でブライセン一行と別れ、急いで日本料理店へ。

午後6時半、地球の歩き方3班(18人)の皆さんと
最後の晩餐会。

税田さんの司会で晩餐会は始まる。

グエットさんとリー君のメニュー紹介。


静岡大学人文学部の学生さんの音頭で乾杯。

大塚さんの指導でこどもたちが作った夕食が披露され、
参加者の皆さんは、「美味しい」「本当の日本料理」
などと言って舌鼓を打つ。

最近フエ市内に『「子どもの家」のこどもたち支援の日本料理店』
と名乗り、日本料理店もどき店を開店しているベトナム人が
いる。真面目にボランティアとして日本料理を教えてくれている
大塚さんに大変失礼な話ではある。
うそはいけない。嘘の日本料理を出すのはよくない。
先日、私たちの日本料理店に来たお客さんが
『「子どもの家」のこどもたちを支援する日本料理店といっていた
のでその店に入った』と言っていた。
日本料理店を作るのは、勝手だが、JASSを名乗ったり
「子どもの家」のこどもたちを支援する日本料理店と
僭称するのは詐欺行為である。そこまで嘘を言って
金儲けをしようとする魂胆に唖然とする。
私たちは、他人の行動を忖度するほど余裕はない。
ただこどもたちのために全力を出し、誠心誠意
努力するだけ。けして嘘をいったり、ずるいことを
したくない。損をしても・・・・・・。


午後8時半、晩餐会の最後に日本料理店のスタッフの
自己紹介。

午後9時前に地球の歩き方スタディーツアーの晩餐会は
終了。
6人のこどもたちと大塚さん、税田さん、ソン君、
日本語教師の中島先生、原田先生の協力で
地球の歩き方の晩餐会は大成功のうちに終わる。
関係者の皆さんに感謝。

後片付けをし、リー君の電動バイクの運転で「ハイリーホテル」
へ帰る。

投稿者 koyama : 23:08 | コメント (0)

2009年03月02日

ブライセン藤木社長一行を案内

午前中晴れ  午後曇り  夕方小雨

午前7時、朝食。

午前7時半からメールの送受信。

午前8時半ベトナム事務所へ。

ブライセン藤木社長一行ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所を紹介。


その後、藤木社長などといくつかの打ち合わせ

ベトナム事務所等を視察。

午前10時半過ぎ、ドンバ市場先の「チャオバンカン」専門店へ。



一人4杯ずつのチャオバンカンを食べる。

午後12時半「ハイリーホテル」へ。昼寝。

ナムドンに行っている税田さんから緊急の電話。

午後2時20分、「ハイリーホテル」を出て、フォンザンホテルへ。
藤木社長一行・バオミンさんとJASS関連の諸施設を案内。

初めに日本語学校。特進クラス。

ブライセンの皆さんに日本語で自己紹介をしてもらう。
生徒たちはまだ日本語聴解力が弱い。日本語の勉強を
初めて2ヶ月。致し方のないことである。

2階では日本語ガイド基礎コースの授業。
日本語基礎コースの生徒全員は、日本語能力検定
試験(ハノイで実施)に全員が合格した。

続いて、「縫製研修センター」を視察。


最後に「子どもの家」視察。スポーツNGOの小山さん
からサッカーボールを郵送して頂いた。残念ながら
送って頂いた3分の2がハノイの郵便局で取られてしまった。
ベトナム事務所には、5つほどのサッカーボールが届いた。
小山さんには感謝。

ブライセンの皆さんに「子どもの家」の各施設を案内。


ブライセンより「子どもの家」にパソコン1台分相当の
寄金を頂く。

午後5時ホテルへ一時帰宅。

午後6時過ぎ、日本料理店で夕食懇談。
大塚さんが、朝ドンバ市場でかつおを買ってきて、
かつおの土佐作りを作ってくれた。本当に美味しかった。

午後9時半、ブライセンの皆さんの交流晩餐会は終了。
大雨が降っていた。

リー君運転の電動バイクの後ろに乗り、「ハイリーホテル」
帰宅。午後9時半過ぎ。


投稿者 koyama : 19:43 | コメント (0)

2009年03月01日

リー君たちと午前の宴会:夜、ブライセンの藤木社長出迎え

晴天 午後曇り 時々雨  

午前9時起床。久しぶりの日曜日。朝ゆっくりねていようと
思ったが、近くのレストランからだろうか、大きな音楽が
流れてくる。うるさくて寝ていられない。

午前10時、リー君、ハイ君、原田先生、石上先生、中島先生
と「ハイリーホテル」付近のレストランへ行き「朝食」。

脂を落とした豚肉をえびの塩辛で食べる。


ちょっと軽く一杯。今日は日曜日なので皆さん、ゆっくり休んで
欲しい。

トリ一匹をビールに浸し、ゆでる。レモンと塩コショウで食べる。
美味。



仕上げに「海鮮鍋」。近くのトンアンビーチで獲れた新鮮な
ハマグリ、えびなどと肉の鍋。

ご飯とブン(米のメン)につけて食べる。

午後1時半まで「軽く飲む」。ブダ瓶ビール20本。

料理の注文から、ビールの冷やすのから、リー君が
獅子奮迅の活躍。この子に宴会の幹事を任せたら
安心していられる。

午後2時かが午後4時まで昼寝。

読書「東条英機と天皇の時代」。
開戦半年で戦況は既に劣勢へ。1943年、4年。
首相、陸軍大臣、総参謀長と内閣と戦争遂行の
主要ポストを独占。東条の独裁体制確立。
他の閣僚や重臣、天皇の側近、東条に批判的な議員
などには、憲兵隊や特高を使って常時行動をチェック。
秘密警察と東条の独裁体制。国民や重臣、閣僚、議員、
軍隊の中からも「反東条」の動きが出る。
町には、「米機討つべし、英機討つべし」との東条英機を
あてつける反東条のビラが貼られる。
建前は、アメリカとイギリスの飛行機を討てとのことだが、
実際は、東条英機を討てと言うこと。

上尾の支援者星野さんが、スーパー銭湯「天然温泉 花咲の湯」
を開店。機会があったら一度、ゆっくりと花咲温泉に浸かって見たい。


天然温泉花咲の湯

午後5時半、バオミンさんが「ハイリーホテル」へ来るまで
迎えに来てくれる。今後午後6時20分フエ着の飛行機で
IT企業ブライセンの藤木社長一行がフエ空港へ到着の予定。
午後6時、フエ空港へ。掲示板に「飛行機は午後8時15分着に
変更」と書いてある。2時間飛行機が遅延するとのこと。
2時間飛行場で待つのも時間がもったいないので
一度、「ハイリーホテル」に戻る。

午後7時45分、再度、「ハイリーホテル」からフエ空港へ。
午後8時半、藤木社長一行フエ空港着。

午後9時半、ホテルチェックイン。たくさんの日本酒を
差し入れしてくれる。

その後、ホテルのラウンジで懇談。午後11時半まで。

ホテルを出るとき、偶然「子どもの家」卒業生のTHUYさんと
出会う。

ホテルの厨房で仕事をしている。今日は、
夜の出番とのこと。全ての仕事が終わったあと、ホテル
に泊まるという。「子どもの家」の卒業生がこうして
頑張って仕事をしてる様子を見ると嬉しい。
子どもも元気に成長しているとのこと。

「ハイリーホテル」着午前0時。

投稿者 koyama : 21:03 | コメント (0)