« シンガポールからホーチミン市へ | メイン | 静岡大学ニフィースペシャル入学試験 »

2009年03月31日

ホーチミン市からフエへ

ホーチミン市晴天

午前7時起床。
読書「日本資本主義分析」(山田盛太郎著)
以下、山田盛太郎の経歴
1925年 東大経済学部助教授
1930年 共産党シンパ事件で東大を追われる
1934年 日本資本主義分析出版
1936年 検挙
1045年 東大経済学部教授
1950年 東大経済学部長
1967年 勳二等瑞宝章
1980年 死去 従三位 銀杯一組

午前8時半、ホテルで朝食。フォー(あまり美味しくない)
と太巻き(あまり美味しくいない)を食べる。
野菜、フルーツ。

午前11時50分まで読書。「日本資本主分析」
1930年代の世界恐慌を日本の独占資本はどのような
方法で乗り切ったのかを学術的に山田元東大教授は
分析している。80年前と同じ様に大資本は行動している
ことが具体的な資料でわかる。
煎じ詰めて言えば、労働者の賃金を極端に引き下げて
資本家の儲けを確保するという方式である。
日比谷の派遣村と同様というのか、それ以上に
露骨な労働者への収奪を行っている。

1930年代の世界恐慌。日本の主力産業は繊維。
長野県生糸生産共同組合連合会資料による
『最低賃金』の引き下げの実態である。

昭和6年6月現在(1931年)30銭
昭和6年7月ないし12月  20銭
昭和7年(1932年)     15銭

昭和恐慌では1年で最低賃金が半分になっている。
こうして戦前の日本資本主義は1930年代の
世界恐慌を労働者の賃金の極端な引き下げで
乗り切ろうとした。
現代のアメリカ発の世界金融危機を日本の
大資本は80年前と同様の手法で乗りきろうと
している。労働者の賃金を切り捨て(派遣切り・・・)。
時代が変わっても大資本家のすることは同じなのだ
と改めて感じた次第である。
企業の社会的な役割りなどへの認識が弱い。
後発資本主義、対米従属資本主義の本質の露呈。


バオミンさんから電話。午後1時半ホーチミン発の
飛行機が1時間遅れるとのこと。
ホテルのチェックアウトは12時。午前11時50分まで
ホテルのとどまり、チェックアウト。

午後12時過ぎ、ホーチミン空港へ。

チェクイン手続きを済ませる、

2時間半ホーチミン空港で待つ。更に放送有。
飛行機が遅延するとのこと。

結局、1時間40分遅れて出発。

ホーチミン空港で1年間、東京のIT企業「ブライセン」
で研修を積んできたTHI君とVU君の帰国と出会う。



フエ空港着午後4時10分。


フエ空港から車で「ハイリーホテル」へ。
途中、バオミンさんと電話でいくつかの問題を
話し合う。

午後6時、日本料理店へ。地球の歩き方スタディーツアー
の皆さんと晩餐会。


リー君とグエットさんのメニュー紹介



参加者の男性の発声で乾杯。


私、バオミンさん、いぶきさん、原田君が参加。




晩餐会の最後にこどもたちの挨拶。





午後9時、「ハイリーホテル」へ。
部屋と物の整理。洗濯。

当面の諸問題についてのメモ作成


投稿者 koyama : 2009年03月31日 23:08

コメント