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2009年03月06日
地球の歩き方スタディーツアー4班フエ到着
曇り、どきどき小雨。
午前10時半の気温24度、湿度80%。肌寒く、蒸し暑い。
午前7時朝食。ブンボー。
朝食後、受信メールへの送信。
午前9時、ベトナム事務所から連絡あり。「子どもの家」の
卒業生でハノイの日新電機に就職していたA君が突然
退職し、ベトナム事務所に来たとのこと。
バオミンさんは、地球の歩き方4班を出迎えにホーチミン空港へ
行っている。急いでベトナム事務所へ。
ハンさんの通訳でA君と話す。
A君は現在24歳。「子どもの家」創立時に入所した第1期生。
当時10歳。妹と路上で物乞いをしていた。
それから14年間「子どもの家」で生活し、小中学校と優秀な
成績で過ごし、ハイバーチュン高校へ入学。卒業後、
本人の希望でハノイにある日新電機の工場に就職した。
日新電機は、私のブログを見て連絡があり京都の講演会の
際、お会いし交流を深め、今日に至っている。現在は奨学金支給、
「子どもの家」のこどもたちをハノイの日新電機に特別に就職の
受け入れをしてくれている。
私も就職のお願いに日新電機の京都の本社へ伺い、常務の
方などにこどもたちの就職をお願いし、ハノイの日新電機の工場
へは、バオミンさんと一緒に伺い、工場長とも話し合いをし、
こどもたちの就職をお願いした。2年半前にA君とB君の希望を
受けてハノイの日新電機工場へ二人を就職させた。
事前にバオミンさんと「子どもの家」スタッフのタムさんが
わざわざハノイの日新電機の工場まで行き、挨拶をし、
二人の下宿を探し、必要な日常品の購入などをしてやった。
フエからハノイまでの交通費もベトナム事務所で出したという
経過を辿っている。
Aとの話し合い。
(小山)何故、日新電機を突然やめたのだ。
(A君)給料が安いから。他の会社はもっと給料が高い。
(小山)1ヶ月いくらもらっていたの?
(A君)120万ドン。(6千円ちょっと)
(小山)「縫製研修センター」で仕事をしている人が60万ドン。
日本料理店で仕事をしているこどもたちも60万ドンから
100万ドンだ。120万ドンはけして安くないよ。
(A君)他の会社はもっと給料出している。もっと給料を
もらえる会社に行きたい。
(小山)今日、ベトナム事務所に来た目的は何か?
(A君)フエで給料の高い会社を紹介して欲しい。
(小山)A君はJASSが紹介してやった会社を自分で勝手に
辞めたのだから、仕事も自分で見つけなさい。
24歳はもう大人だよ。フエの給料はホーチミン市が
100、ハノイが70なら、フエは50位で安い。
ハノイの120万ドンで安い給料というのなら、フエで
もっと高い給料をもらえる会社は自分で見つけなさい。
ハノイの日新電気でじっくりと働けば、徐々に給料も
あがっていく。目先のちょっと高い給料に目が奪われ、
2年半も勤めた仕事を辞めてしまうのいけない。
JASSや「子どもの家」のスタッフに就職の時お世話に
なったのだから、ハノイの日新電機を辞める時は、事前に
電話で相談をしなければ駄目だ。
勝手に仕事をやめて、もっと給料の高い仕事を世話しろと
ベトナム事務所に来る様な姿勢は間違っている。
もう24歳になったのだから、自分でしたことは自分で始末しなさい。
こんなやりとりをした。残念なことである。A君も今はやりの
「金権病」「お金第一主義者」。お金のためならお世話になった
ことも人も忘れ、お金に走るというベトナム社会全体の風潮の
一部と見た。給料が安いといって勝手に退職しフエに来たが、
高い給料は人に見つけてもらう、全て「他人頼み」の生き方。
一種のこじき根性ともいえなくもない。
この数年、この種の『金の亡者』をたくさん見てきた。
共通した性癖は、「お金だけが全て」。恩とか義理とか
いう人間の大事な資質を捨てて、お金の奴隷になって
しまった人間を身近に見ている。A君の言うように
私が高い給料の仕事を見つけてやらないと、A君は
私とJASSを攻撃しだすのだ。こういう人間がフエや
ベトナムに多数発生している。昨年から私を
反政府主義者・反社会主義者として警察に告訴した
人間も、どれだけ私やJASSの皆さんにお世話になったか
分からないくらい、お世話になった人間である。
こともあろうに、私やJASSを攻撃するなどおよそ
人間としてあるまじき人である。
A君も小型のこの種の人間に成り下がらないように
して欲しい。国際協力、海外支援ボランティアの
本質、本当の苦労を見た思いがする。『支援は利権』
である。
3月8日(日)は、国際婦人デー。ベトナムでは男性が
女性に花束を送るという行事に矮小化されている。
町中に花束売りが出ている。
ベトナム事務所までは電動バイクで行ったが、バイクが故障。
ソン君に全体的な修理を依頼する。ベトナム事務所からの
帰りは徒歩。「ハイリーホテル」までちょうど30分。
午前11時半、昼食。
唾液腺炎に罹ったイン君は、抗生物質のお陰で大分楽に
なったようだ。
午後12時半から1時間昼寝。熟睡。
午後2時から読書「私は川原乞食・考」(小沢昭一著)
関西などのストリップ劇場を訪問し、ストリッパーに
インタビューする。関西のストリッパーの大半は
福岡など九州出身者。東京のストリパーは東北の人。
静岡大学などいくつかのメールを送信。
徒歩でベトナム事務所へ。雨が降っていた。
午後5時半過ぎ、ベトナム事務所着。
日本料理店のこどもたちが夕食を摂っていた。
投稿者 koyama : 2009年03月06日 12:32