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2014年04月30日
ベトナム「南部解放」39周年祝日
午前中ー真夏。 午後小雨。
料理のセンさんに『今日と明日の食事作り』を断った。
疲労が溜まり、今日の休日は、ゆっくり寝ていたいので・・・
午前10時まで寝ていた。毎日、午前7時に朝食がある
ので「眠くても何でも」起きなければならない。
今日(ベトナム南部「解放記念日」、5月1日「メーデー」
の2連休は、ゆっくりと休息したい。
午前10時、支援者の方から頂いた、「日本のらーめん」
を温めて食す。その後も横になり眠る。
ベトナムに20年住んで、今でも理解できない
現象がある。
隣の家の人たちが、私の宿舎の門の前に
オートバイをおいてしまうのだ。
日常茶飯事。私が電動バイクで外出しようと
すると門を開けることができない。
日越の文化の違いと言えばそれまでだが・・・・、
どう考えても「隣の家の門前」に自分のオートバイを
置けば、隣の人が門を開けられず、外に出られない、
隣の人に迷惑をかける、程度の常識は必要だと
思われるのだが・・・・・・。
ベトナム全土「解放」39周年記念日の今日、
未だに「自己中心的」な民族性から解放されない
一部のベトナム人がいることに「そうなのか」との
諦観を感ずる。
午後3時。フエ缶ビールを飲む。昨日、「チャー・トゥー」
「チャー・ゾー」という豚の頭の「ソーセージ」と「豚肉の
ソーセージ」をおつまみに、フダビール3缶を飲む。
今日は、3回「ぬか床」をかき回し、酸素を供給した。
かなり水分が多くなった。「捨て野菜」がしんなりし
水分が出て来た。まだまだ「ぬか」の臭いは消えないが・・・。
=========
フダビールを飲みながら、この間の日本・韓国で
起こった出来事を「ボーッ」と考える。
①痛ましい韓国船沈没事故に心から哀悼の
気持ちを捧げる。
この事故を通して、日本のマスコミの「奇形性」を
つくづく悟った。
日本のマスコミは、韓国船事故の一部始終を
詳細に報道していた。これは、マスコミとしては
当然のことである。沈没船長や船員が最初に
逃げてしまったこと。経営者が「怪しいキリスト教団の
教主」、「金儲け一辺倒の会社だった」、海上警察をはじめ
韓国社会の経済至上主義・大統領を先頭にした役人の
国民に奉仕する姿勢の欠如。その裏にある韓国社会の
前近代的・封建制を払拭できない「財閥優先」「有名大学
卒業生優先社会」・・・の近代国家として「遅れた」部分への
異常な報道・・・・、
韓国の社会と政治には、異常な情熱を示す我が日本の
マスコミである。
しかし、同じ時期に安部政権は、「海外への原発輸出」
日本のエネルギー計画の基本に原発を据えるとの
方針を明確にしていた。
福島原発が全くコントロールできていないというのに。
更に「集団的自衛権」を閣議で決めようとしている。
日本国民を海外での戦争に派遣しようとする阿倍内閣。
日本のマスコミは、海外の韓国の事故については細部
まで厳しく批判しておきながら、自国政府への批判は
本当に「生っちょろい」ものであった。
日本の主要新聞の政治部長が、安部首相と食事会を
している我が日本のマスコミの体たらくの現状である。
記者クラブ制度という「独占的マスコミ制度」を作っている
日本の主要マスコミ。戦前を見ると日本の中国侵略を
推進した一因は、日本の新聞だった。中国侵略を
進める中で当時の主要新聞は、部数を大幅に拡大
している。「満州事変」から「北支事変(日中戦争)」の
中国侵略報道をする中で、アジア侵略を煽ったのも
当時の新聞などだった。
日本のマスコミは、外国の問題になると「先鋭な批判」
を行うが、自分の足元の我が祖国の問題になると
主要新聞の政治部長と安部首相と会食をするという
奇形な関係である。
日本のマスコミの堕落の根源は、直接利害関係のない
外国の問題には、厳しい批判をするが、日本の国内問題
には、「記者クラブ」と言う「ギルド」を作り、情報を独占しながら
権力に迎合している現実である。そうしたマスコミの中で
真面目に頑張っている記者・関係者がいることも理解している。
======
②小保方晴子博士問題。
日本社会の深層の「歪んだ」成果主義、産学協同の
歪んだ科学・学問の世界を見た思いがする。
小保方博士を「理研」のユニットリーダーにしたのは、
理研の野依理事長等。
野依理事長は「1人の未熟な研究者が膨大なデータを集積し、
極めてずさんな取り扱いをして、責任感に乏しかった」と
小保方博士を厳しく批判していた。
更にノーベル賞受賞者の山中教授は、小保方博士について
「研究ノートをきちんととっていない、未熟な研究者」と
の趣旨の記者会見をしていた。
しかし、理研は、小保方博士の調査委員会委員長自らが
「疑惑」対象者となり、小保方調査委員会委員長を辞任。
また、「研究ノートを作るのは、学者の最低の義務」という
ような発言をし小保方博士を批判していたノーベル賞
受賞山中教授が自らの研究発表の写真が「偽装」ではとの
疑惑をかけられ、「偽造ではない」との記者会見を
しながら、「研究ノート」が存在しないので、偽造疑惑
の写真を収めた研究ノートはない、との記者会見を
している。
若い、研究経験の少ない小保方博士を理研は持ち上げ、
ユニットリーダーにし、記者会見を盛大に行い、小保方博士
の研修室のピンクの壁紙までマスコミの宣伝した理研。
研究ノートがない研究者は「失格者」的な発言をしていた
ノーベル賞受賞山中教授が「疑惑をかけられたら研究ノート
がなかった」という自らの「未熟な研究者」の実態を
暴露するという事態。
こうした日本の学問の世界の「異常さ」は
「世間に宣伝し」「アピール」
しないと評価されない、成果主義・結果主義を
求める日本社会の矛盾の現われと感じた。
研究は、死後に生きるものかもしれない。
そうした長い時間を考えての研究を考えなければ
ならない。
これは、子どもたちの人生にも当てはまる。
青年前期でつまづいた若者は、今の日本社会では
「退場宣言」をされていまう。直ぐに成果と結果をだした
人間だけが「認められる社会」はやはり異常な社会である。
青春前期を苦悩し、苦労した若者の方が将来「大成する」
かも知れないのだが・・・・・・・。
全国学力テストをして、各県・各市区町村の学校ごとの
平均点を公表し、順位を競う安部内閣の文教政策も
誤っている。大器晩成型、見えないところで世の中を
支える人間もたくさんいるのだ・・・・・・。
小保方博士問題を通してで日本社会の「成果主義・結果主義」
という異常な社会の歪さ(いびつさ)を感じた。
日本社会に「待ち」の気風がなくなった。
いつも「ガツガツ」している貧相な社会になってしまった。
長い時間をかけて子どもたちや若者、人間を育てる
問う言う気風が失われ、効率と結果だけが強調される社会
は住み難い社会ではある。
更に言えば、「大人の能力の低下」をつくづく感じた。
「今時の若者」などといえない野依理研理事長、
山中教授・・・・・・。人を批判しておきながら、
「自らはそれが出来ない」というのでは・・・・
情けない。
====
憲法9条がノーベル平和賞の候補になったとのこと。
受賞したら、受賞者は日本国民。
世界の宝物である日本国憲法9条にノーベル平和賞を。
===
そんなことを考えながら、フダ缶ビールをちびちびと
飲んでいるのであった。
2014年04月29日
日本企業社長と懇談
午前5時起床
真夏
午前7時朝食。
精進料理
今日は旧暦の「4月1日」。フエでは、旧暦の1日と
15日は、「精進料理」を食べる日。
午前11時半、日本企業の社長さんと
ベトナム支社ディレクターが来訪。
この間の問題を解決する。日本企業の社長さんは
なかなか頭の回転の速い方で、物事の本質を
理解する能力のある方と見た。
午後1時、宿舎へ帰宅。
途中で「卵焼き・野菜入り」フランスパン8(50円)を
食す。
1時間程昼寝。
午後3時前、フエ市内王宮近くの「豚肉ハム屋」へ。
午後3時半、日本料理店で「ぬか床」を作る。
ベトナムは気温が高いので数日で「ぬか」が漬かる
のでは?と思っている。
ぬか漬けをおつまみに「一杯飲みたい」。
今日は接客係りの「グエットさん」が体調を壊し
欠勤。トゥオイ店長だけでは、開店できないので
「閉店」とする。
ベトナム事務所のソン君もこの数日、体調を崩し
欠勤している、『季節の変わり目」に体がついていけない。
午後6時半、日本語学校の富岡先生・川原先生が
日本語学校から帰る。石井君と夕食を摂る。
明日は、ベトナム全土解放39周年記念祝日。
ベトナム事務所でも明日の4月30日の「開放」記念日
を祝し、「前夜祭」を行う。
石井君は未成年なので、ミネラルウオーターを
飲むように指示する。
午後9時まで「ベトナム全土解放39周年」記念
のベトナム事務所内日本人総決起集会を断行。
2014年04月28日
U御夫妻と懇談
快晴 真夏
午前7時朝食。
「フォー・ボー」(牛肉米麺)
午前9時前、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所員・日本語教師が「真面目に」
仕事をしている。
新任日本語教師の川原先生
ハン会計部長
最近は出張で忙しいバオミン・JASSベトナム委員長
午前9時過ぎ、東京の会員・里親のU夫妻が
ベトナム事務所来訪。1時間程ご夫妻と懇談。
ご夫妻はその後、「子どもの家」へ。
里子に記念品を渡す。
午前11時半昼食。
「海老入りのおじや」 数口食す。
午後2時間程昼寝。
その後、日本料理店へ。
日本料理店スタッフといくつかの件について
打ち合わせ。
一度、宿舎へ帰る。
体がだるい。
午後5時半、徒歩で日本料理店へ。
今日は7人の来客あり。
接客係りのグエットさんも厨房に入り、デザートの
パイナップルを切っている。
途中、体がだるくなり、2階の会議室で横になっていた。
午後9時過ぎ閉店。徒歩帰宅。
そのまま寝てしまう。
2014年04月27日
カメリアホテルでバイキング朝食
午前6時起床
シャワーを浴びる。
午前7時45分、電動バイクで「カメリアホテル」へ。
午前8時、富岡君・石井君・川原君の3人が到着。
4人でカメリアホテルの「バイキング朝食」へ。
今日は意外とお客が少ない。
3時間ほど食事をしながら、4人で色々と話をする。
北海道・札幌から来た川原君は、25日の夜に
フエに来たので、4人で話をする。
カメリアホテルから見たフエ市内。
午前11時、散会。
宿舎へ帰り、受信メールへの返信。
洗濯。部屋の掃除。
午後12時過ぎから2時間程横になる。
午後、当面の諸課題について、その対応策を
考える。
午後6時、フダ缶ビールを飲む。
一番大切な「くさやの干物」の最後の残りを
おつまみにして。
日本の関係者へメール送信。
当面のいくつかの問題について対策を考える。
=============
4月16日の韓国で起こった船の転覆事故。
多くの高校生がなくなったようだ。
心から冥福をお祈りする。合掌。
2014年04月26日
新日本語教師初出勤・ベトナム事務所員会議
午前6時起床。真夏・湿気が高い
午前7時朝食。
「ブンボー・フエ」(フエ名物牛肉米麺)
午前8時前徒歩ベトナム事務所へ。
午前8時半、新任日本語教師川原先生
初出勤。
これから6ヶ月間、JASS日本語教師として
活動する。北海道の大学生。
ベトナム事務所員会議を開き、川原先生の
自己紹介とベトナム事務所員の自己紹介・
初顔合わせを行う。
JASSベトナムの最高責任者のバオミンさんから
川原先生へ「歓迎」の言葉あり。
ほぼ年齢の近い富岡先生・ソンベトナム事務所員。
川原先生と仲良くやって欲しい。
ベトナム事務所員全員(撮影はバオミンさん)
川原先生は律儀な人でベトナム事務所への
お土産を持って来てくれる。
日本語部長のフーン先生が対応する。
ベトナム事務所員個人にもお土産を頂く
その後、日本語部会。
川原先生の今後の研修・実習・勤務への
日程等の打ち合わせを行う。
日本語部会終了後、ベトナム事務所内の川原先生の
席で、富岡先生と打ち合わせ。
隣りはフオン先生。
川原先生がJASSベトナム事務所・日本語学校の
仕事に早く馴染むことを祈る。
午前10時、宿舎へ。
宿舎の蛍光灯がまた壊れる。
業者を呼んで直してもらう。ソン君が
お世話をしてくれる。感謝。
午前11時半昼食。
春雨麺
午後2時間程昼寝。
午後3時。バンベーの残りの原稿を精査。
その後、リー君から7回の電話あり。
今日は土曜日。昼過ぎから飲んでいるようだ。
色々なことを言っていた。内容は秘匿。
午後6時半、日本料理店へ。
石井君と新任の日本語教師の川原先生と
ベトナム人スタッフと夕食。
富岡先生は、日本語教育中。
午後9時10分までに5人の来客あり。
トゥオイ店長・グエット接客主任の奮闘で
4人の来客の料理を調理する。
午後9時15分過ぎ、閉店。
午後9時半過ぎ、徒歩で宿谷へ帰る。
2014年04月25日
バンベー45号関連
午前6時起床
真夏の朝
朝食「肉団子入りチャオ・バイン・カイン」
バオミンさんといくつか電話で打ち合わせ。
バンベー45号の追加原稿を精査
柔軟運動・筋トレ
午前11時半、昼食
サラダ・ご飯・魚フライ・・・・・
サラダ完食。後は食べられない。
2時間昼寝。
読書「中国民主改革派の主張ー中国共産党私史」
李鋭著(岩波新書)
中国共産党は、結党当初から「党内純化闘争」
を繰り広げ、毛沢東の絶対的支配権を獲得した。
2000年近くの「絶対的王政」「封建社会」の
中で生きてきた中国人の中に「人権・平和・民主」
などの概念の理解が低かった。
午後5時半、徒歩で日本料理店へ。
石井君とトゥオイさん・グエットさんが夕食中。
時間差で来客があり、最後のお客さんが帰ったのは
午後10時。4人の来客あり。
宿舎着午後10時半。
2014年04月24日
バンベー45号編集終了→日本へ送る
午前4時起床
読書「中国民主改革派の主張ー中国共産党私史」
李鋭著(岩波新書)
中国共産党創立には、日本への留学生が大きな影響を
与えていたことが分かる。
毛沢東が主導権獲得した後は、中国共産党内の
独裁体制が確立される。
午前7時 外気温30度、湿度80%
午前7時朝食
「フォー・ボー」(牛肉米麺)
バンベー45号の編集。
丁寧に「急いで」仕事をする。
筋トレ。柔軟体操。
午前11時半、昼食。
「海老入りブン麺」
午後2時間程昼寝。
読書「中国民主改革派の主張ー中国共産党私史」
李鋭著(岩波新書)
バンベー45号、90%程度の編集を終わり
日本の担当支援者Aさんに送信。
午後5時半、日本料理店へ。
4人の来客あり。
午後9時過ぎ閉店。
徒歩で帰宅。午後9時半、宿舎着。
沢山のメール受信。
2014年04月23日
JASS機関誌「ばんべー45号」編集最終段階
午前6時起床
朝から非常に蒸し暑い。
バオミンさんは昨日からホーチミンへ出張。
午前7時朝食。
「肉団子」と「血の塊」入りブン麺
午前中、ベンベー45号編集。
ほぼ出来上がる。
午前11時半昼食。
「魚いりおじや」
午後体がだるく2時間程昼寝。
読書「昭和史裁判」読了。
美濃部達吉の天皇機関説問題。
東条英機などを中心とした軍部が主導して、
「国体明徴」運動が起こる。当時の学会や
政治の常識だった美濃部学説「天皇機関説」排撃
は、結局、「天皇の戦争責任」にその矢が向いて
しまった。
天皇は立憲国家のひとつの機関だとの
天皇機関説は、裏を返すと「天皇の絶対的な
権力・権限」を一定程度制限するものでもある。
そのことは、戦争責任追及の場合に天皇に有利に
作用するものであった。国体明徴・天皇機関説排撃
全ての責任は天皇にあるという理論に終結してしまう。
戦後の極東裁判にあたり、昭和天皇の戦争責任を
追求した極東軍事裁判所の検事はその点の調査
解明を行っていた。
戦前の権力の内部でも「南進論」「北進論」の対立。
アメリカとの戦争を絶対に回避すべきだとの主張と
対立があった。結局、権力内部が「ズルズル」と
戦争に向かっていってしまった。
夕方までバンベー45号編集。文章、写真の収集・・
読書「中国民主改革派の主張ー中国共産党私史」
李鋭著(岩波新書)
午後5時半、徒歩で日本料理店へ。
石井君とトゥオイさん・グエットさんが
夕食中。富岡先生は日本語学校。
今夜の日本料理店スタッフの夕食
3人の来客あり。
午後9時20分、閉店。
午後9時40分、徒歩で宿舎へ。
2014年04月22日
時田さん一行帰国
午前6時起床
真夏日・朝から汗ばみ、蒸し暑い
午前7時朝食。
「肉団子入り小麦粉の手打ちうどん」
富岡先生から電話。「体調が回復した。今日から勤務に
復帰する」とのこと。一安心。
バンベー45号の編集。
写真探し(今までの写真ストックから)
かなり根気が要る。
午前11時半。時田さん一行(二人)が宿泊している
「ムオン・タンホテル」へ見送り。
ムオンタンホテル・フロントにて
午後12時過ぎ帰宅。
部屋に帰って食欲なし。体がだるい。
横になる。腹痛。下痢状態。
石井君→富岡先生→小山と3人につながる
症状(腹痛・下痢・食欲不振)
ソン君もアンさんも同様の症状で早退したり
している。季節の変わり目に体調が付いて
いけない症状なのか?
今度は私がその症状になってしまった。
午後2時。「おかゆ」を炊く。
おかゆをお茶碗に半分ほど食す。
引き続き横になる。
バオミンさんは、朝からホーチミンへ。
新しい日本語教師のK君から4月25日午後9時過ぎ
ダナン着の連絡あり。
午後7時前、日本のKさんから電話。
午後8時過ぎ、「おかゆ」をお茶碗半分食す。
その後、早めに横になる。
今晩は、日本料理店にいけなかった。
2014年04月21日
名古屋時田さん一行ー「子どもの家」等訪問
午前5時起床 快晴 真夏蒸し暑い。
午前7時朝食。
「フォー・ボー」(牛肉米麺)
時田さんは、元春日野部屋の力士。
私のテレビ出演番組を見て支援を申し出てくれた。
2002年、船上生活者の多いフールー小学校に4教室
増設の寄贈をしてくれた。
その後の教室の使われ方、学校の問題などの
視察に行く。
(写真真ん中・時田さん)
フール小校長・副校長と通訳のソン君。
フールー小の子どもたち、ベトナムの教育などを
話し合う。
2002年建設の4教室記念プレートの前で
時田さん寄贈の教室。
支援から12年経ってもきれいに使われている。
寄贈された教室
その後、ベトナム事務所を訪問。
ベトナム事務所員と交流
その後、「静岡・フエ青年交流会館などを視察。
「子どもの家」へ。
「子どもの家」を案内する。
「子どもの家」の子どもたちの昼食を視察
きょうの昼食
午後12時。フエ市内の「家庭料理」のお店でフエの
家庭料理を食べる。
午後1時半、宿舎へ帰る。
しばらく昼寝をする。
午後6時、日本料理店へ。
石井君が健康を回復。富岡先生体調を崩す。
下痢と発熱。
日本料理店の子どもたちと石井君の夕食
午後6時半、時田さん一行(2人)と私、バオミンさん
で日本料理店で夕食会。
午後9時45分閉会。
今日は6人の来客あり。
徒歩で宿舎へ。午後10時前到着。
気温が急激に高くなり、湿度も高い。
体調を崩し人が多い。私も気分が悪く、だるい。
2014年04月20日
終日「バンベー45号』編集:名古屋時田さん来訪
午前8時起床。
午前9時過ぎ、近くの屋台の「フランスパン」売り屋へ
行き、卵焼き・野菜入り「フランスパン」を二つ買う。
1本50円。
午前10時、コーヒーを沸かし、フランスパン1個を食す。
3時間かけてバンベー45号の1つの大きな内容を
まとめる。まだかなりの量が残っている。
午後2時間程、横になる。
引き続き午後7時まで「バンベー45号」の
編集を続ける。気力の集中が必要で、
心身ともに疲労困憊。
夕方残りのフランスパン1本を「日本の緑茶」
で食す。
午後8時、ソン君が車で迎えに来てくれる。
名古屋の支援者である時田さんと友人の方が
午後8時50分、フエ空港着の飛行でき来訪。
バオミンさんは、ブライセン関係の仕事で
ダナンヘ。ベトナム事務所は日曜日でも
休みなく忙しい。
午後8時30分。ソン君と一緒にフエ空港へ到着。
午後9時過ぎ時田さん一行(二人)到着。
30分程空港で待ち、車でフエ市内ホテルへ。
ホテル着午後10時。
ホテルで明日の日程を確認し、午後10時過ぎに
ホテルを出て帰宅。
今日は「フエフェスティバル」の最終日。
午後10時15分位から「閉会式」の花火が上がる。
2014年04月19日
ベトナム事務所員「ソン君」32回目の誕生日
快晴 真夏
午前5時半起床。
午前7時朝食。
「ブン・ヘオ」(豚肉入りブン麺)
午前8時40分、徒歩でベトナム事務所へ。暑い。
午前9時、ベトナム事務所員「ソン君」の32回目の
誕生日。ベトナム事務所でお祝いをする。
石井君から誕生カードが送られる。
富岡先生から誕生ケーキ贈呈
その後、1時間程、ソン君の誕生を祝って懇親会。
バオミン・運営委員長はお客さんを案内して
ダナンヘ。
ソン君は1994年に「子どもの家」へ入所している。
「子どもの家」の第1期生。
JASSがソン君と付き合いだして丁度「20年」になる。
「子どもの家」出身のメンさんと結婚し、3歳になる
バオ君という男児にも恵まれ、幸せな人生を
送っている。
午前11時、徒歩で宿舎へ帰る。体がだるい。
しばらく横になっている。
バンベー45号の編集をこの数日で完成させな
ければならない。
最大の問題は、各地の会からの原稿と写真が
直ぐに集まらないと4月24日、編集最終責任者の
静岡のAさんまで送れない。
とりあえず、ベトナム事務所関連、20周年式典
などの原稿と写真収集を行っている。
食欲なし。昼食は軽くコーヒーとビスケット数枚。
午後2時間程昼寝。
午後も引き続き「ベンベー45号』編集。
午後4時頃、リー君から電話あり。
「先生、飲みましょう。相談したいことがる」
とのこと。
バンベー編集を一時中断し、午後4時過ぎ、リー君
ホアン君と会う。
1時間程懇談し終了。日本料理店へ
TUOIさん、NGUYETさんが日本料理店で仕事を。
午後9時過ぎ閉店。
2014年04月18日
バンベ45号編集
真夏
午前7時朝食。
「肉団子入り手打ちうどん」
午前中、バンベー45号の編集。
掲載記事・写真を集め、整理する。
午前11時。ベトナム事務所で
リー君と面談。種々、話し合いをする。
現在の仕事の状況、収入、今後の生活と
人生の見通しなどについて話し合う。
リー君は27歳になっている。
リー君との話し合いが長引き、宿舎着は午後12時半。
暑さと疲れで昼食を口にする気力なし。
宿舎に着いてそのまま横になる。
午後2時半から引き続き「ベンベー45号」の編集。
午後6時、日本料理店へ。
来客あり。
午後9時過ぎ閉店。
宿舎帰宅後、バンベー45号編集。
編集等の関係で予定より一週間程早く
編集担当の静岡のAさんに全ての原稿と写真を
送信しなければならない。
この数日で編集を何とか、完成しなければならない。
きょうは朝食を食べただけ。
午後から無性に「甘い物」が食べたくなる。
私は子どもの頃から「甘い物が大嫌い」。
リー君と会っての帰りに最近出来た「コンビニ」で
「板チョコ」を1枚買う。
日本料理店から帰り、バンベー45号の編集中に
板チョコを食べる。今日は不思議に美味しい。
子どもの頃から「甘いものは一切拒否し・忌み嫌って
いたのだが・・・・・」。心境の変化か?
2014年04月17日
蛍光灯の修理:日本語教育部との打ち合わせ
午前5誌起床
読書「昭和史裁判」(文芸春秋)
午前7時朝食
「フォー・ガー」(ハノイ名物鶏肉入り米麺)
香草。ミントがかなり強い
午前9時、ソン君が宿舎の蛍光灯の修理人を
連れてきてくれる。
宿舎玄関の夜光灯と2階の蛍光灯が壊れて
しまった。
この宿舎の設計士は、当面の見た目だけを
考えてこの宿舎を設計したようだ。
玄関の夜光灯が、2メートル以上の高さに
ついている。壊れたら「修理・取替え」が
大変になることを考えずに「見てくれだけ」で
作っている。
2階の仕事部屋の蛍光灯も2メートル以上の
高さについている。壊れたら簡単に取替えが出来ない。
この1週間ほど仕事部屋の蛍光灯が点かない中で
メール送受信・バンベ編集を行っていた。
業者が2メートル以上の高さにある蛍光灯を付け替えて
くれる。
更に宿舎玄関の夜光灯は、3メートル程の高さに
点いている。電球が切れたが、交換が難しい。
30分程で蛍光灯と夜光灯の交換が終わる。
ソン君がいてくれたので本当に助かった。
午前10時、日本語教育部のフーン部長、
富岡先生、バオミンさんと私の4人で
ブライセン日本語教育について協議する。
成案を得る。
午前11時半、昼食。
到底、食べきれないほどの昼食。
野菜は完食。ご飯とおかずは、90%
食べられない。
午後2時。バンベー45号「子どもの家」設立20周年記念
特集号の原稿用に「子どもの家」卒業生を呼び、色々な
話を聞く。
小学校の先生になっているNHIさん。
5人の「子どもの家」卒業生のインタビューを行う。
午後5時。長時間のインタビューで疲れる。
一度、宿舎へ帰る。
途中で「子どもの家」卒業生の「ハイ君」と
出会う。元気に生活しているとのこと。
宿舎で30分程休み、引き続き日本料理店へ。
午後9時過ぎまで。2人の来客あり。
午後9時過ぎ閉店。
今日はバンベー45号関係のインタヴューで
頭と精神がパンクする。
2014年04月16日
バンベー45号編集
午前5時起床
午前7時朝食。
「ブン・ボー・クア」(牛肉・かに団子入りブン麺)
午前中、バンベー45号の編集。
20周年式典の様子等の原稿を書き、写真を
見つける。
当面の来訪者の日程の確認。
バーベルを使っての筋トレ。
柔軟運動
午前11時半昼食。
「マカロニ・スープ」
午後1時間半程昼寝。
当面の3つの訪問者の日程調整・確認。
バンベー関連の件でバオミンさん・ハンさんと
何回も電話で打ち合わせ。
午後5時半、徒歩で日本料理店へ。
日本料理店スタッフと石井君が
夕食を摂っている。
午後6時、ブライセンベトナム支社長と
日本料理店で懇談。
今後の日本語教育などの諸問題について
協議。
午後10時15分閉店。
今日は16人の来客。
日本料理店スタッフは、テンヤワンヤ。
宿舎着午後10時50分。
2014年04月15日
バンベー編集:フエ訪問者の日程調整
快晴 真夏 湿度高い
午前4時起床
読書「昭和史裁判」(半藤一利・加藤陽子著:文言春秋)
昭和天皇・軍部・内閣との関係が実際はどうだったのか?
を当時の大本営・政府連絡会議に参加した人物たちの
日記等をもとに分析。
何度も「アジア・太平洋戦争」回避の可能性があったことを
話し合っている。
午前7時朝食。
「小麦粉入りの手打ちうどん」
バンベー編集
午前10時、柔軟体操。 バーベルを使っての筋トレ。
かなり体が硬くなっている。体をほぐす。
午前11時半昼食
「春雨麺」少し食す。
2時間程昼寝。
バンベー編集。
バオミンさんと電話いくつかの問題を打ち合わせ。
数通のメール送受信。
午後5時半、徒歩で日本料理店へ。
石井君の体調が回復基調にある。
富岡先生も日本語教育の合間に
夕食を摂りに日本料理店へ。
来客あり。
TUOI店長奮闘(一児の母親)
グエット接客主任・お金の管理は安心して任せられる。
午後9時過ぎ閉店。
人通りは少ない。
2014年04月14日
バンベー45号編集方針策定
午前5時起床。
午前7時朝食。
「フォー・ボー」(牛肉米麺)
柔軟体操・筋トレ
バンベー45号編集方針を考える。
バオミンさんと何度か電話でうちあわせ
午前11時半昼食」
「海老入りおじや」少し食す。
野菜を食べる。
石井君と電話で話す。体調は海部kしつつあるが、
まだ不安定。
午後2時半ほど昼寝。
バンベー45号の編集方針を策定。
JASS日本の担当であり坂本さんと編集作業の
担当有ヶ谷さんにメールを送る。
読書「昭和史裁判」(半藤一利・加藤陽子)
午後5時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
日本料理店で石井君とTUOI店長・NGUYET接客主任
が夕食を摂っていた。
石井君の体調のことなどを聞く。
季節の変化(夏に入った)になかなかついていけない
現状を理解するように話す。
午後9時15分閉店。2人の来客。
10数人の大阪の先生ツアーの訪問あり。
9時半、帰宅。
2014年04月13日
休日
午前8時起床
午後12時半。気温30度。湿度50%(室内)
午前8時半、朝食。昨日の昼食の「小麦粉うどん」
の残り(3分の1)を食す。
部屋の掃除。洗濯。
受信メールに返信。
家族にいくつかのメール送信。
落語を聴く。春風亭昇太の「壷算」。
この40年程の間にかなり多くの噺家の
「壷算」を聴いた。
昇太の話は、「うるさすぎる」。最初から最後まで
「押しまくる・うるささ」。江戸落語の「話しているのか?
話していないのか?」分からないように噺しながら、
面白いと言う噺を期待しても無理な時代になった。
ただただ「騒々しい」だけ。騒音「昇太」。
関西「吉本」の影響ではある。時代がそうなったのか?
私が一番好きな噺家は「先代 金原亭馬生」師匠。
今の「吉本どぎつい」時代には合わないのだが
何ともいえない味わいがあった。池波志乃の父親。
古今亭志ん生の長男。
午後5時過ぎ、電圧がさがり蛍光灯などがつかない。
徐々に暗くなる部屋で仕事。
午後7時には、部屋中が真っ暗になる。
結局、一晩中「蛍光灯」は点かなかった。
夜、石井君から電話。
体調が大分良くなったとのこと。熱が上がったり
下がったりを繰り返しているようだ。
3食、食事をし、休養するよう話す。
ーーーーーーーーーーー
東京新聞にベトナム航空キャビン・アテンダント
が盗品等運搬の疑いで逮捕された、との記事が
載っていた。
起こるべきして起こった事件。
ベトナム航空自体が、真っ当な航空会社には
なっていない。この20年間、年間3回ほど日本に
帰国し、ベトナムと日本を往復するが、時刻通り
飛行機が飛んだことはほとんどない。
またホーチミン→フエへの飛行機の登場口が
「テレビモニターで表示された」登場口とはいつも
異なっている。信用できない航空会社だ。
ホーチミン空港などでは、何度も「賄賂」を取られている。
私が悪いことをしているのではないのだが、延々と
取調べをし、次の飛行機に乗れなくなる。
「嫌がらせ」をして、賄賂を取るホーチミン空港の
スタッフの多いこと。腐りきっている。
その最大の理由は、飛行機内のCAも空港内の
スタッフもほとんどの人は、ベトナム共産党幹部の
子弟や関係者。一党独裁の特権階級の「独占物」として
の空港関係の業務である。能力があるかどうかという
評価以前に「共産党幹部の子弟かどうか」で就職が
決まる社会を20年間、見つめてきた。
ホーチミン空港もフエ空港も「窓口スタッフ」も含めて
自分の仕事に誰も責任を持っていない。基本的には
「サービス」というが概念が存在しないともいえる。
ベトナム航空のCAなども同様にベトナムでは
特権階級の関係者。誰もチェックをする人がいない。
この種の犯罪も「それほど罪の意識なく」行われて
いる。
ベトナム戦争反対運動をした人たちが、今でも
「英雄的ベトナム人民・解放戦線・共産党」との
幻想を持っているが、ベトナム社会の現実は、
相当「歪んで」いる。
私は20年間ベトナムに住んでベトナム社会を
その底辺から「トップ」までじっくりと見てきた。
そう単純に「英雄的ベトナム人民・解放戦線」
などとはいえない、不正・汚職・賄賂が横行している
社会。超格差社会になっている現実を直視して来た。
「ベトナム人の目は澄んでいる」などとお目出度い
評論を書いている人もいるが、ベトナム社会の
実相を直視する必要がある。
今回のベトナム空港のCAの「盗品等運搬事件」は
彼女ら・彼らにとっては、普通の行動だったことを
知るべきである。
午後12時半、昼食代わりに「」フダ缶ビール」4本を
飲む。
(東京新聞:北川成史、福田真悟)
日本で万引された衣料品をベトナムに運んだとして、盗品等運搬の疑いで警視庁に逮捕されたベトナム航空客室乗務員(CA)の女が「副機長に誘われ、昨年六月以降、衣料品や化粧品などを七回ほど運んだ」と供述していることが、捜査関係者への取材で分かった。「多くのCAが小遣い稼ぎにやっている」とも話しているといい、盗品などの運搬が乗務員の間で広く行われていた疑いが浮上している。
逮捕されたのは、CAのグエン・ビッチ・ゴック容疑者(25)のほか、ベトナム人窃盗団の男四人=窃盗罪で有罪判決=と、盗品と知りながら衣料品を窃盗団から買った埼玉県のベトナム人女(30)=盗品等有償譲り受け罪などで有罪判決。
捜査関係者によると、グエン容疑者はメールで、来日のフライト予定を埼玉の女に連絡。女は、窃盗団から買った品物をグエン容疑者の宿泊先などに宅配便で送っていた。
グエン容疑者は、自分の荷物に隠してベトナムに運搬。女の妹の雑貨商に渡して、手数料を得ていたという。グエン容疑者は「自分の月給は七万~十万円だが、一回のフライトで二万五千~三万円の副収入になる」と供述しているという。
埼玉の女が送った宅配便の伝票を警視庁が調べると、供述を裏付けるかのように、宛先に副機長やグエン容疑者を含むCAら計二十七人の名前が出てきた。同庁は、副機長一人と別のCA四人の計五人は運搬回数が多いとみて、ベトナム航空に事情聴取の要望を伝えている。
同社をめぐっては、二〇〇八年にも別の副機長が盗品等運搬容疑で埼玉県警などに逮捕されたことがある。ベトナム航空本社の担当者は本紙の取材に「個人の行為で、印象をおとしめられたのは残念だ。〇八年の事件後、CAやパイロットにはサイドビジネスで商品を運ばないように署名させている」と説明する。
今回の事件後、同社は盗品を運搬できないようにするため、CAらの荷物をハンドバッグと小さめの衣類用バッグに限るように決めた。警視庁から聴取要望のあった五人については、一時停職処分にして内部調査を行う。
捜査関係者によると、グエン容疑者は「荷物を運ぶのは内規違反で、いけないと思っていた」と話す一方で「盗品とは知らなかった」と容疑を否認しているという。
2014年04月12日
週末:真夏
午前6時起床。
午前7時朝食
「豚肉ブン麺」
午前中、何通かのメール作成
読書「昭和史裁判」(半藤一利・加藤陽子著:文春文庫)
だるいので午前中は読書で横になって過ごす。
バオミンさんといくつかの件で電話で打ち合わせ
午前11時半、昼食
「小麦粉の手打ちうどん」
午後2時間程昼寝。
8月2日のフエでの「20周年式典」計画を考える
午後5時過ぎ、徒歩で日本料理店へ。
日本料理店スタッフが夕食中。
石井君の体調が「良かったり、悪かったり」
体温が38度に上がったり、平熱になったり。
今夜もバオミン・ホテルで休んでいる。
日本料理店から夕食を持っていく。
今日から「フエ・フェスティバル」が始まる。
思ったより通行人が少ない。
3人の来客あり。
午後9時閉店。
午後9時半、宿舎から王宮方面を見る。
今日は2年に一度の「フエ・フェスティバル」の開会式。
王宮方面で開会式終了の合図にたくさんの花火が
あがった。壮観。
2014年04月11日
打ち合わせ・各種計画・日本料理店
快晴 真夏
午前6時起床。
午前7時朝食。
「フォー・ボー」(牛肉米麺)
午前9時。徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさん・富岡先生・ソン君の4人で
「新ベトナム事務所HP]作成準備委員会を
立ちあげる。
私の教え子の手島君「新ベトナム事務所HP」の
作成をサポートしてくれるとのこと。既に2月に
日本へ帰国した際、何度か手島君に会い打ち合わせを
行ってきた。
午前11時半、昼食。
「海老入りブン麺」
食欲なし。一口食す。
午後2時間程昼寝。
午後2時。関係者にメールでいくつかの件を
連絡する。8月2日の「子どもの家」創設20周年記念式典
(フエ役所にて)の大雑把な案を考える。
7月31日から8月4日(A案)までの「20周年記念式典
参加ツアー」日程をピースインツアーと打ち合わせする。
午後5時過ぎ、徒歩で日本料理店へ。
欧米系4人、日本人1人。5人来客あり。
午後9時半閉店。
2014年04月10日
真夏の気候
午前5時起床
午前7時朝食。「肉団子入りブン麺」
午前中、いくつかの仕事をこなす。
午前11時半、昼食。
急に気温が上がったので、気分が悪く「食欲」なし。
「マカロニ入りスープ」。数口食す。
午後、体がだるいので2時間程横になる。
バオミンさんといくつかの問題を電話で打ち合わせ。
午後4時半、ホーチミン市へ進出している
日本の「某会社」の社長さんから電話。
この間のトラブルについての話あり。
午後5時過ぎ、徒歩で日本料理店へ。
午後5時過ぎには、日本人ご夫妻の来店。
兵庫県からお越しのご夫妻。
その後午後9時まで7人の来客あり。
厨房では、TUOIさん1人が調理に奮闘。
お店では接客主任のグエットさんが奮闘。
そして、私が「生ビール」に問題があるか
「TASTING」の確認作業をする。
今日は「お寿司」「太巻き」、カレーなどの
注文あり。
午後9時過ぎ閉店。7人の来客。
4月12日から「フエフェスティバル」があり、35カ国から
多数の外国人がフエに結集する。
日本料理店も忙しくなる「かも?」知れない。
2014年04月09日
フンヴォン王・命日 祝日
今日は「ベトナムの伝説上の国王フンヴォン王」の命日。
フンヴォン王は、日本で言えばベトナムの
「神武天皇」のようなもの。伝説上の存在。
きょうは祝日・休日。
朝8時、市内「カメリアホテル」で「朝食バイキング」を
食べに行く予定だった。私、富岡先生・石井君。
朝7時過ぎ、富岡先生から電話があり、「石井君が
発熱。朝食バイキングにはいけない』との電話あり。
石井君の発熱。とても心配。富岡先生に石井君の
様子を注視していて欲しい、何かあったら
直ぐに私に電話するようにお願いする。
午前8時過ぎ、1週間程前に食べきれない昼食
「ご飯・魚フライ」を冷凍しておいたものを
解凍。朝食とする。
トラブルがあった東京の某「合板・接着剤会社」の
社長より電話あり。
4月21日、フエのベトナム事務所に来る
とのこと。受け入れる。
午前中、当面のいくつかの課題を整理する。
バンベー45号の骨格。8月2日にフエ市人民委員会
で行われる「子どもの家」設立20周年式典の素案。
午前11時、インターネットで「小保方博士」の記者会見を
見る。マスコミ関係者の専門の知識を勉強していない
質問が「ワンパターン」で同じような質問ばかり。
小保方博士は、理研スタッフとしての限界の中で
最大限の自説を述べたのではないだろうか?
理研の野依理事長が、「1人の未熟な研究者が
膨大なデータを集積し、極めてずさんな取り扱いをして、
責任感に乏しかった」とした発言にマスコミが批判
出来ない情けない現状。30歳の若者を
「ユニットリーダー」に仕立て上げ、マスコミを
動員して、理研の素晴らしさをアピールしようとした
野依理事長など理研野幹部の歪んだ思惑。
マスコミは、「割烹着」から「指輪」「装身具」
「研修室のピンクの壁紙」まで持ち上げた報道を
した。そして「理研はそうしたことを「狙った」。
それが、問題が起こった途端に「手のひらを返した」
ように「小保方博士切り捨てに走った。
今日の記者会見は、あれだけの「批判ストレス」
の中で頑張ったといえる。
30歳の若い研究者を育てるには「オジサンたち」の
愛情と努力が必要である。
若い小保方博士を「利用し」持ち上げ、ユニット
リーダーに祭りあげ、問題が起こったら
「ミソクソに批判する」野依理事長などの
「おっさん」「自己保身」人間群を忌み嫌う。
野依理研理事長が「小保方博士」を批判するのなら
「小保方博士」を「ユニットリーダー」に登用した
野依理事長以下、理研幹部自身の「自己批判」と
自らの「責任を感じての辞任」が大前提である。
野依理事長以下、理研の幹部研究者の
自己保全・自己保身の醜い姿を見た思いだ。
これは、現在の日本社会の反映もである。
自分は、立派なことを言っているが、「行動はしない」
で他人への批判は「節度を越す」ものである。という
例を多々見る。
野依理研理事長など理研の幹部スタッフの
行動はまさに現在の日本社会を端的に反映
していると思われる。自分は、「安全な場所」にいて、
他人を批判する「おっさんども」の無責任・自己保全の
醜い姿を見た思いである。
もちろん小保方博士の未熟な部分はあるが、そうしたことを
是正し、指導するのが理研の「高額国費給料」をもらっている
「おっさんたち」の仕事なのだが・・・・。
若者は、「手間と時間と忍耐」をかけて「おっさんたち」が
育てるものである。理研の「おっさん・おばさん」たちが、
小保方問題で「逃げた」事実こそ、今の日本の
「おっさん・おばさん無責任社会」を作っているように
思われてならない。
私の経験でも「30歳」では、「人の上」に立つのは
難しい。」その組織のシステム、その仕事をより深く
学ぶ年代である。
学校で例えれば、30歳で教頭などに抜擢されても
経験不足は当たり前。
午後5時。石井君から電話。「体温が39度」。
かなり高い。心配だ。食事をしっかりし、安静な
生活をするように話す。問題があったら直ぐに
私に電話するように話す。
石井君の健康回復を祈る。
午後7時から午後10時まで
東京の某「接着剤・合板会社」へ
抗議と絶縁のメールを送る。
お互いの信義を一方的に裏切る会社は
「ヤクザ」以下である。恩義も信義もない
勝手な会社である。今後、この会社に
付いて様々な「真実」広報をしていきたいと
決意している。
2014年04月08日
ホーチミン市にある日系企業へのメール
午前5時起床
午前7時朝食。
「ブンボー・フエ」(牛肉米麺)
ホーチミン市にある日系企業に関連する
問題について、東京本社の社長へメールを
送った。その返事が来た。
引き続き、東京本社ホーチミン市日系企業
担当者からメール受信。
何通かのメールを東京に本社がある日系企業
社長に送信する。
私のメールの趣旨は、JASSベトナム事務所に
対する不当な攻撃・無礼な態度に対する
厳重な抗議。
午前11時半昼食。
『魚のおじや』
食後1時間程昼寝。
午後3時、早稲田大学大学院生と懇談。
海外を探訪しているとのこと。
3時間ほど話す。
日本料理店。来客あり。
カツカレーの注文。
TUOIさん一人で調理を頑張っている。
昨年12月29日テレビ東京で放映された
JASS日本料理店の番組に出て来た
「エビ天盛りうどん」の注文あり。
午後9時15分、閉店。
2014年04月07日
ホーチミン市の「某日系会社社員」の妄動
昨日の日曜日は、卵焼き・野菜など入り『フランスパン』
を食べる。
宿舎の近くの屋台で買う。1本50円。
=======
4月7日(月)
午前7時、朝食。
「チャオ・バイン・カイン」
先月、ケーキ作りを日本料理店の子どもたちに
教えてくれた「内0さん」が、更にケーキの材料などを
ベトナム事務所へ郵送してくれた。
改めて内0さんにお礼を申し上げたい。
午前8時、ベトナム事務所へ。
会計部長のHさん
日本語教師のT岡先生
立派なお父さんになった「子どもの家」生徒会長だった
S君ー貫禄も出て来た。ベトナム事務所の重要な
戦力になっている。
P日本語部長
フェリシモなど担当Aさん
日本語教師の今晩は先生
午前8時、ホーチミン市からj来た日系企業の
ベトナム人がベトナム事務所を訪問。
事前の約束では、午前9時に来る予定だったのだが・・。
約束に違反し、突然午前8時に来訪。朝食をストップ
してベトナム事務所へ駆けつける。
ホーチミン市の日系企業のベトナム人2人と
話をするが、話が通じない。
JASSに対する「舐めた態度」が見えみえの
日系日本企業のベトナム社員。
自分が日系会社に勤めていることが
「偉い」と思い込んでいる人間。1時間以上
話したが、何も内容のある話をしないで
一方的に帰ってしまう。時間の無駄遣い。
こうしたベトナム人スタッフを雇用し、活用している
日系企業が「何を考えているのか?」不思議に
思う。日本語が多少出来る程度で採用している
としたら、馬鹿馬鹿しいといわざるを得ない。
自分の会社と関係ないフエのNGOをわざわざ
訪ねてきた。事前に午前9時にベトナム事務所
で話し会う約束だったのに、勝手に午前8時に
ベトナム事務所に来て、私が未だ朝食中の
所に電話をして来て、「JASSベトナム事務所に
きている」という横暴ぶり。
余りに常識ハズレな日系企業のベトナム人DIRECTOR
ではある。厳しく叱責する。怒って帰ってしまう。
何を話しに来たのかも分からず帰ってしまった
日系企業のベトナム人スタッフ。何を考えているのだろうか?
ベトナム事務所での態度を冷静に見ていると「自分は
ホーチミン市の日系企業勤めているのだ。「偉いのだ」
という態度が言葉と講堂にミエミエに出ている。
嫌な時間を過ごした。
突然『強盗』が乱入し、事務所を荒らし、直ぐに
どこかへ消えていってしまったようなもの。
「きつねにつままれた」ような感じだ。
午前11時半昼食。
野菜、魚のフライ・・・・
野菜だけ食べる。食欲なし。
ホーチミン市の日系企業のベトナム人スタッフの
余りにも非常識に『怒りの気持ちが収まらず」
食事が出来なかった。
しばらく昼寝。
午後、「子どもの家」のいくつかの問題を
JASSベトナム運営委員長のバオミンさんと
打ち合わせ。急いで対策を立てないといけない
問題が発生。
午後5時前、徒歩でベトナム事務所へ。
「子どもの家」卒業生で現在フエ市人民委員会
外務部に勤めているメンさん母子が、夫であり
お父さんのソン君をベトナム事務所に迎えに
来る。お子さんは、近くの幼稚園で生活。
子どものBAO君も大きくなった。表情も豊かになり
賢そうな顔つきではある。
お父さんのベトナム事務所の仕事が終わる少しの間、
ベトナム事務所の前で待っている。
午後5時半。日本料理店で日本人の夕食。
ベトナム語を勉強しているI君も元気に生活している。
日本料理店の二人のスタッフも夕食。
5人の来客あり。厨房はTUOIさん1人が担当。
午後9時半日本料理店閉店。
今日の会計を集計する接客係りのグエットさん。
日本時間午後9時から午後11時までの間に長文の
メールを書き、ホーチミン市の日系企業の日本本社
の社長さんに送る。
2014年04月05日
日本料理店会議
午前6時起床
曇りのち晴れ
気温30度。
午前7時朝食。
「豚足入りブン麺」
午前中、バンベー編集方針計画
8月2日フエで行われる「20周年記念式典」の
内容検討。
同上参加スタディーツアーの日程等確認。
読書「昭和精神史」(桶谷秀昭著 文春文庫)
・大東亜共栄圏
この言葉を最初に使ったのは、1940年8月1日
第2次近衛内閣の外相に就任した松岡洋右である。
大東亜という概念もかなり荒っぽい概念。
共栄という言葉は、詐欺である。
午前11時半、昼食。
「海産おじや」
食欲なし。一口食して冷蔵庫に入れておく。
2時間程昼寝。
午後2時過ぎ、徒歩で日本料理店へ。
日本料理店会議。
バオミンさんは、仕事がありソン君に通訳を頼む。
今後の日本料理店の運営について、TUOI店長、
NGUYET接客主任と協議する。
30分程話し合いをし、宿舎へ帰宅。
洗濯
午後5時半、宿舎を出て徒歩で日本料理店へ。
日本料理店会議に参加したTUOI(トゥオイ)さんが
発熱。緊急に病院へ行き、帰宅する。
日本料理店は、NGUYET(グエット)さん一人に
なってしまった。
日本料理店開店の準備をしているので、引き続き
開店した。
来客あり。グエットさんが調理する。
午後9時過ぎ閉店。
その後、厨房の掃除などを行う。
今日は、トゥオイさんが発熱・緊急帰宅。
グエットさん一人で接客・調理を行う。
午後9時半、日本料理店から帰宅。
2014年04月04日
バオミンさんと打ち合わせ
午前5時起床。
血圧測定。既に20年以上行っている。
日本へ帰った際には、病院に結果を報告する。
「高血圧管理手帳」というのがあり、そこに
最高血圧・最低血圧を記録する。
一応、最高135、最低85以下を目標としている。
今朝は「114・75」。通常の範囲内。
食べ物、運動など出来るだけ努力をしてはいるが、
最大の課題は「飲酒」と「ストレス」。
午前7時朝食。
「フォー・ヘオ」(豚肉入り米麺」
ベトナム事務所でバオミンさんといくつかの打ち合わせ
午前11時半、昼食。
「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉麺)
午後2時間程昼寝。
午後3時、日本料理店会議。
4月12日から「フエフェスティバル」が行われる。
今年は、35カ国が参加。大量の「外国人」が
フエ市に集中する。
現在、フエ市は「観光のON シーズン」。
「フエフェスティバル」中の日本料理店への外国人の
受け入れについて協議する。
午後4時。日本料理店では、店長兼調理主任と
接客主任の二人が、開店と夕食の準備中。
午後6時過ぎ日本料理店開店。
3人のフランス人来訪。お寿司などの注文あり。
午後9時半、閉店
ーーーーー
衆議院の本会議で、日本の原発をトルコなどへの海外輸出
に反対し、衆議院本会議を民主党の生方幸夫議員が
退席した。なまぬるい態度ではあるが、それでも
国会議員の良心の一端を持っている議員ではある。
生方議員は、高校同学年で同じ陸上部で3年間一緒に
活動した仲である。早稲田から読売新聞記者、松下政経塾。
民主党いう枠でいくら活動しても限界があることは事実である。
本会議退席の理由。
『原子力協定と原発輸出には反対である旨、表明いたしました。
理由は福島第一原発事故の原因は現在に至るまで解明していない。いまだに15万人もの福島県人が避難を強いられているなど、日本国内でコントロールできていないものを海外に輸出することは無責任で、とても賛成できない。原子力に頼らない社会を作るというのは、そういう生き方をするという意味も込めて、単なる政策の問題ではなく、思想信条かかわる問題だ』
2014年04月03日
いくつかの問題解決策を考える
曇り 小雨
午前5時起床
午前7時朝食
「カニ団子入りブン麺」
当面するいくつかの課題をバオミンさんと
電話で打ち合わせをする
午前11時半昼食
「マカロニいりスープ」
ほんの少し食す。
体がだるいので横になっている。
午後5時半、徒歩で宿舎を出て日本料理店へ。
日本語教師富岡先生とベトナム語学習の石井君が
日本料理店スタッフと夕食を摂っていた。
午後9時過ぎまでの開店中、8人の来客あり。
ブラジルから来た男女。JASS日本料理店を
掲載している英語版の「ロンリー・プラネット」
を読んで来店した。
日本料理店の人手が足りず、相当忙しい
日本料理店ではあった。
午後9時15分、最後のお客さんが帰る。閉店。
接客主任のグエットさんが今日の売り上げを
清算している。
午後9時半過ぎ、宿舎へ帰る。
長い1日だった。
2014年04月02日
疲労・休息
快晴 室温32度 真夏
午前6時起床
体が異常にだるい。
午前7時朝食。
『肉団子入り小麦粉麺」
いくつかの仕事をこなす。
横になる。
午前11時半、昼食。
「春雨麺」
食欲なし。一口食す。
直ぐに横になる。立っているのが、辛い。
横になりながら、頭の中には、今後の
JASSの行方、ベトナム事務所のあり方、
私のJASSとの関わり方などについての
諸問題があり、色々と考える。
考えてみると昨年の7月から今日まで
休みなしに活動を続けて来た。
昨年の7月・8月のスタディーツアーへの対応、
夏休み中の多くの来訪者への対応。
10月の2週間にわたる「キューバ・アメリカ旅行」。
年末年始の来訪者への対応。
2月、フエ市長などベトナム人4人と一緒の
東京での20周年記念集会と静岡・京都・大阪
案内。
そのまま、ベトナムへ帰国し、今日までの
諸活動・・・・。
45歳でフエに来てからほとんど同じ量かそれ以上
の活動内容を毎日こなしている。
ベトナム事務所スタッフ・日本語教師の皆さんの
活躍で、ベトナム事務所の活動量と活動領域は
大きく広がった。
今後の活動への諸課題などの検討を行う。
午後5時半、徒歩で日本料理店へ。
税田さんが「一時帰国」し日本料理店に日本人が
いないので日本料理店に毎晩「出頭」している。
私が日本料理店に居ても
ほとんど何の役割りも果たすことは出来ないのだが・・・・。
子どもたち二人だけでの日本料理店運営は
難しい。何か問題が起こった際には、対処できない。
欧米系の来客の英語が分からない場合・・・・・・。
日本人の来客が、「この日本料理店に貼ってある
子どもたちの写真は何か?」などと日本料理店の
グエットさんなどに聞いても日本語・英語での回答は
難しい。
何かあった時の「用心棒」として夕方から午後9時から
9時半まで日本料理店に「たむろ」している。
それでも一応、日本料理店にいることで、子どもたちに
多少の安心感を与えているのかも知れない。
その代償として、少々の「フダ生ビール」を子どもたちから
頂いているのである。
接客係りとして頑張っているグエットさん。
午後9時15分閉店。
宿舎で「HFC」(フエ・フーズ・カンパニー)の
純米大吟醸酒「嬢薫」を飲む。
美味しい。「ベトナムの大吟醸酒?」と
言う人がいるかも知れないが、「美味しい」。
「美味しいお酒は、美味しい」。
フエ・フーズの「梅酒」。これが本当に美味しい。
私は、フエフーズの黒川さんから1本頂き飲んだが、
美味しい。ベトナム事務所の日本人スタッフも美味しい
と言っている。
現在試供品のようだ。早く、販売して欲しい。
ベトナム事務所では、定期的に買いたい。
HFC(フエ・フーズ・カンパニー)の
梅酒は、言葉にすれば「さっぱり・梅の香りあり、
上品』といえる。
日本で一番美味しい福島の「第七きもと梅酒」
に匹敵する味。
2014年04月01日
税田さん一時帰国
快晴 真夏日
午前5時起床
午前7時朝食。
「フォー・ボー」(牛肉米麺)
午前8時「バオミン・ホテル」へ
ベトナム事務所の税田さんが、「一時帰国」
見送りをする。
ベトナム事務所のハンさん、バオミンさんの奥さん。
午前9時、ベトナム事務所へ。
財政部長 ハンさん
日本語教師富岡先生
フェリシモ担当 アンさん
日本語教育部長 フーン先生
日本語教師 フオン先生
バオミンさんと当面の諸課題について協議。
午前11時半 昼食
午後2時、北海道教育大学の学生の訪問を
受ける。1時間半ほど「子どもの家」の活動、教育の
問題などを話す。
その後、ソン君の案内で「子どもの家」参観
午後5時半、日本料理店
来客あり
グエットさん・トゥオイさんが調理
欧米系・日本人等の来客
午後9時、閉店。