« 日本企業社長と懇談 | メイン | 終日横になっている »

2014年04月30日

ベトナム「南部解放」39周年祝日

午前中ー真夏。 午後小雨。

料理のセンさんに『今日と明日の食事作り』を断った。
疲労が溜まり、今日の休日は、ゆっくり寝ていたいので・・・

午前10時まで寝ていた。毎日、午前7時に朝食がある
ので「眠くても何でも」起きなければならない。

今日(ベトナム南部「解放記念日」、5月1日「メーデー」
の2連休は、ゆっくりと休息したい。

午前10時、支援者の方から頂いた、「日本のらーめん」
を温めて食す。その後も横になり眠る。


ベトナムに20年住んで、今でも理解できない
現象がある。

隣の家の人たちが、私の宿舎の門の前に
オートバイをおいてしまうのだ。
日常茶飯事。私が電動バイクで外出しようと
すると門を開けることができない。



日越の文化の違いと言えばそれまでだが・・・・、

どう考えても「隣の家の門前」に自分のオートバイを
置けば、隣の人が門を開けられず、外に出られない、
隣の人に迷惑をかける、程度の常識は必要だと
思われるのだが・・・・・・。

ベトナム全土「解放」39周年記念日の今日、
未だに「自己中心的」な民族性から解放されない
一部のベトナム人がいることに「そうなのか」との
諦観を感ずる。

午後3時。フエ缶ビールを飲む。昨日、「チャー・トゥー」
「チャー・ゾー」という豚の頭の「ソーセージ」と「豚肉の
ソーセージ」をおつまみに、フダビール3缶を飲む。

今日は、3回「ぬか床」をかき回し、酸素を供給した。
かなり水分が多くなった。「捨て野菜」がしんなりし
水分が出て来た。まだまだ「ぬか」の臭いは消えないが・・・。

=========

フダビールを飲みながら、この間の日本・韓国で
起こった出来事を「ボーッ」と考える。

①痛ましい韓国船沈没事故に心から哀悼の
 気持ちを捧げる。

この事故を通して、日本のマスコミの「奇形性」を
つくづく悟った。

日本のマスコミは、韓国船事故の一部始終を
詳細に報道していた。これは、マスコミとしては
当然のことである。沈没船長や船員が最初に
逃げてしまったこと。経営者が「怪しいキリスト教団の
教主」、「金儲け一辺倒の会社だった」、海上警察をはじめ
韓国社会の経済至上主義・大統領を先頭にした役人の
国民に奉仕する姿勢の欠如。その裏にある韓国社会の
前近代的・封建制を払拭できない「財閥優先」「有名大学
卒業生優先社会」・・・の近代国家として「遅れた」部分への
異常な報道・・・・、

韓国の社会と政治には、異常な情熱を示す我が日本の
マスコミである。

しかし、同じ時期に安部政権は、「海外への原発輸出」
日本のエネルギー計画の基本に原発を据えるとの
方針を明確にしていた。
福島原発が全くコントロールできていないというのに。
更に「集団的自衛権」を閣議で決めようとしている。
日本国民を海外での戦争に派遣しようとする阿倍内閣。


日本のマスコミは、海外の韓国の事故については細部
まで厳しく批判しておきながら、自国政府への批判は
本当に「生っちょろい」ものであった。
日本の主要新聞の政治部長が、安部首相と食事会を
している我が日本のマスコミの体たらくの現状である。
記者クラブ制度という「独占的マスコミ制度」を作っている
日本の主要マスコミ。戦前を見ると日本の中国侵略を
推進した一因は、日本の新聞だった。中国侵略を
進める中で当時の主要新聞は、部数を大幅に拡大
している。「満州事変」から「北支事変(日中戦争)」の
中国侵略報道をする中で、アジア侵略を煽ったのも
当時の新聞などだった。
日本のマスコミは、外国の問題になると「先鋭な批判」
を行うが、自分の足元の我が祖国の問題になると
主要新聞の政治部長と安部首相と会食をするという
奇形な関係である。
日本のマスコミの堕落の根源は、直接利害関係のない
外国の問題には、厳しい批判をするが、日本の国内問題
には、「記者クラブ」と言う「ギルド」を作り、情報を独占しながら
権力に迎合している現実である。そうしたマスコミの中で
真面目に頑張っている記者・関係者がいることも理解している。


======

②小保方晴子博士問題。
 日本社会の深層の「歪んだ」成果主義、産学協同の
 歪んだ科学・学問の世界を見た思いがする。

小保方博士を「理研」のユニットリーダーにしたのは、
理研の野依理事長等。
野依理事長は「1人の未熟な研究者が膨大なデータを集積し、
極めてずさんな取り扱いをして、責任感に乏しかった」と
小保方博士を厳しく批判していた。

更にノーベル賞受賞者の山中教授は、小保方博士について
「研究ノートをきちんととっていない、未熟な研究者」と
の趣旨の記者会見をしていた。

しかし、理研は、小保方博士の調査委員会委員長自らが
「疑惑」対象者となり、小保方調査委員会委員長を辞任。
また、「研究ノートを作るのは、学者の最低の義務」という
ような発言をし小保方博士を批判していたノーベル賞
受賞山中教授が自らの研究発表の写真が「偽装」ではとの
疑惑をかけられ、「偽造ではない」との記者会見を
しながら、「研究ノート」が存在しないので、偽造疑惑
の写真を収めた研究ノートはない、との記者会見を
している。
若い、研究経験の少ない小保方博士を理研は持ち上げ、
ユニットリーダーにし、記者会見を盛大に行い、小保方博士
の研修室のピンクの壁紙までマスコミの宣伝した理研。
研究ノートがない研究者は「失格者」的な発言をしていた
ノーベル賞受賞山中教授が「疑惑をかけられたら研究ノート
がなかった」という自らの「未熟な研究者」の実態を
暴露するという事態。

こうした日本の学問の世界の「異常さ」は
「世間に宣伝し」「アピール」
しないと評価されない、成果主義・結果主義を
求める日本社会の矛盾の現われと感じた。

研究は、死後に生きるものかもしれない。
そうした長い時間を考えての研究を考えなければ
ならない。

これは、子どもたちの人生にも当てはまる。
青年前期でつまづいた若者は、今の日本社会では
「退場宣言」をされていまう。直ぐに成果と結果をだした
人間だけが「認められる社会」はやはり異常な社会である。
青春前期を苦悩し、苦労した若者の方が将来「大成する」
かも知れないのだが・・・・・・・。
全国学力テストをして、各県・各市区町村の学校ごとの
平均点を公表し、順位を競う安部内閣の文教政策も
誤っている。大器晩成型、見えないところで世の中を
支える人間もたくさんいるのだ・・・・・・。

小保方博士問題を通してで日本社会の「成果主義・結果主義」
という異常な社会の歪さ(いびつさ)を感じた。
日本社会に「待ち」の気風がなくなった。
いつも「ガツガツ」している貧相な社会になってしまった。
長い時間をかけて子どもたちや若者、人間を育てる
問う言う気風が失われ、効率と結果だけが強調される社会
は住み難い社会ではある。

更に言えば、「大人の能力の低下」をつくづく感じた。
「今時の若者」などといえない野依理研理事長、
山中教授・・・・・・。人を批判しておきながら、
「自らはそれが出来ない」というのでは・・・・
情けない。

====
憲法9条がノーベル平和賞の候補になったとのこと。
受賞したら、受賞者は日本国民。
世界の宝物である日本国憲法9条にノーベル平和賞を。


===
そんなことを考えながら、フダ缶ビールをちびちびと
飲んでいるのであった。

投稿者 koyama : 2014年04月30日 16:27

コメント